カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
澪が医師源斉と所帯を持ち、晴れて身請けされた野江と共に、つる家の面々に見送られて江戸から故郷の大阪へ向かった第10巻「天の梯」を以って、「みをつくし料理帖」が完結してから早4年。
高田郁女史の著作の中心は、現在第5巻まで刊行された「あきない世傳 金と銀」とばかり思っていました。
ところが、女史の作家生活10周年を記念と銘打って、ナント「みをつくし料理帖 特別巻 花だより」が刊行されたのです。ナンのPR(新聞の新刊案内など)も無く全く知らずにいましたが、先日書店で見掛けて迷うことなく購入し、これまたあっという間に読破してしまいましたので、今回も何度か読み返しながら、久し振りの“みをつくし”の雰囲気をしみじみと、そしてまたじっくりと味わいつつ読了しました。
“花だより”と名付けられた通り、その後4年間の澪や野江、“小松原”さま、そしてつる家の面々の様子が記されていて、正に何よりの愛読者への嬉しい“便り”でした。
それにしても、それぞれの息子の嫁の人柄を理解し、信じ、言葉少なに亡き後も或いは遥か遠方からも支え続ける義母二人。小野寺乙緒の亡き義母里津と永田源斉の母かず枝のそれぞれの想いが深く、強く、そして実に優しい。その母二人が教えた「蕨餅」と「江戸味噌」。そして同様に、震災孤児となって吉原に売られて来た野江に前を向かせた又治とそれを再現する辰蔵の「から汁」も・・・。どれも涙無くしては読めません(くくっ・・・)
ところで、NHKのドラマは一体どうなったんだろう?黒木華の演じた澪がイメージ的にピッタリだっただけに、途中で終わったままで続編は無いのかなぁ?
我々同様に居ても立ってもいられずに、実の娘の様な澪に会いに行こうとするつる家の店主種市の「花だより」。
澪の想い人だった“小松原さま”こと御膳奉行の小野寺数馬の日常を知らせる「涼風あり」。
淡路屋を再興した野江の近況と幸せを描いた「秋燕」。
そして最後に、夫源斉と共に、大阪を襲った疫病“ころりの、コレラの苦難を越えて、又一つ成長して行く澪を描いた「月の船を漕ぐ」。
これまでの10巻までと、今回の4編も見事に繋がっています。
「花だより」でせっかく皆に見送られ、皆から託された澪へのお土産を携えて東海道を大阪へ向かった種市が、難所の箱根を越えたところで腰を痛めて大阪行きを諦めてしまう件(くだり)は、
「えっ、一体どうなっちゃう訳!?」
と、それが最後の最後に、
「おーい、おーい、お澪坊よぅ、俺だよぅ!」
ナルホド、そういうことでしたか。イヤ、参りました・・・m(_)m
ただ一つ気になるのは、最終巻だった第10巻「天の梯」の巻末にさり気無く付けられていた二つ折りの「東西料理番付」。
東が「つる家」、そして西は「みをつくし」がそれぞれ最高位の大関に位置付けられていたのですが、その発行日の日付は文政十一年だったんです。そして、今回の特別編の日付は文政六年とありました。
「・・・てことはですヨ、この特別編から五年後に発行される番付なんですね。だったら、それに至る経緯も書いて欲しい、イヤ書くべきなのでは?・・・」
と、読者としては思わざるを得ません。勧進元も「一柳改メ天満一兆庵」となっていますし、それに至る佐兵衛の精進とそれを陰日向に支えたであろう“ご寮さん”芳のあの凛とした佇まいも知りたいところ。
しかも、良く見れば「みをつくし」の大関位の献立は、今回の疫病対応に奔走し精魂尽き果てた源斉を何とか助けようと、幼馴染野江の励ましをヒントに、嘗て源斉に教えられた「食は、人の天なり」の原点に戻って母かず枝に聞いて初めて作った江戸味噌から発展昇華させたであろう「病知らず」であり、特別編の最終編「月の船を漕ぐ」で取上げられる献立も気が付けばちゃんと「病知らず」となっていました。しかも、番付に記載されている店の場所もさり気無く四ツ橋となっているではありませんか・・・。
そうか、4年前から既に張られていた伏線だったのか・・・うーん、やられたなぁ・・・。女史、お見事です!
どれ、久し振りに「みをつくし」をまた全巻読んでみようかな・・・。
【追記】
作家になる前は漫画原作者だったという高田郁女史。
特別巻「花だより」の“帯”に描かれた「みをつくし」の登場人物の面々は、ご本人の描かれたイラストとか。これまた、さすが!・・・でありました。