カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
我々、生粋の“松本っ子”が当たり前と思っていても、県外から来られると、驚いたり意外だったりすることも多いようです。そんな話題としてお送りします。題して「信州松本“ぶったまゲーション”」。
駅前大通の国府町(「こくぶちょう」と言っても、奈良時代の国府の置かれた場所ではなく、明治になって松本駅開業に伴い新設された町名)交差点の角という、松本の市街でも駅前大通りの一等地にある車場ビルの1階。「コタケ」と描いた看板があります。
ここは、“おばちゃんの原宿”とも形容される東京巣鴨商店街と同様に、オバチャン御用達の洋品店。規模は巣鴨とは比べるべくはなくとも、謂わば“松本の巣鴨”とでも言っても良い(聞いたことはありませんが)店でもある「コタケ洋品店」です。勿論、母も昔からその愛用者の一人だったでしょう。
松本でも、店じまいをする洋品店やブティック(そう言えば、本町にあるヤマダドレスもここで閉店とか)などもある中で、一等地で何十年と続いてきた不思議な洋品店でした。
2年ほど前だったか、家内が母の衣料品を買いたいけど、どこへ行けば良いか聞くので、
「そりゃあ、松本だったらコタケしかないでしょ!」
そこで家内を案内して、その時に初めて店内に入店しました。
いやぁ、凄かったですね・・・。中年の“オバチャン”や、お年寄り向けの衣料品が店の外のハンガー含め、店内にも所狭しと並べられていて、数人おられたお客さんは勿論そうした年代層の方々ばかりで、50才以下や、ましてや若い女性のお客さんなどは皆無。店員の方もそうした年齢層の方がお二人。ここまで徹底されると、ある意味壮観でもありました。
80台半ばのご婦人向けにどんなモノが良いか分らぬ奥様に、店員の方が「じゃあ、これとこれは?」と言って全てお任せで選んでいただきました。
その“オバチャン御用達”の店が、年内一杯で閉店し、1月から女鳥羽川沿いにある本店へ移転するとか。
当時も、ごった返す程ではなくとも、絶えずお客さん(オバチャンたち)が店内にはおられたと思いましたが、先述の通りの駅前の一等地で、ビルは自社物件(駐車場ビル)でしょうから、テナント料収入前提で、貸せた方が経営的には良いのでしょう。今風のレストランでも入るのでしょうか?
オバチャンたちなら、別に駅前でなくとも、女鳥羽川沿いの本店に行けば良いのでしょうから。
我々(男性)には関係ありませんが、また老舗の(名物)店が一つ消えていきます。
毎朝の日課。
5時半から、先ずチロルとナナの散歩をして、戻り、チロルのブラッシングをしてから二匹のケージの掃除と、チロルが毛を撒き散らすので、毎日フローリングの掃除機掛け。終わると、ケージのおむつシートを取り換えて、食器を洗って、エサ遣り。以上を家内と二人で分担(家内が娘の所に上京して不在の時は、これを全て独りで対応するので大変です)。
その後で、漸く人間様である私メの朝食は、新聞二紙を斜め読みしながら、通常、パン食+トマトジュース派(と、ベランダでの食後のコーヒーで一服。ふ~ぅ)で済ませ、7時過ぎ(目標7:10自宅発が、実際は15分頃)には、三才山峠越えの車通勤で上田の塩田平へ出社・・・と相成ります。
些か、前置きが長くなりましたが(要するに、如何に時間が無いかを言いたかっただけ)、朝食用のパンは、週一のスーパーマーケットでの買い出しの際、自家製ベーカリーで焼き上げたパンや、大手製パン会社の調理パンなどを一週間分まとめ買いをし、ソフト冷凍してもらっておいて、毎朝レンジで解凍して食べることが多いのですが、選ぶパンも最近ではワンパターン化しています。
そのため、そのいつものパンがあっても、「ナンカ、飽きたよなぁ~」と食指が伸びないこともしばしば・・・。
そんな時は、家内が自分用に買ってある食パン(体にイイからと、我が家の常備はライ麦パン)を使って一工夫。
それは、マヨネーズを敷いた上にブラックペッパーを振り掛けて、オーブンでトーストしたもの。
「意外とイケルじゃん!」。
そこのお店では、一枚130円くらいだったと思いますが、
「これなら、自分で作れるジャン!」
・・・ということで、以来何もない時は、自分で作っています。
そのお店では、もしかしたら薄くバターを塗った上にマヨネーズを敷き詰めてから、ブラックペッパーを振ってトーストしているかもしれませんが、自宅では(朝の時間が無い中で)単純にマヨネーズを敷き詰めて(スプーンで塗らずに)、そのままブラックペッパーを振ってオーブンへ。
必ずしも自分は「マヨラーではない!」と思っていますが、マヨネーズの酸味と胡椒が良く合います。白胡椒ではなく、(我が家でも)ブラックペッパーの粗挽きなのが、多分ミソだと思います。
(休みの日で時間に余裕があったら、摘んできたバジルやルッコラを数枚載せてトーストに。更に、目玉焼きを挟んでホットサンドにしても良いかもしれませんね)
時間のない時、また食パンしかない時に、だまされたと思って、一度お試しあれ。
続けてのBS ネタで恐縮です(バラエティーばかりの地上波は見る番組が無く、しかも、W杯番組にまでタレントやお笑い芸人が出る意味が分からん。あっ、でも「Hero」は、二番煎じですが、スピード感があってイイ。今回のヒロイン役の北川景子も、コミカルでなかなか上手い!)。
前置きが長くなりましたが、BSジャパンで毎週火曜日に放送されている、「空から日本を見てみよう+(plus)」。
ヘリコプター撮影(多分)での上空視点から、(上から見て)変わった、面白い建物を中心に、各地の名所なども交えて紹介する番組。雲の「くもじい」(ナレーターは伊武雅刀)と「くもみ」(同じく柳原可奈子)が案内役。
毎週見ているわけではありませんが、地上波のバラエティーは見る気もせず、京都など興味深い土地が出たりする時に見ています。
この7月8日と15日は、我が「信州松本編」。
「我が家も映るかも」と楽しみに見ましたが、市街北部方面は撮影無し。
番組中では、松本城や、開智学校など定番の名所旧跡の他、大名町にある古書店「青翰堂」(松本城天守を模した外観)や源池の井戸なども紹介されました。
青翰堂は、子供の頃、当時市内で唯一記念切手を扱っていて、お小遣いを貯めては、都度欲しい切手を一枚だけ買いに通った店。当時は、今の店主のお父上が店主をされていました。また、源池の井戸では、朝から夕刻までの定点撮影で、水を汲みに来た市民の数は、何と212名とか(据え付けカメラとは云え、撮影ご苦労様でした)。
番組内では、松本パルコが「松本市民の誇り」と紹介されていましたが、「お城じゃあるまいし、そんなことあるかーい!?」と反発。
すると、隣の奥様が、「あっら、松本の人って、パルコがあるって自慢してるじゃない!」とすかさず突っ込みが・・・。
「ムム、そりゃ、女子高生とか若い子たちでしょうがぁ!」
(個人的には、パルコより、ハンズに来て欲しい!・・・と思っています)
でも、半世紀住み慣れた町も、上空から見ると日頃の視点とは違った景色が見えて、実に新鮮でした。
翌週は、松本の市街地を離れ、島々線に沿って、奈川渡ダム、乗鞍、白骨温泉、そして上高地などの北アルプスが紹介されました。
「フム、絶景かな!」
BS-TBSで毎週月曜日の夜9時から放送されている、「吉田類の酒場放浪記」。15分でその街と老舗居酒屋を一軒紹介し、再放送含め1時間で4本。大体東京周辺の店が中心ですが、時々地方の店も紹介されています。
そして、5月下旬から5週に亘って初めて長野県が取り上げられ、3回目が松本、4回目に諏訪、5回目に伊那が紹介されました(個人的には、2週連続の長野を一回にして、“美味だれ”焼き鳥の上田も是非取り上げて欲しかったですね。人口は勿論ですが、上諏訪や伊那よりも、少なくとも夜も上田の方が賑やかです。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも盛り上がりそうですし・・・)。
吉田さんが若い頃、北アルプス登山で何度か訪れたという松本では、松本城の紹介の後、緑町界隈の串焼きの店「とり八」。50年以上続く老舗で、地元での評判(焼き鳥なら、ここか近くの「山女や」)は聞くのですが、閉まるのが早い(9時半)のと、駅からは少し離れていて、確か他で飲んで酔っ払って行くと“入店お断り”の店の筈ですので、(恐れをなして)未だ入ったことはりません。でも昭和風のコの字型カウンターの店内でしたし、然程頑固そうな親父さんでもなかったので、一度は(先ずはシラフの一次会で)行ってみたいと思います。
そして上諏訪は、駅からすぐの通称「笠森小路」(並木通り方面へ抜ける近道で、線路沿いの細い路地には小さな祠の笠森稲荷があります)にある「とんちん」とか。そう言えば、看板は見たことがありますが、この小路ではラーメン屋さん(と駅周辺で唯一のコンビニ)以外は入ったことはありません。
駅周辺は、老舗の地元デパート(丸光)も数年前に閉店するなど、時代から取り残されて、今風の店は少ない(郊外の諏訪IC付近に集中)代わりに、昔からずっとやっている小料理屋とかは結構多いので、(異動前の)馴染みの店とかが紹介されたら良かったのですが、今回はあまり諏訪らしい店(例えば季節の山菜やキノコ、諏訪湖のワカサギや手長エビ・・・昔、県外からのお客様に、先付で供された唐揚げの手長エビを「諏訪湖名物」と自慢したら、その方は滋賀県のご出身で、「あぁ、琵琶湖でも採れますネ」と云われ、恥をかきました・・・などの郷土料理)ではなく、残念でした。ただ、店内で自然に(居合わせた常連客から)木遣りが紹介されたのは、如何にも諏訪らしい。ヨイサー、ヨイサー!
以前もご紹介(第831話)したように、小学館の「ビッグコミック・オリジナル」連載の中で、今一番ハマっているのが、前座からの落語家修行を描く尾瀬あきら作「どうらく息子」です。落語家柳家三三(さんざ)師匠の監修も手伝い、落語界や古典落語など、噺家の世界が実に丁寧に描かれています。
捨てられずにいたら、さすがに邪魔になってきたので、保管のスペース効率を考えて、単行本のビッグコミックス(とりあえず最新刊までの)全9巻を一括購入してしまいました。35年間愛読してきたビッコミ・オリジナルですが、考えて見たら、全巻購入したのはこれが初めてです。
それだけ、この作品が(例え私のような落語素人であっても)何度でも味わって読める魅力に溢れていることの証左でありましょう。
そして全9巻、一気に、しかも繰り返して三度読破しました。
全て一度はオリジナル誌上で読んでいる筈なのに、今回じっくりと読み返して、改めて「イイなぁ・・・!」と何度も何度も溜息をつきました。
傍の奥様曰く、
「5千円で、そんなに何日も幸せに浸れるなんて、安上がりでイイわね!」
と感心して(呆れて?)おられました(我ながら、同感でござりますル)。
誕生日祝いに買った「銅楽独演会」のチケットを失くして困っている老夫婦に、自分の大切な一枚を譲る翔太。そのチケットを偶然拾って彼に届けた師匠のおかみさんの、「客席にいる、ちょっと若い長兵衛さんに聞かせてあげたいから」というリクエストに応えて演じる、銅楽円熟の「文七元結」。
T大学合格を寄席に報告に来た弟を高座から祝う、二ツ目に昇進したきさらぎ改め夏の輔の、しきたり破りの大根多(ネタ)「妾馬」。最初は小言を言った真打らも、銅ら壱の必死の訴えで訳を知り、何も言わずに、そのお祝いに次々と目出度い一席を高座で演じます。
若い頃はCDを出す程の芸達者でありながら、飲んだくれて素行が乱れ、寄席から追放されている真打ち夢六。ひょんなことから銅ら壱と関わり、悩む銅ら壱に徹夜で「牛ほめ」の稽古をつけ、高座で演じた銅ら壱の間の取り方から夢六と見抜き、また彼を高座に上げようとする銅楽。その夢六の才能を信じ、じっと見守る「よし乃」の女将。
嘗て、先妻を失くして憔悴し切った銅楽を高座に復帰させるために、敢えて挑発した夢六同様に、今回その時と同じセリフで、自棄になりかけた夢六に覚悟を決めさせる銅楽。そして大根多ではなく、初心に帰っての前座噺「道灌」で復活を遂げる夢六。
8年前に、芸も荒れた夢六を出入り禁止にした名人慎蔵師匠から、夢六が若い頃唯一慎蔵に稽古を付けてもらいながらOKの出なかった大根多「鰍沢」を演じる条件での「慎蔵独演会」への指名を受け、見事に演じ切った夢六に、「10年掛かってやっと上がった(出来上がった)な」と袖で労う慎蔵。
銅楽の計らいで、10日間の寄席に8年振りに復帰した夢六。初日の楽屋で、新人前座のしくじり(めくり間違い)で客席から笑われたことをなじり続ける後輩噺家に、同情しつつも「客席が湧いたなら、それをそのまま掴んで笑いを広げるのが芸!」と一喝し、見本とばかりに高座でそれを枕に見事笑いを取る夢六。
そしてオリジナル誌上でも何度も何度も読み返した、夢六演じる奇跡の「芝浜」。病院から駆けつけた銅ら壱から(昏睡していた「よし乃」の女将の)「意識が戻った」と報らされて、独り病院へ向かう夢六。その、少し丸めた男の背中の描写が、黙しながらも喜びに震えているようで、実にイイ。「芝浜」に夢六の現実をダブらせてその心情を描いた、尾瀬あきら(+柳家三三コンビ)の傑作だぁー!
えも言われぬ味を醸す慎蔵師匠の、まるで人情噺の下げのような「そん時は銅楽さん、クエになりなよ」の“クエの段”は、次巻でしょうか?楽しみだなぁ・・・(振り返ると、何だか夢六師匠や慎蔵師匠ばかりが印象に残っていますが・・・)。
・・・と、どのエピソードもしみじみと、ほのぼのと、
「うーん、落語の世界は深いなぁ・・・。」
そう言えば、「どうらく息子」に感化されて、数年前に松本で初めて聴きに行った、三遊亭歌丸&円楽両師匠の生落語。
クラシックのコンサートのように、どうして事前にプログラムに演目やその解説が乗っていないのか不思議に思いました。
「古くからの慣習とはいえ、何と不親切な!」。
今回改めてコミックを読んで分かったこと。
高座に上がるまで分からないのですね。立前座が記録する、その日の根多(ネタ)帳を見て、演目がダブらぬようにその場で差し替えたり、或いはその日の客層に沿ってネタを決めたりすることもあるのですね。
「イヤハヤ、知らないということは、げに恐ろしい・・・」
と、恥じ入った次第。
さて、いよいよ本誌オリジナルは、次号(明後日、19日発売でーす!)で遂に第100話。話の方も区切り良く、銅ら壱改め「惜春亭銅ら治」の二ツ目昇進披露の初高座が巻頭カラーで開演。そして、月末にはお待ちかねの第10巻が発売予定とか(ムフフ・・・)。
【追記】
そして8月5日号(No.1199)の巻頭。「どうらく息子」での、銅ら壱改め惜春亭銅ら治演ずる二ツ目襲名披露「締め込み」。
(*前回から「顛末記」を「日記」と改め、以前からの通し番号にて掲載)
最終的にミントジャングルと化した花壇(最初は10種類以上植えたハーブガーデンでしたが、その後ミント類に駆逐されてしまいました。ミント類をもし植える場合は、竹を植える時と同様、根が這わぬよう仕切り板を入れる必要あり)のリフォーム以降、毎年定期的にメンテナンスをお願いしている園芸店が、6月上旬に、今度は花壇の夏から秋咲きの花を植えてくれました(根付いたのか、漸く落ち着いてきました)。
私メは、先週家内とまた芝生の草取りをした後で、まだ少し時間があったので、今年三度目となる芝刈りをしました。
4月上旬に遅れて実施した芝焼きで。生え揃うのは少々遅れましたが、すっかり緑になりました。自分で策庭した50㎡ほどの姫高麗の芝生ガーデンですが、二度目の芝刈りでは、まだそれ程伸びてはいないので、二時間の予定が今回も僅か一時間足らずで刈り取ることが出来ました。
これが、伸びた後だと二度刈りしないといけない程で、殆ど一日仕事になってしましますので、むしろ小まめに芝刈りをした方が、却って合計時間は短くて済みます(とは分かってはいても、なかなか・・・)。
そして今回の三度目は、前回よりも多少伸びていましたが、それでも予定通りの2時間で終了。今回は、エッジも手鋏みでしっかり切って・・・。
すっかりキレイになった芝生は、視覚的には勿論ですが、刈った後の青草の匂いも臭覚的にも気持ちの良いものです。それに、芝の最も成長する7月から8月に芝を刈ることで、上に伸びる勢いを横に拡げ、芝目が細かくなる(芝生が密集する)効果があります(逆に、高温多湿の日本では、特に梅雨時は蒸れるリスクがありますが)
なお、芝刈り後の写真でツートンのグラデーション(縞模様)に見えるのは、サッカーや野球の芝生のグラウンドと同様で、芝刈り機の往復による順目と逆目のためです。我が家では、自分の手作りでの作庭のため(また枯れた部分の補修で目土を追加した場所もあるため)、専門家の作庭のように平坦ではなく凸凹があり、刈高があまり短いと、場所(凸)によっては根元近くまで刈り込んでしまうことがあることから、経験上20㎜で刈っています(もし短く刈れるのであれば、その方がゴルフ場のグリーンの様に見た目もキレイですし、その分伸びも抑えられます)。
そう言えば、芝生を自分で植える時に、何度も中央図書館から借りて勉強した専門書に書いてあったエピソード(うろ覚えながら)。
英国の古い公園か大学だったか、美しく手入れされた見事な芝生を見て感激した著者(園芸専門家)が、そこにいた庭師の方に「素晴らしい芝生ですね!」と感想を伝えると、そのガーデナーのお爺さん曰く「なぁに、100年も世話をしていればこうなるさ」。
芝生に限らず、日々の手入れが大切で、一朝一夕には見事な庭は完成しないということでしょうか。
ハーモニーメイトのバスツァーの折に、音文の制作ディレクターのNさんから、「他(東京紀尾井ホール等)では完売なのに、松本では未だ売れ残っているので、是非聴きに来て欲しい!」と言われたヴァレリー・アファナシエフのピアノ・リサイタル。奥さまはまたまた娘のところに上京して不在の週末でしたので、同世代の友人を誘って、オジン二人で聴きに行きました。
ヴァレリー・アファナシエフは、エリザベート王妃国際コンクールの優勝者で、今年67歳になるモスクワ出身のピアニスト。現在はベルギー在住で、戯曲や詩も書き俳句やインド哲学にも造詣が深いという、文学者の顔を併せ持つ異色のピアニストとか。
今回の来日公演でのメインは、東京などでのベートーヴェンのソナタだそうですが、松本ではシューベルト最晩年の作品、「3つのピアノ曲」と最後の「ピアノ・ソナタ第21番」というプログラムです。
「(“伝説的カリスマ”とも云われる)アファナシエフのチケットが売れ残るようでは、“楽都”松本も情けない」と専門家に揶揄されたそうですが、ハーモニーメイトと雖も、地元の音楽愛好家は来月に“お祭り”のSKFを控えているので難しいのかもしれません。しかも、翌週(7月2日)には、地元TV局主催で辻井伸行のリサイタルも音文であり、既にチケット完売だった由。凄いですね。ただ、以前松本県文の大ホールで聴いた彼のチャイコの協奏曲(第441話参照)では、(席の位置にも依るかもしれませんが)フル編成のオケに負けて音が埋没していましたが、音の“粒立ち”は素晴らしいので、音文でのピアノソロならイイかもしれません。
斯く云う私メは、今年のSKFには十束さんが来られないので無関心/無関係ですし、そう云われては松本市民として、また音文会員としても些か責任(義憤)を感じます。また今回は、ピアノ曲では自身あまり馴染みのなかったオール・シューベルトで、しかも彼の晩年の作品にも(第863話の“グレイト”以降)興味もそそられました。Nさんによると、他のピアニストに比べ極端に遅いテンポ(通常30分の作品なら、彼は40分掛かる)で、独自の世界を奏でるのが特徴なのだそうです。
当日は、小雨混じりの中、残念ながら満席にはならず、8割方の入りだったでしょうか。でも、市内の著名な音楽関係者を多くお見掛けしましたので、玄人受けする演奏会だったのかもしれません。
Nさんによれば、この日アファナシエフの松本到着が遅れ、リハーサル無しでのホールの響きを確認しただけで、彼曰く「Perfect!」との一言だったとか(松本には3回目の来演の由)。
当日のプログラムは、どの曲も、またどの楽章も、シューベルトらしい歌心に溢れた作品でした。しかし、時に不気味な低音のトリルが何度か入り・・・。21番のソナタは、僅か31歳で亡くなったシューベルトの、死の数週間前に書き上げられたという遺作。しかし、全体は死を予感させるような暗さや悲壮感ではなく、もし第1楽章の左手のトレモロが不安を暗示しているなら、それを包み込むような美しい主題が、まるで天上から優しい光が降り注ぐようで、ずっとこのままその音に包まれていたい気がして、大いに癒されたひと時でした。
アファナシエフのピアノ。黒尽くめのラフな格好で、さっとステージに登場したかと思うと、お辞儀もそこそこに着座。少し腕まくりをして、(瞑想するでもなく)“ぶっきらぼう”にいきなり弾き出して・・・。
ピアノが、鍵盤楽器とはいえ、打楽器だったのかと思い知らされるようなffの大音量と儚げなpp。時に、一音一音がフェルマータで異様に長く・・・。この日のソナタは40分ちょっと掛かりましたが、決して遅いと感じる演奏ではなく(かなり早いパッセージもありましたので、多分全体的に遅いのではなく、時に一音を長く伸ばすなど、異常なほど遅く弾くパートもある、ということなのでしょうか?)、そのフェルマータも、彼の紡ぎ出す音楽の流れの中では自然で少しも違和感はなく、むしろそうすることの必然性をも聴き手に感じさせます。スタンダードな21番の演奏とは全く異なるのかも知れませんが、幸い他の演奏を知らないので、すぐに彼の世界に引き込まれてしまいました。しかも、打鍵の強さもあるのかもしれませんが、彼の想いを込めた一音一音の持つ重みに、時として息苦しいほどに、また、早いパッセージでは、弾いているキー以外の音までも飛び交っているかのような錯覚さえ感じます。
こんな演奏を聴いてしまうと、女性ピアニストのディナーミクには物足りなさを感じてしまうのかもしれません。
梅雨空の湿度の高さを物ともせず、ホール一杯に響いたシューベルトに包まれて、本当に幸せで、優しく癒された安寧のひと時でした。
私メだけではなく、最近フィジカル・メンタル両面で少々お疲れモードだったという友人も、「シューベルトに癒された」と感動してくれたようでした。
なお、第2楽章だったか、途中で携帯音が鳴りました。幸い扉に近かったので、すぐにその女性は外に出て行かれて、結局終演まで戻って来ませんでした。開演前には、注意を促すアナウンスもあるのに・・・(確かに、“楽都”と称するには余りにも情けない)。
過去の松本への来演では、普段は滅多に弾かないというアンコール曲も披露してくれたそうですが、今回はカーテンコールのみ。でも、5回、6回と。客席からの熱狂的な拍手に応えてステージに姿を見せてくれただけで満足でした。
終演後のロビーには、50人を超える程の人の列。サインを待つ人たちで、この日の感動の程が伺えました。
会社の後輩が、早期退職をして、出身地である豊科に喫茶店「パウゼ安曇野」を6月末にオープンさせました。
場所は、長野道安曇野(旧名豊科)ICを出て豊科方面に左折し、二つ目のT字路の信号(「安曇野インター西」)を過ぎた次の小さな交差点を左折して、細道を50mほど行った先の左手にある白い三角屋根の建物。黒地に白の看板が出ています。
彼は、高校の2年後輩でもあり、現地では別会社でしたが、同時期にシンガポールに赴任していた赴任仲間でもありました。
引退する前は東京に赴任していて、その頃から休みの日を使って少しずつ準備を進めてきたようです。
「パウゼ」とは、ドイツ語の音楽用語で休符、休止符のこと。諏訪の会社に行く途中の浜町の路地裏に、同じ名前の喫茶店があり、私も時々入ったことがありますが、彼の同期は毎朝立ち寄ってから行くのが習慣でした。今回、念願だった喫茶店を始めるに当たり、ご主人亡き後も続けてらっしゃる奥さまに了解をいただいて、名付けたとのこと。
香しい、挽き立て淹れ立てのドリップコーヒーをいただきながら、店内にはゆったりとした時間が流れていきます。そして、晴れた日には、窓一杯に常念岳が広がっている筈。
特に、空気の澄んだ安曇野の冬。ジャズが流れて、薪ストーブで暖かな部屋で、常念を眺めながらいただくコーヒーは格別だと思います。
私は都合で行けませんでしたが、開店祝いの時に出掛けた会社仲間からは、コーヒーだけだったので、ジュース(アドバイスをふまえメニューに追加)や、軽食やスイーツもあった方が家族連れは喜ぶからと、
「もっと色々工夫して、お客さんを呼べるように意見してやってください!」
と言われましたが、本人は拘り派の結構頑固な面もあるので、ほどほどに、でも、「独り身なので、儲からなくても良いから、ここでゆっくり楽しんでいって欲しい」
という想いは、次男坊ゆえの気楽さ(長男の私からすると何とも羨ましい限り)とはいえ、是非“初心忘るべからず”でずっといて欲しいと思いました。
松本の中心街でも、昔ながらの純喫茶はだんだん姿を消している中で(「無伴奏」も無くなっちゃったし、今も昔と変わらずやっているのは、「アベ」と「まるも」くらいでしょうか?そう言えば、私メも、一日中モーツアルトやブラームスの流れる喫茶店をやるのが若い頃の夢でした・・・)、今時こうした喫茶店は珍しいと思います。
元々レストランだったために、一式の厨房設備は勿論、店内には小上がりもあり、何とも勿体ない気もしますが、まぁ、将来の発展可能性として考えれば良いのかもしれません。
淹れ立ての珈琲と、ジャズと常念の喫茶店-「パウゼ安曇野」。
どうぞゆったりと、暫しの“小休止”に是非一度行かれてみてください。
6月中旬の羽田便就航まで、成田空港のオフィスに勤務することもあるからという理由で借りていた成田のワンルームをここで正式に引き払い、残った不要な荷物を松本まで運ぶべく、また車で早朝成田へ向かいました。
海外とかに行かなければ、当分成田へ、しかも表参道には来ることも無いだろうと思いますので、これがおそらく最後の成田山の表参道行きになるでしょう。
今回は泊りではなく、早朝松本を発っての夜帰着で、その間、もう引っ越し作業も無いので十分休息も取れるだろうことから、成田から糀谷経由しての日帰りです。
首都高の渋滞で、予定より一時間の延着。ユーティリティーの契約解除の各手続のあと、管理会社との退去の確認も無事終了し、残った荷物を車に積み込んで完了です。
ちょうど昼時近くになったので、糀谷に向かう前に、この表参道での最後のランチとして、やっぱり〆は「江戸ッ子寿司」へ。
この日、ヒラメが無かったのは残念でしたが、代わりに奥様が選んだ鯛もシコシコとして、「えっ、これ本当に鯛!?」と言うほどに、信州で食べる柔らかな刺身とはまるで別物だったそうです。私は金目を炙りで。伊豆ではなく房総沖で上がった金目鯛だそうですが、香ばしさの中に脂の甘味が感じられました。コハダも逸品。家内の頼んだ卵はわざわざ温めて。そうすることで甘味が増すのだそうです。
ここの特徴は、銚子港も近いだけにネタの新鮮さは勿論ですが、何と言っても他店の倍(回転ずしの3倍?)以上ありそうなネタの大きさ。お値段は決して安いとは言えないかもしれませんが、得した気分にさせてくれます。
成田山表参道最後のランチ。結局「川豊」には行けませんでしたが、「江戸ッ子寿司」で十二分に満足させてもらいました。
3年前、荷物を運んで初めて成田に来た時に、クリーニング店のご夫婦が観光で行かれたという松本を「イイ街ですね」と褒めてくれましたが、成田の表参道も本当にイイ街でした。
【追記】
成田山の表参道にある(多分ここ3年以内に開店)セブンイレブン。
おそらく、風情ある景観に配慮したもの(或いは商店街の規制?)なのでしょう、お馴染みの看板が渋いこげ茶一色。他では見掛けたことがありませんが、なかなかの趣でした。
(*今回から「顛末記」を「日記」と改め、以前からの通し番号で掲載します)
毎年、プランターで水耕栽培(園芸用語で云うところの、所謂「腰水栽培」)をしているクレソン(過去の経緯はカテゴリーの「ガーデニング日記」を参照ください)。
今年は、いただいた野生のクレソンを発根させました。いただいた時に、「春先を過ぎると“コワく”なるから」とのこと(穂高の湧水地に自生しているので、冬場も凍結しないらしい)でしたが、確かに毎年5月頃にスーパーでハウス栽培のクレソンを買って来て水栽培(水を入れたビンに単に挿しておくだけ)で発根させてから、川砂を敷き詰めたプランターに移植して水耕栽培をしていますが、壜に挿した時から、緑色の茎が日光を受けて次第に黒っぽくなっていきます。
クレソンだったか定かではありませんが、以前食用ハーブの中で、「日向よりも、日陰にプランターを置いた方が柔らかい」種類があると、TVか何かで聞いた(読んだ?)記憶があります(そう言えば、いただいたクレソンが自生するという穂高のワサビ田は、どこも遮光ネットで畝が覆われていた記憶があります)。そこで、勝手にクレソンと断定し、今年のクレソンは日陰で育ててみることにしました。
雨降りの週末、ホームセンターに行ってみると、幅が2mで、網目や素材と長さにより値段が色々あり、また切り売りもしています。
そこで、遮光率70%(50%、60%もありましたが、高い方が良いかは不明)の長さ2mのネットを購入(500円程度)。1/4の大きさに切断し、木枠に被せ留め金(ビス)で留めて出来上がり。即席ですが、何とか恰好はついたようです。
早速プランターを入れた水槽に被せます。
実際の効果の程は分かりませんが、その後観察してみると、一週間も経たずに変化が現れてきました。
これまで日向に置いてあった時と比べ、ヒョロヒョロと茎が伸び、茎の色も柔らかそうな緑色です。日除けをした方が、もやしのように成長速度(茎の伸び)は早いようです。但し、昨年までは、市販のものに比べて味が濃かった(辛みも強い)ので、今年日除けをしたものの味がどうかは未だ分かりません。何となく、茎は柔らかいが味は薄い(日光の力は偉大です)・・・という気もしないでもありません。でも、伸びが良く、早めに収穫出来そうなのは有難いと思います。
被せてから10日目で、早速収穫してサラダに。予想通りの柔らかさで、味は、やはり多少辛みが薄いように感じましたが、市販のハウスものに比べれば断然濃く、十分美味しくいただけました。
この調子だと、従来よりも収穫頻度が多そうですので(その後、大体一週間おきくらいで収穫しています)、少なくとも今年は、この遮光ネットを覆った状態で栽培してみようと思います。
ただ座っているだけの(≒連れて行っていただいて、都心でのコンサートが楽しめる)“極楽気分”に味を占め、3回連続での参加となった、今年の音文(松本市音楽文化ホール)会員向け“ハーモニーメイトバスツアー”が6月21日に行われました。今年の行先は、すみだトリフォニーホールです。
今回は、注目の俊英ダニエル・ハーディング(Music Partner of NJP)指揮の新日フィルの第526回定期演奏会。これまた注目のイザベル・ファウスト独奏でのヴァイオリン協奏曲と交響曲第4番のAll Brahms Vol.2。前日が夜で、今日がマチネですが、チケット完売の由。
“ブラ4”は、学生時代に、2番目か3番目に(LPを)買った大好きな曲。サガンではありませんが、当時ネクラな学生は、何となく渋いブラームスが好みでした。LP時代に全曲を揃えた交響曲では、ブラームスらしい3番と4番が好みで、とりわけ4番は大好きな曲。最初に買ったLPはカラヤン&BPOで確かに名人芸でしたが、やがて好みはドイツ的なザンデルリンク&SKドレスデンへ。よりブラームスらしい渋い演奏に惹かれていったように思います。
結果、学生時代に揃えたLPは、1番と3番がケンペ&ミュンヘンPO、2番がワルター&コロンビアSO、4番がザンデルリンクとカラヤンでした(CDは、多分シンガポールで買ったオザワ&SKOの海外盤がありました。また、ここでクラシックプレミアムからクライバー&VPO盤が配本)。
ブラームスの魅力は、何と言っても、交響曲第3番の第3楽章や弦楽6重奏曲第1番の第2楽章に代表されるような、晩秋を想わせるメランコリックなメロディーと、一聴でそれと分かる分厚い弦の響き。更に、「ハイドンの主題による変奏曲」に代表される、寄木細工の様に緻密に幾重にも組み合わされた変奏の名人芸・・・でしょうか。
朝、ハーモニーホールに集合し出発。今回は定員一杯とか。
往路のバスの車内では、恒例の自己紹介と、音文の制作ディレクターNさんからの当日の演奏会プログラムのレクチャー(結構詳しく且つ専門的内容)も大変興味深く、あっと言う間に錦糸町に到着。
今回のソリストを務めるイザベル・ファウスト嬢は、ハーディングとマーラー室内管(MCO)で既に同曲を録音しており、通常のヨアヒム(ブラームスの親友で、完成に向けて助言を行い、ブラームス自身の指揮で彼の独奏により初演)版ではなく、珍しいブゾーニ版でのカデンツァを今回も弾くだろうとのことで、幾つかのカデンツァの聴き比べとMCOとの全曲を車内で聴かせてくれました。参加されたメイトの皆さんはファウスト目当ての方が多かったようで、人気の程が伺えました。
パガニーニ国際コンクールの優勝者でもある彼女の愛器は、“Sleeping beauty”との愛称を持つストラディヴァリ(ドイツ銀行からの貸与とか)。
一階の前列でしたので、ソロを聴くには恰好の席。
イザベル・ファウストのヴァイオリン。驚くべきは、今まで生で聴いた中では出色と言える音の透明感と音程の確かさでしょうか(娘のように絶対音感は持ち合わせていませんが、私も耳だけは良いようで、ピアノと違って音がふらつくのが嫌で、これまで生ヴァイオリンはあまり聴いていません)。
彼女の演奏は、(モダン楽器ですが)ヴィブラートをあまり掛けず、知的で切れ味の鋭い“エッジの効いた”音なのに決して冷たくはなく、むしろ気品のある暖かな音色。消え入るような弱音も、ぴんと張った糸のように全くふらつくことなく、どんなに早いパッセージも見事な音程で弾き切ります。そして、全く“雑音”が無い。何という透明感(こんなヴァイオリンなら、ずっと聴いていたい!)。
また、初めて聴く、ティンパニーのトレモロが入るブゾーニ版のカデンツァもお見事。Obソロ(主席の古部賢一さん)の甘い旋律を受け継いだ第二楽章も溜息が出るほど美しく、不覚にも目頭が熱くなりました。ハーディング指揮のオケも、弱音部でも彼女のヴァイオリンが浮き出るような息の合ったサポート振り。終了後、ブラヴォーが飛び交うのも当然の見事な演奏でした。鳴り止まない満場の拍手に応えてのアンコールは、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番からラルゴ。これまた弱音が、溜息が出るほど美しい・・・。客席も、息をひそめて聴き入ります。休憩中に隣の奥様が、うっとりしながら「ジュリー・アンドリュースみたい」(想像するに、“The Sound of Music”での彼女をイメージして)と呟いたのも、彼女の知的でノーブルなドレス姿と相俟ってのナルホドでした。
なお、第一楽章終了後、おそらく確信犯的(!?)ブラヴォーとそれに釣られての拍手が起き、興醒めした客席のひんしゅくを買いましたが、ファウストとハーディングは顔を見合わせて苦笑いを浮かべていました。感動が分からぬではありませんが、身勝手な振る舞いは厳に慎むべきでしょう。
休憩後の交響曲第4番。
第3楽章を除き、今まで聴いたこともないような遅めのテンポでした。ただ、全体に緊迫感はあり、また大きなうねりを感じさせるようで、それ程間延びした感じではなかったのですが、アタッカで入った第4楽章など、逆にもっと粘っても良いのにと思えました。またオケも、第2楽章冒頭のホルンも少々危なっかしかったし、ブラームス的には弦にもう少し厚みが欲しかった気がします。ハーディングは、第3楽章辺りから時折唸りながらの熱演。渋さとは無縁の、ブラームスにしては劇的な4番だったでしょうか。いずれにしても、私の趣味ではありませんでした。
終了後、全員が集合するのを待っていると、ロビーには2階まで続く長蛇の列。ファウストとハーディングのサインを待つ人たちで、お二人の人気の程が伺えました。
Nさんによれば、2016年にイザベル・ファウストを音文に呼び、バッハの無伴奏を演奏してもらう前提で交渉中とか。もし実現したら、是非聴きに行きたいと思います(その前に全曲盤のCD買おうかな?と思いましたが、どうせなら、その時に買ってサインしてもらオ!・・・っと)。