カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 とある平日の、我が家の夕げの食卓・・・。
会社から帰宅すると、奥さまが、茹でたジャガイモをマッシャーで潰して、珍しくポテトサラダを作っておられました。母用には砂糖を加えて二種類とか。いつもは摘み立てのルッコラを中心とした野菜サラダです(気を付けないと、時々コリアンダーが混ざっていたりします)が、この日は、お友達からいただいた新タマネギがとても甘かったので、ポテトサラダにもしてみたとのこと。ブラックペッパーをたくさん掛けると一味美味しくなります。
以前もラーメンの話題の中で記載した記憶がありますが、黒胡椒は、実を完熟前に収穫し乾燥させたもの。白胡椒は、実が赤く完熟してから収穫し、乾燥後に外皮を剥いだもの。胡椒独特の風味は黒が優り、完熟した白はマイルドになりますが、薬品にも使われるというピペリンという化学物質も増えるので何となく薬臭く感じてしまい、個人的には専らブラックペッパー派。因みに、お馴染みの(SB?)テーブル胡椒は、白黒混ぜて挽いたものだとか。

 そこで、
「サラダに粗挽きコショウを振り掛けて食べたいから、出して」
「終わっちゃったから、塩コショウでもイイ?」
「えっ、この前ブラックペッパー買ってあるって言ってたジャン!」
「買ってはあるけど、未だ挽いてないから・・・」
「ミル付きの方に入れて挽くから、粒のままでイイよ」
「蓋が開けられないから。これ使い捨てだと思うけど・・・」
「えっ、そ~お?その割にはエラクしっかり作ってあるけど・・・」
確かに、上蓋が空きません。そこで、マイナスドライバーで抉じ開けようとしましたが、やっぱり無理・・・。
「・・・でしょう。またペッパーミル付きのも買っておくから。今日は時間が無いから、塩コショウで我慢して!」
「イヤ、でもなぁ・・・。これ、どう見ても使い捨てには見えないけど・・・」
・・・と、何のことはない。良く見てみると、上蓋ではなく、プラスチック製のミル部分と胡椒の粒を入れる透明なプラスチック部分の接続部に溝が付いています。
そこで、捩じると、まさに赤子の手を捻るように、簡単に回りました。
「あっ、やっぱりネー!私も開けられるとは思ってたんだよネー!・・・ハイ、じゃあコショウ入れて!」
「・・・・。」
バカとハサミは使いよう・・・とは良く云いますが、バカと(ウチの)奥さまは使えネェ・・・。
・・・とブツブツ言いながら、ペッパーミルを逆さまに振っていました・・・(あれっ?)。
「ふーん、そりゃ出ないわヨネ・・・人のこと、言えるかっ!」
ナナが、興味無さそうにアクビをしていました・・・。
(注記:以上、奥さまの了承を得て掲載しております)

 ベランダで一服していると、雲の造形や、朝は(東向きのため)時折はっとするような朝焼けに遭遇することがあります。でも、刻々と形や色を変えるので、「キレイ!」とか「凄い!」と思って、携帯を持ちに部屋に戻ると、その時の印象とは既に変わっていることの方が多いような気がします。雲の形など、雲の種類は同じであっても、気象条件で二度と同じ形はあり得ないのでしょうから、正に自然が作り賜うた一瞬の造形美・・・でしょうか。

 7月17日の夕刻。上田市下之郷の北西方面の上空に見えた雲の様子です。
まるで水墨画を見るようでした。この日は台風11号の影響がまだ残っていた日です(上田からの見た方角では、台風は北西方面の日本海から東北地方を進んだことになります)。
 雲の種類は不確かですが、偶然とは言え、空に薄墨を流して筆で描いた龍の鱗のようにも見えます。
一瞬の造形美・・・正に自然は芸術家です。

 僅か一坪程の小さなハーブガーデン。
夏野菜のキュウリは別として、10数年植えっぱなしのチャイブ(多年草)、パセリ(二年草)、バジル、ルッコラ、セルバチコ(多年草)、コリアンダーを、今年は所狭しと植えてあります。
特に今年のルッコラの殆どは、2年前に採った種を直播きしているので、今年はたくさんの株で育っています。バジル、パセリ、コリアンダーは、直ぐ摘んで料理に使えるようにと、勝手口横に置いたプランターにも植えてありますし、クレソンは水耕栽培もしています。いずれも、10数年前から色々なハーブを植えた結果、結局我が家で利用頻度が高かったキッチンハーブだけが残ったもの。

 今年は、余り株間を意識せず、“混み込み”に植えてあるので、ルッコラなど少なくとも一日置きには摘まないと直ぐに花芽が伸びて来ますし、使う料理を選ぶコリアンダーやバジルも採らずにいるとやはり花芽が出て来ます。
ハーブは勿論、植物は子孫を増やすために頑張って生きているので、花を咲かせ結実させるのが彼らの生存の証し。従って、花が咲けば、根からの養分が種に回り、葉が成長しなくなります(薹が立つ)ので、株を成長させて長く利用するためには、出来るだけせっせと葉を摘むのと、花芽をコマメに摘むのが育てるコツでしょうか。
なお、柔らかい内であれば、ルッコラの花芽は葉と一緒に食べられますし(茎は固いので生では無理)、バジルの花芽も香りが強いので、葉と一緒に炒めて使えます。
 そこで、ルッコラやセルバチコを頻繁にサラダに使うのは勿論、奥さまが上京する時には、娘たちに朝摘んでサラダ用に持って行ってもらいます。
2株植えたパセリも元気よく葉を拡げています。パセリは、日本で最も親しまれている地中海地方原産のハーブ(園芸店では、ハーブ苗売り場ではなく、野菜苗売り場で売られている)ですが、せいぜい料理の飾りや付け合せ程度にしか使われていない可哀想なハーブです。確かに、スーパーに並んでいるパセリや料理に添えられているモノは、鮮度が悪く、ジャミジャミしていてお世辞にも美味しいと感じません。しかし、露地植えのパセリは、買ったモノとは別の野菜と思える程に段違いに味が濃く、フライや肉料理のお飾りでは勿体無いくらいに美味しくて、“野菜”であることを再認識させてくれます。栄養価も非常に高いので、パスタやスープに刻むだけでは勿体無い気さえする程なので、例えば、和風の肉ジャガや煮物にも刻んで振り掛けても良いかもしれません。
コリアンダーは、奥さまの好物。最近では、“パクチーサラダ”、“アジア風”と称し、サラダや麺類にも構わずにコリアンダーを載せて食べています(但し私メは、タイカリーやトムヤムクンなどアジアンフードに限定)。

 バジルはパスタや、魚や野菜をオリーブオイルで炒める時に使っていますが、霜に当る前に全て収穫して、最終的に今年も奥さまがジュノベーゼソースにして、娘たちに持って行くでしょうし、冷凍保存して使うので、余っても困りません。
ルッコラは、今のところ専らサラダですが(頻繁に使うので余っている訳でもありませんが)、バジル同様、トマトやチーズとの相性も良さそうなので、炒めたりしても良いのかもしれません。
今回も、娘の所に上京する奥さまがルッコラとバジルを持って行きました。

 今年は、たくさん植えたキッチンハーブを大いに楽しめそうです。

 夏至から一ヶ月。この時期は朝4時を過ぎた頃地元で“東雲街道”とも呼ばれる美ヶ原や鉢伏山などの東山々系が次第に白んでいきます。
梅雨明けで本格的な夏到来の一方で、先行する昼夜の時間は既に逆転し、夜が次第に長くなっています。

 さて、7月15日の早朝。5時近くだったでしょうか。
キキキキキキ・・・という音がどこからか聞こえてきました。ヒグラシです。名前的には夕暮れですが、昼間ではなく、朝晩に鳴く蝉。漢字では蜩(ヒグラシ)。夕暮れに聴く鳴き声の方に、古来(日本人は)風情(哀れ)を感じたのでしょうね(俳句の季語としては「ヒグラシ」は初秋とのこと)。
 『夕立の雲もとまらぬ夏の日の 傾く山にひぐらしの声』式子内親王(新古今集)
 『暮れがたき夏のひぐらしなかむれば その事となく物ぞ悲しき』在原業平(続古今集)

 毎朝大体同じ時間に起きていますが、松本の我が家周辺での初鳴きです。但し、ヒグラシは別名カナカナゼミとも言われるので、擬音的には一般的に“カナカナカナ・・・”なのでしょうか。
これが、ミンミンゼミなら“ミーンミーン”ですし、アブラザミは“ジージー・・・”。そしてツクツクボウシは“オシーツクツク・・・”と擬音も何となく定まっているようですが、ヒグラシの“カナカナ”は、そうは聞こえないような気がします。蝉も少しずつ季節の移ろいで、主役が替わっていくようです。

 今年の梅雨は異常で、梅雨前線が暫く北上せず南に居座ったままで、九州に大雨を降らせた一方で、長野県は例年より2週間近く遅れての梅雨入りでした。台風11号の影響も消えた19日に、関東甲信に梅雨明け宣言が出されました。平年より二日早いとか。
その梅雨明けを待っていたかのように、20日に我が家周辺で今度はミンミンゼミの鳴く声が初めて聴かれました。聴感的にも、いよいよ真夏!と実感させてくれる音でしょうか。
蝉も、地上に出てからの短い期間を精一杯生きるように懸命に鳴いています。蝉時雨・・・今日も暑くなりそうです。

 7月11日の土曜日に、軽井沢大賀ホールで開催された「小菅優ピアノリサイタル」。
以前NHK-FMで流れた彼女の内省的な演奏に惹かれ、その後偶然家内の実家のある茅野市民会館でのコンサートを2年前に聴くことが出来(第788話)、彼女の生の演奏(その後でサインをいただいた際の人柄も)に触れて一層感激し、(メジューエワさん同様に)“隠れ”ファンになりました。
その彼女が今度は軽井沢で演奏すると知り、幸いマチネでもあったので、足を延ばして(松本からは、車で約2時間の行程ですが)聴きに行くことにしました(奥さまには、+アウトレットでのショッピングで勧誘)。

 アウトレット(軽井沢プリンスショッピングプラザ)は増床されて店舗数が増え、北陸新幹線の金沢延伸効果もあってお客さんが増えているそうなので、10時の開店時間を目標に出発。高速の方が運転が楽なので、今回も途中で降りずに碓氷軽井沢ICで降りて少し戻るコース。道路は余り混んでおらず、1時間40分ほどで到着。以前来た時に比べると、駐車場が増えたこともあるのか、周辺は渋滞も無くスンナリと(ショップ近くに)停めることが出来ました。3時間ほどのショッピング時間で、奥さまは悩んだ末に結局買い物をされたので、駐車場が終日無料になりました(損得勘定は不明ですが)。その後、新設されたフードコートで昼食。チョイスが増え、各々気に入ったモノが手軽に食べられるので便利です。
また、以前は建物の間にあった、元ゴルフ場の広大な芝生エリアに新しい建物が立ちましたが、思いの外芝生エリアも残されていたので、お子様連れや犬連れのお客さんも、女性陣が買い物をしている間に、以前同様(することの無い人は)時間を過ごせそうです。なお、エリア内に数店あるペットショップで、時間単位で犬を一時預かりしてくれるのですが、事前に確認したところ、予約不可で空いていればOKとのこと。万が一コンサート時間に一杯だったら、炎天下の車中に置いては行けないので、今回は連れて行くのを諦めたのですが、店で聞いたところ、お盆やGWなどを除けば満杯になることはないとのことでしたので、次回はナナを連れて行こうかと思います。

 さて、初めての大賀ホールは、旧軽方面への駅北口から徒歩7分とのこと。
矢ヶ崎池の畔に立つ五角形の木造ホールで、浅間山をホールの背景に望みながら池の畔を回るように歩いて行きます。ちょうど蓮の花の季節を迎えているようでした。
松本のハーモニーホールは、北アルプスを背景にヒマラヤスギに囲まれたヨーロッパの教会の尖塔の様な趣がありますが、大賀ホールも如何にも高原の風情を感じますので、ここもマチネの方が印象が良いかもしれません。
こちらは、軽井沢で病気療養をしていた故大賀典雄氏が、町に音楽専用ホールが無いことを知り、SONYからの退職金の(手取り)全額を寄付し建設されたホールです。どの席で聴いても音が均一に聞こえるようにと、音響の理想を求めたという5角形サラウンド型。その形もですが、信州らしい木造故の柔らかで暖かな響きのする800席弱のホールです(「若者に安価で良質な音楽を」という大賀さんの要望で、ステージ後方の二階に立見席が設けられています)。
 「物語と詩」をテーマに選曲されたというこの日のプログラムは、前半にベートーヴェンの第8番「悲愴」とプロコフィエフ「バレエ音楽ロメオとジュリエットからの10の小品」から5曲を抜粋。休憩を挟んだ後半に、ショパンのバラード全曲(4曲)という構成。
300席に満たない茅野市民館ではベーゼンドルファーでしたが、800席弱の大賀ホールはスタインウェイ。2年前の茅野でのリサイタルで「悲愴」と「熱情」、シューマン「幻想曲」を弾いた時に引き続き、小菅さんの悲愴は二度目です。また、2011年にはブルーノ・ゲルバーのピアノでも、ワルトシュタインを加えて“4大ピアノソナタ”と称してのリサイタルを聴いていますので、生の「悲愴」はこれが三度目の筈。残念ながら、入りは8割程度でしょうか。
 この日の、赤いラインが入った黒のロングドレスが素敵でした。
強弱、テンポを大きく揺らしながらの悲愴。第一楽章の和音からジーンと心に響いてきます。5年掛けたという、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏会を最近終えられて、2年前の演奏に比べて更にその内省的な深みを増したように感じます。大好きな第二楽章のアダージョ。そして意志の強さが感じられた第三楽章。この悲愴を聴いただけでも今日は来て良かった・・・。
ロメオとジュリエットは、CDを含めてピアノ版は初めてでしたが、お馴染みのメロディの「モンタギュー家とキャピュレット家」(「騎士たちの踊り」)のキレの良いリズムとメリハリなど、鮮やかなテクニックでバレエ音楽としてのストーリーを浮かび上がらせます。
そして、後半のメインのショパンのバラード。
革命により、祖国ポーランドに帰れなかったショパンの望郷の念。同じ故郷出身の詩人の作品にインスピレーションを得て作曲したというバラード全4曲。片や、幼い頃からピアニストを志し、僅か9歳でミュンヘンに単身渡り、地道な演奏活動を続けてきたという彼女。
難曲と云われるバラードも、鮮やかに流れるようなテクニックと、強靭な打鍵と対照的な抒情性。確かに、そこにはポーランドの風や匂いが感じられましたが、それよりも彼女の持つ意志の強さ、情熱(情念?)が感じられた演奏でした。
やっぱり、日本人ピアニストとして、今一番心惹かれる演奏家です。
 カーテンコールに応えて、この日のアンコールはショパンのエチュードから2曲。エオリアン・ハープ(前回茅野でもアンコール曲でした)と黒鍵。お見事!
【追記】
(夏は)“東京都軽井沢町”とも揶揄されますので、もっと洗練されているのかと思いましたが、演奏中の聴衆のマナーに眉を潜める場面が幾つかあったのは些か残念。また、別荘地という土地柄なのか、松本と違って聴衆の中に(ピアノを習っているであろう)お子さんたちが少なかったのも意外でした。

 リビングに置いてある胡蝶蘭。
昨年末に義弟の蕎麦店「丸周」の開店祝いでたくさんいただいたからと、暫く店内を飾った後で、花が終わる前に一鉢譲ってくれました。ガーデニング(クリスマスローズと花壇)は奥さまのご担当(≒趣味。因みに、私メの担当は芝生とハーブ&野菜)ですので、シンビジウム同様に、定期的に世話をしていました。

しかし、やはり素人では難しいのか、三株あった内の二株は枯れてしまいましたが、残った一株は元気に根と葉を伸ばし葉も緑。そこで園芸店のアドバイスに従い、水苔(ニュージーランド産でした)を購入して鉢の中に敷き詰めることにしました。
植え替え用の鉢は、観賞用に三本が植えられていた元の大きな鉢ではなく、むしろ通気性の良い素焼きの鉢が良いそうなので、家内がホームセンターで買って来ました。
方法は、ネットで調べて、ミズゴケで根を包む様に巻いて、鉢に埋め込む様に入れて終了です(と、不在中に奥さまがご自分でおやりになれれた由)。
二年目の今年は、残念ながら花芽は出ませんでしたので、来年は花芽が出て来ると良いのですが、果たして・・・?
 一方、遅れたものの、今年も花芽を付けてくれたシンビジウム。
日頃の家内の世話の甲斐あって、蕾の数は例年より少なかったのですが、株分けしてある3鉢中の2鉢に今年もキレイな花が咲きました。
それにしても、花芽を見つけたのが3月頃でしたので、咲くまでにも随分時間が掛かりますが、蘭の花は咲いてからも開花期間の長いこと。何日も我々の目を楽しませてくれました。
 そう言えば、シンガポール赴任時代。あの小さな国土に、驚く程広大な植物園(Botanic Garden)があって、確か(当時は)入園無料だったので家族で時々散策に行きました。その中にあった蘭園(Orchid Garden)は見事でしたし、また園内の至る所に植えられていた、如何にも南国的なプルメリアの花を思い出します。
今では品種名も忘れましたが(多分最もポピュラーだったデンドロビウム)、島内の園芸店で買った観葉植物や蘭の鉢(大きな鉢でも驚く程安かったように思います)を買って(育てやすい熱帯とは言え、何も特別な世話もせず普通に)ベランダで育てていました。因みに、ミス・ジョアキムという蘭がシンガポールの国花です。

 期待はともかく、(アルガルベ杯での9位惨敗もあって)下馬評はそれほど高くなかったなでしこジャパン。
結果、W杯とオリンピックを含め(世界大会での)三大会連続での決勝進出。
これは、正に快挙としか言いようがありません(前回大会の優勝は、大震災で打ちひしがれた日本へくれた、サッカーの神様の配剤だと勝手に信じています。そうでなければ、あの澤選手の神憑り的な背面へのシュートは説明できません。しかし、W杯決勝進出だけでも物凄いコト!ですから。ただ、マネジメント的に見ると、PK戦直前に選手たちに笑顔を出させたことは、チームビルドとして素晴らしい。同点にショックを受けた上に、PK戦突入で更にプレッシャーに包まれた相手チームに対し、そこで勝負あったと思います)。
期待値の高さ、下馬評で言えば、サムライジャパンへの前回男子W杯でのそれ(一次リーグは当然突破し、あわよくばベスト8進出)は、前評判も良かっただけに、少なくとも同じか、寧ろそれ以上?だった筈。
片や、鮮やかに先行しながら、その後逆転されると、なす術なく終了の笛を聞いたゲームを見せられ、片や開始早々に4点取られても、鼓舞し合い、必至に走り抜き、決して諦めぬその姿に、結果はともあれ、励まされ、勇気をもらった人(国民)は多かっただろうと思います。
勿論、ロンドン五輪でのリベンジを合言葉にしてきた選手たちの挫折感、悔しさは、我々の想像以上でしょう。しかし、結果として負けは負けであり、そこに運だけでは片付けられない、要因、敗因はある筈なので、次へ向けた対策・分析はチーム自身や専門家に委ねるとして、企業組織の一員として考えたのは、サムライとなでしこの組織・チームとしての(結果の)差は一体何故だったのだろう・・・ということでした。

 監督やスタッフの手腕は当然(結果が全て)として、宮間(以下敬称略)の冷静なゲームメイキングとキャプテンシー。澤のリーダーシップ。大儀見の求道者の様な飽くなき向上心・・・。高い技術に裏付けられた選手各自の能力と日々の鍛錬と、チームとしての結束力。それを、結果として更にモチベートした安藤の自己犠牲。そして、大野を中心とするチームとしての明るさ・・・。
しかし、一体何が違う(結果として違った)のだろう・・・。
男子サッカーに比べてのハングリーさ、女子サッカー定着への危機感と責任感、女性特有のメンタリティーや我慢強さ・・・???
何を挙げても(挙げられても)納得いく、「これだ!」という解が見つかりません。マスコミ報道を見ても、称賛や、逆に戦術への批判はあっても、納得いく分析はこれまで目にすることはありませんでした。

 最後は、理由が見つからぬまま、些か乱暴/短絡的ながら、蜻蛉男児よりも大和撫子の方が、この国にとっては(結果として)有用、有益ではないのか・・・。
『政治、経済に始まり、この国の未来を、先ずは形から大和撫子たちに(少なくとも男女均等になるよう数の半分まで強制的に)もっと任せた方が良いのではないか?そのために障害になること(家事、出産、育児、介護、処遇/待遇など)は乱暴でも法律や制度から先ず整えればイイ。』
納得出来る答えが見つからぬまま、サムライに比べて何とも頼もしい、小柄ななでしこたちに、(女系家族故も手伝って?)そんな感嘆符を贈るしかありませんでした。

 ウ~ン、改めて「元始(から今もずっと?)女性は太陽であった」・・・。
負けるな、蜻蛉男児、サムライジャパン!(と、意地でも吠えなくっちゃ!)
【追記】
TVスポーツコーナーでのW杯解説のゲストで、あの“ボンバー”荒川さんが出演されていたのを見られたのが良かった。
スーパーでレジ打ちをしながらサッカーを続けていた(当時の宮間選手は、岡山で旅館の仲居さんでしたっけ)、嘗ての日本代表エースストライカー。元気で、今でも日テレベレーザで現役な由。頑張ってくださーい!

 5月以降、峠道を走っていると、山の中に緑の中に白い葉が混じっている木を所々で見掛けます。全体ではなく、割と枝の先端部分の葉だけが白く見えるのです。峠道では退避スペースが無く、停車出来ないので、横目で見ながら通り過ぎるだけ。
これまで街中や里山では一度も見掛けたことが無いので、ここ数年気になりながらも、何という木なのか(或いは日光の反射等、目の錯覚か)分りませんでした。

 三才山峠(国道254号線)では、大型車の通行により、冬の間に凍結等で傷んだ路面の工事が夏から秋に掛けてあちこちでされています。そのため、片側通行となり、思わぬ所で信号待ちの停車となります。たまたま、先日何台か後に停まったところ、車の横の道路脇にその葉の白い木が立っていて、思わず携帯で撮影してみました。緑一色の中で、輝くような白い葉は結構目立ちます。峠道の上田側や、また峠を下ってからも、山が近いせいかもしれませんが、鹿教湯付近の里山でも見掛けられますが、何故か松本側では余り見掛けません(その後、朝の通勤時に退避帯に車を停めての撮影。また遠景は、鹿教湯のコンビニからの撮影です)。
 後日、“葉の白い木”をキーワードに検索してみると、ヒットした中で、それらしき写真の中から「これだ!」と特定できたのは、何と「マタタビ」でした。言葉としては、“猫にマタタビ(木天蓼)”でお馴染みの、あのマタタビです。
一部の葉が白くなる(白化)のは、花(マタタビは基本的に雌雄異花)の咲いている時期に虫を誘うためという説が有力とのこと。但し、マタタビは落葉樹ですが、開花時だけではなく、葉が落ちる秋まで白いままの葉があるとのこと。また、白い部分は斑入りではなく、白い層が葉緑素を持った緑の層の上に、謂わば厚化粧状態で載っているのだそうです(「日本植物生理学会」HPより)。
 言葉では知っていても、実物のマタタビの木を認識したのは初めてでした。そう認識した上で見てみると、結構山のあちらこちらにこの白い葉をした木が目立ちますので、それ程珍しくもなく、普通に山中に分布しているのかもしれません。であるからこそ、“猫にマタタビ”という言葉も世間に拡がったのかもしれません。
本州では生息している野生動物の中にネコ科の動物はいないので、幸い恍惚状態になっているタヌキもキツネも、或いは鹿もイノシシもいないとは思いますが、それにしてもこれ程マタタビが身近な樹木とは思いませんでした。

 カード会員向けの月刊誌に毎号掲載されている、季節の花を紹介する頁。
今回はカタカナで「ジキンカラマツ」。そして紹介分の下に添えられた、その「花」と思われる一枚の写真。
その名前の通り、紫色の花弁の小さな(と思える)花が、例えると、アスチルベ(?)のように房状に集まっていて、何とも清楚で気品あふれる立ち姿。
漢字で書くと「紫錦唐松」とのこと。紫の錦とは、如何にも優雅ではありませんか。今まで、一度もその名を聞いたことも、花そのものも見たことはありませんでした。

 その気品あふれる花に興味を惹かれ、紹介文を読んでみると、
『野生植物にも知る人ぞ知るといってよい隠れた美花がある。何がそうかは人それぞれだが、私がそう思うのはシキンカラクサだ。』(大場秀章氏。東大名誉教授。理学博士)と書き出されていて、写真からはナルホドと思える高貴さが感じられました。
この山野草は、長野、新潟、群馬、茨城、福島県に生息が限定され、湿地帯の草原や樹林下に自生している絶滅危惧Ⅱ類の多年草だそうです。
キンポウゲ科カラマツソウ属で、最高に高貴な色である紫の錦と名付けられた花。ちょうどこの7月~8月が開花時期なのだとか。

 レッドリストに掲載されるのですから、普通に見られる山野草ではないにしても、信州の高原地帯なのか、開花時期も限定されますが、いつかどこかで実際に咲いている姿を見てみたいものだと思います。

 シキンカラマツ-それまでは私にとっての“幻の花です。

古代『科野』を想う(J)(B)
 最近、祥伝社から「信濃が語る古代氏族と天皇」という興味深い新書が発刊されました。早速購入したのですが、それを読む前に(誠に僭越ながら)以前書き留めておいた“自説”を展開させていただきたいと思います。
と言うのも、これまで松本、諏訪、富士見、上田と県内の事業所に異動をした中で、その地で見聞きし触れた地域の歴史。その中で、とりわけ興味をそそられたのが古代「科野」でした。
それをふまえた上で、その専門家の書いた本をじっくり読んでみたいと思います。果たして、この素人考えが軽く否定されるのか、或いはこれまで全く気が付かなかった新説や何か証拠が提示されるのか、信州人にとっては大いに興味があるところです。

 さて、これまで各地で得た知識から、勝手に想像する「古代科野国」(713年に編纂された「風土記」で初めて「科野」に代わって「信濃」という名称が登場)。
先ず、諏訪には諏訪大社があり、縄文時代からの土着信仰であるミシャグジと融合した出雲の神、建御名方命(上社の祭神タケミナカタノミコト。因みに下社は、妃神である八坂刀売命を祀る)。彼は大国主命の次男(母神は、古代も宝であった翡翠を産出する姫川に名を残すように、越の国のヒスイを司る奴奈川姫)で、出雲の国譲りに反対して古代ヤマト王朝に敗れて州羽(諏訪)の地に逃れ、この地から出ないことを条件に許されます。茅野には、その名も御社宮司(ミシャグウジ)社という祠があり、富士見には御射山(ミサヤマ)神社が鎮座しています。また、出雲のヤマタノオロチ伝説も、当時の最先端技術であったタタラ製鉄との関連が指摘されますが、諏訪の土着のモレヤ(洩矢)神はタケミナカタ(何故か武器は藤蔓)と戦う際に鉄製の武器を使ったと言う通り(何故か鉄の方が負けますが)、諏訪の蓼科高原には戦前まで鉄鉱山(諏訪鉄山)がありました。なお、タケミナカタを祀る上社の御神体は、本宮後方に聳える守屋山ともされます。またモレヤ神(御頭祭などの神事も)は、ユダヤとの関連(モリヤ山)も指摘されますが、それを言い出すと訳が分らなくなるので、ミステリー的で面白いのですが、ここではオミット(ま、いずれにしろ、ユダヤはともかく、日本列島だけを見ても、縄文時代も然りですが、現代の我々が想像する以上に、時間の尺度こそ違え、古代にも往来や交流が有り得たということでしょうね)。
その後の律令制が確立していく中で、諏訪の地は、一旦信濃国から諏訪国として独立し、その後僅か10年足らずで再度併合されますが、これは今でも“信州人”以外で諏訪地方だけが“諏訪人”とも称し称されるように、特異で独立心旺盛(嘗て諏訪人が5人いれば、3人は中小企業の社長と云われた)なことを見ても、当初、ヤマト政権に対するスワの民(出雲族)の抵抗が根底にあったのかもしれません(或いは、親出雲に対するヤマトの遠慮/配慮もあったのかもしれません)。
松本は、古代「束間」(ツカマ。後の筑摩)と呼ばれていて、束間の湯(今の美ヶ原温泉或いは浅間温泉とも)に天武天皇の行宮が置かれ、郊外の丘陵地中山地区(古墳群も存在)には朝廷の御料牧場(勅旨牧)である「埴原の牧」があり、全国32ヶ所の半分16ヶ所もあったという信濃の御料牧場を統括する役所である牧監庁が置かれていました。また。上田(小県の郡)から移された信濃国の国府と総社が置かれていたという事実(国府のあった場所は未だ特定されていませんが、惣社という地名が筑摩と浅間の中間辺りに残ります)。
松本以前に国府と国分寺(尼寺も)置かれた上田(小県の郡)は、ヤマト政権を支えた多氏が阿蘇から一族を率いて入植した古代科野でも早くから開けた場所でもあり、古安曽や古須波という地名が残っていたり、一方で科野国屈指の古社とされる国家創建の神が祭られる生島足島神社(ご神体は大地そのもの)があったり、そこには諏訪に至る前にタケミナカタが立ち寄ったという言い伝えがある通り、諏訪族の痕跡も認められます。
ただ、どちらかと言うと古代ヤマトを支えた多氏の一族でもある国造(クニノミヤツコ)他田(オサダ)氏(注記1)の痕跡も上田にはあり(上田市下之郷には40基を数えるという下之郷古墳群があり、その一つが「いにしえの丘公園」の他田塚古墳)、上社の諏訪氏と覇権を争った下社の金刺氏も他田一族であり、親ヤマトの地でしょうか。
そして安曇平(臼井吉見の小説の題名で、初めて「安曇野」という呼び名が定着)は、ヤマトを支えた渡来人の海洋族で、奴国を本拠とした安曇族の拠点(穂高神社)。海洋族であれば、船を操って、信濃川からその支流である犀川を遡り、現在の安曇まで来ることも容易かったでありましょう。また波田町は、その後渡来(応神天皇の代とされる)した技術者集団である秦(ハタ)氏(平安京造営のスポンサーで、太秦にその名を残す。全国で治水や殖産のための技術指導を行ったとされる)との関連も伺えます。

 考古学的には、青森の三内丸山遺跡同様、当時は温暖だった八ヶ岳山麓一帯は縄文王国と呼ばれるように、井戸尻や尖石などの縄文時代の大遺跡群が幾つも発見されており、また近くの和田峠から霧ケ峰一帯は、その“王国”を成立させた、日本でも有数の黒曜石の産地でした(注記2)。
また古墳時代前期の前方後方墳は、東日本最古級とされる古墳(弘法山古墳)が松本にあり、一方後期の古代ヤマトとの関連が強いとされる前方後円墳は善光寺平の更埴(東日本最大級と言われる森将軍塚古墳で、科野国に大和政権から最初に任命された国造である建五百建命の墓ではないかとの説があるとのこと)や南部の飯田地方に点在しています。

 こうして幾つかの事実や伝承を並べると、元々諏訪を中心に古代ヤマトに敗れた出雲族の親王国が(おそらく、古代の“表日本”だった出雲から海岸沿いに越の国を経て、信濃川の水運で往来可能な)古代科野にあったのが、それと対峙すべく、おそらく同様にヤマト発祥の地である北九州から日本海沿いに信濃川を遡り、善光寺平を経て小県郡にヤマト政権の一族が派遣されて拠点を作り、また監視役として安曇にも拠点が置かれて、その後ヤマト政権の支配が進む中で、諏訪により近い松本(束間)に信濃における大和朝廷の拠点が移されたのではないでしょうか。
そして、律令国家の成熟とともに信濃は大和政権下で東国支配(古代官道である東山道の碓氷峠から東は坂東と呼ばれた)の前線としての重要性を次第に増し、しかも天武天皇崩御により幻に終わりますが、天武天皇は都を遠く離れた束間に移すための調査まで行わせたと云います。

 みすずかる古代信濃は、大いなるロマンを感じさせてくれます。

【注記1】
万葉集の有名な防人歌(4401)である、
『唐衣 袖に取りつき泣く子らを 置きてそ来ぬや 母(おも)なしにして』
の作者として名を残す他田舎人大嶋(オサダノトネリオオシマ)も他田氏。
信濃国小県(チイサガタ)から防人として九州に(一兵卒ではなく、隊長等の上官として)派遣された国造舎人(地方の役人)とされる。
【注記2】
小県郡長和町(旧和田村と長門町が合併)の星糞峠には、縄文時代の黒曜石採掘跡が200基ほど発見されて国の指定遺跡(黒曜石原産地遺跡)になっており、今でも黒曜石の破片が一帯に散らばっているとのこと。その欠片を星屑の様に「星糞」(字面はともかく、何だかロマンチックですね)と呼んだことに由来。日本で唯一という明治大学黒曜石研究センター(現地の遺跡発掘も担当)や黒曜石体験ミュージアムが在る。
因みに、青森県の三内丸山遺跡で発掘された石器の中に、成分分析の結果、(姫川流域で産出される翡翠と同様に)和田峠一帯で採掘された黒曜石が含まれていることが判明し、縄文の人々の(仮に、直接的ではなく、近くの村と村との物々交換が集積された結果にせよ)広範囲な交流(交易)の一端が明らかになった。

 6月中旬過ぎ。庭の定期的な手入れをお願いしている園芸店(ナカツタヤ)が、花壇の植栽を秋向けに植え替えてくれました。忙しいらしく、今年は少し遅くなったので、クリスマスローズガーデン(雑木林風ガーデンの樹下)は既に奥さまがご自分で全て手入れ済みです(零れ種でもう十分株が増えたからと、今年は花を全て摘み、込み入っていた株は葉もすいてあります)。

 お願いしてあったコリアンダーも入荷が間に合ったようで、帰宅すると、既にハーブガーデンの空きスペースに3株植えてくれてありました。
自分で移植するつもりで、プランターにも一株分のスペースを用意してあったのですが、その分は、週末のドライブがてら、池田町のハーブセンターへ苗を買いに行くことにしました。1ヶ月ほど前に電話で確認をしたら、ハーブセンターは、自社育苗した苗が6月下旬には店頭に出せると伺っていました。私にとっては、実質的なハスラーの初(長距離)ドライブにもなります(と言っても、片道20㎞ちょっとですが)。

 シンガポール時代から、(ご自分の)味噌汁にまで刻んで散らしていた程の“コリアンダー大好き奥さま”ですので、何株あっても困りません(それ程好物ではない私メも、タイカリーなどの東南アジア料理にはコリアンダーは欠かせません)。
10数年前に日本で植えた苗は、あの独特の香りがせず、セロリの様な匂いでガッカリしましたが、最近スーパーの野菜売り場にも並ぶコリアンダーは(ハウス物だと思いますが、県内産でも)、シンガポールで食べたり買ったりしていたコリアンダー(香菜=シャンツァイやパクチーと呼んだ方が東南アジア的ですが)と遜色ない程、あの独特の香りがするので、ここ数年は(苗が入手出来れば)自宅でも植えるようになりました。
園芸店での話によると、何でも朝のTV番組でコリアンダーの効能?が取り上げられてちょっとしたブームらしく、今年は人気で苗が品薄となり、業者が慌てて追加で育苗しているのだとか。
 池田町ハーブセンターは、この時期ラベンダーがちょうど満開で、一面紫の畑では摘み取り体験も行われていました。また、本ブログへのコメントで教えていただいた「灰焼きおやき」は、道路を挟んで併設されている道の駅で探してみましたが、2時頃の到着だったので既に売り切れだったのか、普通の蒸したお焼きしか見当たりませんでした。
 さて我々は、温室内のハーブ苗売り場で、目当てのコリアンダーのポット苗を2株購入。時期が少し早すぎたのか、株は未だあまり大きくなっていませんでしたが、成長に差があった方が葉の収穫時期が長くなるので、逆に我が家にとっては好都合。こちらで自社育苗された苗ですので、一鉢120円という安さでした(園芸店だと、おそらく倍の値段です)。
戻って、早速プランターに植え付け。これでコリアンダーは全部で5株になりました。順調に大きくなってくれると良いのですが・・・。
 先にハーブガーデンに植えていただいた3株。すぐ隣のルッコラの葉をサラダ用に摘む時にコリアンダーに触れると、あの独特の匂いが漂います。今年のコリアンダーもしっかりとシャンツァイと呼びたい程の香りがするようです。プランターの小さい株も根付いたようで、植えた時よりも随分しっかりして来ました。
 これにて、今年の我が家のハーブガーデンの植栽は全て終了。
パセリが2株、多年草のセルバチコ(ワイルドロケット)2株、バジルは5株、多年草のチャイブが1株、そして一番人気のルッコラは直播き(2年前に収穫した種)を含めて(株は)数え切れず。更には、今年も水耕栽培でクレソンも。そして最後に、ガーデン端に植えたキュウリが4本。その内、奥さまがすぐ料理に使えるようにと、パセリとバジル、そして今回のコリアンダー2株は、勝手口横のベランダに置いたプランターでも栽培しています。
会社勤めの間は、朝晩目が届くようにと、庭の一画に設けた僅か1坪程のハーブガーデンですが、野菜と違って株間をそれ程気にしなくて良いので、意外とたくさんのハーブを育てられます。ハーブ類の多くは、元々野草/雑草?(例えば、パリっ子が大好きだという“春告げ草”と呼ばれるタンデリオンは、普通の西洋タンポポ)なので、ベランダに置いたプランターでも簡単に育てられます。
 我が家のハーブたち。パセリはカレーやパスタに刻んで散らしました。またルッコラは(無農薬故)青虫さんに結構食べられたので、青虫さんを探してお引き取りいただき、もう何度もサラダに。またバジルもパスタにと、既に頻繁に食卓に上っています。スーパーで買うハウス物とは、(特にルッコラとパセリは)味の濃さが全く違いますし、ルッコラは買った物より葉が肉厚な気がします。
我が家はキッチンハーブ主体なので、料理にたくさん使えるようにと願うばかりです(スーパーで買った方が安かった・・・などとならぬよう)。