カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
三日目、京都での最終日。
午前中打ち合わせがあるという娘とはホテルで別れ、我々は京都駅へ。駅で荷物を預けてから、既にお土産は買ってあるので、最後に京都での半日観光です。時間節約も踏まえて、駅から至便という意味では、もう西本願寺も東寺も以前拝観済み。そこで駅からの移動し易さから選んだのは、宇治の平等院。
以前、娘が米国で日本文化を紹介するために一週間程のショートコースでの茶道研修を宇治の老舗のお茶屋さんで受けた際に、彼女も修学旅行以来でしょうが、平成の大改修後の平等院を訪ねてとても良かったと言っていたのを思い出した次第。我々も平等院は修学旅行以来ですので、殆ど50年振りです。
『平安の人々が終末思想として危機感を募らせた「末法(まっぽう)」が1052年に到来し、その死後への不安から浄土信仰にすがって極楽往生を願い、その翌年に時の関白藤原頼道に依ってこの世に極楽浄土を出現させるべく阿弥陀堂として建立されたのが、この平等院鳳凰堂である。』
・・・ということになります。
平成の大改修を終えて創建時の姿に蘇ったという鳳凰堂の外観は、色褪せた朱ではなく、より“渋さ”の際立つ茶系統の朱色に塗り直されて、変な日本語表現ではありますが、“品のある鮮やかな落ち着き”を湛えているようにさえ感じられます。もし創建時も、阿御堂内部の様な赤や青の極彩色でなく、この色であったとすると、末法思想が背景にあったにせよ、創建当時から結果として日本的な美意識に包まれた御堂だったと知りとても感動しました。
せっかくでしたので、追加料金(300円)を払って鳳凰堂内部への拝観ツァーに参加。15分足らずではありましたが、鳳凰堂内部に入って、見上げる様にご本尊の国宝阿弥陀如来坐像を間近に拝みながら、同じく国宝の天蓋や壁面で様々な楽器を奏でて阿弥陀さまを讃える52体の国宝雲中供養菩薩を間近に眺めることが出来ました。
御堂から出て、池越しに有名な丸く明けられた窓の中からの阿弥陀さまのお顔を拝んでから、宝物館である鳳飛館に向かいました。平成の大修理に合わせて新たに建築されたこのミュージアムは、丘陵地を利用して地下室的に作られていて、その見事な設計に感心しつつ、安置されている国宝の梵鐘、国宝の鳳凰、」同じく国宝の雲中供養菩薩26体を間近に鑑賞することが出来ます。また建当時の鳳凰堂内部の色鮮やかな彩色を再現した部屋なども見学することが出来、記憶はおぼろげながら、50年近く前の修学旅行当時より遥かに見応えがありました。
10円硬貨に描かれた鳳凰堂や一万円札の裏の鳳凰など、我々日本人にとって大変馴染のある平等院鳳凰堂。
現世での極楽浄土を末法思想に慄く平安の人々に見せた鳳凰堂ですが、拝観後不思議な程に、ストレス溢れる現代に暮らす我々の心にも平穏と安寧をもたらせてくれた様に感じました。
宇治平等院鳳凰堂、半生記振りに訪ねて本当に良かったと思います。