カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
定年後、定期的収入が無くなり年金生活者の身。そこで奥様から、
「どのくらい節約出来るのか、先ずはやってみよう!」
とのご託宣。我々の世代の年金は65歳からの満額支給となるため、それまでをどう生活するかが課題となります。
既に奥さまは保険等は見直しており、前年度所得に掛かる住民税や健康保険料など個人ではどうしようもない支出もありますので、必然的に節約可能な項目は、基本的に嗜好品等を含めた生活費がその対象となります。
と、主題とは関係無い前置きが長くなりましたが、その前提で、習い事等で不在がちな奥さまに変わり、家に居る時間が長い私メが、家にある食材を使って出来るだけお金を掛けぬ節約レシピに挑戦です。
お友達から頂き物の野菜(ジャガイモ、ナス、玉ねぎ、ピーマンなど。勿論、きちんとお礼にお返しをしていますので、厳密にはコストゼロではありませんが有難いことです)がたくさんありましたので、これらを使った節約レシピ。
これまでも、米国留学前に帰省してきた長女とスーパーに買い物に行った時に「久し振りにこれ食べたい」と言って買ったシャウエッセン(他社製品に比べ高目でも、確かにこの皮のパリパリとした食感は美味)と頂いた新ジャガやニンジン、玉ねぎを使ってのポトフは製作済み。但し、奥さまはスープに融けた市販のソーセージ等の加工肉に含まれる添加物が(その毒性よりも)味がお好きではないとのこと。そこで今回は、代わりにベーコンブロックを購入してオリーブオイルで炒めてから、「捨てるのも勿体ないから」と一緒に頂いた新ジャガの子芋をたくさん使って調理。まだまだジャガイモがたくさんあります。そこで、次に韓国料理の定番チヂミに挑戦。良く食べに行く近くの韓国料理店「やんちゃ坊」での我が家の定番は「海鮮チヂミ」ですが、ネットで「ジャガイモ大量消費レシピ」で検索した結果、Cock Doにあったジャガイモと玉ねぎで作る「じゃがいもチヂミ」に決定した次第。
レシピに従い、ジャガイモを擦りおろして(硬いので、結構力が要りました)キッチンペーパーで水気を切り、スライスした玉ねぎに上新粉(米粉)をしっかりと混ぜて下拵えは終了。あとはフライパンで焼くだけ。お子さんや若者向けには、焼く時にとろけるチーズを挟んだり、ごま油で焼いたりした方が好まれるかもしれませんが、我々の様な年配者には却って“もたれる”ので、レシピ通りに油もサラダ油で。タレは手抜きで、ポン酢にラー油を混ぜて作成。油跳ねが苦手な私メ故、焼くのは奥さまにバトンタッチ。
片栗粉や薄力粉ではなく、上新粉(家内曰く、仏壇のお供えにするお団子用に購入したそうですが、他の使い道が無かった由)を使うのがポイントのようで、もちもちした食感。手許にあればニラでも良いのでしょうが、玉ねぎでも十分アクセントになっています。ただ些か水気を搾り過ぎて焼き上がりが少し固めでしたので、もう少し水分を残した方が良かったようです。勿論韓国料理店には敵いませんが、安価且つ簡単調理で少し目先の変わった料理が出来ました。また、作ろうっと・・・。
定年後の最初の作業は、不要な物を処分することから。最近の言葉で言えば“断捨離”。収入が無くなるわけですから、当然ですが会社員時代と同じである必要はありません。
先ずは、これまで3紙購読してきた新聞から。
地元紙(タウンペーパー)は別として、これまで購読して来た全国紙は朝日と日経の2紙。そして、残したのは日経です。両紙を比較すると、(朝日の偏った論評が嫌いで、一切読まなかった)政治経済面を含め、読む記事が圧倒的に多かったのは日経でした。また、紙面は少ないのですが、スポーツ欄も意外と日経の記事の方が個人的には好きでした。更に、選択理由の一番のポイントは、日経は松本(塩尻にある信濃毎日新聞の印刷所)で委託印刷されているため東京23区同様の最終版が印刷されていること。片や朝日は東京(?)から配送されて来るため、例えばプロ野球のナイターなど試合終了が間に合わずに途中経過だけになっている場合もしばしば。従って、事件事故含め最新の記事は日経に軍配が挙がります。これが朝日ではなく日経を選択した理由です(取次店からは、「残すなら朝日を」と懇願されましたが、数年前の捏造報道とその事後対応の拙さで購読数を落としていますので、朝日新聞も状況は苦しいのでしょうね)。
続いて、奥さまから命じられて、クローゼットを中心に「不要な物を捨てる」こと。
「もう会社に行かないんだから、スーツもシャツも、要らなくなるモノがイッパイある筈だよね!」とのこと。
これからは農作業中心の生活になるのですから、確かにそうかもしれません。一応週三日程度の働き口があれば・・・という前提で職安(ハローワーク)には登録をしましたが、私が経営者ならフルタイムの人を求めるでしょうから、そんな都合の良い仕事は難しいでしょうし、少なくともスーツを着て出勤する様な仕事は無いでしょう・・・という前提で、不要なモノは捨てる。
家内が言うように“イッパイある”かどうかは分かりませんが、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、靴下と順番に見て行きます。すると、
「これは、あの時の・・・」とか、「このネクタイは誰ソレから・・・」とか、モノにまつわる「思い出」が次から次へと沸き上がって来ます。その都度、「あぁ、そうだったよなぁ・・・」と、ひと時その思い出に浸ります。そして、一度ざっと目を通したのですが、擦り切れていたりしていれば一目瞭然なのですが、どこも傷んでいないと「勿体ないなぁ・・・」となってしまいがちで、結局自分でも情けないほどに捨てるモノが出ませんでした。
そこで、「こりゃイカン」と再度見て、心を鬼にして(?)漸くそれなりの量を捨てることが出来ました。
日本人の「勿体ない」という感性は大切ですが、“断捨離”で重要なのは「勿体ない」という感情を捨てること。そして一番重要なのは、「思い出」を断ち切ること。「思い出」そのものを(心の中に記憶としては残しても)、それにまつわる「モノ」との関係を断つことがポイントだと感じました。
それにしても“断捨離”は、「言うが易し」でなかなか難しいと感じ入った次第です。
2016リオデジャネイロ・オリンピック。
日本チームは過去最多という41個のメダルを獲得して、4年に一度の熱きスポーツの祭典が終わりました。
今回も、戦前の“メダル確実”報道から、取れなかった時に、それまで誰が煽ったのかも関係なしの“掌返し”が嫌で、あまり生中継は見ませんでしたが、結果を知ってからの録画放送や新聞報道から知った、リオ五輪の個人的雑感の幾つか。
個人的に感動したのは、先ず三宅選手の重量挙げの銅メダル。
期待された北京でメダルに届かず、選手村の金網越しに無言で手を握る三宅母娘の姿が忘れられず、ロンドンでの銀メダルに本当に良かったと思いましたが、今回は腰痛で出場すら危ぶまれたという中で、最後に掴んだ逆転の銅メダルでした。試技に成功した後、万感の思いを込めバーベルに感謝の頬擦りをした彼女に感動しました。幼い頃からコーチとして二人三脚で歩んで来た父親の「彼女は誰よりも一番練習してきた」。世界一の練習がもたらした土壇場の逆転劇だったのでしょうか。
続いて、カヌーの羽根田選手の銅メダル。
高校卒業後、強くなる為にカヌー強国スロバキアに渡って練習を重ねてきたと言います。スポーツ医学やトレセン設立など、国を挙げての強化策が実を結びつつある中、マイナー競技はスポンサーも無く、親からの支援で独り海外で頑張ってきた努力が史上初のメダルとなり、感激のあまり号泣する彼を優しく労う欧州のライバルたちの姿にスポーツマンシップを見て胸が熱くなりました。
そして、当初期待された金メダルが取れず敗者復活からの銅メダルが続いた柔道。
反省や謝罪コメントが続いた中、一部での「真面目過ぎ?殊勲の銅メダルで何故謝るのか?」という報道を見て、“掌返し”だったマスコミの風潮が今回は少し変わったように感じました。
今回の新聞報道で一番良かったのは、競泳の金藤選手が2011年から所属するフットマークという会社の記事。スクール水着がメインの、下町両国にある僅か61名の中小企業とか。金藤選手がロンドンの切符が取れなかった時も支え続け、昨年の世界選手権で消極的なレースで惨敗した時は「チャレンジしているレースでは無かった。私達が本来応援したい姿ではない」と敢えて苦言を呈し、彼女も泣いて謝罪し、その後更に厳しい練習に打ち込んだと言います。
「本当に、本当に苦しいオリンピックでした」という“泣き虫愛ちゃん”のコメントに代表される、代表として国を背負い、ライバルの思いも胸に重圧の中で戦う選手たち。確かに日本人は真面目過ぎる、優し過ぎるかもしれませんが、応援するしかない側は“お疲れさま”そして“ありがとう”で良いのでは・・・。だからこそ、吉田選手も堂々と胸を張って帰って来て欲しいと思います。
嬉し涙あり、悔し涙あり。でも、どれも純粋で美しい涙でした。選手のみならず、心を鬼にして鍛えたからこそであろう、柔道井上監督やシンクロ井村HC、そして競泳加藤コーチなどのスタッフ陣、そして陰で支え続けた家族の皆さんの涙も美しかった。一瞬の栄光のために、途方も無く長く、そして辛く苦しかったであろう歳月を想います。そして、また続くのであろう更に厳しいこれからの4年間を・・・。
片や、恵まれ過ぎているのが男子サッカーや女子バレー。そして、110数年振りで復活したというゴルフ。特に男子ゴルフは、終わった後「(見て)感動したので、東京を目指したい」という代表辞退した選手のコメントを見て、大いに白けたのは私だけでしょうか?
大会前に新聞のコラムで、スポーツジャーナリストの方が「(男子ゴルフで)世界ランキング上位選手の辞退が(世界各国で)相次いでいるのが、賞金やポイントが付かぬことが理由なら、ジカ熱や治安のせいなどにせず、そうストレートに言われた方が余程スッキリする」。全く同感でした。だったら、少なくとも男子ゴルフはオリンピック種目から外せばイイ。全く対照的に、賞金もポイントも無い同様の状況下で必死に戦うテニスの世界トップランキングの選手たち。余計その違いが目立ちました。
また、組織的連携で予選を勝ち抜いて来た筈が、OA枠にこだわった結果、連携が甘くなり簡単に裏を取られ失点を重ねたた男子サッカー。またTV局のスポンサーのお陰で、日本で毎年国際大会が開催される女子バレー。今回の惨敗は、その常にホームゲームという“ぬるま湯”が招いた結果だと思います。いずれにせよ、スポーツ界で他よりも待遇面で、また注目度でも恵まれているであろう男子サッカーや、女子バレー、男子ゴルフが「世界」で結果を残せなかったのは必然でありましょう。
こういう競技こそ、恥ずかしくて帰国できない程に、煽ったマスコミによる敗因分析やバッシングがもっとあれば良いし、もしそれを否定するなら、また悔しければ、ちゃんと結果を出せばイイ。その意味で、予選で敗退し出場できなかった男子バレーの石川選手が「世界で戦うために」と、いち早く伊リーグへの単身参加を決めたのは、一筋の光明を見た気がしました。
最後に余談ながら、リオ五輪までに、過去オリンピックでメダル獲得者が居ない都道府県は僅か3県という報道がありました。長野県もその内の1県とか(既にメダリストを輩出している冬季は除かれています)。
このリオ五輪で、一挙に銅メダル3個!(バド奥原、競歩荒井、シンクロ箱山の各選手)。お疲れさまでした。良かった、良かった。でも、大会期間中公務を休んで、現地に一週間応援に行っていたという某選手出身地の市長さん(当初は予定していた公務としての出張を断念し、結局私費で行ったとか。当然でしょう)。「イイのかなぁ?」と感じたのは私だけ?地元市民の皆さんは大らかなんですね・・・。
最後に、100mバタフライでフェルプスの4連覇を阻止したのが“小国”シンガポールの選手。卓球の様な帰化選手ではない、生粋のSingaporean。そして、まさかの五輪表彰式で流れた、20年振りに聴く国歌“Majulah Singapura”(シンガポールの国語はマレー語です)。思わず居住まいを正し、一緒に“♪マジュラー・シンガプーラ”と口ずさんでしました(シンガポールでは、空港の入国審査時に、長蛇の列の出張者や観光客を尻目に、赴任者も空いているSingapore Citizenの窓口から入国出来ます。いわばその間はSingaporeanとして扱ってくれましたから)。
さて、この感動を“おもてなし”(最近あまり耳にしなくなりましたが)のTOKYO2020へ。
(ロンドン五輪開会式での007とエリザベス女王を連想させなくもありませんでしたが、マリオに扮した安倍首相も良かったし、小池都知事は、雨のために上げていた訪問着の袖を五輪旗を受け取る正式セレモニーでは降ろせたら尚良かったですね。でも女性知事ならではの着物姿はとても素敵でした。男性で無くて良かった)
“戦後、強くなったのは女性と靴下である”という昔良く聞いたフレーズ。
ここで云う靴下とは、化学繊維(ナイロン)の登場により、それまでの天然繊維に比べて格段に強くなったストッキングを例えにして、戦後の民主化の中での女性の権利強化(平等)を評したものだと思いますが、初めて新聞にこのフレーズが登場したのは昭和28年(1953年)だそうですので、私の生まれる(少し)前。
リオ五輪での日本チームの活躍も女子選手に負うところも大ですし、また最近では“肉食系女子、草食系男子”と揶揄される程に“女性”の進化は止まらないのに対し、その一方で、片や戦後強くなったと云われる靴下は、むしろ最近弱くなったのではないか・・・と感じています。
昔は高級品を買っていて、最近は安物を買っているから・・・というようなこともなく、購入物に特に昔と比べた変化はありません。消耗品故、昔は松本であれば、イトーヨーカ堂(現アリオ)やイオンの「3足幾ら」といったセット物でしたし、最近では、ヨーカ堂が若者向けのアリオになり、イオンは改装中で、近くに店舗が無くなったので、家内に頼んで実家に行った折などにユニクロ等で買って来てもらっています。
ビジネスソックスは然程昔との差を感じなかったのですが、農作業やウォーキングなどの時に履いているカジュアルソックスでは、その「弱体化」が顕著なような気がしています。
たった数回履いただけで踵の部分の生地が薄くなり、穴が開いて捨ててしまう・・・そんな繰り返しです(これって、結構ストレスが溜まります)。
薄手の夏物でも、厚手の冬物でも特に違いはありませんし(厚いから丈夫ではない)、昔だったらスポーツ、今は農作業やウォーキングですが、普通よりもそれ程ヘビーユースと言う程でもないと思います。家内は、
「あなたは、ピッタリ履こうとするからイケナイのよ。もっとゆとりを持たせて履かないと・・・。」
と言われましたが、最近は見掛けなくなりましたが、一時期流行ったルーズソックスみたいな履き方は好きではありません。
「靴下なんて昔からそんなモンだってば。それに農作業とか薪割とか、他の人より使い方が粗いもの!」
と、戦後の強化も、平成の弱体化も全く感じていないようですが、
「そうかなぁ・・・?女性はともかく、靴下は絶対に最近弱くなってるって思うけどネ・・・」
と(勝手に)確信しています。
これまでも何度かご紹介した、松本のおやきの人気店『さかた』。
松本ICから上高地方面に向かう途中の新村にあって、駐車場はいつも満杯。地元客のみならず、お土産で求める県外からのお客さんも多く、狭い店内はいつも人で溢れています。他にはテナントでも出店しておらず、ネット販売も無く、その店に行って購入するしかありませでしたが、信州らしい品として、頂き物へのお返しや娘たちへのお土産などで、年に十数回は家内が買いに店に行っていたと思います。
その「さかた」が安曇野市穂高有明地区へ突然移転とのこと。
地元紙の広告では、これまで無かったイートインスペースも設けた由。これまでも、上高地や飛騨高山への道路沿いだったので、観光客の方々相手に対象を絞ったということではないと思います。店舗が広く大きくなったのでしょう。
「火曜日もかよ~!?」止むを得えません。そのお宅には毎年お送りして喜んでいただいてもおりましたし、他にこれと言った代わりの品も思い浮かばず、お返しが遅くなってはいけないので、実家に行く家内に変わり、翌日奥さまの代理で、ドライブがてらナナも乗せて再度行ってみました。
開店直後に到着。店内は、安曇野を望む窓越しにイートインのカウンター席が10席程設けられてはいましたが、店舗そのものは、以前と比べて決して広くはありません。以前は4名ほどで対応していた筈の販売担当の女性スタッフも僅か二人だけ。「えっ?」と思いつつ、「おやきを送りたいのですが・・・」と店員の方にお願いすると、「送りはやっていません!」とアッケラカンとした返答。「えっ?以前の店では何度も送りでお願いしましたけど・・・」。
「ハイ、こちらではもう送りは対応していません!」
「・・・・・」
「スイマセン」、「申し訳ありません」の一言も無く、余りに“あっけらかん”とした対応に、空いた口も塞がらず、すごすごと引き下がるしかありませんでした。
むしろ、店舗で購入して出て来られた地元客と思しき母娘連れが、「ヒドイよね、あの木で鼻をくくった様な態度は・・・」と、私とのやり取りを横でご覧になったのか、私に言うでもなく憤慨して二人で話しながら店から出て来られたのが印象的でした。
「何でかなぁ・・・?」
元々、支店を増やすでもなく、ネット対応もせず(勿論H/Pもありません)、昔から然程“商売っ気”は無いお店ではありましたが、「それにしても」と思わざるを得ませんでした。
年10回ほどの客が一軒減っても、売上に影響は無いのかもしれません。
しかし、それにしても、客商売である以上「誠に申し訳ありませんが・・・」
の修飾語を、例え慣用句的に付けたとしても損はしないでしょうに・・・。
「何でかなぁ・・・」
唖然として、ガッカリして、予定していた家内へのお土産のおやきすら店頭で(そのスタッフからは)買う気にもなりませんでした。
店が広くなったのでもなく、便利になったのでもなく、直営でしか販売しないのであれば(それは品質維持や乱売を防ぐために、経営方針としてあっても良いと思います)、少なくともここよりも集客力は高いであろう以前の店も続ければイイのに・・・と、新店舗に来てみて余計今回の移転理由が分からなくなりました。以前は店内に発送用の「さかた」専用の宅配伝票も用意されていただけに、もし手間暇が掛かって大変ならば、購入して自分で送るにはそれに合った箱を探すのが大変なので、客自身が送れる様に、せめて発送用の箱だけでも用意してくれてあれば良いのにと思いました。
我家からは遠くなったこともありますが、有明に来たついでであれば兎も角、「さかたのおやき」を買うためだけにここに来ることは、もう二度と無いだろうと思います。
【追記】
“片や”という意味で紹介させていただきます。
お盆のお供え用に、松本の老舗和菓子店「開運堂」の夏の季節限定菓子「冷やし白玉」を買いたいと家内が言うので、我が家からは一番近い開智の「松風庵」に行きました。こちらも以前ご紹介したことがあるお店で、和風庭園を喫茶室から眺めながら、お茶と和菓子を頂くことが出来ます。
夕刻だったのですがまだ営業中で、家内が確認すると、前日までの季節限定商品で、この日の午前中で既に全部売り切れたとのこと。残念がる家内に、「もしかしたら、まだ他の店にまだあるかもしれませんから・・・」と、本店始め何店舗かに電話で問い合わせて下さいました。結果、本店も売り切れだったのですが、幸い地元デパート「井上」の開運堂の売店にまだ在庫があるとのことで教えていただき、早速松本駅近くの店に行って必要数を購入することが出来ました。
贈答用ではなく家使いですので、何十個も購入する訳でもないお客さんの為にそこまで面倒を見ていただき、先述の「さかた」の対応との違いに驚くと共に、経営方針?、或いは社員教育?・・・。一体どこにその差があるのだろうと考えさせられた次第。
我家周辺の水田の稲穂が8月6日に穂が出ました。
農家も高齢化して、今では田起しから刈り取りまで農協(JA)に委託する農家も多く、大型機械の都合で順番待ちになることから、我が家周辺の田植えも大分遅かったので、稲穂が出るのも、早い所では7月末には出始めたのに対しかなり遅くなりました。
空を映していた早苗の水田がやがて青田波に揺れ、そして出穂の時を迎え、やがて一面にトンボが舞いだすと、秋には黄金色輝く絨毯へ。三千年に亘って毎年繰り返されてきたであろう“芦原瑞穂の国”の季節の営みです。
東京から帰省してくると、娘たちが良く「松本の水は美味しい!」と言います。我が家は浄水器も付けておらず、只の水道水です。
最近では浄化技術も進み、都会の水も昔に比べて随分美味しくなったように思いますが、多少は違うのでしょうね。
松本は“湧水の街”ですが、都会に比べれば水道水もやはり美味しいのでしょうか?但し、松本の上水道のメインの取水は奈良井川からで、塩尻市の本山地区(そば切り発祥の地)に浄水場があり、そこから塩尻~松本へと送られてきますが、川の水を見ると分かる通り、例えば同じ犀川水系の梓川に比べれば、それ程美味しそうには感じられません(但し奈良井川はダムも無く水量は豊富です)。
また、富士見町(諏訪郡)の上水は、町内の南アルプス山系の石灰岩質の地層(かなり前に、某鉱山会社が石灰岩の採掘調査で試掘したことがあるそうです)の水源からも引っぱってきており、非常にミネラル分、特にカルシウムが豊富。途中の沢には天然岩魚も棲息しているそうです。
以前富士見町の事業所に勤務していた時に、一緒に水源を案内していただいた町の助役さんの説明によれば、知られてはいませんが、あの「南アルプス天然水」よりも成分的には上回るのだそうです。町でもペットボトルに詰めて販売もしていますが、如何せんTVCMをするような販促費も無く、知名度が上がらないと残念がっていました。
毎日ミネラルウォーターを飲んでいる訳ですから、こんな水を毎日使える諏訪地方の人たちは幸せですが、こういう幸せって、きっとそうでは無い所で暮らしてみないとなかなか気付かないのでしょうね。私メも離れてみて、しみじみと感じた次第です。諏訪エリアは本当に美味しい水だと思います。諏訪地方に酒蔵が多い所以です。
そこに暮らしていると当たり前のようでなかなか気付かないかもしれませんが、水が美味しいということは本当に幸せなのだろうと思います。そう云えば、以前旅先でのその土地の水のことを書いた川本三郎さんのエッセイにもありましたっけ。曰く「ああ、ただ水のうまさかな」。
夏、一段と水の旨さを感じる季節です。
先日、週末に市内の「桜屋」に、お中元で「鰻の笹蒸し」を贈るのに付き合って行ったところ、「七夕人形」が市内の商店街のあちこちに飾られていました。松本独特の「七夕人形」です。
これは、市美術館が「まちなか展示」としての呼び掛けに、中心街の各商店が賛同して各々店先などに七夕人形を飾っているのだとか(旧盆の8月16日までだそうです)。
松本は、各節句のお祝いは本来月遅れで行われていました。
例えば、ひな祭りは4月にならないと桃の花が咲きませんでしたし、端午の節句も6月にならないと柏の葉が成長しませんでした。同様に、七夕も月遅れの八月に昔(少なくとも私が子供の頃は)は行われていましたが、松本に限らず、流通の発達等により全国が均一化する中で、今ではカレンダーに合わせて行われるのが主流になっているようです(月遅れでの実施まで、一ヶ月間ずっと飾っておくなら、それはそれで良いのかもしれません)。
また、源智の井戸には七夕の笹が飾られていました。
8月7日は立秋とか。残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑い日が続きます。どうぞご自愛下さい。
ここで、37年間の会社勤めを終え、無事定年退職を迎えることが出来ました。今まで、お世話になり、尊敬する諸先輩方をお送りしてきましたが、いざ自分の番になると、果たしてどうだったのか?些か心許ない感も禁じ得ませんが、ま、こればかりは自分自身では御し難いことではあります。
ただ、生来のへそ曲がりゆえ、披露宴の挨拶の様なお言葉はありがたく頂戴した上で、多少の反省をするべきなのでありましょう。
最後の日、全部を挨拶回りすることは出来ませんでしたが、お世話になった皆さんへの挨拶と共に、最後退場に際し、これまで務めさせていただいた事業所の建物にもお礼の挨拶をさせていただいて、自身への心の区切りをつけました。
そして、この日ばかりはしっかりと帰宅し、支えてくれた家内は勿論、離れている娘たちと婿殿からも暖かなメッセージを受け取りました。
ある意味、不器用な第一の人生だったかもしれませんが、自分らしくはあったでしょうし、それをきちんと見てくれていた家族からの心のこもった言葉こそが何よりの褒美だったと思います。
さて、感傷に浸る間もなく、新しい上司の方(奥さま)からは既に幾つか作業指示が来ております。それにしても、猛暑の中でエアコンの効かぬ家や戸外での連日の作業がこれほど大変だったとは・・・。会社勤めのありがたさを実感しております。
社会人になってからずっと40年近く購読している唯一のコミック誌「ビッグコミックオリジナル」(小学館)。
勿論これまで掲載されてきた数々の名作がお目当てではあるのですが、現在連載中の作品なら「どうらく息子」と「あかぼし俳句帳」、そして「深夜食堂」が個人的には好み。他にも、不定期ですが「MASTERキートン」や「たーたん」など味わい深い作品があります。とりわけ尾瀬あきら氏の最高傑作(と勝手に思っている)「どうらく息子」(柳家三三師匠落語監修)で、落語に嵌った作品。思えば日本酒(地酒)の勉強は、シンガポール赴任時代に熟読した氏の名作「夏子の酒」でした。この調子でいくと俳句も・・・?(それは無さそうですが、なかなか奥深い。プレバトでお馴染みとなった辛口の女流俳人夏井いつき先生も絶賛とか)。
ちょうど私が社会人になった1979年から40年近くも続く“名物”表紙であり、擬人化されて愛らしい犬や猫は人気で、毎年カレンダーやグッズにもなっています。
数ヶ月前、前触れもなく表紙絵の作風が変わり、氏にどんな変化があったのかと興味を持っていました。次号予告の頁がありますので(毎月5日と20日の隔週発売なのですが、発売日が変更されることもあるのでチェックも兼ね)確認すると、その頁内に毎号掲載されている「表紙のつぶやき」という小さなコラムに「村松誠氏病気加療中のため、氏の了承を得て○年△号~○年×号の表紙から合成しました」との但し書きがありビックリ。
何十年という長期連載が多いオリジナルでは、これまでも「あんどーなつ」の原作者西ゆうじ氏や、店と料理への深い愛情が感じられ、20年に亘って連載されたコラム「こだわりの店」の伊丹由宇氏など、作者の急逝により、未完のまま終了となった作品もあるだけに、心配していたのですが、ここで絵こそまだ合成ですが、コラムの“つぶやき”内容は、どうやらご自身が執筆を再開された様なので、無事回復基調にあるのだろうと安心しました。
一日も早く、また復帰されて筆を握られるように願っています。毎号、中を見るより、先ずは表紙絵をじっくり眺めて独りニンマリとするのが楽しみですので・・・。