カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
上京での最終日。少し時間が空いたので、久しぶりに美術展に行くことにしました。今回も都内では幾つもの展覧会が開催されていて、例えば根津美術館では所蔵する尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」が展示されていましたが、既に昨年京都での国宝展で見ていたので、今回選んだ先は久し振りの山種美術館。恵比寿からバスに乗って広尾へ向かいます。
この時期の山種では、広尾開館10周年記念の特別展として、『花*Flower*華-四季を彩る-』と題して春夏秋冬の花を題材にした絵画が展示されていました。
“花”と云えば万葉の奈良時代では梅を指したというのが、新元号「令和」で改めてスポットライトが当たっていますが、それが桜になったのは古今集の平安の世。その意味でも、今日的な展示かと勝手に想像していたのですが、梅の絵の解説に「令和」の元となった万葉の序文の引用も無かったので、元号発表とは関係なく事前に予定されていた展示内容で、必ずしも時流に乗った今日的な展示ではなかったようです。
山種美術館が、山種証券の創業者である山崎種二が親交のあった横山大観の「世の中のためになることをやったらどうか」というアドバイスに従い、個人で収集していた日本画を基にして開館した日本初の日本画の専門美術館とはいえ、春夏秋冬の季節の移り変わりに合わせて今回展示された全56点の内、4点を除き全て山種美術館の所蔵というのも凄い。
因みに、所蔵品は“相場の神様”と呼ばれた種二が一代の富に任せて集めた作品ではなく、例えば目玉の速水御舟は、二代目館長・山崎富治氏が、破綻した安宅産業の旧安宅コレクションの速水御舟作品を最大債権者であった住銀の依頼により一括購入したものだそうです。また単なる収集にとどまらずに、自ら東山魁夷らに制作を依頼するなどして新作でのコレクションの充実を図る一方で、更に若手日本画家を応援するために「山種美術館賞」を設け、受賞作品を買い上げ新たな才能の発掘と育成にも努めるなど、こうして収蔵された作品は現在ナント約1800点とか。
そして現在の三代目館長である妙子氏は、父親である二代館長の富治氏から専門知識の無い者には館長は継がせられないと言われ、既に国際金融を学んで慶応の経済学部を卒業していた彼女は、それから一念発起して東京芸大の美術研究科の大学院に入り直し学術博士号を取得したと、以前朝日新聞のBeだったかで読んだ記憶があります。その記事の中で今でも覚えているのは、女史の言われた「日本画の神髄は、何を描くかではなく、何を描かないかなのです」という言葉。そしてその時の私メの頭に浮かんだのは、等伯の国宝「松林図屏風」(東博蔵)。全くの素人ながら、個人的にも正に至言と感じた次第。
そして、毎回一点だけNoフラッシュでの撮影が許される山種で、今回のそれは菱田春草の「白牡丹」。何とも儚げな、しかし堂々とした一輪の淡い白の大輪の牡丹の前に、その後の彼の生涯を暗示させる様で、暫し佇んで考えてしまいます。
また夏のアジサイを描いた、小林古径「萼」(がく)と山口蓬春「梅雨晴」。やはりハイドランジアではなく紫陽花の方に惹かれます。シーボルトがヨーロッパに紹介して拡まったという紫陽花も、彼の愛したお滝さんから命名したのであれば、やはり日本紫陽花なのでしょう。
また山口蓬春の描いた「なでしこ」の解説で、「大和撫子」というのは「唐撫子」との対比で、日本古来のナデシコに付けられたのだという由来の背景を初めて知りました。
また牧進の絵「明かり障子」に描かれた、少しデフォルメされた水仙と雀からは、小林一茶にも似たほのぼのとした優しい眼差しが感じられて、見る側も何だかホッコリしました。
因みに特別展のチラシを飾っているのは、荒木十畝の「四季花鳥」の四幅です。
なお、今回の特別展の後は、生誕125周年記念という『速水御舟展』(6月8日~8月4日)だそうです。安宅コレクションを一括購入した山種は120点を有しており、重要文化財の「炎舞」と「名樹散椿」も今回は3年振りに同時展示されるとか。春草の「白牡丹」と対比をなすかのような「墨牡丹」も含め、是非また見てみたい気がします。
時間が足りなくなり、今回は「Café 椿」で(奥様は)展示に因む和菓子を頂いて余韻を楽しむことは出来ませんでしたが、お腹はともかく、久しぶりの日本画に心が一杯になって山種美術館を後にしました。
東京で用事があり、二人で上京しました。
その日の夕刻、出張帰国している長女と食事をすることになっていて、こちらのホテルがいつもの蒲田が取れず大鳥居だったので、当初は六本木での会議が終わった彼女と品川で落ち合う予定だったのですが、結局娘の土地勘のある五反田で、となりました。
この日、我々の昼食の予定が遅い時間だったこともあり、それぞれ好みの一品料理を注文出来る様にと、彼女は蕎麦居酒屋を選んでくれてあったのですが、奥様が昔娘と行って気に入ったというワンタン麺の店に行きたいとのこと。個人的には居酒屋の方が良かったのですが、娘も「そう言われると自分も食べたくなった!」と、結局多数決により、五反田駅東口から徒歩3分程度の「広州市場」五反田本店へ行くことになりました。
オーダーは、娘のお薦めに沿って、家内が看板メニューという広州ワンタン麺(税別740円)の醤油味、娘と私が黒豚ワンタン麺(同850円)のそれぞれ塩味と醤油味をチョイス。
娘のアドバイスで、二人は麺をハーフにして、代わりにホウレンソウのトッピング(料金は同額)にしました。そしてサイドメニューで、ザーサイ豆腐(390円)と焼き餃子を10個のW(560円)で注文。勿論、私メは生ビールです。
餡は勿論、皮も手作りだという看板のワンタン。プルプルもちっとした皮が、決して厚くもなく透けるようで絶妙で、中の具の黒豚の餡も甘くて美味。それを大きめのレンゲに乗せて、自家製というラー油やすりおろしショウガ、刻み玉ネギなどの中からお好みのタレを付けていただきます。そして、醤油味のスープも優しくてイイ味です。麺は細麺でのストレート麺。それぞれ大きなワンタンが10個程度で麺も量も多く結構なボリュームで、更にサイドメニューの餃子等もあったので、結局麺は少し残してしまいました。
本格中華ではないのでメニューは限定されますが、ラーメンとも違いワンタン麺はボリューミーで、他にも點心類などのサイドメニューもあるので、ゆったりと飲める場所ではありませんが、ラーメン屋さんよりも満足感は高いと思います。
また外国人留学生か、バイトさんに紹興酒を追加注文をしたら、後から日本人スタッフが注文内容が間違っていないか確認に来ましたので、接客振りもしっかりしていました(決して外国人スタッフをイジメているような感じではなく、店内の雰囲気は良かったので、念のため)。
「ごちそうさまでした!」
3月末。大切なお客様の昼のおもてなしで、松本の東町にある「ヒカリヤヒガシ」へ家族で伺いました。
「ヒカリヤヒガシ」は、松本で料理旅館として評判の「明神館」が経営する、築120年という商家を使ったレストラン。東西二棟を、「ヒガシ」が“東洋”をイメージしての日本料理で、「ニシ」が“西洋”でフランス料理という二つのレストランで構成されています。
松本だと地元民である我々は別として、例えば(超一流店の揃う)都会から来られたお客様にフレンチや中華という訳にもいかず、また海の近くから来られた方にお魚料理ともいえず、結局「信州ならでは・・・」とお薦め出来るのは蕎麦くらいしかないのですが、蕎麦店では懐石やフレンチの様な正式なコース料理でおもてなしするのは難しく、県外のお客様を招いての会席は場所の設定では頭を悩めすことになります。
本来ですと、美ヶ原温泉にある料理旅館「金宇館」が我が家の定番。若き三代目?のご主人の料理も勿論、女将さんや若女将の品の良い気配りされた接客振りも素晴らしいので、これまでも亡き父の法事の会席や大切なお客様との宴席を安心してお願いしていたのですが、生憎現在休業しての改築中で、再開は一年後の由。他に市内で料理が評判の別の旅館に伺うと、宿泊客で込み合う週末での会食は不可とのこと。
松本市内では、一応「ヒカリヤ」はグルメツアーなどのコースに入る様な評判レストランですので、懐石料理の“評判”で選べるのは結局「ヒカリヤ」くらいしかありませんでした。
なぜこんなに、ある意味“偉そうに”勿体ぶっているかというと、7年前だったか、「ヒカリヤ」がオープンして間も無く、その評判を聞いて、会社の会食で伺ったことがあったのですが、一人一万円(半額は自己負担ですので念のため)のコースを選択したので使われている素材の良さは分かるのですが、本体の女将になるための修行中という女性がアテンドしてくれた接客も、味付けや調理、盛り付けといったコース料理の内容も、どれも今一つで満足出来ませんでした。
当時のボスと二人で、(個室が無いので会食接待に使うのは難しいのですが)「これなら、バサラの半額のコースの方が余程満足度が高い」と後でお互いの意見が一致したこともあり、以降、会社でも個人でも一度も使ったことはありませんでした。
伺ったのが3月末でしたので、土間を抜けた入り口には投げ入れの桜と一緒に旧暦に合わせて段飾りのお雛様が飾られていて、春先の信州らしい風情。案内された個室はテーブルと椅子席で、お願いしたコースは夜の会席コースと同内容で、先付けに始まる全9品とデザートで一人一万円。飯ものを信州らしく蕎麦に変更してもらってあります。乾杯用に梅酒か梅ジュースが付くのですが、何故か個人毎の指定が出来ず、全員同一で事前に選択とのことで、女性は飲めない(勿論運転手も)ので止む無く結局ジュースにしましたが、個人ごとに対応するのがそんなに難しいことなのでしょうか・・・?
(酢の物:蛤、ホタル烏賊、春菜の酢味噌掛)
肝心のコース料理は、食材に山菜や、松本一本ネギ、信州サーモン、信州牛といった信州らしい素材も多く使われ、また調理も盛り付けも工夫されていて、以前の印象より遥かに改善されていました。「これなら!」と納得の内容でした。ただ十割という信州蕎麦は蕎麦の香りが無く、専門店ではないので止むを得ないにしても、県外のお客様をもてなすにはちょっと残念でした。
(甘味:道明寺 桜仕立)
ただ、満車だった駐車場が示す通り、ニシとヒガシでフレンチと和食の二つのレストランを持つ市内でも指折りの人気店ですので、客数も多くて止むを得ないのかもしれませんが、改善された料理に比べて、接客はある意味マニュアル通り。家族経営の「金宇館」の様な、臨機応変さやきめ細やかな気配りは欠けるような気がしましたが、松本で大事な会食に使う場所としては総じて合格点だったと思います。
少し前のことですが、3月末に重要な来客を迎えるために、奥様が用意した玄関脇の鉢植え。
鉢植えの蘭(シンドロビウム)や雑木林ガーデン樹下のクリスマスローズは満開時期を迎え、来客に間に合っていたのですが、日当たりの悪い玄関先の鉢の寄せ植えは殆どの花が枯れてみすぼらしい様相を呈していたからです。
そこで、いつもは庭定期的に庭の入れをお願いしているナカツタヤさんから、専門家のアドバイスをいただきながら色々な花のポット苗を購入してきて自分で植え替えをしている奥様なのですが、今回は“重要来客”のために、ナカツタヤのプロに創ってもらうことにしたもの。
そこで、私メが軽トラの二台に4鉢を載せて持ち込み、養生期間も入れて、一週間後に受け取りに来ることにしました。
後日、家内の生け花の先生も来られた際に激賞して、ご自身がガーデニング好きなこともあって、参考にと写真を撮って行かれました。
尤も、掛かった費用も、家内が事前に「大切なお客様をもてなす為」と念押ししていたこともあって、ナカツタヤも“力”が入ったのでしょう、想定していた予算の倍近かったのもご愛敬。というのも、コスパ的にも「これなら当然」と納得できるコストと完成度でした。
母のデイサービスの送迎スタッフは勿論、後日来訪した叔母も、また帰省してきた娘も、「今年の寄せ植えは凄いネ!」と感心していました。
目的だけでなく、他の何人もの目を楽しませてくれた、“さすがはプロ”制作の寄せ植えでした。
奥様が丹精込めて世話をしているクリスマスローズも、零れ種で随分と増え、大小60株程にもなりました。いつもは桜が散って、ハナミズキが咲くまでの間を繋ぐように、我々の目を楽しませてくれるのですが、今年は少し遅れた桜と共演ならぬ“競演”するかのように、今が盛りと咲いています。
(掲載の写真は、寄せ植えとクリスマスローズが3月27日と4月18日。松本の桜は、それぞれ満開を迎えた、3月17日の美ヶ原を望む薄川の両岸と3月18日の街中の千歳橋近くからの女鳥羽川の桜です)
コンビニや大手飲食チェーンなどで相次いだ、所謂“バカッター”と呼ばれるバイト社員によるネット上への不適切動画の投稿。
その結果、そのチェーン店では謝罪に追い込まれて売り上げも激減し、会社側が当該バイト社員を懲戒解雇しただけでなく、損害賠償請求などの法的措置を講じるという、単なる“悪ふざけ”では済まされない、所謂「バイトテロ」と呼ばれる社会的騒動に発展するケースまで最近では発生しています。
こうした反社会的行動を批判して、「最近の日本の若者の道徳観念も地に落ちた」などという論評も目にします。しかし程度の差こそあれ、果たしてこの“最近の若者”による「バイトテロ」や“バカッター”にだけにモラル低下は限定されることなのでしょうか?
江戸時代の長い鎖国時代を経て、門戸を開放した江戸末期以降の日本へ来た欧米からの外国の人々は一様に、それまで未知だったその国の人々の様子や行動に大層驚いたと云います。それは、道端まで掃かれたようにゴミ一つ無く、田畑はまるで庭園の様に美しく手入れがされていた村々に驚き、また「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。彼らは貧しい、しかし高貴である」とまで礼賛した、この国の人々が持っていたモラルの高さと勤勉さ。
例えば、開国後の初代米国駐日領事タウンゼント・ハリス曰く、
「(下田の)柿崎は小さくて、貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりとして、態度も丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏に何時も附き物になっている不潔さというものが、少しも見られない」
また、幕末長崎で活躍したオランダ商人トーマス・グラバーは、
「幕末に長州、薩摩、肥後、肥前、宇和島の各藩とは何十万、何百万両の取引をしたが、賄賂は一銭も使わなかった。これは、賄賂をふところに入れるような武士は一、二の例外を除いて一人もおらず、みな高潔かつ清廉であったためで、賄賂をしたくともできなかった。このことはぜひ特筆大書して後世に伝えていただきたい」
明治時代にも、日本アルプスの名付け親である英国人登山家ウォルター・ウェストン曰く、
「教育のない日本の田舎人ほどの、真の意味の紳士を日本の内外で、私は見たことがない」
そして時代は移っても、7年程前に外国人記者クラブの会報に掲載されたという記事によれば、
『ある外国人記者が有楽町のいつもの店で食事をした。勘定をして出ようとしたところ、店員から1枚の紙を渡された。「××さん、先日おいでになったとき、お釣りの十円玉がテーブルに置き忘れてありました」。そう書いて、十円玉がセロテープで紙に貼ってあった。その外国人記者は、「世界のどこにお釣りの十円が戻ってくる国があるだろうか」と書いて、その短い記事を結んでいた。』
ところが、そんな日本である筈なのに、最近では我が家の周辺でも、道端にタバコの吸い殻は勿論、マックやコンビニで買った食べ歩きでのゴミが落ちているばかりではなく、時には大きなレジ袋にパンパンに詰まった家庭ゴミが捨てられていたり、またどう考えても歩きながらではなく走行する車から投げ捨てられたとしか思えないビールやサワー類などのアルコール飲料のアルミ缶が落ちていたりと、嘗ての高貴さの欠片も感じられぬ様なモラルの低い行動が目に付くのです。街中ではなく郊外の我が家周辺での出来事ですので、京都に代表される様な“観光公害”としてのインバウンドの観光客ではなく、普通に通学や通勤で通行する“日本人”の仕業である筈です。
以前、道端に時々投げ捨てられていた家庭ゴミに耐えかねて市役所に相談したところ、係の方がゴミを調べて住所の書かれたDMの封筒を見つけ、その“犯人”に、「今後もし繰り返すようだと、不法投棄として告発する」旨の警告をしてくれたと後日報告がありました。
それはそれで有難かったのですが、「不法投棄」だと頭では絶対に分かっている筈なのに、そこまでしないと悔い?改めないというのが、本当に情けない気がしました。
以前、市内蟻ヶ崎の或る町会で、公民館長になった女性の方が、「公民館は町会の居間で、町内の道路は町会の廊下」と積極的にPRに努めた結果、住民の皆さんが進んで道路のゴミ拾いや清掃をするようになり、実際に松本駅への朝の通勤途上で、当たり前の様にそうした光景を何度も目にしたことがありました。
上述の江戸時代や明治まで時代を遡らずとも、つい最近までそうした行為や行動が当たり前のように行われていた、或いは今でも行われている場所がおそらくまだこの国には各地にある筈です。
極端な“バカッター”まで至らずとも、極々普通の人が他人が見ていないからゴミを捨てるという、つい最近まではこの国、民族の共通認識=常識であった筈の“反社会的行為”をしない、させないためにはどうすれば良いのか・・・?
家庭の躾か学校教育か、一体何をどうすれば良いのか分かりませんが、例え我が家の可燃ゴミを収集所まで持って行く僅か数十メートルの間だけであっても、とにかく我が家周辺の道端に捨てられているゴミを一つずつ拾って、我が家のゴミ袋の中に入れて一緒に捨てるようにしています。
そんなことではこの世の中何も変わらないかも知れませんし、例えゴミを拾う都度小さく溜息が出ても、せめて・・・。
「毎年でなく、二三年に一度で良い」と云われる、春の芝焼き。
我が家の50㎡程のl字型の芝生ガーデン。前回の芝焼きを三年前に実施したので、今年久し振りに実施をすることにしました。
害虫の卵や雑草の種子を焼却し、また芝刈りで出るサッチと呼ばれる刈りカスを焼き払うのが芝焼きの目的ですが、特にサッチはそのままにしておくと、蒸れて通気性が悪くなって芝生の病気の原因にもなりますので、定期的に燃やした方が良いと云われています。
今年は乾燥気味で、新聞のローカルニュースによれば、3月に入って田の畔や畑などの野焼きによる火災が結構頻発しています。そこで、風の無い日に且つホースでいつでも水を撒ける様に準備をし、一度に燃え拡がらぬ様に、タイルで囲って焼く範囲を限定しながら、少しずつ焼いていきました。
一度ではサッチが燃えないので、金属製の熊手で掻き出しながら二度焼きをし、火が消えたのを確認した上で、更に水を撒いて完全に火の気を消していきます。
始める前にお隣にはお断りをした上で、2時間程で昼前には終了。暖かな日だったので、その間、ナナもベランダで“日向ぼっこ”をしながら作業を見守ってくれました。
奈良の若草山ではありませんが、芝焼きも春の風物詩でしょうか。
当初は4月の3日が開花予想だった松本城の桜。その後の寒の戻りで、5日に延び、さらに遅れて6日も開花宣言は出ませんでした。
翌4月7日、恒例の「食蔵バサラ」での例会出席のため、夕刻奥様に送ってもらい、松本城で降りてお堀の桜の様子を見がてら歩いて行きました。
翌日の新聞報道によれば、7日の開花は昨年よりも一週間遅いのだとか。最低気温の低い日が続きそうですから、今年の松本の桜は例年よりも少し長めに楽しめるかも知れません。
因みに市内の桜の名所としては、松本城に300本。古くからの憩いの場である城山公園はソメイヨシノが500本、そして“白線流し”の薄川の両岸に同じく360本。また弘法山は全山4000本、そして高台のアルプス公園に1300本。郊外に行かずとも、市の中心地だけでも幾つもの桜の名所があり、また標高差もあるので、松本に居ながらにして一週間程の時差で桜を楽しむことができます。
松本城で桜が開花したこの日。お城からバサラに向かう途中、大名町の大手の市営駐車場だった場所が、松本城公園の市立博物館の移設予定地になったため、すっかり建物が取り壊されて更地になっていました。街中の中心部に珍しい広場の暫しの出現です。
“花より団子”の例えもありますが、今回の「食蔵バサラ」のコース。珍しくポテサラと牛筋煮込みのお通しという、我々呑兵衛にとっては堪らない居酒屋メニューで開始され、今回も“春”を味わいながら美味しく頂きました。
先日、奥様が娘のところに上京した際に、いつもの「美登里寿司 活」ではなく、娘のお薦めで「金沢まいもん寿司」に二人で行ったのだとか。
「まいもん寿司」や「活」は、首都圏で人気の所謂高級回転寿司。同様の「根室花まる」へは札幌で行ったのですが、特に地元北海道産のネタをあまり食べなかったせいか、我々の評価は「活」の方が上でした。
今回、二人はいつもとと同じようなネタを食べたそうで、その日のネタや個人の好みにも因るのかもしれませんが、家内曰く「活」の方が良いとのこと。値段も「まいもん寿司」は「活」の倍以上だったとか。
「ふ~ん、サイですか・・・」
と気乗りしない(実際・・・)私メの返答に、
「・・・じゃあ、お寿司でも食べに行く?」
「行く、行っくー!」(と間髪入れず)
松本で食べログ的に一番人気のF寿司にも行ってみましたが、感動せず(自家製の卵は美味しかったのですが)。全国チェーンの回転寿司も幾つか試しても、安かろうで値段には感心しても結局はそれなり。イオンモール松本にも“一番近い日本海”を謳い文句に新潟が本拠という寿司店が開店して期待したのですが、やはりセットメニュー中心で握りネタの種類が少なく、ナント光り物は〆サバだけ・・・「あり得ない!」(本場の信州で蕎麦をメニューに加えるくらいだったら、むしろネタの種類を増やすべきでは!?)と入店する気も起らず。
そのため、暫くは上京した時に行く「美登里寿司 活」が唯一の楽しみになっていました。
しかしどうしてもお寿司を食べたくなって、上田の事業所に通っていた時にメンバーから回転寿司の「氷見きときと寿司」を薦められたのを思い出したので松本にも店舗があることから行ってみたのですが、光り物の鮮度も良くて炙りモノもちゃんとあったので感激し、以降松本では「氷見きときと寿司」へ行くようになりました。
我々にとって曜日は関係ないので週末ではなく平日とかに行くと、時間が早いこともあるのか、お客さんが我々ともう一組だけというような日もあったので、もし「きときと寿司」が松本から撤退するようなことになったらどうしようと些か心配していました。
今回は、たまたま週末の夕刻。食料品の買い出しの後行ってみると、まだ6時前だったのですが、既に家族連れで大賑わい。テーブル席は満席で小上がりしか空いていませんでした。
いつものようにイワシが旨!と3皿も食べてしまいました。この日のヒラメは柔らかめでガッカリした奥様。珍しく頼んだカワハギがコリコリして美味しかったとか。一方コハダはシンコとまでは言いませんが小振りで、アジもイマイチでしたが〆サバは美味でした。また富山らしく、白エビの天ぷらも美味しかったです。この日も二人で20皿は食べたでしょうか。
(写真は、イワシ、アジ、〆サバの光り物三種でこの日の光り物を見極め、この日はイマイチだったヒラメとイワシ、そして三皿目のイワシ、脂が乗って美味でした)
「お酒が高いんだよねぇ~・・・」
と、ブツブツ言いながら支払いを済ませた奥様。
ネタの鮮度は回転率に依りますので都会の「活」には敵わないにしても、「きときと寿司」も富山湾に面した氷見の本店に行けば、正に“きときと”な筈。ただ、我々はいつもと同じようなネタと量を食べたのですが、コスパ的にもきときと寿司」は「活」の1.5倍で「活」の方がむしろ安いのだとか。ナルホドなぁ・・・。それも回転効率なのでしょうか・・。
我々が食べ終わって帰る頃には順番待ちの方々が何組もおられたので、これなら撤退はせずに松本店は大丈夫かと一安心。
ネタの鮮度とコスパ的満足感は「活」の方が上でも、山国信州でこれだけ食べられたら個人的には納得、満足、そして満腹の「氷見きときと寿司」。
「ご馳走さまでした!」
3月の松本市の広報の特集は「松本走り」。
以前日経新聞の全国版でも取り上げられたこともあり、本ブログでもご紹介(第359話)したのですが、その際は「松本ルール」とも呼ばれていました。
この“悪名高き”「松本走り」或いは「松本ルール」で典型的なのは、交差点での強引な右折での割り込み。多分、このタイミングで市の広報に特集した意図は、3月の異動シーズンに県外から松本に引っ越してこられる方々を驚かせないようにという注意喚起でしょうか。
交差点で左折車に合わせて(交互に)右折するというのが「松本ルール」であり、最近云うところの「松本走り」です。1車線の交差点で先頭に右折車がいると、後続の車が1台も直進出来ずに渋滞するというケースも多く見られます。従って、そういうケースを避けるべく(ある意味、直進する後続車に迷惑を掛けぬよう、必然的に)狭い道の多い城下町の松本で生まれた苦肉の策としての、庶民の知恵であったのだろうと思います。
しかし道路行政が改善され、二車線になってちゃんと右折車線が確保され、時差式信号或いは右折信号が出される様な交差点であっても、依然としてその右折車の割り込みが相変わらずに行われている・・・というのが「松本ルール(走り)」の実態です。
それと個人的に気になるのは、松本ナンバーだけではないかもしれませんが、右左折時のウィンカーを直前まで出さない車の多いこと。プロドライバーであるタクシーまでも同様なのですから呆れます。まさかライトの寿命が減るとでも考えているのでしょうか?今日日そんな車はないでしょうに・・・。
従って、個人的にある意味意地で、もうずっと前から交差点での右左折時で停車すると、必ずすぐにウィンカーを出すようにしています。
そこで気が付いたのは、対向車線も後続車も、先頭でウィンカーを出していると、それが他の車にも(全てではありませんが)伝染していくことです。そして、一台の効果などたかが知れているので私メの努力の結果などでは無いにせよ、最近ではウィンカーを早めに出す車が以前に比べて何となく増えてきたように感じています。
また、最近発表された、全国の各都道府県別の信号機の無い横断歩道での停車率。JAFによれば、その調査方法等は、
『各都道府県2箇所ずつ(全国合計94箇所)の信号機が設置されていない横断歩道
※センターラインのある片側1車線道路で、原則(箇所により例外あり)として、調査場所の前後5m以内に十字路及び丁字路交差点がない箇所で、道路幅員が片側2.75m~3.5m、交通量が3~8台/分(目安)とし、制限速度が40~60km/h程度の箇所
※詳細の調査場所は非公表
横断歩行者はJAF職員(横断歩道の立ち位置や横断しようとするタイミングを統一)で調査回数は1箇所50回の横断(合計100回の横断)』
とのこと。その結果、停車率の全国平均は8.6%ですが、長野県は58.6%とダントツの1位。2位が静岡県の39.1%と40%を切って、20%以上の差。一方、最低は栃木の0.9%。で、ブービーは広島の1.0%。
確かに、自身も横断歩道に人がいれば停まるように気にかけていますし、例えば、松本の街中の本町の陶器店「知新堂」前の横断歩道は信号が無いので、急いでいる時はそこで道路を横断するのですが、確かに殆どの車が停まってくれます。一方、諏訪に電車で通勤していた時、湯の脇近くの国道20号線の信号機の無い横断歩道に立っていても(朝の通勤時で皆急いでいるとしても)、停車してくれるのは殆ど毎回の様にタクシーや大型トラックなどのプロのドライバーだけだった記憶がありますので、長野県内でも多少の差はあるかもしれませんし、本調査地点が “悪名高き” 「松本ルール」の松本市内ではない可能性も勿論あります。
こうした“悪名高き”「松本ルール/松本走り」と(松本ではないかもしれませんが)横断歩道での停車率の“高さ”。
車の運転マナーとしては相反する結果がどうして生まれるのか・・・ある意味興味深い謎でもあります。