カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
6月17日に行われたGSBの卒業式(GSB DIPLOMA AWARD CEREMONY 2017)。学部と大学院を含む大学全体の卒業式は、翌18日に屋外のスタジアムで行われるのですが、GSBはバスケットコートの室内で行われます。従って、空調も利いているだろうからと、奥さまは日本民族の礼装である着物を着たいと、結婚前に習った着付けを思い出すべく、短期間の着付け教室に通って個人指導を受け、“着物運搬用”の専用バッグまで購入して準備万端(運ぶのは私メ)。私も奥さまの礼装に多少は合わせるべく、「みんなカジュアルで、ネクタイしている人なんて誰もいないよ!」という娘の忠告にも抗い、夏用のジャケットに夏用のネクタイです(だって、相手は着物だよ!)。
開場は式開始の2時間前。
「誰もそんなに早く行く人なんていないよ、ここはアメリカだよ!」
という娘の忠告にも抗い、奥さまは、
「だって、せっかくの卒業式なんだから、イイ席で見たいじゃない!」
早めに行って娘の寮で着付け、開場時刻に合わせて午後2時半に会場へ。私は勿論、婿殿も止むなくお付き合い。すると、既に数十人の開場待ちの列が出来ていて、
「ほらぁ、アメリカだって一緒でしょ!子供の“晴れの日”だもの!」
・・・恐れ入りました。
スタンドは家族用と卒業生用などに区切られていて、お陰で家族用の前の方の席に座ることが出来ました。待ち時間に、婿殿は娘に渡す花束を買いに行ってくれました。シリコンバレーらしく、インド人も多く、お母様と思しき年配のご婦人はさすがに正装のサリーですし、地元の方々の中にはきちんとスーツとネクタイ姿の紳士もおられ、いくら日本人の正装とはいえ、さすがに着物は家内一人で目立ちますが、ネクタイも違和感はありませんでした。
MSX とMBA合わせて総勢400人程度。星条旗とスタンフォードの校旗(?)を先頭に、英国式なのか、エルガーの「威風堂々(第1番)」に合わせて入場開始。皆さん、真っ黒なガウンと茶色に縁取られたフード、真っ赤なスカーフと角帽という、アカデミック・ドレスと呼ばれる卒業式の正装です。客席から大きな拍手や歓声が上がります。天井からつり下げられた4面のスクリーンにも様子がライブで映されています。
GSBでは、一人ひとり全員に卒業証書(DIPLOMA Degree)が壇上で手渡されます。それぞれにとって、支えたパートナーや家族にとっても感激の瞬間でしょう。企業派遣の多いMSXでは娘も含め4人いましたが、MBAには日本人は僅か二人だけでした(しかも女性。女性の方が挑戦的なのでしょうか)。留学生ではなく移民なのかもしれませんが、中国系の学生の多さに比べ、如何にも少な過ぎ・・・。昔に比べ、日本人の留学生が減っていることが、日本人の内向き志向として話題になりましたが、気掛かりです。
祝辞のゲストスピーチは、オバマ政権で最後の商務長官を務めたOGのPenny Pritzker(ペニー・プリツカー)女史。
スタンフォードと言えば、2005年の大学全体の卒業式に招かれたスティーヴ・ジョブズ氏の“Stay Hungry, Stay Foolish”というスピーチが余りに有名です。
ドクターコースに始まり、MSXからMBAと、一人一人全員に壇上で卒業証書が授与されます。式が終了し、最後に士官学校の様に角帽を投げ上げる学生さんもいて順番に退場。会場外で娘と合流し、GSBに戻って友人や家族と思い思いに記念撮影です。
1時間後、GSBの構内に設けられた屋外の会場で学生だけでなく家族も参加してのMSXの卒業記念パーティー。学友やご家族の方々だけでなく、日系3世という大学の女性スタッフの方とも談笑。日本語は話せないそうですが、日本からの留学生を気に掛けてくれて、何かとお世話いただいたとか。お祝いの言葉と共に、留学中の頑張りも褒めていただき、お世辞とはいえ有難い限りでした。家内は“着物効果”で、卒業式の会場でもすぐに娘の母親と認識されたらしく、このために着物をわざわざアメリカまで運んで来た甲斐がありました。
夜、彼等はカップルでのパーティーがあるとかで、我々はサンノゼのホテルに戻りました。
翌18日は、フットボールスタジアムでの学部生を含めた大学全体の卒業式。
生憎西海岸から内陸部に熱波が来襲しており、炎天下のため、既に前日式を終えていたGSBの学生は自由参加とかで、娘も不参加(MSXは80名中20名足らずらずしか参加しなかったとのこと)でしたが、もう二度と無い折角の機会ですので、我々はサンノゼのホテルから直行して後半30分ほど参加してみました。
スタジアムの階段を上ろうとすると、外の階段で涼んでいたご家族と思しきご婦人が、そこから行くとトンデモナク暑いからトンネルの通路を行った方が良いとの優しきアドバイス。お礼を言ってそれに従います。
スタンフォード・スタジアムというアメフトのコートに式場が作られ、壇上に並んだ教授陣は皆さんガウンで正装。学生も半分以上はガウンを着ています。今回、退場の際に流れた音楽は、少しでも涼を届けたいのか、ヘンデルの「水上の音楽 アラホーンパイプ」でした。皆さん、炎天下で可哀想なほど。この日サンノゼでは観測史上最高の華氏で105度を記録したそうです(摂氏40.6℃!)。ただ、日本ほど湿度は高くないので、気温程の暑さは感じませんが、しかし間違いなく暑い!
この日の夕刻、親しい学友と家族を交えての寮のパテオでのBBQパーティーに我々も参加しました。日本人留学生は4人で、娘以外の男性3人は企業派遣で皆さん家族連れでの留学。卒業後すぐに帰任するため、既にお別れ会は済ませてあるとのことで、この日集まった親しい友人は皆アジア系。シンガポール人女性の親友とベトナム人の男性と遅れて参加のインド人の女性。
以前コンサルファームでの長期出張でシンガポールのチャンギに降り立った途端「懐かしい空気を感じた」と娘が言っていたのを思い出しますが、アジア系の人たちの方が何となくフィーリングが合うのでしょうね、きっと。
「皆、優秀だよ」という彼等。シンガポールの彼女はEDBからの派遣で3日後から出社とか。こちらもエリートです。お母様も交え、赴任時代を懐かしんで、シンガポールの話題に花が咲きました。
我々は電車の時間もあり小一時間で失礼し、娘が手配してくれて初めて乗ったUBERの車で駅に戻りました。
開場は式開始の2時間前。
「誰もそんなに早く行く人なんていないよ、ここはアメリカだよ!」
という娘の忠告にも抗い、奥さまは、
「だって、せっかくの卒業式なんだから、イイ席で見たいじゃない!」
早めに行って娘の寮で着付け、開場時刻に合わせて午後2時半に会場へ。私は勿論、婿殿も止むなくお付き合い。すると、既に数十人の開場待ちの列が出来ていて、
「ほらぁ、アメリカだって一緒でしょ!子供の“晴れの日”だもの!」
・・・恐れ入りました。
スタンドは家族用と卒業生用などに区切られていて、お陰で家族用の前の方の席に座ることが出来ました。待ち時間に、婿殿は娘に渡す花束を買いに行ってくれました。シリコンバレーらしく、インド人も多く、お母様と思しき年配のご婦人はさすがに正装のサリーですし、地元の方々の中にはきちんとスーツとネクタイ姿の紳士もおられ、いくら日本人の正装とはいえ、さすがに着物は家内一人で目立ちますが、ネクタイも違和感はありませんでした。
MSX とMBA合わせて総勢400人程度。星条旗とスタンフォードの校旗(?)を先頭に、英国式なのか、エルガーの「威風堂々(第1番)」に合わせて入場開始。皆さん、真っ黒なガウンと茶色に縁取られたフード、真っ赤なスカーフと角帽という、アカデミック・ドレスと呼ばれる卒業式の正装です。客席から大きな拍手や歓声が上がります。天井からつり下げられた4面のスクリーンにも様子がライブで映されています。
GSBでは、一人ひとり全員に卒業証書(DIPLOMA Degree)が壇上で手渡されます。それぞれにとって、支えたパートナーや家族にとっても感激の瞬間でしょう。企業派遣の多いMSXでは娘も含め4人いましたが、MBAには日本人は僅か二人だけでした(しかも女性。女性の方が挑戦的なのでしょうか)。留学生ではなく移民なのかもしれませんが、中国系の学生の多さに比べ、如何にも少な過ぎ・・・。昔に比べ、日本人の留学生が減っていることが、日本人の内向き志向として話題になりましたが、気掛かりです。
祝辞のゲストスピーチは、オバマ政権で最後の商務長官を務めたOGのPenny Pritzker(ペニー・プリツカー)女史。
スタンフォードと言えば、2005年の大学全体の卒業式に招かれたスティーヴ・ジョブズ氏の“Stay Hungry, Stay Foolish”というスピーチが余りに有名です。
ドクターコースに始まり、MSXからMBAと、一人一人全員に壇上で卒業証書が授与されます。式が終了し、最後に士官学校の様に角帽を投げ上げる学生さんもいて順番に退場。会場外で娘と合流し、GSBに戻って友人や家族と思い思いに記念撮影です。
1時間後、GSBの構内に設けられた屋外の会場で学生だけでなく家族も参加してのMSXの卒業記念パーティー。学友やご家族の方々だけでなく、日系3世という大学の女性スタッフの方とも談笑。日本語は話せないそうですが、日本からの留学生を気に掛けてくれて、何かとお世話いただいたとか。お祝いの言葉と共に、留学中の頑張りも褒めていただき、お世辞とはいえ有難い限りでした。家内は“着物効果”で、卒業式の会場でもすぐに娘の母親と認識されたらしく、このために着物をわざわざアメリカまで運んで来た甲斐がありました。
夜、彼等はカップルでのパーティーがあるとかで、我々はサンノゼのホテルに戻りました。
翌18日は、フットボールスタジアムでの学部生を含めた大学全体の卒業式。
生憎西海岸から内陸部に熱波が来襲しており、炎天下のため、既に前日式を終えていたGSBの学生は自由参加とかで、娘も不参加(MSXは80名中20名足らずらずしか参加しなかったとのこと)でしたが、もう二度と無い折角の機会ですので、我々はサンノゼのホテルから直行して後半30分ほど参加してみました。
スタジアムの階段を上ろうとすると、外の階段で涼んでいたご家族と思しきご婦人が、そこから行くとトンデモナク暑いからトンネルの通路を行った方が良いとの優しきアドバイス。お礼を言ってそれに従います。
スタンフォード・スタジアムというアメフトのコートに式場が作られ、壇上に並んだ教授陣は皆さんガウンで正装。学生も半分以上はガウンを着ています。今回、退場の際に流れた音楽は、少しでも涼を届けたいのか、ヘンデルの「水上の音楽 アラホーンパイプ」でした。皆さん、炎天下で可哀想なほど。この日サンノゼでは観測史上最高の華氏で105度を記録したそうです(摂氏40.6℃!)。ただ、日本ほど湿度は高くないので、気温程の暑さは感じませんが、しかし間違いなく暑い!
この日の夕刻、親しい学友と家族を交えての寮のパテオでのBBQパーティーに我々も参加しました。日本人留学生は4人で、娘以外の男性3人は企業派遣で皆さん家族連れでの留学。卒業後すぐに帰任するため、既にお別れ会は済ませてあるとのことで、この日集まった親しい友人は皆アジア系。シンガポール人女性の親友とベトナム人の男性と遅れて参加のインド人の女性。
以前コンサルファームでの長期出張でシンガポールのチャンギに降り立った途端「懐かしい空気を感じた」と娘が言っていたのを思い出しますが、アジア系の人たちの方が何となくフィーリングが合うのでしょうね、きっと。
「皆、優秀だよ」という彼等。シンガポールの彼女はEDBからの派遣で3日後から出社とか。こちらもエリートです。お母様も交え、赴任時代を懐かしんで、シンガポールの話題に花が咲きました。
我々は電車の時間もあり小一時間で失礼し、娘が手配してくれて初めて乗ったUBERの車で駅に戻りました。
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