カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 このところの寒波襲来(今週26日の火曜日には、松本で今冬最低の氷点下12℃を記録。諏訪は同13℃で諏訪湖の全面結氷を3年振りに観測とか。このまま続けば御神渡も・・・!?)までは暖冬気味でしたが、暖冬とは言っても、一旦薪ストーブに火を点けると火を絶やさぬように燃やし続けるので、結局今年も例年通り“順調に(快調に?)”薪を消化しています(炎の視覚的な暖かさもありますが、遠赤外線効果もあると云われる薪ストーブの暖かさは、やはり何物にも替え難い気がします。そして何より、奥さま週イチ?の“焼きイモ”作りにも欠かせません)。

 昨シーズン(或いは二年前?)からだったか、リンゴの剪定で出る太目の枝だけではなく、細い小枝(ぼや:注記)もストーブの焚き付け用に使うようにしています。
昔は、どのリンゴ農家でも厳冬期に剪定した枝を拾い集めて(ぼや拾い)、一抱え程の大きさの束に“丸けて”(「丸くする」の方言?)、春先に「消し炭」を作り、翌年の掘り炬燵に使っていました(水を掛け易いので、地区の溜池の縁に共同の“焼き場”が掘ってありました。子供の頃、親父の手伝いで毎年行っていたような・・・)が、掘り炬燵が田舎の農家からも(一時の豆炭からその後の電気ゴタツへと置き換わって)姿を消して炭の需要も無くなってしまいました。でもリンゴ園にそのまま放置する訳にもいかないので、どの農家も昔同様に剪定した枝を集めて(自分の田んぼなどで)春先に燃やしています(木灰にはカリウムが含まれるので、畑に撒けば肥料になります)。早春の(作業期間が指定される、田の畔などの)野焼き同様に、早朝の田畑の中でから煙が立ち上ると、剪定で出た「ぼや」を燃やしている煙です(これも春の風物詩でしょうか)。

 我が家では、燃やさずにリンゴ園の隅に積み重ねておいたのですが、何年分か溜まって来ると邪魔になるで、乾燥した太目の枝だけではなく、細い小枝も適当な長さに折って薪ストーブの焚き付け用に使うようにしました。
特に、一年前に新ワイ化の苗木に全部植え替えたので、大量に発生しました(新ワイ化のリンゴの木は、基本的に剪定不要なので、いずれ「ぼや」は発生しなくなります)。小枝から抜根した根も含めて、全てはストーブの貴重な薪になります。
毎週末(しか今は時間が取れないので)、良く乾燥したリンゴの枝を、手で折ったり電動の丸鋸で切ったりしてダンボール箱一杯に用意して、運んだ薪と一緒に雨の掛からない屋根下のベランダに置いてあります。
昔、茅葺農家には必ずあった囲炉裏や、また一般家庭にもあった竃(かまど)では、例えば炊飯だったら“始めチョロチョロ、中パッパ・・・”という、その「チョロチョロ」用の焚き付けにこうした里山の小枝(或いは杉の枯れ枝や大豆の豆殻なども)を使っていたものです。果樹農家だった我が家では、リンゴやブドウの剪定で大量に出る枝を、囲炉裏や竃だけではなく風呂焚きにもきっと使っていたことでしょう。
 我が家の薪ストーブに実際に薪に点火する時は、以前はショップで購入した着火剤(キャンプ時など、野外での火起こしでお馴染み)をずっと使っていました(幾つか試しましたが、「ドラゴン着火剤」が15分位燃えて一番火持ちが良かったので、我が家はこれ一辺倒)。毎日1個ずつ使いますが、薪ストーブは11月下旬から3月下旬(寒い時は4月上旬)くらいまで使っていますので、その数100個程(一箱600円前後で24個入りなので4箱分)にもなります。
それまでの端材の替わりに、より点火し易いぼや(小枝)を使うようになってからは、着火剤の代わりに新聞紙を丸めて使うようにしました。紙パルプも元々は木材ですので、意外と(多分想像以上の)火力があります。1回に、普通の新聞紙見開きで2枚を半分(ブランケット判で4枚)に切って丸めて、4個で十分。太いナラ材を枕にして、丸めた新聞紙を太目の枝と小枝を覆うように並べて着火。燃え上がった所で、割ったリンゴの薪、次に太いナラ材という順番で燃やしていきます。しっかり薪を乾燥させてあれば、これでOK。
我が家では、新聞を3紙(全国紙2紙とタブロイド判のタウンペーパー1紙)購読しているので、捨てるほど(実際は資源ゴミ)ありますから、着火剤を買うこと(市中に在った代理店が取次中止したため、その後はネット購入へ)を思えば(情報の価値としてではなく、着火剤の代替用途としての新聞紙は、当然ですが)“タダ”同然。重宝しています。
【注記】
「火」の話題ですが、「ぼや」と言っても「小火」のことではなく、小枝のこと。地元の方言だと思いますが、何故小枝のことを「ぼや」と呼ぶのかは不明。松本地方だけではなく、北信(長野県北部)でも剪定した枝を集めることを「ぼや拾い」或いは「ぼや集め」と言うようです。
私メの小学校の低学年の頃は石炭ストーブ(だるまストーブ)でしたので、最初の頃(着火剤に代わるまで)は、焚き付け用の松葉拾いに友達と行ったものです(枯れた杉の小枝でも良いのでしょうが、周辺に赤松林が多いので)が、リンゴ農家の我が家では専ら乾燥させた「ぼや」が主でした。
念のためネット検索をすると、長野県内だけではなく、群馬や埼玉(秩父地方)在住の方の記事にも小枝(拾い/集め)を指して「ぼや」という言い方がされていました。このエリアに、どういう繋がりがあるのでしょうか?

 今年の冬は、暖冬という以上に、当初まるで春の様な“異常な”暖かさを感じる日が続きました。農家にとっては、多少心配になります(発芽が早まった後の低温や降霜被害)。また、特に夏に雨の少ない日本海側では、この時期の降雪が大事な水資源でもあります
ここで、季節外れの“上雪”(同じ信州でも、日本海側に影響を受けない中部以南では、厳冬期は太平洋高気圧の影響で晴天の日が続きます。その冬型が崩れて太平洋側に雨を降らせる春先になってから、標高が高くまだ寒いために降雪があり、その時期の雪をこの地方では「カミユキ」と呼びます)が18日にあり、松本は33㎝の積雪となりました。雪不足に泣いていた各地のスキー場にとっては、“恵みの雪”となったようですが、ここで西日本(しかも九州各地)にまで大雪を降らせるなど、今シーズンの冬は一体どうなっているのでしょうか?・・・。
松本では、降雪以降、一転して平年並みの寒い日が続いていて、氷点下11℃の日や真冬日も記録しています。諏訪では、不思議と御柱年だけは諏訪湖が全面結氷して必ず御神渡が出現したそうですが、今年の諏訪湖は果たしてどうでしょうか。この寒さでタケミナカタ命が現れてくれませんかね?そうすれば観光客も増えるのに・・・。
ここで、この冬見掛けた、“春”と“冬”の風景です。

 元旦の朝。いつものようにドリップ用に源智の井戸に行ってみると、湧水から流れ込む道路脇の水路のワサビに早くも花芽が付いて、小さな白い花が咲き始めていました。この湧水の水温が、年間ほぼ15℃で一定(寒い冬は、井戸の水口から湯気が立ち上っています)ということもあるとは思いますが、もしかするとこの暖かさで開花が早まったのか・・・。
 そして、二週間ほど前、朝のウォーキングで我が家から蟻ヶ崎台に坂を上って行くと、あるお宅の庭先のレンギョウが早くも小さな黄色い花を咲かせていました。
また上田の会社の近くでは、日当たりの良い溜池沿いの遊歩道の脇に、タンポポが二輪咲いていました。
 蟻ヶ崎台からアルプス公園への道路脇の沢の斜面に生えている、一面の熊笹。何となく、こちらはお目出度い“新春の寿ぎ”にも感じられる様な気もしましたが、果たして如何に?・・・。
 そして、我が家の周囲で見掛けた、33㎝の降雪が逆戻りさせた“冬”景色。
家の軒先から下がったツララと、川の中の石が被った“綿帽子”です。
 暦の上では、1月20日に二十四節気の大寒も過ぎ、今週で1月も終わります。2月に入って、文字通り季節を分ける「節分」が終わると、2月4日は立春です。
暖かかったり寒かったりと、何だか体調もおかしくなりそうです。インフルエンザもこの寒さで流行しているようですので、皆さまくれぐれもご自愛ください。

 今年で創立30周年を迎えた、松本のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)。“楽都”松本を象徴するホールです。
30周年の今季は、とりわけ充実したラインナップで、楽しみなコンサートが目白押し。今回は、1月17日マチネでの「イザベル・ファウスト ヴァイオリン・リサイタル」。演目は、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タ」から第1番のソナタ、パルティ―タ第2番と第3番。クラシック音楽ファン垂涎のプログラム、でしょうか。

 1年半前のハーモニーメイトのバスツアーが、すみだトリフォニーでのD・ハーディング指揮新日フィルのオール・ブラームス・プロ(第867話参照)。
その時のコンチェルトのソリストが、この日のイザベル・ファウストでした。初めて聴いた彼女の、雑音の無い、音程の確かな音に感動し、今までの(独奏楽器の中で、余り好きではなかった)ヴァイオリンの概念を変えてくれた演奏でした。そして、その時に、バッハの無伴奏で音文30周年での来演を交渉中と聞き、その実現を楽しみにしていました。数日前にメイトの年会員の更新に事務所に行った時に、事務局からチケットが未だ売れ残っていると聞き、「ナント勿体無い!」。私も知り合いの方々に紹介したのですが、急でしたので残念ながら既に皆さん予定あり。
 ステージ中央に、譜面台がポツンと置かれています。
チェロではありますが(やっぱりバッハで、大好きな無伴奏)、ヴァイオリンのソロコンサートを聴くのは初めて。
客席の照明が落とされ、ステージ真ん中にスポットライトが天井から当てられて、イザベル・ファウスト嬢が登場。前回は、地味なドレス姿で、奥さま曰く「Sound of Musicでのジュリー・アンドリュースを彷彿させる」とのことでしたが、知的でノーブルな印象はそのままに、この日は青系を基調としたグラデーションのモダンなコスチューム。ドレスではなく、紫のレギンス姿。独りで弾きっぱなしですから、動き易いのでしょうね、きっと・・・。
面白かったのは(ヴァイオリニストにとっては一般的なのかもしれませんが)、譜面台に置かれた、ブランケット判くらいの厚紙に張り付けられたらしい楽譜。縮小率は分りませんが、裏表を使って組曲全曲の楽譜が貼られているようで、途中一度裏返すのみ。独奏弦楽器では、ピアノの様に譜めくりの人はいないので、これもアイデアなのでしょう。
 前半に、パルティ―タ第3番ホ長調(全7曲)とソナタ第1番ト短調(全4曲)。後半がパルティ―タ第2番ニ短調(全5曲)という組み合わせ。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのこの曲は、後年の分類上「室内楽曲」のジャンル冒頭にBWV1001~1006(従ってソナタが奇数、パルティ―タが偶数)で位置付けられています(因みに、大好きな無伴奏チェロ組曲がバッハ作品番号BWVの1007から)。
そして、パルティ―タの第2番の終曲には有名なシャコンヌ、第3番には同じくガボットが置かれていますので、従って難曲シャコンヌがリサイタルのフィナーレを飾ります。
1720年に大バッハが作曲したこの一連の作品。大好きな無伴奏チェロ組曲もそうですが、300年前という時空を超えて、単に浪漫的でメロディアスといった次元とは違った、宇宙的な拡がりすら感じます。そして、いつも想うのですが、「もしかすると、バッハって宇宙人?」。
確か「フーガの技法」での磯山雅先生(高校音楽部の大先輩)のレクチャーだったか、数字で表された楽譜があることを知りましたが、数学的な構造を持つという対位法を極めた大バッハの音楽だからこそ、流行に左右されずに時代を超越しているのかもしれません。

 軽やかな舞曲が続く第3番。そして、「教会ソナタ」型式と言われるト短調の厳粛な第1番。バッハの“深淵”というか、深い精神性を湛えたファウストの演奏。バッハ作品だからかもしれませんが、この日もビブラートを殆ど効かせず、雑音の無い透明感と圧倒的な音程の確かさ。彼女の奏法は、それほど体を動かずでも無く、こけおどし的な派手な部分もありませんが、紛れも無く、気高く高貴なバッハの世界がそこにありました。それにしても、ストラディバリ故なのかもしれませんが、聴き手までも緊張するような、弱音のピュアな美しさ。
何となく演奏会でいつも見る弓より少し短めのような気がしたので、もしかしたらバッハ作品に合わせての、古楽器演奏で用いられるバロック弓だったのかもしれません。
 あっという間に休憩になり、時間も短めの15分間。
特にまだ外が明るいマチネでは、周囲を取り囲むヒマラヤ杉(太い杉は、この地に在った戦前からの紡績工場時代の名残)がロビーからも望め、北アルプスを背景に建つ大きな三角屋根の音文は、正面にパイプオルガンを備えて天井も高く、まるでヨーロッパの教会で聴いている様な雰囲気がします。
ロビーをウロウロしながら、優柔不断でどうしようか随分迷ったのですが、結局彼女の無伴奏のCDは購入せず(「小菅さんもだけど、買ったって聴かないじゃない」という天の声あり・・・)。

 後半の第2番ニ短調。終曲に有名なシャコンヌを配し、このパルティ―タの中でも最高傑作として知られる、ヴァイオリンの古今の名曲。
彼女のヴァイオリンは、地元ドイツ銀行から貸与されたストラディバリの1704年製“Sleeping beauty“(事実かどうか確認していませんが、100数十年間どこかの館の屋根裏で眠っていたらしい)として知られます。決して大音量でなく、弱音であっても、ピンと張り詰めた糸の様に心に響いて来ます。
圧倒的な技巧で“深い”終曲シャコンヌを弾き終えたイザベル・ファウスト。ボウイングで静かに最後のD音が消え入ると、20秒、いや30秒以上にも感じる程に、彼女は身じろぎもせず、そのままの姿勢で目を閉じて立ち尽くしています。その圧倒的なシャコンヌの余韻に浸りつつも、客席も固唾を飲むように、謦(しわぶき)ひとつ無く静かに待ちます。いつ終わるかも分らない静寂の世界の中で、とうとうその息苦しい程の緊張感に耐えられず、フーっと小さく溜息を洩らします。
やがて、彼女が静かに目を開け、ニコッと微笑んで、ゆっくりと弓を降ろして客席を向くと同時に、ウォーという歓声と共に大きな拍手に包まれました。繰り返されるカーテンコールの度に拍手も大きくなり、ブラヴォーの声が何度も何度も掛かります。そして、アンコールとして、ブラ―ムスのVn.協奏曲の時と同様に、バッハのソナタ第3番からラルゴを演奏してくれました。その後も繰り返されたカーテンコールに応え、胸に手を合わせて、最後深々とお辞儀をして舞台袖に下がっていきました。
 正にイザベル・ファウスト渾身のシャコンヌ、そしてバッハでありました。
シャコンヌの余韻をずっとそのままに、アンコールが無くても良かったと思える程の、素晴らしい演奏でした。
「お得なコンサートだったね!」
演奏会を“コスパ”で判断して良いモノかどうか分りませんが、確かにそう思える程に、何とも素敵な演奏会でした。端に空席があったのがホントに勿体無い。

 この日、この場に居合わせて、彼女渾身のバッハを聴くことが出来て、本当に満足でした。CDではなく生音と、そして30秒にも感じられた“無音”も一緒に胸にしっかりと刻見み込んで、幸せな気分で家路に着きました。
(♪音楽会のあ~とは・・・中村千栄子詩・大中恩曲:女声合唱組曲「愛の風船」)

 1月10日と11日は厄除け縁日でした。
数え年で見るので良く分りませんが、昭和31年生まれの男女とも厄年なので、家内と二人で厄除けのお参りに行って来ました。
松本平では、“牛にひかて善光寺参り”の逸話でも知られる牛伏寺と並んで、城山の放光寺も厄除け祈願で有名です。当日は屋台が並び大変な賑わいで、駐車場に停めるのも一苦労(牛伏寺はもっと大変な由)。そこで、10時からの祈祷開始時間に合わせて、ウォーキングがてら歩いてお参りに行って来ました。

 放光寺は、山号を日光山と称し、730年行基を開山として創建したと伝わる古刹。母の龍の背中に乗って湖を崩して水を流し(犀川)、安曇平を切り開いた「泉小太郎」(龍の子太郎のモデル)が幼少の頃暮らしたという寺でもあります(そういえば「ものぐさ太郎」も松本の新村ですので、民話の宝庫?)。
云われに因れば、聖徳太子作と伝わる秘仏十一面観音(実際は平安時代初期の作で県宝指定)を本尊とし、坂上田村麻呂が伽藍を整備するなどして往時は隆盛を極めますが、松本地方に吹き荒れた廃仏毀釈により廃寺となり、その後再建されます。

 我が家からは裏山になる城山々系への急坂を上り、蟻ヶ崎台を抜けて、アルプス公園下から城山方面へ下って歩いて行くと、この日臨時指定のアルプス公園駐車場からの放光寺への無料シャトルバスが追い抜いて行き、すぐ先で乗客を降ろしています。車での記憶(駅から深志高校への道路がイベントなどで大渋滞している時は、宮淵から城山方面へ上り、放光寺を経由してアルプス公園の下から蟻ヶ崎台を抜けて我が家へ下ります)でぐるっと回るつもりが、ショートカットでの細い道があり、人込みについてそこを行くとホンの20mほどで、本堂正面の参道へぶつかりました。
 「あっ、歩くとこんなに近かったんだ」と感激。
両側に縁起物のダルマやリンゴ飴などを売る屋台が並び(城山公園の駐車場まで続いている筈)、そこから参拝の行列が本堂へ続いていました。途中知り合いの方にもお会いして、新年のご挨拶を交わしてから本堂へ。
まとめての祈祷をお願いし、厄除けのお札をいただきました。帰りに参道の混雑を避け、本堂の横に逸れると、そこに獅子舞の法被姿のフレンチブル君(と思ったら、結構大型でしたし、フレンチブルに比べると目も相対的に小さいので、どうやら最近では珍しいブルドッグの様です)が、狛犬よろしく行儀良さ気に鎮座していました。お寺の飼い犬なのか、はたまた参拝客の連れてきた犬なのかは分りませんが、その威厳に満ちた姿に、
 「なんだ、こりゃー!?」
と喉を撫でてあげると、グルグルと喉を身持ち良さそうに鳴らした後で、そのお返しにとばかりに私の手も舐めてくれました。
 「どうもね。お勤め、ご苦労さま!」
と、ブルドッグの狛犬に見送られ、後ろ髪を引かれながら参拝客で溢れる境内を後にしました。
 「フム、“ブルに惹かれて放光寺参り”か・・・」
(ブルというのは雄牛のことなので、当たらずしも遠からずかもしれません)
 厄払いもちゃんとしたので、家内安全、身体健康、今年一年平穏無事に過ごせますように・・・。
(狛犬が片方だけにならぬようナナにも協力してもらいましたが、ブルドッグ君に比べ威厳無し・・・)

 今回の上京は、成田空港へ行くのが第一目的です。
朝、念のための検温も無事パス。7時前にチェックアウトをして、新宿駅のロッカーに荷物を預け、日暮里経由の京成線で成田空港へ向かいました。
9時に第一ターミナルに到着し、先に来てチェックインを済ませた長女夫婦と出発ロビーで合流。婿殿は長年の目標だった一年間の留学に、娘より一足先に出発します。会社も休職扱いの配慮をしてくださった由。
皆で遅めの朝食を取り、二人で(朝からビールで)激励の乾杯!
餞別代りに、一日一日を大切にして一年間頑張って来るようにと、事前に購入した江田島の「五省訓」の色紙を(ミネアポリス海軍兵学校向けの英文訳も付けて)激励に渡し、皆で記念撮影をしてから、若夫婦は暫しの別れを惜しみ、婿殿は元気にゲートから旅立って行きました。
 「体に気を付けて、頑張って来いヨー!」

 「行っちゃったネ・・・」
互いに小さな溜息をつきながら、「この後、どうする?」
そこで、久し振りに成田山新勝寺への参拝を所望。今年は申年で、家内共々厄年のようですので、10日からの厄除け縁日の本番は松本で行くことにして、初詣兼厄除けのお参りと久し振りの表参道散策(出来れば、ランチに「川豊」か「江戸ッ子寿司」へ)です。長女も「色々あったので、私もちょっと厄払いをしてもらおうかな!?」とのこと。
「ホンジャ、さぁ行こう!」と、気が変わらぬ内に京成で移動。

 京成成田に到着。表参道入口は車止めがされ、道一杯の参拝客で溢れています。週末とはいえ、1月も既に9日ですが、明治神宮に次ぐ2位(?川崎大師の後の3位だったか?)の初詣客を誇るだけあって、イヤハヤさすがは成田山(イヨッ、成田屋!)。
次女が成田勤務から羽田へ変わったので、成田へ来るのも久し振りです。
成田山の良いところは、駅前から1㎞ほど坂を下りながら続く参道の風情。“鰻の街”成田を象徴するように、両側に何軒もの老舗の鰻屋さんや土産物屋さんが軒を連ね、また一方では国際空港を抱える観光都市らしく、各国料理の店も立ち並んでいます。町屋風の家並みが続く歴史ある門前町ながら、この和だけの一色ではない国際色豊かに“混沌”としたカラフルさが何ともユニークで面白い。観光的にはインバウンドを標榜し、将来的には外国の人たちが移住して共生すべき、この国の近未来的姿なのかもしれません。
途中、次女が2年間お世話になったマンションのオーナーご一家のお婆ちゃまも店番をされていて、お元気そうで何より。成田山まで途切れることなく続く人の波に、歩くのもままならぬほどの混雑の中、自然と左側通行で総門に到着。受付でお聞きすると、厄除け祈願は釈迦堂で実施しているとのこと。仁王門を潜って石段を上り、境内の大本堂左手にある釈迦堂で娘が厄除け祈願のご祈祷をしてもらう間、我々は本堂に座してお不動さんの護摩祈祷を受けました。上空をひっきりなしに飛行機が行き交います。どれかに婿殿も乗っていることでしょう。併せて、彼の無事のフライトも皆でお祈りしました。
なお、釈迦堂は大本堂が完成するまでの新勝寺本堂で、江戸中期に建てられた重文。お堂の前に右近?の橘が蜜柑に似た黄色い実を付けていました。
 帰路、今度は逆に坂を上って行きます。お目当ての鰻の老舗「川豊」は、整理券を配布していて2時間待ちとか。普段はそれ程混んでいなかった他の鰻屋も、全て満席か順番待ちの行列。さすがは“鰻の街”、大したものです。
ネタの新鮮さと大きさに感激した「江戸ッ子寿司」も行列が。住んでいた場所から至近で家内と次女がご贔屓だったタイ料理店(「バーン・プータイ」)も同様で、さすがにどこも混んでいます。そこで、帰りの高速バスの時間もあることから、成田での喫食は諦めて新宿でランチを取ることにしました。

 新宿駅南口方面へ移転した回転寿司「沼津港」は遠いから(しかも、前日ショップ巡りの途中でチェックしたという奥さま曰く、西口地下にあった時より狭くなってお客さんも疎らだったとか)と、結局ルミネ地下の昨日諦めたバンコク屋台「カオサン」で遅めのランチ。もう3時頃だというのに、女性客で結構混んでいます。ここは、コスパも然ることながら、丸テーブルに相席なので、女性一人でも気軽に食べられるのが人気の理由でしょうか。
奥さまは、タイ名不明ながら、シンガポールで言うチャー・クイティアオ(炒粿條)をご注文。きし麺の様なライスヌードルを甘目の醤油で炒めた東南アジア風焼きそばで、うん、この味です。
我々は、現地のトムヤムクンスープの味に一番近いカオサンヌードルをランチセットで(私メは中華麺、娘はビーフンを選択)。一度、シンガポール時代に良く食べた“ぶっかけ飯”(現地流はスプーンとフォークを使って食べます)を頼もうと思うのですが、たまにしか来られないので、結局いつもタイ風ヌードルになってしまいます。次回こそ・・・。

 年末年始も忙しかった長女は、婿殿が留学し、今度は自分の準備も兼ねて会社からまとめてお休みをいただいてあるとのことから、一緒に松本へ帰ることに。思いがけず、チョッピリ遅めの年始休暇で、年末の次女に続いて今度は長女も帰省して来てくれることになりました。ヤッタね!

 今回の“恐る恐る”(?)での東京行きの収穫は、勿論「兵馬俑展」を予定通り見られたこともありますが、予想外の収穫は、小田急のデパ地下で買った門前仲町「深川太郎」の「深川めし」弁当。
回転寿司「沼津港」の光物(小肌やシメ鯖、炙りトロ鰯・・・!)も捨て難いのですが、西口から南口に移転してしまって新宿駅から遠くなったこと(もし客足が落ちて、鮮度と味も落ちたら猶更の悪循環)もあり(春に高速BTが南口のミライナタワーへ移転すれば近いかも)、この深川飯のアサリの炊き込みご飯が濃過ぎず実にアッサリしていて想像以上でしたし、厚焼き玉子も美味しかったので、今度奥さまが上京した時に、持ち帰りでお弁当を買って来てもらおうと思います(酒の肴に厚焼き玉子も)。デパ地下なら(寿司の様に待たずとも)直ぐ買えるので便利でしょうから。でも、(ネタの質が落ちぬことを祈って)時々は「沼津港」かな・・・。

 人間ドックの翌日。幸い発熱が無くほぼ平熱に近かったので、当初の予定通り上京することにしました。前日、先生に恐る恐るお聞きしたところ、通勤で1時間車を運転するよりも、乗っているだけの方がまだマシとの御託宣。但し、発熱したらダメという条件付きでした。

 私の発熱騒ぎで、前日行くのを諦めた奥さまを早朝の高速バスに送り、私メは荷物を持って戸締りをして、ナナをペットホテルに預けてから出発。母はショートステイが取れず、妹が面倒をみてくれることになりました(オカタジケ!)。念のため体温計を持参。朝起きてから定期的に測りましたが、発熱は無し。

 新宿で、別件を済ませた奥さまと合流。ランチにインドカレーか久し振りにルミネ地下のトムヤムクンヌードルを所望しましたが、刺激物はまだ体に良くないからと言う奥さまの仰せに、止む無く同じルミネ地下の隣にある出汁茶漬けの店(「えん」)の鯛茶漬けでアッサリと遅めの昼食を済ませました。
奥さまは、「せっかくだから、バーゲンセールを見たい」と言うので、(発熱の無いことを確認した上で)私メは独り上野へ行くことに。

 この時期都内で開催中の美術展の中での私のお目当ては、東京国立博物館の「始皇帝と大兵馬俑」展。昨秋から2月まで開催されています。
平日でしたので入場制限をするほどの混雑でもなく、会場の「平成館」へ入場。館内ロビーには正月らしい花も飾られ、何となく華やいだ雰囲気です。
今更説明は不要ですが、初めて中国を統一し、それまでの王を越える存在として初めて「皇帝」を名乗った秦王朝の始皇帝。西安郊外で発見された、その巨大陵墓(始皇帝陵)を守る(或いはピラミッドの“太陽の船”同様に甦った時のための)地下軍団。人間を象った俑だけで、その数8千体余。1974年、地元民による井戸掘り最中の偶然の発見以来、今も続く発掘と研究成果の数々。今回、その本物の俑と、群雄割拠した春秋・戦国時代から秦の統一までの流れが分る出土品などの文化財が併せて展示されています。
単純に武力だけではなく、初めて官吏による中央集権体制を確立し、度量衡と貨幣の統一をした始皇帝。政治の面でも卓越していました。しかし一方で、焚書坑儒に代表される強権による弾圧や、生前に建設を始めた始皇帝陵の大規模工事で国力が衰え、領民の不満も高まり、始皇帝の死後、秦は僅か15年という短い歴史を閉じますが、その基礎が次の漢に引き継がれ、二千年後の清まで続く中国統一王朝に繫がって行きます。
 今回は、兵馬俑で発掘された将軍俑や跪射俑、官吏俑といった俑(人形)、そして始皇帝の乗る1/2の大きさの精巧な銅車馬(複製)ばかりでなく、発掘された咸陽宮殿の瓦や建材、度量衡を統一するための両詔権(皇帝の宣言を記した基準の重さ)など、紀元前6世紀から2世紀に掛けての貴重な文化財も展示されていて、正に中国悠久の歴史の源流に触れたようで、その興味が尽きることはありませんでした。また兵馬俑の展示の脇に、発掘された兵馬俑坑を模して、記念撮影用に兵馬俑のレプリカが並べられたコーナーも用意されていました。
 終了後、案内を見ると国宝「松林図屏風」が特別展示中との掲示があり、閉館時間間際でしたので駆け足にて拝観。前回の等伯展の時ほど混んでもおらず、今回は近くでゆったりと見ることができました(フラッシュを焚かなければ撮影可能とのこと)。暫し“屏風の中の大宇宙”に瞑想・・・。
お陰さまで、何とか(体調にはともかく)目の保養をすることが出来ました。

 この日は発熱も無く、興味のあった「兵馬俑展」も見学出来たので、奥様と新宿で再合流して、その日の夕食は(病み上がりで些か疲れたこともありますが)、デパ地下でお弁当を買って帰ることにしました。
「えっ、珍しい!お弁当で本当にイイの?」
と家内は訝し気(きっと、体調不良を疑われたでしょうね)
奥さまが娘の所から帰って来る時は、良く新宿駅の成城石井でお弁当や生春巻きなどのお総菜を買って来ますが、この日は小田急の地階の食品売り場へ。さすが東京の“デパ地下”には、普段でしたら目移りするほどに、今半のすき焼き弁当とか、なだ万や美濃吉の会席弁当とか選り取り見取りですが、洋風や中華風弁当を含め、コッテリ系にはこの日食指が動かず、結局選んだのはアサリご飯の深川飯(深川太郎)のお弁当。私メが穴子弁当で奥さまは珍しく鰻弁当。しかも、カウンターの店員の方から、
「もし、今晩9時までに食べられるようでしたら、値引き商品がございますので、そちらにされては如何でしょうか?」とのこと。
「深川めし穴子弁当」が通常の税込1296円から200円引き、「深川めし鰻弁当」は同1782円から300円引きとのこと。器一杯に詰めた深川飯の上に煮穴子3枚が敷き詰められていますし、鰻も一切れですが大きめの蒲焼がデンと載せられていて、それぞれ厚焼き卵も添えられていますので、元値でも決して高くは無いと思います(産地不明ながら)。
まだ6時前で、ホテルに戻ってすぐ食べるつもりでしたので、お薦めに従いそちらを購入させていただきました(ラッキー♪)。
ホテルへ向かう途中のコンビニでビールと「体調管理のための」“百薬の長”の小瓶、奥さま用のカップコーヒーを購入しホテルへ。
ホテルの電子レンジで温めて食べた「深川太郎」の深川飯。
 いや、本当に期待以上の美味しさでした。温めたこともあるのでしょうが、穴子もホクホク(薬味には粉ワサビ)で、味付けも濃過ぎず実にアッサリ。甘過ぎずにやや塩味を効かせた厚焼き玉子も実に美味。この日の体調には最適の味付けで、「旨かったー!」と二人共完食。
想像以上でしたし、ホテルの部屋でゆったりとくつろいで食べられ、今回はデパ地下で大正解だったかもしれません。翌日をふまえ早めに就寝しました。

 なかなかキャンセルが出ず、結局当初の予定通りの年明け早々になった人間ドック。今年も、実質半日の日帰りドックを受診しました。こちらの病院で人気の人間ドックのウリは、ドック終了後に地元の有名レストランが運営するランチ提供です(以前の地元松本の有名フレンチ店から、昨年から話題のヒカリヤヒガシの和食に変更されました)。

 ところがあろうことか、前日の昼頃から何となく熱っぽくて、デスクでの作業中は全く問題ないのですが、立って歩くと節々に痛みを感じたことから、念のため夕刻少し早目に帰宅させてもらって休むことにしました。体温計で熱を測ると、38.9℃。「えっ、うそ!」
体温が低めの自分としては、一生でも滅多にお目に掛かれない高熱です。
万が一インフルエンザにでも感染していたら、他の受診者の皆さんにも迷惑を掛けますので、人間ドックどころではありません。様子を見るため、マスクをしてそのまま寝ることにしました。
翌朝測ってみると、今度は35.1℃。インフルなら下がることはない筈なので一安心。念のため、家内の勧めで受付時間前に同じ病院内の緊急外来(救命救急センター)を受診することにしました。結果も、インフルは陰性で「多分風邪でしょう」とのことだったので、安心して人間ドックを受診。

 順調に各検査項目を終わらせて、最後の内視鏡検診の前に、事前に説明してあった看護師さんから、念のために体温測定を勧められ、測ってみると38.1℃。「先生に診察してもらって、OKだったら受診しましょう」とのこと。それまでの検査結果を踏まえての、最後の医師による問診を内視鏡検査の前に受診することになりました。結果は、血液検査と尿検査の値に、白血球の数値など体内に炎症があることを示す異常値が幾つか見られるとのこと。従って、内視鏡は受診しない方が良いとのこと。そのため、ここで人間ドックは終了し、逆に緊急外来で原因究明のため、精密検査を受診するようにその場で手配して下さいました。
 その結果は尿路感染症。体内に入った細菌(ウイルス)が尿道で炎症を起こしているとのこと(その菌との戦いのための発熱)。もし腎臓を経由して血液中にまで細菌が侵入していると、悪化をすれば敗血症に至り、最悪生死に関わる病気だそうです。
こちらも、この時期の発熱でしたのでインフルしか疑わず、陰性であれば「ただの風邪かぁ」で終わるところ。掛かり付けの内科医院の受診であれば、血液や尿検査まで必ずしも実施するとは限らないでしょうから、その場合は熱が下がらずに更に悪化して、診ていただいた先生曰く「普通は入院してもらうんですけどね」の由。
今回は、熱も落ち着き他に異常が無いことから、もしまた高熱が出たら再受診することを条件に「入院しなくても大丈夫でしょう。抗生剤を処方しますので、もし熱が出なければ普通に生活していただいて結構ですよ。」とのお墨付きをいただき一安心。

 幸か不幸か、人間ドックでの検査があったので、初期の段階で異常値が見つかって、再検査が受けられ病名が特定出来たと言えます。
最初は、「よりによって、こんな時に発熱するなよ!」と思いましたが、早期発見的には最良のタイミンだったのかもしれません。
“こいつぁ~春から・・・”なのかどうかは良く分かりませんが、とにかく家内を始め周囲をも巻き込んだドタバタの二日間でした。
後で振り返って見たら、ドック当日は、早朝6時半の緊急外来受診から始まり、抗生剤投与の点滴(効果てきめんでした!)を受けたのを最後に、終わってみると11時間を病院で過ごした長~い一日となりました。イヤハヤ・・・。

 なお、血液の培養検査の結果、血液中へのウイルスの侵入はありませんでした。ヤレヤレ・・・。

 お正月と云えば箱根駅伝。一時期の低迷で、各大学の佐久長聖高出身選手が減ったため県民的には興味が減少し、むしろ大学卒業後に入社した実業団の元旦に行われるニューイヤー駅伝に関心が移りました。
しかし、スポーツフリーク的には(バラエティーばかりで他に見る番組が無いこともありますが)“箱根”は(今や国民的?)一大イベント。今年は、完全優勝での青山学院の圧勝に終わり、番組的にはあまり盛り上がりのない大会でした。
 個人的に選手たちの強さ以上に印象的だったのは、青学の優勝インタビュー。
各区間を走った選手たちの、(他大学との比較で)時にユーモアを交えながら、理路整然として実にしっかりしたコメントを聞きながら、競技指導に留まらず、その人格形成、自主自立といったしっかりした指導がされていることに感心し、勝つべくして勝ったのだろうと納得。原監督が、主力が卒業で抜ける来年を危ぶむ声に対し、「10年掛けて築いてきた組織は簡単には崩れません」と自信を持って応えていたのも、ナルホドと思わざるを得ませんでした。
おちゃらけた部分もあるコメントを聞くと、“なでしこ”の佐々木監督を連想させますが、大舞台で必ず結果を残しているのは、何かマネジメントに通ずるものがあるのでしょうか。
 一方、画面に映る、走り終えた上武大の選手たちが、必ずコースに向かって一礼し(日体大も同様です)、花田監督も「4年間お疲れさん!」と言って、監督車から選手の労を労う姿に、「学生らしいイイチームだなぁ」と感じつつも、結局最下位と結果の出ない現実に、(全国から有力選手を集めるための、大学のブランド力や選手強化のための資金力の差は当然と理解出来ても、それだけではない筈の)一体何が違うのだろう?と、モヤモヤした気持ちが拭えませんでした。

 個人的に(TVで見た中で)一番面白かったスポーツ中継は、アメリカンフットボールの日本選手権“ライスボウル”。
パナソニック(旧松下電工)と立命館の、まさに手に汗握る筋書きの無いドラマのような展開に、何気なく回したBSチャンネルを変えられずに、結局そのまま試合終了まで見入ってしまいました。
以前、現JRFUコーチングディレクターの中竹竜二さん(U20日本代表監督で早大ラグビー部元監督)に伺った時に、「(セミプロ化した)実業団に、学生チームが勝つことはもう無理でしょう」と仰っていましたが、アメフトもそれに近い状況でしょうに、8年振り(2008年立命館)となる学生アメフト界の悲願に向けて、逆転に次ぐ逆転で、最後は終了寸前のFGが決まれば(注)・・・というところまで社会人王者を追いつめた学生たちのひた向きなプレーは、実に見事の一語。
“Good Loser”たちに盛大な拍手を送ります(実際に、TV桟敷で試合終了後に拍手をしていました)。

 さて、駅伝シーズンの最後は、17日(女子)と24日(男子)に行われる全国都道府県対抗駅伝です。
今年の長野県は、女子チームに初めて選出された(東日本では長野県チームでの出場経験はあるが、全国では初)清水裕子選手(積水化学。大桑村出身で高校は岐阜の中津商)が“ふるさと選手”として(おそらく最長区間のアンカーで)走りますので、大いに楽しみです。
男子は佐久長聖が復活してきましたし、中学生も強いようですが、大学生がまだ弱い(実業団の無い長野県は、一般で大学生が最低一人は走る必要があります)。個人的には、オール佐久長聖ではなく、今年もニューイヤー駅伝で快走を見せたトヨタ自動車の宮脇千博選手(駒ヶ根出身。高校は岐阜の中京高)に、是非一度“ふるさと選手”で走ってもらいたいと願っています。
【注記】
ライスボウルの試合終了後、最後のFGの場面でパナソニック側に反則(フィールドプレイヤーが1名多い12名居た)があったことがファンの指摘で分り、審判団の誤審を協会が両チームに謝罪。但し結果は公式規則に則り変更なしとのこと。もし、その時点で反則が確認されていたら、5ヤード立命館が前進しての再FGだったそうです。
アメフトの試合後にこうした謝罪がされるのは極めて異例とのことで、それ自体は潔いと評価しつつ、せっかくの好ゲームに水が差されたようで、ちょっと後味が悪いですね。

 暖かくて、穏やかなお正月でした。
空港勤務の次女は、年末だけ帰省してくれて、元旦の朝、一緒に初詣を済ませた足で慌ただしく東京へ戻って行きました。長女は、自分の夢の実現のための勉強で帰省せず。年寄りだけの、のんびりとした静かなお正月でした。

 元旦の朝。ナナの散歩を兼ねて、家内も一緒に東山から昇る初日の出を拝んで、電車に乗る前に四柱神社で初詣のお参り。本殿前から縄手通りまでL字型に伸びた50m以上の参拝の行列。何でも、一昨年全国放送でパワースポット(四名もの神様を祀るのでご利益あり)として紹介されたとかで、年々長くなっている様な気がします。禰宜さんが、三本ある本殿の鈴に合わせて行列を途中から三列に整理してくれたので、列の短い端の列に並んで、時間内にお参りを済ませて駅に向かうことが出来ました。あずさに乗る娘を見送った後、今度は長女のために“天神様”の深志神社へも初詣。

こちらは100m以上の行列。本殿にはやはり3本の鈴があるのですが、受験生や親御さんは真ん中の鈴を鳴らしたいのでしょう。両脇の鈴は空いたまま。端の列でも構わない人もいるでしょうに、四柱神社の様に禰宜さんが気を利かせて整理することもないので、1時間近く並んで漸く参拝する事が出来ました(ま、時間的制約もありませんが)。
参拝の後、源智の井戸に立ち寄り、水を汲んでから自宅へ戻りました。
  二日は、早朝ウォーキングで松本城へ。三日は本局にお返しの年賀状を投函してから、中町を通って、もう一度四柱神社へ古札を納めがてらのウォーキング。朝早い事もありますが、三が日とは言え、三日となるとさすがに参拝客も疎ら。縄手通りも静かです。その後、お城を通って帰ります。
 松本城は、今年三が日に10時から本丸庭園が無料開放されました。
特に三日にはイベントがあるらしく、8時くらいには長い行列が出来ていました。両日とも天気が良く、北アルプスが良く見えました。雪の北アルプスを背景に聳える、白黒の松本城が映えています。“北アルプスの城下町”で、一番お城がキレイに見える時期でしょうか。
 4日はアルプス公園へ。この日も常念が見事でした。
山とお城。静かな松本の正月の街角風景です。

 明けましておめでとうございます。
2016年、信州松本より謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 今年は申年。私自身は年男でもあります。従って、このまま行けば、永年お世話になった会社を(多分)無事勤め上げて、定年退職を迎えます。
当果樹園の最後となる三代目としてのリンゴ栽培は勿論ですが、プライベートでも、色々遣りたいことや、またこれまでナオザリ(等閑)にしてきた“すべきこと”もたくさんあります。
何とか、フラフラしながらでも羽ばたいて、第二の人生に向けて飛翔する年にしたいと思います。
 雪掻きも無く、過ごし易いとはいえ、心配になるほどの暖冬です。でも、西山の北アルプスは見事な冬景色を見せてくれています。
凛として気高き常念や、優しく堂々とした乗鞍。
松本から仰ぎ見る神々しき峰々。何か不安や心配事があっても、朝モルゲンロートに輝く常念や乗鞍の姿を見ると、「人間、小さい、小さい・・・」と反省しつつ、峰々から元気をもらって思わず深呼吸をしたくなります。
世の中色々不安もありますが、どうか災害の無い穏やかな一年であって欲しいと思います。
 今年一年の皆さまのご多幸を、ここ信州松本より謹んでお祈り申し上げます。どうか良い年になりますように。

 本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

                          カネヤマ果樹園一同+ナナ

【注記】
掲載の写真は、アルプス公園からの松越しに望む常念岳、乗鞍遠景と望遠、そして元旦の朝、薄らと雪化粧した里から見た、東山々系から昇る初日の出です。