カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 何年か前に長女がお掃除ロボットのルンバを購入し、その良さを絶賛するものですから、我が家の奥様も「私も買おうかな?」とずっと言っていました(都度、私メは聞こえぬ振りをしていました)。
長女夫婦は共働きですし、お互い出張や仕事で休日出勤する時もあるので、そういう家庭なら家事の助けになるお掃除ロボットは大いに賛成ですが、我が家の場合は・・・(毛が抜けて大変だったチロルも居なくなっちゃいましたし)。

 先日、最新モデル(880)ではありませんが、一世代前のモデル(780)が通販で4万円以下(付属品がサービスされますが、消費税と送料込では45000円弱)とのチラシと新聞への全面広告があり、遂に奥さまが、
 「これ、買っちゃおうかな・・・?」。
 「でも、ナナに攻撃されてすぐに壊れちゃうじゃないの?」
・・・と一応異を唱えると、
 「今なんて、お掃除しているルンバに乗ってる“ルンバ犬”がYouTubeに一杯 投稿されてるくらいだから大丈夫よ!」
 「はぁ、左様ですか・・・?」
・・・ということで、早速ご注文と相成りました。

 マニュアルと睨めっこの後、使われ始めた奥さま。
一階のリビングダイニング、二階ファミリーコーナーと寝室。ルンバは思った以上に大きいのですが、設定に沿って掃除を進めて行きます。ナナにもルンバ犬デビューを期待したのですが、ソファーに載っているので身の危険も感じないためか、“我関せず”とあまり興味は無さそうなご様子。
コーナーやソファーにぶつかりながら、自分で境界を認識し向きを変えて掃除を進めるのですが、一階はともかく、二階で掃除をしていると、ルンバがガツン、ゴツンと壁やソファーにぶつかる音が聞こえてきます。
 「ちょっと、大丈夫?見ておいでよ!」
 「ぶつかりながら、自分で位置を確認しているので大丈夫だってば!」
良く知らない私メは気が気ではありません。
しかし、ぶつかりながらも一生懸命働いているルンバ君が実に健気で、何だか可哀想に感じるのは私メだけなのでしょうか?

 どうやら、ルンバを使いこなすには、マネジメント能力に長けた人(ご主人を自由に顎で指図して仕事をさせたり、少々危なっかしくても部下に任せ切れる人)でないと無理だと悟った次第。
私メは、ヒヤヒヤして見ているくらいなら自分でやった方が楽だと思うタイプなので、ルンバを使いこなすのは無理でしょう。
そうしたタイプの方(奥さま方?)には、ルンバは大いにお薦めだと思います(ハイ)。
【追記】
先日などは、午前中の来客とのことで、出勤前から活動を開始し、ルンバ君に「邪魔だから、早く会社へ行って!」とばかりに追い立てられてしまいました・・・トホホ。
そこで、「サラリーマン川柳」風に一句・・・、
『 “粗大ゴミ” ルンバにまでも 邪魔にされ 』(オソマツ)

 植え替えでリンゴの無い我が家を気遣って、奥さまのご友人からリンゴのお裾分け。時期的に少しぼけ始めていたので、「さて、どうしようか?」
捨てるのも申し訳なく、料理に使うことにしました。
最近、タイカリー三昧でしたので、ここは久し振りに日本的なカレーを作ることにして、その中に“♪リンゴとハチミツ”ではありませんが、甘口で年寄でも食べられる筈ですので、すりおろしリンゴとして加えることに。

 奥さまが上京して不在の日。会社からの帰りに食材を買って帰宅し、奥さまが“罪滅ぼし”で用意して行ってくれたおでんで夕食を済ませた後、調理開始です。
 鶏モモ肉と手羽元に、何となく(チキンカレーには合いそうな気がして)ヨーグルトも買って、タマネギ、ニンジンなどの家に常備の野菜と、同じく買い置きのカレールーを使ってチキンカレー(今回はカリーではありません)にしました。先ずモモ肉の鶏皮だけを炒めて(ナナ用に)取り出し、その油を使って野菜と鶏肉を炒めます。水の代わりに(何となく)トマトジュースを投入。リンゴは小さかったので2個すりおろし。スーパーの売り場にあったプレーンのヨーグルトが大き過ぎたので小さな容器にしたのですが、プレーンが無く「低糖」との表示。うーん、リンゴも入るので甘過ぎるかも・・・。ま、イイかぁ~(と男の厨房のイイ加減なところです)。最後に家にあったカレーのルーを入れて、弱火で暫く煮込んで、一旦完成。

一昼夜鍋にそのまま置いて味が馴染んであろうことから、翌日の夕食へ。さて如何に・・・?
「うう、マズっ!」というか、甘過ぎ・・・でした。やっぱり、リンゴに加え、更に(低糖とはいえ糖分の入った)ヨーグルトでは多過ぎたようです。しかも、トマトジュースとヨーグルトのコンビネーション故か、何となく色もオレンジというよりもピンクっぽくて視覚的にも美味しそうに見えません。一応、食べられはしましたが(何となく甘めのハヤシライスに似た味わい)、さてどうしよう・・・?
奥さまがお帰りになるまでに、何とか(食べられるように)しておかなくては・・・!
 そこで、翌日の会社帰りに近所のスーパーで物色すると、固形のカレールーがたくさん並んでいた棚に、昔懐かしい?赤い缶のSBのカレーの粉末を発見。そこで、一番小さな缶を購入し、味を調節してみることにしました。
二日間にわたり、少しずつカレー粉を加えて、焦げ付かないように弱火で時々かき混ぜながら煮込んでみました。その結果、残念ながら甘味は消えないものの、色と味は結構カレーっぽくなってきました(かき混ぜすぎて、鶏肉が崩れてしまいましたが)。フム、これならイイかも・・・。(写真のカレーは改良後です)
ところが、奥さまからはダメ出しで、カレーパウダーには塩分が入っていないので塩気が足りないとのこと。ご自分で(醤油で!)調整されて、ある夜の食卓に上りました・・・トホホ。

 H/Pとブログを登録している「マツアズ」では、カレンダーイヤーの1年間の日・月毎のアクセス(統計)分析が出来ます。
従って、今時点で確認できるのは2015年の1月分ということになりますが、1月は、月単位では1万7千件という恐らく過去最高のアクセスでした(本当にありがとうございます)。
そうした中で、過去の記憶でも、また現時点の分析結果からも、これまでアクセスの一番多い個別記事は、第793話の「ソファーのずれ防止固定グッズ」の記事でした。例えば、昨年は13万件というアクセスをいただきましたので、月平均1万件で毎日300件以上ということになりますが、印象では、毎日20~30件、「ソファー固定」とか「ソファーのずれ防止」というキーワード検索から、見知らぬ方が この記事にアクセスいただいていました。因みに、1月度は合計1125件でした。
勿論、本ブログを定期的に愛読いただいている方は、最新記事を読んでいただいており、その数の方が圧倒的に多いのですが、その場合は古い記事にはあまりアクセスされないので、上記はネット検索した結果で個別に内容に興味を持ってアクセスいただいた件数ということになります。

 その意味で、「意外と困っている方が多いのだなぁ・・・」という気がしました。やっぱり、ソファーがずれているとイライラしますものね。
そして、専門の器具などもネット検索で見つかりますが、本来の目的外使用で、且つ安価で入手可能で、しかも効果的というのがアクセスが多い理由なのだろうと思います。
実際、私も試してみて「へ~っ!」と“感動モノ”でしたから。
元々は、奥さまが通販で購入したソファーカバーの案内書に説明されていたものですが、「もっとPRすれば良いのに!」と思ったのがブログで取り上げたきっかけでした。少しでも参考になった方がおられて、当方としても幸いです。

 最近次女と二人で行った“美食の台湾”にすっかり嵌ったという奥さま。
よっぽど良かったらしく(故宮は確かにまた行きたいと思いますが、食は香港の方が良かったような・・・)、
 「ねえ、また台湾へ行こうヨ~!」
 「オレッチは、国内でイイ。北海道に行きたい!」

 ・・・ということで、地元デパートである「井上」の経営する、山形村にあるショッピングモール「iシティー」で開催される北海道物産展のチラシが朝刊に入っていて、眺めていたら(北海道には引退後でないと行けそうもありませんので)、無性に食べたくなってしまいました。
九州や、横浜中華街などの「物産展」が地方でも時々開催されていますが、「やっぱり現地で食べなきゃ・・・」と普段は見向きもしないのに、今回だけは何となく惹かれてしまい、
「ねぇ、行って見ようか?」

 お目当ては、厚岸駅前氏家待合所の「牡蠣弁当」と本場(岡畜産とか)のジンギスカン。
厚岸海岸の牡蠣は有名ですし、ジンギスカンだと長野県の信州新町も有名(サフォークなどが飼育されていて、現地には幾つものジンギスの食堂あり)なのですが、このところスーパーに並ぶ味付け肉の肉質が昔に比べて落ちてしまい(屑肉が多くなったような)、昔は我が家でも定番だったのが、最近では全く買わなくなってしまいましたので、久し振りに本場(地元の有名店かどうかは不確かながら)のジンギスカンを食べてみたくなりました。

 山形村にある「i(アイ)シティー」は、アルウィンや空港にも近く、松本市との境界にある「井上」デパートの郊外店です。
松本駅にも程近い街中の本店はすっかり寂れてしまいましたが、車社会の田舎ではシネコンなども併設されている郊外店の方が行き易いのか、却って本店よりも混んでいます。
久し振りに来たこの日も、広い駐車場は一杯で、駐車するのに10分近くも掛かりました。本店は週末でも閑古鳥(混むのはお中元とお歳暮シーズンでしょうか。やはり「井上」の包装紙でないと・・・という地元市民多し)だというのに大したものです。

 それ程広くない催事場は人で一杯。各出店コーナーを探して歩くのも難儀するほどです。当方は、スイーツに興味は無いので(奥さまも我慢の様子)、当初からお目当ての品を探して、結局場内を二周して漸く発見。
最初に見つけた肉屋さんで、試食もさせてもらった上で、冷凍のラムとラムロースの味付け肉を500gずつと、美味しかったホルモンを500g購入。
牡蠣弁当(1080円)は、思っていたよりもずっとサイズが大きかったので、二個購入。販売されていた方のお話では、厚岸の牡蠣は、冬だけでなく年中収穫出来るのだとか。子供の頃は、天然牡蠣が、それこそ浜辺を埋める程たくさんいたのだそうです(お弁当の包み紙の図案は当時のその様子が撮影されたものだそうです)。
併せて、奥さまは隣の蒲鉾屋さんで幾つか購入。余りの混雑に“ほうほうの体”で会場から出て来ましたが、大したものだと改めて感心。物産展は、本日17日まで開催とのこと。
その日の夜。早速食べた「牡蠣弁当」は結構な量で、牡蠣だけではなく、アサリやツブ貝、シイタケの煮物も甘辛く味付けされたご飯の上に載っています。これで千円ならリーズナブル。駅弁用に味付けを工夫してあるので、温め直す必要は無いとのことでしたのでそのまま食べましたが、やはり温かい(或いは現地で出来立てを食べる)方が美味しいのでしょうね、きっと。
あぁ、やっぱり現地に行って食べたいですね。定年後にでも、レンタカーを借りてノンビリ?北海道一周でもして・・・。

 「焼肉は、子供たちが帰って来たらネ!」
えっ、それまで食べられないの・・・?(トホホでありました)。

 夜なべ仕事の際の自身への応援曲でもある、マーラー交響曲第1番“巨人”。
LPではバーンスタイン&NYP、CDがワルター&ColSO、シノーポリ&PO、オザワ&SKOと手許にあるのですが、どうしても生で聴きたくて、これまで京響、読響と聴きましたので、さすがに「当分、もうイイかな?」と、今回が最後のつもり。
 今年9月から首席指揮者に就任するパーヴォ・ヤルヴィ指揮のNHK交響楽団第1802回定期演奏会(Aプロ)。場所は、残念ながらサントリーではなくNHKホール。N響は特別公演で地方も回るので、これまで県内で3回くらい聞いていると思いますが、NHKホールで聴くのは初めてです。
指揮者目当てならCプロ(シベリウスとショスタコ)やサントリーホールのBプロ(R・シュトラウス)の方が人気は高そう(殆ど完売とか)ですが、こちらは飽くまで生の“マライチ”が目的。
パーヴォ・ヤルヴィと云えば、お父上のネーメ・ヤルヴィ(エーテボリSO)のシベリウス3番のBIS盤が手許にあるのですが、日本で云う輸入盤ですので、シンガポール赴任中に購入したCDの様です。日本でも評判となったネーメ・ヤルヴィのシベリウスは、まだその頃はそれ程知られていなかった筈なので、何故選んだのか不明。その後揃えたシベリウスのCDはバルビローリ(同輸入盤)や日本で買ったカラヤンなどで、ネーメのBIS盤はこれ一枚。そのお父上も、また来年5月の定期でN響を振るのだとか。バリバリの現役です。

 さて、今回メインのマーラー交響曲第1番“巨人(Titan)”。
昨年、フィラデルフィア管やオスロフィル等も演奏したのですが、海外オケは高いので、信州からのお上りさんとしては(往復の交通費も考えると)、国内オケ(の熱演期待)で十分(但し、インバル&都響は聴けず、5番のみ)。しかも、今回は実力的には国内トップであろうN響ですし、指揮者が次期首席のパーヴォ・ヤルヴィとなれば、保守的な(≒「無難でソツのない演奏だが面白くない」と批判されることが多い)N響とは言え、今回は大いに期待できます(筈です)ので、聴き納めに相応しい組み合わせ・・・と確信しての(ポケットマネーでの)チケット購入。プログラムは、エルガーのチェロ協奏曲。前日がソワレで、日帰りが可能なマチネは二日目です。

 午前中に娘たちと会って、NHKホールへは1時半過ぎに到着。次女が小学校の時に合唱部で出場して銅賞を獲得した“Nコン”応援以来ですので、ホールに来たのは実に18年振り。
それにしても、生憎の冷たい雨模様とはいえ、並んでいた人たちの少なさに、一瞬「えっ?」と思ったら、私メが時間を間違えていて、一時間早く来てしまいました。奥さまからは非難ゴウゴウ(当然です)でしたが、お陰さまで(ロビーでビールを頂くなど)“いつになく”ゆったりと開演を迎えることが出来ました・・・(タハ)。客席は、ご贔屓の定期会員の皆さんなのか、他の演奏会に比べて年配の方々が多いような気がします。開演時には、ほぼ満席となりました。
当日のプログラムは、前半にエルガーのチェロ協奏曲(Vc独奏はアリサ・ワイラースタイン嬢)、後半にマーラー1番「巨人」。
場所は2階席前から12列で真ん中右寄りのA席。エルガーは、ステージ上だけで音が鳴っている感じで、二階席まで飛んで来ません。抑え気味のオケの好サポートに支えられたソロも艶やかな音色の様でしたが、その良さが十分に感じられずに残念でした。昔から音響の悪さを指摘されるホールですが、紅白など自前のイベントを開催するための3500人収容の大ホールとはいえ座席も狭く、最近音響の良いホールが増えただけに、音響も含め古びて見劣りがしてしまいます。
拍手に応えてのアンコールは、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番から第4曲「サラバンド」。
 休憩を挟んだ後半は、お目当てのマーラー。
冒頭の弦楽器のA音から実に緊張感に溢れた演奏で、聴いている方も息苦しく感ずるほど。柔らかな木管群も、バンダを始めキレのあるTpパートもお見事。歌心に溢れたパーヴォの指揮は、消え入るような弱音のppと、爆発するようなffでディナーミクを効かせ、またアクセントを強調しゆったりとしたフレージングから、アッチェレランドを効かせたトゥッティまで変幻自在なアゴーギク。そして、パーヴォもオケを煽ること、煽ること・・・。しかし、大振りなジェスチャーも、ワルツでも踊るように実に優雅。アタッカで入る第4楽章もファンファーレと最後のコーダでのブラスの咆哮。オケも日頃TVなどで見慣れた(聴き慣れた)“落ち着いた”印象のN響とは思えないほどに、パーヴォに食らい付いて気合十分な熱演。正に青年のような若々しさを感じさせる演奏でした。
 「やっぱり、N響って上手いんだ!」
全くミスが無かった訳でもありませんし、最後熱演のホルンの息切れ(?)も全く気にならないほどに、感嘆符を幾つも付けたいような感動的な演奏でした。タクトが降ろされるやいなや、ウォーという唸り声にも似たブラヴォーと嵐のような拍手で客席も大興奮。聴き納め(?)の生“マライチ”に、これぞ「巨人」という納得の名演を聴かせてもらったような、そんな満足感に浸った演奏会でした。
なお、この日は、ゲストコンマスとしてRCOのコンサートマスターであるヴェスコ・エシュケナージさん(ノリントンさんの時とか、何回かTVで拝見)とのこと。
 今を時めくパーヴォ・ヤルヴィとN響の相性の良さも感じられ、この日の演奏からは、今までとはまた違ったN響の魅力を彼が引き出してくれるに違いないという、(パリ管の任期が切れたら、出来れば音楽監督として)大いなる期待感を抱かせるに十分でした。幸せな気分で、NHKホールを後に雨の上がった道を原宿駅に向かいました。

 「いやぁ、良かったなぁ・・・!」
 「あら、そうお?音が大きければイイってもんじゃないでしょ。サントリーホールのウィーンフィルの方がよっぽど良かったけどナ・・・」
どうやら、冷たい雨の中を駅から10分も歩かされ、しかも時間を間違えて一時間半も待たされたのが印象を悪くしたようです。
 「じゃあ、今度はサントリーホールでN響を聴いて見ますか~!?」

 ここ数年、BS放送で日本の城に関する番組が幾つか放送され、“お城ファン”の一人として興味深く視聴しました。松本城も、全国に4つしかない天守閣を持つ国宝の城(姫路城、彦根城、犬山城)の一つとして、勿論登場しました。また、日経新聞の日曜日版に「美の美」というシリーズ(TV東京・BSジャパン系「美の巨人たち」とのタイアップ企画)が掲載されていて、内外の美術品を題材にその系譜などが紹介されているのですが、2月に入って『国宝四城』と題して、姫路城、彦根城と掲載されましたので、次回は恐らく松本城ではないかと思います(上、中、と来たので「下」で犬山城と一緒の紹介になるのかもしれません)。

 観光ポスターなどでの、ここ信州松本のキャッチフレーズは、“北アルプスの城下町”。
確かに、バックに屏風のように聳える、北アルプスの高き峰々を従えて立つ白黒の松本城は、特に3000m級の峰々が真っ白く雪化粧をした冬など、本当に絵になります。しかし、どうして“こんな”山国松本に“こんな”立派なお城があるのか、市民としては大変有難いことですが、客観的に考えると些か疑問を感じます。

 この松本には嘗て信濃の国府が置かれ、(場所の特定はされておらず、惣社辺りではないかと推測されています。但し信濃国分寺は上田)、奈良時代から束摩(つかま)の湯と呼ばれた温泉(現美ヶ原温泉)も都に知られていました。また官道である東山道が通り、信濃国(科野国)の重要な場所でもあり、武士の時代になってからは守護職の名門小笠原家が信府と呼んで館(井川城)を構え、林城(中山地区にある大規模な山城)を居城としていました。

 別所温泉のある塩田平(現上田市)は、北条一族が治め、現在“信州の鎌倉”と呼ばれる通り、そこで鎌倉仏教が花開いた(因みに戦前の長野県内国宝指定第一号は、松本城でも善光寺でもなく、塩田平の安楽寺と大法寺の三重塔です)ように、信濃は重要な地域でもあったことが伺えます。
しかし、群雄割拠した戦国時代になると、信州は盆地毎に分かれていることもあったのでしょうか、小笠原氏や村上氏など源氏の名門とされる武将はいたものの、残念ながら有力大名は生まれず、結局武田信玄の侵攻を許し、援助の要請を受けた上杉謙信が川中島で5度に亘り戦ったように、両雄の支配下にありました。松本や諏訪は武田信玄に支配されました。
なお、武田氏滅亡後、小笠原氏が領地を回復(“待ちに待った本懐を遂げた”として改名)するまで松本という地名は無く、現代まで残る長府や甲府と同様に、松本はそれまでは先述の信府(或いは深志)と呼ばれていました。また小笠原氏の居城は山城の林城であり、現在の松本城の場所には支城がありました。
 現在の松本城に居城を移す基礎を築いたのは、信濃の半分を制圧した後に、得意の治水工事などを行って暴れ川だった女鳥羽川を改修し、湿地帯を埋め立てた武田信玄です。侵攻してきた武田信玄によって、防御だけではなく統治と経済活動も行なう城下町・松本としての街割の基礎が初めて作られたことになります。
また領地(石高)からすると場違いなほど“立派な”現存の五層六階の松本城(例えば諏訪藩の高島城は三層三階。明治になってから取り壊されてしまいましたが、もし残っていれば“諏訪の浮城”と呼ばれた優美な城だっただけに、おそらく重文クラスにはなっていたかもしれず、惜しいなぁ!)は、その後秀吉の命を受けて、東国の家康を睨む目的で石川数正・康長親子が築いた戦のための城。
実際に関ヶ原の戦いでは、中山道を進んだ秀忠の大軍を真田勢が上田城(天守閣は造営されず)で足止めさせたのは有名な話であり、その意味でも信濃は東国への押さえとしては適当な場所だったことが分かります。
築城の名手と言われた数正は、家康とは幼い頃からの言わば“竹馬の友”でもありながら、何故か支え続けた家康の元から出奔し、敵とも言える秀吉に仕えたことから、家康の送ったスパイ説さえあるようですが、徳川の世になっても石川家は決して優遇されませんでした。
 江戸時代の松本藩は、当初10万石で中規模藩だったと思われますが、その後お家騒動で一時期6万石に減らされ(その後増石され最終的に8万石)、小藩となりましたので、余計小藩には不釣合いなほどの立派な城だったかもしれません。
ただ、8万石の小藩であっても外様ではなく、松平家、水野家など親藩・譜代大名が配置されてきただけに、それなりの位置付けではあったと思われます。
戦のための松本城に不似合いな月見櫓は、時の松本藩主、従兄の松平直政に将軍家光が会いに来る(実際は実現せず)という際に、観月でもてなすために増築された唯一風雅な建物です。

 有力な戦国大名がいた訳でもなく、また後の大藩でもなかった松本ですが、謂わば、秀吉と家康の東西のパワーバランスの結果、石川数正という築城名人を得て生まれた“天下の名城”と言えるのではないでしょうか。

 “♪雪やこんこ”でお馴染みの童謡「雪」を取り出すまでも無く、チロルは雪が大好きでした。胸まで埋まる程の雪でももろともせず、公園に散歩に行くと、雪の積もった広場を、それこそ喜んで駆け回っていました。ですので、童謡に歌われた通りに、犬は雪が好きなのだとばかり思っていました。
雪に中では、スノーブーツを履いていても人間が付いて行くのは大変なので、散歩用のリードとは別に、自由に走り回れるようにわざわざ長いリードをそのために持って行っていました。ま、帰ってから濡れた体をタオルで拭いてあげるのが大変ではありましたが(でも、懐かしいですね・・・)。

 チロルが天国に召されて、ナナだけになった初めての冬。
雪が道路に薄らと積もった平日の早朝、散歩に出てみると、トイレを済ませた途中から嫌がって歩こうとしません。
 「じゃあ、どうしたい訳?」
と聞くと、回れ右!そして、一目散に家の方に戻って行く始末・・・。
また休みの日に、休日用の少し長めの散歩コースに行こうとすると、雪が降り積もった日はそちらには行かず、近回りのコースへ曲がってしまいます。
ナナは室内犬だから・・・そうかと言うと、チロルもずっと室内で飼っていました。犬種に因る差なのか、単にナナが寒い(足の裏の肉球が冷たい)のが嫌いなだけなのか・・・?。
 「犬って、みんな雪が好きなんじゃないんだ・・・」
昨冬までの散歩では、チロルが先立って歩くので、止むを得ずボスの後を従わざるを得なかったのかもしれませんが、この冬はナナだけになったので、自己主張が出来るようになったのでしょう。曰く、
 「アタシゃ、雪道は好きじゃないんだってば!」(とでも言っているんでしょうね、きっと)
ウーン、でも何だかネコみたい、だなぁ・・・。
( “♪ナ~ナはソファーで丸くなる~” )
 【注記】
掲載した写真は、2月5日発売号のビッコミの村松誠さんの表紙絵。偶然にも、雪の中を駆け回るワンコでした。一方、ソファーの上で何ともぐうたらなナナ。

 お城の外堀、片端沿いにある「かき船」。
私が子供の頃から(・・・どころか、創業は昭和7年だそうですので、今年で83年の歴史)ある割烹料理屋で、その名の通りお堀に浮かんだ「牡蠣船」の形をしています。これは、山国信州には珍しい“屋形船”で、実際に広島の船大工に作らせたものだとか。春など、松本で一番早い片端の桜が咲いてお堀に浮かぶ様子は、大変風情があります。
これまで一度も行ったことが無かった(個人的にも、宴会でも。何となく見た雰囲気が料亭風で、若者向けのお店ではないこともありますが、自分も中高年になりました)ので、奥さま(以前勤めていた時に、海外からのお客さまのもてなしで一度来たことがあるとか)を誘って一度行って見ることにしました。実は、奥さまが次女との秋の旅行で行った宮島で食べた焼きガキのことを土産話に聞き、自分も何となく食べたくなって、スーパーの鮮魚売り場に珍しく並んでいた殻付牡蠣を初めて買って来て家で試したのですが、殻を開ける時に割れた破片が中に落ちたりして上手くいかず(元々小粒だった身も、焼き過ぎか味は良かったものの更に縮んでしまい)、やはり素人では無理だと悟った次第。
こちらはトンカツなどの揚げ物も評判のようですが、やはり店名からして、牡蠣が旬の冬がお薦めでしょうか?
「かき船」はランチも営業されていますが、ここは名物?のカキ鍋も(お酒と一緒に)食べたかったので、夜にお邪魔をすることにしました。

 店の入り口は軽自動車2台ほどしか駐車スペースがありませんが、道路の反対側の廃業したGSに5台ほどの駐車場が確保されていました。
まだ6時過ぎでしたが、店の奥の座敷スペースは宴会予約があるそうで、5卓ほどあるテーブル席(厨房側にカウンター席もあり)は、時間中に我々も含め結局3つは埋まったので、牡蠣の旬の時期ということもあるかもしれませんが結構混んでいます。

 メニューには牡蠣鍋やカキフライの入ったコース料理(一人前3500円)もありましたが、酢の物やお刺し身は特に要らないので、オール牡蠣の一品を選択し、佃煮(後で出てきたお通しも佃煮でしたが、辛口の日本酒に良く合います)、照り焼き、カキフライ、牡蠣鍋(一人前)をオーダー(フライ系には千切りキャベツが付け合せで出るものの、一品メニューの中にサラダが無かったのが、奥さま的にはマイナス評価でした)。
一番楽しみにしていた(家では難しかった)焼きガキは、残念ながら殻付がこの日は終わってしまったそうで、照り焼きに変更。また、牡蠣鍋は定食にしていただきました(小鉢と、お新香、おじや用のご飯が付きます)。
やはり牡蠣専門店なので、どれも大粒の牡蠣がふっくらとしていて、熱で縮んでいません。また、大振りのカキフライ用の特製ソースは、ウスターソースとオイスターソースを和えたのだそうで、ウスター(或いはトンカツ)ソースだけに比べ、香辛料が抑えられ、牡蠣の香りや旨味がより引き立つようで目からウロコ。また、牡蠣と松本一本ネギに豆腐とシラタキの具材を信州味噌で仕立てた牡蠣鍋は、最後に卵を加えておじやにしてもらいました。奥さま的には、やや味付けが濃い目とのことでしたが、おじやにするとちょうどの塩梅。
個人的には、焼きガキが無かったのが残念でしたが、照り焼きもプリプリで美味(掲載した写真は、奥さまが一つ食べた後)。また、牡蠣の出汁でも使っているのか、この日の定食に付いた小鉢のおからが何とも優しい味付けでした。料理だけですと、二人で6000円ちょっとだったでしょうか。
生ビールと冷酒もいただいて、「うん、やっぱり牡蠣は冬だなぁ・・・」(夏の岩ガキも美味ですが)と満足の夜。ごちそうさまでした。
【追記】
帰りにお聞きしたら、焼きガキ(殻付を使う蒸しガキも同様)は、予約の際にお願いすれば確保しておいていただけるとのこと。次回はそうさせていただきます。

 先日、平日昼前から本格的に降り始めた雪が10㎝近く積もり、早めの帰宅を促すアナウンスがありました。
皆さん心配してくださいますが、三才山峠は有料道路のため、融雪剤散布や除雪など、一般道路よりも早めに対応されるので、カーブや下り坂での無茶な運転さえしなければ一般道よりも却って安全。むしろ平地の積雪で、三才山峠を通行する県外車の大型トラックのチェーンの跡が凸凹になるため、走り辛いことこの上無し。

 早めの帰宅となり、ウィンドーに積もった雪を除雪用の器具で落としてから出発。雪道(凍結路)のコツは、「急」と名の付く運転はしないこと。車は4輪で安定しているので(且つ四輪駆動のSUVですし)、何もしなければちゃんと真っ直ぐ走ります。
 峠道に入ると、しっかりと除雪されていて却って走り易くなりました。
既に平地から積雪でしたので、登り坂で立ち往生している大型車も無く、スムーズ(いつもより皆ゆっくりですが)にトンネルも通過して、雪道では登り坂よりも危険な下り坂に入ります(例え四輪駆動であっても同様です)。
フットブレーキではなく、エンジンブレーキを効かせながらカーブを曲がり始めると、突然屋根の雪がザザーとフロントに纏まって落ちて来ました。一瞬、視界を塞がれましたが、幸い後続車が居なかったので、ゆっくりフットブレーキを効かせて徐行しながらワイパーを早めて雪を落としました。突然のことでビックリしましたが、幸い毎日の通勤で道路の形状も頭に入っているので、焦らず対処して何事もなく済みました。下り坂を走る場合は、ウィンドーだけでなく、屋根の雪もちゃんと降ろしておかないと危ないと思い知らされた次第です。
 昨年2月の大雪を持ち出すまでも無く、降雪での交通や物流への影響、ビニールハウスなどへの被害、また豪雪地帯での雪下ろしなど、雪による被害や負の影響はたくさんありますが、雪はまた重要な水資源でもあります。
松本は、同じ信州でも日本海側の影響を受ける北部(飯山や白馬地方)と違い、北アルプスに遮られているので、むしろ太平洋側の気候に近く、まとまった降雪は、地元で「上雪」と呼ぶ2月から3月。しかし、今年は例年に比べ、積雪量はまだ最大10㎝程度でしたが、降雪の回数が多いように思います。
雪には、枯れ木に咲いた雪の華や里山の雪化粧など、寒さの中にもほっとする癒し効果もあるように思います。雪の功罪、雪の効果と共に、その怖さ、負の部分を知って対応することが大切だと、今回改めて認識した次第。
(掲載した写真は、雪の日に撮影した通勤路の里山の様子です)