カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 9年近い病気療養の末に父が亡くなったのが、暮も押し迫った12月23日の午後1時過ぎ。
それからは、悲しんでいる間も無く、どう進めれば良いのか分からないことばかりのパニック状態でした。しかし考えてみれば、慣れていることの方が不幸続きでむしろ問題でしょうから、知らなくて当然。ここで少し振り返ってみることにします。万が一の時の参考になれば幸いです。

 先ず、市内の菩提寺へ一報(我が家は浄土宗です)。お寺のスケジュールが最優先で、通夜(浄土宗は納棺通夜)と告別式および火葬の日取りが決まります。父がセレモニーセンター(葬祭場)の互助会員になっていたので、そこで葬儀を行うことをご住職にお伝えし、そちらへも連絡すると、既にお寺から連絡が行っていて、日程が確保されていました。また、親戚、地域によると思いますが同姓、隣組など、遺族に代わって段取りを仕切ってもらう方に相談します。
我が家の場合は、古くからの同姓の長老(新宅の叔父)に報告。すぐに駆け付けてくれて、一緒にその日の午後には葬祭場の担当者との打ち合わせ。
祭壇から始まり、自宅で行う納棺通夜の準備。一周忌までの一連の流れがパンフレットになっていて、担当の方から説明を受け、全てそれに従って進めていきます。(先方も、こうした場面では、喪主側が何も知らず、あたふた、バタバタしていて当然という前提で進めてくれます。しかし、決めるのは飽くまで喪主側。時間も限られる中で、あらゆる事が並行して動いて行きますが、とにかく一つ一つ順番に決めていくことが肝要です)
 例えば、母屋の神棚に半紙を垂らして、忌中は神様にお隠れいただくなど、まさに知らぬことばかりでした。我が家では20年ほど前に祖母が亡くなりましたが、殆ど記憶がありませんし、あってもその時とは変わっていたり。
例えば納棺の際の荒縄など今は無く、代わりに葬儀屋さんが用意した白黒の水引を襷掛けで肩に掛けますし、納棺後のお清めも、昔は塩も糠も自宅で用意しましたが、一連の道具は全て持ってきてくれます。ぬるま湯と手を拭くタオル、法要の際の座布団(お寺さん用には紫色の座布団ですが、さすが我が家は古いので母屋に2枚ありました)を30枚用意しただけ。木魚なども仏壇に供えてありますが、法要用に一式持ってきてくれました。また、絶やさぬようにとされる通夜のお線香も、今は10時間持続する(実際は12時間近く持ちました)という専用の線香(蚊取り線香のような渦巻き型)を用意いただきました。
 年末のこの時期で心苦しくも、親戚、同姓、父の近しい友人、町会への日程の連絡。納棺までは中一日空いたので、その間には娘たちも急遽戻って来てくれて最後のお別れを済ませ、また近しい親戚がお見舞いにも来てくれたり、地元紙のお悔やみ欄への掲載、弔辞のお願いや、生花・供物の手配、告別式受付の手配、納棺通夜(振る舞い)、火葬、告別式、精進落しの出席人数読み、それに合わせた引き物手配などなど、する(≒決める)ことが山のようにあります。
 23日に亡くなり、自宅での納棺通夜が25日。火葬場、葬祭場とも幸い我が家からは車で5分程度で、26日午前中に出棺、火葬。移動して午後告別式と精進落しで、無事終了。これも父の人徳だったのでしょう、お陰さまで私たちの予想以上に賑やかに父を見送ることが出来ました(もし30日以降だと、年明け3日まで火葬場などもお休みでした)。
 考えてみると、亡くなった23日以降、目が回るような忙しさで、家内共々、葬儀が終わった26日まで昼食は殆ど食べていませんでした(空腹感も無し)。
皆さんをお送りした後、手伝ってくれた娘たちや日帰りで駆け付けてくれた娘婿も一緒に慌しく帰京して行き、妹一家と我が家に帰って漸く一息。ふぅ~っと溜息をつきながら浮かんできたのは、何故か“Sturm und Drang シュトゥラム・ウント・ドランク”・・・正に疾風怒濤のような4日間が、あっと言う間に過ぎて行きました。
 その間、ずっと走りながら考えているような感じでしたが、その中でふと気が付いたのは、色々な準備や対応など、私だけではなく、家内も娘たちも同じように気になるらしく、聞いてきたり、意見をしてきたり・・・。
船頭が多いと現場が混乱するので、自分一人では対応仕切れない部分や、同じ意見の場合は「ウン、任せた!」。しかし、同じ部分が気になったり、同じ場面で仕切ったり・・・大助かりでしたが、似た者同士と時に苦笑するばかりでした。
それにしても、昔の農村では会場(自宅で行った祖父の葬儀など)も勿論ですが、今のようにケータリングサービスも無かったので、供物用の餅つきから精進料理の調理なども含めて全て同姓・隣組総出で準備したのですから、(特にご夫人方は)今とは想像できないくらい、もっと大変だっただろうと思います。

 因みに、長野県で亡くなる人が最も多いのは、寒さが一段と厳しくなる12月なのだとか。お年寄りにはこたえるのでしょう。今回お願いしたセレモニーセンターは松本を中心に幾つも葬祭場を展開していますが、その時点での葬儀受付が140件を超えたのだそうです。

 亡父の葬儀も終わり、家内ではありませんが、心にぽっかりと穴が開いたような気がしつつも、これで終わらず、翌日は事前に確認の上、菩提寺へのご挨拶と四十九日法要(中陰供養)の確認。法要までにはそれまでの白木に代わる塗りの位牌、墓石への戒名の刻印、法要後の食事会場の手配と案内、当日の祭壇や引き物の手配。その他に、相続の確認の上、平日しか開いていない市役所・銀行などの手続きを含め、忌中明けの日までは結構慌しい日々が続きます。

 願わくば、こうした状況もふまえ、Civil servant の公僕であろうとするならば、既に実施している自治体(例えば次女の住む成田市)もあることから、交替制で人数が少なくても良いので、申請手続きのために市役所が(また銀行も)土日も開けていただけると助かります(せめて土曜日だけでも)。
忌引き休暇が年末年始休暇に掛かったこともありますが(死亡後の数日間は葬儀などの対応で忙殺)、手続きのために年が明けてから計3日間ほど平日に会社を休み、市役所、銀行(銀行によっては、店舗がクローズされる15時以降でも、事前にお願いすれば対応していただけます)、JAなど、どこも一度では終わらずに、同じ窓口に何度も足を運ばなくてはなりませんでした。

 考えてみれば当然なのかもしれませんが、儀式も含め、「それまで存在していた人が居なくなる」ということは大変なことなのだと実感した次第です。      

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