カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
馬籠峠の頂上まで2㎞ちょっとだった上りの道程から、残り5㎞程は妻籠宿まで緩やかな下りが続きます。
我々はお茶屋の中に入って休憩です。この場所は江戸時代に伐採禁止だった木曽五木の材木運搬を監視(白木改め)する番所だったのだそうで、囲炉裏のある江戸中期の茶屋の建物がそのまま現在も休憩所の茶屋として使われています。常駐している地元のボランティアの方が我々にもお茶を入れてくださいました。休憩所ではオーストラリアとドイツからという我々よりも年配のカップル二組が休憩をされていて、暫し談笑。皆さん、この“SANURAI TRAIL”を思い思いに楽しんでおられます。そしてチロチロ燃える囲炉裏を背景に、記念に我々の写真を撮ってくださいました。そこで、お返しに写真を撮ろうとすると、
「彼女は写真が大好きだが、私は写真が嫌いなんだ・・・けどネ!」
と茶目っ気たっぷりにジョークを言いながら、お二人仲良く笑顔でフレームに収まっての撮影。「志」と書かれた太い竹筒に心ばかりの気持ちを入れてから、我々はお先に出発です。
茶屋を過ぎて、如何にも江戸時代の街道を思わせる杉木立の続く緩やかな道を下っていきます。途中、木曽路のご神木の様な幹の周囲5.1mという樹齢300年以上のサワラの大木や、少し街道からは外れますが、江戸時代の行き交う旅人も一服したであろう男滝女滝があり、我々も足を止めて暫し昔を偲びながら休憩しました。
旧道に戻り、やがて家並みが現れると宿場の入り口である大妻籠。更に畦道のような旧道を歩いて、江戸時代にタイムスリップしたような今回のゴールになる妻籠宿へ到着。途中二度ほど休憩しながらゆっくり歩きましたが、ほぼ行程表通りの2時間40分でした。
ちょうどランチタイムでもあり、妻籠宿にはたくさんの観光客の人波が。さすがに食事処はどこも混んでいましたが、我々も昼食を取るべく、一応「生蕎麦」の看板が掛かっていた一軒のお蕎麦屋さんへ。家内が五平餅とざるそばのセット。私メはざる二枚の大ざる。昔ながらの黒い田舎蕎麦で、専門店ではないので些かつなぎが多かったのですが、まぁ観光地ではこんなモノ。その昔、乾麺が出てきて、余りの不味さに食べ残した馬籠の食堂に比べれば遥かにマシです。しかも双方のメニュー共税込み1000円丁度というのは、観光地とは思えない破格の安さ。蕎麦はともかく、五平餅はとても美味しかったそうです。先程の女子高生たちも五平餅を食べていました。因みに、馬籠宿の五平餅は大きな“団子三兄弟”風の形状でしたが、“御幣”の形をしていることが名前の由来と云われているので、楕円形が本来の五平餅の筈。こちらのお店も大半は外国人のお客さんでした。失礼ながら、英語も話せないような地元のおばさん方が対応されていましたが、写真とローマ字表記のメニューもあるとはいえ、慣れた応対になかなか大したモノだと感心しました。却って松本の街中のお店よりも、むしろ妻籠の住民の方々の方が国際化しているのかもしれません。
腹ごしらえも済み、馬籠への帰路を調べると、南木曽駅からのJR利用での中津川駅経由よりも、妻籠から馬籠へバスで直接戻った方が時間的にも楽。発車時刻までには30分程まだ時間があったので、全国で初めて国の重要建造物群保存地区に指定された妻籠宿を散策しました。途中、「ふれあい館」には地元の家々から集められた(旧暦での)端午の節句の五月人形が所狭しと飾られていて、外国人観光客の方々が物珍し気に写真を撮られていました。
個人的には、観光として見るなら“奈良井千軒”と云われ木曽路最大の宿場町であった奈良井宿が木曽路では一番満足度が高いと思いますが、随分俗化してしまった馬籠宿に比べ、鄙びた妻籠宿には奈良井宿とはまた違った良さがあります。まるで江戸時代の空気さえ漂っているかのような、そんな素朴な妻籠の町並みを見てからバス停のある町営駐車場に行き、地元のおんたけ交通のバスに乗車。片道一人600円で後払い。十数人の乗客の大半は欧米系の外国人のお客さん。それにしても皆さん良くご存知です。バスは県道を走り、旧中山道を二時間半掛けて歩いてきた8㎞ちょっとの峠越えの道程を僅か25分で終点の馬籠宿入り口へ到着。そこが車を停めた目の前。すぐに車に乗ってナナの待つ自宅へ向かいました。
今回行けなかった世界遺産の熊野古道の代わりとは言えませんが、それなりに楽しんだ、馬籠宿から妻籠宿への木曽路“SANURAI TRAIL”の旧中山道ウォークでした。
もし、もう少しトレッキング気分を木曽路で味わうには、高校時代にクラスの春の遠足でも歩いた薮原宿から鳥居峠を越えて奈良井宿までというのも良いかもしれません。中山道最大の難所と云われた鳥居峠は、太平洋に注ぐ木曽川と、犀川になって千曲川と合流して最後日本海に注ぐ奈良井川の分水嶺でもあり、峠の標高は1197m。来年にでも、また新緑の木曽路を歩いてみようと思います。
次は、山行のトレーニングを兼ねて、レンゲつつじの咲く初夏の美ヶ原登山でしょうか。
平成から令和への長期連休が終了し、観光地の混雑も緩和したであろう5月9日。馬籠宿から峠を越えて妻籠宿まで、旧中山道の木曽路を歩くことにしました。このルートは“SANURAI TRAIL”と呼ばれ、特に欧米系の外国人旅行者に人気のコースなのだそうです。
本当は、念願だった熊野古道の中辺路を何日か掛けて歩くことにしていて、数ヶ月前からホテルも予約していたのですが、ナナが病気になってしまい断念。その代わりに、今回は日帰りで木曽路を歩くことにしたものです。
松本からは国道19号線で木曽路を走るよりも、高速道路で中津川ICから馬籠宿へ行った方がアクセスが良く、また両宿場間の8㎞ちょっとの峠越えのコースは、標高620mの馬籠宿から801m(近年の測量結果で790mに変更されたらしい)の馬籠峠超えで標高430mの妻籠宿へ下った方が上りの標高差が少なく楽なのだそうです。更に、有料(町営駐車場で一日500円)の妻籠宿に対して、幾つかある馬籠宿の公営駐車場は全て無料とのこと。そこで、我々も先ずは馬籠へ向かうことにしました。
長野道の松本ICから中央道を走り、県境の恵那山トンネルを抜けて岐阜県の中津川ICで降りて、馬籠宿まで我が家からは147㎞とのナビ表示。
途中、中央道がリニューアル工事のための車線規制がされていたこともあって、結局ナビの予測通り2時間半弱で馬籠宿へ10時半頃到着しました。
「木曽十一宿」と呼ばれる旧中山道の木曽路で、馬籠宿はその南端。そこから江戸への上りの道筋は、馬籠峠を越えての妻籠、関所の置かれた木曽福島、更に難所の鳥居峠を越えての奈良井、福島を補助する関所の置かれた贄川までが十一宿。中山道六十九次の江戸日本橋から数えて三十三番目が贄川宿で、妻籠は四十二、そして馬籠が四十三番目の宿場です。
“箱根八里は馬でも超すが、越すに越されぬ大井川”と云われた五十三次の東海道に対し、険しい山道で“全ては山の中〝にせよ、川越えの無い中山道はむしろ女性の旅人にとっては歩き易かったために“姫街道”とも呼ばれ、尾張徳川家を始めとする西国各藩の参勤交替、そして幕末には皇女和宮も通った街道でもあります。
大型連休も過ぎたので、さすがに日本人観光客は疎らでしたが、代わりにここでも中国語が飛び交っていました。しかし、彼らは宿場の観光だけで峠道を歩くことはありません。
我々も30年以上前に馬籠も妻籠も車で観光に訪れ、馬籠の藤村記念館や妻籠の資料館も見学しているので、今回の目的は観光ではなく飽くまで峠越えでの中山道ウォークです。
石畳の続く馬籠宿。500m程の坂道を上って行くと、町並みを抜けた所に展望台があり、そこからは百名山の恵那山が望めます。
2005年に当時の長野県山口村は越境合併を選択し、岐阜県の中津川市に編入しましたが、こうして展望台から眺めると、確かに馬籠は中津川市の生活圏。長野県側は峠越えでの妻籠なのですから、買い物も病院も高校もといった日常の生活面を優先すれば、当時の山口村の人たちの選択は致し方無かったのかもしれません。
展望台から車道を横切ると妻籠宿7.7㎞の道標があり、馬籠峠までは2.2㎞との標示。そこから中山道ウォークが始まります。すると、後ろから賑やかな声が聞こえ、お揃いのジャージを着た元気な若者の集団が足早に我々を追い抜いていきます。付き添いらしき先生に伺うと、美濃加茂の高校一年生の春の遠足で、同じ行程にて峠越えで妻籠へ向かうのだとか。口々に「コンニチワ!」と礼儀正しく元気に挨拶して行きます。ただ彼らは一回ずつの挨拶でも、こちらは300回?続く「コンイチワ」に些か疲れて、「・・・ハァ、しんど!」。
旧道は、途中車道を横切りながら峠に向かって上って行きます。所々に熊除けの鐘があり、高校生のしんがりを務めながら、我々も念のために鳴らして歩きます。道は江戸時代の街道そのままでは無いのかもしれませんが、参勤交代が通ったとは思えぬ程幅の狭い箇所もある旧道です。高校生の一団を除くと、確かに歩いているのは殆ど欧米系の白人の中高年のカップルで、「ナルホド!」と納得。“SANURAI TRAIL”の人気の程が良く分かります。
(十返舎一九の狂歌碑)
急坂が続く峠までの途中には、水車小屋の休憩所や、大ベストセラーとなった「東海道中膝栗毛」の続編を書くために中山道を旅した十返舎一九の狂歌碑「渋皮の剥(む)けし女は見えねども 栗のこはめしここの名物」があって、801mと書かれた馬籠峠の頂上へ(こちらの表示も790mではなく、以前のまま)。ここが現在の岐阜と長野の県境になります。峠の頂上にはお茶屋さんがあるのですが、こちらは有料。ここから少し下って、馬籠と妻籠のほぼ中間地点に無料の休憩所があるそうです。峠の頂上までは馬籠宿からずっと上りだったとはいえ、まだ1/3程度の行程ですので、ここでは休憩せずに次の休憩所を目指してそのまま歩を進めることにしました。
今、松本ではスカイパークをメイン会場に「信州花フェスタ」が開催されていて、発祥の地らしく、松本はまさに“花いっぱい”です。
しかし、今年の春は桜が咲くまでは順調だったのに、その後は降雪を記録するなど寒気が南下して寒い日が続いた日本列島でした。
そのため、東京などは長い間桜を楽しめたようですが、松本は開花宣言後の寒さで花が開かず、その後暖かくなったら一気に満開からあっという間の桜吹雪。次に、桜の後を追って咲いたハナミズキですが、すぐに葉も開いてハナミズキというよりもヤマボウシ風にと、松本では一気に花が咲いて、あっという間の春爛漫でした。
先日はまだ梅雨入り前の九州で記録的な大雨が観測されるなど、何となく天候不順な雰囲気?なのが心配ですが、災害の多かった平成から災害の無い時代へと皆が期待する令和ですので、どうか平穏にと願うばかりです。
世界で一番「緑」を表す言葉の多いと云われる日本語。新緑の季節だけでも若草色、若葉色、萌黄色などなど・・・。さまざまな緑を見せる里山の緑を楽しみながら、更に残雪の北アルプスの峰々には雪形が現れて、季節は春から初夏へ。
仕事で日本へ出張帰国中だった長女。
米国に帰国する前、長期連休中にたった二泊ではありましたが、次女の引っ越し作業を終えて松本へ帰る私たちと一緒に松本へ帰郷して来ました。
東京での滞在中は、会食など外食続きだったというので、松本では家庭料理が食べたいとのこと。唯一外食でランチに行ったのが、彼女の選択で、深志高校近くにあるイタリアンの「ラパーチェ」。
決して街中の便の良い場所ではなくてアクセスの不便な郊外にありながら、特にコスパ良好なランチが評判の人気店で平日も含めていつも混んでいます。特に平日の奥様族に人気のようです。年寄夫婦二人ではなかなかイタリアンに行くこともないので、我々も数年振りの訪問です。
この日は連休中でしたので、少しランチ時間をずらして2時頃行ったのですが、カウンターを除いてほぼ満席。幸いにもちょうど帰られるお客様がいて、片付けていただいてすぐに座ることが出来ました。
我々は、和風の季節野菜と海老の明太子パスタ、そしてピザを全種類ハーフ&ハーフでの二枚を選択して三人でシェア。
サラダの後に、最初にピザ、次にパスタ。そして、もし食べ切れなければ持ち帰られるようにと、最後に残りのピザ・・・と、お店もしっかり考えてサーブしてくれます。
結局、我々もお腹が一杯で全部は食べ切れず、二枚目のピザの半分以上を持ち帰ることにしました。
久し振りの「ラパーチェ」。ラーメン餃子セットとは違ったお洒落なランチに、ちょっぴりリッチな気分になって、
「ごちそうさまでした!」
五月連休を迎え、恒例の野菜苗を畑に植えます。先ずはハーブから。
僅か一坪ほどの我が家のハーブガーデン。以前、あらゆるハーブを試した結果(例えばハーブティー用のハーブ類はニーズ無し)、10年程前から我が家でニーズのある食用ハーブ、しかも生食でのサラダ用ハーブに結果限定しています。
そこには多年草ハーブであるセルバチコとチャイブの株があるのですが、株の周囲の土が固くなったので、一旦株を鉢に移し替えて、土起こしをして、水はけが良くなるように蓄えてあったコーヒーかすを土に混ぜ、肥料の鶏糞を入れて更に混ぜ合わせ、一週間以上そのままにして馴染ませた上で、多年草のハーブを戻してあります。
その移し替えた宿根草のチャイブは無事芽を出したのですが、セルバチコ(ワイルドルッコラ)は二株中一株が枯れてしまいました。ナカツタヤによれば、セルバチコはニーズが無く、ロット毎(24鉢)のオーダーでないと対応出来ないとかで断念しました。ピリッと辛くて美味しいのに人気が無いのでしょうか。一年草のルッコラに対してセルバチコは多年草で便利なので、むしろ知名度だと思うのですが・・・。
そして、お願いしてあったルッコラ6鉢と一緒に、バジルを4鉢、パセリを2鉢、それぞれポット苗で購入してきました。
毎年植えるパセリ。地植えのパセリは、売っているモノとは全くの別物と思えるほどの美味しさ。料理に添えるだけでは勿体ない!食べると、パセリも野菜なんだと納得させてくれます。
あとの空いたスペースには、毎年失敗しているのですが、今年も懲りずにコリアンダー(香菜=シャンツァイ、パクチー)。そしてこちらも西海岸で長女に教えてもらって以来、サラダ用に好評のカーリーケールとミニトマトも植えようかと思います。
民放の様に、番組視聴率でCMスポンサーの意向を気にする必要の無いNHK。だからと云えばそれまでですが、最近のNHKの番組制作での番組内容で、本来公共放送ゆえに保守的と言われていたNHKの方が、民放よりも革新的、或いは挑戦的・冒険的な姿勢が目立ちます。
例えば、3昼夜定点観測をする「ドキュメント72時間」や街頭インタビューだけの「ガイロク」(ただこれらは、民法の「池の水全部抜きます」や「ポツンと一軒家」、「Youは何しにニッポンヘ」など、筋書きの無いドキュメンタリー風バラエティー番組とも類似性はあります)。
個人的には、朝ドラ「なつぞら」の主題歌にスピッツを起用してくれたのにも感謝。ハイジ風のアニメがタイトルバックに流れる、久し振りのスピッツらしいメロディーに感激しています(月曜日は、主題歌がなぜか半コーラス分だけ長く放送されるので、出来るだけ月曜日に聞くようにしています)。
NHKのその冒険的?な姿勢を個人的に今一番感じているのが、朝ドラ昼の再放送の後、平日午後一時から放送されている「ごごナマ」です。
番組コンセプトは“大人の井戸端”で、ターゲットは40台以上の主婦と60代以上の(ドンピシャターゲット?の、私メの様なリタイアした?)男性の由。
平日の生放送で、進行役のアナウンサーにベテランの阿部渉アナウンサー(次女が出場して銅賞を受賞した97年だったかの、NHKホールでの“歌コン”全国コンクール小学生の部のMCが若き阿部アナウンサーでした)を配してはいるものの、MC役に俳優の船越英一郎氏と美保純女史を起用。
芸能界に関係するゲストが多いので芸能界に関する知識は当然とはいえ、船越さんの芸能界に留まらぬ博識ぶりにはさすがだなぁと感心しますし、“泥沼の調停騒ぎ”の時もそのまま起用し続けたNHKの英断にも感心しました。
そして、それを上回る、ある意味“英断”が美保純女史のMC起用。
齢56才とは思えぬ、いまだ少女の様に天真爛漫な“純ちゃん”のコメントは、編集可能な録画ならともかく、生放送ゆえに“放送事故”のリスク大だと思うのですが、実際、美保さんが何か言いかけて、「あっ、それはダメ!それ以上言っちゃダメ!」とでも言うように、目配せをしながら無言で何度も横に首を振る阿部アナウンサーを時々拝聴します。
しかし、そんなリスクを超越する様な、純粋で率直な、しかしある意味核心を突く様な“歯に衣を着せぬ”予想外な彼女のコメントに感心することもしばしば。
例えば、ゲストの若い女優さんが悩んでいるケースなどでの、「私だって・・・」と自分の過去も赤裸々に語りながら、「だから、そんなの気にすることないのヨ!」と言いながらの含蓄あるアドバイスに、
「ナルホド、そう来たか!」
そんな場面を見る度に、いくら朝ドラ「あまちゃん」でNHKでも起用済みとはいえ、そこは台本のあるドラマでのこと・・・。
「そうか、これが彼女を生放送のリスク承知で番組MCに起用した理由なんだ!!」
と、彼女の“天然”というよりもむしろ“自然”な、少女の様な性格そのままの天真爛漫なコメントに、大いに納得感心するのです。
「NHKなのに凄い!」と最近特に感じたのが、先日の「午後ナマ」に女優の白川和子女史がゲストとして登場した回でした。
今では演技派女優としての女史も、スタートはご存知“にっかつロマンポルノの女王”。そして聞き役の美保純さんも“にっかつロマンポルノ”でデビュー。従って、当然のことながら、一世を風靡したその頃の話題が中心になるのは必然でしたし、しかもナント白川女史主演の「団地妻」シリーズの映像が“天下の”NHKの昼番組で流れたのですから、いくら日本映画史の重要ピースとはいえ、ある意味画期的と感じた視聴者(特に私メの様な中高年のオッサンズ)は多かったのではないでしょうか。
他にも、朝ドラのナレーションへのユニークな人物の起用や、BSの「心旅」への火野正平の起用。多分オファーされた正平さんご自にも、当初は戸惑いがあったと思います(ヘビースモーカーの彼には、上りの坂道での自転車は絶対にキツイ筈!)。自転車で回るという設定自体もユニークではあるのですが、正平さんの起用自体がスマッシュヒット。最初は「えっ?」と思いましたが、なかなかイイ味出していて、今や彼無しでは語れぬ“旅”番組になりました。しかも先週は久し振りの信州へ。
長野県には伊那谷から入り、松本から北アルプスに沈む夕日を眺め、佐久を経て、最後に白馬三山を望む茅葺集落の「青鬼」地区の白馬村から次の山梨県へ。
信州に限らず、途中農作業をされているお年寄りまでもが「あっ、頑張ってくださぁい!」と声を掛けるのですから、「心旅」はBS放送なのに、全国津々浦々老若男女を問わず結構浸透しているようです。
蒲田最後の日。朝8時から引っ越し荷物を搬出し、引っ越し先での受け取りに次女が先発で出掛けた後、我々は何も無くなったワンルームの掃除とゴミ出しです。
大家さんへの引き渡しが午後一だったため、先にホテルへ戻ってチェックアウトの後、ナナを預かってもらった妹の所といつも野菜を頂く家内の友人宅へのお土産を、時間節約で新宿へ行ってデパ地下で購入し、スーツケースとお土産と一緒に荷物を預けて、身軽になって再び糀谷へ向かいます。
大家さん立ち合いのチェックも特に問題も無く、無事引き渡しも済みましたので、蒲田最後の食事として、ランチに駅ビル内の「回し寿司 活 美登里」に行くことにしました。一昨日も家内は娘と二人で「活」で食べたのだとか。
「だったら、せっかくだから檍のトンカツでも食べようか?・・・」
「イイわよ、貴方は活に行きたいんでしょ!?それに、蒲田に来ることはもうないでしょうから・・・」
連休中の日曜日の1時過ぎと、一番混む時間帯に行列覚悟で行ったのですが行列の長さは然程ではなく、都会に住む皆さんはGW連休中はむしろ都会を脱出して旅行に行かれているのでしょうか?
(炙りトロイワシ 塩) (ヒラメ)
カウンター席に着いて即、先ずは炙りトロイワシとヒラメを二皿ずつ注文。蒲田最後の「活」での食事で時間の余裕もあったので、少しずつ注文していきます。家内は、ヒラメ以外は炙りホタテ、中トロ、ネギトロ軍艦などなど。私メは、アジ、シメサバ、コハダ、炙りエンガワ、中トロ、そして穴子ハーフ、つまみの卵焼き、最後の〆には炙りトロイワシを塩とポン酢で一皿ずつ・・・。煮穴子もとろける様に柔らかく、味付けも甘くて実に旨かったです。
二人で(私メの2杯の生ビールも入れて)いつもとほぼ同様に全20皿、6000円強でした。立て続けに「まいもん寿司」と「活」で美味しいお寿司を食べたので、暫くはお寿司はイイ(≒食べなくても我慢出来る)かな?・・・。
(炙りノドグロとアジ) (炙りエンガワ)
前回の「まいもん寿司」と比べると、同じネタでもコハダとアジは「まいもん寿司」の方が上。特にアジは新鮮で旨かった。また、おつまみ用の玉子も大きくて美味でした。そして何より、「活」のギュウギュウ詰めのカウンターに比べ、例え値段は高くても「まいもん寿司」の方がゆったり食べられるのがイイという人も(特に女性には)多いだろうと推測します。
但し「美登里寿司」も、回転寿司版の「活」ではなく「美登里寿司総本店」の方に行けば個室が用意された店舗もある(長女が連れて行ってくれて、「美登里寿司」を知る切っ掛けになった渋谷店には個室はありませんが)ので、「活」よりもゆったりゆっくりと食べられることでしょう。
でも、個人的にはこの「活」の塩とポン酢二種類の炙りトロイワシは何モノにも替え難い魅力があります。従って、光り物好きの私メとしては「活」の方が好み、「活」に軍配を挙げたいと思います。
因みに、一皿二貫の値段で両者を比較すると(以下、活VSまいもん、で)、中トロが360円と590円、炙りホタテ(塩とバターの違いはありますが)460円と470円、アジが110円(特選アジは260円)と290円、コハダが110円と350円(但し、ネタの大きさは活の倍程もあります)、シメサバが110円と290円。つまみ玉子焼きが110円と180円(大きさは活の倍)、炙りエンガワは210円と290円。一回り大きなネタも幾つかあるのですが、仮に同じ大きさのネタでも「まいもん寿司」の値段は「活」の概ね1.5倍。そこは、ギュウギュウのカウンター席効果に拠る「活」の回転効率の高さなのでしょう。
お腹も一杯になって、松本へ帰るべく新宿へ。次女の暮らした糀谷。そのお陰で何度かステイした蒲田。
その昔は“蒲田行進曲”しか知らなかった下町でしたが、“蒲田中華”の様な庶民的なグルメも含め、下町情緒に溢れた良い街でした。
きっと、この街に別れを告げることも無く慌ただしく引っ越し先に向かったであろう娘に代わって、親として謹んで御礼申し上げます。
「どうもお世話になりました。ありがとうございました!」
今回の次女の引っ越しのための上京は、超大型連休中故にホテル確保も道路渋滞も心配だったのですが、連休二日目のこの日の高速道路は途中いつもの河口湖付近から始まるノロノロ運転の下り線はともかく、こちらの上り線は非常にスムーズで殆ど渋滞も無く、バスタ新宿にも予定時刻よりかなり早く到着することが出来ました。
また、今回の宿泊はいつものJR蒲田のホテルが一杯で取れず、初めて泊まる京急蒲田の「オリエンタルエクスプレス蒲田」という僅か数日前にオープンしたばかりのホテル。羽田空港が近いので宿泊客の大半はインバウンドでのアジア系観光客でしたが、こじんまりしたデザイナーズホテルという感じで、調度品やインテリアなど大田区の町工場を意識し、実際に町工場とのコラボで作られたという装飾品など、かなり凝った雰囲気。客室は決して広くはありませんが、JBLのスマートスピーカーまで(奥様によれば、ドライヤーも最新の機種だったとか)置かれたモダン(クール?)で快適な室内でした。
「あとは今晩自分で出来るから、ご飯食べに行こ!お腹が空いた。」
この日の夕食は、引っ越し作業のお礼に次女の“おごり”とのことで、「おかたじけ!」と、蒲田最後の日の夕食は「さて、どこへ行こうか?」と選んだのは“蒲田中華”(「活」は、前夜母娘二人で行った由)。
いつものホテルのすぐ近くだったので何度か行った「歓迎」の蒲田名物の羽根付き餃子は、我々の嗜好にはイマイチ合わず、そこで前回初めて行った「春香園」も所謂蒲田中華御三家の一つ「金春」の息子さんが独立して営む姉妹店なのですが、こちらの餃子の方が我々の好み。しかもレバニラが最高でした。
そこで今回も「春香園」に行くことにしました。
先にホテルにチェックインをするため、歩いて糀谷から京急蒲田のホテル経由で蒲田へ。すると、途中の京急蒲田からのアーケード街に「春香園2号館」を発見。そこでJR蒲田の駅前商店街の本店まで行かずに、こちらで食べることにしました。
2号館は本店よりは小さめでしたが、3階まで客席があるようで、カウンター数席とテーブル2卓程の狭い1階は既に満席で、2階へ行くように指示されました。10卓30席程の2階も既に3卓を残して埋まっていましたので、姉妹店の2号館も人気店の様です。
(羽根付き餃子。一つ取った後の残り4つです)
オーダーは、蒲田名物の羽根付き餃子(5個320円税抜き、以下同)を二つ、小籠包(380円)と海老蒸し餃子(500円)、レバニラ炒め(600円)、セロリとイカの塩味炒め(980円)と五目野菜の肉炒め(600円)、〆に海老チャーハン(750円)を注文。彼らは暖かいジャスミン茶をポットで、私メは当然生ビールで、先ずはこの日の作業のお互いへの慰労とこれまでの感謝に乾杯!
待つこと暫し・・・、しかし飲み物以外何も出て来ず・・・?
(絶品のレバニラ炒め)
2階席のフロアは、連休で人手が足りないのか、中国系の女性スタッフ1名のみ。飲食の注文から配膳・片付けと全て一人で対応していて、この日の客と注文の多さに、どうやら“パニくって”いるようです。
我々や他のテーブルが呼んでも、「待って!」とか「後で!」と右往左往。終いには、隣のテーブルで一人だけが無かったオシボリを頼んだら、あろうことか、ナント近くまで来て投げて寄こしたらしく(私メの背中越しだったので幸い見えませんでしたが・・・)、皆、えっ!?と絶句・・・。
でも暫くして配膳が落ち着き、食べ終わった2卓程の客も居なくなったら、漸く落ち着いたのか、余裕が出来て急に愛想が良くなりました。
「〇〇も、すぐ来るからネ!アトちょっと、待ってネ!」・・・。
そのニコニコと愛想の良い様子が、きっと本来の彼女なのでしょう。思わずこちらも、
「今日はスゴく混んでて、忙しかったですよネ! 一人じゃ大変だもの」
「そうナンダよ~、とっても忙しかったヨ~!遅くなってゴメンねー!」
今となっては、オシボリ投げもご愛敬だったのでしょうか?・・・(な訳ないか?)。
(左り奥の海老チャーハンと五目野菜の肉炒め)
羽根付き餃子の所謂“蒲田中華”御三家である八木三兄弟の「你好」、「歓迎」、「金春」。次女も、その御三家よりもこの「春香園」の餃子は大きくて美味しいとの評価。
前回食べて美味しかったレバニラ炒め(メニュー表記は「ニラレバー炒め」。中国語表記だと「韮菜炒猪肝」だそうですので、語順的には“ニラレバ炒め”の方が正しい様ですが)。柔らかくて、臭みも全く無く、今回も絶品!でした。家内も、娘も、絶賛の嵐です。家庭では絶対に出ない味で、本当に美味しい。これを食べたら、他で頼む気がしなくなります。ましてや家庭では・・・。
「本当に旨いヨなぁ・・・」
溜息すら出てきます。脱帽の旨さ、最高のレバニラでした。
勿論、野菜炒めもセロリとイカの塩味炒めも、野菜がシャッキシャキ。イカも柔らかく、野菜炒めの細切り肉は多分鶏胸だと思いますが、濃い目の味付けで、レバニラとともにご飯が欲しくなります。
ただ小籠包は、味付けは良いのですが、肉汁が少なくちょっと物足りない気がしました。また海老チャーハンは、次女には好評でしたが、個人的にはもう少しパラパラしたタイ米の方が好み、味付けもちょっと塩気が濃過ぎかな。
入店した頃の“パニック”のためか、海老蒸し餃子が食べ終わるまでに間に合わず、もうお腹も一杯でしたのでオーダーをキャンセルしてもらいました。
あぁ、今度はいつ絶品の「春香園」のレバニラ炒めが食べられるのでしょうか?慰労してくれた娘にも感謝しつつ・・・、
「美味しかったです!ごちそうさまでした。」
羽田空港勤務の次女が住まいを引っ越すことになり、5年間お世話になった糀谷のワンルームマンションを引き払うため、引っ越し作業の手伝いに上京しました。しかも契約の関係で、引っ越し日が大混雑が予想された平成から令和への10日連休中の二日目。奥様は洗濯や梱包などの準備作業で早めに連休前から上京したのですが、私メの役割は力仕事のため、連休の混雑を避けるべく早朝5時の高速バスで新宿へ向かいました。
ワンルームとはいえ、そこは独身女性の住まい故の化粧道具や衣類など、嘗ての自分の学生時代の“むつけき”(現代の若者は違うのかもしれませんが、当時の)男の下宿とは全く異なり、かなりの荷物量です。
今年“引っ越し難民”とも揶揄された年度末の3月からの引っ越しシーズンピークも既に過ぎたので、業者からの事前準備や手配も滞り無く実施されたようで、私が到着した時にはかなりの数の段ボール箱に既に詰め込まれていました。それでもやるべき作業はまだまだあり、昼食もそこそこに作業を進め、翌日の搬出への目途が立った夕刻。娘が依頼した不要物や廃棄物の引き取り業者が来訪。
松本であれば、軽トラでリサイクルセンターや焼却場に自分で運ぶのですが、見知らぬ都会ではそうもいかず、すべて業者に料金を払って引き取ってもらうとのこと。事前に数社から見積を取るなど確認はしてあったようですが、容積で料金が決まるとのこと。業者はレザーポインターの様な器具で縦横高さを計測して容積を自動計算していきます。4㎥毎に4万円というのが基本料金の様で、生ゴミや液体以外であればゴミも引き取ってくれるのだとか。
結果は8㎥。トータルでは結構な金額になりましたが、自分で運転して軽トラで運び、更にリサイクルセンターで係員の指示を受けて自分で仕分けすることを思うと、コストを考えなければ楽なことこの上もありません。廃棄料など業者側の実際の収支は分かりませんが、それだけの需要(件数)のある都会であればこそ、成り立つビジネスなのでしょう。
いつもは二台で回るらしいのですが、件数が重なってしまい、この日の担当者は一人だけで作業が大変そうだったので、見るに見かねて私も運搬を手伝ってあげました(特に値引きはありませんでしたが・・・)。
しかし単純な肉体労働でも、それなりに効率化も図られています。傍らで作業を見守りながら、凄いなぁと感心しました。
翌日、朝8時に引っ越し荷物を搬出。業者さんはアート引越センター。うら若き女性がリーダーで、若い男の子がアシスタントの二人組。均等法の世の中とはいえ、重い段ボール箱も女性自身で運び、家具や電化製品もアシスタントと二人で難なく運搬。当方も玄関先まで運ぶのを手伝いましたが、テキパキと手際良く作業終了。しかも、如何にも女性らしい細やかな気配りに大いに感心しました。
引っ越し先での受け取りに先発する次女を送り出した後、我々は何も無くなったワンルームの掃除とゴミ出し。大家さんへの引き渡しが午後一だったため2時間半ほど時間が空いたので、先にホテルへ戻りチェックアウトの後、スーツケースなどの荷物を持って新宿へ向かいます。ナナを預かってもらった妹の所と、いつも野菜を頂く家内の友人のお宅へのお土産を、時間節約で新宿へ行ってデパ地下で購入し、スーツケースとお土産と一緒にコインロッカーに預けて、身軽になって再び糀谷へ戻る予定です。
新宿のデパートで無事お土産の買い物も終了。次にスーツケースと一緒に入れるコインロッカーを探します。
帰りは高速バスですので、バスタ新宿や南口が近くて便利なのですが、生憎大型連休二日目故どこのロッカーも全て使用中。あちこち探しましたが、空いているロッカーはなかなか見当たりません。更に西口まであちこち探したのですが、結局一つも見つかりませんでした。
「えーっ、どうしよう!?」
途方に暮れつつ、買い物をしたデパートのコンシェルジュで荷物を預かってくれる所が無いか、念のために聞いてみました。
すると、その日の買い物をしたレシートがあればデパートのクロークで荷物を預かって貰えるとのこと。しかも、もしデパート会員(年会費が掛かります)であれば、買い物をしなくてもデパートのカードを見せるだけで預かって貰えるのだとか。
そこでクロークに行ってお願いすると、買った商品だけではなく持っていたスーツケースも(我々は会員ではなく、当日そのデパートで買い物をしただけなのですが)預かってくれるとのこと。実際、会員かどうかは分かりませんが、我々よりも大きなスーツケースを預ける人など、次々に荷物を預けるお客さんがクロークに訪れて来ていました。こうしたサービスを知っていると知っていないのでは大違いです。
新宿だけで小田急、京王、伊勢丹、高島屋と、大型のデパートだけでも4店がひしめき合っているので、いくら競争の激しい都会とはいえ、田舎では考えられぬ程便利だと感心しました。翻ってみれば、そこまでして顧客サービスで会員を確保しないといけないのでしょう。大変だなぁと同情しつつ、顧客の立場に立てば、コインロッカーを探さずとも確実に荷物を預かってくれるのですから、安心安全、便利この上もありません。凄いなぁ!と感心することしきり・・・で溜息が出ます。
デジタルサービスにおいては(“デジタルデバイド”という別の格差も指摘されてはいるものの)、どこにいてもネットワーク環境さえあれば田舎であれ同等のサービスが受けられますが、いくら需要と競争の原理とはいえ、こうした物理的なサービスに関しては、都会はどんどん便利になり田舎は不便になるとは言いませんが、そうした物理的なサービスは受けられないという意味で、都会と田舎の“暮らし易さ”面での格差がますます拡がっていくのでしょうか。残念ながら、音楽や美術といった芸術面の文化密度だけでなく、生活面においても、今回は都会と田舎の差をつくづく認識させられた次第です。
上京しての昼食。久し振りの東京だったので、いつもの蒲田の「美登里寿司 活」でお寿司を食べたかったのですが、奥様が、
「せっかくだから、まいもん寿司へ行ってみようヨ!」
と言うので、横浜の「金沢まいもん寿司」センター南店へ行ってみることにしました。
首都圏で人気の「美登里寿司」の回転寿司版である「回し寿司 活 美登里」の対抗馬として、「金沢まいもん寿司」は北海道の「根室花まる」や「トリトン」などと共に所謂ご当地系の高級回転寿司の人気店で、全て行ったことがある次女の評価によると、首都圏エリアでは「まいもん寿司」がトップとのこと。
北海道や北陸の地魚よりも光り物好きの私メとしては、イワシやアジ、コハダやシメサバなど、光り物のネタがどうかが個人的には一番の評価ポイントです。
11時開店で週末の日曜日でしたので、開店時間の20分前には到着したのですが、既に順番待ちの7番目。店頭の端末に順番待ちの登録をすると、画面に順番待ちの状況がリアルタイムに表示されていきます。
店舗はカウンター席やボックス席などかなりの席数で、片や板さんの威勢の良い掛け声が飛び交って如何にも寿司屋らしい活気溢れる「活」とは異なり、「活」よりも高級感があって料亭の様な落ちついた雰囲気です。
そして、回転寿司と言いながら、レーンには寿司皿は一切回っていなくて、ボックス席は都度端末から注文すると、自分のボックスに船着き場の様に引き込み線があり、それぞれのボックスに一皿ずつ運ばれて来るシステム。
ただ注文は、ネタ毎(最初の注文の時。その後は同じであれば記憶される)にサビの有無、光り物だとショウガやネギの要不要、シャリの量(女性や子供はハーフ選択が可能)等々を画面上で選ばなければならず、些か面倒くさい気もしないでもありません。サビの有無ではなく、サビ抜きなどマイノリティーな注文者だけが指定可能な様にオーダーシステムを改良すべきではないかと感じました(嘗て勤務していた会社のグループ子会社のソフトハウスでも、オーダーエントリーシステムを手掛けていただけに余計)。
またネタは、例えば「活」に比べると一回り大きめ(成田の「江戸ッ子寿司」と比べれば半分)ですが、その分?値段も高め。
前回娘と二人で来た時はあったというヒラメがこの日のメニューに無く、残念でした。炙りのエンガワ(脂が良く乗っていましたが、ヒラメではなくカレイ)やホタテ(バター炙りで、家内はバター臭くて好まないとか)はあったのですが、炙りの種類が「活」と比べると少ない気がします。例えばイワシの炙りはありません。一方、大好きな光り物では、この日のアジとコハダは最高でした。アジはプリプリ。コハダは〆具合が優しくて甘味を感じますし、飾り包丁も美しい!それらを食べながら、思わず溜息・・・。
「あぁ、本当に旨いなぁ!」
(甘エビのがんこ盛り) (本マグロ三昧)
家内のオーダーした、こぼれんばかりの甘エビのがんこ盛り(470円。前回は、娘と二人でガスエビを食べたそうですが、然程感動しなかったとか)。ただ、赤身と中トロ、大トロの本マグロ三昧(840円)はコスパ良好な一皿と感激していました。
(烏賊ゲソ) (つまみの玉子焼き:一皿に2個乗っていた内の一つ)
私メは、以前、金沢の近江町市場で食べた生の烏賊ゲソが忘れられず、同じ金沢に期待して頼んだのですが、記憶に残る味には敵わずとも新鮮で柔らかでした。更に珍しく奥様が頼んだ烏賊ゲソ唐揚げも少々脂っぽかったものの、新鮮で柔らかでした。また二人で頼んだつまみの玉子焼きも大きくてふわふわで絶品。
前回松本の「きときと寿司」で富山湾の白エビは食べていましたし、ガスエビも含め特に北陸の地物ネタに食指が動く訳でもないので、ご当地ネタよりも光り物や炙り物のネタの多さで個人的には「活」に軍配でしょうか。でも、この日のアジとコハダは本当に旨かった。今までで一番(光り物に開眼した、成田「江戸ッ子寿司」のアジやイワシの味をもう忘れていますので)の美味しさでした。
(炙りエンガワ) (イワシ)
帰りは車ではないので、ランチではありますが夜同様に生ビール二杯と石川の地酒も頂きました。
全部合わせて18皿で、値段は8,000円弱。家内曰く、「氷見きときと寿司」並みとか。だったら、やっぱり都会では「美登里寿司 活」が個人的には一番!・・・かな?
でも、「まいもん寿司」の評判の良さは十分理解出来ました。回転寿司の中では確かに高級感があって、「活」は少々“せわしない”感じがするので、(精神的にも物理的にも)ゆったりとお寿司を楽しむには「金沢まいもん寿司」の方が最適かもしれません。そう納得して店を出て、松本へ帰るべくバスタ新宿へ向かいました。
「ごちそうさまでした!」