カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
我が家の愛犬チロルが逝ってから早一ヶ月。
苦しまずに、眠るように逝ってくれたのがせめてもの救い、でしょうか。
子供の頃、父に頼んでも、「(昔の記憶で)死んだら辛いから」と当初は許してくれなかった犬を、どうしてもと説得して結局4匹飼いました。
でも、18才と、これまで我が家で一番長生きだったチロルの死は、これまでとは何か違うような感じがしています。
娘たちが社会に巣立ち、我々夫婦だけになったこともあるのでしょう。涙腺の緩んだ中年夫婦、ということもありましょう。
いまだ、思い出しては、何となく溜息をつき、何もする気が起らない・・・といった日々が続きました(写真は、亡くなる3週間前の在りし日のチロルです)。
これが“ペットロス(症候群)”というものなのか、と日々実感しています。
チロルが亡くなった日に、長女が仕事で忙しい中、無理をして夜仕事が終わってから帰って来てくれました、名付け親の次女は、空港勤務のため休めず、その日は一日中部屋で泣いていたようです。
皆でお通夜めいたことをして、ペット・バスケットにチロルを寝かせ、顔の周りを菊やカーネーションなどの花で飾ってやって、翌日予約してあった市の葬祭センターへ行って火葬をし、家に連れて帰ってきました。年末の亡父の時と、建物(別棟)と炉は違えど、係の方の対応は人間の時と全く同様にしていただきました。
家内は、想い出したくないのでしょう、チロルのケージやオモチャなど全て片付け、レイアウトも変更してしまいました。
遺骨を庭の隅に埋めてあげようと思ったのですが、「もう少し一緒にいてあげたいから」と、花を飾り、暫くはそのままにしてあります。
きっと、時間が解決してくれることでしょう。そして、おそらく時間だけが、その処方箋なのでしょう。
週末の朝、家内を誘って久し振りに一緒にナナの散歩に出掛けました。
途中、時々お会いするご年配のトイプー連れの奥様(チロルのことも以前からご存じです)。その方は、以前飼っていた19歳の柴犬が、獣医師から余命二週間と宣告をされた時に、ご自分がどうにかなりそうで、思い余って亡くなる前にそのトイプーを飼うことにしたのだとか。でも、何年経ってもいまだに思い出しているそうで、
「お辛かったでしょ。でも、どんなに辛くても、想い出してあげることが、チロルちゃんの供養になるんですよ。だから、無理に我慢せずに、チロルちゃんのために泣いてあげればイイんです。」
と優しく諭すように家内に話をしてくれました。話される、その柴の最後の様子は、チロルと全く同じで、チロルの最後を想い出して、家内は涙ぐんでいました(その間、私は話の輪には加わらずに、トイプーにじゃれてもらっていました)。
でも、お陰さまでそれで少しはふっ切れたのでしょう。やがて、意を決したように、家内がチロルのお墓用のモニュメントを、石塔のような“如何にもお墓”的なものではなく、洒落たモノにしたいと言い出しました。そして、知り合いから教えてもらったという、白馬村にある「村の鍛冶屋」さんに頼んで作ってもらうとのこと。
そこで、事前に連絡し、住所を頼りに伺って、作品例を見ながら(家内が)こちらの希望を伝えて制作をお願いしました(その間、私は彼女に全て任せて、ナナに遊んでもらっていました)。今入っている制作があり、終わってから取り掛かるので、一ヶ月近くは見て欲しいとのことで、そろそろ出来上がる頃です(手付金も取らずに受けていただいた由)。