カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
10月中旬の三連休。松本は恒例の「そば祭り」で、お城の周辺を中心に市中は大混雑。それもその筈で、来場者は三日間で何と12万人だったとか・・・凄まじい。県外車も多く、地元にとっては大変有難いことではありますが、木曽観光を取り止めてこちらに来られたのでしょうか・・・。
我が家ではチロルのお墓を作るために、チロルが亡くなってから初めて次女が戻って来てくれました。連休初日にお墓を作り、皆で納骨をして白馬の「村の鍛冶屋」さんに作っていただいたモニュメントを据えて無事終了。
翌日は、娘が夜のあずさで東京へ戻るので、せっかくだからナナも連れてドライブへ。最初は紅葉の見頃を迎えたであろう乗鞍高原へでも、という前日の予定だったのですが、空港のシフト勤務明けでの前日の移動疲れで、娘が起きて来たのが昼近く。時間が無くなったので、結局近間で過ごすことに。
向かった先は、前回白馬からの帰りに場所が分らずに辿り着けなかった、安曇野市穂高の有明エリアにあるカフェ「ティータイム ガルニ」。木立に囲まれた静かな喫茶店で、テラス席は犬連れOKとの事前情報です。
最近ではペットと一緒に泊まれるペンションは、各地の高原を中心に県内でも増えてきたようですが、食事処となると、安曇野にも幾つもの喫茶店やレストラン(想像以上に蕎麦屋さんが多い)があるのですが、店内までワンコOKという店は殆ど無く、唯一以前行った豊科の「ドッグ・カフェWith」(第741話。ワンコメニューもあり)のみ。
他に、テラス席ならOKという喫茶店やレストランも意外と少なくて(安曇野のみならず、松本や蓼科、白馬も同様で、この辺がそうした客層に慣れていて蕎麦屋でもOKの店があった軽井沢との大きな違い)、こちらも事前のネット検索で見つけた有明エリアで僅か数軒ある中の一つなのですが、必ずしも犬連れ向けというだけではなく、喫茶店そのものが評判で人気のお店のようです。
場所は、穂高有明の別荘エリア(安曇野学者村?)の中。
松本平の西側を走る、塩尻から大町に続く県道25号線、別名「アルプスサラダ街道」から安曇野穂高山麓線(20近いという小さな美術館が点在するため、一帯は“安曇野アートライン”とも呼ばれているとか)沿いで、少し道路から入った林の中で場所が分りにくく、隠れ家的雰囲気とか・・・。
家内の車だと住所入力で一発検索可能ですが、今回は私メの古いSUVだったため、事前にネットの道路検索ナビで地図を出力してから出発。
我が家からだと、松本から大町に繋がる国道147号線(旧千国街道“塩の道”)の方が、市街地を通るのでドライブ気分は劣るものの、サラダ街道から回るよりも時間距離が短いので、今回は既に昼近かったこともあり、そちらを選択(但し、147号線からのアクセス路は結構分り辛い)。
山麓線だと、大町方面からは安曇野ちひろ美術館のある松川を過ぎて有明地区に入ってすぐ。道沿いにある果樹園の直売所の大きな看板を左折して林の中の道を暫く下ったところ。堀金方面から北上する場合は、有明を大分走って松尾寺を過ぎて同果樹園を右折。林に囲まれた中に佇んでいます。
暫く歩いて戻って来たら、ちょうど席が空いたとのこと。車は殆どが県外車でしたが、次から次へと来店し、皆さん順番待ちの盛況。大したモノです。
正直、取り立ててメニューが素晴らしい訳ではないと思いましたが、木々に囲まれた風情もご馳走なのでしょう。敷地内と思われる林は、背の高い赤松を中心にした雑木林で、シャクナゲや紫陽花などの花木も植えられ、樹上には巣箱が取り付けられて、ベンチも置かれています。木漏れ日の中を優しく吹く風に、何だか時間も優しく過ぎて行くような気がします。
別荘エリア内で、ある程度隣家とは距離も取られているので、周囲に人間臭さ(生活臭)がしないのが、都会から来られると癒されるのでしょうね。
三人ともオムレツ(キノコ/トマトソースのプレーンオムレツ他に、バターライス/自家製マフィンを選択。数種類の季節の温野菜が添えられているランチプレート)を注文(調理されているのがお一人なのか、サーブされるまでに結構時間が掛かるので、ここでは待ち時間もサービスだと思って、焦らずにゆったりとお待ちください)。味は至って普通です(と思いました)が、この内容で800円ならCPは良いと思います。野菜も地物で新鮮。また、自家製ケーキも人気とか。それに、犬連れにも慣れておられるようで、ちゃんとペット用の器に入れたお水も持って来てくれました。
食後のコーヒーを飲みながら、結局2時間近く(奥さまと娘が)談笑。その間、犬連れは我が家のみでしたので、皆さんワンコ同伴OKが理由ではなく、あくまでこのカフェに来るのが目的のご様子。冬場はどうか分りませんが、いやいや、なかなか大した集客力だと感心した次第。
安曇野一帯は、必ず訪れるべき名所旧跡がある訳ではないので(強いて言えば、観光農園とも言うべき「大王わさび」と碌山美術館に寄って、どこかでお蕎麦を食べるのが標準コースでしょうか。ちひろ美術館も東京の方が展示作品は多い筈)、北アルプスの山並みを眺めながら、都会の喧騒を逃れてのんびり散策し、自然の中に滞在する(自らを置く)ことそのものが観光です。
ここでは時間も優しく過ぎて行くような、林の中の小さなカフェ「ティータイム ガルニ」。癒しの喫茶店でした。
またナナを連れて、ノンビリしたい時に来ようかな・・・。林間を渡る風の涼やかな緑の夏がベストシーズンなのでしょうけれど、意外と、凛とした静けさを求めて雪化粧した白い冬も良いかもしれませんね(但しテラス席は凍える程寒いでしょうから、ワンコ連れには冬は無理)。
チロルのお墓用に、白馬村にある「鉄工房 村の鍛冶屋」さんにモニュメント制作をお願いしてから一ヶ月。
「出来上がりました!」との電話連絡があり、受け取りにまた白馬へ出掛けました。
『昨日の三角形を4枚あわせて、高さ40㎝の四角錐が出来上がりました。四面には、わんこの顔・名前・横姿・秋な景色。
チロルは、今月、天国に旅立ったそうで、この四角錐はチロルの墓標になるそうです。天国から飼い主さんのところに遊びに来る時は、この四角錐を目印におりてきてね、チロル。』
・・・感謝、感激、・・・その優しい心遣いに涙でありました。
作っていただいた四角錐のモニュメント。4面には、チロルの顔、横姿、名前と天国に昇った日付、そして秋の風景(ススキと三日月)を掘ってもらいました。家内のリクエストで、名前と三日月と群雲は鉄板を切り抜いてもらってあり、夜、中でロウソクを灯すと、ほのかに光が漏れるようになっています。
また、座間さんがH/Pに記載いただいた通りに、4面には光が降り注いでいるような模様が上から下へ放射状に焼かれていて、これは「天井から光が降り注ぎ、その光に導かれて天国に昇って行ったチロルが、会いたい時はその光にまた導かれて迷わずに、ここに真っ直ぐ降りて来るように」とのことでした。それを伺って、家内はまた、涙、涙でありました
(「一度でイイから、またチロルに会いたいナ」・・・最近の家内の口癖です)
先日の早朝、ナナと散歩をしていると、トイプーをお連れの初老の紳士から、「もう一匹のワンちゃんは、どうされましたか?」と聞かれ、経緯をお話しすると、「そうでしたか・・・、それはいけなかったですね」と、わざわざ脱帽されて、慰めのお言葉を頂戴しました。別れてから、有難くて涙がこぼれそうでした。他にもワンコのお散歩仲間の方たちから、これまで何度もお悔やみの言葉をいただいています。良かったネ、チロル・・・。
10月中旬の三連休。チロルが亡くなってから、初めて家に戻れた次女も一緒に、庭の一角に穴を掘り、周囲をタイルで囲って小部屋を作り、納骨をして、最後にタイルで蓋をして、その上にこのモニュメントを据え付けました。逝ってから早1ヶ月を過ぎ、人間で言えば納骨をする四十九日法要ですので、これでチロルも安眠できるでしょうか。
「ここなら、私たちをいつでもチロルが見守ってくれるから。それに、私たちも、いつでも部屋からチロルを見ることができるから・・・」
と、場所決めは家内。
夜、日が落ちてから、早速灯明を中に入れて火を着けて照らしてみました。遠目からでも、ぼんやりとロウソクの明かりが漏れ、チロルの名前が浮かんでいるようでした。
家族の想いを汲んで、私たちの想像以上に素晴らしいモニュメントに仕上げてくださった、白馬「村の鍛冶屋」の座間さんに感謝、感謝でありました。
チロル・・・、
いつも傍にいるよ
いつも傍にいてね
チロルよ、安らかに・・・。
9月にドゥダメル指揮ウィーン・フィル来日公演をプレゼントしてくれた長女に、(値差はかなりありますが)そのお礼として(私メのポケットマネーで)プレゼントしたチケットは、10月19日東京芸術劇場でのマチネの読売日本交響楽団(読響)のマーラー交響曲第1番「巨人」(Titan)。
ここ数年、クラシックを夫婦で聴き出した彼女たちへのお薦め曲です。
ところが、婿殿はお友達の結婚式と重なってしまい、下の娘も羽田の空港勤務日で休めず、そこで長女が親友の方に忙しい中無理をお願いし、同席いただいてのコンサートとなりました。
この日の指揮は、チェコ出身のペトル・ヴロンスキー。大震災直後の5月に、来日をキャンセルした指揮者の急遽代役でマーラーの5番を振り、大絶賛を浴びた指揮者だそうです(偶然とは言え、“3.11のマーラー”も5番でした)。
当日のプログラムは、チェコの作曲家スーク(スーク・トリオを率いた世界的名ヴァイオリニスト、ヨゼフ・スークの祖父。作曲の師だったドヴォルザークの娘と結婚。従って、ヴァイオリニストだったスークは、ドヴォルザークの曾孫)の弦楽のためのセレナードと、同じくチェコ出身でもあるマーラーの交響曲1番という、指揮者の母国チェコに因んだ組み合わせ。
人気なのか、一般発売当日の朝に購入してもらったのですが、並びの席で買えたのは3階のバルコニー席(A席)のみでした。その割には、当日3階席は8分ほどの入りだったでしょうか。今回、ステージには正面のパイプオルガンを隠して反響版が降ろされていました(インバル&都響の“マラ5”の時は、オルガンは見えていたような気がします)。
1曲目の弦楽のためのセレナードは、ドヴォルザークに勧められて作った作曲家18才の時の出世作とか。初めて聴きましたが、師を彷彿させるようなボヘミア的な香りのする明るい曲調。読響の弦楽アンサンブルも見事でした。
休憩を挟み、お目当てのマーラーの交響曲第1番“巨人”。
飽くまで良い意味で、洗練されておらず、素朴でねちっこいマーラーでした。ディナーミクを強調し、テンポもかなり揺らしながら、どちらかと言うと最近は洗練された都会的なマーラー演奏が多いような気がする中で、何となく、ボヘミアの森と土の匂いがするような“マライチ”でした。多少古臭いとしても、こういう1番の演奏の方が個人的にはむしろ好みです。
第一楽章後半から全開の熱演でしたが、読響にしては、やや管に不安定さがあったのが残念でした(但し、バンダでの演奏も含め、トランペットパートはお見事)。
ヴロンスキーは、スークも含め全て暗譜で熱演。第3楽章も表情豊かでしたし、終楽章も金管の咆哮での大音量(反響版の効果もあったのかもしれません)で、コーダからフィナーレへ。さすがは読響、パワーがあります。
ブラヴォーが飛び交う中、最初のコントラバス主席の石川さん(第3楽章葬送行進曲の冒頭ソロ)に始まり、団員の中にまで入って行って奏者を讃えていました。鳴り止まぬ拍手に、最後コンマス(この日は小森谷さん)以下、客先にお辞儀をしてお開きに。
生の“巨人”。装置では再生できない聴覚上の圧倒的迫力は勿論ですが、楽譜に指示されている“のだめ”張りの木管のベルアップやホルンパートの立ち上がっての奏法などもあって、視覚効果も満点。私自身も大いに元気をもらいました。さて、明日からまた頑張ろ!っと・・・。
昨年、小布施堂の季節限定且つ現地でしか食べられない新栗を使った和菓子「朱雀」(第797話)を食しに小布施を訪れた際に、偶然遭遇した「六斎市」。
地元の新栗をはじめ、地元の新鮮な野菜や果樹の産直と骨董市の結構な数のテントが道の両側に並び、特に大きな新栗(大きさにより等級が分れます)は、ここでしか買えないと思えるほどの見事さでした。さすがは栗の名産地です。
昨年お目当てだった「朱雀」は、一度で堪能したらしく、「もうイイ」との仰せで、今年は「六斎市」に是非また行きたいとのこと。併せて、「行ったついで」に、友人からの薦められたという桜井甘精堂のカフェ「栗の木テラス」で「新栗モンブラン」をご所望とか(な~んだ、結局新栗のスイーツも食べるんジャン!)。
ま、そうであれば小布施堂のように開店前から並ぶ必要はないでしょうが(但し、栗の木テラスも人気で行列店の由)結局今年も小布施行きと相成りました。町のH/Pによると、今年の六斎市は10月18日と19日の二日間の開催とのことで、初日の18日にナナも連れて出掛けました。
10時の栗の木テラス開店前に戻ると、既に行列。「テラス」という名前ですがテラス席は無いそうで、ナナは車でお留守番。
2番目の入店でしたが、殆どの方が新栗のモンブラン(390円)をご注文。紅茶だけではなく、コーヒーもポットで出されて(3杯は優にありました)お得感があります。しかも、コーヒー・紅茶とも淹れる/蒸すのも順番通りですので、20組程一度に店内に入れても、サーブまでには小一時間の差がありました。リスト順に沿って指定されたテーブルへ順番に案内される理由が分りました。
1個半食べた奥さま曰く、「朱雀よりも美味しい!」とご満足の様子。
個人的には、しっとり甘みを付けたケーキとしての洋菓子である桜井甘精堂の「新栗のモンブラン」か、やや粉っぽい(ぼそぼそした)感じはしますが、何も混ぜていない新栗の甘味だけの純和菓子の小布施堂「朱雀」か、人それぞれ、好みの問題だと思います。今年は、この時間でも未だ朱雀が食べられるようでしたので、それ程朝早くから並ばなくても大丈夫なのかもしれませんが、新栗を使った朱雀もモンブランも、いずれも行列必至の季節限定の人気商品です。
その後、六斎市会場からは少し離れた地元農産物の味覚祭会場も行ってみました(帰りは、ナナも一緒に無料シャトルバスに乗車)が、ブドウも栗も昨年の方が選択肢は多かったような気がしました。
むしろ、帰路に立ち寄った小布施の道の駅の直売所の方が却って品揃えが多かったような気がします。
昼食は、昨年、インフォメーションセンターで、下手なお蕎麦屋さんよりも美味しいと薦められたので、今年も六斎市に出店している「おろし(辛味)そば」(一杯300円)。モンブランのお返しに、一人で二杯いただいて満腹・・・。その後で、栗の小径など街歩き。
犬同伴OKのテラス席のある店が殆ど見当たらず、人込みの中で、ナナはすっかりお疲れモード。犬たちにとっては、些か受難な小布施行です。
(むしろ、道の駅にはドッグランがあるようです)
【追記】
少なくとも5年以上前ですが、以前職場旅行で小布施に来た時に、喫茶店のテラス席で(男だけで・・・)コーヒーを飲んだ記憶があったので、てっきり「栗の木テラス」だと思っていたら、こちらには「テラス席」は無し・・・。
さて、あれは一体どこだったのだろう?
今回「栗の小径」を歩いていたら・・・記憶に残っていた景色を発見。
そこは、小布施堂のイタリアンレストラン「傘風楼」。こちらの「栗の小径」沿いの一角にウッドデッキがあって、テーブル席が設えてあったのですが、この日は営業していませんでした(こちらの傘風楼でも、朱雀が食べられるらしく、昼頃来たお客さんは1時間待ちと言われていましたので、店内は満席の様でしたが、テラス席は使っていないみたいです)。
後日、ネットで調べると、「傘風楼テラス」とあったのですが、こちらは(北斎館側の)店の入り口にあった大きな木(メタセコイア)横のテラス席のようで、栗の小径沿いではありませんでした。
勿体無い、ワンコ連れに開放すれば良いのに・・・。うーん、やっぱり小布施は犬連れだと行き辛いかもしれません。
家内がCDレンタルしてきた、May J.のカバーアルバム“ Heartful Song Covers”。たまたまチロルが亡くなる数日前に借りて来て、看取った時も流れていたらしく、以来ダウンロードして毎日ずっと聴いているようですが、これが実にイイ!確かに、何となく癒されます。
取り上げられているのは、Nコンの中学校の課題曲だったアンジェラ・アキの名曲「手紙~拝啓十五の君へ~」や、子供たちも小学校の合唱部で良く歌っていた杉本竜一作詞・作曲の「Believe」などに始まり、お馴染みの「Let It Go~ありのままで~」。また、珍しいところでは昔良く聴いたゴスペラーズの「永遠に」や女性シンガーAIの「Story」といった知られざる(?)名曲など、選曲の良さが光ります(確かに、クリス・ハートの二番煎じ気味な企画ではありますが、イイものはイイ!)
その中でも、私メが知らなかった曲、Kiroroの「生きてこそ」。
いやぁ、イイ曲だなぁ!
メンバーが妊娠中に生まれ来る子供を想って生まれた曲だとか。
今や自殺者は年間3万人を超えています。
防止月間とかがある筈なので、そのキャンペーンソングとして、TVやラジオで頻繁に流したら良いと思います。意味合いは違うのかもしれませんが、「生きていればこそ、何かが始まる、産まれる・・・」と、少しでもそう思えたら・・・。そして、そう思わせてくれる曲だと思うのですが。この曲を聴いて、もし一人でも「生きよう」と思ってもらえたなら・・・。
『生きてこそ』
詞:玉城千春 曲:Kiroro
ママ 私が生まれた日の 空はどんな色?
パパ 私が生まれた日の 気持ちはどうだった?
あれから言葉を覚えて 私なりの
愛も甘え方も 身体にしみこんだ
生きてこそ 生きてこそ 今ここから始まる
生きてこそ 生きてこそ 広がってまたつながる
ママ 私を初めて抱く 気持ちはどうだった?
パパ 私が生まれた日は 嬉しかった?
あれからキセキを重ねて・・・私なりの
愛も出会いも 育てて生きたい
生きてこそ 生きてこそ 無限に羽ばたいていく夢
生きてこそ 生きてこそ その根は 深く 太く 強く
生きてこそ 生きてこそ 今ここから始まる
生きてこそ 生きてこそ 広がってまたつながる
生きてこそ 生きてこそ 無限に羽ばたいていく夢
生きてこそ 生きてこそ その根は 深く 太く 強く
その根は 深く 太く 強く
Ah-羽ばたいて
生きてこそ
朝塩尻へ直行した帰り道。ちょうど昼時になったので、久し振りに鹿教湯(トンネル)を過ぎて上田側に少し行った所にある食堂「あすか」で、以前から気になっていた“まぼろしの手打ち中華そば”を試してみることにしました。(当初は、松本側から鹿教湯トンネルを抜けてすぐの所に、最近温泉街から移転開店したという「ばんび亭」で醤油ラーメンを食べてみようと思ったのですが、生憎の定休日でした)
看板に「丼。あすか」とあるように、カツ丼などの丼物がイチオシのようですが、定食類も種類が豊富。また、ラーメンもなかなか本格的で、昔ながらの“中華そば”的雰囲気を残しています。70代と思しきご夫婦お二人で切り盛りされていて、昼時は、麺類にも小ライスに自家製の漬物と小鉢がサービスで付き、CPは大したものだと感心します。
前回は普通のラーメン(600円)でしたので、今回は意を決して(?)、道路沿いの手書きの看板にあって、通る度に気になっていた“まぼろしの手打ち中華そば”(800円)にチャレンジです(些か大袈裟ですが、店の外観からは、そんな気にさせられます)。
この日も、後からトラックの運転手さんや地元のお年を召されたご夫婦などが来られ、結構混んでいましたが、いつものオバチャン(お婆ちゃん)がおられず、オジサン(お爺ちゃん)一人でてんてこ舞い・・・。
運ばれてきた“手打ち中華そば”。スープは、ラーメンよりも色も味も濃い目。野菜の甘みより、鶏ガラだけではなく動物系(豚がら?)の出汁も効いているような気がします。そして臭み消し?か、何となく生姜?も隠し味で効かせてあるような気がしました。
麺は、手打ちと言う通りに、不揃いで平打ちの太麺。ラーメンとはスープも変えてあるという、醤油味の濃い目のスープは、太麺に絡ませ易くするためなのでしょう。
最後まで一生懸命スープを確かめてみましたが、スパイスの特定が出来ませんでした。多分生姜ではないかと思いますが、不思議な味わい。
個人的には、普通のラーメンの鶏ガラと野菜の甘みのある優しいスープの方が好みでした。
ご常連の長距離の運転手さんらしく、この日はオジサン一人なのを見て、“勝手知ったる”・・・で、みなさんご自分で冷水を運ばれていました。
そうした皆さんに愛されているお店です。
消費税アップ後の値上げもせず、以前の値段のまま(古ぼけたメニューのまま)で頑張っておられます(エライ!)。
【追記】
このところ夕方通勤で通る時、もう10日近く休業されているようで(入口には「本日休業」の看板が出ています)、夜だけ休まれているのか、昼も営業されていないのか、些か気になって心配しています(先日は、オジサンお一人で切り盛りされていましたし・・・)。
東京へ行ったついでに、今回は一泊したので、翌日早朝の散歩を兼ねて「羽田神社」へお参りに行って来ました。
京急大鳥居駅から環八の大鳥居交差点を左折し、通称産業道路に沿って川崎方面へ歩いて5分ちょっと行った橋の手前。因みに地名の「大鳥居」は、この羽田神社のことではなく、嘗て穴守稲荷の鳥居があったことに由来とか。
この地区一帯の氏神様は穴守稲荷かと思ったら、そうではなく羽田神社(祭神は須佐之男命と稲田姫命)とのこと。
何でも、羽田に空港が開港して以来、「航空安全」祈願の神様として航空業界関係者の信仰を集めているのだそうで、下の娘も羽田空港で航空会社勤務ですので、住まわせていただいている糀谷を含めた地域一帯の氏神さまへのご挨拶を兼ねて、一度参拝をしようと思っていました。奥さまは、既に参拝済みですので、一人朝の散歩替わりです。
娘の希望が叶うようにと、陰ながら色々な寺社にお参りをしてきた(それしか出来なかった)私たちは、お陰さまでお礼参りをすることが出来ましたが、決して他人事とは思えず、絵馬に書かれたそれぞれの願い事が成就するようにと願うばかりでした。
まだ朝7時前でしたので社務所は開いておらず、お守りなどを購入することは出来ませんでしたが、必要ならまた奥さまが来れば良いと、本殿にしっかりとお参りをして羽田神社を後にしました。
お使い物や県外からの客呼びの時などに、我が家で(奥様が)選んでいるのが、松本『桜家』の“うなぎの笹蒸し”です。
場所は、大名町のNTTの角を東に入った、仏蘭西料理「鯛萬」の斜め対面。
車だと、L字形の駐車場の片面が一方通行で、大名町からですと、店を目の前にしながら、そちら側の台数の多い駐車場には侵入禁止でアクセスできませんので、念のため、L字形の駐車場のどちらにもアクセス可能な上土(あげつち)側から(マサムラ本店前を通る一方通行を)行った方が無難です。
“うなぎの笹蒸し”は桜家の名物料理で、蒲焼の鰻を芯にもち米で太巻きのようにして、笹で包んで蒸し上げたもの。笹の清々しい香りがほんのりと効いていて、1本1100円(税抜)。冷凍保存されていて、店頭で購入することや、送っていただくことも可能です(笹寿司のような小型タイプもあり)。
個人的には、「鰻はやっぱり鰻重でしょ!」という“信念”で、昔接待で使った時も然程の感激も無く、今でも「何も鰻をわざわざもち米で巻いて、笹で包んで蒸さなくてもイイジャン!」と思っていますが、あに図らんや。
数年前の県外からの客呼びの時に、「何か松本らしいモノを・・・」と悩む家内に、「あまりお薦めはしないけど・・・」と言って買って来て家で蒸して供したところ、皆さんからは大絶賛!
「えっ、うっそう・・・?」。我が家の家族を含め、特に女性の方からの評判が良いようです。「ふ~ん、そうかなぁ?でも鰻はやっぱり・・・」と一人蚊帳の外。
気に入られた奥様は、その後も時々お使い物(サカタのおやき同様に)や、県外からお客様が来られた時の食事用などにご指名買いをされています。
今回も、県外に暮らす従弟夫婦の来訪時に購入。奥さまの手料理と合せて食卓へ。
我が家の愛犬チロルが逝ってから早一ヶ月。
苦しまずに、眠るように逝ってくれたのがせめてもの救い、でしょうか。
子供の頃、父に頼んでも、「(昔の記憶で)死んだら辛いから」と当初は許してくれなかった犬を、どうしてもと説得して結局4匹飼いました。
でも、18才と、これまで我が家で一番長生きだったチロルの死は、これまでとは何か違うような感じがしています。
娘たちが社会に巣立ち、我々夫婦だけになったこともあるのでしょう。涙腺の緩んだ中年夫婦、ということもありましょう。
いまだ、思い出しては、何となく溜息をつき、何もする気が起らない・・・といった日々が続きました(写真は、亡くなる3週間前の在りし日のチロルです)。
これが“ペットロス(症候群)”というものなのか、と日々実感しています。
チロルが亡くなった日に、長女が仕事で忙しい中、無理をして夜仕事が終わってから帰って来てくれました、名付け親の次女は、空港勤務のため休めず、その日は一日中部屋で泣いていたようです。
皆でお通夜めいたことをして、ペット・バスケットにチロルを寝かせ、顔の周りを菊やカーネーションなどの花で飾ってやって、翌日予約してあった市の葬祭センターへ行って火葬をし、家に連れて帰ってきました。年末の亡父の時と、建物(別棟)と炉は違えど、係の方の対応は人間の時と全く同様にしていただきました。
家内は、想い出したくないのでしょう、チロルのケージやオモチャなど全て片付け、レイアウトも変更してしまいました。
遺骨を庭の隅に埋めてあげようと思ったのですが、「もう少し一緒にいてあげたいから」と、花を飾り、暫くはそのままにしてあります。
きっと、時間が解決してくれることでしょう。そして、おそらく時間だけが、その処方箋なのでしょう。
週末の朝、家内を誘って久し振りに一緒にナナの散歩に出掛けました。
途中、時々お会いするご年配のトイプー連れの奥様(チロルのことも以前からご存じです)。その方は、以前飼っていた19歳の柴犬が、獣医師から余命二週間と宣告をされた時に、ご自分がどうにかなりそうで、思い余って亡くなる前にそのトイプーを飼うことにしたのだとか。でも、何年経ってもいまだに思い出しているそうで、
「お辛かったでしょ。でも、どんなに辛くても、想い出してあげることが、チロルちゃんの供養になるんですよ。だから、無理に我慢せずに、チロルちゃんのために泣いてあげればイイんです。」
と優しく諭すように家内に話をしてくれました。話される、その柴の最後の様子は、チロルと全く同じで、チロルの最後を想い出して、家内は涙ぐんでいました(その間、私は話の輪には加わらずに、トイプーにじゃれてもらっていました)。
でも、お陰さまでそれで少しはふっ切れたのでしょう。やがて、意を決したように、家内がチロルのお墓用のモニュメントを、石塔のような“如何にもお墓”的なものではなく、洒落たモノにしたいと言い出しました。そして、知り合いから教えてもらったという、白馬村にある「村の鍛冶屋」さんに頼んで作ってもらうとのこと。
そこで、事前に連絡し、住所を頼りに伺って、作品例を見ながら(家内が)こちらの希望を伝えて制作をお願いしました(その間、私は彼女に全て任せて、ナナに遊んでもらっていました)。今入っている制作があり、終わってから取り掛かるので、一ヶ月近くは見て欲しいとのことで、そろそろ出来上がる頃です(手付金も取らずに受けていただいた由)。
エル・システマが育んだ若き“天才指揮者”と云われ、今や時代の寵児ともなったグスターボ・ドゥダメルが振るウィーン・フィル2014来日公演。
殆ど即日完売だった筈ですが、何と9月27日サントリーホールでのマチネコンサートを、上の娘がプレゼントしてくれました。今回も恒例で、「誕生日、結婚記念日、お中元・お歳暮、ぜ~んぶまとめて!」とのこと。
「でも、良い席じゃないからネ・・・」
「いえ、いえ、VPOが聴けるだけで満足です。」
「ロシアの復活祭序曲」に始まり、ムソグルスキー(リムスキー=コルサコフ版)「はげ山の一夜」、休憩後に「シェエラザード」。ラテン系指揮者に近代ロシアものという、VPOにしては珍しいプログラムでしょうか。
席は、ヴィンヤード型ホールのステージ向かって左手の2LAの何と最前列。オーケストラの面々が手に取るように見え、譜面台に置かれたスコアも読み取れそうな程の近さ。音響的にはともかく、生で“視る”には願っても無い席でした。
さすがにウィーン・フィルともなると、開演前のロビーも客席も華やいだ雰囲気です。娘によれば、この日はオーストリア、ベネズエラ両国駐日大使ご夫妻もご臨席とのこと。
20年ちょっと前に、ムーティの指揮でウィーン国立歌劇場の管弦楽団としては聴いたことはありますが、VPOとしての生演奏は初めてです。
「あぁ、これがウィーン・フィルの生音か・・・」
その何とも言えぬほどに柔らかな管楽器。そしてビロードのような艶やかな弦の響き。平面的にみれば、2nd Vn,の最後列ともいえる、2階席最前列の席という場所柄、間接音よりも直接音で、目の前全てが音に溢れ、音の洪水に包まれているような感じです。
今回のパンフレットの団からの挨拶に、世代交代の時期とあり、確かに思いの外若手の団員の方も多かったのですが、これがウィーン・フィルの音、伝統というべき響きなのでしょう。そして、各プルトの譜面台に置かれた黄ばんだ楽譜からも、おそらく世界でこのオケだけが持つであろう歴史と伝統が感じられます。
それにしても、えも言われぬ管楽器の柔らかさとまるでビロードのような弦の響きに、うっとりと夢心地・・・。打楽器も上手いなぁ!
何回か管楽器に不安定な箇所もありましたが、そんな些細なことはどうでも良いと思わせる、至福の時間が流れていきます。
しなやかで、大河のようなドゥダメルの指揮。33歳という若手ながら決して派手な動きではなく、音楽を創ることが何とも楽しくてたまらないというような、本当に嬉しそうに、そして豊かな表情での指揮振り。オケとの一体感も感じられましした。
特に、シェエラザードは官能的でうっとりするような素晴らしい演奏でした。しかし決して甘過ぎず、時に静謐ささえ感じられたヴァイオリンソロは、この日のコンサートマスターを務めたシュトイデさん。確かもうじき定年を迎えられるという(数ヶ月前に日経「私の履歴書」を執筆)、ウィーン・フィルの“顔”キュッヘルさんがトップサイドでサポート役。
シェラザードの最終楽章。凛としたソロヴァイオリンのハイトーンで最後消え入るようなフィナーレに、十分に余韻を残してからタクトが降ろされると、静かにやがてブラヴォーの歓声と共に盛大な拍手でホールが包まれました。
何度かのカーテンコールに応えた後のアンコールには、これぞウィーン!十八番のワルツから、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「エジプト行進曲」。途中、ドゥダメルも指揮をしながら楽しそうに団員の人たちと一緒に合唱に加わっていました(オーケストラへのアンコール曲の合図に、ドゥダメルが「マーチ!」と言ったのが聞こえたので、てっきり“ラデツキー”だと思ったら、勘違い)。
何度もカーテンコールが繰り返され、最後に団員の皆さんが袖に下がった後で、スタンディングオベーションでの鳴り止まぬ拍手に応えて、ドゥダメルがもう一度出て来てくれてのお開きとなりました。
「しかし、やっぱりイイものは(高くても)イイなぁ!」
・・・と、今まで聞いた演奏会が暫し霞んでしまう程に、何とも当たり前の感想が浮かんで来ます(うーん、でもなぁ・・・。日本のオケだって・・・)。
いつまで経っても余韻が冷めぬ程の感動に、娘夫婦にただ感謝、感謝でありました(娘によれば、来年の指揮はエッシェンバッハだそうで・・・)。