カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 インドには“○○マサラ”という料理はあっても、カレー(Curry)という料理は無い・・・。
所謂“カレーライス”は英国経由で我が国に明治期にもたらされ、独自の工夫で進化した立派な“日本食”であり、むしろ「お母さんの味」の家庭料理として、レストランではなく各家庭で食べるべきモノだと思っています。少なくともインド料理とは全く別物。

 シンガポール赴任中、北インド料理店に行っても、メニューを見ても正直分からないので、「Chickenでmild」とか、「Prawnのmedium hot」とかオーダーすると、チキンやエビ、マトンや野菜といった食材毎に調合されたスパイスの違いにより数ある“○○マサラ”のメニューの中からインド人のオジサンが(多分日本人の好みに合いそうな)“○○マサラ”を適当?に選んでくれていました。常連になって顔を覚えてもらった以降は、その日に食べたい食材を言うだけで好みの味と辛さの“いつもの○○マサラ”が毎回出てくるようになりました。

 日本では、まして田舎ではそうしたインド料理はなかなか食べられないので、自宅で(北)インド風のカレーをナントか楽しみたい・・・・という前提で、市販のルーを買ってきては試してみました。基本的に、インドですからポークやビーフはあり得ないし、そうかといって新鮮なマトンはなかなか手に入らないので、決まってチキンを選択。ハイナニーズ・チキンライスで有名だったシンガポールの「チャターボックス」のチキンカレーも絶品でしたので、そのイメージです。

 スーパーの店頭で見つかったのが、創健社の「インド風カレー」とS&Bのスパイシー・シリーズの「ケララカレー」(ケララ州は南インドですが、店頭にはそれしかありませんでした)。
 バーモントやゴールデン、ジャワといった定番の“家庭のカレーライス”が中心のルーよりも、レトルトカレーの方が(有名店監修といった商品を含め)今や遥かに種類が豊富。しかし自宅で作るので、煮込むタイプのルーで、レトルトは除外です。
クミンやコリアンダーシード、ガラムマサラといったスパイス類、ココナッツミルク、といった食材は昔よりはるかに豊富に店頭に並んでいますが、複雑なカレーを自分で調合するのは不可能です。もしそうであれば、S&Bの“赤のカレー缶”を使った方がむしろ良いかもしれません(家内曰く、次女が創った赤缶とココナッツミルクだけのチキンカレーが実に美味しかったとか)が、必要な皿数分のカレーを作るには一缶では足りませんので、結果的には結構高価になります。
S&Bのスパイシー・シリーズの「ケララカレー(チキンカレー)」の“手作りカレーセット”と云うだけあって結構本格化。先ず、玉ネギなどを炒めるだけ専用のクミンシードがあり、水を加えた後に煮込み用スパイスとブイヨンを加え、煮込んだ後でカレールー、最後に仕上げ用の辛味スパイスと香りスパイスを加えて更に人に一煮立ちさせて完成と結構手間暇が掛かります。
辛味スパイスを全て入れても味はマイルドで甘みもありました。何となくインド的な風味は感じました。フム、なかなか・・・。
・・・と思った(=個別のスパイスなど本格的で、作る側の満足度を満たし、個人的には高評価だった)のですが、後で二つを食べ比べてみたら、結局それまで時々買って作っていた創健社の「インド風カレー」と殆ど変りませんでした。
オイオイ・・・、だったら工数的に簡単な創健社の「インド風カレー」の方が作るのは楽・・・。
 都会なら、例えば明治屋とか紀ノ国屋、或いは成城石井といったスーパーならもっと色々な選択肢があるのかもしれませんが、田舎ではそれも望めず・・・。

 「おうおう、こちとら江戸っ子でぇ。・・・気が短けぇんだい!」
いくら、古典落語に登場する八つぁん、熊さんがせっかちな江戸っ子だとはいえ、ちょいと早過ぎませんかねぇ、尾瀬センセ!と言いたくなった「どうらく息子」が最終回!?
・・・ビッグコミック・オリジナルに2010年から連載されていた、落語家修行の噺家を描いた尾瀬あきら作「どうらく息子」が3月20日発売号を以って終了してしまいました。そして、5月末に最終第18巻を以ってビッグコミックスも完了。雑誌だと“かさ張る”ので、コミックスを生まれて初めて全巻購入しました。

 最終回では、6年前に銅楽師匠の独演会で「文七元結」を聞いて弟子入りを志願した銅ら治が、袖に居る師匠に聞いてもらいながら、その「文七元結」を自身の独演会で演じての最終回。「あや音と所帯持つって言うから言うけどサ、ホントは銅ら治のことが好きだったんだよ」と言いながら出囃子の太鼓を叩き、大ネタに挑む弟弟子を「行っといで!」と励ますように送り出す姐弟子の銅ら美。
 銅楽の「まだまだだな。」に、「はい。」と互いに相槌を打ちながら袖で聞く銅ら美とあや音。「5年したら、また聞いてやるか。」と銅ら治に花向けの言葉を贈る師匠の銅楽。
 最後はお久と文七が結ばれ、「元結屋」を開き大層繁盛したというお馴染の下げの中で、「このお久と文七がやがて夫婦となり、子をもうけ・・・」と授かった新しい命に触れたことに気付き、そっと頬を赤らめる袖のあや音。

 大団円とはいえ、銅ら治が真打に昇進するまで何としても続けて欲しかった!・・・という思いが拭えません。
かくなる上は、5年後に銅ら治が再演する「文七元結」を師匠銅楽が袖で聞く場面から再開して欲しい!

 社会人になって以来40年近く、毎月2回、ずっと購入し続けたビッグコミック・オリジナル。栄枯盛衰、終わりは必ずあるモノと想いつつも、これ程喪失感のある連載終了は初めてです。
お陰で、全く知らなかった古典落語の世界もゼロから勉強し、どっぷりとその深さにハマることが出来ました。そして、その影響で、市の図書館から志ん生、円生、小さんといった嘗ての名人たちのCDを借りて、作中で取り上げられた古典落語を本寸法で聞き、更に時々は松本で開催される寄席で生落語にも触れ、落語の世界の奥深さや面白さを知り、自分の世界が少し拡がった様な気がしました(特に「どうらく息子」で描かれている修行の世界を通じて、柳亭小痴楽さんなどイキの良い二ツ目さんたちに今惹かれています)。
 7年間の連載で、「どうらく息子」で取り上げられた古典落語は、下げ(落ち)だけが取り上げられていた噺(「宿屋の仇討ち」)も含め、ざっと数えて70話。
「寿限無」や「やかん」、「道灌」といった前座噺に始まり、「親子酒」、「狸賽」、「権助魚」、「初天神」といった滑稽話や、「子別れ」、「妾馬」といった人情噺や「天狗裁き」、「鰍沢」といった大根多まで。中でも良かったのは、銅楽師匠の演じた「文七元結」、夢六師匠の「芝浜」、銅ら治の「紺屋高尾」、あや音の「たちきり」・・・どれもみんな良かったなぁ。
 尾瀬あきら氏の、「夏子の酒」以上の傑作だったと確信しています。最初から最後の第168話まで落語監修を続けた柳家三三師匠にも感謝です。
あぁ、淋し・・・(グスン)。

 2月のニュースで、この4月から読売日本交響楽団(略して読響)のソロ・チェロ奏者(主席)に、遠藤真理嬢が就任するとの報道がありました。
彼女は、NHK-FMの日曜日午後に放送されている“きらクラ”(きらくにクラシック)のMCをふかわりょうと5年に亘り務めているチェロ奏者。お嬢様(?)らしからぬ「ガハハハハ・・・」という開けっ広げな笑い声で人気の若手の実力派です(と言っても既に2児のママですが)。ふかわさんからは、その性格ゆえ、落語家になぞらえて“真理兵衛師匠”などと呼ばれています。
しかし、その実力は折り紙つきで、東京芸大首席卒業し留学したザルツブルグ・モーツァルテウムマスターコースも主席最高位。2003年の日本音楽コンクール1位をはじめ、国際コンクールでも上位入賞を果たしている実力派チェリストです。
 以前、読売日響のコンサートで、『チェロ部門で際立った演奏をしていたのが(なぜか)遠藤真理だった・・・(中略)・・・N響の様に、読響の向山佳絵子になるのだろうか?』という論評を目にし、(単なるゲストではない主席就任を)個人的に大いに期待していた次第です。そして、2月に実質主席(以上の位置付けで、曲中のソロパートだけではなく、コンチェルトではそのオケでの独奏者としても可能なポジション)となるソロ・チェロ奏者への就任が発表された次第。因みに、読響チェロ部門でのソロ奏者としては歴代3人目のみならず、チェロ部門として初の女性団員とか・・・。凄いですね。

 読売日本交響楽団は、国内の交響楽団の中で個人的に一番好きなオーケストラ。経営母体が安定しているせいか、信州の様な地方での演奏会(ドサ回り)は少ないのですが(N響の様な公共性も不要)、国内オケの中では珍しいその圧倒的なパワーと“熱さ”に惹かれています。そして、そのオケのチェロ部門のリーダーに納まったと知り大いに期待した次第です。
先日のNHK-FM “きらクラ”でご自身の好きな曲にスクロヴァチェフスキ指揮の読響のチャイコの弦楽セレナードを選曲し、ソロ・チェロ奏者への就任を番組内でも発表しながら、マエストロとの共演が叶わなかったことを悔いていましたが、その時に読響の演奏を評してご自身も(ある意味N響との対比で、巧いのではく)“熱い”演奏と言われていました。
今後とも、N響の向山女史に負けずに、その先頭での“熱い”演奏を大いに期待しています。
【追記】
昨日まで不在にしておりました。本日よりまた再開いたします。

 6月に入り、関東甲信も今年は早々と梅雨入りが宣言されました。その後、松本ではあまり降雨が無いので今年は空梅雨なのでしょうか。そう云えば、芭蕉の『五月雨を集めて早し最上川』もそうですが、五月は旧暦なので、ここで云う五月雨は梅雨の長雨で水かさをましたことを詠んでいます。同様に、旧暦の六月である「水無月」の「な」は「無し」ではなく、「の」に当る連体助詞の「な」のことで「水の月」。旧暦の六月は既に梅雨明けしていますが、田んぼに水を張る季節であり、“みずほ”の国中が水を張られた田んぼに覆われて、正に“水の月”だったのでしょう。
 松本では端午の節句も旧暦の6月5日。この時期になって、漸く柏の葉も茂り、菖蒲も黄色い花を咲かせ菖蒲湯に使えるように葉を伸ばしています。
常念を始めとする北アルプスの峰々も、代搔きや田植えの時期を伝えた雪形も次第に消え去り、僅かに残雪を頂きに留めるのみ。
植えたばかりは池の様だった田んぼの早苗も次第に茂って青みを増し、その青田とは好対照に、春先に青い息吹を感じた麦畑もそろそろ黄ばみ始めて信州でも麦秋の候の様相です。
【注記】
写真は、順番に5月20日の朝のアルプス公園から。5月28日の源智の井戸(人形店が軒を連ねる“人形町”高砂通らしく、月遅れの端午の節句に向けて鯉幟が飾られていました)。6月11日に「アルプス市場」帰りに寿から望む北アルプス。最後は12日の早朝ウォーキング、岡田松岡からの城山々系越しの常念と“里”の麦秋。

 県の松本文化会館(「キッセイ文化ホール」。市の音楽文化ホール“ザ・ハーモニーホール”が、地元では“音文”と略称で呼ばれるのに対しての“県文”。因みに、県の文化会館は長野、伊那も含め全3ヶ所)の主催イベントである「まつぶん新人寄席」。“あしたは真打ち”と題して、若手の二ツ目さんが毎回二人登場される寄席が年3回程開催されていて、既に17回を数えています。
 今回は県文の開館25周年記念ということでの特別公演として、過去新人寄席に出演された二ツ目さんお二人、三遊亭ときん(時松改め)と柳家小八(ろべえ改め)の「真打昇進披露興行」が行われたのです。
落語協会では今年の春は5人の二ツ目が真打に昇進し、その昇進披露興行が3月に上野の鈴本から始まり、5月の20日の国立演芸場まで延べ50日間の披露興行を一週間前に終えたばかり。その縮小版とはいえ、披露興行がこの松本で居ながらにして楽しめるのですから、これは聞かなきゃ損!・・・。しかも、有難いことに今回も60歳以上はシニア割引きなのですから。

当日、家内に送ってもらって県文に行くと、ロビーは会場前から長蛇?の列。前座で人気の春風亭一之輔師匠が上がられるということもあるのでしょうが、なかなかの活況で何よりです。お二人のご真打昇進を祝って贔屓筋から贈られた幟旗がホール入口に、そして舞台の両横にはうしろ幕も張られて、真打昇進披露興行らしい雰囲気です(そう云えば「うしろ幕」に書かれている「与利」は、幕を贈った贔屓筋「より」だったんですね。「どうらく息子」の錫楽の真打昇進場面で知りました)。県文の中ホールは700席程度ですが、今回は階段状の座席部分をクローズしていましたので400席程度でしょうか、開演時にはほぼ満席になりました。
 この日の演目は、先ず一之輔師匠のお弟子さんの前座の春風亭きいちさん
の「一目上がり」でお目出度く開演。
続いて一之輔師匠の「かぼちゃ屋」(かぼちゃ)。NHKの「落語THE MOVIE」でも一之輔師匠が演じられていました。まくらから大笑いで会場が湧きます。さすが!
 「しかし、巧いなぁ・・・」
メリハリ、声の大きさ、顔の表情、どれをとってもさすが・・・です。溜息すら出て来ます。口から出る「音」だけなのに、その仕草で、小さん師匠の云われた「了見」ではありませんが、目の前には天秤棒を担いだ与太郎が現れて・・・、師匠の与太郎振りの素晴らしさ。NHKでのアテブリで与太郎を演じた加藤諒さんの“名演”を思い出しました。
続いてときんさんの師匠である三遊亭金時師匠。金時師匠と言えば、その昔、NHK「お笑い3人組」(古いなぁ!)に出演されていた四代目金馬師匠が実の御父上。
演じられたのは「宮戸川」。珍しいネタの様ですが、「どうらく息子」で銅ら治も演じていたので記憶にありました。高座に掛ける場合も、通常半七とお花の艶めかしい場面で「ちょうど時間となりました」となる前半だけが演じられることが多いのだとか。
前半のトリはときん師匠。ネタはお馴染の「家見舞い」。小さん師匠が演じられたのをCDで聞いています。ときん師匠は飄々として味があるので、人情噺よりも滑稽噺の方が向いているかもしれませんね。
この日は口上もあるため、どのネタも本寸法とはいきませんが、ときん師匠がネタの後、余興で「かっぽれ」を踊ってくれました。「どうらく息子」でも銅楽師匠が亡くなられた植草さんが好きだったという「かっぽれ」を追悼に踊る場面がありましたが、実物を見るのは初めて。幇間芸と云いますが、なかなか見事でした。
 10分間の「仲入り」の後、舞台では真打昇進の口上。司会は一之輔師匠。
落語会らしく、修業時代の暴露やしくじり紹介もありながら、弟子に対する優しさの感じられる可笑しくも温かな口上が続きます。
第1210話でもご紹介した落語についての雑誌記事(第1186話)で、読売新聞企画委員の長井好弘氏が噺家の師弟関係を紹介した文章中で、春風亭一朝師匠(一之輔師匠はその弟子)に触れた中に、
『(前略)総領弟子が六代目柳朝を継いで真打に昇進した。その披露口上に一朝の気概を感じた。
「あたしが真打になった時、師匠の先代柳朝は病に倒れていて、口上を行ってもらえなかった。だからあたしは、何としても長生きして、こいつ(新・柳朝)の口上を言うんだと思い続けてきました。(後略)』
新真打になられたろべえ改め小八師匠。一年前に急逝された喜多八師匠がおられたら口上で何と言われたのでしょうね。嬉しかっただろうな。一朝師匠ではありませんが、いずれは弟子を持つであろう小八師匠自身も何か期する想いもあるのでしょうね、きっと。天国から見守っているであろう故喜多八師匠と唯一の弟子だったろべえさんの心中を想い、涙、涙・・・。
 小八は喜多八師匠の二ツ目時代の名。師匠亡き後、大師匠の預かり弟子となって、その小三治師匠が名付けてくれたとか。今回の口上は小三治門下の総領弟子である〆治師匠。「本来であれば師匠の小三治が来る筈でしたが、もっと割の良い仕事が急に入ったのでそっちに行っちゃいまして・・・」という代役としてのお決まりの口上から始まりました。新真打のお二人も一言決意を述べられて、最後は恒例の三本締め。会場一杯の拍手で包まれました。

 後半は柳家〆治師匠の初夏らしく「お菊の皿」。「どうらく息子」では加賀屋ありすの十八番でした。
続いては、三増れ紋さんの「江戸曲独楽」。「福を回す」として独楽はお目出度い芸なのだとか。軽妙な喋りと見事な技で湧かせてくれました。
そしてこの日の大トリで柳家小八師匠。ネタはお馴染の人情噺である「子別れ」(子は鎹)。
「夏の疲れが尾を引いて・・・」、「虚弱体質なので・・・」とか、亡くなられた喜多八師匠の気だるさも引き継いで・・・。
たまたま学生時代に寄席で聞いた喜多八師匠の落語に惚れて弟子入りを志願するも拒絶。めげずに、卒業後はバイトをしながら一年半も嘆願し続け、遂に弟子入りを許されたと云います。故喜多八師匠の唯一の弟子。だからこそ、何人もの真打を抱える小三治一門ですが、弟子の真打には任せずに大師匠自身で預かられたんでしょうね。
 イヤ、良かった。初めての真打披露興行。東京まで行かずとも、この田舎でその雰囲気を楽しむことが出来て感激しました。本当に良かった。また、卒業生が誕生してのお披露目に期待します。
さて、今年最後の次回「第18回まつぶん新人寄席」は、9月に花緑師匠のお弟子さんである柳家花ん謝と圭花の二ツ目お二人。柳家圭花さんは、ナント地元大町市のご出身とか。楽しみですね。

 サンノゼに留学中の長女を訪ねて、家内と次女が3月末に遊びに行って来ました。私メはお留守番・・・。航空会社勤務の次女のお陰で、格安の家族チケットで行って来ることが出来ました。

 日本では(東京に住むから)不要と学生時代に免許を取得しなかった長女でしたが、車社会の米国では車が無いと生活出来ないので、ゼロから練習して、めでたく現地で免許を取得。その彼女の運転でサンノゼから(高速をぶっ飛ばして!?)連れて行ってもらったというサンフランシスコ観光での金門橋やフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)。
フィッシャーマンズ・ワーフの名物は、何といってもクラム・チャウダーです。何度か行った長女が、有名な発祥の店(Boudin Bakery)は美味しくないからと、別の店に連れて行ってくれて食べたそうですが、名物のサワーブレッドに入ったクラム・チャウダーは食べ切れないと、子供たちはパン無しで頼んだ由。確かに、見るからに大容量です(昔、ロスに出張した時に連れて行ってもらったラーメン店も、バケツかと見紛う程の丼でしたが、米国は全てにビッグサイズです。でも、ポートランドで飲んだ地ビールとエルパソで食べたTボーンステーキは本当に旨かったなぁ・・・!)
 次女が会社のグルメな先輩から買って来て欲しいと頼まれたという指定銘柄のクラム・チャウダーの缶詰を、私にもお土産で買ってきてくれました。何でも発祥の店のモノより美味しいのだそうです。
 ・・・ということで、先日食べてみました。
ふ~む、どうなんでしょうね。こんなものなのかな・・・?
確かに缶詰食品としては美味しいと思いますが、他と比較して“サンフランシスコ名物”という納得性は・・・?
現地で食べた家内は、缶詰スープとしては十分美味しいそうで、
 「今度行ったら、私もお土産に買って来ようかしら!?」
とのこと。一方私メは・・・、
 「うーん、やっぱり、本場で食べないと“よう分からん!”」
でも、確かにチョコレートなどのありふれたモノではなく、クラム・チャウダーの缶詰をSF土産として選ぶのも珍しくて目先も変わるので良いかもしれません。

 部品交換が必要な製品には(その交換が必要な)部品ごとに品番が付けられていて、製品の型番ではなく、その部品の番号で注文すれば良いことになります。製品がモデルチェンジしても、使われている部品の中には、コストダウンや性能がある程度限界(そのモデルでの限界コスト内)まで到達していれば、次モデルでもそのまま継続して使われるモノも少なくありません。

 今回、新築以来使ってきた24時間風呂が故障し、結果エコキュートに変更したのは既にご紹介(第○話)した通りです。
その後。今度は浴槽の排水の栓(ゴム栓)から漏れるようになったため、ゴム栓を交換することになった次第。
浴槽は東陶製ですが、ゴム栓には品番や型番が記されておらず、設計図面等、記載されていたアルファベットや数値を片っ端からTOTO(旧東陶機器株式会社)の浴槽の部品交換のフリーダイアルで申し上げたところ、
 「その浴槽だと、52㎜と55㎜の二種類のゴム栓がありますので、ノギスで直径を計測してください」
一般の家庭では普通ノギスなどありませんので、その旨申し上げたところ、コンパスで52㎜と55㎜の二種類の円を描いて切り取り、それをゴム栓に当てて判定するようにとのこと。
子供が小中学生の頃ならいざ知らず、コンパスも無かったので、苦労して物差しやメジャーや計測し、注文して届いた結果、結局不一致。改めて違う品番でオーダーせざるを得ませんでした。
想うに、そんな微妙な判定/判断をユーザーに委ねるのではなく、ゴム栓なりに型番や品番さえ分かるように記録さえしておけば良いだけのこと!!!では無いのでしょうか?????(もし、それが命に関わる薬品番号等だったら、それこそ訴訟沙汰でしょう)
 「結構、間違える方が多いんです!」
会社として分かっている(お客様相談窓口の担当者は、少なくとも認識している)なら、改善すれば良いだけのことではないのでしょうか!
「部品交換で儲けよう」などという、そんなセコイ商売の会社ではないでしょうに!(バスタブの栓は、頻繁に交換される消耗品ではない)
 「もし(間違えるユーザーが多いと)分かっているなら何とかせぇや!」
何か、会社の姿勢としておかしくないのかなぁ・・・と大いに疑問を感じた次第。

 そして、それをメールでお客様相談窓口に申し上げたところ、まず最初にメールで返信されて来たのは、取って付けた様な「ご迷惑をお掛けした」という“修飾語”の様な前文の後に主題として説明されていたのは、電話窓口の担当が「間違える方が多い」などと発言した記録は一切確認出来なかった・・・云々との回答でした。当方は、そんな調査や回答を期待した訳ではありません。ましてや担当者を特定する必要もありません(会社としては指導や査定上意味があるのかもしれませんが・・・)
もしかすると、「悪質クレーマーに言質を取られたくない」と思われての対応策だったのかもしれませんが、会社として先ず対応すべき、考えるべきは全然違うんじゃないかなぁ・・・と正直呆れた次第です。いやぁ、本当に違うんじゃないかなぁ!?
(そのため、定年後のヒマな中高年クレーマーが増えていることも重々承知した上で、敢えて会社名を特定し記載させていただきます)

 以前ご紹介した、上田への通勤路沿いにあった「ナンジャモンジャの木」(第972話参照)。下記に一部を引用(最初の写真2点も)しますが、
『・・・名前からして“人を食った”様な名称ですが、正式名称はモクセイ科ヒトツバタゴ(一葉たご)という落葉高木。「たご」というのはトネリコの一種で、トネリコが複葉なのに対し、単葉なことから名付けられたそうです。中国福建省原産で、朝鮮半島の一部、国内では対馬や木曽川流域(特に東濃地方)のみに自生(対馬の群生は天然記念物指定)している絶滅危惧種(Ⅱ類)で、岐阜県の土岐市では「市の花」に制定し、街路樹として植えられている「なんじゃもんじゃ街道」があるとか。植栽としても、神宮外苑や深大寺などに植えられた木の写真がありましたが、全国的にも珍しい木のようです。大きなものは20mにも達するそうですが、平井寺にあるものは5m程度でしょうか。しかし、満開の時には見事な花を咲かせています。しかも、英語ではその名も“Snow Flower/Snow Blossom”だそうで、正に“雪の花”。
これまで身近で見たことはありませんでしたが、多分長野県内では珍しい木なのだろうと思います。』

 県内で自生している樹木ではないので、これまで上田以外では見たことはありませんでした。ところが、何のことは無い。“灯台下暗し”で、松本にもあったのです。
 先日、母をデイサービスに送り出してから、久し振りに家内と松本城まで朝のウォーキングに行って来ました。
北側の朱塗りの埋橋側から松本城公園に入ろうとして、信号待ちから横断歩道を横断。すると、臨時駐車場の角にあるビオラ等が植えられた花壇の先に何やら白い花の咲いた木が視界に飛び込んで来たのです。その枝に降り積もった雪の様な情景に、瞬間的に、
 「えっ、まさか!?」
早速近寄って花を観察してみました。すると、それは紛れも無くモクセイ科の「ヒトツバタゴ(一つ葉たご)」、別名“ナンジャモンジャの木”の特徴ある花。
 「あぁ、松本平にもあったんだ・・・!」
平井寺の通勤路脇にあったナンジャモンジャに比べれば、半分ほどの樹形の大きさでしょうか。まだ若木だと思いますが、英語名の“Snow Flower/Snow Blossom”らしい姿は十分に感じられました。
きっと、あと何年(10年?)もすれば、そこだけが初夏に季節外れの雪を被った様に、周囲を圧倒する程の存在感を放つような木になるかもしれません。