カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
3月末の土曜日。日帰りで東京へ。
奥さまは先に娘の所に行っていて、東京で合流し、ワンルームでクローゼットスペースが少ないため冬物の衣類を車で持ち帰って来ます。
奥さまは別件があることから、その間を利用して六本木のサントリー美術館へ。3月18日から5月10日まで、「生誕300年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展が開かれています。最近若い人に人気という色鮮やかな花鳥や動物画の伊藤若冲よりも、むしろ見たいのは与謝蕪村。
この時期であれば、「菜の花や 月は東に 日は西に」とか、「春の海 ひねもす(終日)のたり のたりかな」で知られる俳諧の巨匠ですが、一方では俳画の創始者であり、また池大雅と共に江戸時代の文人画を代表(日本南画の大成者)する画人として、国宝や重要文化財指定の作品も多い“天才絵師”でもあります。
画風の全く異なる若冲と蕪村が、1716年生まれの同い年ということを初めて知って驚きましたが、後年、二人が京都四条烏丸界隈(半径200m以内とか)に暮らしていたことも初めて知りました(但し、共通の知人はいたが、二人が交友したという記録は今のところ見つかっていないとのこと)。
今回の展示は、その二人の絵師としてのスタートから生涯までを幾つかのステージに分けて、影響された(と思われる)他の絵画作品も参考に見比べながら、見て行く順番にその変遷が分り易く展示されていました。
やはり目玉は、ポスターにも用いられた若冲の「像と鯨図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)と重文指定されている蕪村の「鳶・烏図」(北村美術館蔵)。そして、昨年92年振りにその所在が確認されたという蕪村の「蜀桟道図」(シンガポールの現地会社所蔵)、同じく2008年に京都の町屋で新たに発見されたという「山水図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)でしょうか。
個人的には、強風に向かって雄々しく立つ鳶を、尊敬する芭蕉に例え、吹き付ける雪にじっと耐える烏に蕪村自身をなぞらえたという「鳶烏図」に孤高の俳人を見るようで、大変心惹かれました。
また、六曲一双の「山水図屏風」は、珍しい銀箔を貼った屏風に描かれていて、金箔の華やかさとは異なり、渋さと共にむしろ自然界の圧倒的なスケールを剥ぎとったように感じます。こちらは、それ程の人だかりも無く、近くの階段から少し見下ろすような感じで全体を俯瞰しつつ、じっくりと鑑賞することが出来ました
当時、低俗化していた俳壇に対して写実中心の「蕉風回帰」を唱え、また奥の細道に憧れて自身放浪の旅をしたという与謝蕪村。
大海のような自然描写と一方でのどかさも感じる俳句や俳画に対し、「鳶烏図」や「山水図」の俗世の虚飾を捨てた孤高の強さと厳しさに心打たれ、暫し(留まって人波の邪魔にならぬよう、列の背後から、或いは階段から)見入ってしまいました。目の保養をし、またパワーもいただきました。