カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
松本市美術館で4月21日から6月11日まで開催されている特別展、「堤清二~セゾン文化と云う革命をおこした男~」展。
その関連プログラムとして、4月29日にギタリストの鈴木大介さんによる「ミュージアム・コンサート~ギターで奏でる武満徹~」が開かれ、聴きに行って来ました。
セゾングループを一代で築き上げた堤清二。自身、辻井喬というペンネームを持つ詩人・作家として、三島由紀夫を始めとする多くの文化人との交流を通じ、「おいしい生活」に代表される様に、文化にまで影響を与えたパルコや無印良品などの事業展開。そして単に事業経営に留まらずに、そして現代美術を中心としたセゾン美術館やパルコ劇場といった文化事業の中で、音楽についても武満徹プロデュースによる世界の現代音楽を紹介する「MUSIC TODAY」を展開。生前、その“世界のタケミツ”が評価したギタリストが鈴木大介氏。彼は、NHK-FMの「きまクラ」の初代MCとして、二代目の笑福亭笑瓶師匠に引き継ぐまで、6年間に亘ってMCを担当されており、その喋りも定評あるところ。現「きらクラ」でもゲストで何回か登場し、そこで氏の演奏にも触れて興味を持っていました。その氏のコンサートが、地元松本で、しかも(特別展の観覧券が必要ですが)無料で聴けると知り、早速予約をした次第です。
因みに、堤清二氏は松本市美術館の初代顧問。地方美術館の、地味ながら独自の方向性に共感し(特別展に寄せた作詩を通じて)精神的に支えて下さったのだそうです。
『 夜 かすかな光の先にあるものを
あえて無名性の輝きと名付ければ
ゆえある傲慢の風にこそ梢が揺れるのが分る
だから星が瞬くのは淋しいからだとしても
月の光に梢は挫折の栄光を受けて輝くのだ 』
(辻井喬『月光の中の梢』【西郷孤月展に寄せて】より一部抜粋・・・恐らく、詩と一緒に展示されていた孤月の代表作『月下飛鷺』をイメージし、孤月の不遇な生涯を重ねての詩作だと思われます)
その後外へ出て、一旦昼食を取ってから改めて再度入館。会場は美術館の多目的ホールで、定員80名。事前に満員で予約を打ち切った由。鈴木大介さんの人気も勿論ありますが、展覧会のチラシの裏にギャラリートークなどと一緒に小さく案内があっただけなのに、(自分も含めてですが)皆さん目敏いと感心するばかりです。
当日のプログラムは、当然のことながら全て武満徹作品。96年に亡くなられた最後の作品「森のなかで In the Woods」も演奏されましたが、親しみやすいポピュラーな作品を編曲した「ギターのための12の歌」からの3曲や、映画音楽も。あっという間の1時間でした。
盛大な(と言っても定員80人と+αの美術館スタッフからの)拍手に応えて、アンコールに、NHK-FM「きらクラ」だったかでも流れて、今回も是非聴きたかったビートルズナンバー「Yesterday」(「ギターのための12の歌」から)、更に映画音楽の「燃える秋」と「信州が舞台の映画だから今日の最後の曲に」という「今朝の秋」と3曲も弾いてくれました。「イエスタデイ」の生演奏が実に良かった!です。ハイファイセットの歌った「燃える秋」もタケミツ作品だったことを初めて知りました。
美術と音楽の融合・・・何とも(無料だからもありますが)贅沢な、そして至福の時間が流れて行きました。
(想えば、国内のそれまでの権威や伝統に抗ったタケミツや草間弥生を最初に広く認めたのは海外であり、その結果、当初無視されたり評価されていなかった国内でも掌を返したような絶賛を集めます。その二人が、同じ場所で“共存”しているのが何とも感慨深い)
その後、今季の新収蔵作品の「おひろめ展」を鑑賞。
中でも、松本ゆかりの西郷孤月の「富士」に感動。大観の様な威風堂々とした華やかさではなく、何とも落ち着いた滋味豊かな作品。一時は“橋本雅邦門下の四天王”と言われながら、その後の大きな境遇の違い。そう想って見るせいか、大観の富士とは異なる、悲しみにも似た孤高の渋さが感じられ、暫し絵の前に佇んで鑑賞していました。故郷松本へ「お帰りなさい!」・・・でしょうか。
【追記】
後日、市民ギャラリーで開かれている「写真講座写真展」に会社時代の大先輩も出展されているので見学に伺った際、美術館のパティオで「工芸の五月」の関連イベントとして工芸作家の作られた子供用の椅子が並べられ、自由に座りながら地元?のフォルクローレグループの演奏を楽しまれていたので、私メもちょうど演奏されていた「花祭り」を暫し聴き入っておりました。この市美術館の洋芝のパティオ、結構好きなんです(パティオを挟んでビストロもあって、穴場だと思います)。
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