カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 話が相前後しますが、4月上旬に日帰りにて上京し、アッシー君として娘の所から荷物を持ち帰ってきました。
朝早く出て、先ず長女の住む五反田で先に行っている奥さまと合流してからお届け物を済ませ、その後せっかく、且つ(私メは)久し振りの東京故、希望を聴かれ「上野へ!」と即答。
都美術館のボッティチェリ展は終わってしまったのですが、東京国立博物館で始まっていた特別展「生誕150年記念大回顧展-黒田清輝」を見たかったのと、それに加えて、今年の東京は開花後の花冷えか、長くもった上野の桜も楽しめるかも・・・と考えた次第。
 黒田清輝(1866年~1924年)。明治期の日本の西洋画壇をリードした巨匠。1884年(明治17年)、18歳で法律を勉強するために渡仏し(明治政府が民法や刑法制定の手本としたのがフランス法だった)、パリで触れた絵画に生来の画才が目覚め、20歳で画家になることを目指して外光派と呼ばれたラファエル・コランに師事。その後、印象派の影響も受けながら、サロンに初入選を果たした「読書」でパリ画壇にデビュー。帰国後は、日本で最初の裸体画を出展するなどの画家としての制作のみならず、パリの美術教育(アカデミー)を導入し、東京美術学校で指導するなど後進の育成にも努めます。しかし後年は、子爵の家系で貴族院議員でもあったため、自身の制作よりも洋画界の近代化(帝国美術院第2代院長)を担わざるを得ず、そういた功績もあって、我が国の“近代洋画の父”と称されています。
「読書」や「湖畔」は教科書でもお馴染み。特に「湖畔」は1967年(昭和42年)の切手趣味週刊の記念切手にもなり、小学生の頃に収集しました。
今回は“大回顧展”と称するに相応しく、代表作の殆ど全てが網羅され展示されています。今回の特別展のキャッチが、“教科書でみた。でも、それだけじゃない。”見終わっての感想も「ナルホド!」でありました。
 展示の解説で知った“外光派”という言葉がナルホドと思えた、作品を見ての最初の印象が“光の画家”。窓から陽光が差し込み、シャツに当たる光の陰影が印象的な「読書」。「厨房」も、彼が印象派に惹かれてアトリエを構えた、フォンテーヌブローに在る小村グレー・シュル・ロワンの農家(借りたアトリエは、その農家の小屋)の娘マリア・ビヨー(当時の彼の恋人とされる)をモデルに描いた作品。
とりわけ興味深かったのは、何とオルセーの協力で今回出展された、バルビゾン派(自然主義)ミレーの“三大名画”の一つと云われる「羊飼いの少女」(残る二つは「晩鐘」と「落穂拾い」で、何れもオルセー美術館蔵)と彼の「祈祷」、或いは師匠コランの「フロレアル(花月)」と彼のポーラ美術館所蔵「野辺」、そして吉野石膏所蔵(山形県美術館寄託)の印象派モネ「サンジェルマンの森の下草」と黒田の「落葉」が並べられて展示、解説されていて、その構図や色使いの類似性が一目瞭然だったことでした。
勿論、初めて見たホンモノの「湖畔」も「舞子」、そして「智・感・情」(いずれも東京国立博物館蔵の重要文化財指定)も素晴らしかった。
個人的に一番心惹かれた作品は、「祈祷」の静謐さと、静養中に描かれた絶筆「梅林」の鬼気迫る程の緊迫感・・・。それは、自然に抗う生への執着か、或いは本来の画家としてもっと描きたいという筆への想いか・・・。

 それにしても彼自身の作品や資料200点(デッサン、模写、下絵、手紙等も含め)に、ミレーやモネ、師匠コランの作品や、友人久米桂一郎や黒田の教え子たちの作品を加えた全240点という作品群に圧倒された2時間余り。
 「うん、良かった!」。
この展示からは、政治経済、学術、芸術、どの分野にせよ明治期の青年たちが抱いたであろう「この国を変える」という強い意志に揺さぶられるような、そんなパワーを感じました。
 「うん、腹減った!!」
と、我々も強い意志を持って、 “花より団子”とばかりに当初の希望はどこへやら・・・。賑わう上野公園の桜に見向きをせず(駅周辺のレストランにも脇目も振らず)いつもの緑寿司の回転寿司「活」を目指しました。
 「うん、腹が減っては運転出来ぬ!」
(・・・とお腹一杯いただきました。炙りトロイワシが旨かった・・・)
次女の住む羽田エリアからは、途中(大幅な時間短縮にはなる半面、入口が分り辛いのと、皆さん結構飛ばすので)緊張を強いられる首都高中央環状新宿線を経由して、4時間の長丁場です(中央道の田舎道に入るとホッとしますね)。