カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 大好きなピアニストの一人、ポルトガル出身のマリア・ジョアン・ピリス(ピレシュとも)。
彼女の弾くモーツァルトのピアノ協奏曲(アバド指揮ヨーロッパ室内管)の内省的で何と優しいこと(好きなのはグルダとペライア、そしてピリス。少なくともモーツァルトは内田光子よりも好き)。その彼女が、松本のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)へ登場。彼女の教えるブリュッセルのエリザベート王妃音楽院の「パルティトゥーラ・プロジェクト」の一環として、若手ピアニストとのデュオリサイタルですが、これは聴かねばなりますまい。

 11月10日夕刻。秋のハーモニーホールも風情があって素敵です。
プログラムは、生徒のジュリアン・リベールとの連弾で、シューベルトの「人生の嵐」、ベートーヴェンの後期ソナタからピリスが31番。休憩を挟んだ後半に、リベールが30番、連弾でシューベルトの4手のための幻想曲。
ステージ上に音文の喫茶室の(多分)椅子とテーブルが置かれ、ソロの時にもう一人が(袖に下がらずに)そこで座って待機するという初めて見るスタイル。
最初の曲が終わると、まだ拍手が鳴り止まない内に、ピリスが自分で連弾用のピアノチェアを片付けようとして、音文のスタッフが慌てて袖から飛び出してきました。ピリスはバツが悪そうに、まるで少女の様に微笑んでいます。
 ベートーヴェンの後期ピアノソナタの傑作、第31番変イ長調Op.110.
確か、映画「のだめ」でも使われていましたっけ・・・。第九やミサ・ソレと同時期の作品とのことですが、第三楽章の二つのフーガが印象的。
ソナタ形式で、平和から苦悩、そして歓喜へと変わって行くような印象の曲調。出だしの愛らしいフレーズから、彼女の紡ぎ出す優しくて暖かな、しかし決して甘くは無く、深い精神性を秘めたピュアな音に体が包まれて、何だか涙腺が緩んで涙が滲んできます。
決して聴衆に強いているのではありませんが、弱音の醸し出す緊張感に、いつもにも増して客席からは咳(しわぶき)一つ無く、彼女の世界の中に入って一体となっている様にさえ感じます。それが、彼女が「パルティトゥーラ」で云うところの“GRACE(神の恵み)”なのでしょうか。
第三楽章中間部の長調の和音の連打のクレシェンドが安息と勇気を与え、希望の中を圧倒的なフーガで終曲へ・・・。心地良い幸福感に包まれて、ホンの数秒間かもしれませんが、拍手もせずに「ふぅっ」と息を吐いて暫し放心していました。
 ジュリアン・リベール。ベルギーのブリュッセル生まれで、まだ28歳の若さ。繊細なガラス細工の様な、ピリスのお弟子さんらしい優しい演奏でした。そこに深い精神性が宿るのはこれからでしょう。
アンコールは、クルターク(ルーマニア出身の現役作曲家の由)の「シューベルトへのオマージュ」という初めて聴く小品でした。

 出来れば、モーツアルトも含め、ピリスのソロリサイタルを聴きたかったのですが(そのせいか、残念ながら客席は7割程度で、空席が目立ちました)、こんな松本まで来てもらって、それは贅沢というもの。ソロは一曲だけでしたが、初めて生のピリスを聴けて幸せでした。
それにしても、生で見るピリスは小柄で華奢なこと。手も、ピアニストにしては小さいのではないでしょうか。しかし、演奏を始めるとその印象は一変します。もう70歳くらいの筈ですが、彼女の奏でる音そのままに、真摯で純粋で愛らしく、何ともチャーミングな女性でした。

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