カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
米国SF到着が、現地時間で朝の10時頃。到着前の機内で軽食が出たので、パロアルトに行ってから皆でブランチです。それにしても、国際線に乗ったのは5年振りくらいでしたが、機内食の質が落ちましたね。
連れて行ってもらったのは、市内にあるオーガニックのサラダ専門店「Pluto’s」。パロアルトは大学の街から発展した高級住宅街。緑豊かで、庭もきちんと手入れされた瀟洒な住宅が立ち並んでいます。そのため、健康志向な人も多いのだとか。そこには何十種類という有機栽培の野菜が大きなサラダバーの様な容器に入っていて、何種類かの希望を伝えると、その野菜を組み合わせて大きなサラダボウルの様な器に盛り、指定したドレッシングで和えてくれます。勿論、オーダーは全て娘にお任せです。


意外だったのは野菜サラダの食材ケール。日本では青汁専用のイメージで、「まずい!」というCM効果かあまり食指は動きませんが、ここアメリカでは普通にサラダで食べられているのだとか。但し、日本で見る青汁用のケールではなく、パセリの様なフリルの付いた葉でカーリータイプのケールです。その後、現地の高級食品スーパー(オーガニック野菜を扱うTrader’s Joeなど)でも、二十種類近いサラダコーナーにもしっかりとケールサラダ(家内の朝食用のお気に入りは、ケールとエダマメのサラダで5ドル程。しかも、アルファベットでちゃんとEDAMAMEでした)が並んでいましたので、どうやら米国では一般的な野菜の様でした。

最初にこれぞアメリカン!と、見つけた「Johnny Rockets」というハンバーガーショップへ。注文したハンバーガーにはポテトかサラダが付くので一つずつオーダー(各$12程度)したのですが、どちらも半端ない大きさ。サラダも優に二人分あり、結局ポテトは食べきれずに残しました。ハンバーガーはシンプルな味付けながら、如何にもアメリカ的味付けで美味しかったです。テーブルに置かれた大きな逆さボトルのHeinzのケチャップも、赤いビニールのベンチシートも60’sの様で如何にもアメリカ的でした。
そう云えば、初めて出張でアメリカに来た時に、オフィスに来る移動販売車で注文してもらったランチのハンバーガーの肉々しくて旨かったこと。また、オレゴン州の色々な地ビールも美味しかったし、エルパソで赴任者に連れて行ってもらったステーキハウスの塩コショウだけで味付けされたTボーンステーキは絶品でした。一方、ロングビーチでランチに行った中華料理店(当時近くにラーメン屋が無く)のザーサイヌードルは、まるで丼がバケツの様で食べ切れませんした。この国のエネルギーを実感します。
東海岸から、西へ西へと大陸を(アメリカ・インディアンの土地をある意味略奪しながら)横断していった、この国の西部開拓史(TVの影響で、当時西部劇の白人はヒーローで、ジェロニモ酋長は悪役でした。征服した勝者が歴史を作るのは、蝦夷も熊襲もどこも一緒です)を想います。
翌日のランチは、サンフランシスコのチャイナタウンで、娘がSingaporeanの親友から教えてもらった(彼女が足で探し出した)飲茶のレストランに家内が是非また行きたいとのこと。何故かサンフランシスコで飲茶(Dim Sum)ですが、特に違和感も無し。娘も我々も6年半のシンガポール生活で、その間シンガポールの水と空気で多少Singaporeanの血が混ざっているのかもしれません。店は「Lai Hong Lounge(荔香小館)」。飲茶は中華料理の中の広東料理ですが、香を香港同様にホンと発音するのは広東語で、北京語では香菜(シャンツァイ)と同じくシャンと発音します。
11時半に付いたのですが、店の外まで行列。しかも次から次へとやってきます。殆ど現地の中国系の方々。一緒に来られた白人の方もチラホラ見掛けましたが、少なくとも日本人は皆無。自分の順番を確認し未だか文句を言っているのか、店側も負けずに言い返しての、ケンカの様な広東語が飛び交います。香港やシンガポールの屋台街(Hawker’s Centre)の喧騒が思い出されて、何だか懐かしい雰囲気です。並んでしまった手前(他に行く所も無く)ずっと待つこと1時間。漸く番号を呼ばれ席に付くことが出来ました。





結局、珍しいマレーシア料理のレストランがあったので入ってもみることにしました。一人なのでワンプレートの料理と懐かしのタイガービールを注文。東南アジアのローカルフードで定番だった、大好きな“ぶっかけ飯”だと想像したのですが、オカズが4種類くらい乗ってはいましたがグレービーでもなく、可も無く不可も無し・・・。でも、ちゃんとフォークとスプーンの東南アジアスタイルでした。





