カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
新緑が目にも鮮やかな季節になりました。
松本市の岡田や稲倉地区の田畑の間を抜け、山肌に広葉樹の拡がる三才山峠を越えて、鹿教湯を通って上田の塩田地区へ毎日通勤しています。
最初の写真は、三才山峠のあちこちに見られる山藤。新緑の中に薄紫の花が清楚な奥ゆかしさを湛えて咲いています(朝の松本側で撮影)。
続いて、鹿教湯を過ぎた穴沢地区で、休耕地を利用した紫のカキツバタ(杜若)。ただ水辺ではないので、もしかするとアヤメでしょうか。いずれにしても、尾形光琳「燕子花図屏風」を彷彿とさせるような鮮やかさです。こうした場所が、道路脇だけでも数ヶ所見られます。
昭和27年(1952年)に松本市内の小学校教員だった小松一三夢氏が、戦後の荒廃した街や人々の心を回復するために「花を通じて人々の気持ちを豊かにしよう」と提唱し、根気良く地道に学校や地域に花を植える活動を始めたことがキッカケとなり、やがて全国に広まって行った活動。当初は、戦後の世相から“腹いっぱい運動”(の方が重要)と揶揄されたもという。
女鳥羽川沿いの本町と大名町交差点付近に「花いっぱい運動発祥の地」の石碑が立っています。