カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
槍ヶ岳や穂高連峰で有名な北アルプスですが、松本平からの北アルプスの風景でのシンボルは、何と言っても常念岳です。特にその常念を中心に、屏風の様に背後に拡がる北アルプスの峰々と黒い松本城は市民の誇る絶景です。
その優美なピラミッド型の姿はどこから見ても象徴のような気がします。ただ厳密に言うと、場所場所で微妙に姿かたちが異なります。きれいな三角形は松本から穂高くらいまででしょうか、豊科以北では屋根を斜め横から見る形となりますし、塩尻では、鍋冠や大滝山に邪魔されて、常念は殆ど隠れてしまいます。また、麓である堀金では、それこそ目の前全部が常念です(・・・という程の印象です)。
以前、高校の大先輩でもあった豊科在住の或る会社の役員の方と長野県庁での会議の帰り、明科に近づいて北アの山々が見えてくるとどちらともなく「常念談義」になったのですが、その方は豊科からの常念が一番だと言われ、私は松本からの常念が、とお互い譲りませんでした。大人気ないと言われればそれまでですが、最後は結局生まれ育った場所からの常念が一番、ということにお互い落ち着きました。
会社員時代に島内の事業所に勤務していた頃、朝の通勤路で宮渕から新橋への道へ合流すると、「常念通り」と名付けられているその名の通り、目の前にぱっと常念が現われます。特に冬はその姿を望める日が多く、それこそ涙が出るほど美しく、白く輝く常念に毎朝元気をもらったものです。
また、学生時代、帰省して松本に近づき常念が見えて来ると「あぁ、松本に帰ってきたなぁ!」と実感したものでした。
残念ながら岡田・神沢からは、城山々系に邪魔をされて北アルプスは全く見えません。安曇野から神沢に嫁いできた近くのおばさんが「昔、嫁にきた頃は常念が見えなくて悲しくてしょうがなかった。」としみじみと話していたのを思い出します。また、母も常念の見える松本市の南部出身であり、昔元気だったころの早朝のウォーキングでは、必ず常念が見えるポイント(岡田松岡)まで歩いてから戻って来たそうです。
以前放送された朝ドラの「おひさま」の時の安曇野は大変な賑わいだったようですが、小説『安曇野』により、それまで「安曇平」と呼ばれていた一帯が初めて「安曇野」と呼ばれるようになったのだそうです。
旧堀金村出身である著者の臼井吉見が堀金小学校の頃、当時の佐藤校長が朝礼で毎日生徒全員に「常念を見よ!」と言われて過したという逸話は有名です。常念が仰ぎ見える晴れた日ばかりではなく、雨の日も雪の日も、純粋な子供たちは“見えぬ常念”をきっと心の目で見つめて過したのでしょう。
そういう意味で常念は登る山ではなく、日々眺めて暮らす山なのかもしれません。
この松本平で暮らす人々は、生まれてから死ぬまで、日々常念を仰ぎ見て、力をもらいながら人生の喜怒哀楽を過ごしてきたのです。
【注記】
ここに掲載したのは、この5月を中心に、松本市の城山々系から撮影した常念岳です。
凛とした気高い冬の常念も素敵ですが、雪解けが進んで谷に雪が残る今頃の常念が個人的には一番好き。版画の下絵になりそうな、風薫る5月の常念です。