カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
定年を2年後に控える社員向けに、京都で行われた会社の基金主催の研修。いよいよ自分自身もその対象となり、11月上旬に夫婦揃って参加(が前提)して来ました。元々は5月に参加する予定だったのですが、仕事の都合(+チロルの容体悪化)で延期を重ね、漸く参加することが出来ました。
この研修は、年金収入をベースに定年後の生活(家庭経済、生きがい、健康)をどう過ごすのか、夫婦揃って一緒に考えてもらおうというもので、私が人事に在籍していた時代も含め、もう何十年と続いている人気の(=参加満足度の高い)研修です。
人事時代に、(人事の研修よりも人気の理由を探ろうと)オブザーバーで参加させていただいた時の(目的とは全く無関係な)感想。
必ずしも奥さまを存じ上げなくとも、旦那さまを見れば、どなたがその社員の奥様なのか迷うこと無く一目で分りました。“似た者夫婦”と良く云いますが、似た者同士だから(相性が良く)夫婦になるのではなく、何十年も夫婦で毎日一緒にいれば(顔つきではなく、装いも含めた全体の雰囲気が)皆さん驚く程良く似て来るのだと確信した次第。その時は感動すら覚えたほどですが、果たして我が家は・・・?(「あら、全然似てないでしょ!」)
それともう一つ、その時の研修の中で大変印象的だったこと。
参加者の自己紹介の時に、ある奥さまが、「ウチの主人は何も趣味が無く、休みの時も一人ではすることが無いので、買い物にもいつも付いて来る。定年後に毎日それでは困るから、何か自分の趣味を見つけて欲しい」と(仕事人間で無趣味のご主人を心配されて)仰っていたこと。とかく“粗大ゴミ”とも揶揄されますが、「ナルホドなぁ・・・」と感じた次第(因みにそのご主人は、リタイア後はカメラを趣味にされたらしく、地元紙などに撮影した写真を投稿されていたのを後日拝見しました)。
「ヘンリー、長生きしなよ!」
その後、途中で行き会った散歩中のプードルや柴にも顔を舐められ、「フム、京都ではやけに(犬に)モテるなぁ・・・」。良く考えたら、ヘンリー君の匂いが体に着いていたからだと思い至った次第。
研修終了後、せっかくの京都ですので、週末を使って観光をすることにしました。介護やチロルの世話で、夫婦での旅行は2年振りでしょうか。毎回、参加者の殆どがそうされています。また、それを促すべく、敢えて研修日を木・金に設定してくれてあります。
研修が二日目のお昼で解散となり、その日の夕刻に京都コンサートホールでのコンサートを予約していたので、地下鉄でのアクセスを考えて、この日の宿は京都駅のすぐ近く。そこで、初日の半日は京都駅からアクセスし易い所にしました。
初日に選んだのは京都御所。奥さまが見たことが無いというので、ちょうど秋の特別公開中だった御所を見に行くことにしました。
春と秋に一般公開(事前予約不要)され、この秋は7日間。学生時代は、大学のキャンパスが近かったこともあり(練習場所が無い時は、御苑でパートの音取りもしましたっけ)、何度か見学した記憶がありますが、奥さまは初めて。今回の公開は、両陛下の傘寿をお祝いして、通常よりも二日長いのだそうです。
東西250m、南北450mという築地塀に囲まれた御所に、西の宜秋門から入ります(南面にある正門の建礼門は、両陛下と国賓が来られた時にのみ開門)。中に入ると、葵祭に使われる牛車の実物や、明治以降も昭和天皇までのご即位が執り行われた寝殿造りの紫宸殿、白砂が一面に敷き詰められた南庭の「右近の橘」と「左近の桜」など、お雛様でもお馴染みの実物や清涼殿などを初めて見て、奥さまは感嘆しきりでした。実際の即位の時に、両陛下が座られる高御座(たかみくら)や御帳台(みちょうだい)も紫宸殿に置かれています(初めて東京で行われた今上陛下即位の際は、両御座とも東京に送られ、実際に使われたとのこと)。
ここに佇んでいると、何だか平安京の(実際は1331年の南北朝時代にこの地に造営され、南北朝統一後、皇居が東京に遷都される1869年までの間の正式な御所として、建物はその間戦乱による焼失も含め何度も建て替えられた)王朝文化がそのまま息づいているような錯覚にとらわれます(京都の人にとっては、100年前なんて、つい昨日のことなんですよね。例えば、すぐそこに弾痕跡の残る蛤御門が今も“普通”に「在る」のですから・・・)。
今出川から丸太町まで広い御所と御苑(南北1.3㎞)を歩いたので、研修疲れもあって、この日の観光はこれで終わりにしてホテルに戻り、夕刻のコンサートまで少し休憩することにしました。