カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 コロナ禍の中で行われた、今年の箱根駅伝。
正月三が日は他に楽しみも無いので、駅伝ファン(スポーツ何でもファン)としては箱根駅伝の開催は有難かったのですが、沿道での観戦自粛が呼び掛けられ、恒例のチア合戦や優勝チームの出迎えや胴上げも無い異例のレース。そんな異常さが生んだとしか思えない、あり得ない様な最終10区での3分19秒の大逆転劇。劇的と言えば確かに劇的であり、その意味で成し遂げた立役者の選手たちはヒーローとしてスポットが当たるのは当然です。

 しかし今年は・・・。それは見ている自分が単に年を取ったせいなのか、しかも人生の半分以上を超えての“下り坂”故なのか、はたまた今年の異常な“コロナ禍”のせいなのか、今年の箱根駅伝を見終えての感想は・・・「残酷すぎる!」。
そして気になったのは、ヒーローとなった選手たちではなく、おそらく“敗戦の責任”を一人で背負うであろう、最終10区で大逆転をされた創価大小野寺選手であり、山登りの5区で4度立ち止まってしまった青学の竹石選手など、敗因の原因を作ってしまった選手たちでした。

 「彼らは大丈夫だろうか?立ち直れるのだろうか?また前を向けるのだろうか?」
 「それにしても、“駅伝の神様”は余りに残酷過ぎる!」

 レース後の報道に依れば、創価大の小野寺選手はツイッターで「ごめんなさい」と誤った後、「全部受け止めて来年強くなって戻ってきます。」と記したとのこと。それを知ってホッとしました。来年はシード校故に、本選出場は間違いないので、是非鍛錬し鍛え上げ、学内選考に勝ってリベンジの走りをして欲しいと思います。
どの大学もゴールでの出迎えを自粛し寮でレースを見守っていた中で、TVで放送された創価大の選手たち。最終区残り2㎞でのまさかの逆転時はさすがに茫然としていましたが、最後小野寺選手が2位でゴールした時には皆で拍手をしていた光景に些かなりとも救われた思いでした。
彼は3年生ですので、もう一度やり直すことが出来ます。しかし、3年生の時に失速し、昨年はエントリーもされず、そのため卒業せずに留年してまでして再度同じ5区山登りに挑んだ青学の竹石選手。誰のせいでもない、自分自身に敗因があり、飽くまで自己責任とはいえ残酷な、余りに残酷な・・・。
正直、今までTV画面からは目立ちたがりに見えて好きではなかった青学の原監督ですが、今回直前の故障で走れなかった主将の神林選手に対し、指導者としての自責から、レース前に選手全員に「仮に品川の八ツ山橋で歩いて駄目になっても俺は神林を使いたい。もし棄権してシードを逃して来年予選会からになっても構わない!」とまで言ったといい、レース後目を真っ赤にして彼へエールを送る監督を見て、「イイ監督だなぁ・・・」と素直に感動したのですが、もしそうであれば、「箱根の借りは箱根で」というリベンジの機会がもう無い竹石選手にも、一日目の「ゲームオーバー」ではなく、レース後に一言でもTV画面を通じて(きっと直接的には労いの言葉を掛けたでしょうけれど)エールを送って欲しかった・・・。
5区で区間17位だった彼一人が往路での青学失速の原因ではなく、2区と3区も同じく区間14位と沈んだのに、往路の最終区で立ち止まってしまった彼が結果的に目立ってしまったが故に・・・。

 それにしても再三にわたり沿道での応援を避ける様にとのアナウンスがされ、一生に一度、場合によっては競技から引退する4年生は最初で最後の晴れ舞台に、声を枯らして沿道で直接応援したかったであろう家族や関係者の人たちが皆主催者側の指導を踏まえてTV画面を通じて応援をしている中で、沿道に繰り出した“赤の他人”たち、その数18万人とか。
だったら、余程そうした一般の人たちは入場禁止などの制限をして、むしろ家族や大学関係者たちだけが沿道で一生に一度しかない応援が出来るようにしてあげた方がどれだけ良かったかと思わざるを得ませんでした。
そりゃ、もし自分の家の前の道路を走るならいざ知らず、臆面も無くTV画面に向かって手を振ってTV桟敷の前の全国5000万人にご自身のその馬鹿面を晒すジイサン、バアサン、オッサン、オバサンに若者たち・・・。
そんなアホな輩どもを見るにつけ、コロナ感染第一波の時の“民度の高さ”など一体どこに消えたのか、「ナルホド、これじゃ感染拡大が収まる筈も無い」と新年早々逆に得心出来たのは、或る意味全く以て情けない限りでした。