カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
“シンガポール建国の父” リー・クワンユー氏が3月23日、91歳で亡くなりました。
勿論、直接お会いしたことはありません(赴任中の大統領だったウィー・キムウィー閣下には一度お目にかかり、握手をしていただきました)が、シンガポールに6年半、その地で暮らさせてもらった身としては実に感慨深く、海外のトップリーダーの中でも(心情的に)一番身近な存在でした。
赴任中、ちょうど長年務めた首相を引退してゴー・チョクトン氏に首相を譲り、上級相に就かれた頃でしたが、“建国の父”として院政とも揶揄された影響力を持ち続けて来ました。
時にその統制・規制の厳しさから“警察国家”と揶揄されましたが、いつ沈んでも不思議ではない、大海に浮かぶ小舟の様な頼りない島国を導くためには、常にそうした危機感を持って、なりふり構わぬ独裁的な統制が必要だったのでしょうし、またそうしなければ今のシンガポールの繁栄も成し得なかったに違いありません。
内には統制を強めつつも、外に対しては実に“機を見るに敏”で、外資にとって魅力的な開放政策を次々に導入し続けた結果、今やグローバルカンパニーの殆どが、アジアパシフィックの地域本社機能を日本ではなくシンガポールに置いています。国語はマレー語ですが、コモンウェルスの一員とはいえ、英語を共通語として学校教育を進めたことが、世界のビジネスの中心地足らしめた先見性であったのでしょう。
しかし、経済政策だけではなく、若者の道徳心の低下を心配し、儒教教育の重要性を説いた一面もあったと記憶しています(赴任中、老人の手を引く若者や、妊婦や幼児に席を譲る若者は、日本より遥かに見慣れた光景でした)。
氏は、中国民族の中でも流浪の民である客家の出身と云われ、同様に鄧小平、李登輝と共に、客家出身の三大政治家と駐在中に聞かされたように思います。
因みに、弁護士だった夫人もケンブリッジへの同じ留学生で、氏よりも優秀だったとは氏本人の弁(但し、氏もケンブリッジを首席卒業の筈)。
氏は、戦時中、日本軍によりチャンギの海岸での処刑へ連行される寸前のところを収容所から運よく出られたと聞きました(真偽は確認していませんが)が、マハティール氏の“Look East”同様に、その日本の成長を範として国民を鼓舞し続け、また相手が大国であれ(小国故問題にならなかったかもしれませんが)主張すべきは歯に衣も着せずに堂々と主張した政治家でした。引退後もアジアのオピニオン・リーダーでした(写真は、帰国時に赴任先のスタッフから記念にプレゼントされた、氏の写真集です)。
今や、国民所得(GNI)で日本を遥かに抜き去って世界3位というシンガポール。
小国故、泳ぎを止めたら生きられないカツオなのか、「衣食足りて礼節を知る」べきなのか・・・。
氏の晩年の言動を知りませんが、もし現役だったら何と言われるのか・・・。シンガポールに一時とはいえ暮らした身としては、大いに興味があります。これからのシンガポールに必要なのは、個人的には“心の(も)ゆとり”だと勝手に思うのですが・・・。
慎んで、偉大なるリーダーへ哀悼の意を表します。
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