カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
久々に胸が熱くなるような感動でした。世界に十分な驚きと感動を与えたW杯ラグビー日本代表。惜しくも目標の準決勝には進めませんでしたが、現地からの日本チームを賞賛する報道で知ったのは、日本代表の海外での愛称。例えばNZの“オールブラックス”は有名ですが、ラグビー界での日本は“Brave Blossoms”「勇敢な桜」と呼ばれているのだとか。正しく、それを見事に証明した大会として記憶に残ることでしょう。
(以下、大会前に書いていた文章です)
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スポーツの世界ほど、結果(だけ)で評価される世界はありません。
ラグビーW杯に出場するエディ・ジャパン。大会を前にして、2012年にHC就任後日本を過去最高の世界ランク9位まで導いてきたエディ・ジョーンズHCの大会後の退任が報じられました。2019年の日本大会まで指揮を執ることを確約されていた中での突然の(今回大会終了を以って)辞任発表でした。
先日、日経のスポーツ欄に、ジョーンズコーチを評して、日本ラグビー界にとって「良薬であり、劇薬である」と評する記事を見て、些か考えさせられました。同時に思い浮かんだのは、シンクロの日本代表コーチ(HC)に復帰した井村雅代さんでした。
実績を残し、日本を世界のトップクラスに押し上げながら、その強引さで連盟(日本水連)と反目し、中国チームに三顧の礼で迎えられ、今度は中国を世界トップチームに育て上げます。
その間、日本チームはジリ貧で成績を挙げられず、遂に水連は井村さんをHCに復帰させ、今年の世界水泳で見事銅メダルという復活の道筋を作って見せた井村さん。鍛え上げる過程では、ついていけないと脱落(代表辞退)する選手も出て、本番では補欠要員も欠いての戦いでした。
彼女の叱咤激励と選手を鍛え上げて行く様は、まさに軍隊式のスパルタであり、これが世間一般であれば、すぐ“ブラック”やら“パワハラ”と批判されるようにすら見えます。曰く、
「親が死んだ時以外は涙を見せるな」(練習での涙無し)
「チームで誰か失敗したら怒れ。怒ることで、自分も失敗出来ないから自分にも責任が生まれる」(馴れ合い禁止)
「あなたたちはメダル無しに慣れているかもしれないが、私はプライドに懸けて許せない」
しかし、そうならなかったのは、単に結果評価だから・・・なのでしょうか。
その一番の理由は、子供に対する母親のような、チームを強くしたいという信念と選手への愛情がそこにあるからだと思います。
見事銅メダルを取って、抱き合いながら選手から首に掛けてもらった井村さん。「親の死んだ時以外は涙禁止」と言っていたのに、“鬼の目にも涙”だったそうです。
一方、母の祖国である日本でコーチ人生(東海大ラグビー部コーチ)をスタートさせたジョーンズさんも、選手以上に激務をこなし、その結果自身の肉体を追い込んで、2年前に脳梗塞で倒れたのは周知の事実。
これまでのW杯で僅か1勝しかしていない日本チーム。このW杯の結果がどう出るかは、これからです。ジョーンズHCの“JAPAN WAY”が世界を驚かすかどうか?大いに楽しみです。
【大会後の追記】
十二分に世界を驚かせて、日本チームの戦いは終わりました。
既に80分を超えていた南ア戦の終了間際、確実に引き分けられるPGではなくスクラムを選択したリーチ主将の決断に、身震いするほど興奮しました。試合後のインタビューで、五郎丸選手が「ラグビーには奇跡なんてないです。必然です」と、淡々と且つ冷静に話す言葉に、戦前の下馬評はともかく、世界の強豪と渡り合えるまでの実力と自信を日本代表が蓄えていたことを知りました(サモア戦だったか、ゴールライン間近で、今度は確実なPGを選択した時のスタンドからのブーイング。実力が認知された証しでしょう)。
そして、これまでの報道の中で知ったのは、HCだけではなく、彼の組織したコーチ陣の力。その厳しい指導による葛藤の中で、リーチ主将以下が意見を出し合い変えていったという選手たちの自主性。HC一人の指導力というより、全体としての組織の力だったのでしょう。そしてそのマネジメントこそが、HCとしての卓越した手腕だったのでもありましょう。
いずれせよ、日本の誇りを背負って戦った勇敢なる桜の戦士たちに、感謝です。「お疲れさまでした、感動と勇気をありがとう!」
(日本開催となる4年後のW杯に向けて、「ブームで終わらせてはいけない」という、終わった後での選手たちの危機感と責任感がなでしこジャパンと全く同じで印象的でした。比較できないほどに、待遇や環境に恵まれた男子サッカー代表にも、もしこの危機感があれば・・・と思ったのは私だけでしょうか?)
【追記その2】
外国籍選手が多いことに違和感を感じたり、賛否の声もあるようですが、紛れも無く彼等も桜を胸に日本の誇りを背負った戦士たちでした。
4年前の3.11。大震災で瓦礫の山と化した岩手県釜石市。釜石シーウェイブスの外国籍選手たちは、母国にいる家族や大使館からの帰国を促す説得にも耳を貸さずに釜石に留まり、ラグビーが出来ない中で、毎日ボランティア活動に取り組んだのです。その“ラグビーの街”釜石でも、4年後のW杯が開催されます。
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