カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897~1957)。
最近、コンゴルトの曲をFMで聞いたり、名前を音楽雑誌で目にしたりする機会が多くなったように思います。
彼は、当時オーストリアだった現在のチェコ・モラヴィア地方の出身のユダヤ系作曲家。戦前ウィーンで活躍し、ユダヤ系故にナチスのオースとリア併合で1938年にアメリカに亡命。音楽賞でオスカーを二度獲得するなど、ハリウッドの映画音楽界で大御所として活躍した作曲家(英語名でコーンゴールドとか)。シェーンベルクなどの新しい流れに対し、その作風が古臭いとされ、戦後のウィーンにその活躍の場を得ることは無かったそうです。
後期ロマン派の楽風で、幼い頃から神童振りを発揮。9歳で作曲したカンタータを聴いたマーラーは「天才だ!」と叫んで激賞し、14歳の時にはBPOの大指揮者ニキシュから序曲の作曲を委嘱されるなど、その名前故 “モーツアルトの再来”と称えられた作曲家だったそうです。
(マーラーが戦後の米国で受け入れられたのは、積極的に取り上げたワルターやバーンスタインの功績もあると思いますが、マーラーから指導も受けたコルンゴルトの映画音楽を通じて、後期ロマン派的作風に米国市民が馴染んでいたからだという興味深い分析もあるそうです)
戦争で狂った歯車が戦後欧米で再評価され始めたのに、日本は“コルンゴルト後進国”で、生誕100年としてオペラや協奏曲が演奏された1997年が“コルンゴルト・ルネッサンス”とされ、没後50年の2007年以降飛躍的に演奏されたりする機会が増えたのだとか。確か最近、ラ・フォル・ジュルネでも特集された筈です。FMで耳にして、何となくヒーリング・クラシックの様な印象を持っていました。そこで市の中央図書館で探したら、二枚だけCDがあり、早速(落語のCDと一緒に)借りてみました(勿論、You Tubeにも登録されているので簡単に聴くことも出来ますが、私メの場合は専ら通勤途中の車の中がリスニングルームです)。一つは「2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲」。特に第4曲の「歌」は、小曲ですが何とも癒されます。
そして、もう一枚は彼の代表作とも云われる「ヴァイオリン協奏曲」。
後期ロマン派の色彩を色濃く残した作品で、マーラー夫人アルマに献呈され、1947年に名ヴァイオリニストのハイフェッツにより米国で初演。その後も、ハイフェッはこの曲の演奏や録音を続けたそうです。その努力もあってか、ここ10年、また脚光を浴び、演奏会や録音でも取り上げられることが多くなったそうです。クラシック音楽が、映画音楽として使われることは多いのですが、この作品は逆に自身の映画音楽を各楽章のモチーフに使っているのだとか。図書館のCDは、“ヴァイオリンの女王”アンネ=ゾフィー・ムターが、当時のご主人プレヴィン指揮のLSOと共演した演奏で、同プレヴィン指揮VPOのチャイコフスキー(こちらがメインでしょうが)とのカップリング。両曲共2003年の録音です。余談ですが、この二つの協奏曲は、同じ調性(ニ長調)で作品番号も偶然同じ35番(後年の作品である、コルンゴルトがヴァイオリン協奏曲を作曲するに当たり、意図的に合わせたか?)。
(閑話休題)
しかし、ムターの演奏は流石に巧いというか、凄い!・・・と呆気にとられて唸らされた反面、ワザとらしいポルタメントや気に障る程のアゴーギクとか、艶めかしいと云えばそうなのでしょうけれど、好きではない・・・と個人的に感じる様な演奏でした(特に第二楽章は、まるで強い香水を嗅がされているかのように“鼻に付く”)。しかし、そんなド素人を「お黙り!」と一喝する様な圧倒的な巧さ(特に第三楽章は凄い!恐らくどんなに早いパッセージであっても、スコアの音符一音たりとも飛ばしていない、そんな風に聞こえます・・・気が付くと、運転しながら、独りウーンと唸っていました)。例えて言うなら、好みの演奏ではなくても、客観的には文句なく1位を点けざるを得ないコンクールの審査員の様な・・・。
ただ、チャイコは兎も角、その意味では(他の演奏を知らないので分りませんが)、“世紀末のウィーンの残り香”的コンゴルトは、正に相応しい演奏・・・なのかもしれません。
先入観があるせいか、曲調は「ベンハー」の様なスペクタクル巨編や、或いは「風と共に去りぬ」の様な文芸超大作(他に例えるような映画知識が無い)的な、ハリウッドの映画音楽を聴いている様な感じがしないでもありませんが・・・。