カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 生まれて初めての毎日のルーティンとして、保育園から中学卒業まで通った岡田地区の通学路を、会社生活最後の異動により、今は上田までの通勤路(の一部)として、“通勤”というルーティンの最後を迎えるまで、全く同じ道を通っているのは、ある意味偶然の必然とは言え感慨深いものがあります。

 さて、通勤で毎日通るその岡田地区。国道143号線の岡田神社(注)参道の鳥居横に在る「とんぼ食堂」。松本市筑摩の人気ラーメン店「寸八」の姉妹店(実際に、寸八のお姉さまとか)です。
以前は松本には珍しい讃岐?うどんの店「寿々流」としてスタートしたのですが、やはり蕎麦文化の地でのうどん店経営は難しかったのか閉店してしまい、その後“手打ち麺の中華そば”をウリにしたラーメン店「とんぼ食堂」として再出発。オフィスや工場、大学が近くにある訳でもなく、飲食店の場所としては必ずしも良い立地条件ではありませんが、確かにラーメン店になった以降、結構繁盛していて昼時には外まで行列が出来ていることも。毎日その前を通るので気になっていたのですが、うどんも食べずに終わってしまい、ラーメンも未だトライしていませんでした。
本店「寸八」は地元の超人気店で、どちらかというと流行の豚骨コッテリ系がイチオシという店なので、個人的嗜好は異なるため未だ入ったことは無いのですが、筑摩の店の横を通っても確かに常に行列状態です。

 先日、娘の留学に伴う引っ越しで、東京の家財道具を松本で保管するため、一日お休みをもらい、午前中他の家事を済ませて迎え入れの準備万端。その搬入予定時刻まで小一時間ほど時間が空いたので、「とんぼ食堂」へ行ってみることにしました。
車だと我が家からホンの5分足らずです。混み出す前にと、12時前に到着。平日のためか、先客はご夫婦二組だけ。店内は、オープンキッチンを囲むL字型のカウンターに7席と小上がりが二卓だったか、思った以上に狭めでしたが、狭いくらいでイイんです。女性お二人で、連携良く切り盛りされていました。メニューは、醤油、味噌、塩の三種類。“食堂”と名付けた通り、定食類や夜の一品のおつまみ(唐揚げや餃子など)も用意されていました。
先ずは看板メニューであろう、醤油ラーメン(税抜き650円)の平打ち麺を選択(他に細ちぢれ麺も選択可能)し、味玉(+100円)をトッピング。鶏油が無料で増量可能とのことでしたが、先ずは基本のスープで頂きます。

 案内書きに依れば、鶏ガラと豚骨をメインに、アゴと北海道産の真昆布で出汁を採っているそうです。但し壁の貼紙曰く、「最近アゴ節の出汁が不調のため、暫くの間はアジ節を使用します」とのこと。麺は、寸八と同じ小麦粉にカンスイと卵を練り込んだ、平打ちの太麺と細ちぢれ麺とのこと。醤油は、地元「丸正醸造」(我が家の常備「二年みそ」の醸造元)の特製醤油とか。

 この日は平日故にお客さんも少なく、程無くサーブされてきました。
トッピングの基本が、刻みネギと種類の違うチャーシュー二枚、穂先メンマ、焼き海苔、ナルト、茹でた青菜という如何にもオーソドックス。先ずはスープを一口。透き通った醤油スープが美しい。これぞ中華そば・・・でしょうか。食べる内に気にならなくなりますが、思った以上に魚介系の出汁が効いています。個人的には鶏ガラがもっと効いた方が好み。醤油はさすがに香り高いのですが、塩気がちょっとキツい。もう少し塩梅は甘い方が好み。トッピングでは、輪切りではなく、縦に包丁を入れてから刻んだネギは好み。ホウレンソウかと思った青菜は小松菜で、ホウレンソウよりも歯応えがあります。チャーシューは、わざわざ豚バラとモモの二種類。どちらも濃くなく、優しい味付け。太麺の面は喜多方風の平打ちの手もみ麺。スープは良く絡みますが、個人的にはやはり細打ちのちぢれ麺の方が好みでした。途中、ギャバンのブラックペッパーがあったので、途中コショウを振って試してみました。
ラーメン通の方が言われる“無化調”で、尖ったところの無い優しいラーメンです。個人的な嗜好で云えば、惜しむらくは塩気のみ、でしょうか。あと、「大盛り」の記載がメニュー表のどこにもありませんでしたが、大盛りは出来ないのでしょうか。

 スープを殆ど飲み干して、「ごちそうさまでした!」。会計の時に
 「一度、うどんの時に来ようと思っていたのですが、機会が無くて・・・」
 「スイマセン、ラーメン店にしちゃいました!」
と、明るく仰っていたのが救われた、かな・・・。
【注記】
平安時代の「延喜式」に、松本市島内の沙田神社、塩尻市阿礼神社と共に「信濃国筑摩郡(ごうり)の三座」の一つとして記録される格式ある神社で、五穀豊穣の保食神と豊受神が祭神です(歴代藩主の庇護を受けて大きくなった岡宮神社はこの岡田神社の分祀であり、むしろこちらが本家です)。
縄文遺跡が点在する岡田地区の歴史は古く、平安末期に平氏討伐の勅命を受け挙兵。その後木曽義仲の大将格となって活躍し、「火牛の計」で知られる「倶利伽羅峠の戦い」で討ち死にした源親義は、この地に館を構え、近くの井深城(その後小笠原氏の配下である井深氏が居城とした)に砦を築いていたと云われています。その源親義は、岡田冠者親義として「岡田」の名を歴史上に残しています。

 庭の片隅にある、一坪程の我が家の「ハーブガーデン」。
今年の植栽は、前話(ガーデニング日記76)でご紹介した通りですが、今年は昨年植えた多年草のセルバチコ(ワイルドルッコラ)があるので、直播したルッコラが成長する前の5月から既に定期的に摘んでサラダにしています(多年草なので、ルッコラの様に毎年植える必要は無く楽ですが、味はルッコラが優ります)。
また、地植えとプランターに植えた3株のコリアンダー(中国語で香菜=シャンツァイ、タイ語でパクチー)も、昨年に比べどちらも順調に育っていて、何度か摘んで、タイ米(ジャスミンライス)での自家製のチキンライス(南海鶏飯)の時や、コリアンダーが大好きな奥さまがサラダに載せては楽しんでいます。昨年は、コスモスの葉の様な細い葉が出て来たかと思ったら、間もなく枯れてしまいました。どうやら、これは花芽の様で、花茎が出ると所謂“トウ(薹)立ち”の状態になるのだとか。花が咲き結実させる(本来、コリアンダーはこの実をスパイスとして利用します)ために、葉は強(こわ)くなり独特の匂いも弱まるのだとか。そこで、今年は出来るだけ長く(奥さまが)楽しめるように、細い葉を見つけたらそのまま放置せずに、せっせと花茎を摘み取ることにしました。
キュウリ(地元園芸店ナカツタヤのオリジナル品種である「タントトレル」に変更)も、昨年はせっかく咲いた雌花が茶色く枯れ落ちてしまうことがありましたが、今年はいたって順調です。
ハーブガーデンの隅で、軒下気味で雨が掛からぬスペースを逆に活かして植えた2本のトマト(サカタの「王様トマト」の品種である「麗夏」)も、既に実が大きくなっており、赤く色付くのを待っています(水遣りは極力避けているので、糖度が上がると良いのですが、果たして・・・?)。

 奥さまが女子高時代の親友との「女子会」の折、家庭菜園作りに嵌っているというメンバーの「野菜談議」の中での会話として、
「トマトの最初の花は、実らせずに摘んだ方がイイって言っていたヨ!」
確かにナスは摘果した方が良いと聞いた記憶はあるのですが・・・。そこで調べてみると諸説あるようでした。要約すると、
ナス科であるトマトの最初の花(一番花)は、成長期(幹や葉の)から生殖期(種の保存のため花を咲かせ実を付ける)への切り替えのポイント。
その一番花を摘んでしまうと、まだ実を付けてはいけないと勘違いして、成長期が継続され、結果として(木は大きくなるが)実付きが悪くなる・・・場合もあるそうです。但し、諸説あり、異論もあるのだとか。
一方、ウリ科のキュウリは一番花を採った方が収穫量は増えるとか。採らない場合も、通常より早めに収穫した方が良いそうです。また、キュウリの場合は、それよりも脇芽を摘むこと(一本仕立て)の方が大事とのこと。
但し、場合によっては、トマトもキュウリも幹や蔓を伸ばし過ぎぬように摘芯をした方が良いそうです。
但し、我が家で栽培するキュウリは、“姫キュウリ”として、本来の収穫時期前の人指し指大位の時に収穫し、モロキュウで食べるのが目的(パリパリした食感で美味)ですので、あまり影響は無いかもしれません。ここで、二本をモロキュウ用に収穫。家内が「初物だから」と、仏壇に供えてから頂きました。また、プランターに植えたミニトマトも赤くなった2個をサラダに添えました。
キュウリは次々と花(雌花も)が咲いているのですが、トマトは何となく花の数が少ない様な気がします。自然相手に焦りは禁物ですが、果たして・・・?。

 なお、以前野菜畑で自家用に栽培していた時も全く消毒をしなかったのですが、形はともかくそれなりに収穫出来ましたので、今年もこのままで・・・。

 毎週末に水を汲みに行く「源智の井戸」。
私の様に自宅で使ったり、中には業務用と思われる大量のポリタンクで汲みに来られたり、或いは観光客の方など、誰かどうか水を汲みに訪れています。でも、汲み口が8つもあり、また毎分230ℓとも云われる豊富な湧水は、殆どが井戸の横の側溝の様な水路に流れ込んでいます。

 この水路。実は市美術館近くの源地の湧水を水源として流れ出ている「榛の木川」という小河川なのだそうです。水源は勿論ですが、「源智の井戸」を始め、あちこちの湧水が流れ込むためか、街中とは思えぬほどの清流で、向きを変えて流れる高砂通り(人形町)では、誰かが植えたのか山葵が生えているほどです。
先日水を汲んだ後で、井戸横の東側を流れる水路を眺めていたら、ナント魚が泳いでいるではありませんか。側溝の蓋(暗渠)の下に出たり入ったりしながら流れに対面していました。黒っぽい魚影は、ウグイかヤマメ(山女魚)か、いずれにしても渓流魚(淡水魚)であることは間違いありません(上手く撮影出来ませんでしたが、最後の写真に黒っぽく魚影が写っています)。
市内を流れる女鳥羽川にはウグイが生息して産卵をしているそうで、街中でウグイが産卵をするのは非常に珍しいという記事を以前読んだ記憶があります。
それにしても、こんな水路の様な小さな「川」にも魚が住んでいるとは・・・。下水道が整備されて雑排水が流れ込むことが無くなり、女鳥羽川も含め昔より随分川の水がキレイになった木がしますが、井戸だけではなく、街中の水路も予想以上に水が澄んでいるのでしょう。“湧水の街”松本の恵みです。
側溝の様な細い水路で、手を伸ばせば魚も掴めそうな程の近さです。きっと、ご近所の方々が大切に見守ってもいるのでしょう。安心して泳いでいます。「元の濁りの田沼恋しき・・・」などと間違ってもならぬように、この澄んだ水を大切にしたいものです。
 中央図書館横の大門沢川では、この時期ホタルが見られるそうですが、こんなにキレイな清流なら、カワニナなどを放せばやがてホタルも見られるようになるかもしれません(但し、ホタルの幼虫が脱皮するための草や小さな木が水辺には必要かも?)。
渓流魚もですが、こんな街の“ど真ん中”で夏ホタルの飛ぶのが見られたら、“湧水の街”松本の魅力がまた一つ増えるかも知れませんね。
【追記】
地元の方々のように清掃もせず、毎週水を汲ませていただいているのに些か“後ろめたさ”を感じていました(殆ど水路に流れ込んでいるとは言え)。
先日、先に汲み終わった方が、源智の井戸横の小さな祠にあるお賽銭箱に小銭を入れられてから、祠にお参りをされていました。
 「そうか、お賽銭を入れてお参りすればいいんだ!」
と目からウロコ・・・。
次回から私メも、お水をいただくお礼にそうさせていただくことにしました。
これで、少し安心して?お水を頂けます、ハイ。

 会社の昼休みに(車で)食べに行けるラーメン屋さんはここだけなので、麺好き故に大体週イチくらいのペースで食べに行く大衆食堂「夢の家」。
他には、月に一度のお蕎麦屋さん。十割を含めて蕎麦そのものはイマイチですが、掛けつゆはピカイチ!なので、夏でも専ら二八の温蕎麦を注文。そして、時には“町の洋食屋さん”での日替わりランチ。

 本来「夢の家」は焼肉屋さんのようですが、好き(研究熱心)が嵩じて昼は殆どラーメン屋の様相。しかもメニューには、麺の下に(リゾット風に)ご飯まで入ったカレー味の印度ラーメンやチゲ風の上田ラーメン、はたまた透き通った味噌ラーメンなど、ご主人の色々な創意工夫が伺えます(以前の新作では、“世界初”と但し書きが付けられた珈琲ラーメンとやらまで・・・?)。昼は小ライスがサービス(+自家製の浅漬け)と良心的な店。

 個人的には、好みが醤油系なので、専らアッサリ薄口醤油の中華そば(650円)か、濃口醤油の支那そば(700円)を交互に注文しています。ベースは鶏ガラに煮干しや鰹節、日高昆布など。醤油系では他に魚介ラーメンもありますが、魚粉や干しエビがトッピングされていて、私メの好みではありませんでした。以前ご紹介したように、テーブルに常備の胡椒はGABANのホワイトペッパー(個人的に漢方薬的な香りが舌に残るので私は使いませんが、ブラックよりも高級品)。
 昨年の春以降、以前はやや濃い目だった支那そばが少しマイルドになり、醤油のキツさが消えて、よりカツオ出汁の旨味が感じられるようになりました。こちらも一切の添加物無しで、特注の極細の縮れ麺(全粒粉に近いような感じがします)で数量限定とか(もし無くなったら、希望すれば普通の中華そば用の中細麺でも作ってくれます)。こちらでは化学調味料は一切使っていません(ラーメン通の方々の言われる“無化調”)。
何を変えられたのか分りませんが、以前よりも優しくてまろやかな味わいになりました。個人的には、和風テイストよりも、もう少し鶏ガラが効いていると申し分ないのですが・・・。
また中華そばもカツオ出汁の旨味(風味)がより感じられるようになりました。こちらは、薄口のアッサリ系の優しいスープです。
 こちらのお店は、座敷の畳スペース(広めの小上がり?)も含め優に60席を超えるキャパがありながら、地元の方々に人気で昼も結構混んでいますが、気さくでシャキシャキしたオバチャン(+独立のための修行と思しき助っ人の方)が走り回って切り盛りされています(ここ数年で、県内のローカルTV局からの取材も何件かあったようです)。
 私メは毎回麺類オンリーですが、焼肉は勿論、カレーやカツ丼、生姜焼きや唐揚げなどの定食メニューもあって、どれもかなりのボリュームです(定食はご飯のお替わり自由)。
醤油系ラーメンだけにも些か飽きたので、味噌カツ丼とソースカツ丼もオーダーしてみました。どちらも630円。本来の焼肉屋さんだけあって、ロース肉も柔らかくサクサクの食感が美味。しかもラーメン(650円)よりも安いとは・・・!?(写真は、上から中華そば、支那そば、アッサリでお願いした魚介ラーメンの順。最後がソースカツ丼。途中まで食べてから、気が付いて撮影しましたので悪しからず)。

 (「大衆酒場」同様に?)敢えて「大衆」と付けられた、その心意気に拍手!
余すところあと一ヶ月ちょっと。私の最後の“サラメシ”も、きっとここで食べるんだろうな・・・。

 平成の名水百選に選ばれている「まつもと城下町湧水群」。
いつもは“当国第一の名水”「源智の井戸」の湧水を週末毎に汲みに行って、家でコーヒーをドリップして(もらって)います。
湧水群と云うだけあって、複合扇状地で伏流水が豊富な松本では、例えば清水や源地という地名が示す通り、市中に幾つもの湧水や井戸があり、源智の井戸の様に誰でも自由に汲める井戸も幾つかあります(町内の方々がボランティアで清掃活動などをされて、大切に守っておられます)。

 以前、冊子かTVの旅番組か或いはネット記事か、記憶が定かではないのですが、案内役の市の水道課の方だったか、あくまで「個人的には・・・」と断られた上で、「一番美味しいと思うのは、西堀公園の井戸」と紹介されていたのを記憶しています。
西堀は、その名の通り元々松本城の西側の外堀があった場所ですが、明治以降堀が埋め立てられ、少なくとも私が子供の頃は地場のデパートやアーケード街の六九商店街などもあって結構賑わっていたのですが、デパートも駅周辺に移転し、その後アーケードも取り払われ、往時の賑やかさは無くなりました。
そんな一画(旧デパートビルの対面)に、市街地再開発事業での道路拡張に合わせて整備された小さな公園が西堀公園で、その中に井戸整備事業の一つとして平成20年に井戸が掘られています(また現在は、西側の外堀復元に向けて、該当エリアの立ち退き工事等が行われています)。

 週末の早朝に、長女の留学中の安全祈願を兼ねて、いつもの深志神社と四柱神社へお参りしてからお城を通るコースでウォーキング。
途中、順路上の西堀の井戸、中町蔵シック会館の“蔵の井戸”(昔懐かしい手押しポンプ式)、そして大名町の二つの井戸(大手門井戸と大名小路井戸)と試してみました(市内には幾つも湧水や井戸がありますが、もし飲料水に向かない場合はその旨記載されています)。結果、個人的には余り良く分りませんでしたが、奥さま曰く「西堀の井戸の水が一番美味しい!」とのこと。う~ん、確かに源智よりも柔らかい感じはしましたが・・・。何でも、女鳥羽川を境にして、単純に云えば北(大名町以北)と南(中町以南)では、地下の水脈が違うのか、水質が異なるそうです(西堀は北側、源智は南側に位置)。
 そこで翌週、水を汲むボトル一つだけに西堀の井戸の水を汲んで(ドリップコーヒーで)試してみることにしました。因みに井戸の横に貼られている水質検査結果では、源智の井戸は硬度140の硬水ですが、西堀の井戸は硬度100ですので、西堀は一般的には(100以下で)軟水の部類に入ります(わが国では一般的に軟水が多く、石灰岩の地盤である欧州大陸は硬水と言われています)。
源智の井戸は、湧水量が毎分500ℓとも云われ、水の出る口が8つもありますが、西堀の井戸の流量は少なく口も一つだけ。汲む側からすれば、源智の井戸の方が遥かに汲み易く時間も掛かりませんが、先ず“モノは試し”です。
 いつもと同じように、水だけを西堀に変えてドリップ。我が家の豆はモカ。
以前、奥さまの友人が「源智の井戸」で淹れたコーヒーを飲んで、
 「豆、変えた?コーヒーが美味しくなったけど・・・」
とビックリされたとか。豆は専門店ではなく、スーパーで市販しているモカですが、水が変わっただけ。水道水(松本の水道水は美味しいと思いますが)から湧水になって、雑味が消えました。ですので、業務用にレストランや喫茶店の方々が汲みに来るのも分る気がしました。
さて、西堀の井戸の水。
ソムリエの様な敏感な味覚を持つ方がどう感じられるか分りませんが、「源智の井戸」と比べてみて、個人的には“何となく”まろやかでスッキリしている様な気はしたものの・・・、
 「うーん、よう分らんなぁ・・・」。
恐らく、その日の体調や天候でも味覚は異なると思いますが、水道水から「源智の井戸」に変えた時ほどの劇的な変化や驚きは、私には正直感じられませんでした。いずれにしても、 “湧水の街”松本が誇るべき、どちらも美味しい“水”だと思います。松本市民の“小さな幸せ”・・・です。

 五感で知る季節の微妙な移ろい。
一番多いのはやはり目で見て知る視覚でしょうし、日差しの和らぎといった触感や、蛙の合唱やウグイスやカッコウの鳴き声などで知る聴覚もあります。味覚というと、初ガツオなどの“初物”なのでしょうか。ただ、これは受動的ではなく「食べる、飲む」という能動的な行動でしか知る由はありません。
そして残る嗅覚。“風薫る”と云いますが、出穂した時の稲穂の匂いや、春先の沈丁花、秋の金木犀などが、季節の移ろいを知る代表的な“匂い”です。

 例年より些か早い梅雨入りとなりましたが、空梅雨気味なのか、まとまったお湿りがありません。梅雨の時期になると、特に青色の紫陽花に心惹かれます。そして、雨を楽しむかのような蛙の合唱も。
そしてこの時期ならではだと個人的に感じるのが、栗の花の匂い。花そのものは薄いクリーム色の様で目立つ花ではありませんが、むしろ匂いの方が栗の木の存在を知らしめている様な気がします。
 以前、縄文時代の大遺跡である三内丸山で、大型建築の跡として、直径1メートルの大きな栗の木の柱(6本)が発見されて話題になりました。また、発掘された栗の実のDNA鑑定の結果、集落で栽培されていたことが判明するなど、今から5千年前の縄文の頃より栽培され木材としても用いられてきた、我が国では古来よりお馴染みの木でもあります。そしてクリの実は、丹波や小布施に代表される、秋の味覚の座を現代まで綿々と受け継いでいます。
その栗の花は、雌雄異花で虫媒花。
あの独特な強い香りは、虫に自身の存在を教えるためなのでしょうか。受粉を手伝ってはくれぬ人間がどう感じるかは、栗の木にとっては関係無くて、虫たちにとっての“芳香”でさえあればそれで十分なのでしょう。

 早朝ナナの散歩に行って、“匂い”から栗の花の開花を知った次第。

 6月5日の日曜日。マチネにて、ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。以下音文)で、ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルが開かれました。

 ヒラリー・ハーン。ドイツ系アメリカ人の36歳。10代そこそこでプロデビューし、今やイザベル・ファウストと共に、“ヴァイオリンの女王”ムターの後継と目される、当代最高峰の女流ヴァイオリニストの一人。今回の来日公演は、前日4日から始まり、この日の松本公演を含め全7公演とか。どうやら、全て同じプログラムの様です。
前半に、モーツァルトのVn.ソナタト長調K.379 、バッハの無伴奏ソナタ第3番ハ長調BWV1005。
休憩を挟んだ後半にアントン・ガルシア・アブリルの無伴奏ヴァイオリンのための6つのパルティ―タより、第2曲「無限の広がり」、第3曲「愛」。
アーロン・コープランドのヴァイオリンとピアノのためのソナタ。最後にティナ・デヴィッドソンの「地上の青い曲線」。
 3歳からスズキメソードでヴァイオリンを始めたという彼女。それが、松本を公演の地に選んでくれた理由でしょうか。東京公演の中には、東京文化会館やみなとみらいの大ホールもあり、それと比べ音文は僅か700席というリサイタルには最高の環境で聴ける当代随一のヴァイオリニストだというのに、端には空席が目立ちます。片や、ミーハー的テント村出現というニュースが地元では報じられていますが、
「何だかなぁ、楽都が泣くよなぁ・・・。楽都が聞いて呆れるなぁ・・・」
と、開演前の客席を眺めながらの独り言です(ハーモニーメイトの一人として、こんな状況が続くと、良い演奏家が松本に来てくれなくなるのではいかと、些か心配しています)。

 艶やかなドレスで登場。実際に見る彼女は、華奢で細くて、人形の様な雰囲気。何となく、これまでの音楽誌の写真等から受けるヒラリー・ハーンのイメージは“クール・ビューティー”。音もキレのあるシャープな音色を想像していました。
一般的には第35番として知られるト長調のVn.ソナタ。ずっと彼女の伴奏を務めるというコリー・スマイスの軽やかなタッチに沿うように始まった彼女の演奏は、モーツァルトらしいと云えばそれまでですが、意に反して柔らかく艶やか。明るく伸びやかな音色です。
続くバッハの無伴奏。デビュー盤も無伴奏全曲だった筈。ビブラートを抑え気味での超絶技巧は勿論ですが、重音の豊かさ。しかし、決して冷たくはなく、あの細い体のどこに?と思わせる程に、むしろ艶やかで骨太なバッハでありながら、キレもある。まさに自由自在・・・。
先日亡くなられたアリではありませんが、“蝶の様に舞い蜂の様に刺す”とでも云えそうな程、ぱっと見た目は妖艶さすら感じられますが、彼女の本質は、イザベル・ファウストの高貴な精神性とはまた違う、何か強い意志の様な力強さも感じます。

 知った曲は一つもありませんでしたが、特に良かったのが後半。
前半は暗譜でしたが、後半譜面を見る曲になると、彼女はロイド風の小さなメガネをどこからかさっと取り出し、演奏が終わるとまたさっと仕舞います。メガネを掛けた時の彼女は、知的なキャリアウーマン風(最初の1曲目の時だけ、なぜか空調音が気になりました)。
2曲目の「アパラチアの春」で知られるコープランドのソナタこそ、古典的な形式も見えましたが、それ以外の選曲は、クラシックという枠を超えて、むしろコンテンポラリー的な曲。技巧を駆使して縦横無尽に音が飛び交い、最後の曲は、左手で弦を叩いて出した音から始まる不思議な魅力を持った作品。後半に感じられた、特に彼女の高音の美しさ。
ブラヴォーも飛び交い、割れんばかりの拍手に応え、アンコールに3曲も弾いてくれました。プログラムの最終曲を含め、どれも彼女が全て異なる作曲家(日本人も二人)に委嘱したという「27のアンコール・ピース」という作品に収められ、当時のグラミー賞受賞作品だそうです。
アンコール2曲目の曲は、如何にもアメリカ的でジャズ・ヴァイオリンとでも云えそうな作品。掛け声を掛けたい程に鮮やかです。そして、3曲目。演奏後のロビーに貼られたアンコール曲紹介では「慰撫」と題されていましたが、家内曰く、ヒラリー・ハーンは“Mercy”と紹介したそうで、「如何にも“Mercy”的!」と感動していました。その通りで、持続する高音に不覚にも?涙が零れました。長いボウイングで静かにロングトーンが消えて行きます。弓が降ろされるまでの暫しの静寂を打ち破るように、鳴り止まぬ拍手に、スタンディング・オベーションをする人も何人もおられ、最後に彼女は感謝を表す様に拍手を交わしてお開きになりました。因みに、会社の同僚でお嬢さまが小さい頃からスズキメソードで学ばれたという方(娘さんのレッスンに毎回付き添ったであろう奥さまの弁)によると、長く伸ばす際の彼女のボウイングはスズキメソードの教本通りだったそうです。ふむ、“三つ子の魂”か・・・。
最後に演奏された「27のアンコール・ピース」という作品が大変興味深く、終演後に見ると、CDは全て休憩中に全て完売したとのこと。1階から2階のロビーまで続くサイン会の長蛇の列。お気持ちは良く分ります。
 バッハからコンテンポラリーへ。ある意味時代を越え、ジャンルを超えて、この人は一体どこへ(どこまで)行くのだろう。何を求めているのだろう。
単なる演奏会に留まらず、そんな感慨を抱かせた、不思議な感覚に包まれた(個人的にはとても贅沢な)リサイタルでした。

 桃太郎に浦島太郎、そして金太郎の所謂“三太郎”が登場するAUのスマホ連作CM。ぶりっ子風“鬼嫁”のかぐや姫やチャライのに何故か現実派の赤鬼など、結構今風の捻りも効いています。
脇役で、かぐや姫や乙姫さま、赤鬼などが登場しストーリーを盛り上げているのはいつも通りですが、特に今年の正月の間は特別バージョンだったのか、日本や世界の民話の大盤振る舞い的大放出でした。シンデレラや、金の斧&銀の斧、お結びころりん、はたまた笠取り地蔵などなど・・・。見ながら、暫し唖然としていました。
この“三太郎”CMの人気に触発されたのか、日清のカップヌードルは「金田一耕介」シリーズの「犬神家の一族」や「八墓村」などの有名シーンをパロディーCM化しました。個人的には、些か“二番煎じの感が無きにしも非ず”・・・という気がしますが、映像はしっかり創られていました。

 数ヶ月も前ですが、朝日新聞に掲載中のTV番組に関する読者からの質問に対し関係者に調査して回答するコラム「はてなTV」に、以前この“三太郎”CMに関する質問が採り上げてられていました。それは「毎回CM中の画面のどこかに、一寸坊子が登場しているという噂が巷に流布されているが、それは本当ですか?」という“興味深い”内容でした。
結果は、証拠に今回のCMを例に、その場面が写真で掲載され、ちゃんと一寸坊子が○印で囲まれていました。
知りませんでした。「ウーン、凝ってるなぁ・・・!」と、暫し感心。ただ、そう知った上で、その後のシリーズCMを視ても気が付くことはありませんが・・・。
そして遂に、ここで一寸法師が登場。新CMで、何でも成長させる花坂爺さんの「灰」が掛かった所に居た(らしい)一寸法師が大きくなって、初めて認識出来る大きさで登場・・・。色々考えて捻られています・・・と感心。

 それにしても、今の子供たちはパロディーの素のになった民話や童話を果たしてどのくらい知っているのでしょうか?
「日本昔話」も放映されていない今、子供たちは世界や日本の民話や童話に触れる機会があるのでしょうか?
例えば、赤鬼と青鬼の友情とか、龍の子太郎の勇気とか、銀の斧の正直とか、更には姨捨山の年の功・・・などなど。
子供たちの感受性の豊かな幼心には、キチンと届く筈です・・・などと、“三太郎CM”の制作者のセンスに感心しつつ、チョッピリ心配になった次第。

 5月25日のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文)。
Jazzピアノ界の巨人、チック・コリアの松本公演が夕刻行われました。本公演は早々にソールドアウト。6時半開場少し前に到着したのですが、駐車場はほぼ満杯で、係員の方の指示で何とか駐車。ホール前は既に開場を待つ方々で長蛇の列。音文の事務局で「ぶらぁぼ」の最新号を貰ってから先に並んでいる筈の奥さまを探すと、お友達と談笑中。お二人共趣味のジャスピアノやボーカルをされる多彩な方々だそうで、私メもご挨拶。
 客層や雰囲気はいつものクラシックの演奏会とは少し違いますが、何となく開演を待つ熱気が満ちているようです。ステージ中央には、この日のコンサートピアノとしてヤマハCFXが鎮座。今回のJapan Tourをヤマハがサポートしているのか、或いはこの規模のホールとしては異例の4台のフルコンサートピアノを備えるという音文の所有するヤマハか・・・。以前NHKスペシャルだったか、今年のショパンコンクールでのピアノメーカーの“戦い”を大変興味深く見ました(本選出場者では、ヤマハを選択したピアニストが一番多かった)。

 定刻前のアナウンスが流れ、今か今かと待つ中、5分程遅れて登場。Jazzミュージシャンらしく、上下デニムでコーディネイトし、ナイキのスニーカー。記憶に残る昔のチック・コリアは、黄色いサングラスを掛け、目が大きくギラギラした印象でしたが、目の大きさは相変わらずも、白髪で人懐っこい笑顔の初老のオジサン然(御年74歳!)。ご自身のスマホを取り出して(記念に?)客席や自撮りをして会場を和ませ、
 「何も準備をしてないので、今日は練習室という設定で・・・」
とのジョークで、楽譜の中から「ヨシ、これだ!」とばかりに選んで先ずは指慣らしというジェスチャーで演奏開始。続いて同じく「17世紀のスカルラッティ」との解説でソナタから2曲。次第にJazz風のアレンジが加わり、バロックの珠玉の小品が、スカルラッティらしさも残しながら現代風に姿を変えて行くのが実に興味深い。
「次は18世紀のモーツァルト。5歳の時の小品」とのプレトークで、優しいメロディーがやはりJazzの作品に変貌。
「今度は19世紀に飛んで、スクリャービン」から続けて2曲。
そして現代の曲から、アントニオ・カルロス・ジョビン(後で知った、ボサノヴァ音楽の創始者で「イパネマの娘」も彼の作品)の「デサフィナード」、ジャズピアニストのセロニアス・モンクの作品から「ラウンド・ミッドナイト」と「パノニカ」。最後に“モダンジャズの元祖”と云われるバド・パウエルの「オブビリオン」で前半終了。
途中、ラグタイム風のアレンジがあったりして、チックのJazzピアノが、時代を軽々とまた鮮やかに超越して行きます。
不思議なのは、リラックスして指先から流れるようにメロディーを刻みながら、抜群の切れとスピードもあり、決して重くなく軽やかに飛翔しているかの様。
 休憩中ロビーに行くと、CDはもう数枚しか残っていませんでした。開演前に殆ど売れてしまったそうです。出来ればCDを購入して、手持ちの中にあったエレクトリック・バンド時代の“Eye of the Beholder”(外国盤なので、どうやらシンガポール時代に購入したらしい)と一緒にサインをしてもらおうかと思ったのですが、今回は演奏会後のサイン会は無いようで、残念・・・。
後半は、彼自身の曲が中心。「サ・イエロー・ニンブズ」に始まり、小さい頃の家族(チックの父上はジャズ・トランぺッターだった由)での遊びだと説明して、客席から男女1名ずつの希望者をピアノの横に座らせ、その印象を即興で奏でる「ミュージック・ポートレイト」“音の肖像画”。
また、やはり希望者を募り、彼が低音部でリズムセクションを奏で、それに乗せてゲストが奏でたフレーズを使って、アレンジを重ねて行く即興でのジャム・セッション。それにしても、名乗りを挙げるだけあって皆さんもお見事。チックのサポートとはいえ、特に若い男性のピアノはちゃんとジャズになっていました。
そして、「昔作った曲だけど」と言って「チルドレン・ソング」“Children’s Songs”から7曲。
後半最初の「パコに捧げた曲だ」と紹介して演奏された曲名の「ニンブズ」の意味が分からず、翌日確認をした音文のH/Pに掲載された後半プログラム曲もカタカナで、最初“nymph”(妖精)の複数形かと思いましたが、辞書で調べると濁りません。分ったのは「光輪/光背」という意味の、元々はラテン語が語源の“Nimbus”。仏像の光背も英訳すれば同じですが、良くキリスト教の宗教画で聖人の頭の周りに描かれている光の環のこと。だとすれば「黄色い」という意味も分かります。なお、「パコ」はフラメンコ・ギターの天才パコ・デ・ルシアだそうで、生前チックとも演奏などで交流があった由。「あっ、そうだ」と演奏前に譜面台を外しましたが、“The Yellow Nimbus”では、ピアノの弦を指や爪で弾く奏法があり、如何にもチック・コリアらしいフュージョン的(Jazz Fusion)な作品でした。「内部奏法」をするのであれば、やはりホール所有のコンサートピアノではなく、今回のツアーを支援するヤマハのCFXが各会場に持ち込まれているのでしょう(家に帰って会場で渡されたチラシを見ていたら、ちゃんとCFXのPRチラシが入っていました)。
それにしても、中には(クラシック・ピアノでも)コケオドシ的に大きなジェスチャーで打鍵する(例えばユジェ・ワンの様な)ピアニストも結構多い(コンチェルトでフルオケと対峙するためなら分りますが)中で、ffであってもどうしてこんなにも自然に流れるように弾けるのだろう・・・。でも、どんなに早いパッセージであってもリズムにキレがある。凄い!というか、さすが!というか・・・。体は自然とスィングしながら、いくらJazzの神髄はアドリブとは言っても(事前に計算ずくのステージ構成だとしても)彼のイマジネーションに唖然として聞き惚れていました。

 盛大な拍手に応え、「もう遅いけど、まだみんな時間あるかい?」と、客席に呼び掛け、「じゃあ・・・」と言って呼び出したのは、ナント客席後方に座っていたらしい・・・えっ、小曽根真さん?・・・!!。
今回のジャパン・ツアーは殆どの公演が小曽根さんとのピアノ・デュオで、翌日は愛知県の守山でのコンサートでしたので、ずっと同行されているのでしょう。それにしてもサプライズ。小曽根さんは5ヶ月前にこの音文でコンサートをしたばかりでしたので、スペシャル・ゲストの登場に客席も大盛り上がり。ラフな上下黒のTシャツ&ジーパン姿で早速ステージに登壇し、交互に低音部、高音部を交替しながら即興での連弾。場内は大歓声に包まれました。最前列の皆さんと握手を交わした後、チックが促して客席全員がスタンディングオベーションで手を振り拍手を送る中、にこやかにステージから下がって行きました。

 夜の10時近くなった音文からの帰路、群馬ナンバーや八王子ナンバーの車が前を走って行きます。3ヶ所のみというソロコンサートでしたので、わざわざ松本まで聴きに来られたのでしょう。
どうやら群馬へは三才山峠越えのルートの様です。「これから群馬までは大変だなぁ・・・」と、道中の無事を願わずにはいられませんでした。

 今年のGW後半は、留学準備で戻っていた長女に同行して、奥さまも上京してしまったので一人ぼっち。そこで、GW恒例で、今年もハーブガーデンに野菜やハーブを植えました。

 今年も、いつもの園芸店「ナカツタヤ」に行って苗を購入してきました。ガーデンニングシーズンを迎え大変混んでいました。
ハーブコーナーにはルッコラは無く(代わって今年もワイルドロケットがありましたが)、一方嬉しいことにコリアンダー(インドや欧州では芳香がする実をスパイスとして使いますが、東南アジア料理にはあの独特の香りのする葉が不可欠。中国語では香菜=シャンツァイ、タイ語でパクチー)の苗がたくさん並んでいました。20年前シンガポールから帰任した当時は、苗は勿論、食品スーパーの野菜売り場でもコリアンダーを見掛けることが出来ず、シンガポールで香菜に嵌った奥さまはガッカリしていました。エスニックが身近になったためか、最近パクチーブームとかで野菜売り場でも買えるようになりましたが、結構な値段でも本数が少ないので、家庭菜園で栽培するパクチー好きの人も増えているのでしょう。
ルッコラは苗が無かったので、3年前?に収穫してある種を今年も直播きすることにします(セルバチコは辛味が強いのですが、ゴマの風味はルッコラが優るので、我が家ではルッコラの方が人気)。あとは定番のバジルとプランター用にパセリを一株。ハーブガーデンの地植えのパセリは二年目なので、花芽を伸ばさぬように注意すれば今年も十分収穫可能です。

続いて隣の野菜苗部門に移動。こちらも家庭菜園ブームで混んでいます。
野菜苗は、今年も懲りずにキュウリと、ハーブガーデンの端が軒下で雨が掛からず乾燥してキュウリを植えるのには不向きなことから、そこにはトマトを植えてみることにしました。以前、畑で野菜栽培していた時に“雨除け不要”と聞いて栽培した「サターン」に今回もしようと思ったら、スタッフの方がサカタの「麗夏」(「王様トマト」として流通)も雨除け不要で「サターン」よりも糖度が高いとのことだったので、今回は「麗夏」を植えてみることにしました。
キュウリは、昨年までのタキイ種苗の「夏すずみ」から、「ナカツタヤ」オリジナルの「タントトレル」へ全面的に変更。昨年社長が「JA岡田で扱ってくれるようになった」と喜んでいた品種です。昨年も半分試したところ、特に差が無かったので、だったら応援することに。
因みに、最近食品売り場で「フルーツトマト」を見掛けますが、これは品種名ではなく、一般的な「桃太郎」(タキイ種苗)等の品種を極限まで水を与えない環境で育てて糖度を高めたトマトです(その分、実は小振りになります)。トマトはアンデス原産なので、水をそれ程与えなくても育つ代わりに、雨には弱い(病気の原因になる)ので、ハウス内での栽培や屋外での栽培でも通常雨除けが必須。逆に、キュウリは水分の塊の様な野菜ですから、数年前多雨だった時は、週末畑に行くと一週間でバケモノの様に大きなキュウリになってしまいました。
今は庭の隅の一坪程の極狭いスペースですが、リタイア後はまたちゃんと畑で自家用野菜を育てたいと思いますので、ハーブガーデンで野菜を育てるのも今年で最後(のつもり)。それと、プランター用栽培に向く品種を選んでもらってミニトマトも購入しました。
苗を購入する前に、ハーブガーデンは一坪程の狭いスパースで機械は使えないため、マンノウ(万能鍬)で根が張るように出来るだけ深めに起こし、土が細かくなるように何度も耕してあります。
 昨年店頭で見つけて植えた多年草のワイルドロケット(セルバチカ。店頭では「イタリアンロケット」)とアサツキの代用にもなるチャイブ(庭をリフォームした時に植えた株ですので、もう9年目)、二年目のパセリは春先に発芽して、もう結構茂っていますので、その部分を避けて耕してあります。
耕した部分にそれぞれ間隔を空けて苗を移植し、ルッコラは筋を引いて種を蒔き薄く土を被せ、最後に全体にたっぷりと水を遣って終了です。
勝手口のプランターには、奥さまが料理の途中思い付いたら直ぐ摘めるようにと、パセリ、バジル、コリアンダー、そしてミニトマトを一株ずつ植えてあります。
 一週間後の週末の朝見てみたら、既にルッコラの可愛らしい双葉が芽を出し、移植した苗もしっかり根付いたようです。
そこで、トマトとキュウリにポールを立て、キュウリの蔓が絡み易い様に(園芸コーナーにはネットも売っていますが、本数も少ないので)、ポールの間に紐を結んで網目を作ってあげました。
また、昨年コリアンダーが夏場に枯れてしまい上手く育たなかったので園芸店で聞いてみると、猛暑の場合は多少日陰の方が良いとのアドバイスがあり、今年はハーブ類を植えた部分だけシェード(遮光ネット)を被せてみました(果たして効果や如何に・・・?)。日が当たると薄日が差したようになりますが、遮光ネットは遮光率の異なる種類がホームセンターで販売されているので、もし遮光率が高過ぎるようであれば、もっと低いモノを購入しようと思います。
 多年草のワイルドルッコラ(興味のある方は第979話を参照ください)が随分茂ったので、もう二度ほど摘んでサラダに使いました。また、二年目のパセリに花芽が付く太い茎が出て来たので、切って葉を刻みピラフに散らして戴きました。ついで、コリアンダーも何本か摘んで、奥さまがご自身のサラダとピラフに載せて・・・。今年の苗も、しっかりとあの独特の香りがしたそうです。
 「あっ、美味しい!」
 「あっそう・・・」(個人的にはあまり興味はありませんが、先ずは良かった)。
食品売り場に並ぶハウス栽培モノと比べて、自分で栽培する野菜やハーブの良い点は、価格メリット以上に、何と言っても味の濃さ。
パセリなど全くの別物で、付け合せにするだけではなく、食べないと勿体無いくらい美味しいですし、バジルやルッコラも味が濃くて実に美味。我が家では、パスタやピザ、サラダに欠かせません。
ハーブの歴史は古代エジプト・メソポタミア文明まで遡れる程古く、古代ギリシアでは薬草として本にその効能がまとめられたという様に、種類の多くは地中海地方原産の香りの強い雑草が主ですからかなり丈夫ですが、日本の高温多湿には逆に弱いようです(一方バジルはインド、チャイブは中国原産とのこと。従って、バジルは暑さには強いが、霜には滅法弱い)。また結構虫にも強く無農薬でも育ちます(クレソンは青虫の大好物ですので防虫網が必須。奥さまのご友人から野生のクレソンをいただくので、今年は水耕栽培休止)。しかし、野菜のキュウリやトマトはデリケートですので、特に環境の厳しいこの限られたスペースで育てるのはなかなか難しい。ですから、
 「買った方が安かったんじゃないの・・・!?」
などと云われぬように、みんな頑張って育ってよネ!