カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
前回紹介させていただいた(第1465話)、我が家のシーズー犬ナナの症状。
小型犬に多いとされる心臓の病気「僧帽弁閉鎖不全症」のため肺に水が溜まる肺水腫になり、一時は薬も飲んでもくれずに食欲も落ち、その結果みるみる痩せて元気も無くなってしまいました。
その頃は本当に一体どうなることかと我々も覚悟を決めたのですが、どうせなら嫌がる薬よりも食べたいものを食べさせてあげようと思い、ドッグフードやおやつもあげて・・・。すると、やはり“食は元気の源”なのか、見違えるように元気になり、その結果また薬も飲んでくれるようになりました。
但し、その薬も、錠剤はハサミで切って(割って)柔らかいササミジャーキーに爪楊枝で穴を開けて埋め込み、粉薬は炙ったササミを粉末状に刻んで塗す様に混ぜています(娘たちからは涙ぐましい努力!と評価されています・・・)。
しかし人間の100万倍と云われる臭覚を持つ犬ですので、それより劣る短頭種と云われるシーズーであっても、完全に無臭であればともかく少しでも薬に匂いがあれば、もしかすると単に今は食欲が優っているだけで既にナナも気付いているのかもしれませんが・・・。
最初は毎週の様に検査(超音波や血液検査)もしたのですが、動物病院から戻ると却ってぐったりしてしまうので、先生にお願いして検査は月一回にしてもらいました。その間、コユキも我が家にやって来たので、お互いの競争意識なのか、二匹での相乗効果もあって一時期に比べれば見違えるように元気になりました。
しかし、トリミングは犬にとってかなりのストレスと疲労なので、それまでの月一回から隔月との指示。そのため目や体を痒がったりして、ペット用のウェットティッシュで毎日拭いてあげるのですが、なかなか改善しません。
すると、どの項目も、先生が驚いた程データが改善しているとのこと。
「いやぁ、こんなこともあるんですね。この状態をずっと維持していければ、肺水腫になるリスクはありませんヨ!」
とのこと。そのため、事前に先生が体調チェックをした上でのという前提条件ですが、月一回のトリミングもOKとのこと。
そこで、早速トリマーさんにお願いしてトリミングをしてもらい、おかげさまで見違えるようにスッキリしました。
しかも病気のせいか乾いてガサガサになっていた鼻先も、以前の元気だった時の様に、またしっとりと湿って来たのにはビックリ。これもコユキ効果じゃないかなぁ・・・。本当に嬉しい限り!です。
これからも相乗効果で、二匹お互いに仲良く刺激しながら元気に生きて行ってもらいたい。病気などではなく、チロルの様に老衰で“虹の橋”渡れるように、それまでは頑張って生きていってもらいたい。
それまでは、ナナもコユキも頑張れ、頑張れ!
連休中に一応の区切りが着いたことがあったので、慰労を兼ねて久し振りに「氷見きときと寿司」へ行きました。
お彼岸の三連休の中日。平日は結構空いているのですが、時間にも依りますが週末のお休みは家族連れで順番待ちになる程に混んでいます。
そこで混雑する前にと、この日は夕方早めに行くことにしました。
回転効率の良い都会の「美登里寿司」や「金沢まいもん寿司」には敵いませんが、本店の在る富山の氷見から直送して来る「きときと寿司」が松本の寿司屋さんとしては現時点で(あくまで自分の好きな光り物のネタの種類と鮮度での評価ですが)一番新鮮で美味しい気がします(全国展開をしている回転寿司チェーンと比べると、どちらかと云えば「きときと寿司」は高級回転寿司の部類。夫婦二人での料金は「美登里寿司 活」と比べても決して安くはないそうです)。
光り物では、コハダの鮮度が悪いのか、些か酢を効かせ過ぎ。シメサバとマイワシはまずまず。個人的には、やはり炙りのイワシが一番美味!でした。またイカゲソも柔らかくて新鮮で美味しかったです。
この日の来店時間はまだ早かったのですが、中落ちとだし巻き卵が既に売り切れだったのと煮穴子が少々乾き気味で少々残念でした。でも、酒の肴に今回も頼んだ富山の地元ネタの白エビの天婦羅は美味でした。他にも氷見産のネタも幾つかあったのですが、気になったのは「フクラギ」と書かれたネタ。地元名ではなく、世間一般には何という名前の魚なのか分かりませんでした。
航空会社に勤務の次女曰く、何でも富山空港の中に地元の回転寿司屋さんがあって絶品とのこと。同僚の方と、その空港内のお寿司屋さんで食べるために、富山空港だけへの日帰りを計画しているそうです(未だ果たせずにいるとのことですが)。「きときと寿司」ではないかもしれませんが、あるのでしょうね、富山に行けば富山湾で採れた地魚などの新鮮なネタを使う美味しいお寿司屋さんが。会社勤めの頃、札幌のメンバーが「回転寿司で十分!」と言っていましたが、きっと北陸富山も同じなのでしょうね。
「氷見気時と寿司」も、総じて山国信州で食べる回転寿司としては十分に満足でした。
いよいよ今週末で終わるNHKの朝ドラ「なつぞら」。
日本のアニメーションの草創期を支える女性アニメーターが主人公となる、NHKの朝ドラ100作目の作品。
思えば高校時代、松本が舞台となった朝ドラ「水色の時」(第15作目だったとか。そんな昔だったんだ・・・!)では春休みの部活の練習中に、ヒロイン(大竹しのぶ)とその友人役(原田三枝子)も参加して、講堂前で高校の入学試験の合格発表のシーンが撮影されていましたっけ・・・。でも、(当然未だ放送前の)当時は、地元でもそれ程大した話題にもならなかった?様な記憶が・・・(その後、松本が舞台となった民放の「白線流し」や、第84作という朝ドラ「おひさま」に比べて・・・)
今回記念の100作目となった「なつぞら」では、奥さま曰く、
「こんな風に、全てが上手く行くなんてことは、いくらドラマでもあり得ない!」
と少々辛口評価だったのですが、イイじゃないですか、朝からそんなに深刻な内容にして、翌朝まで(視聴者に)不安を継続させなくたって!・・・と個人的には(勝手に)思っていました。
今や“Cool Japan”の代表とも云える日本のアニメーションの黎明期を題材にした「なつぞら」では、ヒロインが制作に関わったアニメーション作品として、「白蛇姫」に始まり、モデルとなった作品がすぐ思い浮かぶ作品が劇中にも登場しましたが、どれも結構良く出来ていて、例えば「狼少年ケン」がモデルとなった「百獣の王子サム」や同「タイガーマスク」の「キックジャガー」などは、アニメーションだけではなく主題歌も本物と良く似た雰囲気を醸し出していました。
そして、ドラマの最期を彩る「アルプスの少女ハイジ」がモデルとなっている「大草原の少女ソラ」。今回も北海道十勝へのロケハンがありましたが、今回の「なつぞら」の主人公のモデル奥山玲子さんのご主人である小田部羊一氏(「なつぞら」でもアニメーション時代考証を担当)の日経文化欄の寄稿記事に由れば、ドラマではヒロインの夫のモデルとなっているプロデューサー高畑勲さんの提案で実際にスイスへ取材のためのTVのアニメーション作品としては“前代未聞”のロケハンを実施し、その結果作画にリアリティーを出すことに成功したのだとか。
今回の「大草原の少女ソラ」も、劇中の昔懐かしいブラウン管のTVに映るアニメーション映像も勿論なのですが、カスミ姉さんを演じる戸田恵子の歌う主題歌も本当にしっかりと出来ていて、実に素晴らしい。
その意味で、例え15分でも良いので、番外編或いはスピンオフ作品として、既に劇中で放送した場面に上手くストーリーを繋げて完成品として実際に放送してくれないかなぁ!・・・。そうじゃないと、あそこまでしっかり創ったのに、このまま劇中劇としてお蔵入りでは勿体無い!・・・そんな風に思っている視聴者は結構多いのではないでしょうか???
バカな政党の肩を持つ気は毛頭ありませんが、“受診料を納めている視聴者゛の一人として、是非NHKに一考いただければ大変嬉しいのですが・・・。
9月11日の新聞報道で、民間のシンクタンクの実施した調査『日本の都市特性評価』(全国72都市対象)で1位の京都市、2位の福岡、3位大阪・・・といった都市に続いて、松本市がナント全国で10位!とか(長野市も18位と健闘)。
因みに初めて調査が行われた昨年が13位だったそうですが、今年は順位を三つ上げてトップテン入りとのこと。
4位以下には、横浜、名古屋、仙台、札幌といった大都市が並び、金沢が第9位で、その次が松本市なのだそうですが、これって凄くないですか?
因みに、その“人気都市”に生まれて暮らす市民の一人としては、そんな実感(勿論自分が、生まれ育った大好きな街で、客観的に見ても良い街だとは思いますが、でもトップテンかと問われれば、そうかなぁ・・・??)はありません。
おそらく、首都圏から近過ぎずまた遠すぎず、都会ではないがそうかといってド田舎でもなく、岳・学・楽の三ガク都として自負するだけに、自然もあって(城下町で)歴史と多少文化的な匂いもする・・・というのが、外から見たところの我が松本の魅力ではないかと勝手に想像するのですが・・・。
この調査では全国72都市が調査対象とのことですから、平均的には各県2都市。従って、この72に含まれない調査対象外にもっと評価されるべき都市もあるのかもしれませんが・・・。
主観的ではなく、こうした具体的な指標で客観的に評価されるのは嬉しい限りですが、そういえば、以前仕事の関係でお会いした某大手金融機関の松本支店長さん。
県外出身の転勤族で、松本へご家族で転勤して来られたそうですが、ご家族(特に奥様とお嬢さん)が松本を気に入られてしまい、もうここから動きたくないと自宅を購入され、次の転勤先へは「単身赴任です・・・」と笑っておられました。ご自身も松本を気に入って、リタイア後に住むことを同意されたのだとか。
松本に限らず、長野県は移住先としても全国の都道府県では常にトップクラスの人気だそうですが、多分大票田が首都圏でしょうから、首都圏から近く、また適度に便利で自然が豊かというのがその理由だと思います。
ただ、長野県は先駆けとなった減塩活動や保健師さんの保健指導などの成果により、確かに男女共トップクラスの長寿県ですが、冬の寒さ等の自然環境面の影響もあるにせよ、健康寿命ではまだまだです。出来るだけ元気に“PPK”のピンピンコロリを目指して更に努力する必要がありましょう。
そこで、個人的には(些か他責ではありますが)いつか佐久にあるという「ぴんころ地蔵」さんへお参りに行きたいと思っています。
娘が以前空港勤務で成田に居たこともあったので、決して他人事ではないのですが、今回の台風で千葉県内を中心とした大規模停電は、いくら天災とはいえここまで長引くと、東日本の時に「想定外」という発言を繰り返した電力会社の今回もミスによる人災ではないのか・・・と疑ってしまいます。
いずれにせよ、1日も早い復旧をお祈りいたします。また、気になっているのは伊豆諸島。多くの家屋が倒壊しているとの一部報道があったのですが、その後被害の詳細が千葉中心で、離島の様子は余り報道されません。離島ではボランティアも限られてしまうでしょうし、大丈夫でしょうか?
学生時代大好きだったオフコースの名曲「秋の気配」-“♪ たそがれは風を止めて ちぎれた雲がまたひとつになる ”ではないのですが、五感で感じる身近な“秋の気配”。
例えば音では、お盆を過ぎた頃から、日中はまだまだ猛暑だったのですが、夜になるとコオロギの鳴き声が聞こえるようになりました。
そして、いつの間にかトンボが飛び交うようになった空には“ちぎれ雲”のイワシ雲も見られるようになりました。
匂いでは、あのムッとするような夏の暑さの匂いが消えました。秋の風の匂いは、果たして何でしょうか。或る意味“匂いの無い透明感”かな・・・。秋も深まれば、落ち葉焚きや秋刀魚の焦げた匂いなど、“食欲の秋”になっていくのかもしれませんが・・・。
個人的に、目に映る中で感じる身近な“秋の気配”、それは萩の花。
どこかのお宅の庭先や街中で咲く萩の花を見ると、“♪今はもう秋・・・”ではないのですが、秋の訪れを感じます。
こちらの写真は、隔週で水を頂きに行く、人形町(高砂通)の「源智の井戸」の萩の花です。そういえば信州松本の“名水”は年中一定した水温(確か13℃)ですが、夏はヒンヤリと冷たく感じた水が最近は暖かくさえ感じられるようになりました。これも“秋の気配”ですね。
“暑さ寒さも彼岸まで”と云う通り、台風15号により巻き込まれる南風の影響か、涼しかった盆明けから一転し、先週は夏の暑さが戻って来ました。
9月上旬の日曜日の朝8時半。この日も快晴で、暑くなりそうな日でしたが、二階から下のリビングに降りて行くと朝日が高い窓から差し込んでいて、西側の壁に無数の“虹”が現れていました。
所謂プリズム効果で、何らかのガラス体がプリズムの役目を果たして、分光スペクトルが現れていたのです。しかもその数は無数!と思える程で、実際は20個程でした。
そして、その光源となった“犯人たち”は、1階の吹き抜けのリビングの中心にある、設計士さんが柱を上手く使って造ってくれた飾り棚の中のスワロスキー。シンガポール赴任期間中から、奥さまが好きで集めた置物たちでした。
突然室内に出現した小さな虹に見惚れて眺めていました。ところが暫くすると、僅か数分で一つだけになり、そしてそれもすぐに消えてしまいました。なんだか、マジックを見せられたような不思議な感覚に包まれて、一瞬ボーっと佇んでいました。
物理的に説明すれば、単にそれだけのことなのでしょうが、しかし人間は、古代エジプトやマヤの様に、太陽光の角度により夏至や冬至、或いは春分や秋分の日だけに現れる光の現象を作り出すことでその日を知り、農耕などの人間の営みに活かしてきた・・・。
ホンの一瞬の出来事でしたが、大袈裟ですが、何だかそんな人類の古の工夫すら思い起こさせる不思議な感覚に包まれました。
家の中に現れた幾つもの小さな虹。
太陽の軌道が天窓から飾り窓のスワロフスキーを射すのはある一定期間であって、必ずしもエジプトやマヤなどの古代文明の様に春分と秋分の日の年2回、或いはストーンヘッジの様に夏至の日に年1回だけ現れる現象ではないとは思いますが、今まで20数年暮らして来た我が家ですが、迂闊なことに今回初めて気が付きました。
きっと季節の営みの中で現れるのだろう家の中の小さな虹。ちょっぴり不思議な気分にしてくれた自然現象に、暫し見惚れて眺めていました。
今回参加した、松本市の城北、安原、大手、白板の四地区の公民館による合同企画「上高地ウォーキング」。さすがは公民館の数が全国一位という長野県の公民館行事らしく、上高地に関する独自資料のコピーも事前に用意していただいてあり、結構色々教えられ知ることが出来て楽しめた行事でした。
例えば、その「ナルホド」や「へぇ~」と感じた幾つかを、興味を持ったので、後日自身で更に調べた内容も含めて紹介させていただくと・・・、
小梨平を流れる清流、清水川。僅か200m足らずの川なのですが、河童橋に程近い清水橋から眺めると、清流にしか生えないバイカモ(梅花藻)が群生しているのが見られます。驚くべきはその水量。年間3000万トンと云われ、毎秒1000リットル換算とのこと。清水川はシラビソやコメツガの原生林に覆われた六百山に降り注いだ雨が湧水となって流れ下り、どんな大雨にも濁らず日照りの夏でも決して枯れることがなく、また僅か200m足らずを流れ下るために汚れることもないため、天然のミネラルウォーターとして上高地の貴重な飲料水源として使われているそうです(バスターミナルと、五千尺ホテの外に無料の給水場があります)。しかし年間3000万トンという清水川の水量は、六百山流域の降水量よりも遥かに多いため、地下のどこかで上高地の水脈と繋がっていて合流して湧き出しているのではないかとのことでした。不確かですが、以前、清水川は日本一短い一級河川と聞いた記憶があるのですが、果たして?・・・(橋の袂に良く在る「一級河川〇〇川」と書かれた看板は見掛けませんでした)。
上高地は、河童橋の名前が芥川龍之介の小説に由来するなど、山に憧れた多くの文化人にも愛されて来た日本初の山岳リゾートです。その中の一人が高村光太郎。上高地のパンフレットの表紙に書かれていたのも、高村光太郎「智恵子抄」の中からと書かれていた一節である「槍の氷を溶かして来る あのセルリヤンの梓川に」。
これは彼の詩集『智恵子抄』に収められた「翻弄する牛」の一編。
『 (前略)
今日はもう止しましょう
描きかけていたあの穂高の三角の屋根に
もうテルヴェルトの雲が出ました
槍の氷を溶かして来る
あのセルリヤンの梓川に
もう山々がかぶさりました
(後略) 』
ここでいう「セルリヤン」とは、“cerulean blue”という少し緑がかった空色のことなのだそうですが、確かに河童橋を流れる梓川の清流は青く透き通っていて、槍穂高からの雪解け水が滔々と流れ下って行きます。(因みに、テルヴェルトも深緑色のことだそうですが・・・?)
高村光太郎が智恵子との結婚を決意したのが、滞在していたこの上高地だったと云います。大正2年(1913年)、彼と智恵子は徳本峠を越えて上高地に二ヶ月間滞在し(当時の清水屋旅館。現在の上高地ルミエスタホテル)、ウェストンとも交流を持ったのだそうです。
我々は、その清水屋ではなく、河童橋の袂に建つ五千尺ホテルのカフェで休憩です。週末ということもあって行列待ち。20分ほど待って、窓際の席に案内されました。
こちらの五千尺ホテルは、松本パルコにある地元でケーキが人気のカフェレストラン「ファイブホルン」の大元となるホテル。メインダイニングの名物はビーフシチュー。以前ネイチャーガイド付きの上高地トレッキングとそのビーフシチューランチが付いたツアーがあり申し込んだのですが、台風接近で中止になり残念ながら食べそびれておりました。一方の人気のケーキも、今や松本市内ではファイブホルンがケーキのサブスクリプションでの配達までしている人気店になりました。
或る意味“ファイブホルンのケーキ発祥の地”ですから、勿論奥様はケーキセット。我々の直前で夏限定の人気ケーキ「シャインマスカット」が終了したため、マロンケーキをご注文。でも「プチ贅沢!」と堪能されておられました。私メは水出しアイスコーヒーですが、眼前の窓一杯に拡がる、河童橋越しの岳沢を抱くように聳える穂高連峰が“贅沢なご馳走”です。
今回が4度目?となる上高地。同じところに、そう何度来ても・・・と思いますが、来てみて感じたのは、何度来ても「さすがは上高地!」。
雲一つない快晴という天候に恵まれたというのも非常に大きいのですが、雄大な穂高の絶景と、セルリアンブルーと光太郎が称した梓川のあり得ない程の水色、そして清水川の驚くほどの透明感・・・。
更には、そんな上高地の水の流れに心を洗われた様に、ピュアな雰囲気を漂わせて槍穂高に向かう若者たち・・・。圧倒的な大自然の前では、ちっぽけな存在である人間は無意識の内に謙虚にならざるを得ないのか・・・。或いは、神々しささえも漂わせて眼前に聳える穂高の峰々が、自分の力だけでその孤高の頂きを目指す人間たちを、まるで修験者の様に純粋な気持ちにさせるのか・・・。
四半世紀ぶりとはいえ、子供のころから何度か訪れてはいた上高地。従って然程目新しさは無かろうと思っていたのですが、例え何度来たとしても、上高地の持つその神秘的な魅力には感動せざるを得ない・・・。
上高地を素通りして、黙々と憧れの槍穂高の頂きを目指す若者たちに羨ましさを感じつつも、今回そんな印象を持った久し振りの上高地でした。
9月7日の土曜日。松本市の城北、安原、大手、白板の四地区の公民館による合同企画「上高地ウォーキング」が開催され、事前に申し込み、我々も参加しました。当日は、3㎞と7㎞の2コースがあり、我々は当然上高地バスターミナルから明神池までの7㎞のコースです。以前、シンガポールから帰任しての夏休みに最初の家族旅行で行ったのが上高地。山の無いシンガポールから信州に戻り、山の雰囲気を子供たちに見せたかったこともあり、小梨平のコテージに泊まって、御船神事の行われる明神池より先の、「氷壁」の舞台でも知られる徳澤園までトレッキングをしました。途中、崖上からカモシカが孤高の雰囲気でじっと我々を見下ろしていたのが印象的でした。今回は、シニア層が参加の中心なのか、それより短い河童橋から明神池までの梓川沿いを歩く往復7㎞のコースです。
城北地区の参加者は20名。上高地線稲核地区の道の駅で4地区のバスが集合し上高地へ。多分、子供の頃から数えて4~5回目の上高地。マイカー規制前のは自分で運転して岩肌剥き出しで水が滲み出ていた釜トンネルを越えましたが、改良されて随分道も良くなりました。今でも奈川度ダム手前のヘアピンカーブ解消のために新しいトンネルが掘られていて既に貫通している由。
中部縦貫道はいつになるのか分かりませんが、松本・高山間のアクセスも更に快適になります。実際、ヘアピンを曲がりダム手前のトンネルに入る右手に、貫通しているという新しいトンネルの大きな口を見ることが出来ます。
松本平からも、この日は北アルプスの峰々が遠く白馬までクッキリと見えていましたが、上高地も本当に雲一つない快晴で絶好の登山日和です。短い3㎞コースに参加されるお年寄りや家族連れなど大半の皆さんが大正池で先に降り、残り7名の参加者が終点のバスターミナルへ。
4地区40名弱が7㎞の明神池コースに参加。上高地での写真撮影の必須ポイントでもある河童橋は大混雑。私たちも全員での記念の集合写真を撮影してもらってから、10:30分に出発。河童橋を渡り、付き添いの市職員の方々の案内で一列になって対岸の梓川右岸の岳沢湿原を経ての散策路を歩きます。
年間120万人が訪れるという人気の上高地。この日は快晴で憧れの穂高連峰がくっきりと目の前に聳えています。しかも夏山シーズン終盤の週末だけに、上高地のシンボル河童橋は物凄い人で大渋滞。
但し、登山者は遠回りの3.7㎞の右岸ではなく3.0㎞の左岸を明神池まで歩きますので、右岸は涸沢から槍穂高を目指す登山者ではなく、上高地散策を目的の観光客が殆どです。
途中、立ち枯れた木々が残る岳沢湿原と梓川沿いの河原で小休憩。深い森の中で鳴き声が聞こえると思ったら、我々の前を家族なのか子連れの猿の一群が歩いて行きました。エサのせいか、野菜や残飯を漁るという穂高有明地区の猿よりは小型ですが、動植物の捕獲や採取が禁止されている国立公園内ですので暮らすには遥かに安全なのでしょう。
明神池には12時頃到着。3.7㎞の散策路を1時間半掛けて歩いて来ました。ここで解散し、バスターミナルに2:30集合とのこと。お弁当持参とのことでしたが、
「これなら嘉門次小屋で名物のイワナの塩焼き定食(1600円とのこと)を食べても良かったなぁ・・・。」
但し、週末の大混雑で戸外のテーブル席を含め満席状態でしたので、自由時間が食べるだけで終わってしまうリスクはありますが・・・。
何度か参加されている方曰く、嘉門次小屋で豚汁がテイクアウト出来るので、それだけ買って、暖かい豚汁と持参したお弁当を一緒に食べるのも良いとのこと。
皆さん、それぞれ思い思いに昼食休憩です。我々は、先に穂高神社奥宮に参拝し、神域となる明神池を散策しました(拝観料300円が必要です)。
北九州志賀島を本拠とした海洋民族の一族である安曇族。その守護神穂高見命(海神ワダツミの子)を祭神とする穂高神社。その奥宮がここ明神池に建ち、毎年10月に池に船を浮かべての御舟神事がこの山深い地で行われるという神秘。ご神体は正面に仰ぎ見る明神岳(標高2931m。実際は前穂から張り出した尾根の一つ)。この峰が本来の穂高岳であり、ここが神降地でもあった上高地の正面。従って、現在の上高地のシンボルとなった河童橋からの西穂や奥穂などの穂高連峰の景観は、実際は端から見ていることになります。
天然イワナやマガモが平和に暮らす明神の一の池、二の池。静かで神秘的な雰囲気を太古の昔から伝えているであろう明神池の畔に腰を下ろし、ご神体の明神岳を眺めながら何人かの参加者の人たちと一緒にお弁当を頂きました。明神橋袂の涼やかな梓川の川岸で食べる選択肢もありましたが、神秘的な明神池での昼食も何とも素敵な雰囲気に包まれてのお弁当タイムでした。
昼食後明神橋を渡り、明神館から梓川の左岸の歩道を下り、河童橋に向かいました。この左岸は河童橋まで右岸より短く、ちょうど3.0㎞との標示。この日は徳沢か横尾山荘泊まりか、宿泊用のリュックを背負った登山者とすれ違います。観光客は別として、登山らしく皆さんお互い挨拶を交わしてすれ違います。槍穂高縦走か、しっかりとヘルメットをリュックに提げた登山者もおられ、「コンニチワ」、「行ってらっしゃい」と挨拶をしながら無事の山行を祈ります。中には欧米人のカップルや、家内も参加したクラブツーリズムの登山教室(彼女は女性だけのツアーですが)の年配者中心の一行もおられ(列のしんがりが以前同行してくれた女性の山岳ガイドさんだった由)、羨ましさが募ります。でも、我々には槍穂高は無理かなぁ・・・。せいぜい、この上高地からは涸沢止まりか蝶ヶ岳でしょうか。
帰路の途中、河童橋手前の小梨平で、テントの張られたキャンプ場に隣接して丸太小屋風のコテージが何棟かあり、四半世紀前に、山の無いシンガポールから帰任した子供たちに山の風景を見せたいと、帰国後初めての家族旅行での上高地に来て、泊まったロフトのあったコテージだったのを思い出し、暫し家内と二人で懐かしんで眺めていました。
帰路は、河童橋に1時間で到着。まだ集合時間までに1時間あるので、ここでコーヒーを飲みながら休憩をすることにしました。
時間より早めにバスターミナルへ。マイカー規制の走りだった上高地。広いバスターミナルですが、団体客の観光バスで満車。しかも、出発直前までエンジン停止。そのためエアコンが効かないので、皆さん車外で待機。
まだ時間があったので、バスターミナルにある水飲み場の蛇口で新たに水筒に補給。岩を模した給水場に8つくらいの水道の蛇口があり、上高地の水源は清水川の湧水ですが、天然のミネラルウォーターが無料で汲み放題です。これから登る登山者は皆さんここで給水していくようです。これも上高地の大いなる恵みです。
帰路、我々の城北地区だけ沢渡のバスターミナル隣接の足湯公園にある沢渡温泉の無料の足湯に立ち寄って、少しだけ足の疲れを取ってから松本へ帰りました。
今回初めて参加させていただいた、市内4地区公民館合同企画の上高地ウォーキング。四半世紀振りの上高地ということもありますが、自分たちだけでのトレッキングやウォーキングと違って、勉強にもなり楽しめた日帰りウォーキングでした。
今回、保護犬だった「こゆき」を引き取るにあたって感じたこと。
各地に保健所や私設の保護団体がありますが、最近松本保健所管内でも保護された犬猫の殺処分ゼロとの報道がありました。そうした保護される犬たちの中には、多頭飼いのブリーダーからのコユキの様な“不要犬”も決して少なくないと言います。毛の抜けないシーズーなどは、保護された時に毛が伸び放題で汚れていて、どこに目があるのか分からいことも多いのだとか。
今回「こゆき」を引き取って3ヶ月間面倒を見られた保護団体の方は、今までに50匹近い保護犬を引き取って世話をされてきたそうです。勿論、新しい飼い主に譲渡される犬の方が圧倒的に多い中で、中には譲渡が成立せずに終わる犬も勿論いるのだそうで、今その方のお宅には全部で4匹のワンちゃんがおられ、最後まで面倒を見ると決められたシニア犬等を除き、2匹が新しい里親を待っています。今回お世話になったペット病院や寄贈などで支援をしてくださるドッグフードメーカーなど、協力支援をしてくださる企業や団体などもあるそうですが、基本的には保護団体の方々(ご家族の理解と協力を含めて)の使命感と善意によって成り立っているのは間違いありません。本当に頭が下がる思いでした。
今回「こゆき」を通じて、そうした保護団体の方と知り合い、その活動状況を知る中で、ブリーダー業者の全てが悪徳とは言いませんが、日本もドイツの様に、犬を飼いたい場合は基本的にブリーダーからではなく保護犬の中から選ぶという文化が根付いて、ペットたちに優しい社会になっていけば良いと思います。
但し、保護犬活動も善意だけでは継続不可能ですので、従って保護犬譲渡に当たっては、保護してから譲渡するまでに掛かった応分の経費(混合ワクチン、狂犬病予防、フィラリア予防、マイクロチップ装着、歯科・血液など健康診断、避妊手術等の医療費、また譲渡先の家庭訪問に掛かる往復交通費)は譲渡を希望する側の負担となります。
以前軽井沢で、喫茶店の女将さんが真夏の軽井沢をペット連れで歩く人たちに対し、
「ファッションじゃあるまいし、真夏の焼けたアスファルトを歩かされる犬が(肉球を火傷して)可哀そう!」
と大層憤慨されていましたが、仰る通りだと思いました。
それにあろうことか、ひと夏が終わると“ファッション”だった犬をそのまま別荘地に捨てていく輩が後を絶たないのだとか。本当に信じられない気がします。例え仏教の六道では下層の畜生道に属する小さな命であったとしても、それをまるでモノの様に扱う人間が、果たしてちゃんとした“親”になれるのだろうかとさえ思ってしまいます。
保護団体の方によれば、保護犬の中には飼育放棄をする飼い主も後を絶たないそうですが、不要犬を生み出すブリーダーだけではなく飼う側にも大きな責任があります。
“生きとし生きるもの”を飼う側の責任を自覚して、最後までその責任を全うしていきたい。彼らが突然飼い主を失って路頭に迷うことの無い様に、“虹の橋”を渡る最後まで飼い主が看取ってあげたい。今回のコユキをきっかけに、そんなことを改めて強く感じた次第です。
埼玉から帰った翌日夕刻、待っていた連絡が保護団体の方からありました。
幸いにも簡単な手術で終わり、明日にも退院出来るとのこと。保護団体の方の活動スケジュールとの兼ね合いもあり、夕刻4時に狭山の病院での待ち合わせとなりました。前回は道中ずっと不安だった道程を、今回はホッと安心して一刻も早くコユキに会いたい気持ちを何とか抑えつつ、安全運転で狭山に向かいます。
施術していただいた院長先生のお話によると、やはり「声帯除去の影響で咽頭に膜が出来て気道が狭くなっていたのと、軟口蓋過長が合わさり、呼吸がしづらくなっていた」とのこと。そのため、今回その膜を手術で切り取ったので、術前の様に過呼吸気味になることは無いとのこと。
迎えに行った保護団体の方と我々との再会で、嬉しそうにしっぽを振って興奮するコユキ。保護団体の方も家内も、それを見てお互いに涙、涙でありました・・・。
名前は、如何にも雪の様に真っ白なマルチーズらしいので、ブリーダーでの識別記号としてではなく、きっと生まれて初めて愛情を以って保護団体の方から付けてもらったであろう仮の名前「こゆき」のままにしました。
翌朝から、ナナとコユキ、二匹で一緒に散歩です。
コユキはすっかり家内になついて、朝彼女が二階から降りてくると大興奮。また過呼吸にならないかと心配する程です(先に起きる私メの時は、「ナンダ、お前かよ」とでも言いたげに、一応お義理でしっぽを振る程度・・・ま、逃げてクレートに入られるよりはマシかな?)。声帯が無いのでゼーゼーという息は相変わらずなのですが、手術のお陰で幸い過呼吸気味になることはありません。考えてみれば、生まれてから8年近くもの間、ずっとケージに閉じ込められていて散歩をさせてもらうことも無かったのでしょう。嬉しいのも、楽しいのも、生まれてこのかた初めてなのですから、或る意味、はしゃぐのも当然なのかもしれません。また食糞癖があるとのことでしたが、ブリーダーの所では十分なエサをもらえなかったのでしょうか。また糞をすぐに片付けなかったりとか、衛生状態も良くなかったりしたのかもしれません。幸い我が家ではそうした兆候は全く見られません。
きっと、不要になれば捨てればイイと、単なる子供を産ませて金を儲けるだけの“道具”として決して可愛がられることも無かったのでしょう。もしかすると、彼女にとっての今までの8年間は、人間とは決して可愛がってくれる存在ではなく、むしろただ怒られるだけの怖い存在だけだったのかもしれません。
つくづく、コユキの今までの失われた8年間分の愛情をこれからは注いであげたいと思いました。
特段の術後の問題も無く、保護団体の方にもその後の様子を報告する中で二週間のトライアルが終了した結果、保護団体から正式譲渡の許可もいただき、家内が市役所に飼犬登録。
登録上の誕生日は8年前の4月12日。コユキが保護された日の8年前としました。ナナが4月16日ですので、偶然ですが二匹は4日違いで覚え易い誕生日になりました。
お盆前の猛暑の続く中、家の中でコユキは薪ストーブ周りの大理石がヒンヤリ冷たくて気持ちが良いのが分かったらしく、その上で寝ています。すると、ナナも今までは大理石の上には行ったことが無かったのに、興味を感じたのか、ナナも行ってお腹を付けて一緒に寝そべるようになりました。
ナナやチロルは夏の雷や花火の音が怖くて大嫌いで、大きな音がすると擦り寄って来ては終わるまで離れなかったのですが、コユキはそうした“音”の恐怖経験が無いのか、不思議なほど我関せず。雷が鳴ろうが、花火の音がしようが、全く怖がることがありません。育った環境とはいえ、不思議だなぁ・・・。
ただずっとケージに入れられていたせいでしょう。足腰が弱く、お座りの姿勢が長続きせず、すぐにべちゃっとうつ伏せに寝てしまいますし、(戸外に出ることが?)大好きな散歩も、少し歩くと疲れるのかすぐに(家内に)甘えてダッコをせがみます。
また、やはり見知らぬ人が怖いらしく、娘や妹が来ても、さっとクレートの中に入って出てこようとしません。一日一緒に居ると、どうやらこの人は大丈夫そうだと漸く思えるのか、近寄っても逃げなくなります。
暫くすると、ナナは宮廷犬のシーズー(中国語で獅子狗、シーズークワ)らしく、割と“孤高の人(犬)”で我関せず・・・なのですが、一方のマルチーズは、その名の通り地中海のマルタ島原産で紀元前からフェニキア人が飼っていたという世界最古の愛玩犬なので、人なつっこくて外交的。そのため、そこは犬同士で、夜は一人(一匹)で寝ているナナの所にコユキが近寄って行っては、二人(二匹)で仲良く並んで寝ています。コユキのお陰で、ナナも刺激を受けて相乗効果で元気になってくれればと思います。
因みに、コユキが来てから、お互いの食事やおやつが気になるのかナナの食欲が戻って来ました。以前は薬を除けて食べず、その結果(ドッグフードに薬の匂いが付くのか)全体の食欲も低下するという悪循環だったのですが、食欲が出て来ると、一緒に薬を混ぜても(ただ単純に“混ぜる”のではなく、錠剤は細かく切って、ササミジャーキーの中に、爪楊枝でねじ込んで見えぬ様にしています。但し粉薬はどうしようもないので、炙ったササミを包丁で叩いて粉状にして一緒に混ぜています)食べてくれるようになりました。これも、コユキが来てくれたお陰で、お互いを意識しての相乗効果かもしれません。
コユキの足腰の弱さと人間に対する臆病さは、生まれてからの8年という長い間ケージに入れっ放しにされた影響ですから、室内を自由に歩き回れることによってこれから少しずつ足腰が丈夫になって行けば良いし、また世の中怖い人ばかりではないと分かるように、ナナを見ながら変わって行けば良い。
そんな風に少しずつ変わっていけるように、気長に付き合ってあげようと思います。
「コユキ、もう人間を怖がらずに人に甘えてイイんだからね!!」
「こゆき」が我が家にやって来ることになった、7月中旬の当日。
埼玉から上田経由の三才山峠越えで、保護団体の方のお宅で飼われている二匹のミニチュアダックス君たちと一緒に「こゆき」が我が家にやって来ました(「遠い所を・・・」と労うと、ご主人は若い頃に良く高瀬川水系に渓流釣りに来ていて、運転は慣れた道だとのことで安心しました)。
(悪徳)ブリーダーにとっては犬はただの金儲けの道具であって、愛情を注ぐ対象ではないのでしょう。「こゆき」は、保護団体の方のお宅でも暫くはクレート(ペットを運ぶためのケース)に入ってしまい、なかなか出て来なかったとか。ブリーダーは男性で日頃怒られていたのでしょうか、とりわけ男性を怖がって近寄らないとのこと。
4月12日に保護されて、ちょうど3ヶ月。推定8歳の「こゆき」。
せっかく生かされた命です。そんな彼等がもう二度と可哀そうな目に会うことが無いよう、残りの人生(犬生?)安心して暮らせるよう、保護団体の責任としての家庭訪問と飼育環境チェックのため、必ず譲渡希望先を訪問してトライアルが開始されます。その2週間のトライアルでの注意事項や契約条項などの確認も済ませ、遠路来ていただいた労いを含め、我が家で少し休憩していただき、皆さん埼玉の自宅へ戻って行かれました。
私たちが部屋から居なくなると、また保護団体の方々を探して、座っていた椅子の周りをうろうろしているのが何ともいじらしくて不憫です。
彼女にしてみれば、四六時中怒られて怯えていたブリーダーから漸く逃れ、生まれて初めて可愛がってもらったご家族なのですから、それも当然です。
ややもするとクレートに籠ってしまうコユキに、四六時中家内が優しい言葉をかけ続けました。しかし、ホンの注意のつもりで「ダメ!」と叱ると、ナナなら止めて平然としているのに、コユキは常に叱られていたことを思い出すのか、怯えてクレートの中に逃げ込んでしまいます。時間をかけて少しずつ安心させていくしかありません。
食事のドッグフードはそれまで食べていたドッグフードを持って来ていただいたのですが、人が居ると警戒して食べてくれないので、クレートの口近くにおいて邪魔をしない様にすると、漸く食べてくれました。
本人(犬)にしても、生まれて初めての大旅行で、埼玉から信州まで来て疲れたのでしょう。夜もクレートの中で静かに寝ていました。
生まれてこのかた、ブリーダーの窮屈なケージから一歩も出されたこともこれまで無かったためか、座ることが苦手なのか、常にベチャっとうつ伏せに後ろ足も投げ出したような寝方になってしまいます。
保護団体の方のお宅で初めて外界を知って、散歩が大好きになったというコユキ。朝、ナナと一緒に散歩に行くべく、家内が頂いたリードを着けてあげると、そのリードで散歩に行くことが分かるのでしょう、嬉しそうに興奮気味。
すると、ホンの数十メートルも歩かない内に、ただでさえ声帯を切られているので「ゼーゼー、ハーハー」という荒い呼吸が、過呼吸気味になってひきつってしまうかと思うような状態に。周りに人が居れば、一体何事が起ったのかと思うほど苦そうな様子です。慌てて抱き上げても暫くはその状態が治まりません。
でも本人(犬)は散歩(戸外に出ること?)が好きで、朝リードを持って行くと、嬉しそうにはしゃいで余計興奮してしまうのです。
コユキが我が家にやって来て、雨で朝の散歩が出来なかった日の夕刻。アルプス公園なら車の通りも無いからと、車に乗せて家内がコユキを連れて行きました。
暫くすると戻って来て、コユキの過呼吸がいつもにも増してひどく、息が出来ないとのこと。そのため慌てて動物病院へ連れて行き、その日はICUの酸素室に緊急入院することになりました。
翌日迎えに行ったのですが、やはり散歩に行くと過呼吸が始まり、再度入院して酸素室へ。入院中、心電図や超音波診断をしてもらったのですが、肺や心臓に特に問題は無く、熱中症か、過呼吸が声帯を切られた影響かどうか(その結果で手術が必要かどうか)は、麻酔をして切られた声帯の様子を診てみないと分からないとのこと。
しかし、まだ正式譲渡前のトライアル中で、我々だけでは判断が出来ないため、散歩中に過呼吸状態になった時の様子を携帯の動画で撮影して保護団体の方に送って状況を説明させていただいたところ、保護団体と提携している協力支援病院が埼玉県狭山市にあるので、医療的に今後どうするかを含め、保護団体としてトライアルの継続可否を判断するためにそこで受診してもらえないかとのこと。そこで、診察日時を確認していただき、車で狭山まで行くことにしました。
事前に、我が家のワンコたちの掛かり付けである松本の動物病院での超音波等の検査データのコピーをいただき、先方の病院にも状況を院長先生から電話で説明していただくことになりました。
先方の病院名を伝えると、ナント院長先生同士が大学の獣医学部の同級生とのこと。まさかの偶然に、家内は、
「きっとコユキはウチに来る運命。例えどんな診察結果であっても、最後までウチでコユキを世話してあげたい!!」
当日朝早く、コユキをクレートに入れて埼玉の狭山市へ向かいました。
中央道の八王子JTから圏央道に入り、松本から狭山までは210㎞、3時間の道程。いつもの中央道から、初めて圏央道に入ります。
約束の9時半に狭山の動物病院へ到着し、保護団体の方と落ち合って受付に行くと、院長先生は本日休診とのこと。保護団体の方もそれは知らなかったらしく、
「えっ、どうしましょう・・・?」
コユキの順番になり、若い獣医さんが診察を始めて暫くすると、院長先生がポロシャツ姿の普段着で診察室に現れました。大学時代の松本の同級生からわざわざ電話をもらったので、ナント休診日にも関わらず診に来てくださったとのこと。
他の来院の方からの、「えっ、今日は先生お休みだったんじゃないんですか??」の声に、「いや、今日は休みだから・・・」と都度弁明されながら、有難いことにコユキだけは若い先生に指示をしながら最後まで診察に付き添ってくださいました。
結果、松本での検査結果同様、肺や心臓等には異常は見られないとのこと。考えられるのは、声帯切断の結果、気道に何らかの障害が起きている可能性があるが、それは麻酔して実際開いてみないと分からないとのことでした。
そこで、院長先生からのアドバイスを踏まえて、保護団体の代表の方とも電話で相談していただいた結果、この日は入院させ、明日気道を開いて手術をすること。手術は簡単に終わる可能性もあるが、もし悪化していて手術が無理な場合は、開いただけで切除せずにそのまま閉じるケースもあり得ること。簡単な手術で済む場合は、手術の翌日にも退院出来ること。そして、入院・手術費用は正式譲渡前でもあり、本来その譲渡前に事前の健康診断をした上でのトライアルという前提でもあるので、コユキの場合通常の健康診断だけでは把握出来なかった可能性もあり、その責任として保護団体で全額負担してくださる・・・ということになりました。善意に支えられているのが保護団体でもあり、営利団体ではなく飽くまでボランティアです。従って、もしコユキが治るものであれば、勿論我々も負担するつもりではいたのですが、本当に感謝しかありませんでした。
「いえいえ、長野から二度も往復してもらうのですから・・・」
診察中、待合室で待っている間も、犬や猫を連れた方々が次々に来られます。こちらは最新の医療機器や入院設備も備えていて、結構首都圏でも有名で大きなペット病院らしく、東京や埼玉といった地元だけではなく千葉や神奈川からも来院するのだとか。
我々が長野から来たというこちらの事情を知ると、今まで全く愛情を注がれることも無かったコユキの身上に皆さん同情されて、中には涙を流してくださる方もおられ、
「捨てられた上に、この上更に病気だなんて・・・。いくらなんでも、そんな理不尽なことあり得ません。大丈夫、ここならきっと良くなりますから!コユキちゃんだって幸せになる権利があるから!!」
と励ましてくださいました。
手術の結果は、保護団体の方が明日確認し当方に連絡くださることで、入院手続きを済ませてコユキを預け、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にして、我々は松本まで戻りました。
帰りの210㎞。往路よりも何故か長く感じます。お互い何となく無口になり、ナナも待っていることもあって、帰路は途中休憩無しのノンストップで一路松本へ。
「・・・きっと、大丈夫だよね!明後日は迎えに行けるよね!?」