カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先月末、2007年から3年間読売日響の第8代常任指揮者スタニラフ・スクロヴァチェフスキ氏の訃報が報じられました。享年93歳。また昨年10月には、サー・ネヴィル・マリナーの訃報があり、氏も享年92歳でした。お二人共、最後の最後まで指揮台に立ち続けた現役のマエストロでした。

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキはポーランドに生まれ、どっしりとした作風でブルックナーを始めドイツ系作品に定評のあった巨匠でした。
読響との名演が報じられる度に、いつか生で聴きたいと思っていましたが叶いませんでした。CDにも手持ちには無く、写真は市立図書館から借りたブラームスの2番です。
 そしてサー・ネヴィル・マリナーは、1959年にアカデミー室内管弦楽団を創設し、時にカラヤンを凌ぐとさえ評される程の膨大な録音を残したスター指揮者でした。因みにアカデミー室内管弦楽団というのは日本だけの呼称であり、正式な楽団名は、教区アカデミーのSt.Martin-in-the-Fields教会を本拠地としたことに因ります。従って、正式名称は“ The Academy of St.Martin-in-the-Fields”。何とも格好の良い響きで、しかも指揮者のマリナーはロジャー・ムーア張りの英国紳士然としていて、音楽までも何となく洗練された感じで聴こえていました。謂わば、バッハよりもヘンデルであり、ストイックさなど関係無しの洗練された華やかさ。後年、大ヒットした映画「アマデウス」での演奏により、モーツァルトが氏の代表的レパートリーとされましたが、元々はバロック音楽がアカデミー室内管の十八番でした。
手持ちのLPレコードでは、手兵の初期の頃(弦楽器のみの編成。最後の写真の左から4人目が若き氏)のアカデミー室内管弦楽団を率いてのブランデンブルグ協奏曲、ヘンデルの合奏協奏曲、モーツァルトのディベルティメント第17番。そして、LA室内管とのレスピーギのリュートのための古風な舞曲とアリアの4枚。そしてCDでは唯一でしたが、シンガポール赴任中に購入したらしい、海外盤でのLSOとのプロコフィエフの古典交響曲でした。そして、(時代が異なるためかもしれませんが)CDの海外版だけに“Sir”という称号が付けられていました。
 90歳近くなってから、シカゴ響でブルックナーを振ったマエストロ朝比奈隆。氏も93歳で亡くなったと記憶していますが、いみじくもスクロヴァチェフスキが93歳、サー・ネヴィル・マリナーが92歳。
こうなったら、御年90歳になった筈のブロムシュテットおじさんには、お元気で是非100歳まで現役で振って欲しいものです。

 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキとサー・ネヴィル・マリナー。
お二人の偉大なマエストロのご冥福を謹んでお祈り致します-合掌。

 3月24日を過ぎたので、遂に禁煙をして6ヶ月が経ちました。
多分、“禁煙達成!禁煙成就!”と宣言しても良いのではないかと思います(この間、飲み会の時も含めて一本もタバコを吸っていませんので・・・おそらく大丈夫ではないかと思います)。

 これまでも何度か禁煙(休煙?)をしたこともあったのですが、長続きせず、結局は吸い続け、娘たちからは「イイ加減にせぇ!」と叱られて(呆れられて)おりました。・・・しかし、リタイア後に奥さまから
 「お酒かタバコか、どっちを止めるの?」
と至極当然のように聞かれ、その流れで思わず・・・、
 「(あくまで、どうせ)止めるならタバコかなぁ・・・?」。
 「じゃあ、止めれば!年金生活者なんだから・・・」
といった様なやりとりがあり、売り言葉と買い言葉も多分あって、遂に禁煙をすることに相成りました。しかし、ただ吸わないでいると、何かそれに代わるモノ、例えば良く云われるキャンディーや、私の場合は中野物産の「おしゃぶり梅昆布」に頼ったり、或いはせっかく頑張っていたのに、飲んだりするとやっぱり一服!・・・となり、結局数週間でまた喫煙・・・と長続きしませんでした。
結局ニコチン依存症=病気である以上、医学的療法が必要(≒手っ取り早い)と思い、禁煙外来に行くことにしました。
家内が事前に方法などをお聞きしていたこともあり、家内のお友達のご主人が開業されている松本郊外のクリニックを受診しました。先生から処方や進め方などの説明の後、
 「本当にやる気があるんですか??」
 「一日20本の40年間ですか・・・ギリギリの限界ですね。このまま吸い続けていたらアナタ死にますよ!!」
(要するに・・・その気が無いならヤッテも無駄。断念した人を何人も知っている。禁煙が成功するかどうかは、結局は本人次第・・・云々)
と、結構冷たく念押しされました。それは、恐らく受診者の“本気”度(=本人の意志かどうか)の確認であり、ある意味、反抗心を煽る(本人がナニクソ!と意地になる)ことが目的だったのかもしれません。

 その上で処方箋により薬局で薬(チャンピックス)を先ず2週間分もらいました。チャンピックスという薬は、タバコを吸うことでニコチンが受容体に結合して快感を生じさせる物質ドーパミンをニコチンに代わって放出させることでニコチン切れ症状を軽減させ、また受容体にニコチンが結合するのを邪魔することでタバコを吸っても美味しく感じさせなくする・・・という効果を持った薬だそうです。従って、ニコチンそのものをタバコの代わりに体内に取り込むニコチンガムといった、これまでの処方とは全く異なります。
 最初の1週間は喫煙しながら少量の服用から開始し、2週間目から服用量を増やして禁煙をスタート。その間、医師の診断を3回受けてながら12週間(3ヶ月)で禁煙治療(チャンピックス服用)終了というスケジュールになります。薬代が保険適用の上で2万円。従って、決して安価ではありませんし、もし失敗すると、次の保険適用は2年後だそうです。初期の薬の副作用として、吐き気を催すことがあるとのことで、吐き気止めの薬も一緒に処方されましたが、私の場合はそうしたことは全くありませんでした。また一日に朝と夜の2回服用するのですが、一度忘れても特にタバコを吸いたくなることも無かったので、開始後8週間経っての3回目の診察の際に先生に伺うと、薬を飲まなくても問題無ければ一日1回の服用に減らして、その分(12週間分で保保険適用終了となってしまう)服用期間を延ばしても良いとのこと。
 「薬を飲まずに済むのなら、それに越したことはありません!」
とのことから、途中で一日2回(朝夕食後)服用を1回(夕食後は早めに寝てしまえば良いので、朝食後のみの服用)に減らし、その後暫くすると飲み忘れても特に禁断症状が出る(≒タバコを吸いたくなる)ことも無かったので、その内服用そのものを止めてしましました。
そして、結局薬に拠る治療期間全体12週の1/4に当たる3週間分(一日1回の服用にすれば1ヶ月半分)を残して、チャンピックス服用を終了しましたが、その後も、例え飲み会の席であってもタバコを吸いたいということも一切無く、9月末の禁煙開始から1本もタバコを吸っていませんので、3月末で半年経過したことから「禁煙達成、禁煙成就」と宣言しても良いのではないかと判断した次第です。
この間、一服の時に必ず飲んでいたコーヒーですが、結果としてかなり量が減りました。また、禁煙してモノが美味しくなったということもなく(喫煙中も旨いモノは旨かったし、禁煙しても味は特に変わらなかったので)、結果として(良く聞く様な禁煙によって)体重が増えたということもありませんでした(ただ、禁煙しても血圧低下が見られなかったのが残念というか、唯一の誤算でした)。

 思うに、結果として禁煙が出来たのは確かに医学療法(チャンピックス効果)だったのかもしれませんが、個人的には先生の(心を鬼にした)脅迫的問診効果が一番大きかった様な気もします・・・!?(先生に深謝!)。
【追記】
実際に、その後先生からは、奥さまと家内を介して、禁煙を何とか成し遂げてもらうため、最初突き放すように冷たく接したことへのお詫びの言葉を頂きました(いえいえ、そのお陰で・・・。改めて先生に心からの深謝でありました)。

 先日深夜のBSで、リチャード・カーペンターや、当時曲作りやレコーディングで関わった人たちの証言をベースにしたドキュメンタリー番組としてカーペンターズを特集していて、懐かしく最後まで見入ってしまいました。
カレン・カーペンター。摂食障害で僅か32歳と言う若さでこの世を去った不世出のシンガー。その声は、確か当時“ボイス・オブ・アメリカ”と言われたほどであり、その独特の響きは、今聞いても癒し効果満載のヒーリング・ボイスと言っても決して過言ではありません。
余談ですが、個人的に勝手に考える“ボイス・オブ・ジャパン”は、ドリカムの吉田美和嬢です。アレン同様のヒーリング・ボイスです。スバルの車のCMに使われたドリカムの曲からも改めて感じた次第。

 “Yesterday Once More ”、“Top Of The World ”、「遥かなる影」、“ Sing” などなど・・・・彼等のヒット曲は数多あれど、個人的に一番好きだったのは、やはり「青春の輝き(“I Need To Be In Love”)」でしょうか。今聞いても、カレンの歌声に自然と涙が溢れて来ます。
 今回、図書館にあったベストアルバムを借りて聴いてみました。
ビートルズの名作「涙の乗車券」のカヴァーシングルでデビューしていたとは知りませんでした。

 思うに、「拒食症」という言葉が世の中で一般的に知られるようになったのは、カレンの死が原因だったのではないでしょうか。
彼女の声が、そして歌が、どんなに人を癒しても、また生きる勇気を与えても、彼女自身の力にも慰めにもならなかったのかと思うと残念でなりません。でもこれからも、多分半世紀が過ぎようと、彼女の歌声はきっと世界の人々を癒し続けて行くのだろうと思います。

 奥さまがお友達からいただいた野菜の中の立派なゴボウ。
大根やニンジン、レンコンなどと同様にお馴染の根菜です。しかし、有名な話として、戦時中の外国人捕虜の食事でゴボウを使ったところ、「木の根を食べさせられた」として捕虜虐待の例として、戦後戦犯として処罰されたケースがあると云いますので、日本独特の食材なのかもしれませんね。

しかし、灰汁はあるものの、ゴボウは良い出汁も出ますし、独特の食感と風味があって、キンピラゴボウ、鶏ゴボウ、筑前煮では主役級ですし、芋煮汁やゴボウ鍋でも良い出汁を出してくれますし、かき揚げやサラダの食材としても、特徴ある活躍もしてくれます。
 奥さまがお友達から立派なゴボウを頂いたので、何度かに分けてゴボウ料理を作ってみました。以下の料理は良く泥を洗い落として、皮付きのまま使います。
先ずは何度かご紹介した芋煮汁は勿論ですが、定番のキンピラゴボウや、ササがけにしての筑前煮や食材の数の関係で少しシンプルに鶏ゴボウにも。いずれも常備菜のお惣菜として保存も利きますので大いに助かりました。
また、個人的に目からウロコでまた作ってみたいと思えたのは、ゴボウ鍋。
こちらは、ササがけでも良いかもしれませんが、ピーラ―(皮むき器)で皮付きのままゴボウを細長く削いでいきます。それを煮ると本当に良い出汁が出ます。味噌味でも良いのかもしれませんが、好みですが、みりんで多少甘味を付けた醤油味にして、豚肉や肉団子、白菜や春菊、長ネギやキノコなどその時思いついた食材で適当に寄せ鍋風に。また残った出汁で作った雑炊や翌日の温蕎麦のソバツユ(とうじ蕎麦でも良いかもしれません)でも本当に美味しく頂けました。
 ゴボウは、食物繊維が豊富で、皮にポリフェノールが大量に含まれているので、灰汁を取る際に余り長時間水に晒すと溶け出してしまうのだとか。またミネラル分が豊富なので、体を温めてくれる効果もあり、その意味で冬の時期の鍋は最適なのかもしれません。

 女の子の桃の節句、男の子の端午の節句。どちらにしても、お嫁さんの実家がお祝に雛人形や五月人形を贈る習わしです。昔ほどではないかもしれませんが、毎週水をもらいに行く「源智の井戸」がある高砂通りは、松本の人形店が両側に軒を連ね、今でも別名「人形町」と呼ばれています。

 我が家でも、長女が生まれた時に実家からは七段飾りを。また親戚からは、ガラスケースに入った親王飾りや市松人形も頂いて、ひな祭りには全て座敷に飾っていました。
しかし、海外赴任中は持っては行けないので、三段飾りの雛人形を代表して持って行って、赤道直下の常夏のシンガポールでも毎年三月に飾っていました。
しかし、シンガポールから帰国して母屋の横に自宅を建てたこともあり、いつか雛人形は母屋の屋根裏に保管したままで、三月になっても(信州松本はひな祭りも旧暦で行われるため、昔は月遅れの4月に行われていました)箱から出して飾ることも無く、娘たちや家内も女の子の節句である雛祭りに興味も無いのか、或いは幼少期に海外で育ったためか雛人形に対する執着も無く、いつしか箱から出して虫干しすることも全くないまま、そのまま屋根裏部屋で眠っていました。

 しかし、色々思うところ(飾らなかったり、飾っても片付けるのが遅れたりすると良くないという昔からの言い伝え)もあってこのところ些か気になっていました。そして、2月末に家内が次女と一緒に長女の留学先のサンノゼに行って一週間不在になることも手伝い、今年七段飾りだけですが、その間に母屋の屋根裏部屋から運び出して自宅に運んで来て、二階のファミリーコーナーへ飾ることにしました。
シンガポールから帰任して飾っていなかったとすると、20年以上箱にしまいっ放しということになりますが、それぞれの箱に入れてあった虫除け剤はすっかり空になってはいましたが、幸い虫に食われた様な穴やキズは全くありませんでした。
 「イヤぁ、良かった、良かった!」と、先ずは一安心
慎重に巻いてある紙を開き、小さな小物を確認し、箱に入れてあった説明書(但し全てに該当する一般的なマニュアル)と、更に20年前当時に飾った後で撮影したらしい写真を一番の頼りに、最下段の御所車と御駕籠から始まり、茶道具などの調度品、仕丁、随身、五人囃子、三人官女と少しずつ上段へ飾っていきます。最後に屏風を立てて親王飾りを上段に飾ってボンボリを左右に配して漸く完了しました。
それにしても、アルミ製の段と毛氈を敷いての七段飾りの大きいこと。優に畳二畳分を占め、高さも1.7m余り・・・。確かに豪華ではありますが、娘さんを嫁がせたお宅はどこも本当に大変(男も端午の五月人形があるので)だったのだと理解することが出来ましたし、飾るのも大変ですし、昔の様な田舎家でないと飾るスペース(日頃使わない座敷や客間等)にも事欠きますので、アパートやマンション住まいなどでは七段飾りなど言語道断。三段でも結構(畳一畳分程の)スペースが必要です。子供たちの成長と幸せを願い、厄や災いの身代わりとなってもらうべく江戸時代に庶民にも広まったという雛人形ですが、明治どころか、昭和も遠くなかりけり・・・ではいけません。
来年からは、七段飾りは勘弁してもらうにしても、せめて三段飾りくらいは娘たちの幸せを願って飾ってあげようと固く心に誓った次第・・・。
 「どうぞ、娘たちが健康で末永く幸せでありますように・・・」
 松本では、桃の花は早くても4月中旬を過ぎないと咲きませんが、今年は月遅れの4月3日まで雛人形を飾っておいてあげようと思います。

 漁港からの直送を売りにして山国信州では新鮮で美味しかったので、良く行っていたお寿司屋さんがその後値上げをしてネタの数も減り、回転が悪くなって質も落ちるという悪循環で、結局数年前に行かなくなりました。
その後は、ネットで調べて地元で評判の他の寿司屋さんにも行ってはみたのですが、それなりで感動は無し。その結果地元での寿司は諦め、結局上京した時に、都会で評判の「美登利寿司」やその回転寿司部門の「活」へ行くのが唯一の楽しみになってしまいました。
しかし、リタイア後はそうそう上京する機会も無いので、都会には敵わぬまでも、地元でも「あぁ、たまには寿司が食いたい!」。
長野県が発祥という「かっぱ寿司」初め、「くら寿司」、「はま寿司」、「スシロー」という全国チェーンの回転寿司店が松本にもありますし、それぞれ評判を聞いて行ってはみたものの・・・やはり都会には敵いません。やっぱり、上京するまで待つしかないのでしょうか・・・?

 そうした中で、唯一「これなら!」と思えたのが「氷見きときと寿司」でした。寒ブリを始めホタルイカなど、良好な漁場として知られる富山湾の氷見を本拠とする回転寿司チェーンで、長野県内にも3店舗あり、上田に勤務していた時に地元のメンバーが他の回転寿司よりも良いと評価していたので松本で行ってみたところ、都会の「活」や「沼津港」には敵わぬまでも、他の回転寿司よりも上(但し値段も)。光物も満足出来ました。
先日も行ってみると、平日の夕方6時頃でまだ早かったせいもあるのかもしれませんが、1時間ちょっとの間にお客さんは5組ほど。

結構新鮮なネタで、ノドグロや白エビなどの北陸の地魚も、山国に居ながらにして食べられるのに、お客さんが少ないと回転が悪くなり、鮮度も落ちてしまう悪循環に陥りかねません。「本日のおすすめ」メニューの中にも、未だ夕方早いのに「品切れ」のネタもあったので、些か心配になりました。
店が無くならず、氷見からのネタの鮮度を維持してもらうためには、我々松本の住民がもっと頻度を上げて食べに行かないといけないですね。
(掲載の写真は、大好きな炙りイワシと甘過ぎずに好みの出汁巻き玉子。本来は二切れですが、残った半分です)

 最近、マスコミ等で“落語ブーム”という単語を目に或いは耳にします。都会では、落語を題材としたTVドラマやアニメの影響で、若い女性を中心とした若者が若手イケメン落語家の高座に押し寄せているのだとか・・・。
(最近目にした中で、“落語ブーム”を論じて一番納得・感心したのが、会員誌に掲載されていたヘヴィメタ専門誌の編集長で長年の落語ファンでもあるという広瀬和生氏の評論でした)
 個人的には2010年にビッコミ・オリジナルで連載が開始された尾瀬あきら氏の「どうらく息子」に登場する古典落語を、断片的にではなく全部聞いてみようと市立図書館のCDコーナーにあった落語のCDを借りたのがキッカケ。その後、所謂名人と謂われた志ん生、円生、小さん。そして、志ん朝、談志と、コーナーにあったCDをそれこそ片っ端から借りて聞いてみました(未だ上方落語まで到達出来ておりません)。中には、おやっ?と思わせる落語家もいて・・・。例えば、故三遊亭小円遊。TVでは“キザ”で売っていたと記憶していますが、CDでは古典落語「崇徳院」でイイ味を出しています。
そう言えば、子供の頃はTVで結構落語の放送があったように思いますが、笑点でも落語の枠はありませんし・・・。
 ところが、最近BS等で深夜に寄席(「イレブン寄席」や「ミッドナイト寄席」)の放送や、NHK総合で「超入門!落語THE MOVIE」など、落語の放送が結構されています。特にNHKの「落語THE MOVIE」は、噺家の古典落語の高座そのものの喋りを実際に役者が“口パク”(Lip Synch)で演ずるという、ある意味“画期的”な落語番組!です。アテブリというのだそうですが、結構時代劇風にリアルな感じで実に分かり易い。吉原などの郭そのものがありませんが、古典落語で例えば「へっつい」や「しんばり棒」と云われても今じゃ死語でしょうから、超入門どころか落語好きにとっても結構参考になります。演目にはお馴染の「元犬」、「目黒のさんま」、「転失気」、「粗忽の釘」、「饅頭怖い」、「初天神」などなど。それに、芸人さんなど演じられる役者さんも実にイイ味を出していますし、噺家も市馬、三三、一之輔、兼好、たい平といった今が旬で活きが良くて芸達者な各師匠が演じられました。
ところが、残念なことに一旦2月8日放送分で終了とのこと。ややもすれば“落語通”からは亜流と見做されかねず、プライドを損ねるかもしれぬアテブリの役者さん確保だけも大変でしょうし、また古典落語ゆえに製作費も掛かるので大変だと推測出来ますが、古典落語を知るには画期的だっただけに、是非また再開して欲しいと思います。
いずれにしても、玄人向けではなく、素人向けに入門編としてこうした番組が創られて全国放送されるのも、謂わば“ブーム”の証左なのかもしれません。

 寄席そのものは少なくともホール落語が各地で開かれていて、今や江戸の最盛期と同じ800名の落語家を数えるがというのが「平成落語ブーム」と云われる所以とか。
その数多おられる噺家さんの中で、私メの一番の贔屓は、滑稽さの中にも凛とした品格が感じられる柳家さん喬師匠。人間国宝小さん師匠の弟子にして、当代の人気落語家喬太郎師匠が一番弟子でもあります。
そのさん喬師匠が、「今“落語ブーム”と云われているが、嘗て“落語家ブーム”と云われた時代があった。その意味で、今は“噺家ブーム”なのではないのか?」とTVで淡々と評されていたのがとても印象に残りました。
その意味するところは・・・、『確かに、昔小朝など、タレント紛いに人気のある落語家がブームになったことはあった。その頃に比べれば、(都会では)小さな落語会が数多く開かれ、若い二ツ目の落語会にも若い女性が押し掛けるなど、その意味で落語そのものへの関心は高まっているのかもしれない。しかし、それは落語界全体というよりも、本当に実力のある噺家に集約されている』・・・と、個人的に解釈しました。

 そして、その後に演じられた「時そば」。
 「いやぁ、巧いなぁ、イイ味出してるなぁ。聴けて良かったなぁ・・・。」
CDで聞いた小さん師匠の「時そば」を感じながら、一方で「どうらく息子」で、連載開始直後の1話目だったか、高座で演じられた銅楽師匠の「時そば」を思い出していました。
だんだんと蕎麦の量が減っていく丼・・・。最後の一本までたぐり、また最後の一滴まで旨そうに飲み干す様・・・。銅ら美が解説する細やかな“芸”にナルホドと感動する主人公そのままに、さん喬師匠が演じるTVの高座の前で納得している自分がいました。

 いつか、柳家さん喬師匠の独演会、もしくは権太郎師匠との二人会を是非聴きに行きたいという思いを新たにした次第です。

 会社で長年お世話になった大先輩(と言ってもまだ76歳!若過ぎる・・・)の突然の訃報連絡があり、ご葬儀に参列するため茅野へ。午前中塩尻での用事を済ませ、そのまま直行することにしました。

 時間があったので、高速ではなく、久し振りに塩尻峠を越えて国道で向かいましたが、急カーブの連続だった昔に比べて随分道が良くなりました。
途中で昼食を取るべく、峠道の途中には「東山食堂」や昔懐かしい「縁結び」とかもありますが、ここはやはり久し振りのラーメンです。
さて、どこにしようかと・・・塩尻峠の岡谷側「親ゆずりの味」、「ハルピン」下諏訪店・・・と何となく通り過ぎて、結局諏訪市島崎にある「麺屋さくら」へ。
リタイアして以来、久し振りです。こちらも相変わらず混んでいましたが、何とか駐車することが出来ました。上諏訪駅の笠森小路にあった頃に比べ随分メニューが増えましたが、ここは当時飲んだ後の〆に必ず食べていた(その前は、移転する前に並木にあったハルピンです)頃から一貫して、懐かしの「屋台ラーメン」を大盛で。
屋台ラーメンは、アッサリ系の醤油味ながら、鶏ガラ、豚骨、節、昆布、そして野菜系から採ったという複雑でまろやかな優しいスープです。でも昔に比べれば、調合を変えたりと進化し続けているのでしょうね。島崎に移転されてから拘りの自家製麺になりましたが、細い縮れ麺で“背油ちゃっちゃ”も相変わらず。以前の平日大盛無料サービスは無くなり、曜日毎にサービスメニューが異なるようですが、それでも自家製ゆえの麺の大盛50円は格安でしょう。
我々の様な小ウルサイ酔客相手から、移転されて家族連れへと客層も拡がり、今では上社近くや茅野などに支店も出されている由。繁盛で何より。

 懐かしの味を噛み締めながらスープも最後の一口を飲み干して、「ごちそうさまでした!」と挨拶すると、厨房で調理されていたのは(本店でお見掛けするのは久し振りの)ご主人でした。風貌が昔とは少し変わられていて気が付きませんでしたが、ご主人から「毎度!お久しぶりです!」と声を掛けられて初めて気が付いた次第。
 「イヤ、もう会社を定年になったんだけど、久し振りにこちらに来る用事があったので・・・。ご馳走さま!美味しかったです。茅野の実家の近くにも出店されたようなので、また来ますね!」

 優しいスープに満足、満腹! ごちそうさまでした!

 「居酒屋放浪記」でお馴染の松本出身の太田和彦さんが、松本に帰省されると必ず立ち寄るという店が、“蔵の街”中町にある「ちきりや工藝店」です。
先日、奥さまが娘から頼まれてアメリカへ持参する和紙を買いたいというので、最初駐車場の都合で「丸善」に行ったのですが、気に入ったモノが無く、次に歩いて中町の「ちきりや工藝店」へ行ってみました。こちらは民芸店で、陶器やガラスなどの器や食器がメインのお店ですが、様々な民芸品などに混じって和紙も置かれています。幸いこちらで気に入った和紙が見つかったようです。その間、私は昔の器を眺めていました。
以前、太田和彦さんが松本に来たら必ずこちらに立ち寄って、気に入ったそば猪口を「ぐい飲み」として購入すると云われていました。そこで私も探していると、以前誕生日だったか娘夫婦からプレゼントされた桐箱に入った萩焼のぐい飲みと似た器を見つけました。4客程揃っていましたが、少々お高く個別にも売られていたので、色味の一番鮮やかなのを選んで自分用に一客だけ購入しました(写真はプレゼントの萩焼と並べた今回のぐい飲みです)。

 プレゼントの萩焼はとても素敵で大いに気に入っているのですが、大切な品なので割っては大変と使えずにいました。そこで、色味の似た器が見つかったので、萩焼の代わりに日常的に愛用することにしたモノです。
何となく手に馴染んで大いに気に入っています。
少々大ぶり故、家内からは「またたくさん飲もうと思ってるんでしょ!」と訝しがられましたが、決してその様なことはなく、あくまで萩焼に似た肌合いが気に入ったのであります・・・。

 レストランと家庭料理では、遜色ないとまでは言えなくても、素材や調味料などにより、家庭でもそこそこ、或いはそれなりの味には仕上がると思いますが、その中で一番難しい(プロの味には程遠い)のが、中華料理だと思います。その理由の一つに、中華料理が独特の調味料を使うということがあります。
ただ、味の素のCookDoが登場してからは、その難しい味付けをしてくれてあるので、お陰で家庭でも簡単にプロの味に近付けるようになり、主婦(夫?)の大いなる味方になったと思いますが、それでもまだ家庭ではプロに太刀打ちできない最大の理由は、火力の違いではないかと(勝手に)思っています。

 最近、何だか“美味しい”ニラレバ(レバニラ?中国語表記だと「韮菜炒猪肝」だそうですので、どうやら語順的には“ニラレバ炒め”が正しいようですが、個人的にはレバニラの方が馴染がありますでしょうか)炒めが無性に食べたくて、昔も何度か自宅で作ったことがありますが、レバーは、牛乳で血抜きをしたり片栗粉を塗して揚げたりと、色々工夫をして、一応それなりに仕上がるのですが、ニラやモヤシなどの野菜が、家庭のコンロではいくら(煙が立つほどに)熱してから炒めてもクタッとなってしまい、シャキっとせずに美味しくありません。
以前、チャイナスパイスが深志高校の上にあった時は、我が家から車でホンの数分(3分!)でしたので、忙しい時の持ち帰りも含めて頻繁に利用させてもらいましたが、数年前に再開された場所がちょっと遠くなったので、少し足が遠のいてしまいました。

 そこで、我が家から半径1㎞以内にある、割と大衆向けの中華料理屋さんでレバニラ炒めを試してみました。
先ず1軒目。中国人ご夫婦がやってらっしゃる、割と最近オープンした店。
レバーも柔らかく、野菜もシャキッとしていましたが、何故か味付けが味噌ベース。残念ながら好みの味ではありませんでした。
 2軒目のお店。こちらは、少なくとも高校生の頃からある中華料理屋さん。家内が次女と一緒に長女のいるサンノゼに行ってしまい、その間母もショートステイで不在だったため、それこそ40年振りくらいの入店(本店が市内南部にありますが、こちらはそんなに有名店でもない筈なのに、良くぞ続いているものだと感心します。コミックや雑誌がたくさんあったので、近くの事業所からのランチ客が多いのでしょうか)。ニラレバ定食が800円と大変リーズナブルです。醤油ベースのソースに片栗粉が使われ、とろみのある餡かけ風。ただ残念ながらレバーが些か固い。とろみをつけたのは、料理が冷めないための工夫かも知れません。味に店の特徴をだすためか工夫をされていますが、逆効果のような気がします。ニラレバはもっとシンプルな方がイイ!(好み)。
またレバニラ自体ではないのですが、定食に添えられた一品醤油を掛けただけの冷ややっこ。手間が掛からず重宝なのでしょうが、中華料理店なのになぁ・・・。せめて中華風ドレッシングにすれば良いのに・・・。

 我が家の近くで、どこかこれぞ!という店は無いのでしょうか?
こうやって何軒か見てみると、ニラレバって(自分の好みの味を見つけるのが)案外難しい。少なくとも分ったことは、チャイナスパイスのニラレバ炒めは、(シーズニングが独特ですが)やはり逸品だということでした。