カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 前話の各地区のゴミステーションでは無料で(と言っても各戸町会費を払っていますし、市指定のゴミ袋も購入しないといけないので、或る意味当然なのかもしれませんが)ゴミ回収してもらえるのは本当に有難いことです。
しかし、回収してもらえる分は良いのですが、粗大ゴミは通常のゴミステーションには出せませんし、出す場合、例えばカーペットは小さく裁断して通常のゴミ袋に入れる必要があります。
そのため、量にもよりますが、そうした類のゴミがたくさんあると通常の回収ステーションでは無理なので、その場合は(業者に頼むか)自身で市のクリーンセンター(ゴミ焼却場)へ持ち込む必要があります。また金属や小型家電などの資源ゴミも、地区の月一回の回収では片付けに時間が掛かり過ぎて難しい場合はリサイクルセンターへ持ち込んだ方が早く処分出来ます。但し、家電類でもリサイクル券が必要となったTVや冷蔵庫などの家電製品と、産廃扱いとなるモノは専門業者に持ち込まないといけません。

 松本市の場合は、市内島内の平瀬(奈良井川と梓川の合流する「川中島」の内側。父の生まれた家もここにあり、私メ自身にとっても幼い頃からの馴染みの場所)にあるクリーンセンターとリサイクルセンターがそうした施設(松本広域として山形村との共同施設)です。
因みに温水プールなどのある子供たちに人気の「ラーラ松本」は、そのクリーンセンターで焼却する際のエネルギーを熱源に利用したレジャー施設です。
クリーンセンターへ持ち込まないといけないのは、例えば布団類。座布団も数枚ならいざ知らず、(自宅での葬式用に用意されていた)百枚となるとまとめて処分しないと無理。またポリバケツなどのプラ製品も同様です。カマド時代の鍋窯やヤカンは金属として資源ゴミですし、ベッドの木枠や家具類は粗大ゴミ。
以前は回収されていた布類は、TVでも報道されたように、コロナ禍により最大の輸出先であったマレーシアの輸入業務がストップ。そのため、(輸出再開までは)出来るだけ出さない様にというアナウンスが松本でもありました。
しかし、今回クリーンセンターへ相談したら、大量にあった布類(衣服や、きもの、端切れ等)もリサイクルセンターで受け付けていただける由。そして、荒巻やブリなどが入っていた様な発泡スチロールの箱が大小20箱くらいもあり、事情をお話したら「大量の場合は業者だと看做されてしまうと産廃になるが、そういうことなら」と、家庭の一般ゴミとしてまとめて可燃ゴミで受け付けてくれました。
また、クリーンセンターは一階が布団などの粗大ごみのリサイクル、二階が可燃ゴミなのですが、どちらかの方に持って行くべきがたった一つだけ残った様な場合は、「イイよ、そっちに回しておくからそこに置いてって!」と言ってくださったり、またリサイクルセンターでは、小型家電や金属類、布類など、係員の方々が一緒に卸すのを手伝ってくださったり・・・。
恐らく、こうした施設で働く職員の方々の仕事は所謂3K業務なのかもしれませんが、受付の女性から始まって現場で作業されている方々まで、些か大げさに聞こえるかもしれませんが、皆さん本当に感動する程に親切で感謝の言葉が口から自然と出て来ました。
平日でも、結構クリーンセンターへ家庭ゴミを持ち込む車が予想以上に多く、時には受付に順番待ちの車が10台近く並ぶことも。やはり、持ち込まれるのは回収所に出せないような家具などの粗大ゴミが多いようです。
 「今コロナ禍で家にいるからサ、みんな家の片付けをしてるんだヨネ!」
ナルホドでありました。

 因みにクリーンセンターへの道のりは、新橋経由で国道19号線を行くルート(新橋までは昔島内事業所に勤務していた時の通勤ルート。所謂「常念通り」)もありますが、我が家からは城山々系を山田方面への急坂を登って下り、松本トンネルから平瀬地区へ下って来る道に合流するルートの方が近道ですし、軽トラに満載してゆっくり走るには市街地よりも交通量が少なくて好都合。因みに、このルートは大昔「養老坂」と言って、塩の道方面への古道であり、下岡田地区の通称「塩倉」と言う地区は、越後から塩の道を運ばれて来た塩が、平瀬からその坂を超えた岡田に留め置かれるための塩の倉があったことに由来しています。
また平瀬地区にはこの辺りを治めていた犬飼氏の一族で、戦国時代の信濃の守護となった小笠原氏の家臣平瀬氏の居城だった山城の平瀬城跡もあり、梓川と奈良井川に挟まれた平瀬地区は、安曇野から山を超えて松本への下るルートを眼下に監視するための要衝の地だったことが分かります。
この「養老坂」は江戸時代まで使われ、その後も、例えば乗り物酔いのために車に乗れない明治生まれの祖母が平瀬にある親戚宅に行くために歩いて超えて行った道でもあります。今ではそれがどのルートだったのか不確かですが、江戸時代どころか、昭和30年代頃までは普通にそうした人々が歩いて超えていた道でした。
 下岡田からは、その「養老坂」を超えると突然目の前がぱぁっと開け、北アルプスの峰々が眼前に飛び込んで来ます。常念や有明山どころか、空気が澄んでいれば遠く白馬方面まで見渡せます。
今回、ゴミを軽トラの荷台に一杯に積んで二十数往復も運んだ中で、それは決してワクワクするような仕事ではなく、むしろ溜息をつきながらの仕事ではあっても、目の前に拡がる北アルプスの雄大な峰々を眺めると、溜息が歓声に変わり、頑張ろうという意欲が湧いて来ます。その意味で、この絶景に何度癒されまた励まされたか知れません。
「北アルプスがある(見える)幸せ」を感じた“ゴミ片付けの一ヶ月”でした。