カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
余市を出て、今回のツアーのハイライトでもある「ザ・ウィンザーホテル洞爺」へ向かいます。
ガイドさん曰く、日本海に面した小樽から洞爺に至るエリアは北海道でも有数の豪雪地帯とか。余市からは2時間ほどの行程の途中、横切る川の殆どが堤防も無く自然のまま。人工的ではなく自然に大きく蛇行する様は、如何にも“でっかいどう!北海道”といった感じで、釣り吉三平ではありませんが幻のイトウが潜んでいそうな雰囲気でした。
洞爺湖に至る手前で、大型のスキー場やゴルフ場も備えた日本最大級というルスツリゾートを通ります。羊蹄山の麓を通るので、晴れていれば目の前に“蝦夷富士“が大きく聳える絶景が拡がる・・・そうですが、猛烈な降雪で羊蹄山は雲の中で全く見えず、近くに“存在する雰囲気”すら感じられません。
冬でも凍らないという洞爺湖。その湖畔の小高い丘(標高620mのポロモイ山)の上に聳える、まるで大型客船の様な「ザ・ウィンザーホテル洞爺」。日本で開催された2008年のサミット会場となり、一躍その名を広めました。
元々は “バブルの象徴”と云われた1993年開業の会員制リゾート「エイペックス洞爺」であり、そのバブル崩壊のキッカケともなった拓銀破たんの原因でもある乱脈融資の舞台。その後2000年に投資額の1/10の値段でセコムが取得。新たに「ザ・ウィンザーホテル洞爺」として、“伝説のホテルマン”窪山哲雄氏(2013年退職)のマネジメントに由り、見事復活再生。その復活劇は色んなビジネス誌で取り上げられました(2014年にセコムは海運会社に売却。従業員はそのまま継続雇用)。当時サミット会場に選ばれたのは、山の上の“一軒宿”故の警備のし易さも確かにあるでしょう(2016年の伊勢志摩サミットも英虞湾に浮かぶ賢島が選定)が、有力経済人として当時のホテルオーナーでもあったセコムの影響も大きかったと謂われています。そこに至るまでのミシュランのレストランを誘致するなどの経営努力は勿論ですが、結果としてサミット会場となったことで、内外に向けてホテルのネームバリューを押し上げたことは否めません。
冬のオフシーズンということもあるでしょうが、クラブツーリズムのツアーでも(冬の時期は格安となる)人気のコースです。
部屋は40㎡というスーペリアルーム。山の上のこのホテルからは、洞爺湖と共に噴火湾と云われる内浦湾双方を望むことが出来るのですが、我々には(オーシャンビューより部屋代は高いそうです)レイクビューの部屋が用意されていました。通常だと部屋代だけでツアー料金を占めるほどの高級リゾートです。オフシーズンとはいえ、こうしたツアーでないと個人ではなかなか泊まれません。明朝の出発までゆったりと18時間滞在がツアーの売りです。
「参加者の方が女性が多いので、ご夫婦同士のテーブルにしました。」
とのことで、会社員時代は転勤族で、何でも昔札幌に赴任されていたことがあるのだとか。天気が良ければ羊蹄山が素晴らしいとのこと。1年前に申し込んでいたのが、やはりお父様が危篤状態で断念された由。
「漸く一年経ったので、今回供養も兼ねて参加しました。」
偶然とはいえ、お互い全く同じ境遇に驚きながら、道内の他のスポットも教えていただきながら旅先での会話に花が咲きました。
「明日天気になぁ~れ!」明日は羊蹄山の雄姿を拝めるよう祈りつつ・・・。
小樽を出て、「マッサン」で知られるニッカウヰスキー余市蒸留所へ。
流行りのハイボール用の炭酸や水、ロック用の氷なども準備されている中で、ストレートで試飲させてもらったこの余市蒸留所を代表するシングルモルトウィスキー「余市(ノンエイジ)」。
何とも香ばしく、ふくよかでフルーティーな甘さもあり、
「あぁ、モルトウィスキーってこんなにも美味しかったんだ!」
と感動の溜息。吹雪の様な雪の余市で飲むシングルモルトは格別でした(奥さまの分も合わせて、「余市」だけは2杯試飲させていただきました)。
ウィスキーに関しては、何しろ当時の我々の様な貧乏学生は、レッド(以下、全てサントリーですが)は悪酔いをするからと何とかホワイトを飲むのが夢。「いつかはクラウン・・・」ではありませんが、社会人になって“ダルマ”を飲めるようになるのが、学生時代の飲酒時のささやかな夢だったでしょうか。オールドのCMのメロディー懐かしいですね。当時からサントリーの方が有名ではありましたが、ブラックニッカに代表される品質のニッカとして「ニッカおじさん」は知られていました。
その後、シンガポールに赴任してから暫くはウィスキーではなく、日本ではなかなか飲めなかった様な有名ブランドのブランデーXOなどに夢中。その後は突然日本酒に目覚めたので、洋酒からは随分遠ざかってしまいました。赴任中にシンガポールから何本か持ち帰った洋酒ですが、今や最後に残ったカミュのXOが料理酒ですから・・・。
外はしんしんと雪降る夜に、暖かな火が燃える暖炉を眺めながらのモルトウィスキー。渋いなぁ~。でも、男の夢かもしれませんね。
(勿論、ブランデーでもイイのですが・・・。バーボンは夏のイメージでしょうか?)
1962年に来日した当時のヒューム英国副首相が、政府主催の歓迎パーティーの席上で、旧制中学(現広島県立忠海高)で正孝の一年後輩という池田勇人首相を前にして、ユーモアたっぷりに正孝を称えて述べた言葉なのだそうです。
スコッチの本場ハイランドに似た気候風土だと云う余市。その冬の寒さの中で、ウィスキー造りに傾けられた熱き情熱を知って、ポカポカと体も心も温まって雪降る余市のニッカウヰスキー蒸留所を後にしました。
このツアーの団体観光としてのハイライトは小樽運河でしょうか。
ツアー二日目は札幌のホテルを朝ゆっくりと出発し、先ずは札幌場外市場で海産物のお土産の買い物です。もう少し滞在時間に余裕があれば他の店も見られるのですが、30分少々しか与えられた時間が無いので(意図的か?)指定された店でしか買うことは出来ませんでした。モノは決して悪くはありませんでしたが観光客値段なのでしょうね、きっと。
“♪ 流氷融けて春風吹いて ハマナス揺れる宗谷の岬”
(榊原広子さんのあの透明感溢れるボーカルと、ご主人まさとしさんの影のように寄り添うハーモニー。いつまでも変わりません)
奥さまの注文も紛らわしかった(「選んだかまぼこを箱に詰めた隙間に入るだけ、この笹かまぼこを詰めて欲しい」というリクエスト)にせよ、
「一体(笹かまぼこは)幾つ買うんですか、買わないんですか?欲しいなら、全部入るもっと大きな箱もありますけどネッ!!」
と、ムッと顔色を変えたベテランらしいオバサン店員に唖然。市内等に何店舗も構える老舗の有名店とも思えぬ様な、あるまじき店員の態度に、
「おいおい、あんた客商売でしょうが!顔に出てるよっ!」
(と、よっぽど文句を言ってあげたくなりました・・・ウルサイ中年オヤジと思われるので止めましたが)。
最後に(店内のイートインのカウンターで、別の「笑顔の!」若い店員さんから)ケンミンショウでも紹介されて人気という「パンロール」を購入。
運河散策の頃から雪が激しくなり、かまぼこ購入で手間取って外に出ると、外はまるで吹雪の様相。“寿司通り”に行くのも無理そうな程の激しい雪降りに、諦めて近くの回転寿司へ入りました。
小樽には他にもガラス細工の店や食べ歩きで興味のあった店(「なると」のザンギ・・・etc)もあるのですが、バス停もすぐ目の前だったので、激しい雪降りに全てを諦めて集合時間前にバスに戻りました。
悪天候で飛行機の羽田への到着が遅れ、羽田離陸後も結構長い間シートベルト着用サインが点灯していましたが、その予告されていた揺れも然程でもなく無事新千歳空港に到着。預けた荷物も(チェックインが遅かったせいか)すぐに出て来たので、予定より早くエアポートライナーに乗車することが出来ました。
私は出張等では何度も千歳や札幌には来ていますが、それでも10年振り近くなるのでしょうか。片や、(シンガポール赴任中は、それこそ一歩シンガポールから出れば全てが“海外旅行”で、山と田んぼが懐かしくて毎年行ったバリ島は勿論、モルディブやNZを始めとして色んな所に家族で行きましたが、日本では「本州から出たことが無い!」が口癖だった)奥さまは、初めてとなる念願の“北の大地”北海道であります(イェイ、やったね!)。
今回のツァーは、初日は各自札幌に移動して指定されたホテルに宿泊。翌朝の出発時刻までは全て自由行動です。そこで、千歳空港から札幌駅まではエアポートライナーに乗車し40分弱で2時頃到着。市内観光もですが、札幌でのお目当てはグルメ。先ずは東京にも出店し人気の回転寿司で遅めの昼食です。地元の方や海外からも含め我々の様な観光客で当然ながらの行列なので、ホテル(ニューオータニイン)がJR札幌駅から徒歩8分とのことから、家内を残して私がホテルに荷物を置きに行って来ることにしました。
地下街は初めてだと分かり辛いので最初は地上から。外は積雪が踏み固まって歩道も所々ガリガリに凍結。信州の様な融雪剤では追いつかないのか、至る所に滑り止めの砂が撒かれていました。無事チェックインし。荷物を部屋に運び込んでいると、家内から電話で既に順番とのこと。急いで戻り、番号を伝えてカウンターに着席しました。
食事の後は市内観光へ。暗くなるまで3時間も無いことから、郊外へは無理なので徒歩で市内観光です。札幌は、京都同様に碁盤の目で街づくりがされており、大通りを挟んで北○条・南○条と観光客にも割と分かり易い区割りです。
先ず駅から北大へ向かいます。歩道はともかく、広い大学構内は歩道が凍結してガリガリのアイスバーン状態。慣れている筈の学生さんも何人か滑って転んでいましたので、信州人故に都会人よりは雪道に慣れているとはいえ、我々も歩幅を狭くしてゆっくりと慎重に歩を進めました。
シンボルのポプラ並木を見て、帰路は除雪され車道を南北の方角を想定しつつ時間半分以下で戻ることが出来ました。
雪まつりもそうですが、決して観光目的の誘客だけではなく、そこに住む人たちにとっても“しばれる”寒い冬を楽しむ北国の知恵でしょうか。
札幌駅に戻り、JRタワーの高さ160mという展望室T38へ。有料ですが(シニア割引がありました)、23時までとテレビ塔よりも遅くまで営業しており、また郊外の観光スポットでもある「もいわ山山頂展望台」に行かずとも「日本新三大夜景」札幌の夜景を楽しむことが出来るので便利です。平日のためかお客さんもまばらで、ゆったりと夜景を楽しむことが出来ました。38階にある展望室からは東西南北360度、札幌市街が地上172mのJRタワーの眼下に拡がります(写真は、この日行った駅の南と北方面)。
雪まつりの頃の冬の札幌がイイか、或いは爽やかな夏がイイのか?・・・。今度また来る時のために残りはとっておきます。
クラブツーリズム主催のツアー「憧れのザ・ウィンザーホテル洞爺と札幌・小樽 優雅な休日3日間」。
2年前に参加する予定だったのですが、その年の春に亡くなった義父の容体悪化で参加を断念。今回、漸く参加することが出来ました。このコースは同社主催の中でも人気のツアーで、何度も参加するリピーターも多いのだとか。勿論目当ては、オフシーズンだからこそツアーでの宿泊が可能なのでしょうけれど、10年前のサミット会場として一躍有名になったホテル「ザ・ウィンザーホテル洞爺」への宿泊です。
ツアーは2泊3日。羽田発で、初日千歳から札幌泊までは個人行動。2日目から観光バスで、小樽、余市のニッカウィスキーを巡り、洞爺泊。ゆっくりとホテルに滞在し、翌日牧場見学の後夕刻羽田着というコースです。
子供連れでの家族旅行には団体行動のツアーは不向きですし、若い時は自由行動の方が良いと思っていましたが、年を取ると、常識的な団体行動(時間を守る、自分勝手な迷惑行動をしない等・・・)を行ないさえすれば、あとは何も考えずに(全て計画されている旅程に)付いて行けば良いだけのツアーも気楽で至極便利です。また個人では行き難いコース(例えば、5年ほど前に初めて参加したツアーの雪の白川郷のライトアップ)もツアーだとただバスに乗っているだけ。子供たちが社会人となって独立してから初めて参加したクラブツーリズムのツアーにすっかり嵌ってしまいました。
「♪ 行って来ま~す!」
我々、生粋の“松本っ子”が当たり前と思っていても、県外から来られると、驚いたり意外だったりすることも多いようです。そんな話題としてお送りします。題して「信州松本“ぶったまゲーション”」。
スーパーマーケットの総菜売り場に普通に並んでいる「辛子イナリ」。通常、助六などに入っている稲荷寿司。昔から運動会などのお弁当の定番でした。
袋状に開いた油揚げを甘じょっぱく煮付けて寿司飯を詰めたもので、名古屋の豊川稲荷が発祥とされていますが、単純な酢飯だけではなく、混ぜご飯だったり、ソバだったりと、地方によって色々なバリエーションがあるようです。そうした中で、長野県でも松本地方だけで食べられているのが冒頭の「辛子いなり」なのだとか。
以前「秘密のケンミンSHOW」でも紹介されたそうですが、視聴しておらず、「山賊焼き」がB級グルメ的な町興しで塩尻・松本特有というのは知られていますが、辛子いなりもそうだとは最近まで全く知らず、県外に出た学生時代や海外赴任でも別に(男子が)稲荷寿司の種類を考えて購入したりすることもありませんので、全国的に稲荷寿司の種類の一つとして“普通に”存在しているものだとばかり思っていました。
『(松本の)筑摩(つかま)神社の林邦匡宮司に話を伺うと、神社では毎年1月14日に“篝火(かがりび)神事”が行われ、その際、油揚げと和からしがセットになった“からしあげ”を売るのだそう。どうやら油揚げとからしの関係性はこの神社が始まりのようです。しかし、なぜ油揚げが“裏返し”なのでしょうか。何か風習のようなものがあったのでしょうか。それを探るべく、近所のお寺に聞き込みに。曹洞宗・全久院の倉科利行(りぎょう)住職いわく、死はとても怖いことだから“逆さまにすること”は、その恐怖から解き放つ意味があるとのこと。法事の席で出されていたものが美味しいとなれば日常でも食べたくなるでしょうと。ありがたいお話を頂戴します。』
由来については、他には「松本地方特有の郷土食」程度の紹介のみで、このABN以上の記載は無かったのですが、昔から松本地方のお葬式後の「精進落とし」や「忌中払い」などの法事の席には、こんにゃく、油揚げ、ひじきの白和え、おざざ(と呼ぶ、冷麦の様な細いうどん)が定番(仕出しが無かった昔の田舎では、自宅に集まった同じ町内会や近しい同姓のご婦人方が総出で調理した)で、この甘じょっぱく煮た油あげに必ず辛子が添えられていますので、「油揚げに辛子」はこの地方では「刺身にワサビ」同様に必ずセットで出される風習の様な気がします。
1月の7日と8日は厄除け縁日です。
ここ松本で厄除けの参拝で有名なのは内田の牛伏寺と蟻ヶ崎の放光寺ですが、牛伏寺は大混雑で車の駐車スペースを探すのが大変と聞いているので、我が家では専ら裏山の城山にある放光寺へ毎年お参りをしています。
誰に似たのか(祖母かなぁ?)、信心深い長女は留学前に成田山新勝寺でもご祈祷を受けましたが、2年前の厄年は留学中であったため、頼まれて我々が代参で放光寺で厄除けのご祈祷をしてもらいました。MBAの卒業式に米国に行った際、彼女からその時のご祈祷のお札をお寺に厄年を無事過ごせたお礼に奉納して欲しいと頼まれて持ち帰って来ていましたので、昨年のお札と一緒に奉納すべくお参りに行って来ました。
我々も本殿へ参拝しお札を頂き、八角堂にもお参りして、本殿に古札を奉納して帰路につきました。
「どうか、禍の無い良い年でありますように・・・」
久し振りの年末年始の帰省だった次女の、「お正月くらいのんびりしたい!」との仰せ。
彼女の初詣は東京で(羽田空港神社?)行くとのことから、我々は彼女が帰京した後の三日に早朝ウォーキングを兼ねて歩いて四柱神社へ行くことにしました。
最近四柱神社は初詣に限らず、天照大神を始めとする4柱もの祭神を奉ることからパワースポットとして人気だそうですが、元旦の午前中に年賀状を追加で本局へ投函するために横を通ると、何と本殿前から縄手通りを抜けて大名町の降板先の千歳橋まで参拝客の列が続いていてビックリ。今までで一番長い初詣の行列だったのではないでしょうか。
3日の未明に雪が降ったらしく、朝起きてみると薄らと雪化粧。
ナナの散歩を済ませ、戻り母の朝食を用意してから8時頃自宅を出発。
脇道は雪がまだ解けておらず、滑ってはいけないので本通りを真っ直ぐに駅方面へ下って行きました。松本城公園を抜けて大名町へ向かいます。
帰路、途中に塩竃神社があるので、誰もいませんでしたがついでにこちらにもしっかりとお詣りをして自宅に戻りました。
今回珍しく休みが取れたからと、次女が大晦日に帰省してくれました。
新宿を朝7時に出るスーパーあずさ1号に乗車。たまたま、このスーパーあずさは12月23日に営業運転を開始した新型のE353系が使われています。そこで、松本駅で彼女を出迎えるのに、せっかくですので入場券を買ってホームで新型車両を見ることにしました。
到着予定の5分ほど前にホームの端まで歩いて行くと、先客の年配の方がおられ、三脚を据えてビデオとカメラで動画と写真の両方を撮影するためにスタンバイされていて、暫し列車談義です。
93年に投入されて随分老朽化した現スーパーあずさの車両E351系は、3月のダイヤ改正で全て新型のE353系に置き換えられることがJRから発表されていますが、長野車両基地では既にその車両の解体も始まっているのだそうです。
鉄道ファンの間では、先頭車両にE353と表示され「あずさ」という表示がどこにも無いことが賛否両論なのだとか。確かに同系であるE259型NEXの様に、縦にアルファベットでAZUSAと表示しても良いかもしれませんね。
写真を撮り、急いで階段を駆け上がって改札口で娘を出迎え。
「お帰り~♪ どうだったぁ?新型梓の乗り心地は・・・」
「別にィ、・・・まぁまぁ・・・かな。」
(はぁ~、さよか・・・)
明けましておめでとうございます。
2018年、信州松本より謹んで新春のお慶びを申し上げます。
世の中色々不安もありますが、どうか災害の無い穏やかな一年であって欲しいと思います。
今年一年の皆さまのご多幸を、ここ信州松本より謹んでお祈り申し上げます。どうか良い年になりますように。
本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。
カネヤマ果樹園一同+ナナ