カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
諏訪への電車での外出の際、松本で昼食を取ってから移動しました。
当初、駅前通りに進出した最近評判のラーメン屋さんで(勿論醤油系ラーメンを)食べて行こうと思っていたのですが、行って見ると、その店は夜間営業のみ。諦めて、さてどうしようか?・・・。簡単に駅そばでもイイか・・・(それぞれ経営主体は異なるようですが、松本駅の1番線と6番線ホームの駅そばも結構美味しく、また村井駅等で駅そば店も経営しているイイダヤ軒は駅前に座って食べられる店舗も出していますし、駅ビル内にも手打ち蕎麦屋さんが2軒あります)。暫し思案の結果、そう言えば“ワンコイン”で食べられる蕎麦屋さんが駅前にも最近出来たことから、試しに食べてみることにしました。
松本駅(お城口)を出て右手にある長屋風の建物(ヴェルデ)。その一角にある「小木曽製粉所松本駅前店」。寿司を中心とした王滝グループが展開するセルフ蕎麦の店。豊科の安曇野IC付近に製粉工場を併設する1号店を出してから、あっという間に松本市内にも4店舗ほどオープン。以前、日経長野版にもフランチャイズ化の記事が掲載されていました。ここの売りは、何と言っても自社の製粉工場を持つメリットを活かし、ワンコインで食べられる県内産に拘ったという蕎麦。実際は、税抜きワンコインなので、税込では540円ですが、超有名店には、普通のザル(盛り)で1000円を超える店もある中で、特に平日の“サラメシ”(勤め人向けランチ)としては有難い店です。
ここの建物は駅ビルに隣接していて、元々長屋風で狭いだけに、他店舗は分りませんが、この駅前店はコの字型で10席ほどのスペースしかなく、所謂立ち食い蕎麦。以前は別の店(蕎麦?)があった場所です。
メニューは「ざる、大ざる(大盛り)、かけ、冷かけ」の4種で、いずれも500円(税抜)の同一価格。おろし、トロロ、かき揚げ、ちくわ天、山賊焼きなど、トッピング類がセルフうどん方式で用意されていて、タッパーに入っている薬味用の刻みネギや、そばつゆもポットから自分で入れます(厨房は、お手伝いの女性を含めて2名で切り盛りされていました)。
大ざるとトッピングに大根おろし(税抜100円)を取って、〆て648円。
蕎麦は注文を受けてからちゃんと茹でています。希望する蕎麦のプレート(種類毎に色違いのプラスチック。因みに大ざるは赤)をトレーに載せてカウンターに並んで待つ(らしい)のですが、途中で提げていたカバンが邪魔なので後ろのテーブルに置こうとしたら、「並んで待っていないと順番飛ばすヨ!」と怒鳴られてしまいました。
昼時で次から次へとサラリーマン風のお客さんが来られますし、怒鳴られたこともあり、そば湯(ポットに入っています)も飲まずに退散。
税抜とは言え、ワンコインで(しかも大盛りも同じ値段で)食べられますので、コスパ的には非常にリーズナブルです。肝心の味も、所謂駅そばや立ち食い蕎麦を遥かに超えた、ちゃんとした蕎麦。電車待ちや、時間が無いランチ時には良いかもしれませんが、落ち着いてじっくり味わって食べるのとは程遠い雰囲気。また、店舗にも依るとは思いますが、この店の雰囲気では(昼時で忙しくて余裕も無かったと思いますが)個人的には遠慮しておきます(ま、二度目からは勝手が分り、怒鳴られることも無いのでしょうが・・・)。
しかし、ワンコインで食べられる蕎麦屋が他店の刺激になるのは大いに良いことだと思います。本来、蕎麦(そば切り)も握り寿司も、江戸時代にせっかちな江戸っ子のために生まれたファーストフードだったのですから。
そして、他店は、もし高くてもその値段の差が(サービスや雰囲気も含めて)お客さんにちゃんと納得してもらえれば良いのですから・・・。
【追記】
後日の週末。用事で家内と半日市内を回った時に、庄内にも来たことから、「小木曽製粉所」の筑摩店があることを思い出して、昼食に寄ってみました(家内は当初庄内のマクドをご希望でしたが)。
こちらは、以前同じ王滝グループの回転寿司(「あっちゃん」)だった店舗を蕎麦屋に衣替えしたとのこと。品揃えやセルフ型式は駅前店と同じですが、トッピングは少し種類と値段が違うようです(例えば、チョイスにご飯があり、セルフでの天丼も可能とか)。立ち食いの駅前店と違い、元は回転寿司でスペースも十分あることから、店内は全て椅子席でのカウンターやテーブル席。
家族連れなど結構列になっていて、座るまでに10分くらい掛かりました。二人とも、大ざると一人ずつ大根おろしをチョイス(80円でしたが、量は100円だった駅前の半分。二人で〆て税込1253円也)。またタッパーに入った薬味のネギ用の取り皿もありました。一番の違いは、そばつゆ。濃さは同じくらいでしたが、砂糖甘くなく、こちらの方が好み(セントラルキッチンではないのでしょうか?)。因みに、この日は立科町産の玄蕎麦とのこと(食べるまでは半信半疑だった家内も、蕎麦の味には感心した様子)。席数も多く、座って食べられるので、こちらの店舗の方が多少はゆっくりと(急かされずに)食事することが出来ます。
江戸時代のファーストフードだったことをふまえると、予約が無いと入れないような格式張った店もあるやに聞きますが、「うーん、蕎麦ってこれで十分じゃないか・・・」とも思えてきます。
ただ、店内に流れる空気は、故杉浦日向子さんの言われたような、蕎麦屋の持つ凛とした静謐さではありませんので、念のため。
今年も、一坪程のハーブガーデンにハーブを植えました。
春先に、多年草のチャイブ以外の場所をマンノウ(万能鍬)で耕してあります。パセリは植えて3年持ちましたが、昨年くらいから葉が成長せず花芽(茎)の方が伸びるようになったので、そろそろ限界。今年は新しく苗を買って植え替えるつもりです。あとは、例年のルッコラ。いくらあっても我が家では困らないので、たくさん植えるつもりです。それと、同じくバジル。霜が降りる前に(バジルは霜に弱く、黒ずんで枯れてしまいます)残った葉を全部摘んで、毎年奥さまが松の実とオリーブオイルを混ぜてジュノベーゼ(ソース)を作って、タッパーに小分けして冷蔵庫で保存しています。市販のモノより断然美味しいそうで、娘の所にも届けています。
あとは苗があれば(奥さまが大好きな)コリアンダーと、昨年同様ハーブガーデンの隅にキュウリ。パセリとバジル、コリアンダーは(奥さまが料理用にすぐ葉を摘めるように)勝手口横のベランダでプランター栽培もする予定です。チャイブはアサツキの代用になります(ビシソワーズに散らされるのがこれ・・・の筈です)し、赤いボンボンの花(ネギボウズ)は花としても楽しむことができます。
例年同様、遅霜を避けて(特にウリ科の野菜は霜に弱い)5月連休に植えることとし、庭のリフォーム以降、定期的な庭の手入れをお願いしている園芸店ナカツタヤに今年も苗を買いに行きました。ガーデニングや家庭菜園ブームで、最近はホームセンターでも野菜苗がたくさん(安く)売られていますが、値段で選ぶのではなく、丈夫な良い苗を植えないと元も子もないので、その点、老舗のナカツタヤは祖父の代から(農家の人たちにも)定評があります。
連休中、家内と食料品の買い出しに行く前にナカツタヤに行きました。やはり、連休中のガーデニングか、ガーデンストリート(園芸店)の方は春植えの花を求める人たちで混雑していました。一方、隣の種苗店の方は、時期が少し早いのか(或いは遅いのか)品揃えも少なく人も疎らでした。
先ず、こちらでパセリを2鉢。パセリもハーブの一種ですが、日本では野菜の扱いですね。料理の添え物扱いの市販のパセリですが、地植えをすると全く別物と思える程に味が濃く、とても美味しくて、スープなどに刻んで散らすと最高です。更に4鉢のキュウリのポット苗を購入。キュウリは、昨年植えたのが遅過ぎたためか、あまりたくさん収穫出来ませんでしたので、種類を違えて昨年同様の「夏すずみ」(サカタ種苗)と今年初めてナカツタヤオリジナルという「タントトレル」を二本ずつ購入してみました。どちらも昨年と同じ場所に植えるので、連作障害を避けるため(値段は少し高くなりますが)接ぎ木苗です。
ハーブは園芸店舗に並んでいます。どの店も同様ですが、15年程前のハーブブームの時と比べて種類も減って売り場面積も極端に小さくなりました。
今年はルッコラが全く見当たりません。ところが、一昨年存在を初めて知って、市中に無ければネットで種を取り寄せようかと思っていたワイルドロケットが売られていてビックリ。こちらは、所謂野生のルッコラで多年草です。そこで2鉢購入。ルッコラは、時期をずらして収穫出来るように、一昨年収穫した種を既にハーブガーデンに直播してあるので、また後日ポット苗を探してみます。セイジやオレガノ、ローズマリー、タイムやディル、そしてミント類(我が家の花壇がミントジャングルと化し、大変な目に合いましたので、二度と御免)は並んでいましたが、残念ながらコリアンダーは今年も見当たりませんでした。その日の夕刻、ハーブガーデンとプランターにそれぞれ移植し、土に馴染ませるためにたっぷり水遣りして植え付けが終了しました。
4月とは打って変わり、5月以降は雨が少ないので、果樹や花壇も含めて定期的に灌水をして・・・。直播をしたルッコラもたくさん芽を出しました。もう少し大きくなってから間引きをします。
後日、近くの食品スーパーで「生産者コーナー」にルッコラのポット苗が売られていたので、2鉢購入して移植。これでルッコラは時期をずらしての収穫が可能です。コリアンダー、どこかで苗を売ってないでしょうか?ネ。
さて、今年のハーブガーデン(+キュウリ)。今から収穫が楽しみです。
先日、会議で上諏訪に外出をしました。
いつもなら、懇親会予定が無ければ、上田から車で和田峠(新和田トンネル有料道路)を越えるのですが、その日は急に思い立って松本の自宅経由で、電車で行くことにしました。
会議終了後、“どうしても”上諏訪の「割烹 雫石」へ寄りたかったのと、急だったこともありますが(誘えば一緒に飲みに行ってくれるメンバーもいますが)、たまたま太田和彦著「居酒屋を極める」(新潮新書)を読んでいたので、“独り酒”と洒落込もうと思ったのがキッカケでした。
“どうしても”と書いたのは、数か月前に上諏訪での懇親会が終わってから“檀家回り”で寄った時に、“花金”のまだ9時過ぎだというのに、店が閉まっていたのが気になっていたこともあります。
夕刻6時過ぎに、心配しながら歩いていくと、玄関先の灯篭に灯がともり、大きな甕に季節の花が投げ活けられているのが目に入り、一安心。
引き戸を開けて中に入ると、お客さんは誰もおらず、声を掛けると厨房からご主人が出て来られました。
「あれぇ、久し振り。今、上田ずら?」(と、確かご主人は松本の里山辺のご出身とか・・・)
「そうだけど、この前来たら閉まってたから、それで心配して・・・」
何でも、最近上諏訪の街は閑古鳥だったそうで、週末でもお客さんが居なくなると、そんな日は早めに閉めてしまっていたのだとか。
特に何故かこの3月はひどくて、一人もお客さんが来ない日もあったとか・・・。諏訪の街は、駅前もそうですが、この冬は諏訪湖の御神渡も出来なかったので寂しい限りだそうです。確かに、デパートやショッピングプラザが閉鎖され、明かりの消えた駅前はまるでゴーストタウンのようにすら感じます。
「でも、来年は御柱だし・・・」
「7年に一度の御柱と夏の花火だけじゃさぁ、何とかしないと・・・」
八ヶ岳山麓を中心に、国内有数の黒曜石産地だった和田峠を抱える諏訪エリアは縄文遺跡の一大集積地であり(茅野で発見された土偶2体は国宝指定)、また土着のミシャクジ信仰や、タケミナカタノミコトの諏訪大社だけではなく、古代出雲にも繋がるであろう鉄鉱山が戦前まであったなど、諏訪の地はかなり面白い処なのですが・・・ネ。
早速、カウンターに座って生ビールを頼むと、煮物のお通しと小鉢でサラダを出してくれました。そして、「これ、食べてみ!」と、山ウドを酢で〆て青のりを塗した一品も(美味!)。
ご主人と世間話をしていると、女将さんも出て来られました。何でも、常連だった会社のメンバーも次々にリタイアし、次第に(地元に住んでいなければ余計に)足が遠のいているのだとか。私も昔はそうでしたが、若い人はこうした店の良さは分らないでしょう。
お酒は、三合瓶の冷酒を一人で飲み干すのは無理なのでぬる燗を頼むと、この日も岩手の「あさ開」を出してくれました。
焼き魚をお願いし、〆に野菜たっぷりの焼うどんも。女将さんとは、「吉田類の酒場放浪記」の諏訪ロケの裏話を教えてもらってから、松本清張に始まり、南部藩の壬生義士伝で盛り上がり、気が付けば9時。3時間近くも居たことになりますが、水曜日とはいえ、その間客は結局私一人だけ・・・。
想像以上に、諏訪の街は深刻なようです。
「上田からはちょくちょくは来られないけど、今度来る時は誰か誘って来るからね!」
上諏訪「割烹雫石」・・・“大人飲み”に相応しいイイ店です。
太田和彦流で言わせてもらえれば、「いい酒、いい人、いい肴」が全て揃っているような・・・。もし松本にあったら(本家の居酒屋放浪記で紹介された「きく蔵」は、今や有名店で予約も難しくなりました)、例えチョイ飲みででも、週イチで通うんですが・・・ネ。
【追記】
後日諏訪への外出の際、同僚を誘って伺ったのは言うまでもありません。
そして、飲兵衛からの勝手な視点で、これからもずっと「いい酒、いい人、いい肴」を続けて欲しかったので、この日電車に乗る前に松本の丸善で買った太田和彦著「自選ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)を女将さんにプレゼント。前回「細かい文字が読み辛くなった」と言われていたので、三部作はちょっと負担かなと・・・。
因みに「自選」は松本編(三部作の第一巻「立志編」に掲載されている「松本の塩イカに望郷つのり」)からスタートし、東日本と重なる阪神大震災後に訪ねた神戸編「神戸、鯛のきずしに星がふる」(きっと女将さんの故郷釜石への想いにも繋がると思います)まで16編が収録されています。
一昨年から気になっていた、通勤路の道路脇にある一本の「木」
それは、松本から平井寺トンネルを抜けて、少し下った道路脇の花木で、5月中旬になると真っ白な花がまるで雪のように木を覆っています。生えている場所からして、野生(自生)ではなく、人工的に植えられたものだと思います。
調べてみましたが、ピンと来るような写真が無く、最初は小梨かと思いましたが、時期的にずれています。気になって、車を停めて見てみると、花弁が5枚ではなく、見たことも無いような細長い十字花でしたので、リンゴやナシなどのバラ科でもなく、季節柄の“卯の花”等のウツギ系でもないようです、結局、その時は名前を特定出来ませんでした。
結論として、色々ネットで花の写真を調べた結果、これは「ナンジャモンジャの木」と断定しました。
名前からして“人を食った”様な名称ですが、正式名称はモクセイ科ヒトツバタゴ(一葉たご)という落葉高木。「たご」というのはトネリコの一種で、トネリコが複葉なのに対し、単葉なことから名付けられたそうです。中国福建省原産で、朝鮮半島の一部、国内では対馬や木曽川流域(特に東濃地方)のみに自生(対馬の群生は天然記念物指定)している絶滅危惧種(Ⅱ類)で、岐阜県の土岐市では「市の花」に制定し、街路樹として植えられている「なんじゃもんじゃ街道」があるとか。植栽としても、神宮外苑や深大寺などに植えられた木の写真がありましたが、全国的にも珍しい木のようです。
大きなものは20mにも達するそうですが、平井寺にあるものは5m程度でしょうか。しかし、満開の時には見事な花を咲かせています。しかも、英語ではその名も“Snow Flower/Snow Blossom”だそうで、正に“雪の花”。
これまで身近で見たことはありませんでしたが、多分長野県内では珍しい木なのだろうと思います。
上田市の天然記念物指定という「なんじゃもんじゃの木」が、何と虚空蔵山頂にある(県内でしかも1000mを超える山頂での自生は珍しいとのこと)との記事を見つけましたが、この木は「ヤマエンジュ(フジキ)」というマメ科の木で、その名の通り藤に似た白い花を咲かせるそうです(白い花からは、どちらかと言うとニセアカシアを連想させますが、そう言えばニセアカシアはハリエンジュが正しい名前です)ので、(葉の形容も)別種。どうやら、昔、氏素性がハッキリしなかった珍しい木々が「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていたことがあったようで、他にも幾つか通称でそう呼ばれる木があるようですが、一般的には、このヒトツバタゴがナンジャモンジャノキとして呼ばれている代表種だそうです。
その後、近くにある前山寺の境内(鐘楼のすぐ脇)にも「ヒトツバタゴ」があることが分りました。
この「ナンジャモンジャの木」。
例え氏素性が明らかになっても、そう呼びたいほどに、何とも云えぬ、神秘的で不思議な魅力を備えた木だと思います。
新緑の眩しい5月。通勤路(個人的に、勝手に上田側を“花街道”と呼んでいます)に咲く「花」の楽しみが、また一つ増えました。
何年か前に、「日輪の遺産」や「地下鉄に乗って」など、何冊か浅田次郎氏の著作は読んでいたのですが、タイムスリップなどの飛躍が非現実的で、小説としては嗜好的に好きではなかったので、その後、氏の作品は読んでいませんでした。
過日、日経か朝日か忘れましたが、時代小説のお薦め作品の中に、氏の著作である「壬生義士伝」があり、気になったので上下巻に分かれている文庫本(文春文庫)を購入して読んでみました。週刊誌に連載され、2000年に刊行された「柴田練三郎賞」受賞作とのこと。しかも、綿密な取材に基づいて書かれた、氏にとって初めての時代小説だったそうです。
電車通勤時代と違い読む時間がなかなか取れず、旅行や東京への移動中なども含め、数ヶ月掛かって漸くここで読了となりました。
幕末の鳥羽伏見の戦いで満身創痍となりながらも南部藩の大阪藩屋敷に逃げ込み、竹馬の友だった留守居役の大野次郎衛門から「南部藩の面汚し」と叱責されて、切腹を命じられるところから物語はスタートします。
柔らかな南部弁での吉村自身の回想を挟みながら、物語は一挙に50年経った日清・日露後の大正年間にスライドし、生き残った嘗ての新撰組のメンバー等が吉村にまつわる思い出やエピソードを語りつつ、その吉村の人としての生き様や、その後の彼の遺族の消息まで交えてストーリーが展開していきます。
「そうか、こんな描き方もあるんだ・・・」
最初はその時間の跳躍に戸惑いながらも、その緻密に練られた手法の巧さに脱帽。しかも、大河ドラマの様な時代の大きなうねりの中で、不器用ながらも自らの信念に従い、人としての義を貫いた(そうして生きざるを得なかった)名も無き人たちが見事に描かれています。語り手は替わりつつも、取材者(一言も語りませんが)に対し、独り語り的に進行するので、舞台での独り芝居にも題材として向いているのではないか?と勝手に感じながら読了しました。そして、著者が彼等を通じて語らせる50年後の「今」の堕落した日本は、それから更に100年経った「今」を生きる私たちへの警鐘的な問い掛けでもありましょう。
著者自身は東京出身とのことですので、何故盛岡を舞台に選んだのか分りませんが、柔らかな南部弁で語られる盛岡の美しい風土と相俟って、主人公だけではなく不器用に儀に生きた南部藩の人々の原日本人的描写が何とも印象的な(同じ日本人として自らを省みて居住まいを正すような)作品でした。
読み進みながら何度も目頭が熱くなりました(以下、これから読まれる方は無視してください)。
故郷南部を語る吉村貫一郎に。また会津藩士たちと運命を共にした斉藤一郎が語る南部の人たちの思い遣りに。
父に代わり函館五稜郭に馳せ参じた嘉一郎に。そして文末に登場した、縁故を伝手に旧友吉村の末子の養育を依頼する、自身の処刑前日にしたためられた大野次郎衛門の手紙に・・・。
曰く、
「われら南部武士は、女子供まで曲げてはならぬ義の道ば知っており申す。」
「妻子を養うために主家を捨てる。しかし恩と矜(ほこ)りとは決して忘れぬ。」
「侍が、町人が、大工が、子守女が、皆家々から走り出て、わしらに言うのじゃよ。会津のお侍さま、お許しえって下んせ。おもさげなござんす。とな。」
「出立の折、御組頭様より頂戴した昇旗でござんす。二十万石はこんたな足軽ひとりになってしもうたが、わしは南部の武士だれば、たったひとりでもこの旗ば背負って戦い申す。二十万石ば、二駄二人扶持にて背負い申す。」
「南部の士魂、しかと見届け申した。御家は断じて賊軍にあらず、佐幕にして勤王の雄藩にてござる。」(薩摩藩大将黒田清隆)
「此者之父者 誠之南部武士ニテ御座候 義士ニ御座候」
「壬生義士伝」、ずしりと読み応えあり。
先日の朝の通勤路でのこと。
7時20分頃、三才山トンネル手前の三才山橋から本沢橋の手前付近を走行中。この辺りは、沢を跨ぐ橋が連続していますが、山側の崖が少し段丘の様になっている場所があり、そこに何とカモシカが立っていました。
橋の欄干から僅か10m程でしょうか。一瞬、「えっ!?」。目の錯覚かと思いましたが、何度か遭遇した鹿とは顔付きや体毛の様子が全く違いますし、また体形がイノシシ程太くもありませんでしたので、間違いありません。カモシカでした(カーブで車を停車する訳にもいかず、撮影は出来ませんでした)。
以前、上高地の河童橋から小梨平までの散策(トレッキング)中に、道沿いの崖の上に立ち、こちらを見下ろしている“孤高”のカモシカを見たことがあります。それが、野生のカモシカの唯一の目撃例でした。
北アルプスの上高地ならいざ知らず、東山々系の三才山でカモシカを見掛けるとは・・・とビックリ。
大型犬程で、カモシカとしてはそれ程大きくなかったように感じましたので、まだ子供だったのかもしれませんが、岩場にスクッと立って動かずにいる様は、やはり孤高の趣があり、貫録すら感じました。
天然記念物に指定されているカモシカ(ニホンカモシカ)は、北アルプスなどの亜高山帯に生息しているというイメージがありますが、三才山トンネル付近は標高1000m。三才山(戸谷峰)から美ヶ原・霧ケ峰方面へと続く東山々系は概ね標高2000m級ですが、美ヶ原にもカモシカが生息しているそうですので、尾根伝いに三才山に現れても決して不思議ではないのかもしれません。
峠を下り、いつもの鹿教湯のコンビニで缶コーヒーを買った際に話をすると、「たまに、カモシカを見たって人いますよ」とのこと。
でも、大型トラックが頻繁に往来する道路脇でしたので、車道に出て来て車にぶつかったりしなければ良いが・・・と些か心配になりました。
「カモシカ君、早く山に帰りなヨ!」
先日、会議のため上諏訪へ。
車ではなく電車で移動したため、接続の関係で、上諏訪駅に着いてからの昼食となりました。
駅前にあった地場のデパートや隣接するテナントビルも閉鎖され、まるで廃墟の様で街も閑散としていました。長年、通勤で通った身には寂しい限りです。
上諏訪駅周辺には、(あくまで個人的嗜好ですが)ランチでこれぞ!という店も無く、そこで昔懐かしい「お食事処 みかど」へ寄ってみることにしました。駅を出て左手、国道20号線を歩いて5分程度。その国道沿いにあります。古くからある素朴な“町の食堂”然としたお店で、昔から丼物が有名で、会社の先輩に寄れば、「特に親子丼がお薦め!」と聞いていました。ある職場では、昔(会社の食堂で夕食提供が無かった30年位前までは)、この店からも出前を頼んでいたような気がします。
昼時を少し過ぎていましたので、店にはお客さんは誰も居なくて、一瞬「?」。でも、ちゃんと「営業中」の札が掛かっていました(外からは店内が見えません)。
ランチのAセットを注文。チャーハンとラーメンのセットで850円。因みに、Bはカレーとラーメンのセット。いずれも町の食堂の定番メニューです(出来れば、ミニ親子丼とラーメンのセットもあればイイのに・・・)。
セットのチャーハン。胡椒がかなり効いていて、個人的には好みの味でした。これ、イケます。刻んだチャーシューとゆでタマゴに、刻み海苔が掛かっています。特別な具材が使われている訳でもなく、こちらもシンプルですが、胡椒が実にイイ。完食して、「ごちそうさまでした!」。
雪害等による生育の関係から予定から一年遅れて、この3月末に新ワイ化のふじのリンゴ苗木(3年前に植えてあるシナノスイートは長野県限定品種なので県内業者ですが、ふじは青森県の種苗会社が育苗した苗木です)160本がJAから届きました。併せて、移植に必要な資材も事前に届いています。技術指導員の方からは、遅くとも4月10日までに移植終了との指示。
そこで、週末を使って、4月上旬までに一日50本近ずつ、3日間で予備用も含め全部で160本移植作業を行いました。
ネズミやモグラに根を食べられないよう、ガードネットを必要な大きさに切り、留め具で直径20㎝の筒状に作り、深さ20㎝の穴を掘って、このネットを埋め、土を被せ、苗木を埋けて土を被せます。苗木が風などで倒れぬよう、トレリスに固定したポールに苗木を括り付けます。これを160本繰り返すことになります。
3日間掛けて全部植え終わったところで、今度は徒長しないように長めの枝を下向きに誘引し、最後に土と馴染む様に水を掛けて全ての作業が終了。
納期が決まっていますが、週末しか作業が出来ないので、雨模様の日も含めて結局3週間掛かって漸く全部植えることが出来ました。
その間、手に豆をつくりましたが中断する訳にもいかず、結局皮も剥けて痛いのナンの・・・と孤軍奮闘。ヤレヤレ。
先に植えたシナノスイートは4月末に開花。フジもここで一ヶ月近くたって葉も開き、花も咲きました。一年目の今年は木に負担を掛けぬように全部摘んでしまいますが、順調に育っているようです。
【追記】
連休中は好天に恵まれ、絶好の行楽日和でした。逆に雨が降らず、二度ほど苗木に灌水をしました。雨も予想された4日も、ぱらついた程度。農家的にはトホホでしたが、その代わり、夕刻見事な虹が掛かりました。
7年前、お義母さんの喜寿のお祝いにいただいたシンビジウムの鉢をお裾分けで家内が持ち帰り大事に世話をしてきました。その甲斐あって、5年前に花が咲きましたが、その後玄関に早く出し過ぎて霜害で花芽が枯れてしまったりして、昨年3年振りにまた花が咲きました。
また、実家のある茅野は寒くて花が咲かないからと、2年前にこちらで育てるからと、もう一鉢も運んで来て、昨年初めて花が咲きました(第498話参照)。シンビジウムでも、プロムナード(ミルキーウェイ)という種類の違う花でした。その後、葉が茂り過ぎていたので、いつもの園芸店にお願いして、株を鋤いてスッキリさせてもらいました。
その後も、増えた3鉢を家内が定期的水と肥料を上げたりして世話をしてきました。いつもなら、12月頃には花芽が出るのですが、年が明けて2月になっても花芽が出て来ず、今年は花が咲かないものと半ば諦めていました。
暫くして、いつも通りに世話をした家内が「花芽が二つ出ている!」と歓声を上げて戻って来ました。プロムナードの鉢は株を鋤いたので今年は出ませんが、他の二鉢からは小さな花芽が顔を出していました。
「やったジャン!でも、今年はエラク遅かったね・・・」
花冷えを過ぎて、一気に初夏の様な陽気になりました。
シンビジウムの蕾も大分膨らんで来たものの、開花はもう少し先の様です。蕾の数もこれまでよりも少し少ないような気がします。
一方、我が家の花壇は春爛漫。雑木林ガーデンのクリスマスローズも、グランドカバーのポテンチュラも、そして花壇の花たちも。隣家との塀と芝生との間の狭い空間を使った階段状の花壇。奥さまが、黄色、青、白、赤系とエリア毎に同色の花でまとめています。その中で見つけた小さな白い花、イベリス。一つ一つはあまり目立ちませんが、まとまって咲いているとなかなか見事です。良く見ると、花も面白い形をしています。
芝生も大分青々してきた中で、紅白のハナミズキが今年は随分花芽が多いような気がします。
ポトマック河畔への桜の返礼に米国から贈られたという逸話通りに、庭木としてすっかり日本に定着した感のあるハナミズキが、今度は桜に代わって我々日本人の目を楽しませてくれています。
ここ数年、母屋の中庭に偶然生えてきたタラノキ。
ウコギ科の低木落葉樹ですが、新芽が「タラの芽」として珍重されます。最近は、ハウス物で栽培されたものがスーパーに出回りますが、フキノトウ同様、山に生えるモノと里に生える(ましてや栽培モノ)とでは、野趣溢れる独特の苦みが無く、味も薄くて美味しくありません。
昔、リンゴ園の脇に父が植えたタラノキも、結局山のモノに比べて美味しくないと、父が全て切って(抜いて)しまいましたが、何らかの理由で(50m以上離れている)母屋の裏の庭に生えてきたようです。
その際、たまたま(ちょうど時期的に)新芽(タラの芽)が伸びていて、切り倒すことから全部採取して、その夜、定番の天麩羅になりました。
タラノキは、日本全国で見られるそうですが、“山菜の王様”として珍重するのは、やはり信州や東北などの山間地中心でしょうか。
最近でこそ、ハウス栽培されたタラの芽がスーパーにも出回るようになりましたが、昔東京の大学に進学した友人が、高尾山に登ったら登山道の至る所にタラの芽があっても、都会の人は見向きもしなかったと聞きました。
新芽を全部採ってしまうと木が枯れてしまうため、必ず幾つか芽を残しておくのが(自分の所有地で無い限り)山菜採りでのルール/マナーです。
その夜、天麩羅になったタラの芽。
少し葉を広げたモノも思いの外柔らかく、新芽はホクホクと独特の食感です。但し、やはり苦みといった野趣はありません。天麩羅はそれ程(信州のお年寄り程)好きではありませんが、天麩羅が最適なタラの芽は別でしょうか。思いがけず、この時期だけしか食べられない“春の恵み”を頂きました。
(因みに、写真のタラの芽は、中庭の内側に生えている木。こちらはまだ木が小さいので、採らずに成長させます)