カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年の正月は喪中故に客呼びも無く、またらしき振舞いも不要。
そこで、航空会社勤務で年末年始に帰省出来ない次女が連休の取れる一月下旬に、彼女が帰省して来るのも大変だからと、母がちょうどショートステイで不在になることもあって、ナナを妹に預けて我々が上京することにしました。その前提で、家内が特別料金でのホテルを昨年中に探して予約もしてありました。

 バスタ新宿に到着後、予定のある奥さまと別れ、私メは先ず宿泊先の両国のホテルに荷物を預け、その足で今度は糀谷の次女のマンションへお届けモノをして、予定の終わった家内と渋谷で合流。
今回は、トーハクも山種等でも見たい展示ではなかったので(また、特に聞きたい演奏会も無く)、一度は行ってみたかった世田谷美術館分館の「向井潤吉アトリエ館」へ行くことにしました。事前に調べたH/Pのアクセス案内に従って、降りてからのアクセスが一番分かり易そうな渋谷駅から東急バスで向かいました(バスだと結構な移動時間で、結果30分近くも掛かりました)。

 向井潤吉画伯(1901~1995)は、“民家の向井”と云われる様に、全国の茅葺屋根の古民家を描いたことで知られる画家です。
子供頃の我が家も含め、それこそ身近にあった信州の茅葺屋根の農家も多数描いていて、カレンダーなどの図柄で昔から何度も目にしていたのですが、超有名とまでは云えないのか、なかなかまとまって観賞出来る美術館や絵画展が無く、今まで実物の作品を見たことがありませんでした。
氏が後年アトリエを構えていたという世田谷の家が作品ごと区に寄贈されてそのまま美術館として運営されていることを知り、以前から一度訪ねて見たいと思っていました。
指定された停留場でバスを降り、H/Pの案内図に沿って住宅街を歩きます。近付くと、お手製の案内板が所々要所に掲示されていて、分かり易く親切です。住居をそのまま美術館とした「向井潤吉アトリエ館」(世田谷美術館分館)は、閑静な住宅街の中に佇んでいました。1933年にここに居を構えた画伯は、以降半世紀、ここを住居兼アトリエとしてきたのだそうです。狭い畳敷きの客間には小さな囲炉裏も設えられていて、そこで画伯がお燗を付けて客人をもてなしたのだとか。近くの棚の上には、恐らくスケッチで旅した先であろう、各地の地酒の徳利が所狭しと並べられていました。
 館内では、ちょうど「山と民家」と題された展示がされていて、先客は我々よりも年配の一組だけ。1・2階をギャラリーとした小さな美術館の展示は僅かに30点余りで、入館料も200円/人ですが、何ともほのぼのとした小さな小さな美術館でした。氏が描いた民家の絵は総数千点を超えるそうですが、その内埼玉県が340点で全体の32%。続いて長野県が205点で19%。画伯の出身地である京都府が138点(13%)で、岩手県が72点(7%)という順番だそうです。また描かれた季節は、2月から4月と、秋の10月から12月が多く、氏曰く「夏になると茂り過ぎた木が民家を描くのに却って邪魔になるので、描くのには初冬から5月くらいまでが一番捗る。」と語っていたそうです。また、「自分は(盛夏の)緑を描くのが苦手だから」とも語っていたそうですが、雨に煙る木曽の馬籠宿を描いた作品は深い緑が何とも印象的でした。
“民家の向井”と云われたその絵には、我々日本人(特に私メの様な、田舎の信州人?)にとっての心象風景とも云える「日本の原風景」が確かにそこにありました。
(掲載した写真は、今「山と民家」展の作品から気に入って絵ハガキで購入した、白馬村北城を描いた「岳麓好日」と山梨県小淵沢町からの八ヶ岳をバックに咲く桜を描いた「ふもとの老樹」です)
 帰りは駒沢大学駅から東急田園都市線で。場所さえ分かればバスよりも渋谷までは比較にならぬ程早かったので、アクセスには(歩く時間は長くても)結果として電車の方が時間的には遥かに近くてお薦めでした(電車でも、途中要所に案内板が掲示されていました)。