カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
上京での最終日。少し時間が空いたので、久しぶりに美術展に行くことにしました。今回も都内では幾つもの展覧会が開催されていて、例えば根津美術館では所蔵する尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」が展示されていましたが、既に昨年京都での国宝展で見ていたので、今回選んだ先は久し振りの山種美術館。恵比寿からバスに乗って広尾へ向かいます。
この時期の山種では、広尾開館10周年記念の特別展として、『花*Flower*華-四季を彩る-』と題して春夏秋冬の花を題材にした絵画が展示されていました。
“花”と云えば万葉の奈良時代では梅を指したというのが、新元号「令和」で改めてスポットライトが当たっていますが、それが桜になったのは古今集の平安の世。その意味でも、今日的な展示かと勝手に想像していたのですが、梅の絵の解説に「令和」の元となった万葉の序文の引用も無かったので、元号発表とは関係なく事前に予定されていた展示内容で、必ずしも時流に乗った今日的な展示ではなかったようです。
山種美術館が、山種証券の創業者である山崎種二が親交のあった横山大観の「世の中のためになることをやったらどうか」というアドバイスに従い、個人で収集していた日本画を基にして開館した日本初の日本画の専門美術館とはいえ、春夏秋冬の季節の移り変わりに合わせて今回展示された全56点の内、4点を除き全て山種美術館の所蔵というのも凄い。
因みに、所蔵品は“相場の神様”と呼ばれた種二が一代の富に任せて集めた作品ではなく、例えば目玉の速水御舟は、二代目館長・山崎富治氏が、破綻した安宅産業の旧安宅コレクションの速水御舟作品を最大債権者であった住銀の依頼により一括購入したものだそうです。また単なる収集にとどまらずに、自ら東山魁夷らに制作を依頼するなどして新作でのコレクションの充実を図る一方で、更に若手日本画家を応援するために「山種美術館賞」を設け、受賞作品を買い上げ新たな才能の発掘と育成にも努めるなど、こうして収蔵された作品は現在ナント約1800点とか。
そして現在の三代目館長である妙子氏は、父親である二代館長の富治氏から専門知識の無い者には館長は継がせられないと言われ、既に国際金融を学んで慶応の経済学部を卒業していた彼女は、それから一念発起して東京芸大の美術研究科の大学院に入り直し学術博士号を取得したと、以前朝日新聞のBeだったかで読んだ記憶があります。その記事の中で今でも覚えているのは、女史の言われた「日本画の神髄は、何を描くかではなく、何を描かないかなのです」という言葉。そしてその時の私メの頭に浮かんだのは、等伯の国宝「松林図屏風」(東博蔵)。全くの素人ながら、個人的にも正に至言と感じた次第。
そして、毎回一点だけNoフラッシュでの撮影が許される山種で、今回のそれは菱田春草の「白牡丹」。何とも儚げな、しかし堂々とした一輪の淡い白の大輪の牡丹の前に、その後の彼の生涯を暗示させる様で、暫し佇んで考えてしまいます。
また夏のアジサイを描いた、小林古径「萼」(がく)と山口蓬春「梅雨晴」。やはりハイドランジアではなく紫陽花の方に惹かれます。シーボルトがヨーロッパに紹介して拡まったという紫陽花も、彼の愛したお滝さんから命名したのであれば、やはり日本紫陽花なのでしょう。
また山口蓬春の描いた「なでしこ」の解説で、「大和撫子」というのは「唐撫子」との対比で、日本古来のナデシコに付けられたのだという由来の背景を初めて知りました。
また牧進の絵「明かり障子」に描かれた、少しデフォルメされた水仙と雀からは、小林一茶にも似たほのぼのとした優しい眼差しが感じられて、見る側も何だかホッコリしました。
因みに特別展のチラシを飾っているのは、荒木十畝の「四季花鳥」の四幅です。
なお、今回の特別展の後は、生誕125周年記念という『速水御舟展』(6月8日~8月4日)だそうです。安宅コレクションを一括購入した山種は120点を有しており、重要文化財の「炎舞」と「名樹散椿」も今回は3年振りに同時展示されるとか。春草の「白牡丹」と対比をなすかのような「墨牡丹」も含め、是非また見てみたい気がします。
時間が足りなくなり、今回は「Café 椿」で(奥様は)展示に因む和菓子を頂いて余韻を楽しむことは出来ませんでしたが、お腹はともかく、久しぶりの日本画に心が一杯になって山種美術館を後にしました。