カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
前話の旧開智学校から用事のある大名町へ行くために、新旧対比となる開智小学校の横を通ってもう一つの国宝である松本城公園に向かいました。松本城には既にたくさんの観光客の皆さんが来られています。
すると、この日の公園にはハスの花や見事な藤が咲いていて、駐車場脇の花壇には珍しいナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)が真っ白な花を付けていました。
松本城公園の藤はそれほど広い藤棚ではありませんが、1m近くにも伸びた房は見事でした。
『モクセイ科ヒトツバタゴ(一葉たご)という落葉高木。「たご」というのはトネリコの一種で、トネリコが複葉なのに対し、単葉なことから名付けられたそうです。中国福建省原産で、朝鮮半島の一部、国内では対馬や木曽川流域(特に東濃地方)のみに自生(対馬の群生は天然記念物指定)している絶滅危惧種(Ⅱ類)で、岐阜県の土岐市では「市の花」に制定し、街路樹として植えられている「なんじゃもんじゃ街道」があるとか。植栽としても、神宮外苑や深大寺などに植えられた木の写真がありましたが、全国的にも珍しい木のようです。』
その珍しいナンジャモンジャが松本城公園横の駐車場脇の花壇にも植えられていて、ちょうど今、雪のような白い花を咲かせていました。
天文19年(1550年)7月、甲斐の武田信玄に攻められた小笠原長時は、林城館にあった純白の牡丹が敵兵に踏み荒らされることを憂い、これを里山辺の兎川寺(とせんじ)に託して落ち延びて行ったと伝わる。
その後同寺の檀家であった久根下(くねした)家が、この牡丹を「殿様の白牡丹」として400年もの間秘して大事に守り、昭和32年に小笠原氏子孫の忠統氏へ贈られて初めて公になり、忠統氏から戦国時代に林城の支城だった松本城内本丸庭園の月見櫓前に移植され、 更に平成18年にも久根下家から寄贈されて、現在7株が毎年5月に白く美しい花を咲かせている。
因みに、その後譜代大名として復興を遂げた小笠原氏が、松本から明石を経て、最後の移封先となった北九州小倉城にも小笠原牡丹が株分けされているとのこと。