カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 このところの暖かさで、松本では、先月18日に33㎝降ってそのまま根雪となっていた雪もすっかり融けたので、先週末、そして昨日と、久し振りの早朝街角ウォーキングへ出掛けました。今回も松本城から四柱神社や深志神社を参拝して戻ります。

 暦の上では、二十四節気で4日が立春、19日が雨水(因みに来月5日が啓蟄だそうです)。今年はうるう年なので、明日は2月29日。このプラス一日で、例えば桜の開花日は平年よりもカレンダー上は一日遅れることになりますので(注記)、春が遅くなるのか、それとも早春が長くなるのか・・・?
実際に街を歩いてみると、そこかしこに確実に春の気配、春の息吹を感じることが出来ました。

 我が家周辺でも、日当たりの良い所にある梅はもう綻んでいますが、松本城公園の梅も白やピンクの花が一輪、二輪と咲いている枝がありました。また、柳の枝も芽が膨らんで来ているようで、遠目からは何となく黄緑色掛かっています。
そしてお堀傍のボケの花。蕾がだんだん膨らんで来て、ボケの花の紅色を見せていました。
そして、縄手通りの花屋さんの店先に並んだ福寿草。こちらは鉢植えではありますが、信州では地植えの福寿草(この辺りでは、旧四賀村の群生が有名です)が春の訪れを最初に教えてくれる花でしょうか。別名“元旦草”とも。
 帰路、松本城をまた通ると、ずっとお城に住み着いている白鳥が北西の隅に巣を作って卵を温めているようでした。通路のすぐ傍なので、人間よりも、猫やカラスなどに襲われたりしないかと心配になりました(園内の清掃等を担当されている管理事務所の方々が、どうやらサポートをされているようでしたが、昨日はもう巣に親鳥はおらず卵もありませんでしたので、やはり残念ながらダメだったようです)。
【注記】
桜の開花予想は、「積算温度算定法」という、平均気温15℃を「標準温度」として、この時の蕾の一日の成長量を1とした場合に、過去の実際の観測結果から統計学的に分析された結果に基づいて、実際の平均気温の高低をふまえて計算、積算して予測されるのだそうです。
昔、会社の先輩(ソフト技術者)から、「2月1日以降の最高気温の合計(積算)が600℃になると桜は開花する」と教えてもらいましたが、これは積算温度算定法の簡易版の様です(他に平均気温の合計が400℃という方法もあるのだとか)が、この方が計算はし易いですね。果たして、暖冬だった今年は如何に?
因みに、ただ暖冬で暖かければ早く咲くというモノでもなさそうで、昨年出来た蕾が休眠し、ある程度の寒さに晒されて目を覚ます(「休眠打破」)ことにより、その後の温度変化によって蕾が開花に向けて成長して行くのだそうですので、刺激となる「十分な寒さ」も必要(例えば、交配種であるソメイヨシノは、鹿児島県が南限)なのだとか。四季のある国に生まれたことに、桜と共に感謝です。

 2月13日、マチネでのザ・ハーモニーホール(音文)。
この日、第5回となる松本バッハ祝祭アンサンブルの演奏会が行われました。二年振りとなる今年は、13日がバッハのチェンバロ協奏曲、翌14日はヴァイオリン・ソナタとマニフィカト。
 松本バッハ祝祭アンサンブル(以下祝祭管)は、2007年に松本市制施行100周年を記念して結成された小林道夫氏率いる古楽器アンサンブル。ピアノ伴奏者としても世界的に有名な小林さんの指揮とチェンバロで、小林さんに学んだ古楽器奏者がプログラムに合わせて演奏会毎に集まります。結成以来のコンサート・マスターは、スズキメソードで学んだ長野市出身の桐山健志さん(確か、あだ名が“殿下”で、一目見れば納得)。チェンバロのもう一方は、今回も(前回の「ロ短調ミサ」でも弾かれた)大塚直哉さん。朝のNHK-FM「古楽器の楽しみ」でもお馴染みです。今回は、磯山雅先生の事前レクチャーはありませんでした(毎回楽しみにしていたのでチョッピリ残念)。
音文事務局からは「是非!」と薦められていたので、演目的には興味もあってどうしようか悩んだのですが、二日前にコーラスラインを鑑賞したばかりですので、今回はチケットを購入していませんでした。ところが、奥さまが娘たちのところに上京することになり急遽不在。また、週末の天気も雨予報とのこと。この分だと外で仕事が出来そうも無いことから、晴耕雨“聴”で「ホンジャ、独りで聴きに行きますか!」(独り言です)となった次第。
コンサートは二日連続ですが、曲目への関心から今回は初日のみの参加。

 バッハの代表作でもある、チェンバロ協奏曲。その多くは、ライプツィヒ時代に指揮者を務めていた楽団用に、自身のヴァイオリンやオーボエの協奏曲などを(4台用の協奏曲だけは、ヴィヴァルディの「調和の霊感」から)チェンバロ用に編曲したものだとか。
因みに、チェンバロ(英語でハープシコード、仏語ではクラブサン)は、鍵盤で弦を叩くピアノと異なり、ギターの様に弦を弾く撥弦(はつげん)鍵盤楽器。そして、以前NHK-FMに出演された国際的チェンバロ奏者の曽根麻矢子さんによると、チェンバロのピッチは、現代のモダンピッチ(A=440 Hz)よりも半音低い(バロックピッチ。A=415 Hz)ため、絶対音感をお持ちの曽根さんは、桐朋時代にチェンバロに魅せられてピアノから転向された時に「気が狂いそうだった」そうです。私メは、娘のような絶対音感を持ち合わせていませんので、幸い全く違和感はありません。

 今回のプログラムは、小林さんの弾き振りで、2台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調BWV1061a(弦楽伴奏無しの版で2台のチェンバロ演奏のみ)とチェンバロ協奏曲第1番ニ短調BWV1052 が前半。
休憩を挟んだ後半に、オーボエとチャンバロのための協奏曲(チェンバロ協奏曲第8番)ニ短調BWV1059、2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調BWV1060。今回の弦楽合奏は、Vn.2本、Va.、Vc,、Cb,が各1本という、弦楽五重奏での小編成でした。
因みに、2曲目の第1番は、「のだめ」で千秋がパリのデビューコンサートで(ピアノ協奏曲第1番として)弾き振りしましたっけ。因みに、この日のアンコールは、「色々探してみたんですが、なかなか2台のチェンバロ用に相応しい曲が無くて・・・」と仰られて、モーツアルトの連弾用ピアノソナタ(初期の作品の由)から第二楽章とか(作品番号等は聞き漏らしました)。
 松本バッハ祝祭管を率いられる小林道夫さんは、日本のチェンバロ界の第一人者のみならず、昔NHKでも視た記憶がありますが、故フィッシャー=ディスカウなどの来日公演等でピアノ伴奏を務められており、伴奏者としても超一流(かの故ジェラルド・ムーア氏に比肩するとまで内外で評価されている由。余談ながら、サヴァリッシュさんも巧かった)。また、日本のバロック音楽、特にバッハの権威として知られ、ドイツ留学から戻り招かれた東京藝大バッハ・カンタータ・クラブ(学生団体)で、指揮者としても、また今を時めくバッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明さんを始め、この日共演された大塚さんなど、多くの古楽器奏者を指導されてもおられるそうです。
藝大を始めとする大学でも教鞭を執られ、既に齢80歳を越えられておられる筈ですが、背筋を伸ばし弾かれる様子は年齢を微塵も感じさせません。にこやかな笑顔で、その人柄が滲み出る様な穏やかな演奏。決して派手な部分こそありませんが、真摯で、心が洗われる様なバッハでした。
 正面にパイプオルガンを備え、教会の様なザ・ハーモニーホール。
“松本バッハ祝祭アンサンブル”という命名の通り、ヒマラヤ杉に囲まれたこの音文にはバッハが良く似合う。そして、アルプスに抱かれた松本の街にもバッハが良く似合う・・・。だからこそ、
「SKOもOMFも結構ですが、“松本”を冠したバッハ祝祭管も大切にしなくっちゃ!」(あくまで個人的感想です。“渋い”バッハとは云え、この日の客席は7割方しか埋まりませんでした。残念!)

 ここ10年位前から(という意味では50代になってからでしょうか)、昔は全く手にすることもなかった時代小説を時々読むようになりました。活劇的なモノよりは、好みは「人間としての来し方」を描いた作品の方が好きです。従って、池波正太郎ではなく藤沢修平贔屓。他には、「みをつくし料理帖」や「軍鶏侍」も。人間、年を取ると時代小説好みになるのでしょうか?
余談ながら、ここで漸く高田郁さんの新シリーズが同じ「ハルキ文庫」から発刊。今度は、大阪の商家を舞台に“商道”を描くという「あきない世傳(せいでん)」の由。第一巻「金と銀(源流篇)」を書店で偶然見つけ、早速購入してしまいました(未だ読み始めていません。「みをつくし」の二番煎じにならぬか心配ですが、「銀二貫」も良かったし、心配無用でしょう、きっと・・!)

 そう言えば、子供の頃は全く興味が無かったのですが、我が家の年寄も「水戸黄門」などの時代劇を毎週欠かさずに視ていましたっけ。
最近では、セット製作や衣装など製作費が掛かり過ぎるせいか、映画は勿論ですがTVからも時代劇が姿を消してしまいました。唯一頑張っているのがNHK(と年末恒例のTV東京?)。公共放送故に、視聴率を民放ほど気にしなくて良いためかかもしれません。地上波の大河ドラマ(地元の上田は大いに盛り上がっています!)は別として、NHK-BS放送でBS時代劇として意外と定期的に制作・放送されています。
今はBSプレミアムで毎週金曜日に放送されている、東山紀之主演での「大岡越前3」。このドラマの良いところは、昔TBSで放送されていた長寿番組「大岡越前」の全くのリメイク版であること。例えば、演奏は異なりますが(NHKでは由紀さおりのスキャット)、主題歌も全く同じものが使われています。経緯は分りませんが、両局の英断であることは間違いありません(因みに、制作会社は同じ様ですし、映画村を持つ東映なども協力していることでしょう)。
何となく、組織の垣根を越えて、何とか時代劇を守り残そうという、関係者の使命感と意地が垣間見える気がします。
それにしても主演の東山紀之さんは、少年隊の“アイドル”イメージを払拭した演技で話題にもなったと記憶していますが、(TBSだったか?)主演したスペシャル時代劇での義経役が今でも印象に残っており、本当に時代劇が似合います。起用した当時のプロデューサー氏の卓見でしょう。

 第5話では、古典落語の代表的人情噺「芝浜」をストーリーに盛り込んだ大岡裁きでした。芝の浜で魚勝が拾った財布が、実は強盗殺人の下手人が取り方に追われ、証拠を消すために川に投げ入れたモノという独自の設定。
落語の様に、酒を断って真面目に働いた魚勝が何年後かに店を構えた大晦日の夜・・・という訳にはいかない(越前の名裁きで、下手人がすぐに捕まらないと筋にならない)ので、落語同様に女房から夢だと信じ込まされた魚勝が真面目に商売に精を出していると、お白州に夫婦揃って呼び出されます。下手人が「恐れ入りました!」となった上で、店子の魚勝の女房からの相談を受けた大家を通じて拾った50両も盗まれた元の持ち主に戻されており、その善行に感心した越前が3両の褒美を取らせ大団円。最後に、越前の屋敷に魚勝が刺し身を届け、居合わせたお忍びの吉宗が茶化してのサゲとなりました。見終わっての感想、
「“芝浜”はやっぱり落語の方がイイけど、その芝浜を“大岡越前”のネタに使うなんざ、(脚本家は)ちょっと憎いネ!」

 2月11日。まつもと市民芸術館。
夕刻、劇団四季による全国ツアー「コーラスライン」の松本公演が行われ、数十年振りのミュージカルを見に(聴きに?)行って来ました。
今回は長野市の「オフィスマユ(繭)」の主催。クラシックを主体に県内でのコンサート等を企画する地方の良心的な事務所で、何度かチケットを購入しています。今回は、奥さまのご希望(クラシックばかりじゃなくて、たまにはミュージカルも)と、個人的には初めてのバルコニー席に興味津々。

 まつもと市民芸術館は、旧市民会館跡地に2004年に建設された、地方(全国的にも?)には珍しい馬蹄形の劇場。市の公共ホールです。
大ホールは、4層のバルコニー席を両脇に備えた最大1800席で、SKF(現OMF)のオペラの主会場。公共施設としては贅沢で、2000席の県文(キッセイ文化ホール)や700席の音文(ザ・ハーモニーホール)が既に在る地方都市に、本当に必要なのかの議論もあり、個人的にも当時は疑問(150億円近いという多額の建設費として市民の税金を投入するだけの意義や価値)も感じない訳ではありませんでしたが、結果として造ってしまった以上は積極的に活用されないと宝の持ち腐れです。幸い、年に一度あるかないかのオペラだけではなく、演出家の串田和美さんが開館以来の館長として、演劇や歌舞伎(平成中村座)を企画されているのは市民としても心強い限りです。奥さまは、以前市民劇場の会員だったので、観劇で何度も来られていますが、私メは綾戸智恵と落語に、今回が三度目です。
こちらホールの難点は駐車場が少ないこと。今回も、駅周辺の民間駐車場に車を停めて、歩いて市民芸術館(昔の市民にとっては市民会館と言った方が馴染み深い)へ向かいました。途中、駅前通りは同じように駅から歩いて向かう人通りが多いので、空(す)いている天神通りを歩き(但し狭いので、車には気を付けて)、深志神社にお参りをして裏から芸術館へ。この日はバルコニー席も含め、殆ど満席の盛況。
 その、初めてとなるバルコニー席。場所はステージに向かって右側の2層目。音響的にはともかく、視覚的にはステージが近いので、観劇やオペラには好いかも。ただ、少し斜めに見る感じになるので、結構疲れます(死角になる方向、今回だとステージ右側を見ようと首を左にあまり傾げると、後ろの奥さまから「(後ろの人たちの)邪魔!」とダメ出しされました)ので、バルコニーで見るなら最前列が良いかもしれません。
 “久し振りのミュージカル”とは、30年以上前に上京して見た(まだ常設劇場が無く、西新宿の仮設テントだった)劇団四季の「キャッツ」以来。その後化粧品CMにも出た久野綾希子とか、男優では元ジャニーズ出身でミュージカルに転向した飯野おさみとか、当時結構話題になった看板スターがいましたね。
今回の“コーラスライン”は、ご存じ1975年初演のブロードウェイ・ミュージカル。90年の最終公演まで15年間上演と、その後「キャッツ」に更新されるまで、ロングランを記録した人気作品。2006年にリヴァイバルされ、映画化もされています。日本では、79年から(キャッツより早かったとは知りませんでしたが)上演されている劇団四季の看板作品の一つ。
英語名は“A Chorus Line”で、冠詞「A」が付いているのは、新聞等の上演リストの一番先頭に載るように狙ったためとか。そしてそのChorus Lineとは、ステージ上に惹かれた一本の白い線。メインキャスト(スター)とその他大勢のコーラス(ダンサー)を隔てる線で、脇役は目立たぬように、その線から前に出てはいけないことを示しているのだとか。
 「君たちは額縁なんだ。決して目立ってはいけない」
そのミュージカルの脇役の最終選考に残った、17名のオーディションの様子そのものがストーリー。実際のオーディションに現れた人たちの実話が基にもなっていて、その葛藤や障害を乗り越えようと、必死に、そして正直に生きるマイノリティーの人たち様子は、当時の世相も反映(ウォーターゲート事件への批判)されているのだそうです(有名ですので、以下説明省略)。
 この日は、夕刻5時開演で終演が7時半。白い線の引かれたオーディション会場が舞台となる一幕物で、その間休憩無し。従ってキャストの人たちは、歌とダンスで殆ど2時間半の出ずっぱり。昔に比べれば格段にスタイルも良くなり、稽古で鍛えられてもいるのでしょう。セリフも口を大きく開けた発声で声量も大変豊か。踊りもキレがあり、実に感心しました。
・・・が、内容はNYのブロードウェイそのものであり、米国の社会的背景や人種問題(黒人やヒスパック、アジア系などのマイノリティー)、同性愛などへの我々の理解不足と、オリジナル版のダイナミックさとはやはり違うのだろうと思います。また、歌も「メモリー」に代表されるキャッツなどに比べると、大ヒットしたナンバーが少なく、残念ながら(魂が揺さぶられる程の)感動は個人的にはありませんでした。

 ・・・などとあまり大袈裟に考えずに、地元で観劇出来た久し振りの劇団四季のミュージカル。盛大な満場の拍手で幕を閉じ、観客の皆さんが口々に感想をそれぞれの連れ合いの方と話しながら一緒に歩く駅までの道のりも(考えてみれば、都会のNHKホールやサントリー、すみだトリフォニーよりも、この市民芸術館は遥かに駅に近い)、普段(すぐ横の駐車場で車に乗ってしまう音文)のコンサートとは一味違う、“都会的な”心地好さでした。
(我々田舎の人間も、もっと都会の人の様に歩いて、コンサート後の、或いは観劇後の余韻を楽しまないと、文化的とは言えないかもしれませんね)

 地元紙に、松本市にある「郷土出版」社が2月末を以って閉業することが掲載されていました。
“地域文化の発掘と顕彰”を社是に掲げ、その通り、地方の文学書や児童書を始め、信州に留まらず地方の文化を紹介してきた小さな出版社。その創業以来42年の歴史に、ここで幕を閉じることにしたのだそうです。

 長野県は異常に出版界と関わりが深いようで、信州人が創業した大手出版社だけでも、岩波書店に始まり、筑摩書房、大和書房、三笠書房、みすず書房などなど。県出身の著名な出版人は、これまでその数60余名とか。その理由(教育県で理屈っぽい信州人だから??)は知る由もありませんが、若者の活字離れや電子書籍の登場により、“出版不況”で業界が苦しんでいるだろうことは想像に難くありません。

 そうした影響もあるのか、学術書や文芸書など、文壇の華やかなベストセラーとは無縁だったであろう“良書”を出し続けてきた、地方の小さな出版社が消えようとしています。
若者に限らず、活字離れをしている我々にもその責任の一端はあるのかもしれません。私が買うのは文庫本ばかりで、あとは40年来のビッコミ・オリジナルのみ。郷土出版から出された書籍で、今まで私自身が購入したのは、恐らく「職員会議に出た犬-クロ」ただ一冊だけだったろうと思いますので、何の手助けにもなりませんでしたから・・・。

 そんな後ろめたさも感じつつ・・・、
長い間お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

 娘が、新鮮な瀬戸内産の牡蠣を送ってくれました。
当初は、娘たちも休みが重なったからと一緒に帰省して来て、皆で食べるつもりで実家宛に送って、こちらはその前提で準備して待っていたのですが、結局忙しくて滞在時間が余り取れない(夜食べて寝るだけ)こともあり、移動に時間が割かれる(特急だけで片道3時間)のも勿体ない(松本へも新幹線があれば・・・)ので、結局二人共直前になって断念(二人で、東京での夕食を共にした由。お礼に料理の写真をLINEで送ったら、食事中の二人の写真が送られて来ました)。

 前日瀬戸内で水揚げされたという剥き牡蠣が、翌日の昼過ぎには信州松本に到着。新鮮なので、採取後2日間(従って到着日まで)は生で食べられるとのこと。
そこで、生ガキ、蒸し牡蠣、焼き牡蠣、カキフライ、牡蠣ご飯と、家庭で調理可能な(?その日、結局娘たちが戻って来られなかったため、年寄三人だけでの)牡蠣尽くしのフルコースと相成りました(十分過ぎる品数に、牡蠣鍋は「ま、イイか・・・」と断念)。
先ずは、我が家では誰も食指が動かぬようで、一人で生ガキ。斯く云う私メも昔は生ガキを食べられませんでした(従って、Rの付く月に新婚旅行で行ったパリで、氷の上に山盛りにされたオイスターバーには見向きもせず)が、シンガポール赴任中、何かのパーティーで薦められて止む無く食べた生ガキ(確かオーストラリア産)でその美味しさを知り、今回もシンガポール流で(邪道なのかもしれませんが)たっぷりのチリソースとレモン果汁でいただきました。
蒸しガキは、アルミホイールで舟を作り、日本酒を振り掛けて生醤油を数滴垂らします。そしてアルミで蓋をして直火で蒸します。焼きガキは、味噌を味醂(緩さにより砂糖で塩梅を調整)と刻みネギでペースト状に混ぜて、(殻付ではないので)蒸しガキ同様のアルミホイールに味噌ペーストを下地に塗り牡蠣を並べ、更にその上にペーストを塗って直火で焼きます。
そして千切りキャベツを添えた定番のカキフライ(大粒!)。牡蠣ご飯は、薄目に下味を付けた煮汁で牡蠣を煮て、その煮汁でご飯を炊き、炊き上がったご飯と味付けされた牡蠣を混ぜ合わせて完成。
とりわけ、生ガキは臭みが全く無く甘味が感じられるほど。「美味いなぁ!」と思わず感嘆符付きで溜息が零れました。レモン汁を数滴掛けた蒸しガキも上品で、冷酒に良く合います。焼きガキは、牡蠣自体は勿論ですが、牡蠣の出汁が浸みた味噌ペーストをご飯に載せると、それだけでご飯が進みます。カキフライも、牡蠣ご飯も、どれもぷりっぷりで実に美味!やはり、牡蠣に限らず、食材は鮮度が命なのでしょうか。
以上、牡蠣尽くし、牡蠣のフルコース、何とも贅沢な牡蠣三昧の(食べ切れなかった分は翌日に回した)二日間でした。
 因みに、帰省出来なかった彼女たちのために、その日の内に(奥さまが)下拵えをしたカキフライを新鮮なまま冷凍にして、いつでも次回帰って来た時に食べられるようにしてあります。
(だから、「オーイ、また帰って来いヨー!」)

 ガラケーから初めてスマホに替えて、早2年が経ちました。
若者ほど色々なアプリを使っている訳ではありませんが、唯一月額使用料を払って利用しているのが、NTTドコモの、スマホとタブレット向け有料アプリサービスである“dマガジン”。月額400円(税別)也。

 これは、発刊毎に配信されて来る電子雑誌サイトで、週刊誌や月刊誌など今では全部で160誌近くが登録されているそうで、スマホ購入時は1ヶ月無料。掲載誌は、例えば、登録されている中にある「週刊ベースボール」などはドラフト特集号しか(記録用も兼ねて)購入しませんので、それが毎号読めるとなると、1冊400円程度しますから、これだけで元が取れることになります。また、「サライ」もあったので、これまで古代史などの歴史や日本酒などの特集記事を興味深く読んでいます。
他にも、グルメや旅行などの趣味関係や経済誌も登録されていますし、車関係や写真週刊誌も読むことが出来ます(但し、グラビアは掲載されていませんので念のため)が、コミック誌は登録されていません。また高級?女性誌の「家庭画報」なども何故か登録されているのに、「音楽の友」やオーディオ関係の雑誌はありません(何となくファッション関係含め女性誌の方が充実しているような気がします)。
しかし、かなりの種類の雑誌が月400円で読み放題ですので、これって結構お得だと思います。そして、本当に読みたければ(また手許に置いておきたければ)、その冊子を本屋で買えば良いのですから(実際、何冊かスマホで見た後に、保存用として購入しました)。

 タッチパネルでの誌面の拡大やスクロールが思いのままなのですが、私のスマホは既に2世代前となったXperia Z3 Compactなので、4.6インチ画面(胸ポケットに収納可能なサイズなので選択)と一回り小さいのと、スクロールでの頁捲りが早いとダウンロードが間に合わないのが些か玉にキズ(ややストレスが溜まります)・・・でしょうか。
メリットは、雑誌名に関係なく、ジャンル毎に該当記事が一覧で検索可能なこと。また、本屋では絶対手にしない(であろう)女性誌も、グルメや旅行記事などの興味深い内容が載っていれば、立ち読みと違って気兼ね無く読めること・・・でしょうか。
ドコモのスマホアプリ“dマガジン”・・・かなりお得だと思います。
(参加提供している出版社も、電子版に置き換わって雑誌が全く売れなくなっても困るでしょうから、PCでの閲覧やスマホからのPCへの転送は不可。ただタブレットはOKですので、最近は画面もノートと遜色ない程大型化していますから、お持ちの方は重宝されるかもしれません)

 因みに、奥さまは専ら“d TV”(以前のdビデオから名称変更)を楽しんでおられます。こちらも月額定額制で、新作こそ有料ですが、旧作は全て無料で見放題なので、昔良く借りていたDVDレンタルは、今では全く利用しなくなりました。こちらの良い点は、無線で飛ばして家の大画面TVでも見られるところ。画質も音質も驚くほど高品質です。
これじゃ、DVDレンタル業界は苦しくなるでしょうね。映像や音楽、文字などデジタル化可能なモノは、どんどんネット配信に置き換わっていくのでしょうから、きっと。

 札幌と松本が観光・文化交流都市協定を締結して5周年となることを記念して、「オルガン・ウィンターコンサートin松本 ~札幌からトランペットとともに~」と題したコンサートが、ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)で行われました。
数年前には松本バッハ祝祭管が札幌で演奏をしていますし、今回の交流プログラムでは、音文専属オルガニストの原田康子さんが札幌で昨夏に公演をされたそうです(いつか、同じ交流都市金沢のOEK同様に、札幌交響楽団にも是非定期的に来演して欲しいですね。尾高さんのシベリウスなんてイイなぁ・・・)。
 札幌コンサートホール“Kitara”は、パイプオルガンを備えたヴィンヤード型の音楽専用ホールだそうで、札響の本拠地。また、マエストロ故レナード・バーンスタインが創設したPMFの本拠地(天安門事件発生により当初予定した北京から札幌に変更)でもあります。
そのKitara第17代専属オルガニストであるジョン・ウォルトハイゼン氏と札響のトランペット首席福田善亮氏が来演し、バロックを中心としたオルガンとトランペットの曲を演奏されるコンサートです。今回は記念演奏会ということで、希望者から抽選での入場無料。往復ハガキでの申し込みの上、我々も幸運にも聴くことが出来ました。こういう時は、音文が県内唯一のコンサートオルガン常設ホールというのは、市民にとって有難い限りです。

 1月30日土曜日14時開演のマチネ。
パイプオルガンを生で聴くのは3度目(その内の1回は、念願だったサン=サーンスの3番「オルガン付き」を読響の演奏により、国内最大級のパイプ数を誇る東京芸術劇場での生で聴くことが出来ました)ですが、その重低音には痺れます。前回、音文で24年間も専属オルガニストを務めてこられた保田紀子さんの引退公演(市職員身分であるため定年制があり、現在は藝大の後輩でもある原田さんが後任として着任)は、前の方の席で聴いたのですが、ステージ上方にパイプがあるため、天井から音が降ってくる様な感じだった(演奏者を見上げるので首も疲れた)ので、今回はオルガンと正対する後方の席で聴くことにしました。

 開場時間前に着いたのですが、既に長蛇の列。今回は自由席なので、皆さん中央の席がお目当ての様で、幸い我々は最上段から4列目くらいのやや左側ではありましたが、通路側の席を確保することが出来ました。開演前には、前方の数列を残してほぼ満席(定員に達したので早々と申し込み締め切りとのことでしたが、どうして空席が出来るのか・・・?)
トランペットもステージ上ではなく、バルコニーの様な上部のパイプオルガンの演奏台のフロアに譜面が置かれていたので、我々の席がちょうど目の高さで正対する形になります。音文の専属オルガニストの原田さんがストップ操作と譜めくりを担当。また同じく藝大出身で地元在住のトランペット奏者平田昇さんも演奏に加わります。

 お馴染みの(但し、パーセルだと思っていたら、J・クラーク作曲とのこと)「トランペット ヴォランタリー(Trumpet Voluntary)」で開演。バッハやブクスフーデのオルガン独奏曲。ヘンデルの組曲や、有名なマルチェッロの「オーボエ協奏曲」のトランペット版。休憩を挟み、トランペットが旋律を奏でたシューベルトの「アベ・マリア」やデュリュフレなどのオルガン曲。最後に、テレマンの2本のトランペットのための協奏曲。
満場の拍手に応えて、札幌の観光スポットであるクラーク像のある羊ヶ丘と名物料理のジンギスカン(?)に因んで(SKOで何度も松本へ来られているという福田さんから、「札幌へも観光にお越しください」とのメッセージの後)、アンコールとして、バッハの「狩のカンタータ」BWV208の第9曲の有名なアリア「羊は優しく草を食み」を2本のトランペットとオルガンで演奏してくださいました。
 個人的には、やはりオルガン曲に惹かれます。特に重低音で奏でられる壮大な和音。パイプオルガンの鍵盤の段数(音文は3段、Kitaraは4段とか)やストップ操作による、まるで管楽器と聞き間違うような多彩な音のバリエーション(実際、オルガンは分類上“鍵盤で操作する管楽器”だそうです)。パイプオルガンが“1台のオーケストラ”と比喩されるだけのことはあります(中世では人力の「ふいご」で、現代では電動モーターで「ふいご」を動かし、音文だと3200本弱のパイプに風を送ります)。
音文の天井高のホールと正面のオルガンが、まるで中世ヨーロッパの大聖堂の中で聴いている様な、そんな視覚的・音響的効果もあるのかもしれません。
 なお、札幌Kitaraの専属オルガニストは一年毎の交代制で、現在第17代とのことでしたが、むしろ松本のように出来るだけ(マンネリ化を避けながらも)長く定着してもらった方が(特に地方においては)良いのではないかと感じました。
オルガン演奏は、両脇のストップ操作や足で踏む鍵盤(ペダル)もあるので、演奏台で着座する椅子が長く、そのため奏者は長椅子を左右にお尻を移動せねばならず重労働。また、客席に背を向けての演奏のため(指揮者やオケと合せるために鏡が付いています)、拍手を受けるために都度椅子を跨がねばならず、足が長い人でないと大変だなぁ(Kitaraのウォルトハイゼンさんも音文の原田さんも、幸いお二人共すらっとした長身)と、演奏を聴きながら妙な感心をしていました。
それにしても、天井から降り注ぐような重厚で荘厳なパイプオルガンの和音に、居ながらにして常設のコンサートオルガンを聴くことのできる有難さに身も心も包まれた幸せな時間でした(“地元の宝モノ”をもっと聴きに行かなくっちゃ!いつか、音文でサン=サーンスの「オルガン付」を演奏して欲しいものです)。

 先週末は、松本も29日の湿った雪が日中雨に変わり、翌30日は朝までまた雪が降るなど、寒い一日でした・・・などと感じていたら、自然の脅威。
東山々系(地図では筑摩山地との表示)の、三城から美ヶ原に向かう入山辺の奥の扉温泉(古来、泉質の良さで“西の白骨、東の扉”と地元で称えられる名湯です)や、反対側の西山々系(北アルプスの鉢盛山)の麓の山形村(清水高原)などで、雨氷による倒木(その数それぞれ150~200本とか)により道路が寸断されて通行不能になり、多数の宿泊客が孤立したことが全国ニュースになりました。場所によっては停電も重なったとか・・・。
全国的にも知られる料理旅館や日帰り公共温泉「桧の湯」を抱える扉温泉は、市街からも30分ちょっとで行ける筈です。そんな近くで里とは違った光景が起きていることなど、ニュースを見るまで同じ市内に居ながら全く気が付きませんでした。
山の植生を見ると、普通の状態でも広葉樹(根の浅いニセアカシア=ハリエンジュは問題外ですが)よりもすらっと真っ直ぐに高く伸びる落葉松の方が一般的に倒木が多い様な気がしますので、もしかすると今回も信州に多い落葉松が雨氷による倒木被害を更に助長拡大させたのでしょうか・・・。

 明けての月曜日。通勤の三才山峠を上って行くと、やはり数本の倒木があったようで、既に道路脇に伐採されて片付けられていました。
周囲の山肌の木々は、最初雪化粧かと思ったら、朝日を受けてキラキラと輝いていました。三才山峠でも標高が900m辺りより上は、同様に道路脇の木々にも透明な氷が付いているようです。見ている分にはキレイなのですが、程度によって自然は脅威になることを改めて実感した次第。
(写真は翌火曜日。後続が大型車で、追い越し禁止の峠道の登坂でノロノロ運転だったので、三才山トンネル手前で暫し停車して何枚か撮影したものです)

 奥さまが、数年前に実家のお義母さんから頂いてきたシンビジウム。
以来、定期的な肥料や水遣りなど、奥さまが大事に大事に世話をしています。その甲斐あってか、今年は株分けした二鉢にたくさんの花芽が付きました。一鉢はあまりに多過ぎるので、心配になった奥さまが、いつも庭の世話をお願いしている園芸店のスタッフの方に相談すると「そのままで大丈夫」とのことだったそうですが、株が弱らないように少し間引いたとか。それでも8本程の花芽が伸びて来ました。もう一鉢も4本程の花芽が出ています。

 11月末に、霜に当てないように玄関に入れました(暖か過ぎても開花期間が短くなってしまうようです)。そして、大分花芽が伸びて来たので、支柱を挿して花茎を固定させました。シンビジウムの茎は、若いアスパラの様に柔らかくて、蕾が成長して大きくなると先端が重くなるのでポキッと折れてしまいます。支柱を弓なりに曲げて挿して、所どころを良くパンなどの包みやケーブルなど留めるワイヤーで、あまりキツ過ぎぬように注意しながら、ねじって締めて固定させます。
ところが、鉢に葉が生い茂って玄関スペースを占領していて狭いので、少ない方の花芽が一本折れてしまいました。また、他の花芽からは何個か蕾が捥げ落ちてしまいました。
「んもうっ!優しくやらないとダメじゃない!」(とキツイお叱りの声)
「んなコト言ったって、折れ易いんだから、しょうがないジャン!」 
「・・・だったら、自分でやればイイじゃん!」
「私も気になってたんだけどネェー!忙しくて、時間が無くて・・・」
(まだ若い花芽へのお詫びに、小さな花瓶に活けてあります)
 もう一鉢。寒い茅野の実家から、家内が花を咲かせたら戻すために持って来て世話をしている、シンビジウムのプロムナードという豪華な花の咲く品種は、葉が茂り過ぎたので株を少し鋤いたのですが、今年も残念ながら花芽は出て来ないようです。
それともう一鉢。義弟の開店祝いにたくさん頂いたからとお裾分けで頂いて、3株あった中で一株だけ枯れずに残った胡蝶蘭も、やはり園芸店に教えてもらって、奥さまが鉢にミズゴケを入れたりして世話を続けています(こちらは日当たりが良く暖かいリビングで)。新しい葉も芽が出て、葉はしっかり伸びているのですが、こちらも花芽は今のところ出て来ません。やはり、蘭はなかなか育てる(花を咲かせる)のは難しそうです。
 花芽が随分伸びたシンビジウム。間もなく開花しそうです。
たくさん花芽が付いたので、今年は豪華絢爛ならぬ豪華絢“蘭”なシンビジウムが楽しめそうです(最後の写真は、いつもの園芸店からいただく、今シーズンのシクラメン。涼しい所の方が長持ちするそうですので、やはり玄関に置いてあります)