カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 この日は、“秋の京都”で定番の人気コース、嵐山から嵯峨野を巡ります。
色づき始めた嵐山から小倉山の嵯峨野には、外国からの観光客も含めて、朝からたくさんの人が道に溢れています(紅葉の最盛期ともなると、一体どれほどの人出なのか・・・)。

 先ずは、嵐山のシンボル渡月橋へ。
因みに、この何とも風流な橋の名前は、亀山上皇が、東西に架かる橋の上を移動していく月を眺めて、「くま(隈)なき月の渡るに似る」と云われたことに由来とか。昨年の洪水で一帯は水浸しになりましたが、河岸工事を除けば痕跡は見当たりません。橋を渡った所にあった櫟谷宗像神社にお参りしてから、また渡月橋を戻り、最初に天龍寺へ向かいます。
 こちらは臨済宗天龍寺派大本山で禅宗京都五山一位(南禅寺は別格の位置付け)の名刹。夢窓疎石作と伝わる林泉回遊式庭園が一番の見どころ。大方丈書院の室内から見事な庭を愛でていると突然の俄か雨。そのため嵐山を借景とする庭をじっくりと眺めることが出来ました。
 雨が止むのを待ってから、天龍寺塔頭の一つという宝厳院を初めて訪問。春と秋の一定期間を除き、通常は非公開。国宝があるようなお寺ではありませんが、名園“獅子吼(ししく)の庭”は紅葉の隠れた名所とのこと。秋の特別公開中の、その手入れの行き届いた庭園に暫し見惚れていました。
大きな岩が配された回遊式の庭園は、苔の緑の絨毯も美しく、月末からの見頃の時期にはライトアップもされるそうですが、反対色でもある赤と緑のコントラストはさぞや見事なことでしょう。宝厳院は春秋の特別公開期間しか拝観出来ないので、余り知られていないのか、観光客も少ない穴場でお勧めです。
 竹林手前で、 “自服コーヒー”という看板に惹かれ、落ち着いた佇まいの茶処「指月庵」で一休み。“自服”とは、カップに載せた竹の筒を使ったドリッパーで、要するに自分で淹れることらしく、ポットのお湯は優に2杯分あります。コーヒー単品のメニューは無く、どれも和菓子やケーキ付(全て奥さまのお腹へ)で1000円。竹を使った京都らしいアイデアで、お値段も含め納得(女性もしくは、カップル向けのお店)。
 一息ついた後は、嵐山から嵯峨野散策の人気スポットでもある竹林の小径へ。溢れんばかりの人の波が続きます。途中の野宮神社で、女性に人気で願い事が叶うという神石(亀石)を(奥さまが)撫でてお参りした後、常寂光寺へ。日蓮宗の寺院で、小倉山の高台の多宝塔からは紅葉越しに嵯峨野が望めます(雨でぬかるみ、歩くのに難儀)。
そこから俳人去来の庵である落柿舎(師の芭蕉が、滞在中に「嵯峨日記」を記した場所)を経て天台宗の二尊院へ。小倉山を背景に、総門から本堂入口まで続く参道は“紅葉の馬場”と云われる紅葉の名所であり、藤原定家が百人一首を編纂した地(時雨亭)でもあります。その定家の詠んだ、
 『小倉山しぐるるころの朝な朝な 昨日はうすき四方のもみじ葉』
(続後撰和歌集:後嵯峨上皇の命により、定家の子為家による勅撰和歌集)

も、今日のような秋雨の降る、ちょうど今頃だったのでしょうか。
またこちらには、保津川や高瀬川の治水(水運)事業で功績のあった(地元で敬われた)という角倉了以のお墓がありました(歴史の教科書では、治水よりも、茶屋四郎次郎等と並ぶ京都の豪商と習った気がしますが、渡月橋を今の場所に架けたのも了以とか)。
名前の由来となった、二体のご本尊の釈迦如来と阿弥陀如来を安置する本堂でお参りしていると、また突然の俄か雨で暫し雨宿り。今回も濡れずにすみました。また、こちらでは観光客も本堂横にある梵鐘(平成4年に再鋳された“しあわせの鐘”)を撞くことが出来ます。私たちも願いを込めて撞かせていただきました。嵯峨野に、一日中二尊院の鐘の音が響いています(常寂光寺と二尊院で、境内に落ちていた紅葉の葉をいただいて来ました)。
 途中のお茶屋さん「甘味カフェ ふらっと」で、食べそびれていた昼食に、京都らしく「にしん蕎麦」(850円。こちらは茶そばでしたが)で腹ごしらえ(うーん、にしんは市販モノなのか固くてイマイチ。茶そばも至って普通。老舗の松葉屋か懐かしい河道屋で食べたかった)。
風情ある町屋風の外観と、素朴な中庭も素敵な店内でしたが、看板通りの甘味処か、店を出てすぐの所に「にしんそば」のちゃんとした店が数軒あったので、食事はパスした方が良かったかも・・・。
 そして、平家物語に登場する白拍子祇王が、寵愛を受けた清盛の心変わりを儚み、同じく白拍子だった妹の祇女や母刀自と一緒に出家し暮らしたという真言宗大覚寺派の祇王寺。 “悲恋の尼寺”の草庵が、今でも哀愁を湛えてひっそりと佇んでいました。直指庵と共に、嵯峨野では特に女性に屈指の人気スポットです。
(但し、「清盛に振られた女性のお寺なんだから、祇王たちの弔いのお参りなら良いけど、若い女性が願ごと=特に恋愛成就などをしてはいけない」という家内の解釈に、「ナルホド、一理ある・・・」と妙に感心した私メでした)
 この日の最後に、一度は訪ねたかった嵯峨野の奥の化野念仏寺まで足を延ばしました。ここまで来ると観光客も少なく、本来の静寂に包まれています。8千体とも云われる、無縁仏を供養する石仏と石塔が立ち並んだ「西院の河原」に圧倒されますが、無常というか世の儚さを感じます(西院の河原の中に入っての写真撮影は禁止)。8月末の地蔵盆には灯明が灯されるという千灯供養はさぞ厳かで幻想的なことでしょう。また、境内の奥には、嵐山にも劣らぬ見事な「竹の小径」があり、観光客が少ない分、嵐山よりも(写真撮影に)お薦めです。元々は弘法大師(空海)が野晒しの無縁仏を供養したのが始まりと云いますが、念仏寺も法然上人が修行のために念仏道場を開いていたという浄土宗のお寺なので、石仏や境内の水子地蔵(プライバシー保護のため撮影禁止)も含めご本尊(阿弥陀如来)にもお参りしてから奥嵯峨を後にしました。
 紅葉真っ盛りの頃だと、印象はもしかしたら異なるのかも知れませんが、個人的に今回の嵯峨野嵐山散策で良かったのは、二尊院と化野念仏寺、そして宝厳院でしょうか。
この日の6㎞近い行程に些か歩き疲れて、大覚寺までは足を延ばせず、翌日に回すことにしました。

 ホテルに戻ってからだと出るのが億劫だからと、嵐山で早めに夕食を採って行くことにして、京らしく、おばんざいバイキングの「ぎゃあてい」へ。昼時は行列でしたが、まだ早かったので待たずに二階席へ。この店は、嵐山の料理旅館「辨慶」がプロデュースとか。“ぎゃあてい”とは般若心経の最後に出て来る「羯諦」からでしょうね。昨年から法事めいていて、何度かお経も唱えましたが、リタイアしたらいつか写経をしてみたいと思います。
こちらのおばんざいは、常時30種類以上から選べます。デザート類も豊富。どれも京都らしい優しい(薄めの)味付けで、個人的には、京野菜の「九条葱のぬた」が酒の肴にお薦め。奥さまは〆のちらし寿司の酢飯が優しい味付けで美味しかったとか。お値段もそれなり(1890円/人)ですが、それよりも1時間の時間制限は夕食を楽しむには少し短め。でも、観光客相手の店では止むを得ないのでしょうね(嵐電嵐山駅のすぐ隣)。

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