カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年の秋の音楽シーズンを飾る、我がハイライトとも言えるコンサート。
シベリウス生誕150年の“シベリウスイヤー”に相応しく、フィンランドのラハティ交響楽団によるオールシベリウスプロ。しかも、松本のハーモニーホールでのコンサートです。指揮は音楽監督でもあるフィンランドの名匠オッコ・カム。待ちに待ったコンサートでした。
「ドヴォルザークやスメタナならチェコ・フィル!」と云うのと同様に、ラハティ交響楽団は、前々任となるオスモ・ヴァンスカ時代のべシリスウスの交響曲全曲録音で一躍世界にその名前と実力を知らしめ、また前回の来日公演は、音楽誌での年間ベストコンサートに選出されるなど、謂わば“シベリウス・オーケストラ”の代表格です。
今回の“シベリウスイヤー”に合せた(しかも晩秋の)来日公演は、東京では(松本公演の後)3回に分けての交響曲の全曲演奏会も予定されていますが、地方公演は北の大地サッポロ(尾高&札響のシベリウスも日本では定評)とここ松本のみ。東京まで行かなくても、居ながらにして聴けるのですから夢のようです。
松本公演では、フィンランディア、Vn.協奏曲(Vn.ペッテリ・イーヴォネン)、交響曲第2番という人気曲トップ3が並び(個人的には5番が一番好きですが)、シベリウス好きにとっては垂涎のプログラムが組まれました。
華麗さや巧さであれば、昔で言えばカラヤン&BPOなのでしょうが、そこに80年代後半に出されたネーメ・ヤルヴィのBIS盤(但しオケはエーテボリ響)が反響を呼び、その後のベルグウンド&RSO、ヴァンスカ&ラハティ響やサラステ&ヘルシンキPOに引き継がれ、北欧“国民楽派”の代表たるシベリウスの作品では、今や母国フィンランド出身の指揮者によるフィンランドのオケの演奏が定番になった感があります。技巧や華やかさだけではない、北欧的な匂いや空気感のある演奏・・・とでも言えば良いのでしょうか。
元々、カラヤンが好んで取り上げた以外は、シベリウスの人気が高いのは何故か英国と日本(渡邉暁雄さんの功績?或いは自然崇拝の国民性?)だったそうです(従って、昔は英国オケや英国人指揮者の録音しかなかった・・・実際に手許にあるCDの内で、バルビローリ&ハレ管の2番、そしてカラヤン&BPOの5番と7番は、いずれも昔シンガポールで買ったものです。不思議なことにLPは一枚も無く・・・ということは、シベリウスの“渋味”は少なくとも20代では分らなかったのでしょうか)。

 11月25日。松本は夕刻冷たい雨が降っていしました。
真っ白な雪ならともかく、何だかシベリウスを聴くには、気分的に相応しい天候ではありません。この日のハーモニーホール(“音文”)には外国の方も多く、いつもより華やいだロビーと客席。
恒例で、団員の皆さんが登場される間、客席からは遠来を歓迎する拍手が続き、最後にコンサートミストレスが登場。そして、指揮者オッコ・カムさんが舞台へ。思いの外小柄で、まだ69歳とのことですが、足がお悪いのか、椅子に腰掛けての指揮でした(掲載の氏の写真は、月刊「ぶらぁぼ」11月号の表紙から)。
“第二の国歌”「フィンランディア」で開幕。個人的な(勝手な)期待ほど熱くならずに、感情を抑えた“余裕”の演奏。最初(ウォーミングアップ?)ですからしょうがないか・・・。心なしか、客席からの拍手も同様(出来れば、この日のアンコールで演奏して欲しかった!と思ったのは私だけでしょうか)。
続いてのヴァイオリン協奏曲。独奏はフィンランドの若手、ペッテリ・イーヴォネン。28歳とのことですが、オケの好サポートを受け、時に対峙しながらの見事な演奏でした。やや音質が固く感じられましたが、独奏者にとっては、(素人目にも)技巧的には重音パートが多い大変な難曲だろうと思いますが、音程は見事。作曲者自身による第一楽章冒頭の指示、“極寒の澄み切った北の空を悠然と滑空する鷲のように”については、十分に澄み切った北欧を感じさせながらも、鷲というには少し線が細いか・・・。
Vn.協奏曲では、ねっとりしたメンデルスゾーンは好きではありませんが、シベリウスのこの乾いた感じはイイですね。フィンランドの若手奏者を支える、フィンランドの指揮者とオケ。皆一体となって、“オラがシベリウス”的な心温まる演奏でした。アンコールには、バッハの無伴奏から二曲。最後にやや音が濁った部分もありましたが、こちらも音程は見事。今後、年齢を重ね、それこそ“鷲のような”太さと艶が増せば・・・。
 休憩を挟み、今宵メインの交響曲第2番。
個人的には最も好きな5番に続いて好きな曲。如何にもシベリウスらしい、北の大地を思わせる管楽器の暖かな響きと弦の厚み。大ききな“ゆらぎ”の中に、ロシアの大地から受ける荒涼感とは違う、北欧の清涼感でしょうか。Vn.協奏曲での作曲者自身の指定同様に、澄み切った青空と白樺林が続くような清々しさと共に大らかさを感じます(因みに大好きな5番は、早春の散歩で見た“空を旋回する16羽の白鳥”からのインスピレーションで有名ですが)。
ロシアの圧政に苦しんだフィンランドの人々が、この曲からも勇気をもらったそうですが、シベリウス自身は、この曲の背景としてのそうした政治性を否定していたとか。指揮振りも含め、決して派手さはありませんが、低弦の厚みに支えられた重厚な演奏。それは、厳しい冬から春に向かう様に、第4楽章からは苦痛からの解放を感じ、そこから民衆が勇気を得たというのもむべなるかなと思わせる、圧倒的なスケール感。でも華やか過ぎず、北欧らしい素朴さも持った演奏でした。
最後に、ニ短調の第二主題が反復旋律で悲しみや苦悩を募らせる様にクレシェンドして行き、やがてそこにさっと光が差し込んだかの様に安寧と希望に満ちたニ長調に転じて、第一主題に導かれた金管の奏でる壮大なファンファーレと共に大団円。ブラボー!の声が幾つも掛かり、大きな拍手に包まれて客席にはスタンディングオベーションをする方も(気持ちは良~く分ります。私も立ちたかったのですが、後ろの方が見えなくなるので止めました。実際、サントリーホールでのVPOの時は、立った人を係員が注意していましたので。端や最後列の席でなければ、出来れば慎むべきでしょうね。或いは全て終わって客席が明るくなってから一斉に立つか・・・これが、なかなか難しい)。
熱狂的な拍手に応えて、何度もカーテンコールが繰り返され、その間にアンコールで3曲も演奏してくれました。1曲目の「悲しきワルツ」はお馴染みですが、他2曲は初めて(と思ったら、家にあるCDに交響曲とのカップリングで入っていました)。
最後、団員の皆さんがお辞儀をされて、ずっと続く拍手の中を袖に下がって行かれました。それでもまだ拍手が続きます。いやぁ、良かった!!今宵、この場に居合わせたことに感謝です。こんな素晴らしい演奏会でしたのに、満席にならなかったのは残念でした(実に勿体無い!)。
 翌朝、シベリウスがフィンランドから“冬”を連れて来てくれたのか、暖冬から一転。三才山峠の上は、今年初めての雪景色でした。
「うーん、やっぱり冬はシベリウスだなぁ・・・」(その後もCDを聴いています)。
そして翌日は、北アルプスに今シーズン初めて雪雲が掛かかり、次の日には、中腹まで白く雪化粧した西山(北アルプス)が朝日に輝いていました。冬本番の到来です。
(・・・と思ったら、今朝はまた雨・・・ナンじゃい!?)