カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
今年で創立30周年を迎えた、松本のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)。“楽都”松本を象徴するホールです。
30周年の今季は、とりわけ充実したラインナップで、楽しみなコンサートが目白押し。今回は、1月17日マチネでの「イザベル・ファウスト ヴァイオリン・リサイタル」。演目は、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タ」から第1番のソナタ、パルティ―タ第2番と第3番。クラシック音楽ファン垂涎のプログラム、でしょうか。
その時のコンチェルトのソリストが、この日のイザベル・ファウストでした。初めて聴いた彼女の、雑音の無い、音程の確かな音に感動し、今までの(独奏楽器の中で、余り好きではなかった)ヴァイオリンの概念を変えてくれた演奏でした。そして、その時に、バッハの無伴奏で音文30周年での来演を交渉中と聞き、その実現を楽しみにしていました。数日前にメイトの年会員の更新に事務所に行った時に、事務局からチケットが未だ売れ残っていると聞き、「ナント勿体無い!」。私も知り合いの方々に紹介したのですが、急でしたので残念ながら既に皆さん予定あり。
ステージ中央に、譜面台がポツンと置かれています。
チェロではありますが(やっぱりバッハで、大好きな無伴奏)、ヴァイオリンのソロコンサートを聴くのは初めて。
客席の照明が落とされ、ステージ真ん中にスポットライトが天井から当てられて、イザベル・ファウスト嬢が登場。前回は、地味なドレス姿で、奥さま曰く「Sound of Musicでのジュリー・アンドリュースを彷彿させる」とのことでしたが、知的でノーブルな印象はそのままに、この日は青系を基調としたグラデーションのモダンなコスチューム。ドレスではなく、紫のレギンス姿。独りで弾きっぱなしですから、動き易いのでしょうね、きっと・・・。
面白かったのは(ヴァイオリニストにとっては一般的なのかもしれませんが)、譜面台に置かれた、ブランケット判くらいの厚紙に張り付けられたらしい楽譜。縮小率は分りませんが、裏表を使って組曲全曲の楽譜が貼られているようで、途中一度裏返すのみ。独奏弦楽器では、ピアノの様に譜めくりの人はいないので、これもアイデアなのでしょう。
前半に、パルティ―タ第3番ホ長調(全7曲)とソナタ第1番ト短調(全4曲)。後半がパルティ―タ第2番ニ短調(全5曲)という組み合わせ。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのこの曲は、後年の分類上「室内楽曲」のジャンル冒頭にBWV1001~1006(従ってソナタが奇数、パルティ―タが偶数)で位置付けられています(因みに、大好きな無伴奏チェロ組曲がバッハ作品番号BWVの1007から)。
そして、パルティ―タの第2番の終曲には有名なシャコンヌ、第3番には同じくガボットが置かれていますので、従って難曲シャコンヌがリサイタルのフィナーレを飾ります。
1720年に大バッハが作曲したこの一連の作品。大好きな無伴奏チェロ組曲もそうですが、300年前という時空を超えて、単に浪漫的でメロディアスといった次元とは違った、宇宙的な拡がりすら感じます。そして、いつも想うのですが、「もしかすると、バッハって宇宙人?」。
確か「フーガの技法」での磯山雅先生(高校音楽部の大先輩)のレクチャーだったか、数字で表された楽譜があることを知りましたが、数学的な構造を持つという対位法を極めた大バッハの音楽だからこそ、流行に左右されずに時代を超越しているのかもしれません。
軽やかな舞曲が続く第3番。そして、「教会ソナタ」型式と言われるト短調の厳粛な第1番。バッハの“深淵”というか、深い精神性を湛えたファウストの演奏。バッハ作品だからかもしれませんが、この日もビブラートを殆ど効かせず、雑音の無い透明感と圧倒的な音程の確かさ。彼女の奏法は、それほど体を動かずでも無く、こけおどし的な派手な部分もありませんが、紛れも無く、気高く高貴なバッハの世界がそこにありました。それにしても、ストラディバリ故なのかもしれませんが、聴き手までも緊張するような、弱音のピュアな美しさ。
何となく演奏会でいつも見る弓より少し短めのような気がしたので、もしかしたらバッハ作品に合わせての、古楽器演奏で用いられるバロック弓だったのかもしれません。
あっという間に休憩になり、時間も短めの15分間。
特にまだ外が明るいマチネでは、周囲を取り囲むヒマラヤ杉(太い杉は、この地に在った戦前からの紡績工場時代の名残)がロビーからも望め、北アルプスを背景に建つ大きな三角屋根の音文は、正面にパイプオルガンを備えて天井も高く、まるでヨーロッパの教会で聴いている様な雰囲気がします。
ロビーをウロウロしながら、優柔不断でどうしようか随分迷ったのですが、結局彼女の無伴奏のCDは購入せず(「小菅さんもだけど、買ったって聴かないじゃない」という天の声あり・・・)。
後半の第2番ニ短調。終曲に有名なシャコンヌを配し、このパルティ―タの中でも最高傑作として知られる、ヴァイオリンの古今の名曲。
彼女のヴァイオリンは、地元ドイツ銀行から貸与されたストラディバリの1704年製“Sleeping beauty“(事実かどうか確認していませんが、100数十年間どこかの館の屋根裏で眠っていたらしい)として知られます。決して大音量でなく、弱音であっても、ピンと張り詰めた糸の様に心に響いて来ます。
圧倒的な技巧で“深い”終曲シャコンヌを弾き終えたイザベル・ファウスト。ボウイングで静かに最後のD音が消え入ると、20秒、いや30秒以上にも感じる程に、彼女は身じろぎもせず、そのままの姿勢で目を閉じて立ち尽くしています。その圧倒的なシャコンヌの余韻に浸りつつも、客席も固唾を飲むように、謦(しわぶき)ひとつ無く静かに待ちます。いつ終わるかも分らない静寂の世界の中で、とうとうその息苦しい程の緊張感に耐えられず、フーっと小さく溜息を洩らします。
やがて、彼女が静かに目を開け、ニコッと微笑んで、ゆっくりと弓を降ろして客席を向くと同時に、ウォーという歓声と共に大きな拍手に包まれました。繰り返されるカーテンコールの度に拍手も大きくなり、ブラヴォーの声が何度も何度も掛かります。そして、アンコールとして、ブラ―ムスのVn.協奏曲の時と同様に、バッハのソナタ第3番からラルゴを演奏してくれました。その後も繰り返されたカーテンコールに応え、胸に手を合わせて、最後深々とお辞儀をして舞台袖に下がっていきました。
正にイザベル・ファウスト渾身のシャコンヌ、そしてバッハでありました。
シャコンヌの余韻をずっとそのままに、アンコールが無くても良かったと思える程の、素晴らしい演奏でした。
「お得なコンサートだったね!」
演奏会を“コスパ”で判断して良いモノかどうか分りませんが、確かにそう思える程に、何とも素敵な演奏会でした。端に空席があったのがホントに勿体無い。
この日、この場に居合わせて、彼女渾身のバッハを聴くことが出来て、本当に満足でした。CDではなく生音と、そして30秒にも感じられた“無音”も一緒に胸にしっかりと刻見み込んで、幸せな気分で家路に着きました。
(♪音楽会のあ~とは・・・中村千栄子詩・大中恩曲:女声合唱組曲「愛の風船」)