カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 松本市では、城山にある市の葬祭センターの裏に別棟のペット専用の火葬場があって、人間用よりも小さな炉ですが、お別れの儀式や火葬後の収骨も全く人間同様にしてくれます(火葬料金は30㎏未満までは7500円。納骨用の壺は、自分で用意して行っても良いし、またその場で購入も可能です。中型犬でも全部収骨してもらうと結構大きな壺でないと収まりません。一部だけ持ち帰る場合は、残った遺骨は当然ですが廃棄されます)。

 従ってチロルの時も人間同様にしていただき大変有難かったのですが(飼い主の気持ちを踏まえ、“物”ではなく、ちゃんと家族の一員として厳かに取り扱ってくれます)、唯一気になったこと。
それは、お別れの時のお参り用に、お線香を供える様になっていて、家内は「仏教だと、犬は畜生道だと蔑まれるし、それに仏教は極楽だから、キリスト教じゃないと天国には行けないのに・・・」とブツブツ。
また、ご近所の方からは、「敷地内に埋めるのは良くないとお寺さんに言われたので、市内にある合同のペット霊園に埋葬した」という話も聞きました。

 宗教と、犬や猫などのペットとの関係。今回、チロルの死にあたり、少し考えさせられました。
確かに仏教では、極楽と地獄を含めた六道の中では、下から地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天(上)道とされています。またキリスト教でも、嘗ては、むしろ犬は穢れとされてきたのだそうです(その時代は野犬が多かったのが理由とか)。
一方、エジプトのスフィンクスやアイヌの熊に視られるように、古代宗教では、動物も神或いは神の使い(化身)と崇められてきましたし、神道では神様となった動物もいます。“八百万の神”として、山や木、岩までも神が宿るとして神聖視してきたこの国は、特に柔軟(ある意味いい加減)なのかもしれません(そのため、一向一揆や島原の乱などを別にすれば、我が国では国を二分するような、或いは異教徒の国との宗教戦争が起こらなかったとも云えます)。
どうやら、人間が進化して不遜になった近代宗教よりも、自然を恐れ、自然と共生していた古代宗教の方が、動物も敬っていたようにさえ思います。
確か2年ほど前、四国の縄文遺跡から見つかっていた手厚く埋葬されていた犬の骨が、放射性炭素による年代測定の結果7300年前と確認され、人間の手で埋葬された犬としては国内最古という報道もありました。そんな昔から、家族同様に扱って来た証しでありましょう。
従って、仏教以外であれば、ペットの埋葬等でそれ程悩む必要はなさそうです(お墓にペットの遺骨を一緒に入れたり、仏壇に置いて一緒にお参りしたりすることさえしなければ)。もしマンションやアパートでなければ、家の庭など家族のすぐ近くに置いてあげても良いでしょうし、そうして近くで想ってあげることが彼らにとっても何よりの供養でしょうし、縁もゆかりもなく、お参りにも簡単に行けないような霊園よりも、その方が家族と一緒に暮らしてきた彼等にとっても幸せに違いありません。
 
 それに何より、家族の一員として大切にしていたペットなら、きっと飼い主を守ってくれる筈ですので、背後霊でも守護霊でもイイから、チロルがいつも私たちと一緒にいてくれるのであれば、それも本望です。

 そこで、我が家では庭の隅に、チロルのお墓を作り、モニュメントを据えて、いつでもチロルがそこにいると認識出来るようにした次第・・・です。

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