カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 前回、チロルが亡くなった時にペットロスにはなったのですが(今だ、会いたくて夢を見ることがありますが)、それでもナナが居てくれたお陰で随分救われたと思っています。もし、ナナが居なかったらと思うと本当にどうなっていたか?・・・ぞっとします。

 以前、良く散歩でお会いした白いトイプー「フクちゃん」をお連れの年配のご婦人(チロルが亡くなった後、散歩中にお会いした時に、家内に「そういう時は、我慢しないで亡くなったワンちゃんのために泣いてあげてイイんですよ!」と声を掛けてくれて、その場で家内は涙にくれていました)は、その前に飼っていた柴が余命宣告をされた時に、ペットロスで(ご主人には先立たれていた)自分がどうなってしまうか心配で、慌てて次のワンちゃんを探しに行ったのだとか。その結果、柴が母性本能で、余命宣告三ヶ月が結果として一年間生きてくれたのだとか・・・。だから、もしフクちゃんに何かある時は、もう息子さんに面倒を見てもらう前提で次の犬を飼うことを確認してあるのだとか。

 だからではないのですが、家内が娘の所に上京した時に、たまたまペット保護団体が犬と猫の譲渡会を最寄り駅の駅前広場で実施していて、数匹の兄弟姉妹の中で引き取り手が無く最後まで残されていたチワワが可愛かったので申し込んできたとのこと(結局他の方に引き取られ、決定にはなりませんでした)。
以前、家内とは、次に犬を飼う時は、今度は引退した盲導犬を引き取って最後まで看取る役目か、保護犬を飼うかしようと話したことがありました。
でも「次」の話をすると、ナナの事を想定しているようで嫌なので、お互い口にこそ出しませんが、それは暗黙の了解でした。それに、フクちゃんの所の柴の様に、母性本能、親犬としての躾の使命感で逆に寿命が延びるかもしれません。長野県内の保健所でも譲渡会が定期的に開かれているのですが、もし行ってワンちゃんに会えばどの犬も可哀そうですし、かといって全部引き取ることも出来ませんので行けずにいます。
そういう意味では、保健所(長野県内で保護されるのは、犬より猫の方が遥かに多いのですが)や保護団体のH/Pなら実物に会うのでないのでまだ良いかもしれません。そこで、その譲渡会で触発されたのか、家内が県内の保護団体だけではなく長野県も譲渡先の対象としている首都圏の保護団体のH/Pをチェックして、60歳以上の高齢者でも譲渡可(子犬ではなく成犬の場合、60才にその子の年齢をプラスした歳の高齢者までOK、とするケースあり)という犬を探しては、「この子なら!」というワンちゃんの譲渡先に申し込んだとのこと。
そのワンちゃんは、真っ白いことから「こゆき」と仮の名前を付けられた雌のマルチーズで、多頭飼のブリーダーから妊娠してお腹に子供がいるのに不要犬として捨てられ、それを埼玉の保護団体が引き取ったワンちゃんでした。しかもあろうことか、吠えても煩くない様に声帯を切られていたとのこと。ちゃんとしたブリーダーも勿論おられるのでしょうが、こんな輩は、生きとし生けるものを扱う資格もありません。それこそ「・・・ざけんな!」と怒鳴りつけたくなります。
しかも、保護団体の方が3ヶ月間世話をする中で、4匹生まれた赤ちゃんは皆死産だった由。ただ最後の子だけは出産後2時間程は生きていたそうで、「こゆき」はその子が亡くなった後も離そうとせず、ずっと世話をしていたのだとか。何とも哀れで泣けてきます。

 そんな紹介記事を泣きながら読んでいた家内が、
 「この子を引き取りたい!」
その保護団体のH/Pから申し込むと、既に申し込み多数とのこと。
しかし譲渡は申し込み順ではなく、室内飼いの条件で、他にも環境等含め色々チェックした上で、申込者の中から保護団体が選択して譲渡先を決定し、実際自宅を訪問してチェックした上でのトライアル開始。首都圏ならいざ知らず、対象とはいえ、遠く離れた長野県では先方も二の足を踏むかもしれないと思いつつ締め切り日を待つこと暫し。
因みに、保護犬は団体で必要なワクチン、フィラリア、予防注射、マイクロチップ装着などを済ませ、健康診断の後に最終的には避妊手術をした上で、譲渡へ向けた二週間のトライアルを経て、問題無いと保護団体が判断すれば正式譲渡というステップだそうです(ワクチン等、避妊の手術費など譲渡までに必要な医療費は、基本的に譲渡先が負担)。勿論譲渡先に問題があると保護団から判断されればダメですが、中にはいくら希望してもトライアルでの相性が悪かったりして上手くいかず、結果として譲渡に至らないケースもあるのだとか。
すると或る日の夕刻電話があり、我が家がトライアル先に決定したとのこと。
そして、7月中旬の連休中、いよいよ埼玉から我が家に「こゆき」がやって来ることになりました。

 妹から急なお誘いで、
 「ねぇ、OMFのオペラのゲネプロのチケットが一枚分だけ余裕があるんだけど、行かない?」
たまたま、奥さまが娘の所に上京していてその日は不在。母もショートステイ中だったので、この日は私メ一人。
 「確か・・・今年は、チャイコの『エフゲニー・オネーギン』だよねー?行く、行くー!」

 今年のOMF(セイジ・オザワ松本フェスティバル)は、オペラ上演で、マエストロ・オザワ得意のチャイコフスキーのロシア語オペラ「エフゲニー・オネーギン」が選ばれていたのですが、結局今回もマエストロは体調不良で振れず、代役は、今年も前NYメト歌劇場首席指揮者のファヴィオ・ルイージ氏(現デンマーク国立SO首席指揮者)。SKOとの相性も良く、ここ数年は毎年の様にOMFにマエストロオザワの代役として指名されています。
チャイコフスキーのロシア語オペラの傑作とされる「エフゲニー・オネーギン」。プーシキンの戯曲が題材とされていますが、ただでさえオペラは苦手ですので、この作品も初めて。唯一お馴染みなのは、舞踏会の場面で演奏されるポロネーズは有名で、単独でもオーケストラ作品としても単独で演奏されます。言葉は、ロシア語であれ、イタリアオペラもドイツ語の楽劇も、どっちみち分かりませんので、日本語の字幕が出れば何語でも一緒です。

 オペラの会場は、まつもと市民芸術館。バルコニー席のある1800席の馬蹄形のホールで、館長である演出家の串田和美氏の手腕により演劇やコクーン歌舞伎も上演されているとはいえ、地方都市の松本には余りに分不相応で過ぎた存在(既に、“楽都”に十分な大小二つの県営と市営の立派なホールがあるのですから)。
造ってしまった以上は今更仕方が無いとはいえ、OMFが無くなった後は一体どうするんだろう?・・・“宝の持ち腐れ”になりやしないかと、松本市民としては些か不安になります。
また、改修しようにも交換部品が既に製造されておらず、故障で止まったままの動く歩道の様な螺旋スロープ式エスカレーター。動かない“動く歩道”では、無用の長物でしかありません。計画段階、設計段階での将来的な検討が果たしてどうだったのか?・・・と、正直疑問を感じてしまいます。

 それはさておき、ゲネプロ当日。正式公演ではありませんが、オペラらしい華やいだ雰囲気。ゲネプロとは言っても、公演同様に一切ストップ無しに通して演奏されます。本番と違うのは、オーケストラピットの団員がTシャツなど普段着なことくらいでしょうか。
歌劇「エフゲニー・オネーギン」は三幕からなり、通常の序曲は無く、短い序奏で始まります。ロシアらしい陰鬱な雰囲気もあって全体に暗い印象ですが、如何にもチャイコフスキーらしい曲調で、途中舞踏会でのワルツや第三幕冒頭のポロネーズは如何にも帝政ロシア時代の貴族社会らしい華やいだ雰囲気です。
(写真は、本番の様子を伝える地元紙から)
それにしても、世界の一流どころを招聘した管楽器は元より、SKOは流石に巧い。オペラでのコンマスは、都響ソロ・コンマス矢部達哉さんの様でした。
主役のオネーギンは、体調不良等による代役の代役とかで、日本人で米国在住のバリトン歌手大西宇宙さんが抜擢され、今回がオペラでの日本デビューとのこと。二度ほど高音がかすれる場面もありましたが、急遽出演が決まった中での好演でした。それにしても東京オペラシンガーズは、この人数でこの声量は流石の一言。N響の第九も4、5年前からは、長年担当してきた国立音大からプロの彼等に変更されています。合唱の見せ場が少ない演目のオペラでは勿体無いくらいで、是非ベルディとかワーグナーで聴いてみたいと思わせてくれました。

 ゲネプロとはいえ、久し振りのオペラ。妹のお陰で、楽しませてもらった3時間でした。

 終戦記念日の8月15日は、戦後の復興を願って昭和24年に始まって、今年第71回となる「諏訪湖祭湖上花火大会」の開催日です。
諏訪の社宅に居た頃に初めて湖岸の桝席で間近に見て以来、花火の華やかさもさることながら、山に囲まれた地形で周囲に反響してお腹にずしんと響く反響音に驚き感動して以来、諏訪湖の花火は遠く離れた場所(例えば反対側の西岸や塩嶺峠など)からではなく、やはり間近の湖岸で(見て、音を)聞かないとダメだと確信した次第。

 今回、娘たちがお盆休みに帰省する際に出来れば行きたいとのことだったので、湖岸のビルの屋上席を事前に申し込んで何とか確保。当日、東京から来る娘たちと上諏訪駅で待ち合わせ、会場に向かいました。
今年は台風が二つ、お盆の日本列島を直撃。特に台風10号は、大会当日の15日に西日本へ上陸とはいえ、雨風の影響は東日本にも及び、風速10mの風はともかくとして直前まで雨予報。最悪の天候も予想されたため、娘たちには(チケットが無駄になってもしょうがないから)来るのを止めるように言ったのですが、花火は最悪途中で帰っても良いから帰省して来るとの返事。
然らばと、「悪天候も止む無し」と意を決し、傘では周囲の観客も迷惑するので、人数分のビニールカッパ(頭からすっぽり被れるポンチョタイプ)を買い揃え、濡れた場合を想定して何枚ものタオルもリュックに詰めて、いざ出陣!
予定通り、上諏訪駅で東京から来た娘たちと合流し、会場の諏訪湖畔に向かいました。

 場所は、3階建てのビルの屋上の仮設の椅子席。正面やや右側ですが、前回のホテル駐車場の椅子席だと、並木で湖面が見えないのですが、実質4階からなので、湖面もはっきり見える特等席です。
夜7時開始で9時までの2時間。諏訪湖は、打ち上げ数4万発という全国の花火大会でも最大規模を誇ります。しかも、ここは周囲の山に反響する音の迫力と、波静かな湖ならではの水上スターマインと2㎞の大ナイアガラが売り。商店街の人たちが、「花火と御柱と御神渡りだけじゃ商売にならない」と嘆く様にいつもはさびれて閑古鳥が鳴く温泉街ですが、この日ばかりは公称50万人の人出で諏訪湖周辺はごった返します。

 予定通り、夜7時に諏訪市長のカウントダウンで打ち上げ開始。
2年前だったか、無風で煙が流れなかったために溜まった煙に隠れて花火が殆ど見えず、TVの実況中継も途中で画面を切り替えざるを得ない程酷かった年に比べれば、台風の10m近い強風で煙が北にどんどん流されて行きます。多少打ち上げの軌道が強風で斜めに流れるなどはご愛敬(下諏訪側の湖岸で見ていると、流れてくる煙に花火が隠れてしまったかもしれませんが)。しかし、予報では開始前の夕刻にはざんざん降りだった筈の雨ですが、不思議なことに全く雨粒が落ちて来ません。台風の影響でのこの日の風の強さは、花火を見るのにはむしろ効果的。
ただ予報の雨を気にしてか、打ち上げ間隔も短く、どんどんと打ち上げて行きます。また強風のため進行のアナウンスが聞こえず、どのプログラムなのか良く分かりません。
しかし、何度も見ている終盤のハイライト、「宇宙戦艦ヤマト」やスターウォーズのテーマ曲での水上スターマインの“Kiss of Fire”はアナウンスが無くともその音楽で分かります。
降雨の前に終了させようと急ぎ過ぎか、両サイドからの水上スターマインのタイミングが多少ずれていたのが気にはなりましたが、それも今回ばかりはしょうがないかなぁ・・・。
最後の2㎞の大ナイアガラ。いつもは混雑を避けて大混雑前に駅に着くように、ナイアガラを見ずに(ある意味ただ長いだけなので)駅へ向かうのですが、今回はせっかくなので最後までナイアガラも鑑賞。
全てを見終えてから、人でごった返す中を駅へ向かいました。しかし、駅に着くまで全く雨は降って来ませんでした。
 「おぉ、これは奇跡だぁ!」
一体誰の行為が良かったのか分かりませんが、事前の予報を考えると、本当に奇跡的な感じがしました。
 この日のみ臨時に設けられた、下り線専用の西口改札から入場します。一斉に観客が駅に向かうため、ホームへの入場制限をして列車到着と共に、少しずつ駅に近づいていきます。
この日は上下線とも何本も臨時列車が増発されてはいますが、公称46万人だったというこの日の人出が一斉に駅へ向かうので、どの列車も通勤ラッシュ並みの混雑です。
我々は、前回もそうでしたが、ラッシュを避けるべく事前に特急あずさの指定券を購入してあり、最後まで見る前提で、終了から1時間後の夜10時過ぎのあずさに乗車。従って、ゆっくり歩いてでも発車時刻には十分に時間があり、結果ホーム入場後も20分程あずさ到着まで時間がありました。
すると、待っている間に、松本への下り線だけでしたが、ナント、黄色いラインの入った総武線とオレンジ色のラインの入った中央線快速車両が、10両のフル編成で、臨時列車として入線して来るではありませんか!
ちょうどホームにいた時には中央線の快速車両E233系が入線してきました。行先表示には「臨時  松本」の文字・・・。
 「おぉ、中央線の快速だぁ!この日しか見られない車両だ!」
と、鉄オタならずとも思わず興奮。黄色い線の入った総武線車両も、多分現行のE231 系だったと思われます。おそらく松本車両センターなどJR長野支社管内の車両だけでは花火帰りの乗客をさばき切れないため、このためだけに動員されたのでしょう。
 北長野駅にJR東日本長野総合車両センターがあり、首都圏を走る電車の多くがそこでの車両解体作業に向かうため、北陸新幹線開業以来、信越線が途中しなの鉄道としてJRではなくなった(碓氷峠が廃線になった)結果、引退する車両は最後の走行を中央線から大糸線を経由して長野に向かいます。例えば、数年前に引退した中央線の快速車両で車体全部がオレンジ色に塗られていたE201系もここを通って長野に向かいました。その際、松本駅では確かサヨナラセレモニーも行われたと記憶していますが、従って引退ではない現役車両がここを通るのは、こうしたイベントなどでの臨時列車としてしかあり得ません。

 台風10号の列島直撃で、一時は覚悟した雨も全く降らず、むしろ台風の強風で、煙が飛ばされて却って良く見えた今年の諏訪湖の花火大会。そして、年に一度だけ信州の田舎を走る中央線の快速列車。
そんなあり得ない、或いは珍しい、小さな奇跡に遭遇し、胸踊らされた2019年の8月15日でした。

 お盆も過ぎましたが、夏のお中元や冬のお歳暮。都会に住んでいればデパートの品揃えの中から先様の嗜好を踏まえて選べば良いのでしょうけれど、なまじ地方に住んでいると、例えば九州から北海道のタラバガニを送るという訳にもいかないでしょうから、その地方地方の名物や特産品など、“らしさ”を考えねばならず、結構難しい選択になります。
逆に、地元同士(例えば近くの親戚)であれば、例えばお互いに珍しくも無い信州蕎麦を送るのも憚られるので、逆に北海道であれ、九州であれ、むしろ珍味や高級品の方が却って喜ばれるということになります。

 今回も、毎年お中元を送ってくれる母方の従妹や姻戚関係に、
 「さて、今回は何を送ろうか?・・・」
幸い従妹にはざっくばらんに確認して、数年前から先方の希望である「さかた」のおやきに固定しています。「おやきのさかた菓子舗」は二年ほど前、以前の繁盛していた松本市内の上高地線沿いの新村から、かなり不便な穂高有明地区へ何故か店舗を移転(さして大きくなった訳でもなく、却って客足は減ったような)し、一時期は商品発送も止めていたのですが(木で鼻を括った様な若い店員の対応に呆れたこともありました。嘘だとお思いの際は、是非第1121話を参照ください)、その後発送業務も再開。しかし、以前の新村店(貸店舗か自前か分かりませんが、建物は今もクローズしたまま)には、自宅消費分も合わせ結構頻繁に年に10回程は買いに行っていましたが、移転後は、あの唖然とした対応の酷さと移転先が松本からは遠くなったこともあって、従妹への指名買い以外では全く行かなくなりました。
しかも商売っ気が無いのか、“働き方改革”が叫ばれる以前から、こちらは週休二日。新たにイートインスペースを設けたのですが、時間帯にも依るのか、食べているお客さんを見たことがありません。如何にも、いくら遠くても指名買いで来てくれる客だけを選別して売るために、わざわざ辺鄙なところに移転したとしか思えないのです。
それはさておき、今回も従妹には「さかたのおやき」を冷凍の箱詰めで送ってもらいました。なお、“あの”若いパートの子はいなくなり、愛想の良い年輩の女性達に代わっていました。

 続いて、姻戚関係には「波田のスイカ」を送りました。
梅雨寒で心配したのですが、その後の猛暑続きで、波田のスイカらしいシャキシャキした食感に加えて糖度も例年並みになったとのこと。そこで、最初に「下原(しもっぱら)」ブランドを使用するために、有志がJAから脱退し独自に「サンハート」マークで、昔からのブランド「下原スイカ」として販売している直売所に開店直後に行ったのですが、然程広くない駐車場は既に満車でテント村も入場制限の有様。入場制限をして、行列の順番で購入している様子に入場を諦め、いつもの和田(和田から波田は同じ砂地の地続きですので、波田の「下原」を使えるかどうかは別として、土壌は同じ)のスイカ村へ行って、毎年買っているいつもの店から4Lサイズ(5Lサイズは終了とのことで)を送りました。また、自分たちも試食すべく、自宅用に3Lサイズの“はね出し”を買って帰りましたが、シャキシャキ感はもう一つかな?でも糖度は十分!・・・でした。
(写真は、最終日の前日に行って、店の人に選んでもらって買った二回目の自宅用2Lサイズの“はね出し”ですが、「す」も全く入っていませんでした。どうして“はね出しなのか、形かなぁ?”)
 後日、お礼のお電話を頂き、
 「こんなにシャキシャキして甘いスイカは始めて食べました!」
と、(多少のお世辞もあるとしても)大層喜んでくださいました。
娘たちの所にも、今まで食べた中で今一番美味しいスイカだったと連絡があったそうですので、来年以降もスイカを送ることにしました。

 来年以降のお中元に何を送ろうか?と、選ぶのに色々迷う様な悩みも無くなってほっとしました。
 「さて、お歳暮はどうしよう?・・・」

 我が家の愛犬、シーズーのナナは12才。
  (右の写真は5年前、7才の時のナナ)
小型犬の平均寿命は16才と云われていますが、中型犬だった先代のミックス犬のチロル(我が家の玄関先に捨てられていたチロル。その経緯は第890話を参照ください)は18才の天寿を全うしてくれて、老衰で静かに天国に“虹の橋”を渡って旅立って行きました。だから、小型犬であるナナはそれ以上、出来れば20才くらいまでは「何の問題も無く」生きてくれるだろうと、それこそ何の疑いも無く確信していました。
それが、何となく息が苦しそうで、吐きたそうで・・・、
 「何か、散歩中に悪い物食べたのかなぁ・・・」
と思ったのが満12歳を迎えた4月頃。
かかりつけの動物病院で診ていただいた結果、肺水腫との診断で、その日は酸素室での入院となってしまいました。
何でも、高年齢になるとシーズーなどの小型犬には比較的多いそうですが、心臓の弁の機能が弱まり(僧帽弁閉鎖不全症)、その結果血液の流れが弱まるために水が肺に溜まって、腎不全など多臓器不全などが起ころ、最後は肺炎を発症してしまうのだそうです。
そうしないために、利尿剤で体内の水分を減らし、また強心剤で心臓の動きが弱まらないようにサポートする。またナトリウムをあまり摂取しないようにドッグフードも変える。また、心臓に負担を掛けない様にするために、興奮させず(失神して倒れることもある)、過度の運動も避けるetc・・・ということでした。 
 
 そのために、いつものように妹の所にナナを預けて行く予定だった熊野古道も断念。那須への旅行もどうしようか迷ったのですが、動物病院の先生に相談し、
「じゃあ、“想い出創り”にナナちゃんと一緒に行って来てください。その代わり、何か異変があったらすぐに連絡してください。そして、もし呼吸が荒くなった時は利尿剤を飲ませ、場合に依ったら酸素吸入をしてあげてください。」
とのことで、登山用の携帯酸素スプレーも持参しましたが、幸い旅行中は特段の問題はありませんでした。
しかし、帰宅後暫くすると、めっきりと食欲が落ちて来ました。特に腎臓サポート用の粉薬が匂うのか、エサに掛けると全く食べてくれなくなりました。それまでは食べてくれていた、錠剤の薬を隠して埋め込んだおやつのササミ(塩分が良くないとのことで、市販のササミジャーキーをやめて、自家製のササミを焼いたモノに変更)も食べてくれなくなりました。そのため、見る見る内に痩せてしましました。

 食べることが全てのエネルギーに源ですので、そこで、とにかく食べないといけないと思い、この際、投薬や病気用の食事を断念し、例え塩分が含まれていたとしても、とにかく何でも良いからナナが食べてくれるモノを探して、例えば焼いたササミを粉々にほぐして、おかゆにした白米に混ぜたり、市販のミルクぼうろを粉にして犬用のミルクを掛けてササミを混ぜたり、或いは、ドッグ飼育で経験豊富な或る方からは、そうした食欲が無い時に、馬刺しやしゃぶしゃぶ用の牛肉を食べてくれることがあるとも教えていただき、試したのですが食べてくれず等々・・・と色々試してみたのですが、結局食べてくれたのは市販の柔らかなササミジャーキーでした。
おやつ用のジャーキーは体重別に、一日何本以内という制限がありますので、そこで「主食用」という低カロリーの野菜も入ったモノに変更。しっかりと食べてくれることを確認できたので、4㎝くらいの柔らかなジャーキーをさらに半分にち切り、爪楊枝で穴をあけて、その中に錠剤をハサミで細く切って埋め込んで混ぜたところ、薬も含めて完食。漸く、痩せるのも止まり、少しずつ体重も戻ってきました。すると、体力も戻って、見違えるように元気になってきました。

 この間は体力を使うからとのことで、トリミングも禁止されていました。
しかし2か月もすると毛も伸びて、見るからに老犬風になって、娘たちからは、
 「・・・何だか、ダンブルドアみたいになっちゃったね・・・」
例えダンブルドアであろうが“見てくれ”は止むを得ないのですが、余りに痒そうなのが何とも可哀そうでなりません。
自分でシャンプーだけはしてあげようかとも思いましたが、体力を奪わぬ様に、スピーディーにシャンプーをしてあげるのは所詮プロには敵う筈がありません。そこで動物病院の先生に相談すると、看護師さんたちはどちらかと言うと反対気味でしたが、先生は事情を理解してくださり、
 「じゃあ、最初に診察をして、トリミングの最中も様子を見ながら、僕がトリマーに指示するから。もし途中で何かあったら、そこで止めさせるし・・・。あまり痒かったらナナちゃんが可哀そうだしね。」
そして、トリミングは夏なので顔は出来るだけ短くし、短時間でトリミングするために体は長めのカットにしてもらって、問題無く無事終了とのこと(そのため、実際よりも少し太って見えます)。12年間毎月ナナを担当してもらっているトリマーさんからも、
 「ナナちゃん、頑張ったよ!全然問題無かったから・・・。でも疲れたとは思うから、帰ったら良く休ませてあげて・・・。」
 「あぁ良かったー!おかげ様でキレイになって・・・。もしかしたら、これが最後かもしれないけど・・・。」
 「もう次の予約も、その次も、ずっと二ヶ月毎に予約を入れてあるから!ナナは大丈夫!信じてなきゃダメ!」
 「・・・だよね・・・。じゃあ二ヶ月後、また来ます!」

 「ナナ、お疲れさん!じゃあ、家に帰ろっ!」
トリマーさんや看護師さん達からも励まされて、動物病院を後にしました。

 梅雨寒から一転して、連日猛暑日が続く日本列島。
屋外実施競技など、いくら開始時間を早朝に早めたりしたとしても、こんな時期にオリンピックをやって本当に大丈夫なのか?と心配になります。
そういう意味では、夏の甲子園も一緒。その内、カチ割氷が名物などと言っていられなくなるのではないでしょうか。

 そんな日本列島を違う意味で熱くしてくれたのが、女子ゴルフの渋野日奈子選手。樋口久子さん以来、42年振りというメジャー大会制覇となる全英オープンゴルフ制覇(但し、岡本綾子さんが昇格前の全英女子OPに1984年に優勝している)でしょうか。
日本では未明での生中継でしたが、夜早い年寄はその分朝も早いので、少し早めに起きて後半のラウンドを“生”でTV観戦することが出来ました。
日本国内でも“しぶこスマイル”は女子ゴルフ界では知られた存在だったそうですが、プレーをする彼女を見ていて、確かに“Smiling Cinderella”として現地ギャラリーを魅了したのも納得出来ました。
若さ故の“怖いモノ知らず”と云えばそれまでですが、勝負所でワンオンを狙ってドライバーで果敢に攻めていった勇気。ショートするよりは後悔しないと、強めに打ってカップの向こう側の壁に当てた最後のバーディーパット。
いくら勢いとは言え、首位から後退しても並ばれても、動じずにプレーをする姿に視ているこちらがいつの間にか引き込まれて行きました。
事前に英語で用意してもらったにせよ、ローマ字読みだったにせよ、笑顔での優勝スピーチも実に良かった!
英国在住の日本人だけではなく、現地の英国の人たちをも次第に魅了して次々に応援者に変えていったのも納得でした。しかも、ギャラリーだけではなく、自身に優勝の芽が無くなった同組のA・ブハイ選手(南ア)が、渋野選手のバーディーパットが決まった時に、我が事のように万歳して祝福していたのが、競争相手をも味方にしてしまった渋野選手の人柄を証明しているようで大変印象的でした。
例え樋口久子さんという先駆者がいたとしても、今回の全英OP制覇は、大震災後の神の配剤に思えた、あのなでしこジャパンのW杯女子サッカー制覇、大阪なおみ選手の全米&全豪制覇、それに続く大和撫子の偉業と云っても良いのではないでしょうか。
思うに、やはり大和民族は女性の方が優秀なのでしょうね、きっと・・・。

 一方、夏の甲子園。長野県勢は、今年も短い夏でした。
今年の県代表は、2010年の松本工業高校以来となる、公立高校の飯山高校がノーシードから勝ち上がっての春夏を通じての初出場でした。
この飯山高校は、過去飯山南、飯山北、飯山照丘の三校が結果統合された高校で、県立高では唯一スポーツ科がある高校です。北信州の豪雪地帯の飯山にある学校ですので、母体となった飯山南は嘗て冬のインターハイで何連覇もした高校ですし、これまでアルペンやノルディック種目に何人ものオリンピック選手(複合の河野孝典氏は団体金、個人銀メダルで、長野県人としては初の個人メダリスト)を輩出しているスキー競技の強豪校です。
スポーツ科の設置以来でしょうか、野球でも最近では県のベスト8にも入り、センバツ大会21世紀枠の県内推薦校となるなど、最近力をつけて来ていました。
しかし、その甲子園では、松本工業が1-14で大敗したのと同様に、強豪校の仙台育英に1-20での大敗・・・。
県内では、「頑張った!」、「最後まで良くやった!」、「お疲れさん!」、そして「感動をありがとう!」・・・など労いの言葉が並びます。
しかしそれでイイのだろうか?・・・。個人的には、どうしても違和感を禁じえませんでした。しかも、長野県代表校の試合で、途中でTVのスイッチを切って最後まで試合を見なかったのは、今回が初めてでした。

 彼らの努力や頑張りを毛頭否定するものではありませんが、果たして本当にそれでイイのでしょうか?・・・。
キレの良いスライダーと低めへのストレート。エースのサウスフォーも、そして2年生の速球派も、決して悪いピッチャーではありません。野手も上背は然程無くとも、どっしりとした下半身。いかにも雪国らしく、スキーなどで体幹を鍛え、がっしりとした体形でパワーもありました。
しかし、本番では守備でのミスや凡プレーもあって相手にスキを突かれ、県内では勝てたのに甲子園では勝てなかったどころか、全くの完敗・・・。
勿論、初出場での緊張もあったでしょう。初出場校なのに、相手は甲子園の常連校という“くじ運”もあったでしょう。しかし、例えどこと当ろうが、試合前に「甲子園に出ることではなく、勝つことを目指して鍛えてきた」と若き監督は言っていたのに、全く歯が立たなかった現実・・・。

 何故なのか、ゲームマネジメントに問題は無かったのか?
今回の飯山高校だけではなく、例えば長野県大会。秋の北信越大会ベスト4で惜しくも選抜出場を逃し、今回も優勝候補だった東海大諏訪と上田西。その上田西が準決勝で完封負けした飯山を“ボロクソ”にまで打ち崩した甲子園での他県の強豪校。また同じく公立で惜しくも準優勝だった伊那弥生ヶ丘。確かに弥生は秋の南信予選2位でBシード校ではありますが、同じ南信1位で、県全体でも第1シードだった本命の東海大諏訪(旧東海大三)が、準決勝で弥生投手のスライダーとスローカーブの軟投派をなぜ打てなかったのか?それぞれが猛省する必要がありましょう(低めへのコントロールと緩急の重要性であって、軟投派を否定する意味に非ず。)

 県高野連など、高校野球に関わる全ての関係者がその敗因をキチンと分析し、他県にも学び、個々にではなく、連携して長期的な強化に繋げていく・・・。そうでもしないと、長野県は“参加することに意義がある”ままで、最近は聞かなくなりましたが“教育県長野”同様に、“過去(戦前)の栄光にすがったままの長野県”で終わってしまうのではないか?
スピードスケートやスキーなどの冬の競技を持ち出さずとも、長野県の高校スポーツが決して弱い訳ではありません。今や全国区の佐久長聖の駅伝部だけではなく、県内選手だけで、留学生まで抱える全国の強豪私立と亘り合う長野東の女子駅伝部。能代のバスケ同様に、公立校で何度も全国制覇した岡谷工業高校バレー部の伝統を引き継ぐ松本国際の高校男子バレー部(190㎝超の長身選手皆無の中で、高速のコンビバレーを展開して今夏のインターハイで見事全国制覇!)と、チーム競技、団体競技でも全国的に活躍している高校もあります。
因みに、県大会で使われる松本市野球場は、当時の松本市長が「長野県勢が本番の甲子園で活躍出来るように」と、内外野を甲子園球場と同じサイズに造ったとも聞きました(記憶上で、未確認情報ですが)。

 過去の悔しさにも増して、そんなことまで考えさせられた(長野県人にとっては今回もあっという間に終わってしまった)今年の甲子園でした。

 那須旅行で買って来た、栃木県の(株)フクダが50年振りに復活させたという、天然藁納豆「吟醸納豆 那須の郷」。

 現地から、次女の所には贈答用のセットをお土産として送ったのですが、“話のネタ”として、モノは試しに自分でも食べてみることにして一本購入して来ました。
元々藁には天然の納豆菌が棲んでいて、古来その納豆菌を使って納豆が作られていたのが、昭和20年代にサルモネラ菌による中毒事故が発生したため、長年製造が禁止されていたのだそうです。従って、藁で包んで売られている納豆も、納豆菌は藁に棲む納豆菌ではなく、純粋培養された納豆菌を使って造られた納豆なのだとか。その天然の納豆菌を使って「わら納豆」を50年ぶりに復活させたのが、このフクダの「天然わら納豆」なのだそうです。
確かに今となっては大変貴重な天然の藁納豆ですが、通常3個1パック(対外40g×3個)で売られている納豆がスーパーでは100円程度。この「天然わら納豆」は300gで1200円ですので、価格にしてほぼ4倍です。
確かに、一切農薬を使わずに栽培した大豆と稲藁を使い、その藁に棲む天然の納豆菌を衛生管理上問題なく使って製造するということがどれ程大変かということで、その貴重さを頭では大いに理解しても、如何に高価かが分かります。因みに、私メの朝食時の定番である「くめ納豆」は40g×3個で100円。松本の地場のスーパーで現在購入可能な「くめ納豆」は、この「秘伝金印」と4カップの「プチ納豆」の2種類のみですが、どちらも遺伝子組み換えではない米国/加国産の大豆を使用しています。勿論、「くめ納豆」にも国産大豆を使用する商品も幾つかあるのですが、いつも行くスーパーには残念ながら並んでいません。

 買って来たフクダの「天然わら納豆」は、藁に包まれたままにしておくと、天然の納豆菌が藁に又戻ってしまうので、少なくとも買って三日以内にタッパー等に移して冷蔵庫で保管すれば、熟成がだんだん進んでいくのだそうです。曰く、
『わらには「天然の納豆菌」が何億も棲んでおります。美味しく煮た大豆を与えると、一斉に飛びついて、大豆の蛋白質を旨味成分のアミノ酸に変えていきます。これを発酵と言います。発酵が済んだわら苞は、今度は納豆の旨味をどんどん低下させてしまいます。お早めにふた付容器に移し、冷蔵庫から小出しにしてお召し上がりください。更に熟成され美味しさが増して参ります。』
フクダの天然藁納豆「吟醸納豆 那須の郷」-実際に食べてみると、普通の納豆に比べて味が濃い気がします。そして、何より大豆が驚くほど香ばしくて、「旨っ!」。曰く、
『納豆には美味しさを求めると、食感が得られず、食感を求めると、旨味が得られないと言う発酵食の宿命があります。「食感があり、しかも美味しい」そんな理想の納豆が造れないだろうか?その両立を求め、弊社独自の手造りならではの製法を確立致しまして、このたび「美味しさ」と「食感」を兼ね備えた念願の納豆「那須の郷」が生まれました。』
確かに濃厚で、美味しいとは思いました。しかしながら、いつも食べている「くめ納豆」も個人的には美味しいと思っていますが、原材料の差(国産か米国産か)による安心感は別として(奥さまはいつも信州産の大粒大豆を使う「川中島納豆」です)、比較してみて、果たして4倍の価格差を感ずるかというと、私メがそれ程敏感な舌を持っている訳でもないので、正直「分からない」と言うしかありません。
たまたま、帰国中の週末に、ナナに会うために滞在中の東京から帰って来た長女も(どちらかというと彼女も川中島納豆派)、朝食に“卵掛けご飯”で食べて、「うん、美味しいね!」とは言ったものの、反応はイマイチでした。
        (二つを食べ比べ。右側のパック入りが「くめ納豆」) 
 もし“天然わら納豆”をお取り寄せにしても毎日食べるとなると・・・。
一本の値段+送料もかかりますので、いくらその美味しさや安全性を理解出来たとしても、我々庶民には“高根の花”と言わざるを得ません。
高校の大先輩、太田和彦センセの名著「居酒屋放浪記(疾風編)」での「水戸の土産は納豆、でしょうが!」の中で紹介されて以来、(その後残念ながら倒産し、ミツカン酢に商標と営業権を買収譲渡されましたが)「納豆はくめに限る!」で、その後も一切浮気はせずに個人的にはずーっと満足しています。

 先週のNHKの朝ドラ「なつぞら」で、主人公の女性アニメーターが手掛ける初めてのTVアニメとして「百獣の王子サム」なる作品が登場。何となく「ウン?・・・」と思っていたのですが、実際のその作品のTV放送場面になって・・・、
 「おぉ、やっぱり!!」。
それは、その「百獣の王子サム」のモデルが、自分が子供の頃大好きで毎週欠かさずに(多分)視ていた「狼少年ケン」に間違いなかったからです。
「狼少年ケン」は1963年~65年、現テレビ朝日系列(長野県では当時は民放1局しかなかったため、TBS系列であるSBC信越放送が放送)で放送されたTVアニメ。
 「なつぞら」では、主人公の所属する「東洋動画」(モデルは東映動画)が、「鉄腕アトム」に対抗して手掛ける初めてのTV向けのアニメーション作品が「百獣の王子サム」という位置付けです。
長野県では毎週日曜日の朝10時頃からの放送だったように記憶しているのですが、「百獣の王子サム」でも、「狼少年ケン」の、あの“♪ボバンババンボン、ボンババンバボン」・・・いつもオイラは泣かない、どこまで燃える命・・・”という懐かしい主題歌をしっかりと彷彿させるテーマソングが画面から流れ、モノクロの動画が放送されました(勿論、アニメ上の舞台は、狼のいるチベットからライオンのいるアフリカに変更されています)。
 「いやぁ、懐かしい!」
裏覚えながら、今も記憶に残る“♪歌えよ!ケン、叫べよ!ケン、太陽に届くまで・・・”という少年合唱団が歌う主題歌が、TVを見終わった後もずーっと頭の中で流れていました。

 個人的には、劇中に登場する「川村屋」が新宿中村屋で「角筈書店」が紀伊國屋書店であることはすぐ分かりましたが、それ以外の登場人物が実在の誰なのか、そのモデルとなっている方々に対する知識は全く無いのですが、ただ一人気になっているのが、主人公なつの幼馴染である山田天陽。
というのも、農耕馬の絵を好んで描いた、十勝の農民画家と云われた神田日勝が天陽のモデルに他ならないからです。
十勝の鹿追町にある彼の作品を集めた「神田日勝記念美術館」。そこに展示されている筈の、彼の絶筆となった未完の半身だけが描かれた「馬」。是非、一度生で本物を観てみたい作品です。
山田天陽がTVに登場し、その名前からして神田日勝を連想させたのですが、神田日勝は32才という若さで病死してしまうので、出来れば5年前に「日本美術院再興100年記念特別展」で初めて観て感動した「道産子追憶之巻」(北海道立近代美術館蔵)を描いた、同じく屯田兵を父に持つ北海道出身の日本画家である岩橋英遠であればと、劇中で天陽の描く絵を見るまではそう願ったのですが、残念ながらそうではなく・・・。

 それともう一つ、個人的な勝手なお願い。それは・・・、

今回の京都アニメーションの惨事に際し、たまたま偶然にも同じ我が国のアニメーションの業界とその歴史を描いているだけに、公共放送としての制約(商業的な応援/支援はしない)があるだろうことは理解しますが、どこかで犠牲となった方々への追悼や被災された方々への応援、残された方々や会社への激励を、どんなに短いテロップででも何でも良いので是非とも「なつぞら」として流していただけないでしょうか。

 “日本一ドッグフレンドリーなリゾート”というキャッチコピーに惹かれて、ナナと一緒に初めて訪れた那須。今回滞在した那須ハイランドパーク近くのドッグヴィラは深い森の中にあり、案内された部屋は素敵なメゾネットタイプで、テラス越しにはナラなどの木々が生い茂る緑が窓一杯に拡がっていて、軽井沢の様な高原リゾートらしい雰囲気に包まれていました。
滞在中は夜半に霧雨か小雨が降ったのか朝起きてみると必ず濡れていて、一帯もしっとり煙る朝霧に包まれています。そして高原の林からは、この時期ウグイスやコゲラ、キビタキでしょうか、野鳥のさえずりだけが林の中に染み渡るように響いていて、ベランダの椅子に座って濡れた林をながめていると、(イメージとしては、仕事に追われる都会人であればその乾いた心までもが)しっとりと潤ってくるような気がしました。

 観光としての那須では、先ず自然では那須岳を中心とする那須高原が中心ですが、他はレジャー施設のハイランドパークやサファリパーク、動物王国に牧場。そして、藤城清治美術館、テディベア・ミュージアム、クラシックカー博物館など、どちらかというと自然や歴史よりも人工物が中心の様に感じます。
日本百名山の那須岳登山は確かにお薦め。しかし、ロープウェイでのハイキングというのはやや疑問。ちゃんとしたトレッキングの装備をして登った方が無難ですし、遥かに感動も大きいと思います。因みに、那須岳からの帰路、途中に在った「殺生石」という名所にも立ち寄ってみました。お地蔵さんたちは微笑ましかったのですが、うーん?・・・。
従って、どちらかと言うと、観光地としての那須は「小さなお子様連れのファミリー向け」ではないでしょうか。もし、孫がいれば、子供が一緒だったら行くだろうという場所が多く、我々の様な年寄二人では然程観光としての食指は動きませんでした。
 また、ナナもあまり疲れさせて体に負担を掛けたくなかったこともあって、今回の滞在中にナナと一緒に訪れたのは、唯一南ヶ丘牧場でした。牧場では乗馬体験やウサギとの散歩、釣り堀などの施設があり、小さな子供や孫でもいればですが、ナナと一緒ではここでも食指も動かず、牧場内をナナと散策し(奥さまが)売店を見て早々に退散。
確かに那須はペットOKの場所も多く、例えば那須ロープウェイも体が全部隠れるキャリーバッグでならペットとの同乗も可能(しかも貸し出しもあり)。因みに、蓼科の北八ヶ岳ロープウェイはペット不可(預り所はあり)なので、ペットOKというロープウェイは確かに珍しい(信州でも富士見高原の入笠山のゴンドラはリードだけでペットの乗車OK!ですので、大型犬も乗車可能。白馬方面では岩岳だけはOKらしい)のですが、心臓を患っているナナには空気の薄い高地はご法度ですし、キャリーバッグを担いでの登山なども聞いたことがありません。せいぜいドッグバギーでの散策程度でしょうか。元々歩くのが然程好きではないナナですので、ドッグバギーは持って来たのですが、この滞在中は全く使いませんでした。
またせっかくの犬連れOKのレストランも、この梅雨の時期はそのテラス席が濡れていて使用出来ないという日も多く、二度ほどランチにナナと一緒に出掛けたのですがどこも断られてしまいました。諦めて駐車場に戻ると、中年のご夫婦が「テラスOKの筈だから聞いて来る!」とご主人が店に入って行かれましたので、やはり同じように犬連れで来られたのでしょうか・・・。我々同様、“日本一ドッグフレンドリーなリゾート那須”というキャッチフレーズに惹かれて来られる、そうしたお客さんは多分多いのだろうと思います。
 今回滞在しての印象ですが、那須は観光地ではなく、軽井沢同様の別荘地として、(特に家族連れでない中高年夫婦は)都会の喧騒を離れ、緑豊かな自然の中で(ペットと一緒に)ゆったり過ごす場所ではないか・・。
しかも、出来れば本当に別荘に滞在している様に(コテージや貸別荘もたくさんありそうなので)、地元の新鮮野菜や食材(信州同様海無し県故海鮮は期待薄ですが、栃木牛や乳製品、そしてベーカリーが多いので自分好みのパン)を買って来て自分でスローフード風に調理して自然を愛でながらゆったりと楽しむ。そして自分の好みのレストランを見つけて偶には外で食事を楽しむ・・・。那須はそんな滞在型の場所ではないか、と感じた次第です。
しかも、那須は旧軽の軽井沢銀座のような密集した商店街は無く、林の中に店が点在しているので、何となくミーハー的な軽井沢とは違ってもう少し落ち着いた雰囲気です。散策するというよりは、車で移動する点在型のリゾートなので車は必須です。
 晴れた日も良いのでしょうが、梅雨空の那須高原で、朝など霧に包まれた幻想的な雰囲気の林の中を車で走りながら、特に緑にトンネルの様な所々に白と青のアジサイの点在する那須街道は走っているだけで本当に感激します。
ガソリンスタンドで聞くと、夏の週末などは車が渋滞して動かないほど混むのだそうですが、梅雨のこの時期の平日はそうした混雑も無く、アジサイの咲いているこの季節ならではの那須の美しさなのかもしれません。振り返ってみると、今回の那須で一番感動したのは、このアジサイの咲いていた幻想的な那須街道だった様な気がします。
 那須では、林の中のコテージに滞在して、何もしないでのんびりと木々を眺め野鳥のさえずりを聴きながら、自分でドリップしたコクのあるコーヒーを飲む。そして少し遅めの朝食は、朝一番で買って来た、ペニーレイン(今回はそこしか行きませんでしたので)のパンと「友愛の森」の産直の新鮮野菜(朝採れで本当に安くて新鮮でした!)のサラダ・・・。やっぱり那須にはそんな光景が一番似合っているかもしれないな?・・・。
三泊四日の短い滞在ですが、そんな風に感じた那須高原の旅でした。

 ナナも相変わらず食欲は少ない(療養食のため?)のですが、特段の問題も無く無事帰って来られました。
 「ナナ、またどこか近くでもイイから、一緒に旅行へ行こうヨね!!」