カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
先週、娘の関係で上京する必要があり、中央東線は山梨県内の台風19号による土砂崩れでずっと不通のため特急あずさは未だ運休したままですが(28日に再開)、幸い中央道が土砂崩れから復旧して高速バスが運行を再開していたので、長野経由の北陸新幹線利用ではなく、松本から山梨県経由での直通高速バスで上京することが出来ました。
松本ICで早朝6時半の高速バスに乗車。途中、八王子JCT手前で大規模な復旧工事個所や小さな土砂の崩落現場と思われる個所を通過し、朝の通勤ラッシュによる首都高の渋滞で30分ほどバスタ新宿に遅着。そのまま地下鉄に乗り換えて築地方面へ向かいます。
娘と待ち合わせて要件を済ませたのがちょうど昼時。せっかくですから、
「築地で新鮮なお魚を食べよう!!」
すったもんだした築地市場も(都税をつぎ込んでまで延期させたあの騒ぎは一体何だったのか!?)既に豊洲へ移転済みで、築地には場外市場が残っているのみ。従って多少人出は減ったのかと思いきや、この日は平日の木曜日でしたが、インバウンドのお客さんか或いはラグビーのW杯で来日中の皆さんか、とにかく大変な人出。人気のお店はどこも行列が出来ていました。
「やっぱり、築地はお寿司かなぁ・・・」
高級店から立ち喰いのまで、場外市場だけでも多くの寿司の有名店がひしめく中で、夜は手の出ないような高級店でもランチのおまかせ握りもコスパは高いそうです(そんな人気店の一つという「すし大」本店は、確かに店の外に30人程が長蛇の列でした)が、お任せだと好みではないネタも入りますので、やはりここは好みで自分の食べたいネタだけを注文したい!
しかし昼時に好みで注文出来る店となると、これが意外と限られるのです。
そのため、結局グルメ回転寿司かチェーン店がその候補となり、結局初セリのマグロで名高い「すしざんまい」の本店へ。3階席まであるという大きな店ですが、こちらも行列(半分は外国からのお客さん)で、待つこと30分近く。残念ながらカウンターは一杯で、結局1階のテーブル席へ。
好みのネタ以外に、お店イチオシのセットメニューである、「まぐろづくし」税別3100円(本まぐろ全種類:大とろ・中とろ・赤身・あぶりとろ・ねぎとろが2貫ずつ+鉄火巻+お椀)と「こころ粋」同2100円(本まぐろの中とろ・赤身・ねぎとろ・鉄火巻・あなご・あじ・かんぱち・ほたて・赤エビ・いか・いくら・数の子・玉子など13種類+お椀)。
更に好みで、コハダ、シメサバ、イワシなどの私メ用の光り物と、昆布〆のヒラメ、えんがわ、キンメダイなどを注文。その後で、本日のお薦めの中からの生ゲソとサイドメニューでカキフライを追加しました。
すると、最初の握りは一度にまとめて運ばれて来るのか、先に生ゲソとカキフライが来ました。
暫くして、セットメニュー二つとお好みでの注文がそれぞれの大皿で別々に運ばれてきました。
さすがにマグロが売りの「すいざんまい」らしく、ホンマグロのまぐろづくしは美味。トロは勿論ですが、赤身がナントも云えず旨い。「こころ粋」の中では、我が家では誰も食べない鯵とかんぱち、そして煮穴子も私メに。特にかんぱちがプリプリでしたし穴子も柔らかでとろけます。ただ光り物は、イワシは新鮮で甘味もありましたが、サバとコハダはイマイチでした。むしろ、光り物では個人的には、「美登里寿司」の方が新鮮で美味しいと思います。ネタの大きさも、確かに長さは十分ですが厚みが無くて少々薄っぺらい感じがしました。
また、炙りは本来の生寿司からするとネタとしては邪道なのか、「すしざんまい」に限らず築地のお寿司屋さんの握りのネタ中には殆ど無かったのですが(今回もまぐろざんまい中の炙りトロのみ)、個人的はイワシやサバの炙りは大好きですし、ノドグロや鯛なども皮を炙るとナマとはまた違って香ばしくなって美味しいのでチョッピリ残念でした。
大混雑の店内ですが、活気があり、女性も含めてスタッフも目配りが行き届いています。外国人のお客さんには、魚の名前も含めちゃんと英語で流暢に説明出来るスタッフも居て感心します(バイトさんかもしれませんが、聞けば6年間アメリカに居たのだとか)。お腹も一杯になってオアイソ。三人でのお会計は、同じグルメ系では、「美登里寿司」や「まいもん寿司」よりも高めで、一人4千円弱程度でした(今回の勿論、私メはお昼ですがビールもしっかりと頂いていますが・・・)。
私メとしては、光り物のネタの鮮度と炙りのバリエーションの豊富さで「美登里寿司 活」が今のところはイチオシ!・・・かな。
この後、少し散歩して、未だ帰りの高速バスには時間があったので、築地本願寺のカフェ「Tsugumi」へ。私メはコーヒーだけですが、奥さまと娘はそれぞれケーキとお茶のセットをご注文(別腹のご様子)。築地本願寺は西本願寺系の浄土真宗の筈ですが、ガラス張りの明るい店内からは関東大震災で焼失し再建されたインド様式の石造りの卒塔婆(ストゥーバ:仏塔)を模した独特の仏教建築が眺められ、インドネシアのジャワ島ジョグジャカルタにあるボロブドゥールを思い出させる様な、或いはシルクロードを経て日本へ伝来した仏教の源流を感じさせてくれる様な、そんな異国情緒溢れる素敵な雰囲気でした。
それにしても、ここのカフェの名物らしい18品目という朝ごはんが凄い!お粥の様ですが、小皿のおかずに目移りしそうで、朝から阿弥陀さまの有難いパワーを頂いて元気になれそうな、そんな朝ごはんです。値段は1800円と少々お高めですが、もし機会があったら是非一度は試してみたい、そんな素敵なメニューです。フム、場外市場に限らず、築地本願寺も恐るべし・・・合掌。
以前、まつもと市民芸術館で開かれた「山の日」の記念イベントの講座を聴講した時に、販促キャンペーンで頂いた日清の「カレーメシ」。
ただお湯を混ぜてかき混ぜるとカレーライスになるという優れモノで、一般家庭ではともかく、山への携行食として登山者に人気の商品とのこと。
頂いたカレーメシの賞味期限が切れそうなので、自宅で試食してみました。
カップヌードル同様に熱湯を指定の分量注ぎ、待つこと5分。カップヌードルと多少違うのは、そこから粘り(トロミ)が出るまでグルグルと掻き混ぜること。すると、ジャバジャバとお湯ばっかりだったのが、「あら不思議!」と本当に粘り気が出て来ました。食べてみると、
「おぉ!正しくカレーだ!!」
ややスープカレーぽいものの(もっと混ぜた方がイイか?)、ちゃんとしたカレーライスです。しかもスパイスの効いた本格派。お湯を注ぐだけでここまでちゃんとしたカレーライスになるというのは驚きでした。
カップヌードルに比べれば、どこの家庭でも必ずあるご飯というのは消費者の後ろめたさにつながったのか、短期間で消えた理由は定かではありませんが、出始めの頃の印象では湯戻しされたライスとしての食感が人工的で多少違和感があったとしても、少なくとも私メの様なキッチン設備の無い貧乏下宿生にとっては救世主のような存在で何度もお世話になったのですが、ビジネス的には成功しなかったのか、あっという間に世の中から消えてしまいました。
それが、数年前にカレーメシとして復活。世界中に拡がったカップ麺程の需要は無いかもしれませんが、最近の登山ブームも手伝ってか、登山者にとっては、ただお湯を注ぐだけで(麺類よりも何となくお腹に溜まる)ご飯モノが食べられるので大変ありがたい商品として人気なのだそうです。
勿論、時代も進み、味付けや調理法なども嘗てのカップライスに比べれば格段の進歩をしているのかもしれません。
個人的にはどうしても昔の学生時代のイメージがあったので、復活していても購入したことは無かったのですが、今回イベントのプロモーションで頂いたお陰で、十二分に(登山で)使える便利なインスタント食品として最評価(認識)した次第です。
国民的盛り上がりを見せた、ラグビーワールドカップ2019日本大会。
日本チームがその時点のランキングで世界一位だったアイルランドを倒し、台風禍の中、全回負けたスコットランドに勝って遂に念願のベスト8に初進出。残念ながら準々決勝では今回は南アフリカに完敗ではありましたが、日本中に“にわかファン”が溢れたのも、そうしたホスト国である日本チームの快進撃があったことは間違いありません。それにしても何故これ程までに今回ラグビーが日本中で盛り上がったのか?・・・。
そのヒントを見つけました。それは、サッカーのワールドカップのFIFAやオリンピックでのIOC同様に、大会の公式画像として、ラグビー中継などで必ず最初に放映されるラグビーの国際競技連盟であるワールド・ラグビー(World Rugby)が作成したW杯用の公式タイトルVideo。
日本大会をシンボライズした富士山から躍動するラガーマンに変わるCG 映像。その画像の中に「品位、規律」などと書かれた漢字が現れるのですが、これが「ラグビー憲章」です。
それは、品位(Integrity)、情熱(Passion)、結束(Solidarity)、規律(Discipline)、尊重(Respect)の五つで構成されていて、それぞれの定義は、
品位:「品位とはゲームの構造の核を成すものであり、誠実さとフェアプレーによって生み出される。」
情熱:「ラグビーに関わる人々は、ゲームに対する情熱的な熱意を持っている。ラグビーは、興奮を呼び、愛着を誘い、グローバルなラグビーファミリーへの帰属意識を生む。」
結束:「ラグビーは、生涯続く友情、絆、チームワーク、そして、文化的、地理的、政治的、宗教的な相違を超えた忠誠心へとつながる一体的な精神をもたらす。」
規律:「規律とはフィールドの内外においてゲームに不可欠なものであり、競技規則、競技に関する規定、そして、ラグビーのコアバリューを順守することによって表現される。」
尊重:「チームメイト、相手、マッチオフィシャル、そして、ゲームに参加する人を尊重することは、最も重要である。」
更にもう一つ。それは、ラグビーを象徴する“ノーサイド”と“One for all. All for one”。これは、日本だけで有名な“ラグビー・ワード”なのだそうです。日本にラグビーを根付かせるにあたって、先人がラグビー文化を象徴する言葉として用いたのが広まったのだそうです。
ラグビーにおける試合終了を意味したNo sideは、今ではFull timeと言い、ノーサイドを使っているのは今や日本だけで、1970年代以降、本国英国に限らず他の国では最早死語なのだとか。
またラグビーの献身性や犠牲的精神を指す“One for all. All for one”は、フランスのデュマの小説「三銃士」の中に出て来る一節で、ラグビー精神を表すのに相応しい言葉として日本で使われたのだとか(因みに、大元は保険の意義を表現するための言葉であり、その方が理解しやすいかもしれませんが・・・)。
こうしたことから窺い知れるのは、例えば「規律」や「尊重」、そして全員での「結束」といったラグビー精神が、日本人の精神構造に実に素直に馴染むからではないか?・・・ということです。
自分を犠牲にして勇敢に相手にぶつかっていくタックルに見る自己犠牲。どんなに“傷んでも”(大学ラグビーでは)ヤカンの水を掛けただけでピッチに戻っていく忍耐力・・・etc。
翻って、ファウルを取らんがためにイミテーションと取られかねない程に大げさに倒れ込み、時に相手への尊厳など微塵も感じれぬ程に大袈裟なゴールパフォーマンスを繰り返すサッカー。
同じ英国で生まれた競技なのに、“紳士のスポーツ”と片や“野蛮人のスポーツ”と云われる程に、どうしてこうも違うのか。
勿論スポーツの人気は、やはり強いこと、勝つことであり、ましてや過去の日本代表の様に国の代表チームが連戦連敗では、いくら競技の魅力を説いても何の意味も持ちません。やはり勝つことで注目を集め人気も高まり、競技人口が増えることで、裾野が広がり競技レベルもまた高まっていく・・・。
サッカー人気はワールドカップ出場と日韓W杯開催によって高まったでしょうし、女子サッカーもW杯優勝が大きく貢献しました(その後の成績低迷により、宮下選手らの“ブームで終わらせてはいけない”という危惧が残念ながら当たってしまっていますが)。
10年程前の次女の学生時代。彼女の大学には、何とPTAの様な父兄会が組織化されていて、大学側の支援により県毎に支部が置かれて活動する中で、長野支部は(役員中心ですが)夏に菅平で合宿をするラグビー部の練習試合に合わせて毎年応援しに行って県産の果物や野菜ジュースなどの差し入れを行っていました。帝京や早稲田といった強豪校との練習試合。天然芝のラグビーコート(菅平には、ナント60面のラグビーコートがあるそうです)にはスタンドは無いので、それこそ目の前でタックルなどの肉弾戦が繰り広げられるのですが、そのガシッ、ゴツッといった肉体がぶつかる音の迫力はまさに息を飲むほどでした。
ですから、生で観る国の誇りを賭けた代表戦で観客が興奮するのは当然です。しかしラグビーの良い所は、フリーガンを生んだ同じ国発祥のスポーツとは思えないのですが、選手のノーサイド同様に、敵味方の区別なく同じ席で入り混じって応援し、且つお互いを尊重して諍いや中傷などが全く見られないこと。応援する側にもお互いをリスペクトするラグビー精神がしっかりと根付いていることが、ラグビーの素晴らしい点ではないでしょうか。
それにしても、日本チームの敗退により、まだW杯は続いているのですが、何となく日本中に桜のジャージに対するロスムードが拡がっています。
“桜の勇者”たちの戦いぶりは素晴らしかったし、どの代表チームもラグビー精神を発揮した姿勢はさすがでした。オールブラックスから海外チームに広まっていった、ノーサイド後の観客の皆さんへの日本流のお辞儀も印象的でした。
そして、選手の皆さんだけではなく、キャンプ地や試合会場で迎えた観客の態度も世界中に発信されたことで、日本大会の盛り上がりに拍車をかけました。それは2020東京オリンピックに向けたプレ大会の様な雰囲気で、十分に日本流の“おもてなし”の試金石にもなったと思います。
最後に余談ですが、大会中に配信された報道の中で、個人的に印象的だったのが、準々決勝南ア戦を前にした英国インディペンデント紙でした。曰く、
「この惑星の南アフリカ人以外のラグビーサポーターは日曜日、日本を応援することになる。彼らはルールブックを書き換えている。見るのは至福。大きな声では言えないが、日本代表は我々の目の前でラグビーの救世主となりえるのだ。“柔よく剛を制す”を体現し、美しく勇敢な戦いぶりで観衆を魅了している日本代表。」
日本だけでなく世界中で、今回の桜の勇者たちの繰り広げたスピードと創造性溢れるラグビーに対しての賞賛が拡がっていました。
今回の蓼科滞在はナナとコユキも一緒なので午後は出来るだけ外出せず、ナナとコユキも一緒に蓼科湖を何度か散歩した以外はホテルでノンビリとワンコたちと一緒に過ごしたので、夕食はテイクアウト等の部屋食にしました。
ワンコ連れも一緒に食べられるレストランやカフェが軽井沢の様にたくさんあると良いのですが、ネットで調べても蓼科にはあまりありません。せいぜい晴れた日のテラス席OKというカフェが数軒あった程度で、余り食指が動きませんでした。そのため、蓼科のレストラン等での外食は午前中の登山やウォーキング後のランチのみ。
登山の後に寄ったのは、蓼科湖にあるインド料理のお店「メラ・ナタラジ」。“自然派インド料理”と看板にあり、ヴィーガン向けのベジタリアンカレーの様です。隣接してインドの美術館まで併設されていて、なかなかの拘りが伺えます。
ホテル周辺には他に入ってみたいと思える店が見つからず、珍しく奥さまが「インド料理でもイイよ!」とのこと。滅多にない機会なので、気が変わらぬうちに入店しました。
結構広い店内で、我々以外は一組しかおられません。
カレーは肉や魚介類は一切無くて、メニューは全て野菜やキノコなど。ランチセットは、好みのカレーとサラダに大きなバターナンが付いて、1080円からとのこと。私メは、大豆ミートのナタラジ・カレー(辛口)、奥さまはキノコパラクというキノコ類とホウレン草のカレーをチョイス。
ナタラジにはナンがあったので、一応ジャンルとしては北インド料理でしょう。お店の案内に拠れば、銀座や渋谷、原宿にもお店があり、この蓼科店は7月から11月の夏季営業とのこと。通販までしているらしく、「ナタラジ」はインド料理店としては結構有名なお店の様です(30周年とか)。
ただ、個人的にはシンガポールの今は無き「モティ・マハール」以上のインド料理店は未だ出会ったことはありません。しかも、カレーだけなら、種類は少なく小さな店ですが、松本の北インド家庭料理(家庭にはタンドーリが無いので、ナンではなくチャパティが常食)の「Doon食堂インド山」の方がお薦めです。
翌日のウォーキングの後は、まだ時間が早かったこともあり、折角なので私メの希望を聞いてもらって、茅野の市街地の塚原まで下り、一度食べてみたかった「蕎麦の郷」へ。何でも、茅野の蕎麦店の評価がトップクラスの店で、「どうづき蕎麦」がイチオシだとか。
「どうづき蕎麦」というのは、古代からの伝統の技「水萌千本杵搗製法(みずもえせんぼんきねつきせいほう)」とかで、 茅野商工会議所が地元の機械メーカーと信州大学農学部と共同開発した「千本杵搗機」という機械を使って、八ヶ岳山麓の蕎麦の実を甘皮付きのまま低温の水につけて、人間の手でできない部分をその機械で直捏ねした生地で造られている独特の蕎麦で、この茅野市内の数店舗でしか食べられない“幻の”蕎麦なのだそうです。
既に秋の新そばになっているそうで、折角なので、その十割どうづきそば(1650円)と、奥さまは十割そば(1550円)、私メは好みの二八そば(750円)にして、三種類それぞれを食べ比べて楽しむことにしました。
どうづき蕎麦は粉を挽かず杵で突いて潰しているので、甘みもあって確かにもっちりとしています。しかし、この日のどうづき、十割、二八とも未だ出始めのせいか、「新そば」の香りが殆どしないのが残念でしたし、蕎麦の盛りの量もお上品過ぎて、自信満々なのは良いとしても、その上でも倍以上のこの値段は些か強気過ぎるのではないかと思います。
ただ、店の前を車で通る度に一度は食べてみたいと思っていた「どうづき蕎麦」でしたので、その意味で食べることが出来たのは満足、納得・・・・。蕎麦の味は人それぞれの嗜好次第とはいえ、その上で、残念ながらもう二度とここで食べることは無いだろうと思った次第・・・(蕎麦は難しい)。
「ごちそうさまでした・・・」
北横岳登山の翌日。この日は、以前途中までしか行かなかった横谷峡に行ってみることにしました。
ホテルのフロントで頂いた蓼科のマップに拠ると、蓼科湖から奥蓼科の横谷峡まで3.2㎞の信濃自然歩道などの散策路があるとのことなので、車を使わずにトレッキング(ハイキング?)がてら歩いて行くことにしました。
横谷峡へは2つルートがあり、一つは石遊(いしやす)の湯や楢の木池を通る信濃路自然遊歩道ともう一つはサイクリングロードを兼ねた散策路ですが、自然遊歩道の方がアップダウンがありそうだったので先ずは往路にして、帰路は平坦そうなサイクリングリードの散策路を歩くことにしました。双方3.2㎞とのこと。
また横谷峡は、一番上流の「おしどり隠しの滝」まで行けば、片道4㎞程はありそうです。従って、蓼科湖からは往復10㎞以上のウォーキングです。
8:30にホテルを出発。自然遊歩道は車道の様で、途中作業の軽トラと何台かすれ違い。蓼科CCの横も通ります。別荘なのでしょうか、道沿いに何軒か家があり、県外車が停まっていました。
途中、林の中で大きなニホンジカと遭遇。定年前の上田への通勤時に、鹿教湯付近で道路に飛び出して来た鹿にぶつかりそうになったことがあったのですが、林野庁の職員の方々の目撃記録でも、霧ヶ峰から美ヶ原までの中信高原国定公園が県内では一番鹿の目撃数が多い地域なのだそうです。
途中にあった「石遊(いしやす)の湯」は、戦時中の鉄山の跡だそうで、鉱山から噴出した日帰り温泉だそうです。
最後、奥蓼科の別荘地の中の急坂を上って、麦草峠や白駒の池に至るメルヘン街道(国道299号線)の横谷峡入り口に到着。9時半でしたので、蓼科湖から丁度一時間。
横谷峡は渋川の渓流沿いに散策路が設けられていて、幾つかの滝が渓谷を彩っています。先ずは木戸口神社下にある乙女の滝からスタートです。タタラ製鉄との関連も指摘される出雲の国造り神話同様に、諏訪も建御見名方命の大古の頃から軍需用に使われた戦時中まで、石遊の湯の様な鉄の鉱山があったのですが、この渋川も川底の茶褐色の岩を見る通り鉄分が多そうで、流れは清流ですが魚は棲んで居そうもありません。きっと渋川沿いの温泉は茶褐色の鉄分の多い泉質なのでしょう(蓼科温泉の三室源泉は酸性泉で透明です)。
この横谷峡に点在する滝には、滝毎にその場所に飛散しているマイナスイオンの数が表示されています。因みに、乙女の滝は「マイナスイオン20000」。
その後、崖崩れで一旦横谷温泉旅館の敷地の中を通る迂回路を経由して遊歩道に戻ります。霧降の滝、鷲岩、屏風岩、そして冬は凍る氷瀑から一枚岩へと、渓谷沿いの散策路を歩いて行きます。渓谷沿いなので湿気は多いにしても、横谷峡のある奥蓼科も八ヶ岳の麓らしく、林の中に鮮やかな苔の絨毯が拡がっていました。
渋川の下流側から歩いていますので、当然上流に向かって上って行くのですが、結構な急坂の場所もあって、ハイキングというよりはトレッキング気分。この先に王滝とおしどり隠しの滝もあるのですが、既に一時間。4㎞近く歩いて来たのですが、まだ結構掛かりそうだったので、ワンコたちが待っていることもあり、今回も踏破出来ずに一枚岩から引き返すことにしました。
昔は確かグリーンバレーという名前だったパークホテル。一回倒産し、現在ホテルは別資本で営業しているようですが、庭園などはかなり荒れてしまっていて勿体無い限り。横谷温泉旅館以外の奥蓼科はさびれた感じが否めません。
パークホテルの脇から、帰路の散策路を歩いてホテルの在る蓼科湖へ戻ります。往路にもあったのですが、帰りの散策路でも道端に、オモト(万年青)の実のような、直立する、小さなパイナップルのような形状をした緑や真っ赤に熟した実の付いた植物が目に付きました。中には高さ1.5mくらい大きなモノもあります。葉っぱはゴボウの葉に何となく似ていますが、赤い実が異様に目立ちます。後日ネットで調べてみると、山や林の湿り気の在る場所に生えるサトイモ科の多年草で「マムシグサ」という、何ともオドロオドロシイ名称の植物だと分かりました。
蓼科湖から歩いて奥蓼科の横谷峡へ。横谷峡は今回も全部は歩けませんでしたが、蓼科湖から遊歩道や散策路で往復も歩いたので、12~13㎞程度のウォーキングとなり、午前中の3時間コースでしたが結構な距離になりました。
早昼を食べてからホテルに戻り、午後はゆっくりと温泉三昧。その昔、戦につかれた兵士を労わったであろう“信玄隠の隠し湯”で、現代人の我々は平和なウォーキング疲れの体をしっかりと癒すことが出来ました。
【追記】
台風19号により、蓼科の在る茅野市北山地区でも、洪水こそ無かったものの4000戸を超える大規模な停電などの災害が発生したそうです。北八でも、蓼科山では倒木等により、7合目以上で登山道が歩けなくなっているとのこと。また、大雨の度にではあるのですが、今回も諏訪湖に注ぐ上川が溢れて水がついた場所があるそうです。
謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りしております。
日本列島を襲った12日から13日にかけての大型台風19号により、長野県内でも大きく報道された長野市内など数ヶ所で千曲川の堤防決壊に拠る氾濫や越水などにより、住宅地や農地が広範囲にわたり冠水するなどして大きな被害が出ています。
また、長野市以外でも土砂崩れや倒木などにより、道路や線路が寸断されて通行止めになったり停電するなど、県内各地に大きな被害をもたらしました。まだ被害の全容は把握されていませんが、これまでの局地的な地震や噴火はともかく、台風により同じ長野県内や身近でこれ程の大きな被害が発生したことに、他人ごとではないと大きなショックを受けています。
松本では終日雨は降り続いたものの幸い洪水などの被害はなく、また思いの外風も強くなかったので果樹などの農作物にも被害は殆ど無く、TVで災害発生を知るまでまさか同じ県内でそんな被害が出ているとは予想だにせず、むしろ夜間は台風進路に当たっていた横浜や東京にいる娘たちの状況を家内と心配していました。
14日、家内がどうしても娘たちの所に上京しなければいけない用事があったのですが、中央線は大月~高尾間の土砂崩れで線路が埋まり、全ての特急が運休。高速バスも八王子JCTで崩れた土砂が道路を塞ぎ通行止めで、上京する術無し。一方、北陸新幹線は千曲川の決壊で車両基地が冠水し、間引き運転で長野~東京間のみ一時間に一本程度運転するとのこと。但し、篠ノ井線が明科以北で線路付近の土がえぐられて不通。しかし、高速道路の長野道が14日には通行止めが解除されていて通行可。そこで、新幹線は上田からも乗れますが、始発の長野の方が良かろうと車で家内を長野まで送って行って、長野から新幹線で上京することにしました(三才山峠は土砂崩れによる全面通行止めで、結果的に松本から上田へは行けませんでした)。
列車の運行ダイヤがJR東日本のH/Pでも分からないため、念のため早朝6時半過ぎに家を出て長野駅に向かいました。
高速を長野ICで降り、川中島を経由して長野市街地へ向かいますが、千曲川を渡る橋から見える河川敷の流されて来た流木やゴミが河川敷を覆いつくしている様子に息を飲みます。確かこの辺りは河川敷が畑として利用されてい、長芋などの畑が一面に整然と広がっていたように記憶していますが、全くその跡形もなく全て泥に覆われていました。
この辺りの千曲川は決壊してはいませんので、河川敷内に水がついただけだと思いますが、それでもこの惨状ですので、決壊し氾濫した地域は如何ほどかと想像すら出来ません。
昔、岡谷川岸の土砂崩れで応援に行った時に、土石流の凄まじさを体感しましたが、
『信濃なる 千曲の川の細石(さざれいし)も 君し踏みてば玉と拾はむ 』
と、普段は万葉の時代にも歌に詠まれた程の優しい川が、ひとたび牙を剥いた時の洪水の恐ろしさをまざまざと思い知らされた様に思いました。
ほぼ一時間、7:45に長野駅東口の市営駐車場に到着。
新幹線乗り場は東京方面へ向かう乗客でごった返していて、ローカルTV局のクルーも何組か来て取材していましたが、やはり一時間に一本程度の間引き運転。でも、8:24発のあさまに十分間に合う時間。グリーン以外は全て自由席で、駅ネットで予約済みのチケットを発券してすぐにホームへ向かったところ、ホームも既に長蛇の列だったようですが、幸いにも座れたようで一安心。
こちらも帰路は焦らずゆっくりと運転し、途中姨捨SAに立ち寄り、千曲川の様子を撮影しましたが、見えませんがこの先で氾濫しているかと思うと、涙が流れて来そうで本当に辛くなります。
姨捨SAに「東部方面隊 災害派遣車両」と書かれた自衛隊車両が数台停車しており、高速道路でも自衛隊車両が何台も隊列を組んで走行していましたし、また川中島古古戦場付近の上空では、松本駐屯地から飛んで来たのか、今日も被災地に救助に向かうであろうシングルローターの自衛隊ヘリが一機上空を飛行して行きました。地元の松本駐屯地だけではなく、恐らくは東日本中心に各地から出動されて来られたであろう、任務とはいえ危険と隣り合うような大変な作業に向かう隊員の皆さんに心から感謝し、また作業の無事を祈りました(そう云えば、嘗て「自衛隊は暴力装置!」と罵った、時の政権の官房長官もおられましたが、既に鬼籍・・・)
人種や民族間の争いを避けて、我々の祖先が辿り着いた極東の平和な島国は、一方で地震、噴火、台風と、様々な災害に見舞われる列島でした。しかし、自然を恐れつつも八百万(やおよろず)の神と崇め共存し、都度それに耐えて立ち向かい、辛さを皆で乗り越えて来た歴史があります。だから、今回も、
『「ずく」出して、みんなで頑張るずら!!』
【注記】
緊急事態につき、「ナナとコユキのプチ旅」は一旦中断しました。
それにしても、W杯の試合中止後に釜石に残って「ラグビーよりも、大事なことがある」と、被災地のボランティア活動をされていたカナダチームには本当に感謝し頭が下がりました!!!そう云えば、東日本大震災後も、中には帰国を促す大使館や本国からの指示に従わずに、被災した釜石でボランティア活動を続けていたのも地元釜石シーウェイブスのラガーマンたちでした・・・。
“One for all. All for one.”
【追記】
昨夕、家内は北陸新幹線の長野経由で、篠ノ井線が全線復旧したため、長野発名古屋行の特急しなので戻って来ました。しなのの自由席は一杯だった由。松本駅に迎えに行くと、張り紙やアナウンス(日本語以外でも)が繰り返しされていて、中央線は高尾~大月間の2ヶ所で線路内への土砂流入により普通になっていて、運転再開は10月末の見込みとのこと。当分、あずさ(かいじも)は動きそうもありません。中央道も復旧に1週間くらいは掛かりそうとのことで、松本から東京へは当面長野経由の北陸新幹線のみ。松本は、まだ行けるから良いですが、山梨県は(松本まで来ればともかく)完全に孤立していますので、復旧するまで物流等は大変です。
山頂から八ヶ岳や南アルプスなどの絶景を見ることが出来なかったのは残念でしたが、目的の北横岳登頂を無事果たして下山開始。
それは決して大袈裟でもなく、まるで神様が作庭したとしか思えぬ様な、小倉山を借景とする天龍寺の庭園にも負けず劣らぬ、それは見事な庭園が目の前に現れたのです。しかも、湖畔のカエデか或いはナナカマドか、真っ赤に紅葉した木々が無風で鏡の様な水面に映り込む様は、まるでそこだけが時間が止まったかと思える程に正に見事と言う外はなく、溜息を漏らすほどに感動し暫し見惚れていました。戻る際に、後から来られたカップルの方々に、
「ここは白駒の池の紅葉より余程素晴らしいですヨ!」
「えっ、そうですか!?実際に白駒とどちらに行こうか迷ったんです・・・。そうですか、こっちに来て良かったです!!」
と、他の人にもつい薦めたくなる程に本当に感動しました。
七ツ池は、車で行ける白駒の池と違い、いくら初心者コースとはいえ軽装ではなくちゃんと登山の支度をして下から1時間登って来ないと見ることは出来ませんが、七ツ池の紅葉は本当に穴場の紅葉スポットとして絶対にお薦めだと思いました。
七ツ池の名前の通り、周辺には10の大小の池があるそうですが、現在見られるのは手前の二つの池だけ。散策路を歩きながら、その二つの池を見終わってヒュッテに戻るまで我々以外は先程のカップルの方々と4人だけ。たった4人だけでこんな素晴らしい紅葉を独占してしまっては勿体無い!と思える程。3年前の10月初旬に行った、同じ北八の白駒の池(第1139話)。平日でしたが、白駒の池の広い有料駐車場は何台もの観光バスも含め満杯でした(紅葉シーズンの週末は大渋滞で、周辺には路上駐車も見られる程の混雑だとか)。そんなツアーの目的地にされる程に紅葉スポットとして大人気の白駒の池よりも、ここ七ツ池の方が個人的には遥かにお薦めです。以前八戸に出張で行った時に乗車したタクシーの運転手さんが、紅葉で有名な八甲田山のベストの日は年に一日だけと言われていたのがとても印象的だったのですが、白駒の池も七ツ池の紅葉もそれぞれタイミング次第にせよ、それにしても七ツ池の紅葉は本当に素晴らしい!と感じ入った次第です。
そんな素晴らしい七ツ池の紅葉と周囲の緑との対比などの絶景を十二分に堪能してから、北横岳ヒュッテに戻って改めて下山開始。途中下り坂で、こんなに急登だったのかと思える程の急坂を下ります。
我々は始発のロープウェイでしたので殆ど登山者はおらず、途中下って来られた歩荷の方とすれ違っただけ。10時半には北峰から下山を開始したのですが、登って来る幾つかのグループの皆さんに会いました。道を譲り待っていると、口々にお礼を言われながら、
「どこから来られたのですか?」
という問いにお答えしての「私たちは・・・」という返答で知ったのは、日帰り登山だろうと思える山梨の方々や、驚いたのは、それこそ八甲田の地元である青森のグループの方々までおられたこと。しかも我々同様に、全員年配者のみ。皆さん、お元気です。そこでも、七ツ池の紅葉を見る様に、下山時に足を延ばして是非立ち寄られることをとお薦めしました。
坂を下り、登山口から坪庭へ。今度は分岐点から逆コースを進んで坪庭を一周してロープウェイの駅に戻ります。このコースの方が来た時のコースよりもアップダウンの起伏があり、途中最後に急な階段があるので足に不安な人は来た道を戻るようにとの注意書きがありました。
火山群である八ヶ岳連峰の中にこの広い坪庭を形成したのは、北横岳の東側斜面に残る火口から流れ出た大量の溶岩流で、しかも僅か800年前の噴火とのこと。西暦1200年代といえば鎌倉時代です。
坪庭と名付けられた通り、そんな鎌倉時代の名人が作庭した禅宗寺院の名園にも決して劣らぬ様な、冷えた溶岩が形成した奇岩とハイマツの見事な庭園が拡がっています。
坪庭を巡る一周30分程の散策路が設けられていて、ロープウェイで登って来て坪庭のハイキングを楽しむ観光客も結構おられます。ハイマツに交じってたくさんのシャクナゲの木も目立ちますが、高山帯に咲くハクサンシャクナゲとか。初夏に咲くであろう花の季節の坪庭もさぞキレイなことでしょう。因みに火山群である八ヶ岳連峰の中で、唯一の活火山に指定されているのはこの北横岳だけなのだとか。
ゆっくりと坪庭を散策し、ロープウェイの駅に到着したのが12時。コースタイム通り、北横岳登山はほぼ3時間の行程でした。
坪庭駅にはカフェや展望テラスなどもありますが、ナナとコユキがホテルの部屋で待っているので、どこにも寄らずにロープウェイで山麓駅に戻って、一路ホテルへ。初心者向けですが、思いがけぬ秋の紅葉や天空の坪庭など色々楽しめた北八は北横岳への山行でした。
途中、北八ヶ岳ロープウェイから蓼科湖へビーナスラインを戻る途中に「プール平」という場所があり、そこに蓼科を愛した小津安二郎の記念館(彼が別荘として使っていた「無藝荘」。数百メートル離れた所に在ったのを現在の場所に移築したのだとか)も道沿いに在ったので、次回もし来た時には見学してみようと思います。近くには、「小津の散歩道」と名付けられた小津安二郎が散策した小道もあるそうです。その別荘で、
彼が没するまでの、「東京物語」以降となる遺作「秋刀魚の味」など7本の映画のシナリオを、小津安二郎はそこで執筆したのだそうです。
因みに、中井貴一や中井希恵の父である佐田啓二は、小津とは親子の様な関係で、小津を最後に看取ったのも佐田だったのだそうですが、山梨県の韮崎で自分の運転する車での衝突事故で亡くなるのですが、それは小津の愛した蓼科へ避暑に来ていた帰り。小津の死後から僅か8ヶ月、37歳の若さでの事故死だったのだとか・・・。
今回の蓼科へのプチ旅行の目的の一つである北横岳登山。
北横岳へは北八ヶ岳ロープウェイで1771mの山麓駅から一気に2237mの坪庭駅に行って、名所の坪庭を経て2480mの北横岳へ登頂するコースが一般的で、ロープウェイを降りてから山頂往復の所要時間は3時間とのこと。
ロープウェイを使わない登山コースもあったのですが、事前に見た登山MAPの登山道がロープウェイのコースとは違ったので、車で麓まで行く関係上、今回は往復ロープウェイを利用することにしてホテルで往復前売り券を購入。現地では1900円のところ、蓼科のホテルでの前売り券は1600円で購入出来ました。
蓼科湖が標高1,250ⅿとのことですので、すずらん峠に至るビーナスラインから途中で別れるルートの蓼科湖から10㎞程の距離を標高差500ⅿの結構な急坂を上って山麓駅に到着。北八ヶ岳ロープウェイという名称ですが、その場所はスキー場であるピラタス蓼科スノーリゾート。昔はロープウェイも確か蓼科ピラタスの名称ではなかったかと?・・・。
すると、ロープウェイ脇に登山口の標識があり、家内が、
「ちゃんと、登山道もあるじゃない!だったら、那須岳みたいに最初は(登山らしく)しっかりと登山道を登って、帰りだけロープウェイで良かったのにィ!」
と非難の声・・・(どうもスンマセン)。
考えてみれば、もしロープウェイを使わなければ始発時間まで待たずに車を停めて早朝から縞枯山などへの縦走登山も可能なので、(縦走するかは別として)次回はそうしたいと思いました。
ロープウェイは2237mの坪庭駅までの標高差500mを、僅か7分で一気に登ってしまいます(歩けばコースタイムは2時間強とのこと)。途中、ロープウェイから眺めるゲレンデに沿った登山道にキツネが歩いていました。この日が一応朝の曇りから昼前に一旦晴れに変わる予報で、雨は降ってはいないのですが八ヶ岳は雲に覆われていてその姿は見えません。
ロープウェイの坪庭駅でトイレを済ませ(無料です)、8:50に登山開始。
坪庭は広大な溶岩流で覆われた窪地で、2500mの森林限界が逆転し、2200mの坪庭にはハイマツ帯が拡がっていて、この坪庭を過ぎるとシラビソの樹林帯が山頂付近まで続いています。
この日は平日で、我々同様の中高年の登山者が三組。坪庭を15分で半周し登山口から北八への登山道へとゆっくりと歩を進めます。
登山道は途中北八の縞枯山、三ツ岳への分岐点があり、我々は北八の中の北横岳を目指す片道1時間のコースです。
坪庭から登山道へ入ると、すぐにシラビソの樹林帯が続きます。30分程は先程までの坪庭とは違って登山道らしい上りの坂が続きますが、ずっと見通しの利かない林の中を進んでいきます。登山道は良く整備されてはいますが、如何にも火山群である八ヶ岳らしい石や岩でごつごつした歩き辛い登山道で、その後一旦坪庭が見渡せる高台を経るとまた林の中へ。
(下の写真は坪庭越しに望む縞枯山)
北八の名の通り、白駒池周辺の苔の森同様に、こちらもシラビソやコメツガの湿った森には美しい苔の絨毯が所々に拡がっています。
山小屋の北横岳ヒュッテが見えたら山頂までは残り15分。9:50にヒュッテ到着ですので坪庭駅を降りての登山開始からちょうど1時間で、ほぼコースタイム通りです(坪庭の周回路からの登山道入り口に立っていた案内標識に、北峰山頂まで60分との標示あり)。この日ヒュッテは臨時休業とのことで、広場のベンチには登山者は誰もおらず、我々だけで小休憩。こちらには戸外にもトイレ(勿論有料です)が用意されています。
ヒュッテから最後の階段などの急坂を10分登ると最初の南峰2471.6ⅿの山頂です。北横岳は2500ⅿの森林限界より低いので、山頂まで樹林帯が続いていて登山道から眺めを楽しむという山ではありませんが、独立峰なので周囲に遮るモノはなく、山頂からは360度のパノラマが広がります。但し、この日は生憎南峰の南側に広がる八ヶ岳は雲の中。そしてそこからアップダウン5分で北横岳山頂である2480ⅿの北峰に到着。生憎ここ北峰からも、南峰からの八ヶ岳のみならず、残念ながら南も北も中央もアルプス山系は全て雲に隠れていました。ただ、南峰の山頂で休憩していると、次第に雲が晴れて眼前に同じ北八の蓼科山の雄姿が拡がりました。
この日は平日でしたし、ピークの夏山シーズンも過ぎ、且つ蓼科高原の紅葉もまだ少し早いためか、北横岳山頂は我々だけでほぼ貸し切り状態。ここで軽食を取り、北横岳山頂からの蓼科山の絶景を暫し楽しんでから10:30に下山を開始しました。
蛇足ながら、今回の北横岳登山で感じたのは、所々に建っている標識に次のポイントまでの距離や時間の記載が坪庭からの登山口(ここには北横岳山頂60分との標示)以外には無かったこと。
例えば、箱根の金時山の健脚者向けとしか思えぬ早すぎるコースタイム表示はご愛敬(「えっ、そんなに遅いのか!?」と逆にショックを受けるので、むしろ無くてもいい)ですが、これまで一番親切だったのは全てにポイントまでの距離と経過予想時間がきちんと表示されていた那須岳(茶臼岳)でした。唐松岳や三城からの美ヶ原も少なくとも距離はちゃんと表示されていましたが、北横岳は「至〇〇」という殆ど方角のみ。我々の様な登山初心者もいますので、例えば「至北横岳南峰〇〇m、10分」とか、もう少し親切であってもイイのでは?と感じた次第です。登山道は、木道や木製の階段などもあっったりと本当に良く整備されていたので、その点だけが少し残念でした。
【注記】
写真が多くなってしまうので、下山の様子は別(帰路編)にします。
前回の那須行が最後の旅行かと半分諦めていたのが、先生も驚く程の予想以上の回復ぶりでナナも元気になったので、譲渡前トライアル中の緊急手術での埼玉往復を除けば、初めてのお出掛けとなるコユキも連れてプチ旅へ行くことにしました。
11月には当初ナナを妹に預けて奈良への旅行を計画していたのですが、病気のナナを預けて行くのも心配なのでキャンセルしており、暫くは出掛けるにしてもナナもコユキも一緒が前提です。今回がコユキにとっては初めての遠出になるので、どこに連れて行かれるのかという恐怖感無く、或いは漸く慣れたマイホームを離れて慣れない環境でも問題無く過ごせるかというトライアルも兼ねて、近までの“プチ旅”として選んだのは初秋の蓼科です。
しかし、そうした人気施設を除くと、今回もハイシーズンの夏を過ぎたせいか蓼科湖周辺は閑散としており、見掛けるのは我々同様の中高年のお年寄りがチラホラ程度で、秋とはいえ寂しい限り。
今回の滞在先のドッグヴィラを備えたホテルも、開業当時は蓼科でも屈指の高級リゾートホテルだったそうですが、建物も設備も随分古びてしまいました(まぁ、だからその分安く泊まれるのだというメリットがあるかもしれません)。
余談ですが、ビーナスラインだからなのか、蓼科東急ホテルと蓼科CC手前付近の上り坂の脇にある「ビーナスの胸像」。余り美しいと感じられる顔立ちではなく、何となく不気味で不粋。間も無く到着する蓼科の印象を却って悪くしているように思うのは私メだけでしょうか?・・・。
今回の目的は、ナナとコユキの初めてのプチ旅と俗に北八ヶ岳と呼ばれる中の北横岳へのプチ登山。プチというのは、往復北八ヶ岳ロープウェイを使うため、登山での標高差は250m足らずで往復3時間の初心者向けのコースです。
それ以外は、ホテルは古くても蓼科温泉の中の三室源泉で朝からゆったりとりと温泉三昧で過ごし、空いた時間は毎日、時には朝と夕刻の一日二回、ナナとコユキと一緒に蓼科湖を廻る遊歩道をゆっくりのんびりと散歩。但しナナも長く歩くのは苦手ですし、コユキも散歩(戸外?)が大好きなのにすぐに(家内に)ダッコをせがむので、今回はドッグバギーも積んで来ました。
当初は台風が心配だったのですが、幸い天候は持ちそうな予報に変わり、帰る日に少し雨がパラついた程度で過ごすことが出来ました。
今回滞在してみて驚いたのは、蓼科湖畔にロッジやキャビン、或いはオートキャンプ場などを備えた家族連れや若者向きの新しい施設が2ヶ所もオープンしていたこと。しかもその内の一つは大手資本が運営する9月にオープンしたばかりの施設で、キャビンやキャンプの利用者も使える施設内の食堂施設としてお洒落なカフェやテレワーク用のワーキングオフィスまで併設されていました。
リゾート地としての蓼科は地盤沈下しているだけかと思っていましたが、変化の努力・工夫はされているようで、その効果が実際に表れてくるのはまだ先のことにしても、そんな兆しが少しずつ感じられてチョッピリ安心しました。
そして何より蓼科で良かったのは温泉です。幾つかの源泉がある蓼科温泉は、戦国時代に甲斐から川中島に向かうために八ヶ岳山麓を通る棒道という軍用道路を開いた武田信玄が、上杉謙信との川中島の合戦からの帰路、傷ついた家来の兵士達を癒すためにこの温泉に入れたという言い伝えがあり、所謂“信玄の隠し湯”と云われています。今回滞在した蓼科湖畔のホテルの温泉は、その内の三室源泉。県下で随一という68℃~90℃で湧き出ているpH2.9の高温酸性泉で、成分はナトリウム・塩化物・硫酸塩泉で殺菌力に優れ、皮膚病やアトピー、消化器病、また筋肉痛や関節痛などに効果があり、美肌効果も高いのだそうですが、登山疲れも癒されて本当に気持ちが良かった!時間帯が早かったこともあるのか或いはお客さんが少なかったためか、時に一人貸し切り状態で大いに堪能し、蓼科温泉の良さも大いに感じ入ることが出来ました。
「♪あぁ、イイ湯だな~!」
ナナも特に問題無かったし、初めてのコユキも家を離れての旅行も大丈夫そうだし・・・。
「みんなで来年もまた来ようヨね!」
【追記】
写真は、今回登った北横岳と山容が印象的な蓼科山を背景に静かに佇む早朝の蓼科湖(灌漑用の人造湖)とドッグバギーで湖畔の遊歩道を散策中のナナとコユキ。最後の写真は“あっち向いて~ホイ♪”・・・?
先日TVでオリラジの“チャラ男”こと藤森さんが出演していて、諏訪大社(下社秋宮)や御柱、地域の共同温泉など出身地の諏訪を紹介する中で、諏訪が本拠の中華料理チェーン「テンホウ」のチャーメンを自身のソウルフードとして紹介、絶賛していました。
同じく子供の頃からチャーメンを愛する、諏訪出身の奥さまも“我が意を得たり!”とご満悦。
チャーメン(漢字で書けば「炒麺」)は、餃子と共に「テンホウ」の前身である先々代の上諏訪「餃子菜館」の頃からの看板メニューだそうで、所謂塩焼きそばなのですが、家内曰くそんな単純な味ではないとのこと。テンホウのコスパの良い「野菜炒め」は私も好きで(因みにテンホウで単に「定食」と云うと、野菜炒めに餃子がセットされた内容になりますので、こちらも看板メニューかもしれません)、その「野菜炒め」と同じ味付けの様に私メには感じられるのですが・・・。テンホウなので、何か独特のスパイスを使っているのかもしれません。
定食(野菜炒め)かチャーメンの奥さまに対し、ニラレバの無いテンホウで昔から私がいつも頼むのは「皿うどん」。長崎風の餡掛け固焼きそばで、ちゃんとウスターソースもテーブルに常備されています。以前、子供が小さかった頃は大盛りをオーダーしていましたが、これまで殆ど値上げをしてこなかった代わりに全体に量が少な目になった(昔の大盛りは今のリンガーハットの大盛りと比べても良い勝負)とはいえ、今ではさすがに食べ切れなくなりました。
「テンホウ」は謂わば信州版「餃子の王将」で、諏訪を本拠に中南信中エリアを中心に県内に30数店舗を展開しています。多分、県外に出られない信州人の方の中には、テンホウを王将の様な全国チェーンだと勘違いしている人も多かろうと思います。王将と比べて個人的に残念なのは、中華料理チェーンなのにニラレバ炒めが無いことと、レシピやメニューがある程度店舗毎に任されているのは良いことなのですが、「皿うどん」の水溶き片栗粉が多過ぎて「餡がもう少しゆるくてもイイのに・・・」と思うことが時々あることでしょうか。まぁ、ご愛敬ではありますが・・・。
テンホウは中華料理のチェーンですが、ニラレバが無いのに生姜焼きやソースカツ丼、山賊焼きといったメニューがあるのが信州のチェーン店らしくてユニーク。或る意味信州版「餃子の王将」兼“信州版ファミレス”かもしれません。諏訪中心に、中南信の郊外には結構目に付く様に店舗がありますので、信州に来られたら蕎麦ばかりでなく、是非地元で愛されている味を試してみるのも一興かと思います。