カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
ピンクに染めた桜が散った後、その空虚感を埋めるように紅白の花を一斉に咲かせていたハナミズキもあっという間に散り、何となく寂しさを感じさせる市街地。そんな街角で見掛けたヤマボウシ(山法師)。
こちらの写真は、週末毎に水を汲みに行く松本の名水「源智の井戸」の高砂通り(人形町)に植えられている山法師の街路樹です。見事な花を咲かせていて、水を汲み終わった後、暫し見惚れて木の前で佇んでいました。
先に花(実際は花弁ではなく、つぼみを包んでいた葉=苞であり、ハナミズキやヤマボウシは総苞と呼ばれる)だけが咲くハナミズキと違って、ヤマボウシは先に葉が茂った後に白い花が咲きます。ハナミズキが先に咲くので、ヤマボウシは些か分が悪いのかもしれませんが、あっという間に我が国でもポピュラーとなったハナミズキと違って、日本の里山に自生する同じミズキ科の古来種で、この時期緑鮮やかな里山の中にハッとするような白い点描が見えたら、それがヤマボウシです。
我が家の雑木林風ガーデンには20年前の作庭時からベニバナヤマボウシを植えてありますが、白いヤマボウシの方がやはり清楚な感じがします。
そして、会社に植えられたヤマボウシ。毎年無数の小さな花を咲かせてそっと佇んでいます。
会社の近くにある、一見喫茶店風のレストラン「ニコニコ亭」。
今風でない名前が、却って時代を感じさせてくれます。いつも混んでいて、「注文しても出て来るのが遅い」と会社のメンバーから聞いていたので、これまで入ったことはありませんでしたが、この日は外出帰りで、既に1時半を過ぎてピークのランチタイムではなかったので入店してみました。
外見は白いペンキが塗られていてオシャレですが、入ってみると70代と思しきご夫婦が切り盛りされている、如何にも“街の洋食屋さん”という雰囲気でした(店の横をトコトコと別所線の電車が走って行くのも、相乗効果でレトロな雰囲気を醸し出しています)。
実は、前回(第1079話)ご紹介した懐かしのナポリタンもこちらの「ニコニコ亭」。そのナポリタンは、結構な麺の量で850円也。
“街の洋食屋”たるべきは、先ずは昔風の“純喫茶”同様に、やはりナポリタンがちゃんとメニューにあること・・・でしょうか。
そして、更に雰囲気を演出すべく小道具的に付け加えるとしたら、やはり昔の喫茶店の様に、“サラリーマン”の昼休みの定番?である「ゴルゴ13」などのコミックも揃えられていること・・・でしょうか。
こちらの「ニコニコ亭」は、しっかりと両方の条件をクリアしています。
(強いて言えば、個人的にはこれに加えて、もし料理がアルミのお皿に盛られて来たら、完璧にノスタルジックな“昭和”かな・・・?)
さてメニューとしては、こちらの「ニコニコ亭」では日替わりランチがボリューミーでお薦めの様です。日替わりのAランチが700円と有難い設定。
この日は甘い醤油ベースのソースが掛かった、サクサクで柔らかなチキンカツがメインでした(ナポリタンを頼んだ時のAランチは、定番のハンバーグだったような)。菅平も近いので(?)、レタス中心のサラダもたっぷりです。サイドディッシュにバジル風味のスパゲティとカレーソースが掛かったフライドポテトが添えられていました。
これに、茶碗ではなく、お皿に盛られたご飯(洋食らしく“ライス”と呼びたくなりますね)もたっぷりで、カップスープ(カレー風味でした)が付きます。これなら、大学生の様な若い男性にとっても十分なボリュームだと思います。
もう一種類のBランチは(通常のメニューから日替わりで選ばれているようです)980円。この日のメインディッシュは、タルタルソースのシーフードフライとのこと。
フム・・・お腹も一杯になって、“街の洋食屋さん“の面目躍如といったところ・・・でしょうか。
(少し休憩して、ゴルゴ13を区切りまで読破して「ご馳走さまでした!」)
因みに、サーブも特段それ程遅くはなかったので、その後も“洋食気分”の時に利用しています。そこで、その時のAランチをご紹介させていただきます。
先ずは生姜焼き。付け合せが竹輪の磯部揚げでしたが、個人的にはイマ一つ。
続いて、アジフライとポークフリッターのカレーソース(純粋のカレーに何か加えた甘目のソース)。アジフライはサクサクとしてなかなか美味。ソースも一工夫されているようでした。
最後に、この日はカレーでした。自家製とのことですが、家庭的なビーフカレー(シンガポールで嵌った北インド料理の本格的な“インドカリー”は普通のレストランでは無理なので、所謂日本的な“カレーライス”は各家庭の味を楽しめば十分。やっぱりナポリタンにすれば良かった・・・とチョッピリ後悔)。なお、この日のBランチはチキンカツで、880円とのことでした。どうやら、オリジナルのメニューによって(日替わりになるとサービス価格適用)値段が変わるようですね。
セットのサラダ、スパゲティ―(毎回ジュノベーゼ風)とスープ(カレー風味の野菜スープが多く、時々トマトベースの卵スープ)も、どうやら毎回同じで変わらないようでしたので、頻度にもよりますが毎回Aランチだと些か飽きるかもしれませんね(結構メニューは豊富なので、サイドディッシュも含め、もう一工夫あってもイイのでは?・・・。それと、味付けが若者向きか、全体的に些か濃いような気がします・・・と、ちょっと辛口評価かもしれませんが)。でもコスパは良いので、しっかりと満腹になって、ゴチソウサマでした。
【追記】
因みに、地元松本で古くから市民に親しまれている“街の洋食屋さん”と言って思い浮かぶのは、「翁堂」、「盛よし」と「どんぐり」辺りでしょうか。
食べに行く機会があったら、またご紹介したいと思います。
新緑が目にも鮮やかな季節になりました。
松本市の岡田や稲倉地区の田畑の間を抜け、山肌に広葉樹の拡がる三才山峠を越えて、鹿教湯を通って上田の塩田地区へ毎日通勤しています。
松本は「花いっぱい運動」(注)の発祥の地ですが、少なくとも毎日の通勤路だけで見ると、昔からの湯治場を結ぶ古くから開けたであろう街道筋の集落、という要素も背景にはあるのかもしれませんが、上田地区の方が遥かに“花いっぱい”です。
そんな五月の“花街道”を彩る花の風景です。
最初の写真は、三才山峠のあちこちに見られる山藤。新緑の中に薄紫の花が清楚な奥ゆかしさを湛えて咲いています(朝の松本側で撮影)。
続いて、鹿教湯を過ぎた穴沢地区で、休耕地を利用した紫のカキツバタ(杜若)。ただ水辺ではないので、もしかするとアヤメでしょうか。いずれにしても、尾形光琳「燕子花図屏風」を彷彿とさせるような鮮やかさです。こうした場所が、道路脇だけでも数ヶ所見られます。
そして、上田市街地への平井寺トンネルを抜けて下って行った所にある、同じく休耕地を利用した色とりどりのアヤメ。またその近くに咲いていた、イングリッシュガーデン風の白いマーガレットと赤のポピー(ヒナゲシ)。紅白の対比が鮮やかです。
最後は、今年も満開となった“ナンジャモンジャの木”(正式名称はヒトツバタゴ=一ッ葉田子。興味のある方は、昨年の同時期の記事、第972話を参照ください)。木に積もった“初夏の雪”の如く、英語名の “Snow Flower”がまさにピッタリの風情です。
【注記】
昭和27年(1952年)に松本市内の小学校教員だった小松一三夢氏が、戦後の荒廃した街や人々の心を回復するために「花を通じて人々の気持ちを豊かにしよう」と提唱し、根気良く地道に学校や地域に花を植える活動を始めたことがキッカケとなり、やがて全国に広まって行った活動。当初は、戦後の世相から“腹いっぱい運動”(の方が重要)と揶揄されたもという。
女鳥羽川沿いの本町と大名町交差点付近に「花いっぱい運動発祥の地」の石碑が立っています。
早朝ウォーキングを兼ねての四柱神社参拝(と言うよりも、毎度親バカ夫婦の娘たちのための祈願)で何度も縄手通りを歩いていて看板を見掛け、奥さまが是非来たいと申されていた「スヰト」のモーニングバイキング。
一度は9時過ぎに通り掛かったら満席で(多分30分近く待つだろうことから)諦め、(それを目的に来た)二度目に漸く入店することが出来ました。
こちらは休日も9時開店なので、通常のウォーキング時間には未だ開いておらず、そのため今回は開店時間に合わせて、いつもより少し遅めにウォーキングに出掛けました。
「いや、以前来た時は満席で座れなかったので、今日も混むといけませんから・・・」
と固辞すると、ニコッと微笑まれて、
「確かに昨日は混んでましたけど、今日は多分大丈夫そうですから。どうぞゆったりとお過ごしください」
とのことで、有難く移動させていただきました。
こちらの“バイキング”は、老舗のベーカリーらしくパンが食べ放題。しかも、バゲットなどのフランスパンは焼き立てが供されます。数種類のジャムやバター、オリーブオイル、ゆで卵もお代り自由(ゆで卵は、そうそう何個も食べられるものではありません。そう云えば、昔ゆで卵を塩かマヨネーズで食べるかで職場旅行で論争になったことがあったけど、私メは断然塩派)。それに加え、ミニサラダとお好みのドリンクがセットで650円とリーズナブルだと思います。事前にバイキング用に並べられたパンは、食パンも含め5種類ほど。それほど多くはありませんが、やはり焼き立ての味は格別です。因みに、横の売店で販売されているパンも店内に持ち込んでセットメニューで食べられます。
店内に飾られた創業当時の古い写真や、ステンドグラス、シャンデリア等の説明などに依ると、こちらの「スヰト」(英語表記はSWEET)は、市内では老舗和菓子店である「開運堂」(1884年、明治17年創業)の創始者渡辺喜平氏の次男である宗七郎氏が、明治39年(1906年)に渡米し、修行の後1913年に現地シアトルで創業。1923年に帰国し、地元で初のベーカリーとなる「開運スヰト」をこの縄手の地に開店したのだとか(企業情報上はsince 1913と表示されています)。因みに開運堂は女優渡辺美佐子さんのお父上の生家でもあります。どうやら今の店名は「スイート」或いは「スヰト」の様ですが、(中高齢の)地元民にとっては「開運スヰト」の方が遥かに馴染み深く、場合によっては(私なんぞ)いまだに和菓子の「開運堂」と混同(同社のベーカリー部門と誤認)しています。
席に座ってオーダーしてすぐに、「フランスパンが焼き上がりました!」と席まで持って来てくださいました。やはり焼き立ての外側の皮のパリパリした香ばしさと、しっとり、ふわふわとした中のパン生地。甘味を感じます。お腹一杯になる程たくさん食べる訳ではなくても、焼き立てが食べられるだけでも訪れる価値があると思います。我々もフランスパンのみ3枚ずついただきました。
ただ個人的には、バイキングメニューではありませんが、中をくり抜いたブール風の丸いフランスパンにクラムチャウダーが一杯に入ったパン(450円)が、むしろバイキングよりも気になっています(今度来たら頼もうっと!)。
目標達成へのプロセスに到達して余裕が出来たのか、娘から「面白い記事があったから、ブログネタにどうぞ!」とリンク先が貼られて送られてきたネット記事。
それは、厚生労働省などの都道府県別統計を基に比較した、様々な都道府県別のランキング結果でした。
長野県が男女とも平均寿命(余命に非ず)が1位というのは良く知られたところですが、他にも、例えば「癌死亡率の低さ」や「野菜消費量」がトップ。一方で、砂糖や味噌の消費量が1位で、塩は東北地方に次ぎ4位。牛乳消費量3位、食用油同3位、牛肉同46位。脳梗塞は多い方から6位。
冬炬燵に入って塩辛い野沢菜漬ばかり食べているという農村生活が脳梗塞を招くとして、農村に出ての保健指導を始め、長年に亘り地道な生活改善を促してきた佐久総合病院の取り組みは以前から良く知られたところですが、砂糖や味噌が未だトップで、塩分消費も必ずしも下がっておらず、余り肉を摂らない(但し馬肉消費量のデータは無し)といった食生活から健康/長寿県を裏付けるデータは、唯一野菜摂取量と牛乳くらいでしょうか。
奥さま曰く、確かに信州のお年寄りは(煮物や煮付でも)「濃い味付けが好きだから」とのこと。天麩羅も大好きですし・・・(もしかすると、野菜消費だって野沢菜漬けや野菜の天婦羅効果かも?)。
変わった数値では、駒ヶ根に訓練所があるために親近感があるのか、青年海外協力隊員数が全国3位、松本のスズキメソードの才能教育やSKF(現OMF)での吹奏楽パレードの成果(小中学校での吹奏楽熱の高まり)か、楽器購入が全国2位(背景不明ながら石川がトップ・・・古都金沢は何となくお琴や能などの和楽器のイメージですが)、また子供への仕送り額が全国1位というのは、県内に有力大学が少なく、住宅費の高い首都圏への進学が圧倒的に多いため・・・と、これらの数値は何となく納得出来ます(説明が出来そうです)。
一方で、小学生の地域行事参加率、県民のボランィア参加率、中学生の早寝早起き率が全国一位、小学生のスマホや携帯普及率はブービーとか。これは、何かが頭に付く程に信州人は真面目と称される県民性の表れでしょうか。
我が長野県のデータは今一つピンと来なかったのに対し、むしろ面白かったのは奈良県でした。
コーヒー消費量、ピアノ普及率、小学生の長時間TV視聴率、PC普及率、中学生の通塾率が、いずれも全国一位。
因みに、長野県がブービーの牛肉消費量でも奈良県がトップですが、2位3位に京都、大阪と関西勢が続きます。
何となく、“良く遊び良く学べ”で、結果として大人も含め、生活にゆとりが感じられそうなデータです。
「ムムム・・・さすがは“国のまほろば”の余裕か、“大和し麗し”・・・」と感じ入った次第。
京都、大阪、神戸といった大都市に囲まれて、関西の中では些か地味な印象が拭えませんが、奈良県、恐るべし・・・。
深志高校の北側の道沿いで、高校のすぐ東側にあるイタリアンレストラン「La PACE(ラ・パーチェ)」。我が家からは徒歩10分、車なら数分ですが、最近評判の高い人気店とのこと。
ずっと昔から白い洋風のオシャレな建物が存在していた記憶(見た目で美容院かと思っていましたが、以前は別のレストランが入っていて、ラ・パーチェ自体は開店して4年目だそうです)はあるのですが、これまで訪れたことはありませんでした。
土曜日だったので、念のために事前に予約をして行ったのですが、カウンター席含め20席程の店内はほぼ満席。いや、大したモノだと先ず感心。
レストランフロアには、当然コンサートタイプではなくコンパクトタイプですが、グランドピアノも置かれていて店内にシックな雰囲気を醸し出しています(思えば、家の新築時に、熱心にピアノを習っていた娘たちのためにグランドピアノを買う前提でリビングを設計してもらいましたが、コンパクトサイズであっても軽自動車が買える値段の筈。今にして思えば、アップライトのままにしておいて良かった。今じゃ埃を被って誰も弾きませんから。リタイアしたら60の手習いでも・・・!?)。それもその筈、こちらではピアノ教室も併設されているのだそうです(貸切でのホームパーティーなら、ピアノを弾くことも可能だとか)。
因みに、店名の“PACE”はイタリア語で平和(女性名詞)を意味します。英語のPeace同様に、語源はラテン語のPax。例えば、ミサ曲(通常文)のGloriaに出て来る“In terra pax”(地に平和を)。そして“Gloria in excelsis Deo“ (いと高きところの神に栄光あれ)ですか、懐かしい・・・。
奥さまは、季節限定のセットメニュー「春のパスタセット」(1680円)。どれも春らしい3種類のパスタの中から、菜の花と明太子のパスタをチョイスされました。セットメニューとして、これにサラダ(シーザードレッシングをチョイス)と桜のジェラート、ドリンクが付いています。
このお店はパスタとピザがお薦め(実に種類が豊富)のようなので、私はナポリピッツァ(1260円)とCセット(サラダ、スープ、ブルスケッタにドリンクが付くBセット350円+ドルチェ盛り合わせが更に付いたセットで、〆て550円也。但しデザートは奥さま用です)をオーダー。
この日のランチを楽しみに、朝からお腹を空かせていた奥さま。もしサーブまでに時間が掛かるようだと採点が辛くなりますので、些か心配。
ところが、入店したタイミングも良かったのか、満席に近いのにサラダに始まり、セットメニューがテキパキとタイミング良くサーブされて来て、これだけでも奥さまは高評価(いや、良かった、良かった・・・)。
ピザは生地の薄いクリスピータイプ。トッピングのアンチョビが良い塩梅で効いています。また麺のパスタは、しっかりとアルデンテ。パスタとしては、個人的には(量はともかく)、味は駅前の「トレマーニ」の方が好みですが、こちらの特徴は何と言ってもコスパの良さでしょう。他のお客様に運ばれるパスタはどれもボリューミーで、他店なら大盛りです(以前行った、イタリア修行を売りにした市中の某パスタ専門店の優に3倍以上はありそうです)。私のオーダーしたCセットは、家内のサラダには負けますが、それなりのボリュームのサラダ(殆どサニーレタスでしたが)とミネストローネのカップスープ(+細いバゲットタイプのブルスケッタも)。
サクラのジェラートは確かに桜餅の味。ドルチェ盛り合わせはたっぷりの量で、あの奥さまが食べきれずに残したほど(勿体無いので、チーズケーキは私メがいただきました)。ランチセットは、若い男性陣であっても十分に満足出来る量だと思います。
お若いスタッフの皆さんですが、サービスも丁寧で(満席のため外で待たれているお客様には事前にメニューを渡されていました)テキパキしていて好印象。この内容なら、確かに人気店になるのは(郊外であっても)当然だと思いました。
我が家周辺では、「チャイナスパイス」移転後は「やんちゃ坊」一辺倒だったのですが、“灯台下暗し”で、近くに大変良い店が見つかりました(ここなら歩いても来られますから・・・)。
奥さまも気に入られたようで、今度娘たちが帰って来たら一緒に来ようとのことで(その前に女子会でも再訪された由)、早速GW中にMBAの留学準備で帰省して来た長女も一緒にランチへ。前回のお店のアドバイスに従って、事前に電話をしてから出掛けましたが、この日も満席。ネットで調べられたのか、駐車している中には県外車も。この日の客層も、お若いカップルの他は(かなりの年齢幅で)圧倒的に女性客が中心(ランチは、やはり女性層を掴むことが肝要)。この蟻ヶ崎地区は住宅街でもありますので、平日でも奥さま族の需要が多いのかもしれません(因みに、深志高校周辺には、全国放送で取り上げられて一躍行列店となった生パスタがウリの店もありますが、個人的にはこちらの方が遥かにお薦め。その店は昔一度行ってガッカリして以来とんとご無沙汰ですが、何で人気なのか不明。TVの効果はゲに恐ろしい・・・)
この日の我々のオーダーは、ピザが定番のマルゲリータ(1050円)にBセット。パスタは、家内が牡蠣と葉野菜のペペロンチーノ(1150円)に今回もドルチェ盛り合わせのCセット。娘は季節限定の「春のパスタセット」(1680円)の中から、春野菜とスモークサーモンのクリームソースをチョイス(なお、掲載の写真は全て今回の二度目の訪問時のメニュー、季節のパスタ、マルゲリータ、牡蠣と葉野菜のパスタの順番です)。
マルゲリータはバジルの味が実に濃い。パスタはニンニクも効かせてありますが、どちらかと言うと日本的で優しい味付け。牡蠣もプリプリで新鮮でした。クリームソースはスープ状でアッサリ。濃過ぎず、くどくないのでもたれることもありません。何となく、醤油が隠し味で効いている感じがしました。
こちらの「ラ・パーチェ」はピザの持ち帰りも可能(箱代が別途100円必要)とのことなので、今度自宅でピザが食べたくなったら頼んでみたいと思います。その場合、勿論宅配はありませんので、自分で取りに来る必要がありますが・・・。
“春の使者”-何となく心浮き立つ言葉ですが、桜前線とか、場合によっては黄砂とか、或いは花粉も?・・・人によってこの言葉から連想するモノは色々違うのかもしれません。
個人的には、サクラの様に「そこに在る木に花が咲く」というような「変化」ではなく、春になって「出現するモノ」がやはり「使者」という言葉には相応しいと思います。
前置きが長くなりましたが、別にバードウォッチングなどの野鳥観察が趣味でなくても、春になって遠く南の島(台湾やフィリピン?)から何千キロも海を越えて、遥々生まれ故郷の日本列島にやって来るツバメ(燕)。
日本人にとって、昔からツバメは益鳥ととして大事にされてきただけではなく、その飛ぶ姿から速さやスマートさの象徴でもあるようで、零式に比べスマートな三式戦闘機「飛燕」や旧国鉄の特急「つばめ」(現在でもJRバスのマークとして引き継がれていますし、元は国鉄だったヤクルト球団はスワローズの愛称をそのまま継承しています)、更に佐々木小次郎の秘剣「燕返し」もその一例なのでしょうか。
さて、その“春の使者”ツバメですが、いつもなら信州にも4月に入れば戻って来ます。早い時は、諏訪(松本よりも位置は南)で4月1日の入社式の日(そのため余計印象深かった)に見掛けた記憶があります。
ところが、今年の我が家周辺では4月になってもツバメの姿を見掛けることがありませんでした。
4月9日に発生し余震が続く熊本地震で、九州は彼らの中継地であるだろうことが、北上に何か影響でもしているのだろうかと心配していました。
週末に食料品の買い出し等で街中に下って行くと、途中松本の市街地でも4月中旬にはツバメを何羽か見掛けることがありましたので、もしかすると松本でも我が家周辺だけが飛来が遅れていたのかもしれません(それはそれで、何故なのか気になりましたが)。
そして、5月1日の早朝。
ナナの散歩前の5時頃でしょうか。いつもの様に、朝起きてベランダでコーヒーを飲みながら一服していると、軒下の1.5m四方に囲まれた空間から望む空に、ツバメが7~8羽空高く舞っていました。今年初めて見る優美なツバメの舞でした。
「ちゃんと戻って来れたんだ。良かったなぁ・・・。」
ただ、時々通るナナの散歩コースにある、近くの小さな貸家(今は空家ですが)の軒先のツバメの巣。これまでは毎年ヒナが孵化していましたが、今のところまだ親鳥たちは戻って来ていません。何千キロという過酷な飛行の中で、全部が無事ということは有り得ないのかもしれませんが・・・。もしかしたら世代交代で、子供たちは他の場所に巣作りをしているのかもしれません・・・。そう云えば、嵐を避けて、遠洋航路の貨物船で羽を休めるツバメの群れの話を子供の頃読んだ記憶があります。子供心に「ガンバレ、頑張れ!」と感じた、半世紀以上も前の遠い記憶です。
自然災害で、何となく日本列島が元気を失っている中で、我が家周辺ではいつもより遅かったとはいえ、今年も長旅を終えて変わりなくツバメが元気に滑空している姿を見て、ホッと一安心。ホンの小さな出来事ですが、今年も変わらぬ光景に、何となく災害列島に平穏がチョッピリ戻りつつあるような気さえしました。
熊本にも、ツバメは生まれ故郷を忘れずに戻って来ているのでしょうか・・・。
週末の早朝ウォーキングついでの、喫茶店でのモーニングサービス。
早朝7時か8時くらいからやっている、街中の喫茶店のモーニングサービスは、「まるも」に始まり、大方“制覇”してしまいました(9時や10時開店という喫茶店はまだありますが)。
そこで、今回は趣向を変えて郊外店へ行ってみることにしました。
徒歩で行くにはちょっと遠いので、出来れば車を停めて、周辺ウォーキングとモーニングサービスという前提です。
今回は、音文(ザ・ハーモニーホール)の近くにある「支留比亜珈琲 松本店」。こちらは「コメダ珈琲」同様、“名古屋流喫茶店”と云われる人気の珈琲店です。
最初、市内庄内に出来た「コメダ」が、ゆったりと寛げると「女子会」的な主婦層に人気の様で、塩尻等にも出店を拡げていますが、「支留比亜」も地元名古屋では「コメダ」と並ぶ人気店らしく、2年前に県外初出店として松本の島内にオープン。一度来たいと思っていました。
モーニングは7時から。奥さまによると、店内は「支留比亜」の方がシックで落ち着いた雰囲気とのことでした。
東京(新橋か御茶ノ水界隈だったか)にも出店していて、以前タレントさんがTV番組(「メレンゲの気持ち」だったか?)で紹介されていて絶賛だったのが、「支留比亜」だけという「カルボトースト」でした。
そこで、モーニングサービス付きで、コーヒー(390円)と奥さまは紅茶(390円)をご注文。トッピングにジャム(+100円)も追加されました。
私メは、せっかく来たので「カルボトースト」(600円)も併せて注文してみることにしました。
モーニングサービスは、「コメダ」と同様。コーヒーは濃い目ですが、「まるも」の様に、もう少し酸味が効いている方が個人的には好みです。
カルボトーストは、「う~ん、確かにカルボナーラだ・・・」。但し、以上でも以下でもなし。一般的なパスタソースと比べると、弛めでスープに近い感じでしょうか。奥さまも試食。印象は同じだそうです。ナイフとフォーク、スープ用スプーンも付いて来ます。
「ま、でも食べてみないと評価出来ないし・・・ネ。」
次回モーニングに来たら、カルボナーラトーストではなく、他のメニューを頼みたいと思います。
店員の方に事情をお話して、駐車したままでの音文へのウォーキングをお願いすると快諾いただけたので、「支留比亜」から音文まで歩き、公園にもなっているホール周辺を一周してから店に戻りました。ウォーキングとしては2㎞足らずです。
30分程で戻ってみると、広めの駐車場もほぼ満杯。
最近は、モーニングを楽しむシルバー世代も多いようですが、「コメダ珈琲」同様、この集客力はなかなかのモノ。市中の喫茶店では駐車場が無いお店も結構ありますので、喫茶店に限らずですが、地方では郊外店の方が盛況かもしれません。
余談ですが、名古屋流喫茶人気を受けて、「デニーズ」等のファミレスも対抗してモーニングでトーストとゆで卵を無料にしたのだとか。店側は大変でしょうが、食べる側としては大歓迎ですね。
前話の“余里の一里花桃”を訪ねる前に、途中で昼食を取って行くことにしました。久し振りにナナも一緒のドライブだったので、可能なのは“ワンコ連れOK”の店しかありません。
長野県は“観光立県”を目指している筈ですが、そうした場所は犬連れの別荘族が多い軽井沢以外では殆ど無いに等しい程、実際は犬同伴可能なレストランが非常に少ないことに驚きます。
調べてみると、“信州の鎌倉”塩田平でも、テラス席OKという店が2軒、店内もOKという店は別所に僅か1軒しかありませんでした。幸い、その内の一件のカフェが武石地区だったので、そちらでランチを食べることにして、三才山峠を下った辺りで事前に連絡をしておきました。
会社勤めを辞めて戻られた地元出身のご主人が、築百数十年の空き家を借りて自ら改装して始めた「古民家カフェ」だそうです。使う野菜や米もご自身で栽培される、謂わば自給自足。
武石口の交差点から美ヶ原高原へ向かう県道62号線に入り、途中行き過ぎたことが分かった(地図上「明治乳業武石工場」まで来たら行き過ぎ)ので、戻ってすぐに発見。道沿いから少し入ったところにある、赤いトタン屋根に覆われた古びた茅葺の家。道の反対側に駐車場があり、先客の若いカップルが一組。我々は犬連れなので、庭先にテラス席を設けて日除けのパラソルを挿してくれてありました。ランチメニューは、この日はパスタプレートの1種類のみ(通常はカレープレートとの二種類で、どちらも1000円。ドリンクセットで1300円)。
自家製の有機栽培の野菜やハーブを使っているそうで、この日のパスタのトマトソースも、ご自分で育てたトマトとイタリアントマト(多分ホールトマト缶)をブレンドした自家製ソースとか。くどさがなく、酸味が効いてサッパリとした素朴な味わい。写真では分り辛いですが、山型に盛られた細麺のパスタ(所謂スパゲッティ)も見た目以上のボリュームです。角切り野菜がたっぷり入ったポトフ風のカップスープも、優しい味付けでした。
私がセットで頼んだストレートコーヒー(単品だと450円)はグァテマラ。抽出する水は、ご主人が山の湧水「福寿水」を汲んで来たのだとか。
「自分が酸味のあるコーヒーは苦手なので・・・」
ご夫婦でやってらっしゃるのか、専らサーブはご主人。話好きの様で、余里への道順や武石地区のことなど、自ら色々と教えてくださいました。
道を挟んで目の前には、柔らかな新緑の中に所々山桜が白く点描された里山が拡がっています。入口に掛けられた昔懐かしい掛け時計が、低くボーンと午後1時を報せてくれました。
「何だか、ノンビリ出来るね。」
とは奥さま。傍らでは、ナナもノンビリと日向ぼっこです。
日常の喧騒を離れ、素朴な里山を亘って行く春風に乗って、時間もノンビリと流れて行くようでした。
個人的には(タイムスリップして)子供の頃見慣れた風景(例えば、“厠”が独立して庭先にもあるのは、農作業から休憩に戻って、地下足袋を脱がずに使えるための生活の知恵)ですが、“都会人”の皆さんなら、もっとノンビリまったりと過ごせるかもしれません。
上田市武石地区(旧武石村)の余里(より)の里。
地元の「花咲じいさんクラブ」の方々が丹精込めて長年育ててこられたという約2000本の花桃(ハナモモ)が、“一里花桃”の名の通り、4キロメートルに亘って咲き誇るそうです。地元では“世界中で一番きれいな2週間”と云われているのだとか。
松本から上田へ毎日通勤していると、ハナモモに関しては上田エリアの方が庭木などで植えられているのを良く目にします。他に県内では、阿智村を中心とする伊那谷(木曽と結ぶ国道256号線は、別名“はなもも街道”とのこと)も有名です。
因みに、桃と花桃。Wikipediaによると、どちらもバラ科ですが、桃はモモ属に対し花桃はサクラ属とか。中国原産で、多くは江戸時代に観賞用として品種改良されたものだそうです。
花の色もピンク一色ではなく、白から赤の間で、ピンクにも色々な濃さがあります。中には一本から三色咲かせている木もあり、更に樹形も垂れがあったりして実に華やかです。ある意味「豪華絢爛」で、山肌にひっそりと佇むように咲く山桜とは対照的です(例えて云えば、桃山文化と鎌倉文化の違いの様な・・・)。
途中で先に昼食を取ってから、余里地区へ向かいました。美ヶ原高原を挟んで松本とは反対側に位置する武石地区でも、かなり奥まった山間にある余里地区。4㎞程の道沿いに3ヶ所ほど空き地を利用した無料駐車場が設けられていました。我々は一番下の花桃の里入口の「一万歩駐車場」に車を停め、歩いて行くことにしました。結構駐車していて県外車もチラホラ。
この駐車場のすぐ脇の余里川沿いに600メートルに亘ってハナモモが植えられていて(Mapによると「宮前コース」とのこと)、今年は開花が早そうで、既に満開を過ぎようとしていました。そこから車道に戻り、川沿いに緩い坂を上りながら終点を目指します。途中、神社や茅葺(但しトタン屋根)の民家、また山の斜面等、所々にハナモモが植えられています。但し、並木風に連続していたのは最初の「宮前コース」のみ。集落一番奥の「本家桃」の手前に地元の方々の運営する売店等があり、そこまで途中「あと三千歩、あと二千歩」という手作りの案内標識が用意されています。途中、道沿いの田畑では地元の方々が農作業をされていて、観光地というよりも、向井潤吉画伯の描く様な“農村の日常風景”の中に、この時期ハナモモが咲いているという雰囲気。
因みに、この地区のハナモモの親木とも云える「本家桃」は、5年前の強風で折れてしまったのだとか。今は亡き“本家”のお婆ちゃんが、熟して落ちたハナモモの実から育てた苗木をご近所の家々に配ったのが“花桃の里”の始まりとか。その後、地区の皆さんが「花咲じいさんクラブ」と名付けて集まり、皆で苗木を育て、空き地や川沿いの土手などに少しずつハナモモを植えてきたのが、この「余里の一里花桃」なのだそうです。
県内ではもう一ヶ所有名な伊那谷阿智のハナモモは、実に5000本だそうですが、こちらも、何も無い辺鄙な場所に嫁いで来られたお嫁さんを慰めるために植えられたのが元々の始まりとか(田舎はどこも優しいですね)。
「花咲じいさんクラブ」では今でも苗木を育てているそうですので、余里も頑張って、いつの日か入口から最上部の本家桃までハナモモ並木を繋げて欲しモノです。
洒落たレストランやカフェは勿論、売店も何も無い山間の集落。途中、朽ち果てつつある茅葺の空き家を何軒も見掛けました。恐らく、ハナモモが無ければ誰も見向きもしないであろう、辺鄙で過疎の山村の見事な“村起こし”です。
コースの終点には、地元の方々が、花桃の苗や山菜、飲み物などを販売している売店(テント)があり、家内が「くるみ餅」を買ったら、「一番下から歩いて来られたご苦労さん代」で50円値引きしてくれたのだとか。一方私メは、ノンアルコールビールを買ったら、店番のお婆さんたちはお客さんへの山菜の調理法の説明で忙しく、お爺さんが確認しても見向きもしてくれないため、
「幾らか分らねえで、イイわ、タダで持って行きましょ!」
「イヤ、そりゃマズイっす。ケースの外に150円って貼ってありますから」
と言って200円を渡すと、お爺さんは、
「つり銭ねぇで、100円でイイわ」
と、100円玉一つしか受け取ってくれませんでした。
二人で、近くの休憩用の椅子に座って、お餅と飲み物で暫し休憩です。
「いやぁ、イイ加減だけど、何だか素朴でイイなぁ・・・。」
儲け云々というより、余里の集落にとっては一年で二週間だけの大切なおもてなし行事であり、地区のお祭りみたいなものなのでしょうね。
個人的には、確かにキレイではありますが、この素朴な山里に華やか過ぎるハナモモが似合うかどうか、些か疑問を感じました。むしろ、もっと侘び寂びを感じるような、山桜や菜の花やコブシの方が似合うのではないか・・・とも思いました。
でも、都会や“町場”の人間には分らない、辺鄙だからこそ少しは山間の集落を華やかに飾りたい、そんな気持ちがあるのかもしれません。
そして、例え誇大広告にせよ、“世界で一番きれいな二週間”だと地元の方々が胸を張って、山間の集落を訪れてくれた人たちを素朴ながらも暖かくもてなす時間が、“一年の中でのたった二週間”位あってもイイじゃないか・・・そんな気持ちを抱いて、何だかホンワカ、ホッコリした気分で余里の山里を後にしました。