カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 11月末の三連休最終日。亡父の一周忌法要とその後の会席を、今回も松本美ヶ原温泉の料理旅館「鄙の宿 金宇館」にお願いしました。
自宅での法要後、今回も旅館のマイクロバスで送迎していただきました。

 父が実際亡くなったのは、暮れも押し迫った昨年の12月23日ですが、2月の四十九日の時は大雪で大変でしたので、年末では皆さん忙しいでしょうし、また遠方から来る親戚も踏まえ、今年は冬が早そうなので、万が一の雪が降る前に早めに済ませることにしました。
会場は、四十九日(中陰)法要後の会席(第828話)が好評で、丁寧で心の籠った対応も素晴らしかった金宇館さんに再度お願いすることにしました。こちらはご家族で営まれている小さな料理旅館ですが、まだお若い四代目(イケメンです!)が腕を振るう料理も季節毎に変えられ、食材に掛かる予算以上に調理に細やかな工夫がされています。

 自宅で、菩提寺のご住職に一周忌の法要を上げていただいた後、旅館のマイクロバスで美ケ原温泉の金宇館に向かいます。場所が温泉街の北の外れに近いので、我が家からだと浅間経由で片道15分足らずでしょうか。偶然、送迎バスのドライバーの方が岡田のご出身で父のことをご存じで、懐かしくお話をいただきました。
 今回も、大女将や若女将さんの、押しつけがましさの全く無い心の籠った対応をいただき、喪主側としても本当に助かりました。
今回こそはと思ったのですが、やはり喪主としての対応で忙しく、残念ながら当日のコースの料理は、結局最初に出された目にも鮮やかな前菜(八寸)しか撮ることが出来ませんでしたが、今回も色々工夫された料理を出していただきました。とりわけ、そぼろを包んだ餡かけの長芋饅頭(?)は何とも優しい味わいで絶品です。また、古いながらも隅々まで手入れが行き届いて、至る所に昭和の浪漫(金宇館には漢字の方が似合います)が薫る館内で、レトロな談話室の様子も撮影してみました(以前宿泊した時は、真空管アンプで、静かにビル・エヴァンスが流れていました)。
因みに、金宇館は昭和初期の木造建築(新館はリニューアルされていますが、特に本館は共同の洗面所と手洗い)で、最新設備のホテルを好まれるような方々向けではありませんし、こちらよりも高級な旅館も松本には何軒かありますが、金宇館はそれ以上の価値と満足感が得られる宿だと思います。
 一年後の三回忌も、きっとまた金宇館さんにお願いすることになろうかと思いますが、その前に(娘たちのスケジュール次第ですが)出来れば家族でのんびりと温泉と素敵な料理を楽しむべく、また泊まらせていただければと思っています。

 松本市では、城山にある市の葬祭センターの裏に別棟のペット専用の火葬場があって、人間用よりも小さな炉ですが、お別れの儀式や火葬後の収骨も全く人間同様にしてくれます(火葬料金は30㎏未満までは7500円。納骨用の壺は、自分で用意して行っても良いし、またその場で購入も可能です。中型犬でも全部収骨してもらうと結構大きな壺でないと収まりません。一部だけ持ち帰る場合は、残った遺骨は当然ですが廃棄されます)。

 従ってチロルの時も人間同様にしていただき大変有難かったのですが(飼い主の気持ちを踏まえ、“物”ではなく、ちゃんと家族の一員として厳かに取り扱ってくれます)、唯一気になったこと。
それは、お別れの時のお参り用に、お線香を供える様になっていて、家内は「仏教だと、犬は畜生道だと蔑まれるし、それに仏教は極楽だから、キリスト教じゃないと天国には行けないのに・・・」とブツブツ。
また、ご近所の方からは、「敷地内に埋めるのは良くないとお寺さんに言われたので、市内にある合同のペット霊園に埋葬した」という話も聞きました。

 宗教と、犬や猫などのペットとの関係。今回、チロルの死にあたり、少し考えさせられました。
確かに仏教では、極楽と地獄を含めた六道の中では、下から地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天(上)道とされています。またキリスト教でも、嘗ては、むしろ犬は穢れとされてきたのだそうです(その時代は野犬が多かったのが理由とか)。
一方、エジプトのスフィンクスやアイヌの熊に視られるように、古代宗教では、動物も神或いは神の使い(化身)と崇められてきましたし、神道では神様となった動物もいます。“八百万の神”として、山や木、岩までも神が宿るとして神聖視してきたこの国は、特に柔軟(ある意味いい加減)なのかもしれません(そのため、一向一揆や島原の乱などを別にすれば、我が国では国を二分するような、或いは異教徒の国との宗教戦争が起こらなかったとも云えます)。
どうやら、人間が進化して不遜になった近代宗教よりも、自然を恐れ、自然と共生していた古代宗教の方が、動物も敬っていたようにさえ思います。
確か2年ほど前、四国の縄文遺跡から見つかっていた手厚く埋葬されていた犬の骨が、放射性炭素による年代測定の結果7300年前と確認され、人間の手で埋葬された犬としては国内最古という報道もありました。そんな昔から、家族同様に扱って来た証しでありましょう。
従って、仏教以外であれば、ペットの埋葬等でそれ程悩む必要はなさそうです(お墓にペットの遺骨を一緒に入れたり、仏壇に置いて一緒にお参りしたりすることさえしなければ)。もしマンションやアパートでなければ、家の庭など家族のすぐ近くに置いてあげても良いでしょうし、そうして近くで想ってあげることが彼らにとっても何よりの供養でしょうし、縁もゆかりもなく、お参りにも簡単に行けないような霊園よりも、その方が家族と一緒に暮らしてきた彼等にとっても幸せに違いありません。
 
 それに何より、家族の一員として大切にしていたペットなら、きっと飼い主を守ってくれる筈ですので、背後霊でも守護霊でもイイから、チロルがいつも私たちと一緒にいてくれるのであれば、それも本望です。

 そこで、我が家では庭の隅に、チロルのお墓を作り、モニュメントを据えて、いつでもチロルがそこにいると認識出来るようにした次第・・・です。

11月22日に発生した白馬村を震源とする長野県神城断層地震では、海外含めてご心配をいただき、誠にありがとうございました。
局地的な地震だったため、居住する松本は震度4とのことでしたが、被害等はありませんでした。
震源地の白馬村でも、死者が一人も出なかったことが、不幸中の幸いでした。ただ、白馬はこれからのスキーシーズンを控え、八方を始め各スキー場には被害は無かったとの報道ですが、御嶽同様に風評被害が心配されます。
今年は、2月の大雪に始まり、南木曽地方の水害、御嶽噴火、そしてこの地震と、長野県下で災害が頻発したこともあり、大地が鎮まるように何か考えた方が良いのでは(信濃一宮は諏訪大社ですが)と、勝手に心配しています。

 日本在住のロシア人ピアニスト、イリーナ・メジューエワさん。
楽譜に込められた作曲家の意図を正しく伝えるために、(勿論暗譜もした上でだと思います)必ず譜面を見て演奏するという、その生真面目な人柄と、深い精神性が感じられる演奏に惹かれ(第721話)、一度是非生演奏を聴きたいと思っていました(小菅優さんも然りですが、華麗な技巧派よりも、むしろ内省的なピアノに惹かれます)が、これまで松本では聴く機会がありませんでした。
 彼女は演奏家としてだけではなく、2012年からは京都市芸大で講師として教えているらしく、何と偶然にも京都での研修が終わった日の夜、地元でコンサートがあると知り、もしこれを逃すと生で聴く機会も無いと思い、事前に予約をしておきました。場所は上賀茂にある京都コンサートホールの小ホール。北山の府立植物園に隣接する郊外ですが、京都駅から地下鉄で15分足らずでしょうか。最寄りの北山駅からも徒歩3分で、生憎の雨の中でしたが、屋根があるアプローチで濡れずにアクセス出来ました。パイプオルガンを備えるという大ホールは京響の拠点ですが、学生時代の京都には岡崎の京都会館くらいしかありませんでしたので、立派なホールが出来ました。

 10月31日に行われたピアノリサイタルは、「第18回京都の秋音楽祭」の一環とか。
プログラムは、モーツアルトの幻想曲(K396)と10番のソナタ、ショパンのト短調のノクターンとバラード(第3番)。休憩を挟み、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」とソナチネ、そしてラフマニノフの前奏曲から5曲という多彩な構成。衣装も派手なロングドレスではなく、地味なスーツ姿で、むしろ清楚で(個人的には)好感が持てます。

 最初の幻想曲こそ、緊張か、ミスタッチも目立ちましたが、その後は情感豊かな音が紡がれていきます。楽譜の指示通りということですが、他のピアニストの暗譜での演奏よりも、むしろディナーミクもアゴーギクも、その変化がより豊かに感じられます。“ロシアの妖精”とも評された(今でも十分お綺麗です)華奢な体のどこに?と思えるような、時に力強いタッチもありながら、ロシアピア二ズムの系譜に連なる彼女のピアノは、一音一音に意図が込められ、精神的で、まるで指先に作曲者の精神と魂が宿っているかのようにさえ感じられます。そして、良く聴き慣れた曲も、もっと大きな構造物であったことに気付かされます。特に、ラヴェルとラフマニノフは感動的でした。
我々は前から二列目の左側で、514席という小ホールはほぼ満席の盛況。後ろの席で、京都市芸大の教え子の皆さんなのでしょう、女学生さんが「レッスンの時とは、先生の弾き方が全然違う・・・」と唸っておられました。

 鳴り止まぬ拍手に応えて、アンコールに4曲も弾いてくれました。
ラフマニノフの「リラの花」、ラヴェル「プレリュード」、ショパン「マズルカop67‐4」、最後にラヴェル「かなしい鳥」。
休憩時間に、折角なのでサインを貰えたらとCDを探したのですが、録音が古いためか、欲しかったシューマンやシューベルトが無く断念。
やはり地元では人気で、終演後40人近い方がサイン待ちの列を作っていました(いつか、松本の音文にも来てくれると嬉しいのですが・・・)。

 奥さまは、昨年思いがけずも茅野市民館で聴けた(サインもしてもらった)、これまた内省的な小菅優さんのピアノ(第788話)の方が良かったそうです。
でも、研修で京都に来た最終日に、これまた思いがけずも京都で、念願のイリーナ・メジューエワさんの生演奏を聴くことが出来たので大感激。
日本人の旦那さまと結婚されて、97年から日本に住まわれ、我々日本人以上に能楽や歌舞伎などの日本の古典文化にも造詣が深いというイリーナさん。
こんな素敵なピアニストが、日本を拠点に活躍されていることに感謝した夜でした。

 京都をお昼に立つ日の朝一番で、JR嵯峨嵐山駅に荷物を預け、徒歩で、前日疲れて断念した真言宗大覚寺派総本山の大覚寺へ行って来ました。こちらは、元々嵯峨天皇の離宮嵯峨院が置かれたことから、今でも旧嵯峨御所とも称され、天皇の信任厚かった弘法大師空海がお堂を建てたのがお寺の起源とか。また、亀山上皇や後宇多法王が院政を執り、その後南朝も置かれるなど、皇室ゆかりの門跡寺院です。

 開門の9時前に到着。まだ人も疎らで、南朝方だったせいではないでしょうが、庭園の華やかな天龍寺や旧御室御所の仁和寺に比べ、優美ながらもどこか儚げで“侘び”を感じさせる嵯峨菊と片や華やかな御室桜との対比もイメージの中にあるのか、何故かその落ち着いた佇まいにも“侘び寂び”の儚さを感じます。
 ミニ紫宸殿ともいえる宸殿は、白砂に右近の橘と左近は「梅」。古来(万葉では)花と言えば梅だったのが(平安頃から)桜に代わったのだそうで、南北朝時代に現在の地に移った京都御所の紫宸殿では左近の桜となっていました。御所の紫宸殿の中に立入ることは出来ませんが、こちら大覚寺では宸殿も拝観することが出来ますので、王朝の雅な雰囲気に触れることが出来ます。
五大堂(本堂)で、年配のご婦人が凛として一人静かに写経をされていたのが印象的でした。疫病を鎮めんと、嵯峨天皇が弘法大師の勧めで心経を写され祈願されて(心経殿に勅封され、60年に一度開封)以来、大覚寺は1200年に亘る写経道場の本山(根本道場)として毎日写経をすることが出来るのだとか。般若心経262文字、一時間弱でしょうか。県内でも善光寺や上田の前山寺でも出来ますので、リタイアしたら、心を鎮め自らを見つめるべく、一度写経を経験してみたいと思います。
 ちょうど境内では菊花展が開かれていて、茶筅の様な細長い花弁が特徴の“嵯峨菊”が気品ある清楚な姿で境内を飾っていました。この菊は、嵯峨天皇が好まれて(舟遊びで大沢池の菊ヶ島に自生していた菊を見つけ、嵯峨天皇が手折って活けたのが華道嵯峨御流の始めとか)門外不出とされ、今では門徒の方々が菊花展に合わせて育てられているのだそうです。何でも天皇が建物の中から愛でられるようにと、以来高さ2mに仕立てるのが慣わしだとか。その清楚な嵯峨菊を寝殿から暫し眺め、境内を出てから大沢池を散策して今回の京都観光を締めくくり、大覚寺から嵯峨嵐山駅を経由して京都駅へ向かいました。
(この大覚寺の1㎞程北には、これまた女性に人気の直指庵があるのですが、学生時代に行った時に、 “想い出草”に記されたそれぞれの真剣さが揺らぐ訳ではないにしても、お寺自体に興醒めした記憶があり、今回もパス)。
 先にお土産を買ってから、新幹線改札に近い八条口に移動しての昼食。
上品な京料理とおばんざいばかりだったので「動物性タンパクを補給したい!」(ナルホド)とのことから、洋食の「グリル&ビア 八条ダイナー」へ。
今回の京都での“食”は、お寺巡りに疲れ、老舗や有名店を探して行く(且つ並ぶ)気力も無く、(京都での“食”に、“食い倒れの街”大阪のような期待をしてはいけませんが)全体に今一つだったでしょうか。久し振りにイノダコーヒーとかにも行って見たかったのですが、体力も時間もありませんでした。今回は、三条・四条河原町や、新京極、寺町など京都の中心街に行けなかったので、これぞ京都!という満足感が(私メは)やや不足で、何か忘れモノをしたような気がします。多少お寺さんへの移動には不便でも、街中に宿を取った方が夜の京都も楽しめたかもしれません(JRでの移動や荷物を考えれば京都駅が便利ですが、今回行った嵐山へは嵐電で、また東福寺へは京阪でも行けたことを考えると、四条周辺でも良かったかも・・・と反省)。
「ビール飲んで、ホテルですぐ寝てたの誰ヨ!?」
「えっ、そうだっけ?」。
まぁ何はともあれ、今回の京都では結構歩いたので、「お疲れさま~♪」で、(私メは)生ビールで乾杯!「あぁ、しんど・・・」。
 今回、私の一番好きな“見返り阿弥陀”さまにお会い出来なかったのがチョッピリ残念ですが、“仏像を見るなら奈良へ、庭を見るなら京都へ”を実感し、お陰さまで卒業以来35年振りの“秋の京都”を満喫することが出来ました。その中で気になったこと。仏教は不勉強で詳しくありませんが、奈良時代に伝来した仏教が、聖徳太子や聖武天皇などの歴代天皇の庇護により全国各地に拡がり、やがて平安時代から鎌倉時代に掛けて各宗派が伝来/誕生して、時に権力抗争を繰り広げながら、その自らのアイデンティティー確立のためにより重要だったのは、ご本尊である御仏よりも宗祖(開祖)であるかのように、御影堂(みえいどう、或いはごえいどう)の方が本堂よりも大きく立派なことが、時代的な変遷の中での奈良と京都のお寺の違いなのだろうかと感じた次第。
 今回久し振りの京都を巡ってみて印象的だったのは、昔に比べ、東南アジアからの観光客の多さと、レンタルの着物を着て散策する若い人たちの多かったこと。また、特別公開の飛雲閣や知恩院などで、スーツ姿でボランティア?の説明ガイドをされていた、各大学サークルの「古美術研究会」という腕章を巻いた若い学生さんたち(“学生の街”らしい試みだと思います)。そして近代的になった京都駅と観光シーズンとはいえ、以前にも増して増えた人の波・・・でしょうか(会話していても、イントネーションとかが、どう見ても地元出身とは思えぬ店員さんが、最後決まって「おおきに」と付け足すのは、まぁ、ご愛嬌・・・)。
学生時代を過ごした京都は、東京とは違い、もう少し落ち着いた街だったような気もしますが・・・。いずれにしても、京都人は「そうかて、東京に都が移らはって、まだたったの百年どすえ。京には千年もの間、ずーっと帝がいはったんやし・・・」と絶対に思っているに違いない・・・と想わせるような、何となく懐の深さ(余裕?プライド?)を感じます。
 王朝の雅と現代が、何の違和感も無く生活の中に同居する古都。
相変わらず、「そうだ、京都へ行こう!」と思わせる程に、久し振りの京都も人を惹き付けて止まない魅力に溢れた街・・・でした。

 この日は、“秋の京都”で定番の人気コース、嵐山から嵯峨野を巡ります。
色づき始めた嵐山から小倉山の嵯峨野には、外国からの観光客も含めて、朝からたくさんの人が道に溢れています(紅葉の最盛期ともなると、一体どれほどの人出なのか・・・)。

 先ずは、嵐山のシンボル渡月橋へ。
因みに、この何とも風流な橋の名前は、亀山上皇が、東西に架かる橋の上を移動していく月を眺めて、「くま(隈)なき月の渡るに似る」と云われたことに由来とか。昨年の洪水で一帯は水浸しになりましたが、河岸工事を除けば痕跡は見当たりません。橋を渡った所にあった櫟谷宗像神社にお参りしてから、また渡月橋を戻り、最初に天龍寺へ向かいます。
 こちらは臨済宗天龍寺派大本山で禅宗京都五山一位(南禅寺は別格の位置付け)の名刹。夢窓疎石作と伝わる林泉回遊式庭園が一番の見どころ。大方丈書院の室内から見事な庭を愛でていると突然の俄か雨。そのため嵐山を借景とする庭をじっくりと眺めることが出来ました。
 雨が止むのを待ってから、天龍寺塔頭の一つという宝厳院を初めて訪問。春と秋の一定期間を除き、通常は非公開。国宝があるようなお寺ではありませんが、名園“獅子吼(ししく)の庭”は紅葉の隠れた名所とのこと。秋の特別公開中の、その手入れの行き届いた庭園に暫し見惚れていました。
大きな岩が配された回遊式の庭園は、苔の緑の絨毯も美しく、月末からの見頃の時期にはライトアップもされるそうですが、反対色でもある赤と緑のコントラストはさぞや見事なことでしょう。宝厳院は春秋の特別公開期間しか拝観出来ないので、余り知られていないのか、観光客も少ない穴場でお勧めです。
 竹林手前で、 “自服コーヒー”という看板に惹かれ、落ち着いた佇まいの茶処「指月庵」で一休み。“自服”とは、カップに載せた竹の筒を使ったドリッパーで、要するに自分で淹れることらしく、ポットのお湯は優に2杯分あります。コーヒー単品のメニューは無く、どれも和菓子やケーキ付(全て奥さまのお腹へ)で1000円。竹を使った京都らしいアイデアで、お値段も含め納得(女性もしくは、カップル向けのお店)。
 一息ついた後は、嵐山から嵯峨野散策の人気スポットでもある竹林の小径へ。溢れんばかりの人の波が続きます。途中の野宮神社で、女性に人気で願い事が叶うという神石(亀石)を(奥さまが)撫でてお参りした後、常寂光寺へ。日蓮宗の寺院で、小倉山の高台の多宝塔からは紅葉越しに嵯峨野が望めます(雨でぬかるみ、歩くのに難儀)。
そこから俳人去来の庵である落柿舎(師の芭蕉が、滞在中に「嵯峨日記」を記した場所)を経て天台宗の二尊院へ。小倉山を背景に、総門から本堂入口まで続く参道は“紅葉の馬場”と云われる紅葉の名所であり、藤原定家が百人一首を編纂した地(時雨亭)でもあります。その定家の詠んだ、
 『小倉山しぐるるころの朝な朝な 昨日はうすき四方のもみじ葉』
(続後撰和歌集:後嵯峨上皇の命により、定家の子為家による勅撰和歌集)

も、今日のような秋雨の降る、ちょうど今頃だったのでしょうか。
またこちらには、保津川や高瀬川の治水(水運)事業で功績のあった(地元で敬われた)という角倉了以のお墓がありました(歴史の教科書では、治水よりも、茶屋四郎次郎等と並ぶ京都の豪商と習った気がしますが、渡月橋を今の場所に架けたのも了以とか)。
名前の由来となった、二体のご本尊の釈迦如来と阿弥陀如来を安置する本堂でお参りしていると、また突然の俄か雨で暫し雨宿り。今回も濡れずにすみました。また、こちらでは観光客も本堂横にある梵鐘(平成4年に再鋳された“しあわせの鐘”)を撞くことが出来ます。私たちも願いを込めて撞かせていただきました。嵯峨野に、一日中二尊院の鐘の音が響いています(常寂光寺と二尊院で、境内に落ちていた紅葉の葉をいただいて来ました)。
 途中のお茶屋さん「甘味カフェ ふらっと」で、食べそびれていた昼食に、京都らしく「にしん蕎麦」(850円。こちらは茶そばでしたが)で腹ごしらえ(うーん、にしんは市販モノなのか固くてイマイチ。茶そばも至って普通。老舗の松葉屋か懐かしい河道屋で食べたかった)。
風情ある町屋風の外観と、素朴な中庭も素敵な店内でしたが、看板通りの甘味処か、店を出てすぐの所に「にしんそば」のちゃんとした店が数軒あったので、食事はパスした方が良かったかも・・・。
 そして、平家物語に登場する白拍子祇王が、寵愛を受けた清盛の心変わりを儚み、同じく白拍子だった妹の祇女や母刀自と一緒に出家し暮らしたという真言宗大覚寺派の祇王寺。 “悲恋の尼寺”の草庵が、今でも哀愁を湛えてひっそりと佇んでいました。直指庵と共に、嵯峨野では特に女性に屈指の人気スポットです。
(但し、「清盛に振られた女性のお寺なんだから、祇王たちの弔いのお参りなら良いけど、若い女性が願ごと=特に恋愛成就などをしてはいけない」という家内の解釈に、「ナルホド、一理ある・・・」と妙に感心した私メでした)
 この日の最後に、一度は訪ねたかった嵯峨野の奥の化野念仏寺まで足を延ばしました。ここまで来ると観光客も少なく、本来の静寂に包まれています。8千体とも云われる、無縁仏を供養する石仏と石塔が立ち並んだ「西院の河原」に圧倒されますが、無常というか世の儚さを感じます(西院の河原の中に入っての写真撮影は禁止)。8月末の地蔵盆には灯明が灯されるという千灯供養はさぞ厳かで幻想的なことでしょう。また、境内の奥には、嵐山にも劣らぬ見事な「竹の小径」があり、観光客が少ない分、嵐山よりも(写真撮影に)お薦めです。元々は弘法大師(空海)が野晒しの無縁仏を供養したのが始まりと云いますが、念仏寺も法然上人が修行のために念仏道場を開いていたという浄土宗のお寺なので、石仏や境内の水子地蔵(プライバシー保護のため撮影禁止)も含めご本尊(阿弥陀如来)にもお参りしてから奥嵯峨を後にしました。
 紅葉真っ盛りの頃だと、印象はもしかしたら異なるのかも知れませんが、個人的に今回の嵯峨野嵐山散策で良かったのは、二尊院と化野念仏寺、そして宝厳院でしょうか。
この日の6㎞近い行程に些か歩き疲れて、大覚寺までは足を延ばせず、翌日に回すことにしました。

 ホテルに戻ってからだと出るのが億劫だからと、嵐山で早めに夕食を採って行くことにして、京らしく、おばんざいバイキングの「ぎゃあてい」へ。昼時は行列でしたが、まだ早かったので待たずに二階席へ。この店は、嵐山の料理旅館「辨慶」がプロデュースとか。“ぎゃあてい”とは般若心経の最後に出て来る「羯諦」からでしょうね。昨年から法事めいていて、何度かお経も唱えましたが、リタイアしたらいつか写経をしてみたいと思います。
こちらのおばんざいは、常時30種類以上から選べます。デザート類も豊富。どれも京都らしい優しい(薄めの)味付けで、個人的には、京野菜の「九条葱のぬた」が酒の肴にお薦め。奥さまは〆のちらし寿司の酢飯が優しい味付けで美味しかったとか。お値段もそれなり(1890円/人)ですが、それよりも1時間の時間制限は夕食を楽しむには少し短め。でも、観光客相手の店では止むを得ないのでしょうね(嵐電嵐山駅のすぐ隣)。

 11月初旬の京都は、秋とは言え、紅葉にはまだ少し早過ぎます。逆にその頃の京の街は観光客で溢れ、宿泊研修を組むのは無理でしょうから、文句を言ったら罰が当たります。とは言え、11月初旬の古都も色づき始めの秋の装い。そこで、“秋の京都”で有名なお寺を巡ってみることにしました。
シンガポール赴任中の家族の一時帰国休暇を利用して、日本を知らない娘たちにと、敢えて和風旅館に泊まって、京都・奈良を回って以来(まだ就学前だった彼女たちが喜んだのは、畳の布団での枕投げと和風のお風呂。そしてお寺よりも、太秦の映画村と奈良公園の鹿さんに、一番人気が新幹線)四半世紀振りで、今度は中年夫婦だけでの京都です。
学生時代の4年間。心ざわめくことがある度に、永観堂(禅林寺)へ行って“見返り阿弥陀”さまの前に何十分も正座して、心を静めた記憶(第97話参照)がありますが、永観堂は“もみじの寺”として有名。今回ちょっと欲張ったので、永観堂まで回れるかどうか?(本当は、じっくりと阿弥陀さまにお逢い出来る、観光客の少ない季節の方がお薦めです)。

 実質二日半の市内観光で、初日は秋の一般公開中だった京都御所へ(前話)。
二日目は生憎の雨模様でしたが、やはりこの時期の秋の特別拝観の中から、先ず西本願寺の飛雲閣を見に行くことにしました。
チェックアウト後、京都駅のロッカーに荷物を預け、駅から徒歩範囲の浄土真宗本願寺派本山である西本願寺へ。

 境内にある飛雲閣は、秀吉が建てた聚楽第の唯一現存する遺構(門を除く)と云われ(但し証明するものが無く、江戸時代創建との異論もあるとのこと)、教科書でもお馴染みの国宝ですが、普段は非公開(今回4年振りの公開)ですので実物を見るのは初めてです(建物含め構内は一切撮影禁止)。先に国宝の唐門(伏見城からの移築とされる)を見てから、念願だった優美な三層の飛雲閣を見学。次に宗祖親鸞聖人像を安置する御影堂(本願寺はごえいどう)と本堂(いずれも国宝)も拝観しましたが、ご本尊(阿弥陀如来)を安置する本堂よりも、御影堂の方が大きくて立派です(御影堂回廊から僅かに望めた飛雲閣上層階を撮影)。
その後駅に戻り、京都駅からアクセスし易いJR奈良線沿線の、紅葉で有名な東福寺と伏見稲荷にも行って見ることにしました。双方とも、京都での学生時代にも何故か行ったことがなく、私も今回が初めての訪問。
 先ず、全国3万社の総社となる伏見稲荷大社へ。元々は太秦に名を残す秦氏の氏神であり、五穀豊穣神からやがて産業全般の殖産信仰を集め、商家や企業のお稲荷さんの祠でもお馴染み。JR駅前から続く参道を、楼門をくぐって本殿に参拝した後、境内一万基という全国から寄進された朱塗りの鳥居のトンネル(千本鳥居)で有名な参道を歩き、稲荷山の中腹にある新池まで上ってみましたが、まだ延々と赤い鳥居が続いていました。
伏見稲荷は、外国人の日本の観光スポット人気ランキングNo.1 とか。確かに、境内には東南アジア中心にたくさんの観光客です。“侘び寂び”的日本文化よりも、目にも鮮やかな朱色のお稲荷さんの方が、日本的様式美として分り易いのでしょうね。参拝後、昼時間を過ぎていたので、参道入り口の老舗店「祢ざめ家」で、お稲荷さんらしくきつねうどんと名物の稲荷寿司で昼食(ま、名物はこんなもんでしょ・・・と、うどんが一つしか出て来ずも、催促もせず・・・)。
 次に京阪電鉄で、禅宗の京都五山の第四位に数えられ、紅葉で有名な臨済宗東福寺派大本山の東福寺を目指します。
先ずは、京都を舞台にしたTVドラマなどで良くロケに使われる通天橋を見学。まだ色づき始めでしたが、紅葉の時期はさぞ見事なことでしょう。その後で方丈を拝観し、方丈を囲む「ハ相の庭」の枯山水(南庭)と市松模様の庭園(北庭)を見学。方丈再建後、昭和期の作庭とのこと。
まだ時間があったので、京阪で三条まで行って、前日疲れて行けなかった知恩院へ。入学時に祖父から「ウチの本山だから、京都に行ったらまっ先にお参りするように」と言われて以来、実に40年振り。今回は、亡父の一周忌が近いこともありますので、檀家として浄土宗総本山である知恩院へも参拝したいと思っていました。
浄土宗は、家康が宗徒だったこともあり、徳川三代の庇護により現在の伽藍の殆どが再建されたとのこと(徳川家の菩提寺は浄土宗芝増上寺)。
ちょうど、国宝の御影堂(こちらは、みえいどう)は大修理中。こちらは、宗祖法然上人像を安置する本堂です。ご本尊の阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂にも参拝。南禅寺、東福寺と共に京都の三大門と云われる国宝の三門(山門)も威容を見せていました。
 その後、京都駅で夕食を採ってから、この日宿泊する嵐山のホテルに移動。夕食は、選択肢が色々あるので京都駅伊勢丹のレストラン街へ。その中から選んだのは、9階にある「京都ビアダイニング 市場小路」。こちらは、京都市内に幾つか店舗を構え、メニューの種類も多く、おばんざいなどもある京風創作料理の店とか。値段は少々高目でしたが、スタッフの対応がテキパキと気持ち良く、何より窓越しに臨むライトアップされた京都タワーの眺望が素敵でした(昼は、送り火の京都五山が望める由)。

 定年を2年後に控える社員向けに、京都で行われた会社の基金主催の研修。いよいよ自分自身もその対象となり、11月上旬に夫婦揃って参加(が前提)して来ました。元々は5月に参加する予定だったのですが、仕事の都合(+チロルの容体悪化)で延期を重ね、漸く参加することが出来ました。
この研修は、年金収入をベースに定年後の生活(家庭経済、生きがい、健康)をどう過ごすのか、夫婦揃って一緒に考えてもらおうというもので、私が人事に在籍していた時代も含め、もう何十年と続いている人気の(=参加満足度の高い)研修です。
 人事時代に、(人事の研修よりも人気の理由を探ろうと)オブザーバーで参加させていただいた時の(目的とは全く無関係な)感想。
必ずしも奥さまを存じ上げなくとも、旦那さまを見れば、どなたがその社員の奥様なのか迷うこと無く一目で分りました。“似た者夫婦”と良く云いますが、似た者同士だから(相性が良く)夫婦になるのではなく、何十年も夫婦で毎日一緒にいれば(顔つきではなく、装いも含めた全体の雰囲気が)皆さん驚く程良く似て来るのだと確信した次第。その時は感動すら覚えたほどですが、果たして我が家は・・・?(「あら、全然似てないでしょ!」)
それともう一つ、その時の研修の中で大変印象的だったこと。
参加者の自己紹介の時に、ある奥さまが、「ウチの主人は何も趣味が無く、休みの時も一人ではすることが無いので、買い物にもいつも付いて来る。定年後に毎日それでは困るから、何か自分の趣味を見つけて欲しい」と(仕事人間で無趣味のご主人を心配されて)仰っていたこと。とかく“粗大ゴミ”とも揶揄されますが、「ナルホドなぁ・・・」と感じた次第(因みにそのご主人は、リタイア後はカメラを趣味にされたらしく、地元紙などに撮影した写真を投稿されていたのを後日拝見しました)。

 研修二日目の早朝6時。研修会場のある嵐山の桂川(保津川)両岸と渡月橋を一人で散歩。ちょうどお散歩中の黒の大型犬ニューファンドランド(カナダのニューファンドランド島原産)のヘンリー君と、行き帰りで二度遭遇。何とも威厳がありますが、“気は優しくて力持ち”な犬種です。飼い主の方に了解いただき、彼の頭と喉を撫でてあげると、65㎏という彼(たまに暴走するそうです)に歓迎の挨拶で抱き付かれ顔を舐めてくれました。帰り道では、更にペロペロと大歓迎。大型犬は寿命が10歳ちょっとと短いだけに、まだ4歳だそうですが、
 「ヘンリー、長生きしなよ!」
その後、途中で行き会った散歩中のプードルや柴にも顔を舐められ、「フム、京都ではやけに(犬に)モテるなぁ・・・」。良く考えたら、ヘンリー君の匂いが体に着いていたからだと思い至った次第。

 研修終了後、せっかくの京都ですので、週末を使って観光をすることにしました。介護やチロルの世話で、夫婦での旅行は2年振りでしょうか。毎回、参加者の殆どがそうされています。また、それを促すべく、敢えて研修日を木・金に設定してくれてあります。
研修が二日目のお昼で解散となり、その日の夕刻に京都コンサートホールでのコンサートを予約していたので、地下鉄でのアクセスを考えて、この日の宿は京都駅のすぐ近く。そこで、初日の半日は京都駅からアクセスし易い所にしました。
 初日に選んだのは京都御所。奥さまが見たことが無いというので、ちょうど秋の特別公開中だった御所を見に行くことにしました。
春と秋に一般公開(事前予約不要)され、この秋は7日間。学生時代は、大学のキャンパスが近かったこともあり(練習場所が無い時は、御苑でパートの音取りもしましたっけ)、何度か見学した記憶がありますが、奥さまは初めて。今回の公開は、両陛下の傘寿をお祝いして、通常よりも二日長いのだそうです。
 東西250m、南北450mという築地塀に囲まれた御所に、西の宜秋門から入ります(南面にある正門の建礼門は、両陛下と国賓が来られた時にのみ開門)。中に入ると、葵祭に使われる牛車の実物や、明治以降も昭和天皇までのご即位が執り行われた寝殿造りの紫宸殿、白砂が一面に敷き詰められた南庭の「右近の橘」と「左近の桜」など、お雛様でもお馴染みの実物や清涼殿などを初めて見て、奥さまは感嘆しきりでした。実際の即位の時に、両陛下が座られる高御座(たかみくら)や御帳台(みちょうだい)も紫宸殿に置かれています(初めて東京で行われた今上陛下即位の際は、両御座とも東京に送られ、実際に使われたとのこと)。
ここに佇んでいると、何だか平安京の(実際は1331年の南北朝時代にこの地に造営され、南北朝統一後、皇居が東京に遷都される1869年までの間の正式な御所として、建物はその間戦乱による焼失も含め何度も建て替えられた)王朝文化がそのまま息づいているような錯覚にとらわれます(京都の人にとっては、100年前なんて、つい昨日のことなんですよね。例えば、すぐそこに弾痕跡の残る蛤御門が今も“普通”に「在る」のですから・・・)。
 今出川から丸太町まで広い御所と御苑(南北1.3㎞)を歩いたので、研修疲れもあって、この日の観光はこれで終わりにしてホテルに戻り、夕刻のコンサートまで少し休憩することにしました。

 前話の白馬からの帰り道。
今回も県道25号線を走って、山麓線で安曇野市穂高有明地区にあるワンコ連れOKのお店へ寄って来ました。

 前回行った「ティータイム ガルニ」の雰囲気はとても良かったのですが、食事よりも喫茶向けだったので、今回も事前にチェックして、テラス席のある「オープンカフェ はぴねす」というお店へ行ってみました(他にこのエリアで犬連れ利用可能な店は、安曇野ジャンセン美術館に併設された、テラス席のある“そばカフェ”くらいでしょうか)。

 松川方面からだと、安曇野ジャンセン美術館の少し先にある道の駅風の農産物加工直売所「vif穂高」を過ぎて、二本目くらいの脇道(松本方面からだと小さな看板あり)を山側(西方向)へ上がって行き、突き当りのT字路を左に行った所にあります。到着するまで、本当にこれでイイのかと不安に駆られる程、すれ違いも出来ないような未舗装の細道です(実際、途中お店に電話で確認した程でした)。

 小振りなログハウスで、山小屋風の建物。入口へは道から木の橋で渡るようになっていて、「はぴねす」という看板は、“昭和風”というよりも東南アジアに良くありそうな雰囲気です。
夏だけなのか、テラスは既にテーブルも片付けられていて、「吠えなければ・・・」という前提で、ナナも室内へ座らせていただきました。
店内は、6卓20席くらい、こじんまりした喫茶店で、女将さん一人で切り盛りされています。
パスタ中心のメニューから、イチオシという信州味噌のクリームパスタと家内はリゾット、食後に温泉コーヒー(400円)も合せて注文。
 メニューに「サラダ付き」とありましたが、二人分の大皿に盛られたサラダと一緒に先付けのような和風の小鉢も出されました。そしてメインと、食後のコーヒーにはサービスなのでしょう、デザートの果物も。
小鉢の煮物やポテトサラダも優しい味付け。クリームというより、ミルクを煮詰めて味噌を和えた感じのパスタソース。意外と味噌味が馴染んでいて、美味しくいただきました。これは、家庭でも作れそうです。直接引いているという温泉で淹れたコーヒーはとてもまろやかでした(最初に出してくれた、お茶も同様です)。
食事メニューは1000円弱でしたが、サラダや(サービスの?)小鉢も含めリーズナブルだと思います。
少し高台で、観光客がふらりと巡ってくる様なエリアではなく、この日も地元のご常連さんが二組でした。かなり、山側に入った地区でもあり、山に食糧が少ないのか、はたまた各地で最近目撃されている熊や鹿同様に、山の生態系が崩れているのか、この辺りではここ数年猿が出没するようになり、多い時は50匹くらいの群れで現れたとか。
 そんな世間話もしながら、奥さまは女将さんやご常連さんと犬談義です。
以前は妹さんと二人でやってらっしゃったそうですが、妹さんが体調を悪くされてからは、お一人でやられているとか。でも、事情を知っておられる常連さんは、「ブーブー云いながら、皆さん手伝ってくれるから、一人でも大丈夫」と笑っておられました。田舎風の、気さくで家庭的なお店でした。
(通年営業で、大型犬でも大人しくて吠えなければ、入店OKだそうです)

 母方の従弟夫婦が、穂高有明に自宅を新築したとのこと。
彼は山梨で、奥さまは東京で働いていて、二人で週末を過ごす林に囲まれたログハウス風の建物とか。
そこで、チロルのモニュメントを作っていただいた、白馬の「村の鍛冶屋」座間さんにまた制作をお願いして、彼らへの新築祝いとして新居の表札をプレゼントすることにしました。

 チロルのモニュメントに比べれば、制作のための作業時間的にはそれ程でもないそうですが、クラフトフェアや体験教室などで週末も結構お忙しいようで、県外へも行かれるのだとか。そのため、10月末の週末なら工房におられるとのことから、またナナを載せてのドライブがてら、白馬へ受け取りに出掛けました。松本からは1時間半の行程。
因みにこの座間さん、弥生系日本人の典型である私メなどからすると、羨ましい程に彫が深く、日本人離れ(縄文系?)しているのですが、良く云われるらしく(生粋の)「江戸っ子」(だった)とか。スキー好きが嵩じて、白馬に居を構えられたのだそうですが、地元にこうした作家さんがおられて、こちらは大助かりでした。

 さて、新築祝いにお願いした従弟の新居用の表札。見事に出来上がっておりました。
 白馬周辺は、途中の仁科三湖(木崎湖、中綱湖、青木湖も含め、既に紅葉の真っ盛り。快晴で澄み切った青空に白馬山系も鮮やかで、のんびりと紅葉と峰々を愛でながらのドライブでした(写真は中綱湖付近の様子)
【追記】
通勤路の三才山峠“紅葉街道”(第806話参照)も、見頃を迎えています。峠の頂上付近はそろそろ終わりですが。麓の里山が綺麗です。
今年は、心なしか例年よりも紅葉が鮮やかなような気がします。長距離トラックと通勤の車だけが楽しむのは勿体ないくらい、見事な紅葉が三才山トンネルの前後に続いています。
紅葉の山裾が迫るトンネル手前の松本側も見事ですが、上田側から来た方が、料金所を過ぎて、鹿教湯大橋からトンネル方向の山肌を染める紅葉が眺められる分だけ、楽しめるかもしれませんね(写真は10月下旬、松本側の本沢橋付近から撮影)。

 松本からですと、三才山峠を下って、鹿教湯トンネルを抜けた直後の信号の所にある、古民家を改装した御食事処「ばんび亭」(注記)。
鹿教湯の温泉街に元々あったという店が移転オープンしたのが8月頃だったでしょうか。一見食堂と言うよりも喫茶店風の洒落た佇まい。ずっと気になっていたのですが、先日漸く外出の折のお昼に入店することが出来ました。ラーメンなどの麺類以外にも、丼物や定食類もあり、酒の肴の一品類もあって(移転されて、ちょっと温泉街からは遠くなりましたが)夜も営業されているようです。テーブル席だけでなく座敷もあり、50~60人は優に入れそうな程の結構広い店内でした。

 注文は、基本の(メニューの最初にあった)“ばんびラーメン”(680円)。
見た目は、スッキリと濁りの無いスープの醤油ラーメンで、固茹でにされた細めの縮れ麺がスープに良く絡みます。
ホウレンソウにメンマ、ナルト、柔らかなバラチャーシュー、そして半分に切った茹でタマゴに刻みネギと海苔がトッピングされた、王道の醤油ラーメンです。
スープは、見た目ほど濃くはありませんでしたが、個人的には、出汁よりも生醤油が勝っている感じがしました。もう少しまろやかさが出ると良いと思います。
 ラーメンとしてのトッピングは盛りだくさんですが、ただランチとしては、小ライスにキンピラなどの日替わり(?)の小鉢と自家製の漬物もサービスで付く(「ばんび亭」は、小ライス100円との記載)、すぐ近くの食堂「あすか」のラーメンの方が(外観のオシャレ度では完敗ですが)、コスパ(それで600円!)は断然上。
そしてスープも、醤油の勝ち過ぎた「ばんびラーメン」よりも「あすか」のラーメンの方が野菜?の甘みもあって、個人的には好みの味でした。
(お若いカップルには、一応「ばんび亭」をお薦めしておきます)
【注記】
「バンビ」という店名は、勿論鹿教湯(かけゆ)の“文殊菩薩が鹿に姿を変えて、猟師に山深い地に沸く温泉の存在を教えた”という言い伝えからの命名なのでしょう。その鹿教湯には、行基の弟子円行が創立したとも云われる文殊堂があります。
リハビリなど湯治場で知られる鹿教湯は、上田の郊外(旧丸子町)にあり、駅から40分程度。松本からでも1時間程なので、ホテルや旅館によっては、両駅からの送迎をしています。