カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
日本にとっても熱き17日間だった、平昌オリンピックが熱戦に幕を下ろしました。
銀メダルの柔道選手やレスリング選手の謝罪に「頑張ったんだから、謝る必要なんてない!」との声が挙がったリオでのマスコミ報道を契機に潮目が変わり、それまでの様にマスコミが勝手に煽った後での“掌返し”報道が減った様な気がします。
今回も、皆頑張った!本当に「お疲れ様でした。感動をありがとう!」でしたね。
こうした中で、個人的に一番感動したのは、やはり小平奈緒選手が女子500mの時レース後に韓国の李相花(イ・サンファ)を抱き寄せてお互いの健闘を称え合った場面でした。それを見た客席で応援していた小平選手の父上も、 「おっ、イイじゃん、イイじゃん!サンファと奈緒が・・・」
と、金メダルの瞬間よりもこの場面を一番喜んでいた様に感じられました。お互いファーストネームで呼び合う友人として、双方の家庭にもお互い招待するほどの中だったとか。
小さい時から、スケートの大会に出掛ける娘に両親は「ちゃんと挨拶をしなさい!」。そして勝ち負けよりも「(自分から話しかけて)友達を作って来なさい!」と口うるさく言っていたといいます。正に“この親にしてこの子あり”。
小平選手が練習へ取り組む態度を変えたキッカケは、オランダ留学中に「神様からもらった時間を大切にしなさい!」と送られて来た父親からの言葉だったとか。「素敵なお父様ですね!」というインタビュアーの言葉に、照れ臭いのか、「イエ・・・」とはにかむ小平選手。「あぁ、普通の父親と娘なんだ」と、何とも微笑ましく感じました。
小平選手は、中学時代から遠く離れた宮田村のスケートクラブの新谷コーチ(お嬢様である志保美さんも、2010年バンクーバー五輪のスピードスケート500mに出場した日本のトップスケーター)に指導を仰ぐために毎日伊那谷まで通い、高校でもその指導を継続するためにスケートクラブの無い伊那谷の高校に進学します。同様に、大学も結城コーチの指導を仰ぐために、当時は全く強豪校でもなかったのですが、同コーチの所属する地元の信州大学に進学。既に日本のトップスケーターでもあった高校卒業時や大学卒業時も、あくまでその結城先生の指導を継続するために、地元の諏訪や山梨の実業団の強豪チームからの誘いも断ります。実業団には監督やコーチなど、それぞれ専属で指導する体制が出来上がっており、一人だけ個別、或いは外部の指導を受けることは組織上許されなかったでしょう。実際、同じ茅野市出身で先輩スケーターである吉井小百合選手(同じくバンクーバー五輪女子500m5位)は地元下諏訪の日電産サンキョー所属でした(そのサンキョーも、ソチでの日本スピードスケート惨敗を受け、小平選手とほぼ同時期にスケート王国オランダに渡り集団指導を受けていて、その時の現地コーチが現日本チームのヨハン・デビットコーチであり、それが縁でその後に日本ナショナルチームに招聘されますので、サンキョーもそうした意味で先進的なチームだと言えます)。
信大卒業時、結城先生から私がいた会社にも問い合わせがありました。私は当時人事部で採用を担当していた訳ではありませんが、採用を担当していた別の部長から「採用は無理ですよね?」と念押しでの相談を受け、「うん、ウチじゃ無理だよね・・・」と応えた記憶があります。当時も会社にはパラリンピックに出る社員もいましたが、全員普通に業務をした後の就業時間外や休日に練習する完全なアマチュアリズム。所謂実業団スポーツとは一線を画していたからです。従って、その後彼女が企業スポーツとは全く無縁の相澤病院の所属になったと知り、少なからず胸を撫で下ろした記憶があります。
そんな経過もあって、その時の些かの後ろめたさもあってか、その後の彼女の活躍が地元で報道される度に「良かったなぁ・・・」と人並み以上に喜んでいました。ですから、今回の金メダルは何よりの感動でした。
1956年のコルチナ・ダンペッツォでの猪谷千春さんのアルペン銀メダルは奇跡の別格として、1972年の札幌“日の丸飛行隊”の表彰台独占まで、金メダルどころか一つもメダルの無かった冬季オリンピックでの日本チーム。
女子選手では、1960年スコーバレーのスピードスケートに出場した長野県南牧村出身者でもある長久保初枝さん(500、1000mで5位。3000mは4位と全て入賞し、メダルまでもあと一歩)が草分け。
長野県出身者のメダリストは、1992年のアルベービル、94年リレハンメルのノルディック複合の団体連続金メダル、リレハンメル個人銀メダルの河野孝典さんが初(ラージヒルで西方仁也さんが団体銀)。そして、今回の小平さんが、長野県出身者として個人での初めての金メダルだそうです。
翌日TVの「ミヤネヤ」で、金メダル確定後すぐに配られた地元紙の号外に、
「早過ぎる!絶対にレース前から準備してたんだろっ!」。
「イイじゃん!何がイケナイ訳?」
と、個人的に突っ込みたくなりました。
実際、翌日出身市茅野市役所に飾られた「祝!金メダル」の垂れ幕(注:懸垂幕)は、レース前から金メダルを確信して作成済みだったとか。
それだけの絶対女王。しかし、支援者の皆さんや地元の期待も一身に背負って、勝って当然を実践することがどれほど大変だったのか・・・(家内の実家も茅野市ですので、南大塩公民館や茅野北部中学などがTVの全国ニュースに登場したのは実に感慨深いものがありました)。
その意味で、パーフェクトだった宮原知子選手。大怪我を乗り越え、最後に大技を繰り出した平野歩夢選手。痛み止めを飲んでいることなど微塵も感じさせなかった羽生結弦選手。確かに悔し涙もたくさんあったけれど、笑顔だった岩淵麗楽選手や坂本花織選手・・・。みんな凄い、アッパレ若造!ですね。
リンクにたくさん投げ込まれたプーさんについて聞かれた羽生選手。
「プーさんは、森に帰します」。
“そだねー”・・・でしょうか。
【注記】
小平選手のメダル獲得を祝して掲げられた、所属先のある松本市役所と(奥さまに実家に行った時に撮って来てもらった)出身地である茅野市役所の懸垂幕です。やったね!オメデトウ
昨年あたりから巷で人気という、韓国料理の“チーズダッカルビ”。「ダッカルビ」或いは「タッカルビ」。韓国語で、「タッ」は鶏を指し、「カルビ」はあばら骨の周りの肉のことなのだそうです。
何となく、とろけるチーズの入ったキムチ鍋のトリ肉版のイメージでしょうか。最近我が家ではキムチ鍋の〆に作るチーズリゾットに嵌っていて、これが食べたいのでキムチ鍋を選ぶと言っても過言ではありません。そのため、コチジャンも常備しているので、ネットでレシピを調べて、少し深めのフライパンでも作れると云うレシピを参考に、我が家でチーズダッカルビを作ってみました。材料はレシピに依って野菜などの食材は異なる(例えば、キャベツではなく白菜と、ジャガイモではなくサツマイモを使用する)ようですが、鶏モモ肉、キャベツ、ジャガイモ、タマネギを選択。
もしかすると、ちゃんとした韓国料理屋さんで食べればまた違う感想になるかもしれませんが、 結果は・・・ウーン!?個人的にはキムチ鍋の方が好みでした。とろけるチーズも、キムチ鍋の〆に作るチーズリゾットの方が絶品です。
従って、我が家での(冬の)鍋シーズンは、キムチ鍋、出汁が利いてスープが絶品のゴボウ鍋、ポン酢で頂く寄鍋のローテーション。そして、たまには我が家で云うところの“安鍋”(世間で言うところの、豚バラと白菜のミルフィーユ鍋)が定番となりました。
人生60年、今まで生で歌舞伎というモノを観たことはありません。松本でも、10年程前から平成中村座のコクーン歌舞伎が2年に一度「まつもと大歌舞伎」としても演じられるようになり大変な人気ですが、我々は一度も行ったことはありませんでした。
今回、たまたま歌舞伎座での観劇のお誘いがあり、奥さまが「一度歌舞伎を見てみたい」とのことから参加することにしました。松本から往復観光バスで歌舞伎座横付け。チケットも昼食も全て用意されているので、初心者も安心です。
今回の「二月大歌舞伎」は、世間でも話題となっている「高麗屋親子孫三代襲名披露公演」です。但し松本からの日帰りのため、三代襲名披露口上などが行われる「夜の部」は無理な事から、11時開演の「昼の部」を観賞。
6時半に松本を出発し、途中SAで休憩し、10時半頃歌舞伎座に到着、観劇終了後の4時頃歌舞伎座を出発し、夜7時半頃松本到着というスケジュールで、参加者は20名程でした。
一、春駒祝高麗
二、一條大蔵譚
三、歌舞伎十八番の内 暫
四、井伊大老
人生“初”観劇故、歌舞伎には疎く全く説明出来ませんので、歌舞伎座の「あらすじ」をそのまま引用させていただくと、
『一、春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)
初春を迎えた工藤祐経の館に乗り込んだ曽我十郎と五郎の兄弟。春駒売りに身を窶(やつ)し賑やかに踊ってみせる。そして、親の仇である工藤と対面するが…。
襲名の幕開きを祝うに相応しい華やかな舞踏が舞台を彩ります。
工藤祐経を中村梅玉、曽我五郎と十郎の兄弟を中村芝翫、中村錦之助。
二、一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)
平家全盛の世、夫源義朝を亡くした常盤御前を妻に迎えた一條大蔵卿は、その阿呆ぶりが世間でも広く知られる。大蔵卿の館に潜り込んでいた源氏方の吉岡鬼次郎は、源氏再興の思いをなくした様子で楊弓に興じてばかりいる常盤を打ち据える。しかし、常盤の振る舞いには訳があり、そこへ大蔵卿が勇ましい姿で現れると…。
義太夫狂言の大役を、新幸四郎が襲名披露狂言にて勤めます。
三、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
早春の鶴ヶ岡八幡宮、威厳を誇る清原武衡に対して、加茂次郎義綱が不遜な振る舞いを非難すると、武衡は義綱の首を刎ねるよう命じた。そのとき、「しばらく」と大音声がかかると鎌倉権五郎が颯爽と登場し…
権五郎が見せる元禄見得や幕切れの豪快な六方は大きな見どころです。歌舞伎十八番らしい荒事をお楽しみいただきます。
成田屋の十八番に相応しく権五郎に市川海老蔵が扮します。
四、井伊大老(いいたいろう)
時は幕末。開国を決断し、暗殺の危機に晒される大老井伊直弼。雛祭りを控えたある日、直弼の側室お静の方のもとに旧知の仲である仙英禅師が訪れ、直弼に危機が迫っていることを伝える。自らの死すべき運命を覚った直弼は…。
桜田門外の変までの井伊直弼とお静の方との情愛を、繊細な心理描写で描く名作をご堪能いただきます。 直弼は中村吉右衛門。』
とのこと。
当日は、初心者にも分かり易い様に「イヤホンガイド」も用意していただいていました。恐らく事前に録音されていると思うのですが、まるでLIVEのようにドンピシャのタイミングで解説が入ります。また歌舞伎独特の化粧である隈取りで役者の素顔が分かりませんので、登場し初台詞の際に役者名と屋号も紹介してくれます。また見所、例えば海老蔵扮する権五郎のツラネと呼ばれる長台詞(襲名披露のお祝いも交えながら客席を沸かせます)や荒事と呼ばれる見得や花道を退場する際の六方など、邪魔にならぬよう解説が入るので、全く知識が無くても目の前の演目を十分楽しむことが出来ました。
また悪人、善人の衣装の区別など細かい部分まで知ることが出来ました。
草間弥生による襲名披露のお祝い幕も華やかでした(松本で3月から開催される展覧会でこの原画も展示されるそうです)。ただ新作歌舞伎の演目という「井伊大老」で、人間国宝中村吉右衛門が私メにはどうしても鬼平に見えてしまうのは我ながら情けない。
また二幕と三幕の間に3階のレストラン「花篭」に移動して、これぞ正真正銘の幕の内弁当をいただきました。ただ幕間が30分しかないので味わう程の余裕はありません。従って、観劇には銀座のデパ地下などで老舗の料亭のお弁当を買って来るか、或いは一階の桟敷席だけが予約可能なお茶と一緒に用意される幕の内弁当をゆっくり頂くのがここでは一番贅沢だと納得した次第。
初めての歌舞伎。着物で来られるご婦人方も多く、華やいだ雰囲気。お開きになり、賑やかなロビーでは夜の部のご贔屓筋や招待客を出迎えるカウンターで松たか子嬢のお母上でもある松本白鸚夫人が何やら忙しく準備をされていて、大昔まだ染五郎の頃、ご夫婦二人でマンズワインの 確か“♪夫婦でワイン、なんてね~”という CMに出られていたのを突然思い出しました。
最近興味を持っている古典落語にも「淀五郎」や「中村仲蔵」など歌舞伎の人気演目である「仮名手本忠臣蔵」を題材にした演目もありますし、代表的な落語の人情噺の「文七元結」や「芝浜」は歌舞伎の演目になっており、「駱駝」も新作歌舞伎の演目として演じられたこともあるのだとか。落語同様に、江戸庶民の楽しみだった歌舞伎。人情劇や勧善懲悪など、ストーリーそのものは至ってシンプルですが、長唄や義太夫といった歌舞伎音楽、見得や独特の台詞回しなどと相俟って、総合芸能とでも言えそうな歌舞伎舞台。古典芸能観賞もたまには良いモノだと納得した次第。大いに楽しむことが出来ました。
10年程前にご紹介した“モズのモっくん”(第37話を参照下さい)。
新築後20年経ち、いよいよダメになった薪ストーブを交換。新しいデンマーク製の薪ストーブは性能も良く、二次燃焼で灰も少なくなった気がしますが、そのためか燃焼室も以前のモノより小さく、薪で購入しているナラ材が太いので、半分程の太さになる様に自分で斧で薪割りをしています。
原木で購入していた頃は、チェーンソーで丸太を切り自身で薪割りしていたのですが、その後は薪で購入していたため、10年振りくらいになるのか、本当に久し振りの薪割りです。
春先などにトラクターなどで畑を耕していると、掘り返された土の中に住む虫を探して、耕し終わった後を鳥が歩き回ることがありますので、鳥の習性として、薪割りなどで木の中に住む芋虫が見つかることを知っているのかもしれません。そこで、薪割り最中に木の中から出て来た芋虫をモズ用に並べてあげます。割った薪を運んで、新しく割る薪を積んで戻って来ると、しっかりとモズが芋虫を食べてキレイに無くなっていました(拡大したのでボヤケてしまい分かり辛いですが、中央やや下辺りにモっくんが写っています)。
10年前のモズではないでしょうが、でも何となくあのモっくんが戻って来てくれた様な、或いはあのモっくんのDNAを引き継いだ子供か孫がどこからか来てくれた様な、何だかそんな気がしてなりませんでした。
これから暫く、薪割りが終わる春先(啓蟄?で虫が出てくる頃)まで、モズのモっくんとの交流が続きそうです。
2月3日に松本のキッセイ文化ホール(以下県文)の会議室で行われた「第19回まつぶん新人寄席」。私メは2年前の第16回から毎回参加しています。
“あしたは真打”と銘打たれて、その時の旬な二ツ目が毎回登場する「新人寄席」。今回は春風亭正太郎、春風亭朝之助の春風亭一門のお二人が出演。正太郎さんは正朝師匠に入門し2009年に二ツ目昇進した人気の若手落語家。朝之助さんは一朝師匠に入門。2014年に二ツ目に昇進。
開場時間に着いたのですが、既に半分以上の入り。結果270人という過去最高の大入りで、追加の椅子も用意されたほど。毎回聴衆が増えています。年齢層は私よりも上の中高齢者が多いにせよ(何しろシニアと学生さんは500円という格安の木戸銭ですから)、この田舎でも昨今の落語ブームというのが感じられるようになりました。
この日の出し物は、最初に正太郎さんが「五目師匠」、朝之助さんの「だくだく」。仲入りを挟んで、後半に朝之助さんは「壺算」、トリが正太郎さんの「茶の湯」という演目でした。
「五目師匠」は初めて聴く噺。「船徳」や「湯屋番」同様に、勘当された薬屋の若旦那が素人の講釈師を演じる話。「赤穂義士伝」に始まり色んな場面が混ざり合う支離滅裂な講談。畳み込む様な口上がお見事でした。
「だくだく」は間抜けな泥棒噺。落語に目覚めた尾瀬あきら氏の「どうらく息子」では、銅ら治が「鈴ヶ森」、あや音が「だくだく」という泥棒ネタを演じて「NHK新人落語大賞」を競い合います。
この日のトリの正太郎さんの「茶の湯」は市の中央図書館で借りた「さん喬&権太楼 二人会」のCDでも権太楼師匠が演じられていた爆笑落語。例えば志ん朝落語で「愛宕山」の山登りを汗だくで熱演するのと同様に、CDの音だけではなく、とんでもない茶を飲んだ時の“顔芸”が見ものであり、落語も「音」だけではない“独り芝居”だと納得した次第。
今回の正太郎さんの演ずる小僧「定吉」のボケぶりと、「茶」を飲んだ時の仕草もなかなかお見事でした。
今回も大いに楽しませていただきました。4ヶ月毎、年に3回行われている「まつぶん新人寄席」の次回は、6月とのこと。また聴きに行きたいと思います。
ツアーに参加するために朝一番のスーパーあずさで新宿経由羽田に移動。
6時10頃の始発で行っても、6時51分発のスーパーあずさで行っても、新宿到着は12分しか変わらず、乗り換えで空港の集合時間には十分間に合うことから、12月23日に投入された新型のE353系に乗車することにしました。
大晦日に帰京した娘が乗るE353系を松本駅で出迎えたばかりでしたが、今度は自身も乗車することが出来ました。
入線を待って荷物を置いてから、まだ10分ほど出発までに時間があったので、先頭車両(乗車する車両の関係で最後尾)の写真を取って来ました。LEDライトがカッコイイですね。そして、当然ではありますが、デビューしたばかりの新型車両ですのでキレイな事。特に白色が、従来のスーパーあずさのE351系や現役のあずさとかいじに使われているE257系に比べて純白に近く、雪に覆われた北アルプスを想わせます。
定刻に滑る様に発車。E351系やE257系に比べ、実に静かです。山梨県内には急カーブが多く、また都内の中央線の混雑(要複々々?線化)のため、今のままでは時間短縮は不可能な状況(時に特急が貨物列車の通過待ちをする上諏訪~下諏訪間の単線区間は、もう笑って諦めるしかありません)なことから、乗り心地改善等の快適性向上を狙ったと云う通り、これまでと比べて静粛性も格段に高く、カーブになっても揺れも少ない感じです。1993年に登場したE351系は、カーブでの減速を避けるために振り子式が採用されていましたが、乗り心地はあまり評判良くありませんでした。新型のE353系は、カーブでの減速を避けるために、旧型の振り子式ではなく新幹線で使われている空気バネ方式が在来線特急として初めて採用されたのだとか。確かに、ナルホドという静かさと快適な乗り心地でした。
また座席や洗面所なども新型車両故に当然ですが、どこもかしこも新しくて快適です。各座席には可動式枕が一般車両にも採用されていて(新宿と松本駅の清掃係の方々は大変でしょうが)、便利になりました。中央線にトンネルが多いためかWi-Fiは採用されていませんが、ビジネス客も多い路線ですのでノートPC用等に各座席に電源コンセントも設けられました。
12月23日にスーパーあずさ8往復の半分に新型のE353系が投入され、3月のダイヤ改正でスーパーあずさ全てがE353系に置き換えられるそうです。
残りは・・・早さはリニアに任せて(松本は関係ありませんので上田から北陸新幹線に乗るか)、C62やD51などのSLをノンビリ走らせた方が観光的には良いかも・・・何しろ「日本一美しいJR線」(第50話参照)ですから。
“ゆっくり走ろう 信濃路を”
1月22日でしたか、都心で20cm以上の積雪のあった日は、ここ松本も22cmの積雪がありました(八王子は松本を上回る26cmだったとか)。
これは、私達(信州の中南部で)が言うところの「カミユキ(上雪)」。冬型が崩れる春先(2月下旬から3月中旬頃)になって、日本海側ではなく太平洋岸を低気圧が進んだ時に、標高の高い松本や諏訪など(真冬の時期は、日本海側に大量に雪を降らせる雪雲は北アルプスに遮られて殆ど雪の降らない)信州の中南部に降る雪のこと。まだ1月に、季節外れの「カミユキ」が太平洋側に降ったイメージでした。しかし、雪だけではなく、数年に一度という様な寒波が日本列島を襲う中、1月中旬くらいから平年を下回る様な寒い日が多くなりました。
その後も時に-10℃近い寒い日が続き、寒さに慣れている筈の松本でも水道管の凍結が相次ぎ、例年の倍の多さとか。
記録的な大雪での被害も心配される北陸地方など、寒波の襲来を受ける今年の日本列島ですが、一度は氷が解けて諦めかけた(羽田へ行く日の朝、あずさで諏訪湖畔を走った時は波が立っていました)のが、その後の寒波で5年振りに諏訪湖で御神渡が確認されたのだけは寒い今年の冬の吉報でした。何しろ、夏の花火と7年に一度の御柱以外は閑古鳥の鳴いている諏訪ですので、定年後は諏訪に行くことも殆ど無くなりましたが諏訪にお世話になった身としては、冬にも観光客の皆さんが押し掛けて来てくれたのは本当に有難い限りです。
(写真は1月22日夜の雪の様子と、アルプス公園から望む今朝の北アルプスです)
最終日はゆっくりとホテルを出発。迎えに来てくれたバスのガイドさん曰く(彼等は洞爺湖畔のホテルに宿泊)、
「昨夕のホテルからの帰り道でキタキツネに会いましたので、もしかすると今朝も見られるかもしれませんヨ」
湖畔に降りる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」のアクセス路では、残念ながらこの日はキタキツネを見掛けることは出来ませんでした。
洞爺湖畔からICに入り、高速道路で室蘭、苫小牧を経て千歳に向かいます。途中、ハクチョウなどの渡り鳥の集団飛来地という「ウトナイ湖」(ラムサール条約登録湿地)の道の駅に立ち寄り(道の駅の直売所で売られていた地場の野菜類が、大きくて安くて見事だったこと。さすが北海道)、ツアー最後の観光目的地である「ノーザンホースパーク」へ。
ツアーコンダクターさん曰く、
「ポニーショーの馬たちが(派手さは無いけど)地味で可愛いのヨ!。騙されたと思って見てごらんなさい、分かるから」
との言葉に中高齢者中心のツアーメンバー全員ポニーショーの会場へ。
二匹のポニー、キンちゃんとスーちゃん。これが芸達者で笑いも取るなど、ご褒美のニンジンねだりとはいえ良く躾けられていて、ホント“地味に”可愛かったです。ちっちゃい子は喜ぶだろうなぁ・・・。
パドックや厩舎では馬が遊んでいたりして、餌(ポニー専用クッキー200円)をあげたりと彼等と触れあうことも出来ます。良く言われますが、大きくてクリクリとした馬の目の可愛いこと。真っ白な雪の牧場も素敵でしたが、やはり緑に覆われた夏の牧場はもっと素敵でしょうね。
因みに他のツアー会社のコースでは殆ど同じコース内容ですが、最終日は牧場ではなく昭和新山が入っていました。登別よりも規模は小さいのでしょうがクマ牧場もあるそうです。果たしてどちらが良いのでしょうか?せっかくなので洞爺湖周辺も見てみたい気もしますが、雪に覆われた冬のツアーですのでどうなのかなぁ?
牧場を出ると空港はすぐ近く。知りませんでしたが、2機の政府専用機は通常新千歳空港に駐機しているのだそうです。この日機体を見ることは出来ませんでしたが(第2次安倍政権になってから出払うことが多いので)、時々格納庫から出ていることもあるのだとか。
政府専用機の乗員は自衛隊の皆さんが担当していますが、新千歳空港は現在では航空自衛隊が使う旧来の千歳空港に併設されています。
搭乗手続きを済ませ、ここでツアーは解散。皆さん思い思いに自由行動です。我々はお土産はもう購入済みなので、少し遅めの昼食へ。北海道らしい地元の味に限っても、ラーメンや豚丼、寿司や海鮮丼にスープカレーなどなど・・・。巨大空港故に様々なレストランがありますが、お互い好みが分かれるので、フードコートへ行って私メは最後に「松ジン」のジンギスカン丼とサッポロクラシックの生ビ-ル、奥さまは何故か韓国料理店のビビンバの由。そう云えば、探しには行きませんでしたが、このフードコートのどこかには千歳空港を舞台にした“♪愛が飛び立つ~北空港”の歌詞碑があるそうです。北海道を舞台にした歌は多く、また北海道出身の松山千春、安全地帯、中島みゆき、ふきのとう・・・etcと、北海道出身のニューミュージックやフォークソングのミュージシャンも数多いのに、何となくイメージは演歌でしょうか(そう云えば、「宗谷岬」も船村徹作曲でした)。
「憧れのザ・ウィンザーホテル洞爺と札幌・小樽 優雅な休日3日間」
オフシーズンのツアーで無ければ泊まれない高級リゾートで、フレンチの夕食もミシュランの「ミシェル・ブラス」ではなく、ツアー専用に用意された内容と食材ではあります。しかし、オンシーズンであればツアー料金全てがホテル代に消えそうな値段で、東京からのエアと札幌のホテル代も含まれているのですから。まぁ、確かに自由行動が多く、団体行動での観光はノーザンホ-スパーク以外は無料ですが、もし個人で行こうと思ったら、交通費を含めてこの値段では到底不可能でしょう。リピーター参加の多い人気コースというのも納得でした。また、札幌の雪まつりも是非一度は見てみたいと思います。
“でっかいどぉ 北海道!” (また来ま~す!!)
北海道の魅力は何と言ってもグルメです。そこで、今回は二泊三日と日数が限られてはいましたが、ジャンル毎に今回食べることが出来た内容についてご紹介したいと思います。
会社員時代に、事業所の在った札幌や千歳に何度も出張しましたが、赴任者曰く「(北海道では)回転寿司で十分!」とのことで、実際連れて行ってもらい、その本場の新鮮なネタに唸らされたものでした。今回、東京の銀座と丸の内にも出店して大人気という「根室花まる」が、駅ビル(JRタワーのステラプレイス)内にもあるというので、千歳空港から札幌到着後そちらで遅めの昼食をとることにしました。さすがに人気店らしく、地元の方や海外からも含めて我々の様な観光客で、平日でも当然ながらの長蛇の列でした。
ホタテやサーモン、ボタン海老や銀かれいといった北海道ならではの新鮮なネタもありましたが、光物で好きな鯵やイワシは例えば長崎産。北海道まで来て九州のネタを食べることもあるまいと注文は断念しました。ホンマグロのトロは旨かった。ボタン海老やホタテも新鮮だったそうです。因みに、大振りのボタン海老には軍艦も付いて来て、頭の部分の味噌を自分で出して載せて食べる仕組み。新鮮だからこそなのでしょう。カニも含め味噌は好まれぬ奥さまですので、私メが頂戴しました。
また、小樽では猛吹雪の中、予定した有名な「寿司屋通り」に行けず、お土産を購入していたかまぼこ屋さんの隣接していた回転寿司「和楽」へ飛び込みました。こちらでは「根室花まる」よりも「ヒラメ」はエンガワ含めて旨かった。カウンターの中の職人さんや店員さんも皆さん若くて元気で、店全体に活気があって良かったです。
しかし、我々の嗜好がウニやイクラ、更にホッキ貝などの活貝類には向かないので、新鮮な地元ネタを余り注文していないという嫌いはありますが、且つ特に光物が好きという私メの個人的嗜好も手伝って、東京の「美登利寿司 活」の方が全体的にはむしろ好みでした(と後で言うと奥さまも「同感!」とのことでした。しかし松本に帰って来てからある人から教えてもらって知ったのは、北海道でしか食べられない?「タコの子の寿司」が絶品なのだとか。今度来たら是非試してみたいと思います)。
ところで、小樽へ向かう途中、札幌郊外の市街地で全国チェーンの回転寿司店を見掛けましたが、「根室花まる」や「トリトン」など、東京に進出するほど地場の回転寿司が隆盛の中で、いくら一皿100円とか低価格を謳っても果たして対抗出来るのだろうかと疑問を持ちました。
続いて、グルメ的には札幌の夜は、何と言っても“生ビールとジンギスカン!”でしょうか。
当初は観光も兼ねて「サッポロビール園」へ行こうと思っていたのですが、当日早朝からの信州からの移動と半日の札幌観光で些か歩き疲れたこともあり、郊外のビール園へ行くのは断念して、街中の南3条のすすき野にある「キリンビール園の新館アーバン店」へ行くことにしました。
予約をせずに行ったのですが、幸い平日だったこともあり即入店可。昔からバイキングや食べ放題では“元の取れない”(注:飲み放題は除く)我が家ですが、結局“二大ジンギスカンと道産山ワサビの三枚肉食べ放題”と飲み放題(勿論、私メのみ)を選択。
これは生ラムと付けダレの二種類のジンギスカン、豚の三枚肉(豚バラ)とソーセージ、焼き野菜の食べ放題。
因みに北海道で“山わさび”と呼ばれるのは、普通ローストビーフに薬味として添えられるホースラディッシュのこと。所謂“本わさび”と呼ばれる山葵は育たないのか、こちらではこの“山ワサビ”が栽培されていて「ワサビ」として一般的な様です。
また飲み放題は、キリンの工場直送の生ビールを始め、(キリン以外の)ワインや日本酒も含めた飲み放題でした(迷っていたら、「ビール3杯で元が取れますヨ!」というアドバイスに躊躇なく決定した次第)。
“松ジン”に代表される本場の付けダレに期待していたのですが、食べてみた結果は・・・最近の流行同様に我々も生ラムの方が全く臭みも無く柔らかくて好評。結局生ラム中心のオーダーとなりました(ソーセージも美味しかったです)。工場から直送されるキリンのプレミアムビール「ブラウマイスター」の生も最高でした。いくら“食べホー”とはいえ、頼んだモノを残すのはマナーに反するので、最後は無理して完食。
「イヤぁ、食べたー!気持ちワリぃ~」
奥さまも、デザートは不要との珍しきお言葉。
幸い、機内で配布された北海道観光の情報誌に「キリンビール園」の10%OFFクーポンがあったので、有難く使わせていただきました。
「ごちそうさまでした!」
腹ごなしも兼ねて、また歩いて帰ることにしました。
次にホテルでの食事について。
先ず札幌で泊まった「札幌ニューオータニイン」。こちらのホテルは札幌駅から近く、元々は「ニューオータニ」として開業し25年とか。7年ほど前に「ニューオータニイン」としてリニューアルオープン。ビジネスホテルよりは部屋も広く快適で、シティホテルより値段もリーズナブルとして人気の由。数年前に友人と北海道旅行した次女も、札幌でこちらに泊まったのだとか。50種類にも及ぶメニューの朝食バイキングが評判とのこと。
その朝食バイキングで用意されていた中でも、取り分け地元産の牛乳の美味しかったこと。何杯もお替りしました。
またウィンザーホテル洞爺の朝食で、和食と洋食が選択可能で、我々は人気というブーランジュリーのパンが食べ放題の洋食(アメリカンスタイル)をチョイスしたのですが、そのパンは勿論ですが、個人的にはトマトジュースが美味しくて、こちらも何杯もお替りをしてしまいました。
ウィンザーでのハイライトであろう夕食には、洋食/和食/寿司/中華と用意された各コースから、ツアー参加者各自がお好みで事前に選択予約するシステム。洋食以外は、メインダイニングのフレンチレストタン「ミッシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン」同様にミシュラン(北海道版)2つ星の「あらし山吉兆」などのホテル内のレストランで、選択者が多い(であろう)洋食はホテルの宴会場使用とのこと。
せっかくのサミット会場となったホテルですので、ここは迷うことなくフレンチのフルコースを選択しました。食事会場の地階の宴会場は、サミットに使われた会場だそうです。
「北海道の海の幸と洞爺湖畔の畑の恵」と題され、ホテルの総料理長監修のコースは、メインダイニングのミシュラン「ミッシェル・ブラス」の通常コースとは恐らく異なり、ツアー用に素材を工夫して用意されたコースだと勝手に理解しましたが、調理と盛り付けはそれなりに手の込んだ内容で、一応それなりに満足出来ました。
それこそ、海の幸も農産物にも恵まれた“グルメ王国”北海道。
四季折々の旬の食材もあり、僅か数日、且つスポット的(今回は道央だけの)滞在で全てを食することなど到底出来ません。その意味で、ラーメンも厚岸の牡蠣も、またトウモロコシも十勝の豚丼や札幌のスープカレーも今回は味わうことは出来ませんでしたが、限られた日数/コースの中でそれなりに満足(次また来た時のために、その楽しみは取って置くという意味も込めて)出来ました。
さて今回のツアーの中で、私メがグルメ的に本当に美味しくて感動した「ベスト3」は・・・、
1位“ニッカウヰスキーのシングルモルト余市”
2位“ニューオータニイン札幌の朝食バイキングでのフレッシュミルク”
3位“ウィンザー洞爺「ギリガンズアイランド」の朝食のトマトジュース”
・・・でありました。
「いやぁ、本当に美味かった。ごちそうさまでした!」
翌朝、6時営業開始の温泉へ。正式名称が「リゾート&スパ」と名付けられている通り、洞爺湖温泉のみならずスパや室内プール等も備えていて、これらもホテルの“顔”なのでしょう。
「山泉」と名付けられた温泉は、露天ぶろ付きの檜風呂と石風呂の大浴場が男女日替わりとのこと。泊まった翌日の男湯が朝から露天ぶろ付きの檜風呂だったので、家内は前夜食事の後に行きましたが、私メは翌朝湯浴みへ。
2階のスパに行く時のみ室外着用可というバスローブとスリッパ。前日奥さまが私服で行ったら全員がバスローブだったので、わざわざバスローブ着替えに来たので、私メは最初からバスローブで。2階の端にある温泉までは長いアプローチ。6時過ぎに行ったのですが、既に混んでいて、その殆どは中国系のお客さん。しかも露天風呂は全員チャイニーズで、中国語だけが飛び交っていました。日中友好でも良いのですが、浴槽に入る時に「掛け湯」もせずに入浴するのには閉口。浴室のロビーにはちゃんと中国人スタッフもおり、公衆浴場に馴染の無い中国系のゲストに入浴の仕方を説明しているようでしたが・・・?。これではせっかくの高級リゾートの品格が下がります。因みに、その後散歩する時に玄関に─付けされていた観光バスンプレートには「華南ナントカ証券会社」の文字がありましたので、中国バブル経済の株投資の顧客か、はたまたインセンティブの社員旅行の団体だったのでしょう。どうやって稼ごうが、経済力を反映して変換された貨幣価値は等価ですから。高級リゾートの露天風呂を占領する中国語に、正に中国市場の経済力をまざまざと感じさせられた次第。
4年前に経営主体が変ったことも手伝ってか、我々もそうですがツアー客を集めて客室を埋めないと、特にオフシーズンの稼働率を上げるのは難しいのかもしれませんね。しかも殆どはアジア系中心の外国人観光客でした。
何しろ前日とは打って変わっての快晴で、洞爺湖を眼下に望む部屋からも朝日と湖と、そしてシンボル“蝦夷富士”羊蹄山の見事な景色が望めましたので。
ロビーでホテルのマネージャーらしき方にコースをお聞きすると、ホテルの見取り図をくださり、雪が無ければ一周出来るそうですが、恐らく除雪されていない部分があるとのことで、行けるところまで歩いてみることにして「雪に気をつけて」の声に見送られてホテルの外へ。
かなりの積雪でホテルの周囲は真っ白。しかし、重機でキレイに除雪されていました。しかし、この寒さですので道路は圧雪もしくは凍結路。注意を払って小股で歩きます。従業員の方の駐車場(宿泊客は屋内駐車場)からの羊蹄山の見事な事。麓の標高も低いのかもしれませんが、“蝦夷富士”の名に相応しい円錐形(今では使われないそうですが、我々の中学時代はコニーデ型と学習しました)の見事な火山です。その雄大な山容からは、(周囲のチョット小高い山がすぐに2000m級という我々信州人にとっては)羊蹄山の標高が1898mしかないというのが信じられないほどに堂々とした姿。“信濃富士”(因みに中信地方では、火山ではありませんが、その山容から安曇野の有明山2268m。北信だと2053mの黒姫山がそう呼ばれるそうで、こちらは複式火山)が些か恥ずかしくなるほどの威容に暫し見とれていました。これが本来のホテルからの絶景に納得でした。
また、周囲の木々が樹氷でキラキラと輝いていました。最初霧氷かと思いましたが、気温の低い北海道ではパウダースノーで湿っていないことから、有名な“モンスター”蔵王の樹氷の様に木々が雪で覆われる様な樹氷にはならないのだそうです。
洞爺湖の反対側、太平洋の内浦湾を望む斜面がホテルのプライベートスキー場になっていて、なだらかなパウダースノーの斜面と白い樹氷の木々に向こうに青い海。ずっと眺めていたい様な景観が拡がっていました。
下からジョギングで上がって来た女性の方に、
「お早うございます。朝のジョギングですか?キレイな風景ですね!」
と、朝の挨拶をすると、ナント出勤するホテルのスタッフの方。
出勤途中で時間を気にされていたでしょうに、
「はい、こんな美しい場所で働けて本当に幸せです!」
と、内浦湾などの周囲の景観と先程の樹氷の件を教えてくれました。
「出勤途中で引きとめて申し訳ありませんでした。どうぞ行って下さい。」
「では失礼します。是非楽しんで行ってください!」
と、爽やかに雪の中を走って行かれました。
ホテルの品格は景観や施設だけではなく、スタッフの質でも創られている・・・実感でした。
戻り、朝食会場へ。用意されていたのは和食と洋食の選択ですが、我々は迷わずフレンチダイニング「ギリガンズアイランド」へ。洞爺湖を眺められる窓側の席で、ゆっくりと朝食を楽しむことが出来ました。
ただ残念だったのは、人手不足か或いは経費削減か、レストランのスタッフが少なく、二度も催促しないとコーヒーがサーブされなかったこと。せっかくスタッフの方の質の良さを実感した後でしたので、余計残念でした。
10時の出発故、早朝ウォーキングの後ゆっくりと食事をし、ウォーキングで雪のために来られなかったホテル外の洞爺湖側に出て写真撮影。館内に戻って、ウィンザー名物というブーランジェリーでこの日の昼食用のパンやホテルショップでホテルグッズの中からお土産品を(奥さまが)購入しました。それから部屋に戻り、支度をして早めにチェックアウトを済ませ、暫しロビーでホテルスタッフの方々共早朝のウォーキングや山のことなど談笑し、スタッフの方々に見送られて、名残惜しい「ザ・ウィンザーホテル洞爺」を後にしました。また来ま~す!