カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
普通の日本人なら、殆どが仏教徒とはいえ、初詣は神社にお参りし、神前結婚でお葬式は仏教で、またクリスマスもお祝いし・・・という生活だと思いますが、葬儀となると当然のことながら仏教一色となります。
近親者(一般的には、親兄弟、配偶者や子供、義父母など、血族・姻族の2親等まで)が亡くなって「喪」に服する期間を「喪中」と言いますが、果たしてその間は何をどうすれば良いのか、或いは何をしてはいけないのか・・・。年賀欠礼くらいは知っていても、あとは当然分からぬことばかりです。
そこで、セレモニーセンター(葬祭場)の担当者の方から教えていただいたり、自分でネット検索して調べてみたり・・・。
神道では死は「穢れ」とされ、儀礼的禁忌状態を「忌中」と呼び、50日間が「忌」に服する期間とされますが、仏教では、御霊が仏になるまでの49日間、故人のために近親者が祈りに専念する期間が「忌中」となります。
そして、元々は儒教から生じた(従って、儒教精神の強い朝鮮半島では、例えば北の最初の指導者の死後2代目は3年間喪に服し、公式の場に姿を見せなかった)とされる「喪中」は、亡くなった月を含めた13ヶ月間であり、実質1年間(従って、我が家では昨年の12月から今年の12月までが喪中)です。
本来は江戸時代までの慣習を明治7年の太政官令で、実父母、子など親等別に服喪期間(日数)まで法制化されていたようですが、戦後廃止されており、現在でも慣習として近親者は一周忌明けまでが一般的に喪中とされています。
そしてこの間は、基本的には慶事(お祝い事)を執り行わず、慶事にも参加しないことになります。但し、コミュニケーションが不可欠な現代社会においては、お付き合いの必要性により、喪中であっても必要なことは参加して良いそうです(例えば、既に申し込んで延期出来ないお祝い事などがもしあれば、必要なら親戚筋に事前に根回しをして了解を得るなど、要するに個人で考えて判断するしかなさそうです)。但し、その場合も地域性(しきたり)を考慮することは必要かもしれません。
我が家の場合、暮も押し迫った23日でしたので、幸い年賀状はまだ投函していなかったのですが、準備等で喪中ハガキまでは手が回らず、会葬御礼と年賀欠礼の広告を地元紙に年末掲載したものの、新年になって年賀状を頂いた方々や毎年頂く県外の方々には、寒の入り後に「寒中見舞い」(ネット検索すると無料のサンプルがたくさん掲載されています)でその旨のご挨拶をさせていただきました。
また、後で知って自宅へ会葬いただいたり、わざわざ送っていただいたりした方や、松本地方だけに残る「新御霊」(注記)の返礼の品の手配などの対応を年末済ませました。
神道では50日間は「忌」で、死は穢れとされるので、正月の初詣は勿論、神社への参拝や神事への参加はご法度。忌中明けには、神棚を隠した半紙を取っても良いようです(これまで神道で行われた部下の家のご葬儀に二度参列したことがあります。こうしたご家庭では忌中開けに氏子である神社でそのお払い、厄払いまでされるかもしれませんが、普通の家ではそこまでは不要でしょう)。
一方、仏教では死は穢れではなく、49日後には仏になるので、その間でもお寺へのお参りは問題ないそうです。当家は浄土宗ですので、総本山は知恩院。浄土宗七本山に数えられる善光寺も問題なさそうです。
そう言えば、今回初めて分かったこと。
32年前の祖父の葬儀の法要に、今はご住職も引退された高校一年の時の担任の先生が、当家の菩提寺と一緒に同じ浄土宗のお寺として来てくださり、法要が終わってから私にお数珠をくださいました。
それは、小さい黒い珠が二重に連なった女性持ちのような数珠でした。その時は良く見る大きな珠の数珠の方が立派なのにと思いましたが、今回セレモニーセンターの方から、浄土宗での位牌や仏壇(例えば浄土宗では金の装飾は用いない)なども含め宗派により形式も異なる(従って、檀家として各家の宗派に則った仏具を購入する必要があるそうです)との説明いただいた中で、数珠についても教えていただいたのは、浄土宗では二連の数珠が正式なのだとか。
先生は、同じ浄土宗として正式な黒檀の数珠を私にくださったのでした。お年を召されたとはいえ、まだご存命ですので、改めて自身の無知を恥じ、先生にお詫びをし、また深謝でありました。
【注記】
新御霊(あらみたま)。長野県内でも松本平だけに残る風習。
その年に亡くなった新仏のいる家に、親戚・同姓など近しい者が、年の暮れにお参りに行くこと。
本来は、死者の霊がお盆同様に正月にも家に戻るとされ、新仏のいる家が正月を迎えることが出来ないので、「お寂しい暮になりましたが」と慰めにお参りをするもの。我が家周辺の地区では、その家の主人は葬儀に参列するので、新御霊のお参りは専ら夫人がその家を代表して訪問する慣わし。
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