カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
良く電車や飛行機で泣き叫んでいる赤ちゃんに、怒った乗客が母親を怒鳴りつけたというような記事を目にします。泣き出すと手がつけられなくなるのは未だ分別の無い赤ちゃんなら止むを得ないところ。世話をする母親も居たたまれないでしょうから、そこは周囲が理解して見守ってあげるしかないと思います。特に飛行機は気圧の問題でか弱い赤ちゃんには厳しい環境ですし、また車両や機内では逃げ場が無いのですから・・・。
しかし、そうした場面とは異なり、
「それって、親の躾としておかしくない!?」
と思える場面も決して少なくありません。
例えば、良くあるのは電車内などで大声で騒ぐ子供をほったらかしにして周囲の迷惑など顧みず、全く注意しない親。もしそこで静かにするように注意すると、ナントうるさくて理解の無い狭量な人間だとばかり睨みつけられるがオチ。
先日もこんなことがありました。
家内をつれて医院に行った際のこと。スリッパを出して玄関から上がろうとした時に、小さな男の子が靴を履こうとしていて前を塞いでいたのでじっと待っていました。若いお母さんが「ゆっくりでイイからね」と男の子に声を掛けています。手助けをせずに、自分で靴を履かせようとするのは良いと思います。でもそのために、お爺ちゃんでも身内でもない、全くの赤の他人が上がれずに待っているのです。
街中でも歩いていて道を譲れば「あっ、スイマセン」と若い子であってもお礼を言ってくれます。中には申し訳ないと小走りで行く人もいて、それが自分より年配であれば「ゆっくり、慌てなくてイイですよ!」と逆に声を掛けます。それが普通。それが礼儀、エチケットだと思います。
子供が靴を履き終わると、その若い母親は「スイマセン」の一言も無く、何も言わずに出て行ってしまいました。
「えっ?オイ、違うだろ!」
と思わざるを得ませんでした。それでは、自分一人で靴を履かせることは出来ても、他人に感謝する気持ち、申し訳ないと思う気持ちを親としては教えられなかったのではないでしょうか?
続いて、家内の診察中での待合室。
小学校低学年の男の子を連れたお父さん。晩婚か、40歳近くとお見受けしました。会社であれば、管理職として部下を指導するであろう年齢です。
名前を呼ばれて、診察室へ行く親子。おそらく、治療で注射を打つことになったのでしょう。嫌がる男の子。
「ねぇ、これが最後?これっきり?」
「えっ、もう一回来ないといけないの?ヤダー!絶対ヤダー!」
と、注射を打つ前から叫ぶ声が院内に響きます。
先生が注射器を取りだして準備をしているのか、ギャー!、もうヤダー!というような叫び声。先生が見かねて、 「まだ、注射してないからね!」
その後も、泣き叫ぶ声とそれをなだめる先生の声のやり取りが延々と続きました。
しかし、不思議な事に父親の声が全くしないのです。治療の邪魔になると思っているのでしょうか?でも普通なら、あまりの“おんじょっこき”(松本地方の方言で泣き言を言うこと、言う様)に親として窘めるところ。ましてや男の子です。父親です。情けない自分の子供を何かしら諫めてもイイだろうに・・・と思いましたが、私メが古いのか、今の世の中は違うのだろうか?・・・。
「おいおい、男の子だろ!」
それとも、今時の男の子はひ弱になっているのか?・・・。
何となく、昔シンガポールの日系デパートで見た、中国系の若い男女の店員同士のイイ争いで、最後に女性店員の平手打ちで泣き出した男性店員を何故かお思い出してしまいました。
しかし想うに、社会の許容性と自分勝手な我がままは違うのではないか?公共の場での我慢と傍若無人とは違うのではないか?
保育園や学校で先生が教えるのではなく、小さい内から、そうしたことを家庭で親がチャンと教えないといけないのではないか?
そう考える私メが古いのか、今の世の中は違うのか?・・・。
昔は、もしその場に親がいなくても、近所のオジサンやオバサンが我が子同様に叱ってくれたものです。社会全体で、街中で、皆が社会常識を教えるという意味での“子育て”をしていた様に思います。
こう考えるのは、単に自分がただの“口ウルサイ頑固ジジイ”になって来ただけなのか?。
「フ~っ・・・」
何だか溜息しか出て来ませんでした。