カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
大量の食器類や、何ヶ所もある押し入れに積まれた座布団の山・・・etc。母屋とは別の物置小屋も食器類や古新聞などが山の様に積まれています。
溢れ返ったモノと足の踏み場も無い様な物置に、最初は溜息しか出ませんでした。
しかし、それでは何も進展が無いので、先ずは自身や妹の子供時代から、我々の結婚後の同居時代や海外赴任中も含めて、自分たちと子供たちの本、本、本・・・。
殆どは、子供部屋を含めて幾つかの本棚に収められていますが、他にも海外赴任中に捨てられなかったのか、引っ越し時の段ボール箱にそのまま詰められたままのモノも何箱かありました。
例えば、子供たちが読んだ日本語と英語の絵本。また、当時のシンガポールのTV局の英語放送(中国語やマレー語の番組は分からないので)は宗主国であるイギリスのBBCなどの番組が中心で、当時のイメージとしては現在のNHK-Eテレの様な真面目な番組ばかりでしたので、そこで勢い(Airで送られて来る週刊誌や新聞などよりも安い)船便で来る文庫本を中心に、紀伊国屋で買っては読み漁った文庫本など、日本にいた時以上に読んだ本、本、本。海外だからこそ溜まった文庫本の山など。
結果、不要と判断した本類は、ミカン箱やリンゴ箱大の段ボール箱にして30箱弱にもなりました。勿論、中には学生時代の法律雑誌やオーディオ雑誌やFM関係の週刊誌など、現在の情報としては古すぎて全く価値の無さそうなモノも多く、そうしたモノは梱包用の紐で縛って資源ゴミとして供出。
しかしそれ以外のモノは、例えば専門書やハードカバーもあって、捨てるのに忍び難く、価値の在りそうなもの(娘たちが使った辞書やTOFLや就活の適性検査の参考書の類も含めて)だけを本専門のリサイクルショップに段ボール箱にして6箱持ち込みましたが、結果、買取価格はコーヒー代にもなりませんでした。その買取価格を聞いて、正直、唖然として声も出ませんでした。
売る時はきっと十倍位で売るのでしょうが(例えば、書店で買った600円の文庫本を10円で買いとったら、再販時は100円位で・・・?)、それにしても・・・。
そこで、もしそんなに安く買い叩かれるのだったら、広く(世間で)読みたい人に読んでもらった方が本としても嬉しいだろうし、現オーナーとしても余程ありがたい!、と市の図書館に寄贈することにしました。
電話で問い合わせると、所蔵との兼ね合いで何冊も所蔵している本は不要だったりすることもあり、そうした本が不要の場合は処分したり、また年何回か実施している古くなった閲覧後の本をフリーマーケット式に希望する市民に引き取ってもらうこともしており、そうした活用がされることもあり得ることを理解した上で、全て任せてもらえるなら是非寄贈いただきたいとのこと。当方とすれば当然OKです。所蔵して閲覧されても、何冊も既に所蔵があるので、希望者にタダで差し上げるにしても、要するに読みたい人に読んでもらえるのですから、本も第二、第三の“本生”としては(只可燃ゴミで燃やされるよりも)遥かに有意義な筈です。
そんな前提で、きっと図書館司書の方々も理解し歓迎してくださる筈!・・・という認識(≒リサイクルショップよりも使命感が強い筈)で、二度に亘り全部で15箱位事前に連絡した上で持ち込みました。
図書館スタッフも、全員が(本に愛着を持つ)司書の方々ばかりではないかもしれません。単なる事務スタッフなのかもしれません。もしそうであるとすれば、或る意味極当然なのですが・・・、・・・。
要するに、その「種明かし」的に云えば・・・、受け付けてくださった若いスタッフの方からは、少なくとも“Thanks”とか“Welcome”という様な、日本語的に云えば“ありがとうございます”という反応が全く感じられなかったのです。
もしかすると、パートやアルバイトの皆さんにすれば、大量に持ち込まれた“善意”の本など、自分たちにとっては、ただ単に(予定もされていなかったその日の)余計な仕事を増やしただけの(ある意味、自身にとっては)人迷惑だったのではないか?・・・・。
勿論、善意の市民にそうした反応を頂かせること自体が、Civil Servantたる公僕として本来は失格なのかもしれません。
しかし、この大量の本を前にすると、いくらCivil Servantであっても止むを得ないだろうと思うのです。
ただ、本来は“知の源泉”足るべき本(書物)がそうした扱いをされている事実に、個人的には何も出来ないのですが、でも!・・・・ナンか変ではないのでしょうか?!
(・・・と、出来れば信じたい・・・)