カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
最近、居酒屋や酒場を紹介する番組が巷で増えているような気がします。
BSが中心ですが、バラエティ番組ばかりの地上波は視る気も起きず、勢いBS視聴が主となる中で、元祖はケーブルTVからか、松本出身の先輩太田和彦氏(現在はBS11の水曜夜10時「ふらりいい酒いい肴」)で、最近人気なのが、今や“オヤジの月ナイン”と云われているというBS-TBSの月曜夜9時の「吉田類の酒場放浪記」。そして、時々視ていたのが、火曜夜9時のBSジャパン(テレ東系)の「酒のつまみと男と女」。他にも、吉田類の女性版「おんな酒場放浪記」が深夜に放送されています。
エッセイでは、太田和彦さん(本業はグラフィックデザイナー)の「居酒屋放浪記」三部作は我がバイブル。TVだと、全国の有名居酒屋のいくら馴染みとはいえ、信州人の照れ隠しなのか、些かタメ口が鼻に付く。むしろ文章の方が味がある。太田さんの云う“いい酒、いい人、いい肴”的居酒屋での“独り酒”の楽しみ方が、漸く分って来たような気がします。時間が掛かったというよりも、むしろ“分る年になってきた”ということなのでしょう。
片や、吉田類さんは土佐っぽらしく、大らかであけっぴろげで、居合わせた常連さんの中に(お裾分けまで頂きながら)最終的に酔って交わるのが見ていて気持ちいい・・・そんな感じがします。そして、どちらもテーマ曲から、BGMに掛かる選曲が(中年男には)実にイイ!(地酒の銘柄の勉強にもなります)。
そして、もう一つの「酒のつまみと男と女」。残念ながら、この3月を以って終了しました。
毎回のゲストを交えて、飲兵衛三人が三軒ほどハシゴして、酒の席での世間話(人生論?)をしながらただひたすら飲むだけの番組でした。時には、ゲストを無視して先に酔い潰れて爆睡・・・。何じゃこりゃ!と、最初は唖然としました。
・・・が、これが実に面白かったし、出て来る酒のつまみもイイ。
一応、(酔っても)放送コードのTPOをわきまえつつも、演出無しで言いたい放題、飲み放題。そこがイイ。理屈っぽくなったり、怒りっぽくなったり、自説を曲げなかったり・・・。「飲兵衛なんて、みんなこうなんだ・・・」。
「人の振り見て、我が振り・・・」ではありませんが、でも“真面目に”トコトン飲めるのは、ホント幸せそうで、時々唖然としつつも、実に微笑ましく感じます。酔客の時に理屈っぽいのが、信州人には例えシラフでも合ったのかもしれませんが・・・。何とも不思議な番組でした。
常連さんが、落語家の春風亭一之輔師匠か俳優の山崎樹範さんで、聞き上手役(結構突っ込んでますが)。そして、エッセイストの坂崎重盛さんが不良隠居のご意見番(この方、何とジ・アルフィーの坂崎幸之助さんの叔父さまとか)や、あっけらかんと飲み過ぎて良く潰れる、酒場の本「古典酒場」の編集長という倉嶋紀和子女史が交替で相方を務められました。このコンビに毎回一家言ありそうな酒好きのゲストが絡む・・・という構成。
かくして、強制適用休肝日の月曜日と火曜日は、翌水曜日からのお酒を愛おしく想いながら(我慢、我慢)、お酒の番組を視ては涎を垂らしつつ?静かに?夜が更けていきます・・・と、残念ながら、ここで最後のゲストにお馴染みの吉田類さんを迎え(皆さん飲兵衛仲間らしく)、銀座の路地ではしご酒をしたところで、最終回となりました。休肝日の居酒屋番組が一つ減って、多少は心穏やかな夜を過ごしています(ヤレヤレ・・・)。
今年の松本の桜は、早く咲いた割には、開花後の“花冷え”で意外と長く楽しめましたが、お城を始め、里の桜が散った4月中旬。
長女夫婦が「アルプス公園の桜が見たい」と言っていたので、久し振りの彼らの帰郷を楽しみにしていたのですが、忙しくて帰省出来なくなったとのこと。残念ですが止むを得ません。
アルプス公園は、例えば松本駅からだと車で15分で行ける、総面積71haの広大な公園です。都市公園ですが、城山々系の標高800m程の高台にあるため、桜の開花が市内でも10日程遅れ、園内に500本というソメイヨシノがちょうど見頃を迎えています。
ここからは安曇平越しに北アルプスの眺望も素晴らしく(アマチュアカメラマンの撮影ポイント)、市街地にありながら高原の様な風情もあって、観光的にもちょっとした穴場です。
また、子供のための遊戯施設や小動物園、広い原っぱ(お年寄り向けのマレットゴルフコースも)などもあるので、家族連れにも最適です(自然博物館とコースター以外は無料)。
我が家からは車で僅か数分。謂わば我が家の裏山で、昔は県の種畜場があって、(昆虫採集などで駆け回った)子供の頃の遊び場でした。その後、種畜場は塩尻市郊外の東山々麓へ移転し、牧場などがあった広大な跡地が40年ほど前に市に払い下げられて公園として整備され、その後H19年に現在の広さまで拡張されました。園内の桜の古木(旧道沿い)は、その種畜場時代から植えられていたソメイヨシノです。
桜はちょうど満開でした。ソメイヨシノ以外にも、八重やシダレザクラ、山桜も植えられています。コブシの白い花も見事です。
薄曇りでしたが、幸い、いつもの場所からは常念岳も望めました(気が付きませんでしたが、翌日のタウン紙に拠れば、雪形の常念坊が早くも現れたとか)。昼頃になると、最後のお花見を楽しむ家族連れなどで、広い園内も一杯になるのでしょう。
松本の市街地では、これが最後の桜です。
先週末、4月18日の土曜日。
長女夫婦が帰省して来たら、連れて行ってあげようと思っていた上田の塩田平。結局忙しくて来られなくなったので、奥さまを誘って二人で行くことにしました。毎日の通勤路です。
奥さまがずっと気にしていた芝生の草取りを、午前中に終わらせてから出発です。
最終のお目当ては、“花の寺”とも呼ばれる前山寺の“くるみおはぎ”ですが、その道中は、春の“花街道”とでも呼べるほどで、この時期は、里よりも少し遅い桜がちょうど満開を迎えています。
目的地の前山寺周辺にはお薦めのレストランとかは無いので、ちょうど昼時間に掛かったこともあり、前回(第931話)生島さま(生島足島神社)への初詣の際に初めて入って好評だった、鹿教湯の国道254号線沿いにある「十割そば 奈賀井」へ寄って食べて行くことにしました。駐車場は県外車でほぼ満杯。休日に通ることはありませんが、なかなかの盛況です。奥さまは前回同様に、更科、挽きぐるみ、田舎の三色そば(1400円)、私メは今回挽きぐるみを大盛り(860円+430円)で。お正月に比べ、消費税分(+3%)が上乗せされて少し値段が上がっていました。しかし、前回に比べて肝心の味が・・・。こちらは全て十割の筈なのに、蕎麦の風味がありません。奥さまは半分残して「もうイラナイ」とのことで、私メが全ていただきました。
うーん、何が違うのだろう。玄蕎麦か、時期か、はたまた打ち方か・・・?。
途中、独鈷山登山口にある「千本桜の里」へ初めて寄ってみました。
通勤時に手書きの案内板を見て気になっていたのですが、何でも地元の宮沢地区が桜の苗木のオーナーを募って、里山の一角に1000本近くを植えたのだとか。
何とも素朴な手書きの矢印に従って、すれ違いも出来ない細い道を訝しがりつつも上って行くと、山の斜面に一面の桜が。どの木の根元にもオーナーのお名前(都内の方が意外と多い)を記した立札が。まだ若木ですが、あと20年近くもすれば見事な桜になることでしょう。
平井寺トンネルを抜けると、道沿いに見事な桜並木が拡がっていて、上の方がちょうど満開。大好きなカラマツの芽吹きも始まっています。
空海ゆかりの独鈷山の懐に立つ、真言宗智山派独鈷山前山寺(ぜんさんじ)。“花の寺”とも呼ばれ、この時期は桜。ピンクの濃い紅シダレ、ソメイヨシノと鮮やかです。予約した名前を告げ、本堂横の庫裏へ。
午前中は川崎のお寺さんの御一行でてんやわんやだったそうですが、午後2時、広いお座敷にポツンと我々二人だけ。いつも通り、コクのある鬼グルミのタレを敷いた上にモチ米でついたおはぎが二つ。シソで巻いた梅漬けと香の物、ほうじ茶も一緒に供されます(750円。別途入山料200円が必要です)。お蕎麦を食べなかった分、おはぎは全部奥さまへ。伺ったのは一昨年の秋以来(第806話)。
その年末の葬儀以降、無理をお願いして三度ほど法事用に大量の梅漬けを注文させて頂いたのですが、予約の名前を聞いて思い出されたのでしょう。お寺のお嬢さまか、わざわざ挨拶に来てくださいました。この日も、好評いただいた方々へのお土産に家内が買って帰ろうとしたのですが、予想以上に出てしまって、お寺でくるみおはぎと一緒にお出しする分しかもう残っていないとのこと。
「頑張って、今年はもっとたくさん漬けますので・・・。」
梅雨の名の通りに6月頃収穫し、梅が漬かる8月くらいが、一番フレッシュで美味しいそうですので、その頃になったら、また会社帰りにでも買いにこさせていただくことにしました。
庫裏の座敷からは中庭越しに塩田平が一望出来ますので、障子を開けられて、固い殻を割って実を取り出すのが大変な鬼グルミのことなど、暫しお話しいただきました。
ここまでは拝観の喧騒も聞こえず、塩田平を借景に静かに時が流れています。いつ来ても心が落ち着きます。
「そうだ、前山寺は写経も出来るんだった。リタイアしたら、来てみようかな・・・。」
“未完成の完成塔”と云われる重文の三重塔も見事ですが、秋の紅葉だけではなく、春の桜、初夏の藤、そして牡丹や紫陽花なども見事だそうで、お寺のH/Pには季節毎の花のカレンダーが掲載されています。絶対のお薦めは、やはり“花より団子”ならぬ自家製の名物“くるみおはぎ”(今のところ、我がイチオシの“上田グルメ”です)。それ故、せっかく来られて拝観だけで帰られては、“勿体ない!”の一言。ただ、法事等で対応出来ない日もあるそうですので、事前に電話予約をされてから行かれた方が良いでしょう。
“花も団子も”、どちらも見事な“信州の鎌倉”塩田平の古刹前山寺です。
せっかく塩田平まで来たので、生島足島神社にも参拝してから、一路松本へ。
奥さまのお友達が今年も何度か持って来てくださった、ご親戚がやってらっしゃる穂高のワサビ田のワサビの茎(花)とワサビの芋、そして清流に自生しているというクレソンとフキノトウ。たくさんいただきました。
お嬢さんに「馬じゃないんだから・・・」とたしなめられたそうですが、年を取ると草食系になりますので、有難く“馬並みに”頂戴しました。
ワサビの“茎”は、最初はまだ花があまり咲かないからと、茎を切って。そして、三度目は米粒のような白い花が一杯に咲いていて、これで今年の分は終了とのこと。一緒に、その根っこの“芋”も持って来てくれました。
ワサビは、花を咲かせたままにしておくと実に養分が回って根が太らないため、栽培農家では必ず花を摘む(茎を切る)必要があるのだそうです。そして、これが「ワサビの花」として、地元のスーパーなどに出回り、春ならではの食材として地元で珍重されています。
クレソンは湧水が絶えず流れる穂高ならではで、冬も枯れないのでしょう。春先故とても柔らかで瑞々しさで一杯です。また、私メが水耕栽培で育てているのを知って、根付きのクレソンも一緒に持って来ていただきました。
フキノトウは、我が家のリンゴ園の隅にも毎年出るのですが、今年はその場所に冬に抜根したリンゴの根が積まれているので諦めていました。
ワサビの“芋”は、手入れがされた栽培用ではなく、ワサビ田の端に自然に生えてくる“天然物”なのだとか。そのため、小さくて売り物ではないそうですが、辛味は栽培している物より強くてビックリ。卸して刺し身と別の日にたくさん卸して古城そばの薬味にして。また、刻んで酒粕にまぶして、ワサビ漬けにもしてくれましたが、こちらもその辛いこと、辛いこと・・・。
どれも、酒の肴として暫く楽しめそうです。
安曇野の春の息吹を感じながら、北アルプスからの雪解け水で育まれた“春の恵み”を存分に味わうことができました。
3月末の土曜日。日帰りで東京へ。
奥さまは先に娘の所に行っていて、東京で合流し、ワンルームでクローゼットスペースが少ないため冬物の衣類を車で持ち帰って来ます。
奥さまは別件があることから、その間を利用して六本木のサントリー美術館へ。3月18日から5月10日まで、「生誕300年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展が開かれています。最近若い人に人気という色鮮やかな花鳥や動物画の伊藤若冲よりも、むしろ見たいのは与謝蕪村。
この時期であれば、「菜の花や 月は東に 日は西に」とか、「春の海 ひねもす(終日)のたり のたりかな」で知られる俳諧の巨匠ですが、一方では俳画の創始者であり、また池大雅と共に江戸時代の文人画を代表(日本南画の大成者)する画人として、国宝や重要文化財指定の作品も多い“天才絵師”でもあります。
画風の全く異なる若冲と蕪村が、1716年生まれの同い年ということを初めて知って驚きましたが、後年、二人が京都四条烏丸界隈(半径200m以内とか)に暮らしていたことも初めて知りました(但し、共通の知人はいたが、二人が交友したという記録は今のところ見つかっていないとのこと)。
今回の展示は、その二人の絵師としてのスタートから生涯までを幾つかのステージに分けて、影響された(と思われる)他の絵画作品も参考に見比べながら、見て行く順番にその変遷が分り易く展示されていました。
やはり目玉は、ポスターにも用いられた若冲の「像と鯨図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)と重文指定されている蕪村の「鳶・烏図」(北村美術館蔵)。そして、昨年92年振りにその所在が確認されたという蕪村の「蜀桟道図」(シンガポールの現地会社所蔵)、同じく2008年に京都の町屋で新たに発見されたという「山水図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)でしょうか。
個人的には、強風に向かって雄々しく立つ鳶を、尊敬する芭蕉に例え、吹き付ける雪にじっと耐える烏に蕪村自身をなぞらえたという「鳶烏図」に孤高の俳人を見るようで、大変心惹かれました。
また、六曲一双の「山水図屏風」は、珍しい銀箔を貼った屏風に描かれていて、金箔の華やかさとは異なり、渋さと共にむしろ自然界の圧倒的なスケールを剥ぎとったように感じます。こちらは、それ程の人だかりも無く、近くの階段から少し見下ろすような感じで全体を俯瞰しつつ、じっくりと鑑賞することが出来ました
当時、低俗化していた俳壇に対して写実中心の「蕉風回帰」を唱え、また奥の細道に憧れて自身放浪の旅をしたという与謝蕪村。
大海のような自然描写と一方でのどかさも感じる俳句や俳画に対し、「鳶烏図」や「山水図」の俗世の虚飾を捨てた孤高の強さと厳しさに心打たれ、暫し(留まって人波の邪魔にならぬよう、列の背後から、或いは階段から)見入ってしまいました。目の保養をし、またパワーもいただきました。
今年は全国的に暖かく、ここ松本でも、お城の桜は例年より早い4月4日に開花宣言が出され、3日ほどで320本の桜が満開になったそうです。
恒例の「松本城桜並木光の回廊」と名付けられた外堀の桜のライトアップは、7日から16日まで。この間、本丸庭園も夜間無料開放され、月見櫓では琴などの演奏が行われています。僅か数日早く咲き始めたヒガンザクラも、今年はソメイヨシノと競演でした。
8日の朝起きてみると、あろうことか、薄らと雪化粧で1㎝ほどの積雪。
調べてみると、2013年には4月の21日に3㎝ほどの積雪があり、また2010年には4月17日に7㎝の積雪があって、この時期の積雪は30年振りだったそうです。どちらも、遅れ気味の桜が咲いた後だったのですが、今年も同様に、桜の花に雪が被さっていました(写真は母屋のヒガンザクラです)。
しかし、いくら寒の戻りとはいえ、花冷えどころか雪とは・・・(何と、都心や千葉でも降雪が観測されたとか)
「何も“雪月花”の雪と花(桜)が一緒にならなくても良いのになぁ・・・」
と思ってしまいます。“春の淡雪”と言えば風流ですが、この日の松本は最低気温が1℃だったようで、寒くて凍えそうでした。でも、これで少しでも咲いている期間が延びるのであれば、桜の花は寒そうですが、花を愛でる側にとっては咲いている期間が一日でも延びるのは有難いことです。
そして、12日の日曜日。図書館から統一選挙の県議選の投票所に向かう途中、お城の北側のお堀端を通りました。開花宣言(4日)後3日程で満開になったはずですが、その後の“花冷え”もあって、一週間近くも満開のまま。観光客の方々も含めて、お城はかなりの人出でした。地元紙によると、山全体が4千本という桜で埋まる弘法山も、この12日に(日曜日に合わせて)満開宣言のイベントが行われたとのこと。
東京は、あっという間に散ってしまったようですが、寒の戻りで、松本では思いの外長く桜が楽しめました。
昨日から雨模様。母屋横のヒガンザクラも、昨日いよいよ散り始めていましたので、これで“花散らしの雨”になってしまうのでしょうか(最後の写真は、今朝ナナの散歩で行った蟻ヶ﨑児童館の桜。昨日の雨で散り始めていました)。
『世の中に 絶えて桜の無かりせば 春の心はのどけからまし』(在原業平)
『花見にと 群れつつ人の来るのみぞ あたら桜のとが(咎)にぞありける』(西行法師)
桜・・・どの花もオンリーワンとは言え、何とも罪深く、そして幸せな花です。
三月の春のお彼岸。
今年は春分の日が土曜日だったため、通常と同じ土日休み。
その土曜日に、今年も奥さまのご要望で芝焼きをしました。この冬は、降雪回数は多かったものの、昨シーズンの様な大雪は無かったので、既に雪も全て消えています。昨年は雪が消えて芝生が乾いた4月上旬での芝焼き(第845話参照)でしたが、今年はそのため3月中に実施することが出来ました。
園芸店の方に寄れば、芝焼きは(大変なので)必ずしも毎年実施しなくても良い(せめて3年に一度はした方が良い)とのことでしたが、病害虫や雑草対策(産み付けられた卵や、落ちたり風に乗って飛んで来た種子の焼却)を考えれば、するだけの効果はあるので、毎年するに越したことはありません。
今回も、エアコンの室外機や庭木の周りに火が回らぬように散水した上で、風向きを考えながら端から火を着けて一度焼いた後、熊手でサッチを搔き出して二度焼きをして、一時間半で終了。一昨日、久し振りの雨が降ったため少し乾きが甘いようで、場所によってムラが出来ましたが、ま、イイか。
若草山の山焼きではありませんが、これで我が家の庭にも春が来たようです。ここで芝焼きから三週間ほど経って、大分芝が青々してきました(写真は4月9日の様子)。
先日、東京からのツアーに参加した折、前泊が必要だったため、(娘が不在では泊まるのが憚られ)羽田空港近く大鳥居のホテルに泊まりました。
その日の夜、娘たちは不在や仕事で都合がつかなかったので、我々だけでJR蒲田にある「活」という回転寿司に行くことにしました。
2年近く前でしょうか、それまで松本で時々行っていたお寿司屋さんが、値段が上がったこともありますが、それ以上にネタの質が落ちてがっかりし、その後松本でお寿司を食べることが無くなったので、久し振りにお寿司を食べたいとの希望で一致。
途中、いつもの新宿駅地下の回転寿司「沼津港」で食べて行こうかとのことでしたが、旅行用のスーツケースがあっては落ち着いて食べられないので、先にホテルにチェックインし、荷物を置いてから出掛けることにしたものです。
京急蒲田からJR蒲田へは電車だと接続が不便なので、バスで行く方が良いとのこと。
この「活」という店は、JR蒲田の駅ビル(グランデュオ蒲田)内にある回転寿司ですが、梅丘の「美登利寿司総本店」が渋谷(マークシティ)にも支店があり、そこは長女が連れて行ってくれた評判の行列店。その「美登利寿司」の運営する回転寿司が「活」(回し寿司活美登利)という名前で営業しているのだとか。奥さまは次女と既に行ってのお薦め店の由。
回転寿司ですので、ネタは「美登利寿司」より少し小さ目でしょうか。新宿の「沼津港」に比べても同様ですが、品数が多く、バラエティに富んでいるのにはビックリ。例えば、炙りも色々なネタで用意されていました。家内は娘と来た時に、いつもは生で食べないホタテを炙りで食べて大変美味しかったのだとか。
30分程の待ち時間を利用して、同じフロアにあった書店で旅行中に読む本を物色して購入(こんな所にも、結構大きな本屋さんがあって羨ましい限り)。漸く自分たちの番になり、この日はホテルに戻って寝るだけですので、ゆっくりと飲み、また食べることが出来ました。
コハダ、しめ鯖、アナゴ、エンガワ、トロ、中トロ、ヒラメ、炙りホタテ、炙りイワシ、タマゴなどなど・・・。
どれも新鮮で美味しくて、やや小ぶりだったせいもあるにせよ、我々からすると珍しく17皿も食べたのは多分初めてでは?・・・。
個人的に一番美味しかったのは、今が旬なのか、脂が載った炙りイワシ。とろけるようでした。成田空港に次女が勤務していた時の「江戸ッ子寿司」で食べた、イワシを思い出しました(あちらでは生ですが)。もう成田に行く機会はありませんが、代わりにこの炙りイワシで十分に満足です。
当然ながら、勿論私メは生ビール二杯と冷酒もいただいて、二人で〆て6千円也。新宿だと最低でも9千円以上だそうですから、こちらの方がコスパは良いようです。
「あぁ、旨かった!ウン、満足、満腹!」
それにしても、イイなぁ、都会は・・・(といつもながらの感想です)。
「あのさぁ、京急で三崎へ行けるよね。今度、三崎港へマグロを食べに行ってみない?」(年を取ると、やっぱり肉より魚なのでしょうか?)
【追記】
先日も日帰りでの土曜日の夕刻行ったら、(松本へ夕刻帰るので早めの)5時過ぎだというのにもう長蛇の列が出来ていました。
結局、カウンターに案内されるまでに小一時間、50分近くを要しました。今回は時間が無くて昼抜きだったので、(運転して帰るため)ノンアルコールビール込みで、二人で20皿!と最高記録更新。帰る頃には、外の行列は折り返し・・・。凄いですね、週末は軽く1時間待ちのようです。
“シンガポール建国の父” リー・クワンユー氏が3月23日、91歳で亡くなりました。
勿論、直接お会いしたことはありません(赴任中の大統領だったウィー・キムウィー閣下には一度お目にかかり、握手をしていただきました)が、シンガポールに6年半、その地で暮らさせてもらった身としては実に感慨深く、海外のトップリーダーの中でも(心情的に)一番身近な存在でした。
赴任中、ちょうど長年務めた首相を引退してゴー・チョクトン氏に首相を譲り、上級相に就かれた頃でしたが、“建国の父”として院政とも揶揄された影響力を持ち続けて来ました。
時にその統制・規制の厳しさから“警察国家”と揶揄されましたが、いつ沈んでも不思議ではない、大海に浮かぶ小舟の様な頼りない島国を導くためには、常にそうした危機感を持って、なりふり構わぬ独裁的な統制が必要だったのでしょうし、またそうしなければ今のシンガポールの繁栄も成し得なかったに違いありません。
内には統制を強めつつも、外に対しては実に“機を見るに敏”で、外資にとって魅力的な開放政策を次々に導入し続けた結果、今やグローバルカンパニーの殆どが、アジアパシフィックの地域本社機能を日本ではなくシンガポールに置いています。国語はマレー語ですが、コモンウェルスの一員とはいえ、英語を共通語として学校教育を進めたことが、世界のビジネスの中心地足らしめた先見性であったのでしょう。
しかし、経済政策だけではなく、若者の道徳心の低下を心配し、儒教教育の重要性を説いた一面もあったと記憶しています(赴任中、老人の手を引く若者や、妊婦や幼児に席を譲る若者は、日本より遥かに見慣れた光景でした)。
氏は、中国民族の中でも流浪の民である客家の出身と云われ、同様に鄧小平、李登輝と共に、客家出身の三大政治家と駐在中に聞かされたように思います。
因みに、弁護士だった夫人もケンブリッジへの同じ留学生で、氏よりも優秀だったとは氏本人の弁(但し、氏もケンブリッジを首席卒業の筈)。
氏は、戦時中、日本軍によりチャンギの海岸での処刑へ連行される寸前のところを収容所から運よく出られたと聞きました(真偽は確認していませんが)が、マハティール氏の“Look East”同様に、その日本の成長を範として国民を鼓舞し続け、また相手が大国であれ(小国故問題にならなかったかもしれませんが)主張すべきは歯に衣も着せずに堂々と主張した政治家でした。引退後もアジアのオピニオン・リーダーでした(写真は、帰国時に赴任先のスタッフから記念にプレゼントされた、氏の写真集です)。
今や、国民所得(GNI)で日本を遥かに抜き去って世界3位というシンガポール。
小国故、泳ぎを止めたら生きられないカツオなのか、「衣食足りて礼節を知る」べきなのか・・・。
氏の晩年の言動を知りませんが、もし現役だったら何と言われるのか・・・。シンガポールに一時とはいえ暮らした身としては、大いに興味があります。これからのシンガポールに必要なのは、個人的には“心の(も)ゆとり”だと勝手に思うのですが・・・。
慎んで、偉大なるリーダーへ哀悼の意を表します。
クラブツーリズム「伊勢神宮・出雲大社・安芸の宮島と瀬戸内海ワンナイトクルーズ」二泊三日の旅、三日目。
最終日は、泉大津港で待っていたバスに乗り、大阪から奈良県を横切り、三重県の伊勢市へ向かいます。途中伊賀上野で休憩しての3時間の行程。朝から雨模様で、途中生駒山系を抜けて三重県に入る辺りでは一時雪に変わりました。
平成25年に、20年に一度という式年遷宮を終えたばかりの伊勢神宮。
天照大御神を祀る、日本人にとっての総氏神とされ、ご神体は三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)。
因みに、伊勢神宮というのは、内宮と外宮を合わせて伊勢神宮(通称)であり、全国5000千社の神社の頂点(本宗)として、正式名称は単に「神宮」(神宮と言えば伊勢神宮を指す)だそうです。
崇神天皇が夢に現れた天照大御神のお告げにより、ご神体である八咫鏡を皇居の外に移すように命じられ、倭姫命に命じて場所を探させ、幾つか場所(元伊勢)を移しながら、最終的に崇神天皇の時代の2000年前にこの伊勢の地の五十鈴川の畔に宮を建てられたのが始まりとか。また、20年に一度行われる式年遷宮は、天武天皇が命じられ、持統天皇の代から始まり、一昨年が第62回目。周辺にある宮域林だけでは足りず、国有林の木曽のヒノキも使われています。20年毎の遷宮では、内宮・外宮の域内にある摂社・末社などのお社125社の建物全てが建て替えられ、使われるヒノキの柱は12000本。また遷宮に合わせて、正宮を飾る装束なども全て新調され、総費用550億円(浄財や寄付などで賄う)とか。なお、古い柱は宇治橋の架け替えや別の縁の神社などで全てリサイクルされるのだそうです。
しかし、どうして都から遠く離れたこの伊勢の地を選ばれたのでしょうか?
内宮・外宮とも唯一神明造りと呼ばれる弥生時代の高床式倉庫に似た独特の建物です。参拝の案内通り、皆さん鳥居で一礼をしてから参道を歩き(外宮は左側通行)、手水で清めてから正宮に参拝。こちらはニ拝二拍手一拝。なお外宮、内宮とも「私幣禁断」とされ、お賽銭箱がありません。特に衣食住を司る外宮は何かをお祈りする場ではなく、日頃の衣食住足りていることに感謝する場なのだとか。外宮の参拝を終える頃には、幸い雨も上がりました。
その後、外宮から6㎞離れているという内宮へバスで向かいます。
広い駐車場には数十台の大型バス。壮観です。
内宮(皇大神宮)は、五十鈴川のほとりにあり、やはり鳥居で一礼し、その五十鈴川に掛かる宇治橋を渡って神域に進みます。こちらは右側通行。
参拝される中には、五十鈴川で禊をしたという古式に則って、河原で手を清めて行かれる方もおられましたが、我々は手水舎で清めてから参拝。
それにしても、鉾杉と呼ばれる参道の杉並木は樹齢1000年以上と云われ、木々にも神が宿っているかのような感じがします。外宮もそうですが、一面の玉砂利の上に建てられた正宮は独特の雰囲気。また古殿地と呼ばれる遷宮により空き地になった区域も神秘さを湛え、一帯は古代(神代?)がそのままそこに現れたかのような錯覚を覚え不思議な気持ちになります。
内宮で言えば、5500haと云う広大な敷地で、93haの神域は禁伐林とされ、残りは遷宮のために使われる木材等のための宮域林なのだとか。そのため、境内一帯が神秘的な太古の姿を留めているようで、“日本人の心のふるさと”という謳い文句も、その場に実際立つとあながち大袈裟ではないと感じさせられます。流行りの云い方を借りれば、神が宿る“パワースポット”ということなのでしょうが、間違いなく“気”に満ちています。お社や巨木の他にも、注連縄で囲まれた外宮の三石、内宮の四至神といったパワースポットも点在しています。とりわけ、三石は手をかざすと、何だか痺れるような感じがして、確かに気が満ちていました。
最後に神楽殿でお守りを買い求めてから、鳥居前から続くおはらい町通りへ。
先ずは、事前に頼んであった団体用の昼食を岩戸屋でいただきました。伊勢名物という「てこね寿司」と「伊勢うどん」のセット。寿司はマグロのづけ、この地のうどんは、確かすぐに参拝客に出せるようにと長時間茹でておくという通り、太麺の柔らかい(腰の無い)うどんで、濃い目の甘じょっぱいタレを絡めていただきます。好き嫌いが分れるそうですが、個人的には伊勢うどんも美味しかったです(艶も腰も無く伸びきっていて食べ残した、金比羅宮での“讃岐うどん”よりも遥かに美味。同じ作り置きせざるを得ない団体客向けでも、こちらの調理法の方が団体用には向いています)。
昼食後は、おはらい町通りを散策。遷宮の時程の混み具合ではないそうですが、週末だったこともあり道一杯の人出。おかげ横丁入口にある「赤福本店」で出来立ての赤福を(テーブルは無く、畳の座敷に上がって空いたスペースに座って)いただきました。一皿にお茶と赤福三つで290円。店内は香ばしい番茶の香りに満ちていて、出来立ての赤福餅は柔らかくて、売店で買ったものとは一味違う美味しさ。そういえば、学生時代、京都駅でいつもお土産に買って帰ったのを思い出しました。ここでお土産用の赤福を購入して、おはらい通りを散策しながら戻りました(通りの入り口にも「赤福」の分店がありますが、本店の方が雰囲気があります。但し、分店の方がすいています)。
伊勢神宮を後に、最後に夫婦岩で有名な二見ヶ浦を見学して、ツアースケジュールは全て終了。一路名古屋駅に向かいます。
途中亀山で10㎞の事故渋滞に遭遇し抜けるまでに1時間掛かりましたが、何とかギリギリ発車10分前に到着し、予定の新幹線で東京方面へ。
出雲大社と伊勢神宮の両参りは、特に天照大神が嫉妬すると聞きましたので、出雲は次女の、伊勢神宮では長女夫婦と分けて、お願いをしてお守りを購入しましたので大丈夫でしょう。
今回は(も?)ちょっと欲張りなツアーで、駆け足の部分もありましたが、当初の目的も達せられ、私たちも十分楽しむことが出来ました。
こうした団体ツアーは、口コミ的には好不評双方あるようですが、それは多分添乗員の方次第。幸い、私たちがこれまで参加したクラブツーリズムでのツアーは、添乗員(今回初めて男性の方でしたが、バスでの移動中も居眠りすることもなく、最後の突発的な事故渋滞の対応も含め一生懸命でした)とガイドの方(今回のガイドさんは、最初「えっ?」と思うほどのお年を召したガイドさんでしたが、例え年の功にしても、出雲神話の神々や名所旧跡に至るまで、ホレボレするほどの知識。感服しました)に恵まれ、どのコースも気持ち良く最後まで旅行することが出来ました。確かに、前に一度だけ道後温泉でヒドイ宿(前泊が良過ぎた)がありましたが、皆でツアーの最後に記入するアンケートで酷評したら、次のツアー案内では旅館がしっかり変更になっていました(添乗員の方のお話では、不満な部分があったらキチンと指摘した方が、その後のコースの改善に役立つので有難いとのこと)。
また、これまで参加したツアーはリタイア組の高齢者のご夫婦が大半でしたが、今回は、3月に縁結びのスポットを回るコースということもあってか、卒業旅行を兼ねた若い女性グループが半分近くおられ、添乗員の方も驚いていました。
品川駅で皆さんとはお別れし、新宿駅地下でいつものお寿司屋さん「沼津港」で折詰にしてもらい、最終のあずさには間に合いませんので、予定通り高速バスに乗車して無事松本へ帰ってきました。
「おぉ、さぶっ!」