カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 王ヶ鼻から王ヶ頭へは、車も通れる広い道やハイキングコースもあるのですが、環境レンジャーの方のお薦めに従って往路と同じくアルプス展望コースを戻ります。教えられた王ヶ頭の真下から20m程の急坂を登ると、両側には鹿害から守る電気柵に囲まれたお花畑が拡がり、ちょうどマツムシソウが見頃を迎えていました。

 そして王ヶ頭に到着。2034mの山頂で、幾つかピークがある美ヶ原の最高地点です。
天気が良ければ御嶽山が良く見えるので、江戸時代に盛んだったという御嶽教の山岳信仰の山として御嶽神社が祀られ、王ヶ頭の頂上碑と隣り合う様に幾つかの石塔や石仏が建てられていました。
ここには宇宙基地の様に幾つもの県内放送局のTV塔が建てられていて、横には標高2000mの“雲上のホテル“「王ヶ頭ホテル」が建っています。このホテルは、雪に覆われる冬期間も含め通年営業しており、松本駅からホテルの4WDのマイクロバスでの送迎があるため、雲海やご来光、星空観察だけではなく、冬のスノーシュー・ツアーも人気だとか。
しかし目の前に建つ近代的なホテルの出現に、場違いな登山気分は一気に吹き飛ばされて、ホテル周辺は観光ムード一色・・・。すぐ近くにある高原美術館や山本小屋までビーナスラインを通って自家用車でアクセス可能ですので、そこからハイキング気分でここまで歩けば、老若男女、誰でも気軽に来ることが出来ます。
また、ホテルの宿泊客以外も、麺類やカレーなどのランチを食べることが出来ますし、外には無料のベンチも幾つか設けられており、持参したお弁当を食べている小さなお子さんの家族連れや若いカップルのハイカーなど、たくさんの観光客の皆さんがおられました(但し、個人的には絶景の王ヶ鼻での昼食の方が断然お薦め!)。なお、ホテルのトイレは無料ではなく、日帰り客は環境協力金(寄付金)が必要です。
 王ヶ頭からは柵で囲まれた牧場の中を歩いて、初夏から秋まで麓から来て放牧されている牛を見ながら、シンボルである「美しの塔」から「塩くれ場」を経て、「百曲り園地」からまた百曲りを三城へ下ります。
思い思いに草を食んでいる牛を見ながら、平らな台地を人間もノンビリと歩いています。それにしても2000mの天空に拡がる溶岩台地に、尾崎喜八『高原詩抄』第47編(昭和17年刊行)「美ガ原溶岩台地」に正に同感。

   『 登りついて不意にひらけた眼前の風景に
     しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。
     やがて一歩を踏みこんで岩にまたがりながら、
     この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
     無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
     この風景の情緒はただ身にしみるように本源的で、
     尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
     秋の雲の砲煙がどんどん上げて、
     空は青と白との眼もさめるだんだら。
     物見石の準平原から和田峠の方へ
     一羽の鷲が流れ矢のように落ちて行った。  』

 そして、この詩のレリーフが、正に美ヶ原を代表する文章として「美しの塔」に嵌め込まれています。
美ヶ原は「八ヶ岳中信高原国定公園」で、平安時代から放牧地として利用されて来たのだとか。美ヶ原という何とも優美な名称は、江戸時代に編纂された松本藩の歴史書に記載されているのが文献上の最初だそうですが、大正10年に日本山岳会会長だった木暮理太郎氏が山岳会の会報に美ヶ原への登山記録を載せたことで広く世間に認知され、昭和5年に山本小屋が建てられてから登山客が多数訪れる様になったのだそうです。
 遭難者の避難場所として建てられた「美しの塔」にも、たくさんの観光客やハイカーの方がおられ、皆さん記念写真を撮ったり記念に鐘をならしたりしていました。
そこから牛の「塩くれ場」を経て「百曲り園地」へ来ると、先程の環境レンジャーのお二人が休憩されておられたので、そこから雲の間に見え隠れしていた御嶽や中央アルプス、山間に光っていた諏訪湖、南アルプスを教えていただきました。そして背後の大きな裾野がやはり八ヶ岳で、雲が無ければその肩口に富士山も見えるのだそうです。更にその左後方には浅間山も・・・。
360°見渡せる美ヶ原からは、日本百名山の実に1/3を望むことが出来るのだとか。お礼を言って、想像以上に美ヶ原登山が良かったことをお話しして、お薦めに従って百曲りを下山することを伝えると、
 「気を付けて下山してください」
 家内のポールを一本借りて下りで使ってみると、その楽なこと。浮石ではなく、固い場所を確かめてしっかり突きながら下っていくと、バランスが取れて下りが凄く楽な感じがしました。
下りは45分足らずで広小場に到着。沢沿いに下り、オートキャンプ場を過ぎて駐車場へ3時前に無事到着。
因みに、この日は“カンカン照り”ではなく多少涼しかったこともありますし、登山道が木々の中を歩くために直射日光が遮られていたことも手伝ってか、念のために唐松岳の時と同様に1.8ℓ持参した水は半分しか使いませんでした。登山道の途中には湧水もありましたが、チョロチョロで水を汲むには時間がかなり掛かりそうですので、持参した方が良いと思います。
 三城の登山口から、1時間半の登山気分で百曲りコースを歩き、そこからアルプス展望コースを途中高山植物の花々を愛でながら60分歩いて、王ヶ鼻からの絶景を満喫。また景色だけではなく、マツムシソウや、ウメバチソウ、ハクサンフウロなどの高山植物も身近に楽しむことが出来ました。
北アルプスの本格的な登山とはまた異なりますが、自らの足で手軽に登山気分が楽しめる美ヶ原。予想外で、想像以上に楽しめた美ヶ原登山。ナルホド、さすがに深田久弥が百名山に選んだだけはあります。
一般的なドライブでのビーナスライン経由の観光ではなく、登山として往復自分の足で歩いてみて、その理由が分かった(地元に住む松本市民だからこそ手軽に楽しめた)身近な山旅でした。

 トレーニングを兼ねてまたどこかに登りたいという奥さまのご希望に応えて、選んだ先は美ヶ原です。

 美ヶ原、何とも素敵な命名ですが、その名の通り山というより高原。でも日本百名山に選ばれていて、幾つものピークがある中で、最高地点は王ヶ頭の2034m。その王様の頭の鼻にあたる部分が王ヶ鼻2008mで、松本からは(我が家からも)電波塔2本が建つ台状の先端、王ヶ鼻しか望むことが出来ませんので、その向こうに広い高原が拡がっていることなど想像出来ません。(裏側になる東信エリアからは、美ヶ原が高原状であることが良く分かります)。
美ヶ原は、松本地区の小学校5年生での初めての学校登山の行き先(と言っても往路はバス)でもあり、市民にとって親しみのある高原(東の美ヶ原から、今や、西は槍穂高そして乗鞍までが松本市内)です。
美ヶ原では、個人的には(松本市民としては?)深田久弥よりも信州ゆかりの尾崎喜八の方にむしろ馴染があります。先ずは、以前もご紹介した、尾崎喜八作『高原詩抄』に収められた「松本の春の朝」第6編(昭和17年刊行)。

  『  車庫の前にずらりならんだ朝のバス、
    だが入山辺行きの一番はまだ出ない。
    若い女車掌が車内を掃いたり、
    そうかと思えば運転手が、
    広場で新聞を立読みしながら、
    体操のような事をやってみたり。

     夜明けに一雨あったらしく、
    空気は気持ちよく湿っている。
    山にかこまれた静かな町と清らかな田園、
    岩燕が囀(さえず)り、れんげそうの咲く朝を、
    そこらじゅうから春まだ寒い雪の尖峰が顔を出す。
    日本のグリンデンヴァルト、信州松本。

     凛とした美しい女車掌が運転台の錫(すず)の筒へ、
    紫と珊瑚いろ、 
    きりたてのヒヤシンスを活けて去る。           』

 美ヶ原への登山口のある、入山辺「三城牧場」へのバスを待つ松本駅前。春の美ヶ原へ登ったであろう、松本の早朝の情景を詠んだ詩です。
我々は、夏のお盆も過ぎた週末の日曜日。天気も良さそうだったので、美ヶ原への登山口、その入山辺地区三城にある「三城いこいの広場」の無料駐車場に朝8時過ぎに車を停め、尾崎喜八も登った百曲りコースから美ヶ原を目指しました。
途中、県外からの夏休みの家族連れで賑わう三城のオートキャンプ場を過ぎると、沢沿いのうっそうとした森の中の登山道を進みます。北八程ではありませんが、苔むした岩もあり、涼しげな沢の清流の音を聞きながら、マイナスイオンを浴びて30分ほどで広小場に到着。少し休憩し、行動食を食べ水分も補給。
すると、あろうことか一匹の蝶が家内の足元に来て止まりました。亜高山帯に住むというキベリタテハです。ベージュの縁取りがされた黒い羽根に、縦に瑠璃色の筋が入ります。幸先良く、何かイイことがあるのかも?・・・。
 ここ広小場から本格的な登山道の“百曲り”が始まります。「百曲り園地」まで90分が標準タイム。ネットで事前に調べると、“百曲り”は実際ジグザグ48回とか。
百曲りに入ると、安山岩の一種である鉄平石の板状節理で剥がれた石がゴロゴロと敷かれていて、些か歩きづらい急坂がずっと上まで続いています。今朝の三城の駐車場には県外車も含め何台か停車していたのですが、この日は都会の夏休み終盤の日曜日にも拘わらず、百曲りの登山道では一人も登山者には会いませんでした。
園地に近付くと木々も低くなり、東山の山並みが望めるようになります。木々が無くなって、岩の広場の様な場所が「百曲り園地」。急いだつもりはありませんが、広小場から60分で到着しました。ここで少し休憩し水分補給した上で、アルプス展望コースを通って王ヶ鼻へ向かいます。このコースは近年になって新しく整備されたそうですので、尾崎喜八が登った時には無かった道。
彼は百曲りを登り切って園地に到着し、「塩くれ場」に向かったのでしょうが、百曲りを越えれば、後はアップダウンも無い平坦な高原が拡がりますので、目の前に拡がる広大な高原に「登りついて不意に開けた眼前の風景に、暫くは世界の天井が抜けたかと思う」と記した喜八の気持ちが良く分かります。
 アルプス展望コースはその名の通り景色の良いコースで、その台地の縁を行くために多少のアップダウンもあって、広々とした牧場を歩くよりも高山植物を愛でながら登山(トレッキング)気分が味わえます。この日のアルプスの峰々には、少し雲が掛かっています。
 途中、烏帽子岩など幾つかの“展望台”で松本平方面の絶景を楽しみながら、王ヶ頭の下を通って王ヶ鼻へ。コースの途中で、我々よりも年配の男性お二人に道を譲ると、
 「本当は、我々が道を譲らないといけないんですけど・・・ネ!」
と、お二人は県の環境レンジャー(正式名称は「自然保護レンジャー」。県内の国立公園や国定公園で、県の任命を受けて、利用者への呼び掛けや注意などの自然保護活動をボランティアで行なっているそうです)で、お礼にと高山植物の写ったカードをくださいました。
ついでにお聞きすると、このコースから王ヶ頭へ上る急坂の途中のお花畑がお薦めとのこと。帰路も、他のダテ河原や八丁ダルミよりも、百曲りコースを下った方が変化があって面白いだろうとのことでした。
お礼を言って先に王ヶ鼻を目指します。その前に、我が家から見える二本の塔へ行くと、それはTV塔ではなくNTTの電波塔でした。
そこからすぐの王ヶ鼻2008m。幸い雲が切れて、眼前に穂高連峰から槍ヶ岳と常念までの北アルプスが見えました。大町から先は少し雲も掛かっていて、この前登った唐松岳は見ることが出来ませんでした。また眼下には松本平が拡がります。こうして見ると、松本の市街地も広いなぁ・・・と感激。この日も母がデイサービスで行っている「岡田の里」や豊科の「県立子供病院」の赤い屋根も見え、
 「そうすると、あの辺りが我が家かなぁ・・・?」
この場所が美ヶ原一番のビューポイントで、山頂の少し広くなった岩場の上には20人程の登山者やハイカーの方々が休んでおられ、我々もここで昼食を食べながら、北アルプスと松本平の絶景に暫し感動。こんな身近な所(ビーナスラインを車で来れば、松本から1時間足らず)にこんな絶景があったなんて・・・。でも、見る景色は車で来ても変わらずとも、多分今味わっているこの感動は三城から自分の足で登山道を歩いて来たからこそ・・・なのかもしれません。
 休憩後、王ヶ頭に向かいます。

 7月と8月は我々夫婦の誕生日。この年になると、せいぜい“目出度さも中ぐらい也”程度で、我々自身でお互いを祝う様な事はもうありませんが、それでも子供たちからのお祝いは格別です。

 米国在住の長女からは、奥さまの誕生日に合わせて「小田和正2018 Tour “ENCORE”」のチケットのプレゼント。
因みに“Encore”(アンコール)は本来フランス語。英語でもそのままの綴りで使われるようですが、英語で言うならCurtain Callでしょうか。
 ナント今年古希(70歳!)を迎えたという小田和正さんのライブツアー2018は、全国21ヶ所、全48公演とか。5月の熊本からスターとし、3ヶ月経って東京地区へ戻ってきて最初の調布「武蔵野の森総合スポーツプラザ」での初日。8月8日のコンサートチケットです。
ちょうど台風13号の関東直撃も予想される中でしたが、当日高速バスで東京へ向かいました。日野で高速バスを降り、多摩モノレールから京王線に乗り替えて、先にチェックインすべく、予約したホテルのある東府中へ。コンサート会場はてっきり「府中の森芸術劇場」だと思い、ホールまで歩いて行ける東府中のホテルにしたのですが然に非ずで、味の素スタジアムのある「武蔵野の森総合スポーツプラザ」にある1万人収容のスポーツアリーナがその会場で、最寄駅は聞き慣れない京王線の「飛田給」駅。これは荘園制度が盛んだった頃、この地の荘園領主だったらしい飛田(とびた)某から支給された土地(給田地)だったという言伝えに因むのだとか。
開場時間に合わせて京王線で東府中から飛田給へ向かい、降りるとたくさんの人。台風が近づいていて、傘も時にひっくり返る程に風雨が強まる中、アクセスを調べなくても人の波がアリーナへとぞろぞろと向かっていて、そのまま付いて行くと10分足らずで会場に到着しました。
後で知ったのは、台風接近に伴い、この日の開催可否は午後2時に決定されたのだとか。そんなことは“”知らぬが仏“の我々は、うとうとしながら信州からの高速バスの中。せっかくの娘からのプレゼントでしたので、オフコースの1stアルバム「僕の贈りもの」ならぬ“神様からの贈りモノ”か、開催出来て何よりでした。

 会場に入ると、娘が用意してくれたのはステージの右斜め後ろ側2階の前から2列目のS席ですが、幾つもの大型ディスプレイで演奏の様子がライブ中継されるので、例えステージ真後ろの席であっても画面を通じて見られる様になっていました。また、1階のフロア席(アリーナ)にもステージと通路の間に座席が設けられていて、どうやったら確保出来るのか、追っかけやファンクラブの方々なのか、皆さん公演中は最初から最後まで立ちっ放し・・・。凄いなぁ。我々は圧倒されっ放し・・・でした(結構客層の多くは、学生だった頃にオフコース時代を過ごしたであろう、私等と同年代の方々とお見受けしましたが・・・)。
 オープニングで数曲歌った後、
 「台風が来てるので、はしょって、出来るだけ早く終わらせよう!・・・なんてことは、全く考えておりません!!!」
 我々の様な、40年近く前のオフコースの松本公演に行っただけ(因みに、家内はシンガポール赴任中の92年に、現地でも吹替え放映されて人気となったTVドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌「ラブストーリーは突然に」も人気となって行われた小田和正シンガポール公演もお友達と聴きに行かれています)のファンはともかくとして、追っかけや常連の方々は、曲毎の拍手やコーラス、そして振り付けなども全てパターンが決まっているらしく手慣れたモノ。それを見ながら、聴きながら、ライブでは俄かオーディエンスである我々も見よう見真似で、「フムフム、ナルホド・・・」。それにしてもこの日の会場も満員札止めらしく、古希にして、この一万人を超える観客動員力は只々凄い!の一言。後15年もすると、演者も観客も皆白髪頭で杖を突いてでも来ているのではないか!と思えるほど・・・でした。
 生命保険のCMに使われた「言葉にできない」や「たしかなこと」、そして“クリスマスの約束”でもお馴染の「東京の空」や「君住む街へ」。更に、アルバム「ワインの匂い」から「愛の唄」に始まって、大好きな「秋の気配」、「愛を止めないで」、「言葉に出来ない」などなど、オフコース時代の懐かしい曲も・・・。
途中、恒例らしい公演会場周辺を訪ねてロケした10分程度の「ご当地紀行」のVTRが流され(立川だったか、公園の入場料で、小田さんが「シルバー料金です」と言ってチケットを購入していたのは実に微笑ましかった)、スタッフはその間僅かな休憩を取ったのみで、前後半、そして正しく2度の“Encore”アンコール(東北大学の学生時代に混声合唱団所属だった小田さんらしく、最後に出演者全員によるアカペラ合唱曲「また会える日まで」で締めるというアンコール構成は、どうやら毎回お決まりの様でした)も入れて全30曲!(さすがに、金原千恵子女史率いるストリングスは全員音楽大学出身なのでしょう、アカペラのハーモニーも完璧でした。ギターもキーボードも皆旨かったけど、個人的にはドラムスの木村万作さんが良かった!・・・な。因みに二度目のアンコールの中で歌ってくれた「さよなら」は、シンガポール駐在時代、某クラブの生バンドが赴任者が帰任する際に必ず歌って見送ってくれた曲でした。思い出しますね・・・)。
 帰宅後に思い返して聴いたオフコース時代のベストアルバムの“艶っぽい”柔らかな歌声と強いて比べると、その艶っぽさは消えて、ややシャープでキレのある(ある意味鋭い)声質にはなっていましたが、それにしても“喋くり2/3”というさだまさしコンサートに比べ(それはそれで、さださんのエンターテナー振りも凄いですが)、2時間以上もほぼ歌いっ放しは凄い!の一言・・・。もうイイからとこちらが心配になる程に、30曲歌い切った体力は流石!・・・でした。
 終わってもまだ台風の風雨激しい中、無事駅に到着し、都心に向かう上り線に比べて混雑が少ない下りホームで家内と二人、
 「コンサート、良かったよね!」
とお互い感慨に浸りながら、遠くアメリカに居る娘に感謝していました。

 八方池周辺までのコースは、本来森林限界を超える2500m以上のでないと見ることが出来ないハイマツ帯が続くこともあって、北アルプスを間近に臨む山岳気分を手軽に味わうことが出来るコースです。これは、この辺りまでは蛇紋岩の地層が続くために低木のハイマツの方が繁殖し易いのだそうで、八方池を過ぎると花崗岩の地層に代わるため、ハイマツ帯の上にダケカンバの林が現れるという珍しい植生の逆転現象が見られます。

 2060mの八方池まではトレッキングですが、ここから先は登山。本格的な登山のための装備が必要との登山道脇の看板の注意書きに、思わず気を引き締めます。
第3ケルンを過ぎて、すぐにゴツゴツした岩場が始まります。暫く稜線の登山道を登って行くと、確かに逆転現象でダケカンバの樹林帯が現れました。中には丸抱えするほどの巨木もあって、木々の間から白馬三山が見え隠れする緑のトンネルが続きます。
樹林帯の途中で「扇雪渓」の看板が。知りませんでしたが、唐松岳にも雪渓があるようです。日本最大の白馬岳大雪渓には比べるべくもないのでしょうが、例え小さくとも登山初心者にとってはそれなりに感激する光景です。そこで、雪渓脇に(ロープが張られていて雪渓内には立ち入り禁止)荷物と腰を下ろし、水と行動食も採って少し休憩。ここまで八方池の第3ケルンからほぼ1時間です。
樹林帯上部が2350mとのことで、そこからガレ場を登って30分掛かって2430mの丸山ケルンへ到着。ここで絶景を楽しみながらの休憩です。ここまで登って来ても、目指す唐松岳山頂は急な稜線に遮られてまだ山頂を望むことは出来ませんが、丸山ケルンからは、唐松岳から続く「日本三大キレット」という上級者のみに許される不帰ノ嶮Ⅲ峰からⅠ峰と、更にそこから右に連なる白馬三山の絶景が目に前に拡がります。
左側の手前から2903mの白馬鑓ヶ岳、真ん中に2812mの杓子岳、そしてその奥に2932mの名峰白馬岳。一方、唐松岳の稜線の左側に目を転じると、五竜岳と鹿島槍ヶ岳が連なっています。暫し、ここまで登って来た者だけに許される眼前の絶景に感激していると、やはり中高年のグループの方からシャッターを頼まれ、そのお礼にと我々も絶景をバックにケルンと一緒の記念写真を撮っていただきました。それにしても雲一つない快晴で、県内のローカルTVのロケで4回八方池を訪れた番組パーソナリティーの方が「一度も白馬三山の絶景を拝めていない」と、先日の「山の日」に合わせた放送で嘆いていましたので、この日の絶景は我々夫婦への又と無いバースデイプレゼントでした。
 唐松岳山荘を目指していざ出発。見上げる稜線の登山道には、まるで蟻の行列の様に人並みが続いています。夏休みの週末とはいえ、さすが初心者にも人気の登山コースです。
この夏列島は猛暑日が続いていますが、この日は雲一つ無い快晴ということもあって、2000mを超える山岳路は紫外線のきつい直射日光で想像以上に暑く、汗ダラダラ。それにしても想像以上の発汗で、2ℓ近く持ってきた水をここまでで半分以上飲んでしまいました。
山荘へもう少しの地点。そこまで来た時に、急にクラクラと立ちくらみの様に眩暈がしたので、思わず座って休息することにしました。すれ違う登山者の方の中には、私メの顔色が悪かったらしく
 「大丈夫ですか?もうすぐ山荘ですよ!」
と励ましてくれる方もおられ、家内も一瞬どうしようかと大層不安(≒まさか救助のヘリを呼ばないといけない???と思ったとか)だったとのこと(実際のケースでは、すぐ近くに山小屋があるので、山小屋に救助要請すれば良いのでしょうが・・・)。
その間5分程だったでしょうか?・・・。塩飴を舐めて水分補給をすると、不思議な事にスーッと体が楽になりました。立ち上がっても今度は全くフラフラしません。汗をかき過ぎての貧血だったのか、或いは脱水症状だったのか?・・・。
 「ねぇ、本当に大丈夫なの?諦めて戻った方が良くない?」
と随分心配してくれましたが、本当にまるで嘘の様に体に生気が戻りました。立って少し体を動かしてみて、ちゃんと歩ける事を確認して眼前の岩場を登ることにしました。
本来は急登を避けて、崖に沿って狭い木道が掛けられた山荘への迂回路があるのですが、途中崩れているのか迂回路は通行止めになっていて、急登を行くしかありません。上り下り一方通行で、どちらかがその列が過ぎるまで待機していないといけません。順番を待って一歩一歩と登り切ると、ちょうど小高い丘の様になっていて、目の前には今まで見えなかった唐松岳が初めてその姿を現しました。眼下には赤い山荘が見えたので、少し下って標高2610mという唐松岳山荘到着です。山荘直前で体調不良で休憩したこともあり、八方池第3ケルンからは3時間。予定より30分余計に掛かって12時半の山荘到着でした。
 山荘は夏山シーズン最盛期。登山客で溢れていて、案内曰く、この日は超満員で、ナント四畳分のスペースに10~12名とのこと。山荘下の谷間のスペースには10張ほどのテントが張られていましたが、登山上級者である家内のピラティスの先生は専らテント利用だそうで、それも納得です。登山者の方曰く、イビキ防止は早く寝たモノ勝ちだそうですが、四畳に12名ではおそらく寝返りも打てないでしょう。なお、テント一張り1000円だそうです。因みに、山荘のトイレは有料で300円。家内は利用しましたが、私メは、持ってきた2ℓ近い水を飲んだにもかかわらず、全て汗で出てしまったのかトイレに行く必要はありませんでした。やはり、脱水症状だったのかもしれません。持参した水を登りで殆ど消費してしまったので、帰路の下りのために、山荘で経口保水液(300円)とミネラルウォーター(200円)のペットボトルを二人で併せて3本補充しました。
 “山小屋の定番”カレーなどの山荘の食事や持参したお弁当、或いはガスバーナーで沸かしたお湯でのカップラーメンやリゾットなどなど、皆さん思い思いに昼食を採られています。我々も山小屋の西側のベンチに座って、早速麓のコンビニで買って来たオニギリ等で昼食です。
目の前に拡がる北アルプスの山並みが何よりのご馳走。深く切れ込んだ谷間の向こうには、新田次郎「点ノ記」の剣岳を盟主とする立山連峰の山並みが聳えていました。松本側からは眺めることの出来ない、眼前に拡がる北アルプス立山連峰の絶景です。
 30分ほど昼食休憩をしてから、この日の目的である2696mの唐松岳の山頂を目指します。山荘から唐松岳へは20分とのこと。山荘から登山道を行くと、すぐに“高山植物の女王”コマクサの群落が両側に現れます。
想えば、中学三年春の学校登山で登った燕岳以来のコマクサです。北アルプス三大急登と云われる燕岳合戦小屋。その大変さからか(最近の若い先生は登山経験が無いことも手伝い)、中信地区(松本平)の中学の学校登山で定番だった燕岳から、もっと登り易い別の山に変更する学校も多いのだとか(因みに、私も娘たちも燕岳でした。諏訪出身の奥さまは八ヶ岳の主峰赤岳だそうです。45年以上経った今でも、白い花崗岩に覆われた優美な燕岳と可憐なコマクサを覚えています)。その燕岳に代わって選ばれている山が、乗鞍岳やこの唐松岳なのだとか。確かに日帰り可能な唐松岳ですので、リフトを乗り継げば1830mからの登山開始で、中房から登る燕岳よりも遥かに楽。その上、学校登山ならその日は山荘に宿泊でしょうし・・・。
登ること20分。2696mの唐松岳山頂に無事登頂。記念写真を撮り、下山は15分でした。山荘を経由し、午後1時45分に八方池山荘を目指して下山開始。今度は岩場の急登を下る処で、山荘のスタッフの方が、団体が登って来られるようで(相互通行の指示をされるために)監視をされていました。お聞きすると、八方池山荘からのこの日の最終リフトは16:40分とのこと。
 「今からなら、十分余裕で到着出来ますよ!」
との声に励まされ、下山します。途中すれ違ったのは、何とクラブツーリズムのツアー2団体。それぞれ、我々より年配の男女20~30人程度のグループで、山岳ガイドの方に先導されていましたが、かなりきつそうにお見受けしました。
ガレ場を下り、途中扇雪渓を望みながら樹林帯を越え、帰路も丸山ケルンで少し休息。朝に比べ白馬三山に少し雲が掛かっています。そこから暫く稜線を下って行くと、漸く眼下に八方池が小さく見えて来ました。
水分補給のために第3ケルンで休憩し、すぐに出発。帰路も登山道を下りました。ゴツゴツした岩場で下りは結構歩きづらい感じです。足を取られて家内がコケましたし、途中泣きの入った小学生くらいの男の子もいましたが、多少距離が長くとも今日の様な快晴なら滑らないので、帰路はむしろ木道を歩いた方が楽かもしれません。
午後3時20分に八方池山荘に無事到着。急がず普通に歩いて来たつもりでしたが、唐松岳山荘から八方池山荘まで2時間半で下って来たことになります。ここで奥さまが、疲れた体を甘味で癒すべくソフトクリームをご所望し、休憩の後リフトに搭乗しました。
 快晴の唐松岳登山。初登山としては、暑くて汗だくでの唐松岳日帰り登山は些か無謀だったのかもしれません。反省としては、もう少し早く(夏季のゴンドラ運航は朝6時半から)出発した方が良かったかもしれません。
でも、お陰さまでナントカ無事に下山することが出来ましたし、雄大な北アルプスを満喫した日帰りでの山旅でした。またいつか、今度は混んでいない時期に、ゆっくり山小屋一泊で唐松岳に再チャレンジしてみたいと思います。
家内からは、
 「もうちょっと鍛えなくちゃっネ!」
 「はぁ~、ご尤も・・・」
【注記】
樹林帯の写真は下山時。山荘の写真は唐松岳より撮影したものです。

 8月最初の週末。奥さまの希望で唐松岳に登って来ました。
唐松岳は北アルプスの後立山連峰にあり、長野県と富山県境に聳える標高2696mの山。その唐松岳という山の名前よりも、東(長野県)側に拡がる八方尾根の方がむしろ有名。現地に行くと、
 「そうか、八方尾根は唐松岳の尾根筋だったんだ!」
と逆に気付かされるほどです。唐松岳は一応、300名山の山なのですが、大雪渓で有名な白馬岳や五竜岳などの百名山に挟まれて些か知名度では劣るかもしれませんが、途中最近人気の八方池を経由しての白馬三山への縦走ルートにもなっており、また岩場や鎖場などもないため、唐松岳なら登山初心者でも日帰り可能な山と云われています。昨年10月初旬に八方池まではトレッキングで行っていたのですが、今回はその先の唐松岳までの本格的登山です。

 これまでもトレッキングでの入笠山や白駒池の北八と栂池高原、とりわけ昨年の八方池(第1255話参照)に感激した奥さまが急に登山に目覚め、今年はクラブツーリズム主催の女性だけの登山講習の月例ツアーに参加。
先ずは登山に関する座学でのレクチャーに始まり、実践は金時山など低山からの日帰りツアーからスタート。更に筑波山や山小屋宿泊での尾瀬ヶ原からの至仏山、伊那谷から登頂する3000m級の“南アルプスの女王”仙丈ケ岳。そして最後は立山縦走という半年間の本格派です。
そのため、夏の間に唐松岳にも行ってみたいとのご希望で、(地元住まいの特権で)天気予報と睨めっこしながら、母が月例のショートステイ中で快晴予報だった8月4日に決行することにしました。週末を選んだのは、初めての唐松岳ですので、昨年の八方池の時の様に例え霧にまかれても、夏山シーズンで人が多い方が迷わずに付いて行けば良いからという理由です。

 当日は夜明けを待ってナナの散歩を済ませ、予定より少し遅れて5時半過ぎに我が家を出発。予測通り7時過ぎには白馬へ到着。先にコンビニへ寄って昼食を調達してから、インフォメーションセンター横の村営の第2駐車場へ。
昨年は秋口の平日でガラ空きだったのですが、この日はナント満車。ノロノロと運転しながら周辺を探した結果、幸いジャンプ場に近い第5駐車場にまだ少し空きがあって車を停めることが出来ました。ゴンドラ横の村営駐車場(一日600円)以外は全て無料ではありますが、いくら登山ブームとはいえいやはやビックリでした。奥さまからは、
 「だからぁ、もっと早く出ようって行ったじゃない!」
との非難の嵐を右から左に聞き流しながら登山靴に履き替えたりと、登る準備をしてゴンドラ「アダム」乗り場へ向かいました。

 家内が今回の登山教室に入るにあたり、幾つかの登山グッズ購入のために、アウトドア用品の専門ショップ「モンベル」会員に登録しており(登山客の多い県内には諏訪、豊科、白馬に店舗あり。因みに登山用品店で有名な好日山荘も松本と白馬に店舗を構えています)、八方池のゴンドラ・リフトが連れのメンバー5人まで10%会員割引になりますので、往復2900円が2610円×2名(因みに入笠山は会員本人のみの割引とのこと)。
兎平からリフトを2本乗り継ぎ、黒菱を経て1830mの登山口の八方池山荘へ到着し、8時過ぎから登山開始。

前回は八方池まで傾斜の緩やかな木道(散策路)を行ったので、今回は登山道を歩くことにしました。登山道は八方の尾根に沿って稜線を進んで行くので、こちらの方が傾斜が急で歩き難い箇所もありますが、木道よりも眺望は優ります。途中、リフトを乗り継ぐ黒菱平の鎌池湿原からも白馬三山の山頂が望めましたので、前回は霧の中でしたが、今回は予報通りの快晴で“絶景“への期待も高まります。
 登山口周辺には、中高年グループ中心にお子さんも一緒の家族連れ、若い学生さんや“山ガール”のグループも。中には、ガールと云うよりも“山姥”らしき一行もおられましたが、夏休みの週末とはいえ確かに“登山ブーム”を認識できました。ここで最後のトイレ(上部の第2ケルンが最終。どちらも善意での環境協力金が必要)を済ませ、いざ出発。
登山道は尾根沿いに稜線を歩くのですぐに眺望が開け、途中白馬三山がくっきりとその雄姿を現せてくれました。途中人も多く、ゆっくり登って来たので、標準時間の1時間より長い1時間半弱で八方池に到着。
八方池までのハイキングやトレッキング目的の人たちは、池まで降りて雄大な白馬三山を満喫されています。我々は前回池の周囲を散策したので、唐松岳を目指す今回は池を見下ろす第3ケルンで暫し休憩。
それにしても今朝は雲一つない快晴。2080mの第3ケルンから望む雄大な白馬三山とそして唐松から続く険しい不帰ノ嶮(Ⅰ~Ⅲ)の北アルプス後立山連峰の絶景に、二人共暫し我を忘れて感激感動!本当に絶好の登山日和の日を選択したようで、大“晴”解でした。池まで降りれば、多分パンフレットなどで見る様に、池の水面には白馬三山の雄姿が映っていることでしょう。付近にはマツムシソウが可憐な薄紫の花を咲かせていて、山は早くも初秋の雰囲気です。
 第3ケルンで暫し休息し、水分と栄養を補給(長く休み過ぎてもいけないのだとか)。雄大な白馬三山の雄姿からもエネルギーを供給してもらって、いよいよ唐松岳へ向かいます。
因みに、登山の時に持参すべき水分量。奥さまが講習で教わったのは、体重×5×登山(=行動)時間とのこと。
従って今回の唐松岳は、私メの場合65kg×5×6時間として、凡そ2000ccでしたので、登山用の水筒とペットボトルに分けて、1.8ℓを持参しました。

 7月と8月は我々夫婦の誕生日。
今や、“人間五十年、下天の内をくらぶれば・・・”どころか、百歳も決して珍しくない世の中ではありますが、さすがに還暦過ぎのこの年になるとせいぜい“目出度さも中ぐらい也”程度で、我々自身でお互いを祝う様な事はもうありません。それでも子供たちからのお祝いともなれば、そこは格別です。

 先ずは、次女からのバースデイプレゼント。
それは、東京ドームのVIPシートの巨人VS中日戦。何でも上司の方が(単身赴任のため)毎年シーズンチケットを購入されていて、ドームでの主催ゲームは毎回ボックス席のチケットが送られて来るのだそうですが、仕事が忙しい時や都合が悪い時もあって、毎回は行き切れないので結構無駄にしてしまうのだとか。私メがジャイアンツファンであることを話していたら、誕生日に近い週末の巨人戦のチケットを行けないからと下さったのだそうです。
誠に有難い限りで、その試合は幸いデーゲームだったことから、母とナナの夕食対応だけは妹に頼んで、日帰りで東京に行って来ました。
夏休みの週末でしたので途中の渋滞や松本インター横の駐車場確保に不安もあって、念のため高速バスではなく特急あずさで往復しました。
 当日は早めに新宿に着いてから、次女の招待でランチへ。
娘が予約してくれてあったのは、新宿高島屋の「水たき玄海」。昭和3年の創業と云いますから、今年で丁度創業90年という老舗だそうです。以前、奥さまと娘が二人で来て気に入ったのだとか。既にランチコースの「水たき御膳」が予約されていて、席に案内されてすぐ煮こごりと冬瓜の煮物の先付け二品が運ばれて来ました。水炊きは先ず茶飲みで白濁したスープをいただきます。それが、あっさりとして臭みも全く無い実に上品な味。全てスープ用に用意されているので、何杯もお替りして飲み干して良いのだそうです。
そしてメインの水たき。ぶつ切りの鶏肉だけが入っていて、野菜は別に供されます。鶏肉もホロホロの柔らかさ。聞けば、この水炊き用のスープは鶏を丸ごと8時間煮込み、丁寧に灰汁を取ってキレイに濾しているのだとか。やっぱり家庭では到底出来ない、さすがは老舗の水炊き専門店の味です。
最後の〆は、鶏釜めし、親子丼、雑炊からの選択とのことで、全員水炊きスープを使った雑炊をチョイス。同じ鍋ではなく別に作ってくれるので、水炊きの鍋は空にしてしまって構わないとのこと。その雑炊も絶品で、キレイに完食。私メは生ビールをいただいたので、最後のデザートは奥様へ。
 「あぁ、美味しかった!ごちそ・・・」と、ここでサプライズ!
娘が頼んでくれてあったバースデイプレート。ありがたく気持ちと実物のチョコを一ついただいて、残りは二人へ。
 「大変、おかたじけ・・・。ごちそうさまでした!」
いやいや、本当にありがとうございました♪
 さて肝心の巨人戦。残念ながら一方的な展開で中日の圧勝。でも、漸く誕生した生え抜きのヤングジャイアンツのニュースター、岡本選手と吉川尚幾選手を生で見られただけで満足、満足・・・。高卒入団2年目でプロ初先発だった“松坂2世”高田投手は残念でしたが、
 「みんな頑張れ、頑張れ!」
 娘からの素敵なバースデイプレゼントに感謝して、東京を後にしました。
今回頂いたチケットと日頃娘がお世話になっているお礼に、地酒と後日空港のオフィス宛に信州のお焼きもお送りしました。

 トレッキングのトレーニングを兼ねて、時々早朝ウォーキングで行くアルプス公園。
城山々系のアルプス公園は我が家の裏山の様な位置になるのですが、10年程前に71haへと倍以上に拡張された以降のアルプス公園へのルートは、我が家からは3本。開園当時からの入り口である蟻ヶ崎台経由の南入口と、拡張後のメインとなっている下岡田(神沢~塩倉)経由の東入口。そしてもう一つは、昔の県種畜場時代のアクセス道路だった旧道経由。距離の長短こそあれ、我が家からは標高差200mで、結構な急勾配が続くため、片道2km程度の恰好なトレーニングコースなのです。

 狭い旧道は車で行っても駐車場も無いため、現在はこの道からの入場が許可されている公園関係車両が使う程度。従って、今では車も人も殆ど通りません。この道沿いに種畜場時代からの桜の古木が植えられていて、その手前は両側にうっそうと茂る林が続き、特に夏のこの時期は“緑のトンネル”状態。
誰もいない、この静かな緑のトンネルの坂道を上って行きます。7時前後の早朝だと、週末はマレットゴルフに興じるご老人の皆さんの玉を打つカーンという乾いた音が時折響いていますが、平日はその音もせず、風と小鳥のさえずりを聞きながらの爽快な緑のコースが続きます。園内を歩き、展望広場からアルプスを一望。人っ子一人いない広大なアルプス公園を“二人占め”。
帰りは、南入口から蟻ヶ崎台を下って帰宅。
 家のすぐ近くにこうした素敵な場所のある有難さ。文化度はともかく、便利な都会暮らしでは味わえない、田舎の里山暮らしの恩恵でしょうか。

 材料が揃ったので、いよいよ竹垣の組立です。
翌日から木枠を組んで、切り揃えた竹棒を挿入していきます。ただ、我が家の敷地も同様ですが、メイン道路から隣家への導入路は坂道。従って道路沿いのフェンスも傾斜しています(我が家は、設計士さんの工夫で、高額な盛り土工事をせずに、玄関フロアから、二階への階段と、一階フロアのリビングへはステップフロアになっています)ので、木枠も傾斜に合わせて斜めにする必要があります(簡易的な計測上、30㎜の角材の幅で3㎜の傾斜)。
また木枠の上部は竹棒を挿入していくために30㎜幅で空けてありますが、下はレール状に30㎜の板材を両側の焼杉でサンドして木ネジで止めて溝状にしてあります。

本来の竹垣であれば、竹を割って削り並べて板材に固定させて行くべきなのでしょうが、割って平らに削るのも時間が掛かりますし、竹板を裏表何百枚も用意しないといけませんが、今回はたくさんの竹を頂けたので丸い棒状のまま挿して30mm幅のレールの上に横に並べ、一本ずつ麻紐で縛ることにしました。太さはマチマチですし、中には曲がっている竹もありますので、上下を変えたり向きを変えたりしながら試行錯誤して、出来るだけ隙間が空かない様に組んで行きます。
フェンスの支柱の長さに合わせて1.8mと0.9m、更にL字部分が0.9mの竹垣を作成します。また裏表上下に割った竹材で棒状の竹材を数ヶ所縛って動かぬ様に固定。空いている天井部分には、1.8mと0.9mの竹の棒を半分に割って蓋の様にして上に載せ、同様に麻紐で縛り付けます。
 それにしても、電動ドライバーの便利なこと!といったら想像以上でした。
そのまま釘や木ネジを金槌で打ち付けると、薄い板や竹材はすぐに割れたりしてしまいますので、先ずは電動のドリルで穴を開け、今度は電動の+ドライバーに付け替えて木ネジで止めていくのですが、金槌だと曲がったり真っ直ぐ打ちこめなかったりしますが、電動ドライバーなら素人でも失敗なし。それに、釘に比べて木ネジの方が抜け難いので、強度的にも一石二鳥。確かに、これなら“か弱き”女性でもDIYで簡単に作れる筈です。
作成過程で一番大変だったのは、竹棒を固定するための麻紐で縛ることでしょうか。かなりの力を入れて、しっかりと弛まない様に縛らないといけません。
最初に完成させた1.8mの竹垣を運ぶのにその重いこと!やはり、竹が板材ではなく棒状のためにかなりの重量になっていましたが、簡単に作成するためには致し方ありません。フェンスには針金で縛って固定。
 続いて、半分の大きさの0.9mの竹垣を二つ作成します。後で直角に組むのではなく、固定し易い様に最初からL字型に組むことにしました。この直角に組む方法をどうするか、そしてその直角に交差する部分の作成が一番苦労したところです。
直角に交差させるため、且つ出来るだけ段違いではなく連続して見える様にするために焼杉の板をずらして30mm×30mmの角材に直角に交差させて固定しました。L字型の部分は足となる角材の長さが違うので竹棒を挿入せずに、先ずL字に組んだ木枠を現場に運んでから竹を挿して完成させました。
 道路から目隠しになる様に、事前に測った高さと竹材の幅、L字型も工夫。
据え付けた後で道路からチェックしましたが、ほぼ想定した通りに道路からの視線を遮る事が出来ました(注:フェンスのブルーシートは、晩秋に購入する薪ストーブ用の薪を積んで置くのですが、その薪の雨除け用です)。
中学までの工作や技術家庭での実技程度のDIYでの所詮素人の造作ですので、売られているプロの竹垣に比べれば見栄えも悪くて全くのお恥ずかしい限りですが、素人ながら目的はそれなりに達成出来ましたので、コストを掛けられぬ“年金生活者”としては十分に自己満足出来る仕上がりとなりました。
今回のDIYでの制作コストとしては、板材が5千円程度、電動工具と木ネジ、防腐剤に麻紐で〆て4千円弱。従って、出来合いの竹垣を購入すれば5~6万円するところですが、全部の合計額が1万円弱で今回作成することが出来ました。
 完成後、まだ明るい夕刻に、ブラインドを上げてお風呂の窓を全開し入浴してみました。ちょうど雨降りで、雨に濡れたヤツデの緑の葉が瑞々しくて、露天風呂の様な爽快な気分での入浴タイムに、
 「あぁ、極楽じゃ、極楽じゃ!」
・・・と相成りました。

 我が家の北側の隣家への道路沿いにフェンスがあります。
その北側に面しているのは、1階のトイレ、バスルーム、物置、キッチン、洗濯スペースと勝手口。外側にはエコキュートと床暖房用の機器が設置してあり、バスルームとフェンスの間のスペースにはヤツデとモミジが植えてあります。この二本の木。ヤツデは子供たちの通っていた小学校の体育館横に植えられていた大きなヤツデの子供。夏休みに体育館で行われていた合唱部の練習の送迎時に見つけた、3㎝くらいだったヤツデの“子供”をいただいて来て植えたモノ。そしてモミジも、道路沿いの隣家の庭に植えられている大きなモミジの種子が“竹コプター”の様に飛んで来て自然に生えたモノ。二本とも20年近く経って随分大きく育ちました。

バスルームの窓から見ると、そこは“坪庭”風で良い目隠しにもなっています。しかし、完全な“目隠し”ではないので、入浴時にはブラインドを閉めて入らざるをえません。
そこで、開放感溢れての入浴のために、道路沿いのフェンス側に目隠しになる「竹垣」を設置したいとずっと考えていました。
ホームセンターなどに行くと、園芸用品売り場などに竹垣や木製の垣根、フェンスなども並んでいます。その大きさにもよりますが、どれも1万円から2万円位していて、“目隠し”状態にするためには長さは最低でも3m。最適なL字形にするためには4m位は必要になり、そのためには5万円~6万円は必要になってしまいます。結構な高額出費ですので、“年金生活者”にはどだい無理な話です。そこで・・・、
 「だったら、自分で作っちゃえ!」
と考えた次第・・・です。
 そこで必要となるのは・・・竹。最低でも高さは1m位は必要ですので、太さにも依りますが、結構な本数が必要です。細いマダケであればホームセンターでも売っていますが、1本200円程度と、もし50本必要ならそれだけで1万円・・・です。
我が家の周辺にも竹林が無いではありませんが、そこまで大量の本数となると入手困難・・・と、実際にDIYで自分で作るとなると材料確保もなかなか大変です。
そこに“恵の雨”ならぬ、私メにとっては“時の女神”の登場!

 ナント、“向こう三軒両隣”的に隣家同士でこの春お花見をした際に、道路を挟んだ北側のお宅の庭の竹林が枯れてしまい、景観的にも見苦しいので業者の方に伐採を依託したとのこと。その伐採した竹も、片付けるとなると、廃棄するためにはお金が掛かります。だったらお互い“渡りに舟”で、必要な本数をいだくことで快諾いただけました。業者側も本数が減れば廃棄額が減って助かるので、お互いにメリット(三方両得?)があります。
その後、業者の方が除草剤を1本ずつ注入して根まで完全に枯らした上で、6月末に伐採。運ぶまで2~3日庭の隅に置いてあるので、その間に必要な本数を持って行って良いとの連絡をいただき、枝を落として50本程の竹をいただいて来ました。
 一番肝心の竹が用意できたので、DIYで竹垣の作成です。
お隣から細い竹(マダケ?)を50本いただけたので、早速竹垣作成に必要な材料や道具をホームセンターへ行って購入して来ました。
 我が家には、昔父が購入した電動ノコはあるので、先ずは欲しかった電動ドライバーを購入。マキタなど高価なモノは2万円程度はしますが、DIYで年に一度使うかどうかなのでプロ仕様でなくとも安いモノで十分。定期購読しているdマガジン配信の雑誌の中に、コスパの良い家電や各種道具の“ベスト・バイ”の紹介があり、以前電動ドライバーのジャンルで激賞されていたのがカインズ製品。そこで豊科にあるカインズホームへ行って、充電式の小型ドライバー(ナント2千円!)と木ネジを買って来ました。
それから、今度は地元庄内にある綿半ホームセンターで、焼杉(耐久性を増すために表面を焼き焦がした杉板)を半分にカットしてもらい、30mmの角材、30㎜幅の板材と「防腐剤、そして竹を縛る黒い麻紐を購入。
因みに、日本の家の間取りは一間というように今でも尺貫法が基準。従って、ホームセンターなどで売られている板材や角材も、一間の長さでメートル法での1820㎜や、半分の長さである3尺(1尺=10寸=30.3mm)91㎝だったりします。
家に戻り、角材に防腐剤を塗布して翌日まで乾かし、その間に竹を長さ90㎝の長さに電動ノコで切り揃えました。その数、先ずはほぼ100本。
【追記】
電動ドライバー(安いのでケースは無し)や道具類は、近所の100均ショップで購入したプラケースに整理を兼ねて入れています。最近の100均ショップ、なかなか便利で侮れませんね。

 猛暑、酷暑、炎天、熱波・・。言葉では簡単に表現出来ない様な、異常なほどに熱い日が続いています。一番ピンと来るのは・・・“クソ熱い!”でしょうか?・・・。
 先日は遂に41℃越えとか・・。まるで砂漠の様な日本列島。ここ信州松本でも35℃を超えて36℃近い日もあったりと、異常な熱さです。最近は知りませんが、90年代前半に駐在していた赤道直下のシンガポールでも35℃前後で、確かにタイのバンコクは38℃位にはなった日もあった様に記憶していますが、今の日本列島の真夏は当時の熱帯よりも熱い様な気がします(但し、シンガポールは湿度がほぼ100%。皮製品は定期的に陰干ししないと、直ぐにカビてしまいます)。一体この先、地球はどうなるのでしょうか?・・・。
(それにしても、米国TV局の支払う高額な放映権により、いくら米国内スポーツのオフシーズンとなるこの8月の開催を求めているとしても、2年後のこの“クソ熱い”時期にオリンピックなんてやっても大丈夫なんでしょうか?それこそ、1984年8月開催だったLA大会での女子マラソンで、スイスのアンデルセン選手のフラフラになりながらのゴールシーンの様に、命に関わるような暑さに因る脱水症を以って、大会の“感動”的ストーリーにしてはいけないと思います。それに、仮に猛暑でなければこの時期は台風襲来かもしれませんし・・・。今回も“晴天率の一番高い”10月10日でイイじゃん!て思いますよね、日本人なら誰でも・・・)

 ・・・と、“不都合な真実”は少し横に置いておいて、こう“クソ熱い”と冷たいモノが(特に昼には)食べたくなります(シンガポールの「レッド・ハウス」のオープンテラスで、毛髪の中をまるで滝の様に汗が流れつつ食べたチリクラブや、インドカリーの様な辛い料理も逆説的で良いのですが・・・)。
冷やし中華、素麺、冷麦・・・、個人的には学生時代に京都で食べていた、京風?(関西風?)冷麺が食べたくなりますが・・・。何となく冷たい麺類ばかりが並びます(ざる蕎麦は、夏に限らず一年中食べていますので)。

 そこで、個人的にお薦めなのが“冷汁”です。
「冷汁」は、宮崎県の郷土料理として有名。昔、出張した時に、宮崎空港で冷汁のスープの素を買って来た記憶があります。本格的な冷汁は、味噌ベースの冷たいダシ汁で、ほぐした焼き鯵などが使われていますが、材料は気にせずに、家庭菜園で採れたキュウリと青紫蘇を使い、買ってあったミョウガの残りも使って、味噌とすりゴマ、煎りゴマも使って、冷たい味噌ベースの汁を作って、好みでレモン果汁で酸味を付けたり、砂糖で甘味を付けたりと自分好みの味にして、水で洗ってヌメリを取ってサラサラにしたご飯に刻んだ野菜を載せ、氷を入れて冷やした汁をぶっかけていただきます。

 以上、いい加減な“男の料理”ですが、この“クソ熱い”夏のお昼にはイイんじゃないでしょうか?・・・。では、頂きまーす!